TS転生見習い浄化師は過保護に愛される――――なお、仲間は曇る模様―――― 作:カヨウ
翌朝。
ルシェルは、食堂でパンを見つめていた。
パン。
茶。
乳酪。
焼き菓子。
干し肉。
なぜか果物。
そして、中央に置かれた条件紙。
食卓というより、出陣前の補給所だった。
「……本家、盛りすぎ」
ガルドが腕を組む。
「開ける日だ」
「扉を?」
「腹もだ」
「開ける種類が違う」
セレスが条件紙を整える。
「食べられる分だけでいいわ」
「セレス、逃げ道が優しい」
レオンは扉の横にいた。
昨日と同じ出入口担当。
ただし、今日はいつもより静かだった。
ルシェルはそれを見る。
「レオン、静音型激重感情、今日かなり静音」
「うるさくしないようにしている」
「気配は重い」
「すまない」
「謝るとさらに重い」
クラウスが咳払いした。
「最終条件を確認する」
最終。
その言葉で、食堂の空気が少しだけ締まる。
ルシェルは背筋を伸ばした。
「はい。最終条件、読み上げお願いします」
クラウスは紙を持った。
「一、第三石室の開扉は、名札七枚、鍵、歌、蒼の灯が揃った場合のみ行う」
「はい」
「二、ルシェル・ノアは、扉前で蒼銀の小灯を使用する。室内へ入るかどうかは、その場で本人が判断する」
「はい」
「三、浄化行使は、リーネの確認、退避路確保、本人同意の三点が揃うまで行わない」
「はい」
「四、十五の蒼記録は、本日も開かない」
ルシェルは少し息を吐いた。
「はい」
「五、怖くなった場合、手を二回、または『水路退勤』で即時終了」
「はい」
「六、終了後は食事」
ルシェルは顔を上げた。
「最後、誰が入れた?」
ガルドが手を上げた。
「俺だ」
「堂々としてる」
クラウスは真面目に言う。
「必要条件として残した」
「書類の人まで」
セレスが笑った。
「終わった後、戻るための条件ね」
ルシェルは条件紙を見た。
終わった後。
戻る。
そこまで紙にある。
それが、少し心強い。
「……では、受理します」
クラウスが頷いた。
「受理された」
レオンが静かに言う。
「行けるか」
ルシェルは雨雫を胸元の小袋へ入れた。
「行く」
◇
旧児童保護院跡には、朝の光が斜めに差していた。
昨日まで暗く見えた建物が、今日は少し違って見える。
明るいわけではない。
でも、待っているようだった。
門の前には、白環記録庫の面々。
ミーナ。
若い書記。
エルヴィン。
結界局の調査員。
浄化師団のリーネ。
そして、保護箱。
名札七枚。
鍵。
歌譜の刻まれた石箱。
ルシェルは保護箱を見た。
「全員集合」
ミーナが静かに頷く。
「はい。七名分、揃っています」
エルヴィンが紙を差し出す。
今日もクラウス経由。
「開扉前確認書だ」
ルシェルは受け取って読む。
条件は昨日と同じ。
最後に一文。
『ルシェル・ノア氏を、第三石室開扉の道具として扱わない。
蒼銀は本人が灯すものであり、命じて引き出すものではない。』
ルシェルは、しばらくそこを見た。
「形式の鬼、かなり踏み込んできた」
エルヴィンは顔を動かさない。
「必要だ」
「必要、多用」
「事実だ」
ルシェルは紙をクラウスへ返した。
「助かります」
エルヴィンは一拍置いて、頷いた。
「そうか」
その短さが、ちょうどよかった。
◇
洗濯棟の床下へ降りる。
石段。
側道。
水の匂い。
昨日より、音が近い。
ぽたん。
さらさら。
ぽたん。
さらさら。
ルシェルは胸元の雨雫を押さえる。
「雨雫、今日は本番勤務」
セレスは地上側で待機。
その代わり、側道に入る直前、ルシェルの手を見て言った。
「止める道を覚えているわ」
ルシェルは頷く。
「小灯、面積、畳む、閉じる」
「ええ」
