TS転生見習い浄化師は過保護に愛される――――なお、仲間は曇る模様――――   作:カヨウ

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第46話 内側へ続く水路

 

 翌朝。

 

 王都館に届いた書簡は、赤い紐で留められていた。

 

 緊急。

 

 ただし、封は二重。

 

 宛名は、王都館。

 結界局。

 浄化師団。

 そして、見習い浄化師ルシェル・ノア氏。

 

 ルシェルは食堂の椅子で固まった。

 

「……宛名が増えてる」

 

 クラウスが封を確認する。

 

「正式共有だ」

 

「紙の圧がすごい」

 

 セレスが隣に座る。

 

「読めそう?」

 

「読む。パンは?」

 

 ガルドが皿を置いた。

 

「ある」

 

「無罪?」

 

「焼きたてだ」

 

「それは強い」

 

 レオンは扉近くに立っている。

 

 いつもより近い。

 

 でも、何も言わない。

 

 ルシェルはそれを見て半目になる。

 

「レオン、距離」

 

「緊急紐だからだ」

 

「紐にも警戒する護衛」

 

「赤い」

 

「赤いからか」

 

 クラウスが書簡を開いた。

 

 読み上げる声は、少し硬い。

 

「旧北門水路側道の出口候補を確認。場所は王都北区、旧児童保護院跡」

 

 ルシェルは瞬きをした。

 

「児童保護院」

 

 セレスの表情が変わった。

 

 ガルドも黙る。

 

 レオンの視線が鋭くなる。

 

 クラウスは続けた。

 

「現在は閉鎖施設。二十年前、北門水路の閉鎖と同時期に廃止」

 

「同時期」

 

 ルシェルは茶杯を握る。

 

「偶然ではなさそうランキング、上位」

 

 クラウスは頷いた。

 

「上位だな」

 

     ◇

 

 旧児童保護院跡。

 

 王都北区の古い施設。

 

 親を失った子ども、身元不明の子ども、地方から保護された子どもが一時的に預けられていた場所。

 

 今は閉鎖。

 

 表向きの理由は、建物老朽化と移転。

 

 ルシェルは説明を聞き、顔をしかめた。

 

「表向き、嫌ワード常勤」

 

 クラウスは否定しなかった。

 

「資料上はそうだ」

 

「資料上も嫌ワード」

 

 セレスが静かに言う。

 

「ルシェルは、今日行かなくてもいいわ」

 

「うん」

 

 即答した。

 

 それから少し黙る。

 

「でも、行くかもしれない」

 

 レオンが低く言う。

 

「理由は」

 

「雨雫が昨日から、ちょっと落ち着かない」

 

 小箱に置いた雨雫は、朝から微かに温かかった。

 

 水路勤務、継続中。

 

「あと、イリス・レインさんが戻らなかった場所が、外じゃなくて内側につながってるの、嫌」

 

 ガルドが短く言う。

 

「嫌なら見る」

 

「本家、判断がまっすぐ」

 

「見てから殴る」

 

「殴らないで。まだ相手が建物」

 

「建物は殴らん」

 

「そこは安心」

 

 クラウスが紙を置いた。

 

「白環記録庫からの提案では、まず外周確認。建物内には入らない。ルシェルの同行は任意。同行する場合、立ち位置指定可。蒼銀使用は不可設定から開始」

 

 ルシェルは少しだけ考える。

 

「不可設定から開始、助かる」

 

 レオンが頷く。

 

「必要なら変える」

 

「出さない勤務の契約更新」

 

 セレスが微笑む。

 

「今日は見るだけね」

 

「見るだけ勤務」

 

     ◇

 

 旧児童保護院跡へ向かう道は、北門水路よりも人の気配があった。

 

 住宅街を抜ける。

 

 古い石塀。

 

 閉じた門。

 

 枯れた庭木。

 

 そこだけ、時間が少し遅れているようだった。

 

 ルシェルは馬車の窓から見て、ぽつりと言う。

 

「建物の顔が暗い」

 

 セレスが隣で頷く。

 

「長く使われていないのね」

 

 レオンは向かいにいる。

 

「無理なら戻る」

 

「まだ馬車」

 

「馬車でも戻れる」

 

「本味方、撤退路が早い」

 

 ガルドが御者席側から言う。

 

「戻っても食う」

 

「戻らなくても食うよね」

 

「食う」

 

「一貫性」

 

 クラウスは地図を見ている。

 

「側道出口は敷地北側、旧洗濯棟の地下付近と推定」

 

「洗濯棟」

 

「水路とつながる理由はある」

 

「生活感が出て、逆に嫌」

 

 誰も笑わなかった。

 

 ルシェルは自分で言ってから、少しだけ口を閉じた。

 

 水。

 

 洗濯。

 

