TS転生見習い浄化師は過保護に愛される――――なお、仲間は曇る模様――――   作:カヨウ

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第6話 手のひらだけ

 

 扉の向こうは、思っていたより普通の部屋だった。

 

 高い天井。

 磨かれた木の床。

 大きな机。

 壁際の本棚。

 窓から差し込む朝の光。

 

 もっとこう、魔法陣が床に描かれていて、怪しい水晶が浮いていて、白衣の人が「では始めようか」とか言う場所を想像していた。

 

 普通の応接室である。

 

「検査室じゃない」

 

 思わず言うと、レオンが小声で返した。

 

「面会室だ」

 

「初回だから?」

 

「そうだ」

 

「王都、意外と段階を踏む」

 

「担当者次第だ」

 

「また担当者ガチャ」

 

「……今日は、たぶん当たりだ」

 

「たぶんなんだ」

 

 部屋の中央に、二人の人物がいた。

 

 一人は灰色の髪を後ろで束ねた年配の男性。

 身なりはきちんとしているが、貴族というより役人に近い。

 机の上には書類が整えて並べられている。

 

 もう一人は、白い外套を着た女性。

 浄化師団の人だろう。

 腕には淡い青の腕章があり、そこに王都の結界印が刺繍されていた。

 

 女性の方が先に立ち上がる。

 

「ルシェル・ノアさんですね」

 

 名前を呼ばれた。

 

 身体が少しだけ固まる。

 

 でも、水鏡の声とは違う。

 

 水の奥から引っ張る声ではない。

 目の前の人が、目の前のボクへ向けている声。

 

 返事は少し遅れた。

 

「はい。見習いです」

 

 女性はその間を急かさなかった。

 

「私は王都浄化師団のリーネです。今日は登録前の確認を担当します」

 

 年配の男性も軽く頭を下げる。

 

「結界局書記官のクラウスだ。記録を取る。無理な確認はしない」

 

 無理な確認はしない。

 

 最初にそう言われると、逆に少し構える。

 

 しないと言う人が本当にしないかどうかは、まだ分からない。

 

「よろしくお願いします」

 

 そう言うと、リーネは柔らかく頷いた。

 

「まず座りましょう。立ったまま話す必要はありません」

 

「座っていいの?」

 

「もちろん」

 

「検査って、立たされるものかと」

 

「今日は検査ではなく確認です」

 

「言葉が優しい」

 

 ボクが言うと、リーネは少し笑った。

 

「そう聞こえるなら、よかった」

 

 椅子に座る。

 

 レオンはボクの右斜め後ろ。

 セレスは左側。

 ガルドは扉の近く。

 

 ガルドが立つと、扉が「守られているもの」になる。

 

 この人の配置効果はすごい。

 

 クラウスは書類に目を落としながら言った。

 

「本日は、氏名、出身、浄化院での修了段階、蒼銀光の発現確認。以上だ」

 

「多いようで少ない」

 

「必要最低限だ」

 

「血とか髪とかは?」

 

 また聞いてしまった。

 

 部屋の空気が少しだけ止まる。

 

 リーネは驚いた顔をしたが、すぐに首を横に振った。

 

「取りません」

 

「声は?」

 

「話してもらう必要はありますが、術式には使いません」

 

「名前は?」

 

「記録上、確認します。ただし、何度も呼ぶ必要はありません」

 

「手のひらは?」

 

「蒼銀を見せてもらうなら、手のひらが一番負担が少ないと思っています」

 

「なるほど」

 

 聞いてから、少しだけ息が抜けた。

 

 リーネは、こちらが不安に思う項目を変にごまかさなかった。

 

 取りません。

 使いません。

 呼びません。

 

 短い答えがありがたい時もある。

 

「念のため」

 

 クラウスが書類を一枚こちらへ向けた。

 

「本日の確認項目はこれだけだ。追加が必要な場合は、日を改める。本人および護衛者へ説明なく項目を増やすことはしない」

 

「書類に書いてある」

 

「書類に書いてあることは守られるべきだ」

 

「王都の人っぽい」

 

「褒め言葉として受け取る」

 

「半分くらい」

 

 クラウスは表情を変えなかったが、リーネが小さく笑った。

 

 この二人、たぶん本当に当たりかもしれない。

 

 まだ仮判定だけど。

 

     ◇

 

 氏名と出身の確認は、思ったより普通だった。

 

「ルシェル・ノア」

 

「はい」

 

「辺境東区、ノア浄化院所属。見習い浄化師」

 

「はい」

 

「年齢は十五」

 

「たぶん」

 

 クラウスの筆が止まった。

 

「たぶん?」

 

「自分の誕生日は覚えてるけど、寝てる間に数日ずれたので」

 

「年齢は変わらない」

 

「なら十五です」

 

 クラウスは少しだけ眉を動かし、記録を続けた。

 

