TS転生見習い浄化師は過保護に愛される――――なお、仲間は曇る模様―――― 作:カヨウ
扉の向こうは、思っていたより普通の部屋だった。
高い天井。
磨かれた木の床。
大きな机。
壁際の本棚。
窓から差し込む朝の光。
もっとこう、魔法陣が床に描かれていて、怪しい水晶が浮いていて、白衣の人が「では始めようか」とか言う場所を想像していた。
普通の応接室である。
「検査室じゃない」
思わず言うと、レオンが小声で返した。
「面会室だ」
「初回だから?」
「そうだ」
「王都、意外と段階を踏む」
「担当者次第だ」
「また担当者ガチャ」
「……今日は、たぶん当たりだ」
「たぶんなんだ」
部屋の中央に、二人の人物がいた。
一人は灰色の髪を後ろで束ねた年配の男性。
身なりはきちんとしているが、貴族というより役人に近い。
机の上には書類が整えて並べられている。
もう一人は、白い外套を着た女性。
浄化師団の人だろう。
腕には淡い青の腕章があり、そこに王都の結界印が刺繍されていた。
女性の方が先に立ち上がる。
「ルシェル・ノアさんですね」
名前を呼ばれた。
身体が少しだけ固まる。
でも、水鏡の声とは違う。
水の奥から引っ張る声ではない。
目の前の人が、目の前のボクへ向けている声。
返事は少し遅れた。
「はい。見習いです」
女性はその間を急かさなかった。
「私は王都浄化師団のリーネです。今日は登録前の確認を担当します」
年配の男性も軽く頭を下げる。
「結界局書記官のクラウスだ。記録を取る。無理な確認はしない」
無理な確認はしない。
最初にそう言われると、逆に少し構える。
しないと言う人が本当にしないかどうかは、まだ分からない。
「よろしくお願いします」
そう言うと、リーネは柔らかく頷いた。
「まず座りましょう。立ったまま話す必要はありません」
「座っていいの?」
「もちろん」
「検査って、立たされるものかと」
「今日は検査ではなく確認です」
「言葉が優しい」
ボクが言うと、リーネは少し笑った。
「そう聞こえるなら、よかった」
椅子に座る。
レオンはボクの右斜め後ろ。
セレスは左側。
ガルドは扉の近く。
ガルドが立つと、扉が「守られているもの」になる。
この人の配置効果はすごい。
クラウスは書類に目を落としながら言った。
「本日は、氏名、出身、浄化院での修了段階、蒼銀光の発現確認。以上だ」
「多いようで少ない」
「必要最低限だ」
「血とか髪とかは?」
また聞いてしまった。
部屋の空気が少しだけ止まる。
リーネは驚いた顔をしたが、すぐに首を横に振った。
「取りません」
「声は?」
「話してもらう必要はありますが、術式には使いません」
「名前は?」
「記録上、確認します。ただし、何度も呼ぶ必要はありません」
「手のひらは?」
「蒼銀を見せてもらうなら、手のひらが一番負担が少ないと思っています」
「なるほど」
聞いてから、少しだけ息が抜けた。
リーネは、こちらが不安に思う項目を変にごまかさなかった。
取りません。
使いません。
呼びません。
短い答えがありがたい時もある。
「念のため」
クラウスが書類を一枚こちらへ向けた。
「本日の確認項目はこれだけだ。追加が必要な場合は、日を改める。本人および護衛者へ説明なく項目を増やすことはしない」
「書類に書いてある」
「書類に書いてあることは守られるべきだ」
「王都の人っぽい」
「褒め言葉として受け取る」
「半分くらい」
クラウスは表情を変えなかったが、リーネが小さく笑った。
この二人、たぶん本当に当たりかもしれない。
まだ仮判定だけど。
◇
氏名と出身の確認は、思ったより普通だった。
「ルシェル・ノア」
「はい」
「辺境東区、ノア浄化院所属。見習い浄化師」
「はい」
「年齢は十五」
「たぶん」
クラウスの筆が止まった。
「たぶん?」
「自分の誕生日は覚えてるけど、寝てる間に数日ずれたので」
「年齢は変わらない」
「なら十五です」
クラウスは少しだけ眉を動かし、記録を続けた。