 子ども。

 

 名札式。

 

 戻らず。

 

 軽口が少し重くなる。

 

 セレスが言う。

 

「今は、見るだけ」

 

「うん」

 

     ◇

 

 現地には、すでに白環記録庫の面々がいた。

 

 ミーナ。

 若い書記。

 エルヴィン。

 

 そして、結界局の調査員が二人。

 

 エルヴィンは門の外に立っていた。

 

 中へは入っていない。

 

 ルシェルが馬車から降りると、彼はまず紙を差し出した。

 

 直接ではなく、クラウスへ。

 

「本日の条件案だ」

 

 ルシェルは半目になる。

 

「挨拶より条件」

 

 エルヴィンは短く答える。

 

「必要だ」

 

「レオン語彙」

 

 レオンが少しだけこちらを見た。

 

「似ているか」

 

「今日は少し」

 

 エルヴィンは無視した。

 

 条件案には、こうあった。

 

 外周のみ。

 建物内進入なし。

 地下進入なし。

 雨雫反応が強まった場合、即時退避可。

 蒼銀使用は本人申し出がない限り不可。

 児童に関する記録を発見した場合、読み上げは本人同意後。

 動物反応欄は、該当動物なしのため未使用。

 

 ルシェルは最後を見る。

 

「動物反応欄、今日は欠席」

 

 ミーナが小さく笑う。

 

「はい」

 

 ガルドが低く言う。

 

「ミルがいない」

 

「本家、寂しそう?」

 

「強い山羊がいない」

 

「やっぱり寂しそう」

 

     ◇

 

 門は錆びていた。

 

 だが、封鎖印は新しい。

 

 昨夜、エルヴィンが封鎖したものだ。

 

 ルシェルは門から十二歩離れた位置に立つ。

 

「十二歩、再採用」

 

 若い書記が書く。

 

『本人指定距離:門より十二歩』

 

 クラウスが低く言う。

 

「定着している」

 

「十二歩部署」

 

 セレスが小声で笑う。

 

 ルシェルは雨雫の小袋を握った。

 

 今は、ほんのり温かい。

 

 敷地の中は静かだ。

 

 風が木を揺らす。

 

 割れた窓。

 

 古い壁。

 

 奥に、小さな建物。

 

 洗濯棟。

 

 その地下に、水路の出口があるかもしれない。

 

「……嫌な感じはある。でも瘴気っぽくはない」

 

 セレスが頷く。

 

「私にも、濁りは感じないわ」

 

 クラウスが記録する。

 

「瘴気反応なし」

 

 その時。

 

 旧保護院の二階、割れた窓の奥で、白いものが揺れた。

 

 布。

 

 いや、紙。

 

 誰もいないはずの窓に、紙が貼りつくように現れた。

 

 若い書記が息を呑む。

 

 エルヴィンが顔を上げる。

 

 レオンが一歩前に出る。

 

 紙には、遠目にも文字があった。

 

『かえして』

 

 ルシェルの手が冷えた。

 

 雨雫が、ぽたん、と鳴る。

 

「……水路便、建物支店」

 

 声が少し震えた。

 

 ガルドが低く言う。

 

「戻るか」

 

 ルシェルは手を一回握った。

 

 まだ一回。

 

「まだ。見るだけ勤務、継続」

 

     ◇

 

 紙は窓に貼りついたままだった。

 

 だが、風でめくれるたびに、文字が変わる。

 

『かえして』

『なまえ』

『みず』

『レイン先生』

 

 ルシェルは最後の文字で止まった。

 

「先生」

 

 セレスが息を吸う。

 

 ミーナがすぐ記録する。

 

「レイン先生」

 

 クラウスが資料をめくる。

 

「イリス・レインは北門水路管理補助だった。保護院側の職員記録にはまだ当たっていない」

 

 エルヴィンが低く言う。

 

「当たる」

 

「今?」

 

「今は入らない。記録庫で確認する」

 

 ルシェルは少しだけ息を吐いた。

 

「入らないって言った」

 

 エルヴィンは門を見たまま言う。

 

「条件に書いた」

 

「条件を守る人」

 

「そうだ」

 

 その短い返答が、少し助かった。

 

 すると、窓の紙がまためくれた。

 

 今度は、別の文字。

 

『みんなの名札』

 

 雨雫が温かくなる。

 

 セレスの顔が硬くなる。

 

「名札式」

 

 クラウスが呟く。

 

「イリス・レインの記録にあった」

 

 名札式に干渉あり。

 

 名を水から戻す。

 

 児童保護院。

 

 みんなの名札。

 

 ルシェルは、軽口を探した。

 

 見つけるまで、少し時間がかかった。

 

「……王都、名前管理が下手すぎる」

 

 エルヴィンが答えた。

 

