TS転生見習い浄化師は過保護に愛される――――なお、仲間は曇る模様―――― 作:カヨウ
翌朝。
王都館の食堂には、鍵束がなかった。
当然だ。
鍵束は白環記録庫で保護されている。
だが、ルシェルにはなぜか、食卓の上に見えない鍵束が置かれている気がした。
パン。
茶。
乳酪。
見えない鍵束。
「……今日の食卓、重いものが見える」
セレスが茶を置く。
「鍵?」
「見えない鍵。幻覚ではなく、気配」
「気配なら、分かるわ」
ガルドがパンを二つ置いた。
「食え」
「鍵が開く前に?」
「開けるなら食え」
「本家、扉前補給」
レオンは窓際ではなく、今日は扉の横にいた。
位置が少し違う。
出発前の護衛配置。
「レオン、今日は扉側」
「出るからだ」
「分かりやすい」
「戻る時も見る」
「出入口担当」
「そうだ」
クラウスが書類を開いた。
「白環記録庫と結界局から、第三石室調査の正式条件案が届いた」
ルシェルはパンを半分に割る。
「来た。終盤の紙」
クラウスは少しだけ眉を上げた。
「終盤?」
「空気がそう言ってる」
セレスが静かに頷く。
「そうね。閉じるためではなく、戻すための終盤」
ルシェルは半目で見る。
「セレス、綺麗な言葉で攻撃した」
「ごめんなさい」
「後日回答」
◇
条件は、これまでより厚かった。
第三石室は、旧児童保護院跡の洗濯棟床下から側道を通って到達できる。
水路内には入らない。
だが、地下である。
結界の残響が強い可能性がある。
名札、鍵、イリス・レイン、子どもたちの記録がすべて絡む。
そして、十五の蒼記録。
ルシェルは最後の項目を見て、少しだけ喉を鳴らした。
「今日は開く?」
クラウスは首を横に振った。
「開かない。第三石室の反応を見るまで、十五の蒼記録は封鎖継続」
「よかった」
声が素直に出た。
レオンが静かに言う。
「君が開きたいと言うまでは開かない」
「本味方、門番継続」
「ああ」
エルヴィンからの追記もあった。
『十五の蒼記録は、事件解決の鍵である可能性がある。
しかし、鍵であっても本人を鍵として扱ってはならない。
よって、本日閲覧禁止。』
ルシェルはその一文を見て、しばらく黙った。
「……形式の鬼、言葉が強くなってる」
クラウスが頷く。
「かなり」
ガルドが短く言う。
「よい」
セレスが微笑む。
「味方寄りね」
ルシェルは照れたように視線を逸らした。
「形式味方、成長期」
◇
旧児童保護院跡は、朝の光の中でも暗かった。
門は封鎖されたまま。
だが、今日は調査班がいる。
結界局。
浄化師団。
白環記録庫。
王都館。
ミーナが記録台を立てている。
若い書記は、鍵束の保護箱を抱えている。
エルヴィンは門前に立っていた。
昨日よりも顔が硬い。
いつも硬いが、今日はさらに硬い。
ルシェルはそれを見る。
「エルヴィン補佐官、顔面が封鎖印」
若い書記が吹き出しかけた。
ミーナが咳払いする。
エルヴィンは眉ひとつ動かさない。
「本日の調査は危険が高い」
「否定しないところが怖い」
「怖いなら戻れ」
レオンがすぐに言う。
「言い方」
エルヴィンは一拍置いた。
「戻ってよい」
ルシェルは少し目を丸くした。
「言い直した」
「条件上、正しい」
「形式の鬼、言い直し機能搭載」
セレスが小声で笑った。
◇
入るのは、全員ではない。
第三石室へ向かう班。
リーネ。
結界局調査員二名。
レオン。
ガルド。
エルヴィン。
ミーナ。
クラウス。
そして、ルシェル。
ただし、ルシェルは「最奥手前まで」。
第三石室の扉前で止まる。
中へ入らない。
蒼銀使用は小灯と面積まで。
浄化行使は、本人申し出とリーネ確認、全員退避路確保後のみ。
セレスは地上側で待機し、魔術防護を張る。
「セレス留守番?」
ルシェルが少し不安そうに言う。
セレスは頷いた。
「上で退路を守るわ。中で何かあった時、外から閉じ込められないようにする」
「重要勤務」
「ええ」
「じゃあ、セレスは扉外担当」
「そうね」
レオンが言う。
「中は俺が見る」
ガルドが続ける。
「俺もいる」
クラウスが紙を持ち上げる。