「蒼銀操作手順、増えた」
「増えたわ」
「じゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい」
その言葉が、妙に普通で。
普通すぎて、ルシェルは少し泣きそうになった。
でも、泣く部署はまだ開けない。
「後で戻ります」
「待っているわ」
◇
第三石室の扉前。
昨日と同じ、小さな扉。
『北門第三石室』。
『名札返納所』。
その文字が、今日は最初から薄く光っていた。
リーネが結界具を置く。
結界局の調査員が退避路を確認する。
ガルドが後方。
レオンがルシェルの斜め前。
クラウスが記録。
ミーナが名札保護箱。
エルヴィンが鍵束。
若い書記が歌譜の石箱。
全員が、それぞれの役割を持っている。
ルシェルだけが鍵ではない。
全員で開ける。
それが分かる配置だった。
「……総力戦っぽい」
ガルドが言う。
「そうだ」
「本家、こういう時は認めるの早い」
レオンが静かに言う。
「一人ではない」
「本味方、要点が重い」
「軽くしない」
「今日は許可」
エルヴィンが鍵を確認する。
「開扉準備」
ミーナが名札七枚を並べる。
エナ。
ロイ。
ミシェ。
タル。
ユーノ。
リタ。
カナ。
七つの小さな名札。
それぞれが、青灰の光を少しずつ帯びる。
若い書記が、歌譜の石箱を開けた。
中の石に刻まれた譜面を、ミーナがそっと読み上げる。
歌ではなく、まずは確認。
音階。
区切り。
古い子どもの歌。
水が怖くないように。
ルシェルは深く息を吸った。
「蒼銀、出します」
リーネが頷く。
「小灯で」
レオンが言う。
「小さく」
ガルドも言う。
「小さく」
エルヴィンが記録を見る。
「本人任意」
クラウスが続ける。
「小出力」
ミーナが静かに言う。
「照明」
若い書記が震えながらも言った。
「記録します」
ルシェルは少し笑った。
「周囲ver2、点呼みたい」
その笑いと一緒に、指先へ蒼銀を灯した。
◇
小さな蒼銀。
昨日より澄んでいる。
以前のような、圧倒的な極光ではない。
王都を覆う光でもない。
けれど、確かに蒼銀だった。
ルシェルの手元にある。
ルシェルの意思で灯っている。
ルシェルの意思で、止められる光。
蒼銀が扉を照らす。
名札七枚が、同時に鳴った。
ちりん。
金属音。
雨雫が返す。
ぽたん。
扉の奥で、水が答える。
さらさら。
若い書記が歌譜を見つめ、震える声で最初の音を出した。
小さな歌。
途中でミーナが重ねる。
リーネが低く支える。
やがて、全員ではないが、何人かの声が合わさる。
歌は上手くない。
完璧ではない。
でも、子どもたちが残した歌だった。
水が怖くないように。
水が暗くならないように。
先生が戻れるように。
扉が、ゆっくり鳴った。
かちり。
エルヴィンが鍵を差し込む。
振り返らずに言う。
「開けてよいか」
ルシェルに聞いている。
全員ではなく。
役割としてではなく。
本人に。
ルシェルは蒼銀を小さく保ったまま頷いた。
「開けてください」
鍵が回る。
扉が開いた。
◇
第三石室の中は、広くなかった。
中央に、小さな結界石。
北門第三石。
本来なら白く透き通っているはずの石は、青灰の水膜に包まれていた。
その周囲を、細い水路が円形に囲んでいる。
水は流れていない。
止まっている。
止まった水の中に、文字が沈んでいる。
名前。
断片。
呼び声。
エナ。
ロイ。
ミシェ。
タル。
ユーノ。
リタ。
カナ。
そして、その中央。
結界石の前に、薄い人影が立っていた。
長い髪。
濡れた裾。
職員らしい古い服。
胸元には、名札がない。
顔ははっきりしない。
けれど、ルシェルには分かった。