「否定しない」

 

「否定してほしかった」

 

「できない」

 

     ◇

 

 建物には入らない。

 

 その場で外周確認だけする。

 

 調査員が敷地外を回り、外壁と地下水路の音を確認する。

 

 ルシェルは十二歩地点から動かない。

 

 雨雫を持つ。

 

 セレスが隣。

 

 レオンが斜め後ろ。

 

 ガルドが退路。

 

 クラウスとミーナが記録。

 

 エルヴィンは門の前で封鎖印を確認している。

 

 しばらくして、北側の洗濯棟近くから、調査員が戻ってきた。

 

「地下から水音があります」

 

 エルヴィンが問う。

 

「強さは」

 

「旧水路と同程度。ただ、一定間隔で音が途切れます」

 

 ルシェルが反応する。

 

「途切れる?」

 

 調査員は頷く。

 

「水が詰まっているような」

 

 雨雫が鳴った。

 

 ぽたん。

 

 ルシェルは小袋を握る。

 

 その瞬間、門の奥の地面に、水が滲んだ。

 

 細い線。

 

 内側から外へ。

 

 水の線が、石畳の隙間を伝ってくる。

 

 門の下まで。

 

 そして、そこで止まる。

 

 水の先端に、小さな銀色のものが浮いた。

 

 名札だった。

 

 古びた金属の小さな札。

 

 水に濡れているのに、文字だけがはっきりしている。

 

 ミーナが低く言う。

 

「門の内側です。回収には敷地内へ入る必要があります」

 

 ルシェルは手を二回握りそうになって、止めた。

 

 怖い。

 

 でも、名札。

 

 水から戻ってきたもの。

 

 エルヴィンが動いた。

 

「私が取る」

 

 レオンがすぐ言う。

 

「単独は危険だ」

 

「敷地内へ一歩だけだ」

 

「危険だ」

 

 ガルドも低く言う。

 

「縄をつけろ」

 

 ルシェルは思わずそちらを見る。

 

「本家、急に実務」

 

「戻すためだ」

 

 エルヴィンは一瞬だけ黙った。

 

 それから頷いた。

 

「縄を」

 

 調査員が縄を用意する。

 

 レオンが結び目を確認する。

 

 ガルドも確認する。

 

 エルヴィンは文句を言わない。

 

 ルシェルは半目になる。

 

「形式の鬼、縄付き勤務」

 

 エルヴィンは門の鍵を開けながら言う。

 

「記録にはそう書くな」

 

 若い書記が慌てて筆を止めた。

 

     ◇

 

 門が、少しだけ開いた。

 

 ぎい、と嫌な音。

 

 ルシェルは十二歩地点で雨雫を握る。

 

 エルヴィンは門の内側へ一歩だけ入った。

 

 水に触れないように膝をつき、長い挟み具で名札を取る。

 

 その瞬間。

 

 建物の二階の窓すべてに、白い紙が貼りついた。

 

 ばさり。

 

 一斉に。

 

『かえして』

 

『なまえ』

 

『レイン先生』

 

『みんなの名札』

 

『第三石』

 

『みずがとまった』

 

 ルシェルの喉が詰まる。

 

 雨雫が熱くなる。

 

 足がすくむ。

 

 レオンが言う。

 

「ルシェル」

 

 ルシェルは手を二回握った。

 

 合図。

 

 即座に、セレスが横へ立つ。

 

 レオンが前へ出る。

 

 ガルドが退路を固める。

 

 だが、エルヴィンはまだ門の内側。

 

 名札を取ったところで、足元の水が増えた。

 

 縄が張る。

 

 ガルドが引く。

 

「戻れ」

 

 エルヴィンは名札を保護箱へ入れ、振り返る。

 

 その一瞬。

 

 水の中から、細い声がした。

 

「先生を」

 

 エルヴィンの足が止まりかける。

 

 ルシェルは叫んだ。

 

「戻って!」

 

 自分でも驚くほど、大きな声だった。

 

 エルヴィンがはっと顔を上げる。

 

 ガルドが縄を引く。

 

 レオンも補助する。

 

 エルヴィンは門の外へ戻った。

 

 門が閉まる。

 

 封鎖印は一部濡れたが、破れていない。

 

 水は門の内側で止まった。

 

 窓の紙は、ばさばさと震えたあと、一枚ずつ剥がれ落ちた。

 

 ルシェルは肩で息をする。

 

「水路退勤」

 

 セレスが即座に頷いた。

 

「終了」

 

 ミーナが記録する。

 

『本人、退避合図後、水路退勤を宣言。外周確認終了』

 

     ◇

 

 保護箱に入った名札には、文字があった。

 

『エナ』

 

 それだけ。

 

 姓はない。

 

 年齢もない。

 

 ただ、小さな名前。

 