「記録もいる」
ルシェルは半目になる。
「記録も戦力扱い」
エルヴィンが言った。
「記録がなければ、また消える」
その一言で、軽口が少し止まった。
ルシェルは頷く。
「うん。記録も戦力」
◇
洗濯棟の床板は外されていた。
床下には、石の階段があった。
古い。
狭い。
水の匂いがする。
だが、水路そのものではない。
側道。
子どもたちが守った鍵で開く道。
若い書記が鍵束を保護箱から取り出す。
鍵は五本。
そのうち一本に、北門第三石の印。
エルヴィンが言う。
「開錠は結界局が行う」
ルシェルは鍵を見つめる。
「子どもたちが、開けないで守った鍵」
ミーナが静かに記録する。
ガルドが低く言う。
「今は開ける」
ルシェルは頷いた。
「先生を戻すため」
鍵が回る。
かちり。
小さな音。
けれど、その音は建物全体に響いたように感じた。
その瞬間、雨雫が鳴った。
ぽたん。
側道の奥から、水の音が返る。
ぽたん。
「返事が来た」
ルシェルが呟く。
レオンが隣で静かに言う。
「行けるか」
「行く。足はまだ勤務中」
◇
側道は低かった。
石壁に古い文字が刻まれている。
水路式。
結界式。
名札式。
リーネが光を当てる。
「ここは、子どもたちの名札を水路式から切り離すための補助路だった可能性があります」
クラウスが眉を寄せる。
「なぜ児童保護院に」
エルヴィンが短く答える。
「管理しやすかったからだろう」
その言葉には、軽蔑があった。
ルシェルは石壁を見ないように前を見る。
「嫌な便利さ」
ミーナが小さく頷く。
「はい」
奥へ進むほど、雨雫が温かくなる。
ルシェルは小袋越しに握った。
蒼銀はまだ出さない。
出せる気はする。
でも、まだ出さない。
「出さない勤務、継続」
レオンが頷く。
「継続」
ガルドが後ろで言う。
「よし」
エルヴィンも、少し遅れて言った。
「よし」
ルシェルが振り返る。
「言った」
「条件確認だ」
「形式の鬼、本家に寄った?」
「寄っていない」
ガルドが低く笑った。
◇
第三石室の扉は、思ったより小さかった。
子どもでも手が届く高さに、丸い取っ手。
その下に、石の銘板。
『北門第三石室』
そして、その横に別の刻印。
『名札返納所』
ルシェルは息を止める。
「返納所」
ミーナが震える筆で記録する。
クラウスが低く言う。
「ここで名札を戻していたのか」
リーネが扉に手をかざす。
「中に結界反応があります。弱いですが、絡まっています」
水音。
扉の奥から、ずっと聞こえる。
さらさら。
ぽたん。
さらさら。
その中に、声が混じる。
「せんせい」
「かえして」
「みずから」
「名札」
「開けない」
子どもの声。
重なっている。
ルシェルの胸がきつくなる。
レオンがすぐ見る。
「戻るか」
ルシェルは手を一回握る。
まだ一回。
「扉前勤務まで。契約通り」
リーネが言う。
「ここで蒼銀の小灯をお願いできますか。中の式が、開けてよい状態か確認します」
ルシェルは目を閉じた。
怖い。
でも、ここまで来た。
ここで、ただ開けるのは違う。
子どもたちは「先生を戻すまで、開けない」と守った。
なら、開けてよいかを聞く必要がある。
「小灯」
ルシェルは言った。
「照明勤務。扉に流し込まない。確認だけ」
リーネが頷く。
「確認だけ」
レオンが言う。
「小さく」
「本味方、合言葉」
ガルドが言う。
「小さく」
「本家も」
クラウスが記録する。
「小出力確認」
エルヴィンが続ける。
「本人任意」
ミーナが筆を走らせる。
「全員で小さくを囲まないで」
ルシェルは少し笑った。
その笑いのまま、指先に蒼銀を灯す。
◇
蒼銀の小灯は、昨日よりも澄んでいた。
弱い。
でも、震えていない。
ルシェルはその灯を、扉の前へかざす。
扉の刻印が青白く浮かび上がる。
『名札返納所』
その下に、隠れていた一文。
『返納後、第三石にて名を水から切り離す』
ルシェルは息を吸った。
「切り離す」
リーネが頷く。
「水から戻すための場所です」
エルヴィンが低く言う。
「名を水に戻す、ではなかった」
「古文迷惑、確定」