イリス・レイン。
レイン先生。
影は、ゆっくりこちらを向いた。
「名札を」
声は、水の底から届くようだった。
「返して」
ミーナが名札保護箱を持つ手を震わせる。
リーネが結界を確認する。
「まだ入らないでください。石の反応が絡まっています」
ルシェルは扉前に立ったまま、蒼銀を保つ。
「先生、ここにいる」
レオンが静かに言う。
「見えるのか」
「うん。ぼやけてるけど」
ガルドが低く言う。
「戻すぞ」
ルシェルは頷いた。
「戻す」
◇
名札七枚を、扉の内側に置く。
ミーナが一枚ずつ読み上げる。
「エナ」
名札が光る。
水の中の名前が、ふっと浮かぶ。
「ロイ」
水に沈んだ文字が、上がる。
「ミシェ」
歌が一瞬だけ強くなる。
「タル」
水路の円が揺れる。
「ユーノ」
紙のような白い光が舞う。
「リタ」
泡が弾ける。
「カナ」
鍵の音がする。
七つの名札が、第三石の前に並ぶ。
人影――イリス・レインが、膝をついた。
「みんな」
その声で、水が震えた。
第三石を覆う水膜が大きく揺れる。
ルシェルの蒼銀が引っ張られた。
ぐっと。
胸の奥へ、水の冷たさが入り込む。
十五の蒼記録。
蒼。
――シェル。
扉に浮かんだ文字。
起点。
全部が、一瞬でつながりそうになる。
レオンが即座に言う。
「小さく!」
ルシェルは歯を食いしばる。
「小さく……っ」
だが、蒼銀は強くなりかける。
室内の水が呼んでいる。
蒼の灯を。
もっと。
もっと。
もっと。
ルシェルは手を震わせた。
怖い。
暴走する。
また、全部を覆う。
自分が消える。
そう思った瞬間、ガルドの声が飛んだ。
「畳め!」
短い。
強い。
生活指導みたいな声。
ルシェルは反射的に言った。
「畳む!」
蒼銀を、広がる前に手のひらへ戻す。
手のひらから指先へ。
指先から、小灯へ。
できた。
できた。
レオンが低く言う。
「戻ってる」
リーネが叫ぶ。
「そのままです! 流し込まず、照らしてください!」
セレスはいない。
でも、上から結界が強まるのが分かった。
退路は開いている。
皆がいる。
ルシェルは息を吸う。
「ボクは鍵じゃない」
声が震える。
でも、続ける。
「ボクは、灯」
蒼銀が安定した。
小さく。
しかし、強く。
第三石室全体が、青白く照らされる。
◇
蒼銀の灯に照らされて、第三石の水膜の中に、絡まった式が見えた。
名札式。
水路式。
保護院の管理式。
閉鎖命令。
削除記録。
全部がぐちゃぐちゃに絡まり、子どもたちの名前とレイン先生の名前を水に縫い止めている。
エルヴィンがその式を見て、顔を歪めた。
「これは……管理ではない。拘束だ」
ミーナの筆が震える。
「拘束」
クラウスが低く言う。
「記録する」
エルヴィンは強い声で言った。
「記録しろ。隠すな」
水がざわめく。
第三石が、きしむように鳴る。
人影が、ルシェルを見る。
「蒼」
その声は、求める声だった。
でも、命令ではなかった。
「照らして」
ルシェルは頷いた。
「照らすだけ」
蒼銀を、第三石へ向ける。
流し込まない。
壊さない。
ただ、絡まったものを見えるようにする。
見えると、リーネが動いた。
「切り離します!」
結界局の調査員が補助式を展開する。
リーネが第三石を囲む水路式の不要な結び目をほどく。
クラウスが読み上げる。
「名札七枚、本人名簿と照合済み。返納先、イリス・レイン氏関連保管欄。通称、先生の机」
エルヴィンが続ける。
「閉鎖命令は不十分。人員未帰還および児童名札拘束を記載せず。よって、旧封鎖判断を無効扱いとし、再分類する」
ミーナが涙を堪えながら読み上げる。
「エナ、ロイ、ミシェ、タル、ユーノ、リタ、カナ。七名の名札を、ここに返納します」