セレスが横で肩を震わせている。
レオンは真面目に聞いている。
ガルドは扉の前で壁になっている。
出身、師事した浄化師、これまで対応した瘴気溜まりの数。
ボクは分かる範囲で答えた。
ルシェルの記憶が答えてくれる。
院長先生。
マルタさん。
近隣の畑。
祠。
小さな井戸の濁り。
街道脇の瘴気。
その一方で、前の記憶が変な顔をしている。
職歴みたいだな、と。
黙っていた。
「倒れたのは、三日前の浄化後ですね」
リーネが確認する。
「はい。倒れて三日寝て、起きたら人生に知らない付録がついてた」
「付録?」
「変な言い方をするようになりました」
セレスが穏やかに補足する。
「倒れたあと、少し混乱があったようです。ただ、受け答えは安定しています」
「そうですか」
リーネは深く聞かなかった。
ありがたい。
ただ、クラウスは記録の端に何か書いた。
たぶん「混乱あり」とかだろう。
書類に残る。
少しだけ気持ち悪い。
でも、書類に残さないと王都では話が進まないのかもしれない。
王都、面倒。
◇
最後に、蒼銀の確認になった。
机の上に、小さな黒い板が置かれた。
石でも金属でもない。
表面が滑らかで、薄く術式が刻まれている。
「これは?」
ボクが聞くと、リーネが答えた。
「光の色と揺れを見るための受け板です。触らなくていいわ。上に手をかざすだけ」
「蒼銀測定器」
「測定というより確認ですね」
「王都は言い換えが多い」
「強く言うと怖いでしょう?」
「それはそう」
怖いか怖くないかで言えば、測定器より確認板の方が怖くない。
言葉は大事。
少し腹立たしいくらい大事。
「手のひらだけでいい?」
念のため聞く。
「はい。光が出なければ、それでも構いません」
「出なかったら?」
「今日は発現なし、と記録します」
「失敗扱い?」
「いいえ。体調や環境で出ないことはあります」
「優しい」
「事実です」
リーネは穏やかに言った。
セレスに似ている。
優しいけれど、ふわふわしていない。
ボクは黒い板の上に手をかざした。
胸元の雨雫が外套の内側で揺れる。
ころん。
その感触を確かめる。
手のひらの奥に意識を向ける。
蒼銀。
瘴気を祓う光。
静かで、綺麗で、少しよそよそしい光。
呼ぶ。
すると、手のひらに淡い光が滲んだ。
部屋の空気が変わる。
強くはない。
昨日、街道脇の瘴気を浄化した時よりずっと弱い。
ただ、手のひらの上で細く揺れているだけ。
でも、光は確かに蒼銀だった。
黒い板の術式が、淡く反応する。
リーネが息を呑んだ。
クラウスの筆が止まる。
レオンも、セレスも、ガルドも、黙って見ている。
見られている。
その感覚に、手の奥が少し熱くなった。
光が強くなりかける。
「ルシェル」
セレスの声。
静かだった。
「手のひらだけよ」
あ。
そうだった。
手のひらだけ。
黒い板の上だけ。
部屋全体に広げる必要はない。
誰かを浄化する必要もない。
結界を補う必要もない。
手のひらだけ。
ボクは胸元の雨雫をもう片方の手で押さえた。
光が少し落ち着く。
「……営業範囲、手のひら限定」
小さく呟くと、レオンが低く言った。
「それでいい」
光が揺れる。
そして、ゆっくり小さくなった。
完全に消える前に、リーネが言った。
「十分です。ありがとうございます」
その言葉で、手を下ろす。
光は消えた。
指先が少し冷える。
「終わり?」
ボクが聞くと、リーネは頷いた。
「終わりです」
「本当に?」
「本当に」
「追加なし?」
「ありません」
クラウスも書類から顔を上げた。
「本日の確認は終了した」
「王都、今日は約束を守った」
思わず言うと、クラウスは少しだけ目を細めた。
「今日は、ではなく、今後もそうあるべきだ」
「書類に書く?」
「必要なら書く」
「書くんだ」
「王都なので」
初めてクラウスが少し冗談らしいことを言った。
たぶん。
分かりにくい。
◇
確認後、リーネは温かい茶を出してくれた。