 エナ。

 

 ルシェルは遠くから見た。

 

 近づかない。

 

 今日はもう無理だ。

 

「エナさん?」

 

 ミーナが慎重に言う。

 

「児童の名札の可能性があります」

 

 クラウスが記録する。

 

「旧児童保護院の名簿照合が必要だ」

 

 エルヴィンは濡れた手袋を外した。

 

 右手の包帯は濡れていない。

 

 彼は名札から目を離さない。

 

「敷地内調査は中止。封鎖強化。名簿照合を優先する」

 

 レオンが短く言う。

 

「賛成だ」

 

 ガルドも。

 

「戻る」

 

 エルヴィンは頷いた。

 

「戻る」

 

 ルシェルはそれを見た。

 

 戻った。

 

 ちゃんと戻った。

 

 呼ばれても、止まっても、戻った。

 

「……形式の鬼、帰還成功」

 

 エルヴィンは顔を上げる。

 

「その表現は不要だ」

 

「でも成功です」

 

 少し沈黙。

 

 エルヴィンは、短く言った。

 

「……そうだな」

 

 ルシェルは少しだけ笑った。

 

     ◇

 

 王都館へ戻る馬車の中。

 

 ルシェルはぐったりしていた。

 

 軽口の在庫が少ない。

 

 でも、ゼロではない。

 

「今日の成果。保護院跡。レイン先生。みんなの名札。エナさん仮登場。形式の鬼、縄付き帰還成功」

 

 セレスが隣で頷く。

 

「よく戻ったわ」

 

「戻ったのはエルヴィン補佐官」

 

「ルシェルも、ちゃんと水路退勤できた」

 

「退勤、大事」

 

 レオンが静かに言う。

 

「大声も出せた」

 

 ルシェルは顔を赤くする。

 

「そこ拾う?」

 

「助かった」

 

「助かった?」

 

「ああ。あれでエルヴィンが戻った」

 

 ガルドが前から言う。

 

「よく叫んだ」

 

「本家まで」

 

 クラウスも書類を閉じて言った。

 

「記録上も重要だ」

 

「全員で叫びを評価しないで」

 

 セレスが笑う。

 

「でも、本当に大事だったの」

 

 ルシェルは小袋を抱えた。

 

「……後日回答でお願いします」

 

「はい」

 

     ◇

 

 夜。

 

 ルシェルは小箱の前に座った。

 

 雨雫は、今日は少し疲れているように見える。

 

 もちろん石なので、顔はない。

 

 でも、疲れている気がする。

 

「今日の報告」

 

 保留猫は無反応。

 

「旧児童保護院跡へ行きました」

 

 無反応。

 

「レイン先生、って呼ばれてました」

 

 雨雫は静か。

 

「エナさんの名札が出ました」

 

 後日回答の栞を置く。

 

「みんなの名札、だそうです」

 

 少しだけ、声が小さくなる。

 

「怖かった」

 

 廊下からレオンの声。

 

「聞こえている」

 

「今日は許可」

 

「ああ」

 

「エルヴィン補佐官が呼ばれて、ちょっと止まりました」

 

「ああ」

 

「でも戻りました」

 

「戻った」

 

「ボク、叫びました」

 

「聞いた」

 

「恥ずかしい」

 

「助かった」

 

 ルシェルは布団の上で丸くなる。

 

「本味方、そこを押す」

 

「事実だ」

 

「事実で殴るの禁止」

 

「殴ってはいない」

 

「重い」

 

「すまない」

 

「今日は許可」

 

 少し沈黙。

 

 ルシェルは小箱を見た。

 

「次は、名簿だね」

 

「そうだな」

 

「エナさんだけじゃない気がする」

 

「俺もそう思う」

 

「怖い」

 

「ああ」

 

「でも、名前は戻した方がいい」

 

「そうだな」

 

 ルシェルは保留猫を抱いた。

 

 今日は一人で寝るには少し怖い。

 

 でも、部屋に誰かを入れるほどではない。

 

 廊下に声があれば足りる。

 

「レオン、そこにいて」

 

「いる」

 

「近すぎないで」

 

「分かった」

 

「遠すぎないで」

 

「分かった」

 

「注文が多い」

 

「構わない」

 

「本味方、重い」

 

「軽くしない」

 

「今日はそれでいい」

 

 ルシェルは目を閉じた。

 

 小箱の中で、雨雫は静かだった。

 

 エナ。

 

 レイン先生。

 

 みんなの名札。

 

 王都の内側に、水が止まった場所がある。

 

 次は、そこに残された名前を探すことになる。

 

 眠りに落ちる直前、ルシェルは小さく呟いた。

 

「……名前部署、残業確定」

 

 廊下の向こうで、レオンが少しだけ笑った気配がした。

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