七枚の名札が、一斉に光った。
水の中から、子どもたちの声が聞こえる。
「せんせい」
「ただいま」
「かぎ、まもった」
「うた、あった」
「みず、こわい」
「でも、あかるい」
ルシェルの目に涙が浮かんだ。
蒼銀が揺れそうになる。
でも、揺れを畳む。
小さく。
灯として。
「水が怖くないように」
ルシェルが呟いた瞬間。
第三石の水膜が、ほどけた。
◇
水が流れ出した。
止まっていた円形の水路に、さらさらと音が戻る。
第三石の青灰の濁りが薄くなる。
子どもたちの名札が、石の前に並んだまま、静かに光を失っていく。
消えるのではない。
落ち着く。
戻る。
イリス・レインの影が、少しずつはっきりした。
胸元に、空白。
名札がない場所。
エルヴィンが保護箱から、最後の紙片を取り出す。
イリス・レインの命令札。
『北門水路管理補助 イリス・レイン』
ミーナがそれを両手で受け取る。
声を震わせながら読む。
「イリス・レイン。北門水路管理補助。旧児童保護院、水場および第三石補助担当」
水が光る。
ミーナは続ける。
「閉鎖当日、第三石異常を報告。児童名札式への干渉を確認。封鎖判断を要請」
クラウスが続ける。
「以後、戻らずと記載。記録不十分」
エルヴィンが低く、はっきりと言った。
「本件、二十年遅れで再分類する。イリス・レイン氏は、職務中に第三石異常対応へ向かい、児童名札の保護を試みた者として記録する。『戻らず』のみの記載を撤回する」
人影が、ゆっくり顔を上げた。
水の中の声が、静かになる。
イリス・レインの影が、子どもたちの名札へ手を伸ばす。
触れた瞬間、七つの淡い光が浮かび上がった。
小さな影。
子どもたち。
はっきりした姿ではない。
でも、そこにいる。
先生の周りに集まるように。
ルシェルは、蒼銀を保ったまま見ていた。
泣きそうだった。
でも、泣いたら光が揺れる。
だから、鼻で息をする。
「泣く部署、後で」
レオンが小さく言った。
「後ででいい」
「聞こえた?」
「聞こえた」
「本味方、聴力」
その軽口が、光を安定させた。
◇
第三石の奥で、まだ一つだけ黒い結び目が残っていた。
リーネが表情を険しくする。
「これが、最後です」
黒い結び目。
そこに、薄く文字が見える。
『十五』
『蒼』
『――シェル』
ルシェルの心臓が跳ねた。
蒼銀が強くなりかける。
レオンが前に出る。
「見るな」
エルヴィンも即座に言う。
「詳細確認を凍結する」
だが、イリス・レインの影が首を横に振った。
「それは」
水の声。
「鍵じゃない」
ルシェルは顔を上げた。
イリス・レインが、黒い結び目を指す。
「目印」
「目印?」
声が続く。
「蒼の子が来たら、照らしてもらうための」
黒い結び目が、蒼銀の光を受けてゆっくりほどける。
そこにあったのは、人名ではなかった。
記録式。
未来に向けた目印。
十五の蒼。
水路式が、蒼銀を識別するために残した合図。
名前の末尾に見えた『――シェル』は、欠けた文章の一部だった。
『蒼銀を灯せし者』
古い文字が崩れ、後半だけが残り、『シェル』に見えていた。
ルシェルは力が抜けそうになった。
「……ボクの名前じゃ、なかった」
セレスはいない。
でも、きっと上で泣いている気がした。
レオンが静かに言う。
「君は、ここにいる」
「うん」
ガルドが言う。
「人だ」
「うん」
エルヴィンが硬い声で言う。
「十五の蒼記録は、人名記録ではなく、式目印として再分類する」
ルシェルは震える息で笑った。
「形式の鬼、再分類が早い」
「必要だ」
黒い結び目がほどける。
第三石が、白く澄んだ。
◇
その瞬間、第三石室に光が広がった。
蒼銀ではない。