 セレスが横で肩を震わせている。

 

 レオンは真面目に聞いている。

 

 ガルドは扉の前で壁になっている。

 

 出身、師事した浄化師、これまで対応した瘴気溜まりの数。

 

 ボクは分かる範囲で答えた。

 

 ルシェルの記憶が答えてくれる。

 

 院長先生。

 マルタさん。

 近隣の畑。

 祠。

 小さな井戸の濁り。

 街道脇の瘴気。

 

 その一方で、前の記憶が変な顔をしている。

 

 職歴みたいだな、と。

 

 黙っていた。

 

「倒れたのは、三日前の浄化後ですね」

 

 リーネが確認する。

 

「はい。倒れて三日寝て、起きたら人生に知らない付録がついてた」

 

「付録?」

 

「変な言い方をするようになりました」

 

 セレスが穏やかに補足する。

 

「倒れたあと、少し混乱があったようです。ただ、受け答えは安定しています」

 

「そうですか」

 

 リーネは深く聞かなかった。

 

 ありがたい。

 

 ただ、クラウスは記録の端に何か書いた。

 

 たぶん「混乱あり」とかだろう。

 

 書類に残る。

 

 少しだけ気持ち悪い。

 

 でも、書類に残さないと王都では話が進まないのかもしれない。

 

 王都、面倒。

 

     ◇

 

 最後に、蒼銀の確認になった。

 

 机の上に、小さな黒い板が置かれた。

 

 石でも金属でもない。

 表面が滑らかで、薄く術式が刻まれている。

 

「これは?」

 

 ボクが聞くと、リーネが答えた。

 

「光の色と揺れを見るための受け板です。触らなくていいわ。上に手をかざすだけ」

 

「蒼銀測定器」

 

「測定というより確認ですね」

 

「王都は言い換えが多い」

 

「強く言うと怖いでしょう?」

 

「それはそう」

 

 怖いか怖くないかで言えば、測定器より確認板の方が怖くない。

 

 言葉は大事。

 

 少し腹立たしいくらい大事。

 

「手のひらだけでいい?」

 

 念のため聞く。

 

「はい。光が出なければ、それでも構いません」

 

「出なかったら?」

 

「今日は発現なし、と記録します」

 

「失敗扱い?」

 

「いいえ。体調や環境で出ないことはあります」

 

「優しい」

 

「事実です」

 

 リーネは穏やかに言った。

 

 セレスに似ている。

 

 優しいけれど、ふわふわしていない。

 

 ボクは黒い板の上に手をかざした。

 

 胸元の雨雫が外套の内側で揺れる。

 

 ころん。

 

 その感触を確かめる。

 

 手のひらの奥に意識を向ける。

 

 蒼銀。

 

 瘴気を祓う光。

 静かで、綺麗で、少しよそよそしい光。

 

 呼ぶ。

 

 すると、手のひらに淡い光が滲んだ。

 

 部屋の空気が変わる。

 

 強くはない。

 

 昨日、街道脇の瘴気を浄化した時よりずっと弱い。

 ただ、手のひらの上で細く揺れているだけ。

 

 でも、光は確かに蒼銀だった。

 

 黒い板の術式が、淡く反応する。

 

 リーネが息を呑んだ。

 

 クラウスの筆が止まる。

 

 レオンも、セレスも、ガルドも、黙って見ている。

 

 見られている。

 

 その感覚に、手の奥が少し熱くなった。

 

 光が強くなりかける。

 

「ルシェル」

 

 セレスの声。

 

 静かだった。

 

「手のひらだけよ」

 

 あ。

 

 そうだった。

 

 手のひらだけ。

 

 黒い板の上だけ。

 

 部屋全体に広げる必要はない。

 誰かを浄化する必要もない。

 結界を補う必要もない。

 

 手のひらだけ。

 

 ボクは胸元の雨雫をもう片方の手で押さえた。

 

 光が少し落ち着く。

 

「……営業範囲、手のひら限定」

 

 小さく呟くと、レオンが低く言った。

 

「それでいい」

 

 光が揺れる。

 

 そして、ゆっくり小さくなった。

 

 完全に消える前に、リーネが言った。

 

「十分です。ありがとうございます」

 

 その言葉で、手を下ろす。

 

 光は消えた。

 

 指先が少し冷える。

 

「終わり?」

 

 ボクが聞くと、リーネは頷いた。

 

「終わりです」

 

「本当に?」

 

「本当に」

 

「追加なし?」

 

「ありません」

 

 クラウスも書類から顔を上げた。

 

「本日の確認は終了した」

 

「王都、今日は約束を守った」

 

 思わず言うと、クラウスは少しだけ目を細めた。

 

「今日は、ではなく、今後もそうあるべきだ」

 

「書類に書く?」

 

「必要なら書く」

 

「書くんだ」

 

「王都なので」

 

 初めてクラウスが少し冗談らしいことを言った。

 