検査のあとにお茶が出るのは、少し変な感じがした。
でも、甘い香草の香りがして、手に持つと落ち着いた。
「蒼銀はとても澄んでいます」
リーネが言った。
「それは良いこと?」
「基本的には」
「基本的には、が怖い」
「力が澄んでいることと、使う本人が疲れないことは別だから」
「ああ」
それは少し分かる。
光は綺麗だった。
でも、出すと疲れる。
綺麗だから安全、とは限らない。
「王都では、蒼銀は貴重です」
リーネは続けた。
「だから、あなたを急がせようとする人もいるかもしれない」
レオンの表情が少し硬くなる。
クラウスは記録を閉じたまま黙っている。
「先に言うんだ」
ボクは茶碗を両手で持ちながら言った。
「隠しても、あとで驚くでしょう?」
「それはそう」
「でも、今日の確認結果では、あなたはまだ見習いとして扱われます」
「まだ、というか、元から見習い」
「ええ。だから、すぐに大きな浄化へ出されることはありません」
「本当に?」
「浄化師団としては、その方針です」
浄化師団としては。
言い方に少し含みがあった。
「浄化師団以外がある?」
「結界局、貴族院、王都管理局。いろいろあります」
「王都、部署が多い」
「多いです」
クラウスが頷いた。
「部署が多い場所では、言葉が独り歩きする。蒼銀という言葉も同じだ」
「独り歩き」
「君自身より先に、君の光が書類の上を歩くことがある」
変な表現だ。
でも、分かる気がした。
ボクはここにいる。
でも、蒼銀という言葉だけがどこかへ送られる。
誰かが読む。
期待する。
計画する。
ボクより先に。
「それ、嫌だね」
「嫌なら、嫌だと言っていい」
クラウスが言った。
真面目な顔だった。
「王都の人がそれ言うの?」
「王都の人間だから言う」
「部署が多いから?」
「そうだ。止めるにも言葉が必要になる」
「書類の人っぽい」
「書類の人だ」
自認している。
少し好感度が上がった。
「じゃあ、今のところ嫌」
言ってみる。
クラウスは頷いた。
「記録しておく」
「本当に書くの?」
「本人、蒼銀のみが先行して扱われることに不快感あり」
「そんな硬くなる?」
「書類なので」
「書類怖い」
「慣れろとは言わない」
クラウスは静かに言った。
「ただ、君の言葉も残せる」
その言葉は、少しだけ不思議だった。
書類は怖い。
でも、書類に残らなければ、王都ではなかったことにされるのかもしれない。
なら、ボクの「嫌」も、残した方がいい時がある。
面倒だ。
王都は本当に面倒だ。
でも、面倒なものには面倒なりの使い道があるらしい。
◇
部屋を出る頃には、かなり疲れていた。
手のひらだけの確認だったのに、肩が重い。
レオンがすぐに聞く。
「休むか」
「休む」
「即答」
「今日は見栄を張る残量がない」
「張らなくていい」
「真面目に返されると、少し恥ずかしい」
「そうか」
廊下を歩く。
窓の外には王都の庭。
噴水の音は遠い。
ガルドが前を歩き、セレスが横につく。
何も言わずに、部屋まで戻る。
その途中、廊下の向こうから数人の役人らしき人が歩いてきた。
書類を持ち、こちらを見て、足を止める。
「あの子が」
「蒼銀の」
小さな声。
聞こえないふりをしているつもりなのだろう。
聞こえている。
胸元の雨雫を握る。
レオンが半歩、前へ出た。
ガルドも立ち位置を変える。
役人たちはすぐに視線を逸らし、道を空けた。
セレスが静かに言う。
「部屋へ戻りましょう」
「うん」
少し早足になる。
自分の足音が廊下に響く。
嫌なことをされたわけではない。
ただ見られただけ。
言われただけ。
それでも疲れる。
部屋に戻ると、ボクは寝台に座り込んだ。
「王都、疲れる」
素直に言う。
レオンが頷く。
「だろうな」
「否定して励ますところでは?」
「疲れるものは疲れる」
「真実」
「今日はもう予定はない」
「完全休業?」
「ああ」
「やった」
声は出たが、身体は喜ぶ元気もなかった。
セレスが雨雫を机から取って渡してくれる。
「持っている?」