クラウスが言う。
「今回は古文ではなく、意図的に隠された可能性がある」
「もっと迷惑」
蒼銀が扉の下へ滑る。
流し込んだのではない。
光が、勝手に刻印を照らした。
そこに、さらに細い文字が現れる。
『十五の蒼記録を起点とする』
空気が凍った。
ルシェルの指先が揺れる。
レオンが即座に言う。
「小さく」
ルシェルは息を止める。
小さく。
小さく。
灯は消えない。
暴れない。
ただ、そこにある。
ミーナの筆が止まる。
エルヴィンが低く命じた。
「その文は、本人同意まで詳細記録しない」
ルシェルは扉を見たまま言う。
「でも、見えた」
「見えたことは残す。内容は凍結する」
「形式の鬼、凍結が早い」
「守るためだ」
ルシェルは、少しだけ笑った。
「うん」
◇
扉の奥で、声が変わった。
「先生を」
「戻して」
「鍵、ある」
「名札、ある」
「蒼、いる」
蒼、いる。
ルシェルの胸に刺さる。
十五の蒼記録。
自分と同じ十五。
蒼。
――シェル。
それが何なのか、まだ分からない。
でも、扉はそれを起点と言っている。
レオンが静かに言う。
「今は決めない」
「うん」
セレスは地上。
でも、言いそうなことが分かる。
保留。
後日回答。
今は、先生と子どもたち。
ルシェルは蒼銀を小さく保ったまま言う。
「イリス・レイン先生を戻すには、何が必要?」
扉が鳴った。
ぽたん。
雨雫も鳴る。
ぽたん。
扉の表面に、文字が浮かぶ。
『名札七枚』
『鍵』
『歌』
『第三石』
『蒼の灯』
ルシェルは数える。
「名札七枚。今、見つかったのは?」
クラウスが答える。
「エナの名札。石箱内に複数、まだ照合中。おそらく全員分ある」
ミーナが頷く。
「回収済みです」
「鍵、ある」
若い書記が保護箱を抱える。
「あります」
「歌、ミシェさん」
ルシェルの声が少し柔らかくなる。
「第三石、この奥」
リーネが頷く。
「はい」
「蒼の灯」
全員が黙る。
ルシェルは自分の指先を見る。
蒼銀の小さな光。
暴走ではない。
命令でもない。
自分で出している。
自分で止められる。
ルシェルは息を吐いた。
「……ボク、鍵じゃない」
エルヴィンがすぐ言う。
「鍵として扱わない」
レオンも言う。
「君は君だ」
ガルドが短く言う。
「人だ」
クラウスが低く続ける。
「記録上も」
ミーナが頷く。
「必ず」
ルシェルは少しだけ笑った。
「周囲ver2、総出」
それから扉を見る。
「でも、灯なら出せる」
◇
第三石室は、今日開けない予定だった。
だが、条件が揃いつつある。
扉は開けろと言っているのではない。
戻す準備を示している。
リーネが判断した。
「一度、地上へ戻りましょう。名札七枚を正式に揃え、歌の記録を安全に再生し、全員の退避路を確保してから開扉します」
レオンが即座に頷く。
「賛成だ」
ガルドも言う。
「戻る」
エルヴィンが記録する。
「本日は開扉しない。条件確認のみ」
ルシェルは扉を見る。
奥の声が、少しだけ弱まる。
「開けないの?」
その声に、ルシェルは胸を押さえる。
でも、言った。
「後日回答」
扉の奥が静かになった。
ルシェルは続ける。
「戻すために、準備します。雑に開けません。子どもたちが守ったから、こっちもちゃんと守って開けます」
蒼銀が、ふっと温かくなる。
扉の向こうで、小さな声。
「後日」
もう一つ。
「回答」
ルシェルは目を見開いた。
レオンが隣で静かに息を吸う。
ミーナが泣きそうな顔で筆を走らせる。
エルヴィンは硬い顔で言った。
「後日回答として受理する」
ルシェルは笑いそうになって、泣きそうになった。
「形式の鬼、ここでも受理」
「必要だ」
蒼銀を畳む。
指先へ。
小さく。
そして閉じる。
消える。
ちゃんと消えた。
「終了成功」
ガルドが言う。
「よし」
今度は、エルヴィンも言った。
「よし」
ルシェルは振り返る。
「二回目」
「条件達成だ」
「形式の鬼、本家化が進んでる」
「進んでいない」
地下の空気が、ほんの少しだけ軽くなった。
◇
地上へ戻ると、セレスが待っていた。