第三石本来の白い光。
水路に流れが戻る。
北門の古い水が、静かに動き始める。
イリス・レインと子どもたちの影が、淡くなる。
消えるのではなく。
水から切り離され、記録へ戻る。
ミーナが泣きながら記録している。
若い書記は、何度も筆を落としそうになりながら書いている。
クラウスは声を震わせずに読み上げる。
「名札七枚、返納完了。第三石、水路式回復。児童名札拘束解除」
エルヴィンが続ける。
「イリス・レイン氏、未帰還記録を撤回。職務中対応者として再分類。児童七名の名札、本人名簿へ復元」
ルシェルは蒼銀を小さく保つ。
最後まで。
先生と子どもたちが、こちらを見ている。
イリス・レインが、深く頭を下げた。
「返事が」
声が届く。
「来た」
ルシェルは唇を噛んだ。
「遅くなりました」
その言葉が、自分のものか、王都のものか分からない。
でも、言った。
「遅くなりました」
子どもの声が、小さく笑う。
「水、こわくない」
歌が、もう一度だけ流れた。
水が怖くないように。
そして、影は光の中へ溶けていった。
名札は残った。
紙も残った。
記録も残った。
消えたのではない。
戻ったのだ。
◇
蒼銀を畳む。
手のひらへ。
指先へ。
小灯へ。
閉じる。
完全に閉じる。
ルシェルは、その場に座り込みそうになった。
レオンが支える。
触れていいかを聞く余裕は、たぶんなかった。
でも、ルシェルは拒まなかった。
「終わった?」
声がかすれる。
リーネが第三石を確認する。
結界局の調査員が水路式を見る。
ミーナが名札を確認する。
エルヴィンが記録紙を見下ろす。
クラウスが最後の行を書く。
そして、言った。
「主要反応、収束」
ルシェルは目を閉じた。
「収束」
ガルドが低く言う。
「戻るぞ」
「うん」
ルシェルは立とうとして、足に力が入らない。
レオンが支える。
ガルドも反対側に来る。
「自力歩行、保留」
ルシェルが小さく言うと、レオンが答えた。
「受理する」
ガルドも言う。
「よし」
エルヴィンまで、少し遅れて言った。
「受理する」
ルシェルは疲れきった顔で笑った。
「形式の鬼、今日は優しい」
「記録上必要だ」
「はいはい」
◇
地上へ戻ると、セレスが待っていた。
ルシェルを見るなり、顔が崩れそうになった。
でも、泣きつかない。
近づきすぎない。
ちゃんと待つ。
ルシェルは片手を上げた。
「戻りました」
セレスが震える声で言う。
「おかえりなさい」
その普通の言葉で、ルシェルの目から涙が落ちた。
「あ、泣く部署、開いた」
セレスが笑いながら泣きそうになる。
「開いていいわ」
「後日じゃなかった」
「今日は、今でもいい」
ルシェルは保留しなかった。
少しだけ泣いた。
レオンとガルドに支えられたまま。
セレスが近くにいて。
クラウスが記録を閉じて。
ミーナが泣きながら名札を守って。
エルヴィンが封鎖印を、解除済みの札へ貼り替えている。
解除済み。
封鎖ではなく。
収束。
◇
夕方。
王都館へ戻ったルシェルは、食堂で座っていた。
条件紙の最後の項目。
『終了後は食事』
見事に発動している。
ガルドがスープを置く。
「食え」
「本家、条件執行」
「執行だ」
レオンは少し離れている。
でも、すぐ届く距離。
「蒼銀は」
「閉じた」
ルシェルは自分の手を見る。
「ちゃんと閉じた。最後まで灯して、畳んで、閉じた」
セレスが微笑む。
「戻ってきたわね」
ルシェルは少し考えた。
「前のままじゃない」
「ええ」
「でも、使える」
「ええ」
「ボクの手に戻ってきた感じ」
レオンが静かに言う。
「それでいい」
「本味方、今日の重さは許可」
「そうか」
クラウスが書類を持って入ってきた。