「持つ」
受け取って、手の中で転がす。
ころん。
この音は、水鏡の声とも、王都のざわめきとも違う。
ただの石の音。
それがよかった。
◇
夕方まで眠った。
目が覚めると、部屋は薄暗くなっていた。
雨雫は手の中にあった。
寝ている間に落とさなかったらしい。
少し驚く。
「握ったまま寝てたのか」
椅子に座っていたレオンが言った。
「いたの?」
「交代でな」
「見張り?」
「護衛」
「寝顔監視?」
「扉の近くにいただけだ」
「ならセーフ」
「基準が分からない」
ボクは身体を起こした。
少し頭が重いが、朝よりはましだ。
「確認、終わったんだよね」
「終わった」
「追加なし?」
「今日はなし」
「今日は」
「王都だからな」
「不安になる正直さ」
レオンは少しだけ困った顔をした。
「ただ、リーネとクラウスは悪くない」
「それは分かる」
「明日も体調を見てからだ」
「予定は?」
「午前は休み。午後に結界塔を外から見るだけ」
「見るだけ」
「本当に見るだけだ」
「見るだけ詐欺じゃない?」
「しない」
「信用は仮」
「仮でいい」
レオンがそう言ったので、少しだけ笑った。
この人は、仮でもあまり怒らない。
それは助かる。
「レオン」
「何だ」
「今日、手のひらだけで済んだの、ちょっと安心した」
「そうか」
「でも、見られるのは疲れた」
「ああ」
「蒼銀って、便利なんだろうけど」
雨雫を握る。
「ボクより先に歩かれると困る」
「なら、追い越させないようにする」
「できる?」
「できる範囲で」
「正直」
「全部できるとは言えない」
「そこは嘘でも言ってほしい時がある」
「嘘は苦手だ」
「知ってる」
まだ数日なのに、少しずつ分かってきた。
レオンは嘘が下手。
セレスは聞かない優しさがうまい。
ガルドは短いが、言ったことは守る。
まだ測っている途中。
でも、何も分からないわけではなくなってきた。
「じゃあ、できる範囲でよろしく」
「ああ」
「真面目剣士、仮採用延長」
「本採用にはならないのか」
「長期審査なので」
「厳しいな」
「ボクも審査中だし」
「君も?」
「レオンたちから見たボクも、たぶん仮採用でしょ」
レオンは少し考えた。
「そうかもしれない」
「正直」
「まだ、君のことは分からない」
「ボクも分からない」
「自分のことが?」
「うん」
雨雫を見下ろす。
「でも、少しずつ分かる予定」
「予定か」
「予定は大事」
レオンは静かに頷いた。
「そうだな」
◇
夜、セレスが戻ってきて、簡単な夕食を部屋で食べた。
ガルドも一度だけ顔を出した。
「食ったか」
「食べてる」
「ならいい」
「確認だけ?」
「確認だけだ」
「盾職、用件が短い」
「戦士だ」
「今日も訂正が早い」
ガルドはそれだけ言って出ていった。
扉が閉まる。
セレスが笑う。
「少しずつ慣れてきたわね」
「誰が?」
「みんな」
「みんな」
それは、少し変な感じだった。
ボクだけが慣れるのではなく、レオンたちもボクに慣れている。
お互いに測っている。
測りながら、少しずつ距離が変わる。
王都はまだ怖い。
蒼銀を見られるのも疲れる。
名前を呼ばれるのにも少し構える。
書類に書かれるのも落ち着かない。
でも、今日、手のひらだけで終わった。
追加はなかった。
それは事実だ。
枕元に雨雫を置く。
ころん。
「おやすみ、雨雫」
今日は、セレスが聞こえないふりをしなかった。
「おやすみなさい」
小さく言った。
「石に挨拶しないで」
「したくなったの」
「優しさ調整、ちょっと多い」
「今日は多めでいい日よ」
そう言われると、返す言葉がなかった。
ボクは布団に潜る。
窓の外では、王都の夜がまだざわめいている。
鐘。
靴音。
遠い話し声。
結界の淡い気配。
そして、枕元の小さな石。
王都は大きい。
蒼銀という言葉は、ボクより先に歩き出しそうになる。
でも、今夜は雨雫がここにある。
手のひらだけで終わった一日。
それだけで、今日のところは眠れそうだった。