ルシェルの顔を見るなり、近づきすぎず、でもすぐ届く距離に立つ。
「戻れたわね」
「戻りました。地下退勤」
「新しい退勤ね」
「部署が増える」
クラウスが報告する。
「第三石室の開扉条件が判明。名札七枚、鍵、歌、第三石、蒼の灯」
セレスはすぐルシェルを見た。
「灯」
「うん。鍵じゃなくて灯」
セレスの表情が少し緩む。
「それなら、あなたが決められる」
「うん」
レオンが言う。
「今日は開けない」
「後日回答してきた」
セレスは目を丸くした。
「扉に?」
「扉に」
ガルドが言う。
「扉も受理した」
セレスは笑った。
「すごいわね」
ルシェルは肩をすくめた。
「後日回答、王都地下にも対応」
◇
その日の午後。
白環記録庫では、名札七枚の照合が行われた。
ルシェルは同席しない。
王都館で待つ。
照合は、ミーナ、若い書記、エルヴィン、クラウスで行う。
蒼銀なし。
雨雫なし。
ただ、名簿と名札を合わせる。
エナ。
ロイ。
ミシェ。
タル。
ユーノ。
リタ。
カナ。
七つ。
すべて揃った。
夕方、王都館に写しが届く。
クラウスが読み上げる。
「名札七枚、正式確認」
ルシェルは息を吐いた。
「揃った」
「さらに、封印札の裏面が確認された」
「裏面」
嫌な予感と、必要な予感が同時に来る。
クラウスは読む。
『先生を戻すまで、開けない。
でも、先生が戻ったら、歌って開ける。
水が怖くないように。』
セレスが目を伏せる。
ガルドが腕を組む。
レオンは静かに聞いている。
ルシェルは、保留猫を膝に抱いていた。
「水が怖くないように」
小さく繰り返す。
子どもたちは、水が怖かった。
でも、先生を戻したかった。
だから、歌を残した。
鍵を隠した。
名札を守った。
ルシェルは胸の奥に、蒼銀が静かに灯りそうになるのを感じた。
勝手に出ない。
ただ、待っている。
出すなら出せる。
止めるなら止められる。
「明日」
全員が見る。
ルシェルは、保留猫を抱きしめながら言った。
「明日、開ける」
レオンが静かに問う。
「決めたか」
「決めた。怖いけど、決めた」
セレスが頷く。
「条件を作りましょう」
ガルドが言う。
「食って寝ろ」
「本家、決戦前の指示が早い」
クラウスが筆を取る。
「開扉条件案を作る」
「書類の人、最終決戦の紙」
「必要だ」
ルシェルは少し笑った。
「みんな、必要って言いすぎ」
◇
夜。
ルシェルは小箱の前に座った。
今日は、報告が長い。
保留猫。
雨雫。
後日回答の栞。
ミルの絵。
先生の机の写し。
全部並んでいる。
「今日の報告」
保留猫は無反応。
「第三石室の扉まで行きました」
雨雫は静か。
「扉に、後日回答しました」
後日回答の栞を置く。
「受理されました」
少し笑う。
「名札七枚、揃いました」
雨雫が、ぽたん、と小さく鳴った。
「明日、開けます」
廊下からレオンの声。
「聞こえている」
「今日は許可」
「ああ」
「怖い」
「ああ」
「でも、決めた」
「ああ」
「ボクは鍵じゃない」
「鍵じゃない」
「灯」
「灯だ」
ルシェルは指先を見る。
何も出ていない。
でも、胸の奥に、蒼銀がある。
暴れるものではなく。
命令されるものでもなく。
誰かを消すためでもなく。
水が怖くないように、照らすための灯。
「明日、蒼銀を使う」
レオンは少し黙った。
それから言った。
「守る」
「軽くしない?」
「しない」
「今日はそれでいい」
ガルドの声が廊下の向こうから来た。
「食え」
「寝る前!」
「明日の分だ」
「本家、未来の食料まで管理」
セレスの声もした。
「条件紙、できたら見せるわ」
「セレスも残業?」
「少しだけ」
「周囲ver2、明日に向けて稼働中」
ルシェルは布団に入った。
怖い。
でも、怖さだけではない。
第三石室の扉。
七枚の名札。
歌。
鍵。
蒼の灯。
イリス・レイン先生。
水が怖くないように。
事件は、終わりに向かっている。
閉じるためではない。
戻すために。
ルシェルは目を閉じる。
「……明日、開けます」
小箱の中で、雨雫が一度だけ鳴った。
ぽたん。
それは、返事のように聞こえた。