「白環記録庫から速報だ」
ルシェルはスープを持ったまま顔を上げる。
「まだある?」
「収束報告の草案だ」
「早い」
「エルヴィン補佐官が、即時作成した」
クラウスは読み上げる。
『旧北門水路・旧児童保護院・北門第三石関連未了事件。
本日、主要反応収束。
イリス・レイン氏および児童七名の名札記録を復元。
旧封鎖命令の不備を明記。
十五の蒼記録は、人名ではなく式目印として再分類。
見習い浄化師ルシェル・ノア氏は、本人同意のもと蒼銀を小灯として使用。
浄化行使ではなく照明・照合・切り離し補助。
出力制御、終了成功。』
ルシェルは顔を伏せた。
「終了成功、残った」
クラウスが頷く。
「残る」
セレスが言う。
「大事だから」
ガルドが言う。
「勝利だ」
レオンが静かに続ける。
「勝利だ」
ルシェルは、スープを一口飲んだ。
温かい。
水が怖くないように。
その言葉が、ようやく少しだけ、怖くないものに変わった気がした。
◇
夜。
ルシェルは小箱の前に座った。
保留猫。
雨雫。
後日回答の栞。
ミルの絵。
先生の机の写し。
そして、新しい紙。
『収束報告 写し』
小箱の周りが、かなり混雑している。
「小箱、増築案件」
ひとりで呟く。
廊下からレオンの声。
「聞こえている」
「今日は許可」
「ああ」
ルシェルは収束報告の写しを小箱の前に置いた。
「今日の報告」
保留猫は無反応。
「第三石室を開けました」
雨雫が、ぽたん、と鳴る。
「名札七枚、戻りました」
静か。
「イリス・レイン先生も、戻りました」
後日回答の栞を撫でる。
「返事が、来たって言ってました」
ルシェルは少し黙る。
「十五の蒼記録は、ボクの名前じゃありませんでした」
廊下の気配が少しだけ動く。
レオンは何も言わない。
言わせてくれる。
「怖かった」
保留猫を抱く。
「でも、違いました」
雨雫は静か。
「蒼銀を使いました。最後まで。灯して、畳んで、閉じました」
ルシェルは自分の指先を見る。
「ボクの手に、少し戻ってきました」
廊下から、レオンが言う。
「おかえり」
その言葉で、ルシェルは固まった。
「……蒼銀に?」
「君に」
ルシェルは保留猫に顔を埋めた。
「本味方、今日の一撃が重い」
「すまない」
「謝罪不要。後日回答」
「分かった」
少し離れた廊下から、ガルドの声。
「食ったか」
「食べた!」
「よし」
セレスの声も近くから。
「寝られそう?」
「寝る。泣く部署は今日は閉める」
「閉められる?」
「半分」
「半分でいいわ」
クラウスの声はない。
たぶん、書類室で収束報告を読んでいる。
ミーナも、白環記録庫で泣きながら記録しているかもしれない。
エルヴィンは、きっと硬い顔で棚を増やしている。
ルシェルは小箱を見る。
保留猫。
雨雫。
後日回答。
収束報告。
戻った名前たち。
「事件、終わり寄り」
レオンが答える。
「終わり寄りだ」
「完全終了ではない?」
「記録と後処理がある」
「書類の残響」
「ああ」
「でも、今日は勝利?」
廊下から、三つの声が重なった。
「勝利だ」
「勝利ね」
「勝利だ」
レオン、セレス、ガルド。
少し遅れて、遠くからクラウスの声。
「記録上も」
ルシェルは布団に潜りながら笑った。
「書類の人、遠隔参加」
小箱の中で、雨雫が一度だけ鳴った。
ぽたん。
それは、水滴ではなく。
返事でもなく。
たぶん、ただの静かな音だった。
怖くない音。
ルシェルは目を閉じた。
蒼銀は、胸の奥で静かに眠っている。
もう、閉じ込められたものではない。
呼べば灯る。
畳めば戻る。
そして、消えても、なくなったわけではない。
そのことを覚えたまま、ルシェルは眠りに落ちた。