 たぶん。

 

 分かりにくい。

 

     ◇

 

 確認後、リーネは温かい茶を出してくれた。

 

 検査のあとにお茶が出るのは、少し変な感じがした。

 

 でも、甘い香草の香りがして、手に持つと落ち着いた。

 

「蒼銀はとても澄んでいます」

 

 リーネが言った。

 

「それは良いこと?」

 

「基本的には」

 

「基本的には、が怖い」

 

「力が澄んでいることと、使う本人が疲れないことは別だから」

 

「ああ」

 

 それは少し分かる。

 

 光は綺麗だった。

 

 でも、出すと疲れる。

 

 綺麗だから安全、とは限らない。

 

「王都では、蒼銀は貴重です」

 

 リーネは続けた。

 

「だから、あなたを急がせようとする人もいるかもしれない」

 

 レオンの表情が少し硬くなる。

 

 クラウスは記録を閉じたまま黙っている。

 

「先に言うんだ」

 

 ボクは茶碗を両手で持ちながら言った。

 

「隠しても、あとで驚くでしょう?」

 

「それはそう」

 

「でも、今日の確認結果では、あなたはまだ見習いとして扱われます」

 

「まだ、というか、元から見習い」

 

「ええ。だから、すぐに大きな浄化へ出されることはありません」

 

「本当に?」

 

「浄化師団としては、その方針です」

 

 浄化師団としては。

 

 言い方に少し含みがあった。

 

「浄化師団以外がある?」

 

「結界局、貴族院、王都管理局。いろいろあります」

 

「王都、部署が多い」

 

「多いです」

 

 クラウスが頷いた。

 

「部署が多い場所では、言葉が独り歩きする。蒼銀という言葉も同じだ」

 

「独り歩き」

 

「君自身より先に、君の光が書類の上を歩くことがある」

 

 変な表現だ。

 

 でも、分かる気がした。

 

 ボクはここにいる。

 でも、蒼銀という言葉だけがどこかへ送られる。

 

 誰かが読む。

 期待する。

 計画する。

 

 ボクより先に。

 

「それ、嫌だね」

 

「嫌なら、嫌だと言っていい」

 

 クラウスが言った。

 

 真面目な顔だった。

 

「王都の人がそれ言うの?」

 

「王都の人間だから言う」

 

「部署が多いから?」

 

「そうだ。止めるにも言葉が必要になる」

 

「書類の人っぽい」

 

「書類の人だ」

 

 自認している。

 

 少し好感度が上がった。

 

「じゃあ、今のところ嫌」

 

 言ってみる。

 

 クラウスは頷いた。

 

「記録しておく」

 

「本当に書くの?」

 

「本人、蒼銀のみが先行して扱われることに不快感あり」

 

「そんな硬くなる?」

 

「書類なので」

 

「書類怖い」

 

「慣れろとは言わない」

 

 クラウスは静かに言った。

 

「ただ、君の言葉も残せる」

 

 その言葉は、少しだけ不思議だった。

 

 書類は怖い。

 

 でも、書類に残らなければ、王都ではなかったことにされるのかもしれない。

 

 なら、ボクの「嫌」も、残した方がいい時がある。

 

 面倒だ。

 

 王都は本当に面倒だ。

 

 でも、面倒なものには面倒なりの使い道があるらしい。

 

     ◇

 

 部屋を出る頃には、かなり疲れていた。

 

 手のひらだけの確認だったのに、肩が重い。

 

 レオンがすぐに聞く。

 

「休むか」

 

「休む」

 

「即答」

 

「今日は見栄を張る残量がない」

 

「張らなくていい」

 

「真面目に返されると、少し恥ずかしい」

 

「そうか」

 

 廊下を歩く。

 

 窓の外には王都の庭。

 噴水の音は遠い。

 

 ガルドが前を歩き、セレスが横につく。

 

 何も言わずに、部屋まで戻る。

 

 その途中、廊下の向こうから数人の役人らしき人が歩いてきた。

 

 書類を持ち、こちらを見て、足を止める。

 

「あの子が」

 

「蒼銀の」

 

 小さな声。

 

 聞こえないふりをしているつもりなのだろう。

 

 聞こえている。

 

 胸元の雨雫を握る。

 

 レオンが半歩、前へ出た。

 

 ガルドも立ち位置を変える。

 

 役人たちはすぐに視線を逸らし、道を空けた。

 

 セレスが静かに言う。

 

「部屋へ戻りましょう」

 

「うん」

 

 少し早足になる。

 

 自分の足音が廊下に響く。

 

 嫌なことをされたわけではない。

 

 ただ見られただけ。

 

 言われただけ。

 

 それでも疲れる。

 

 部屋に戻ると、ボクは寝台に座り込んだ。

 

「王都、疲れる」

 

 素直に言う。

 

 レオンが頷く。

 

「だろうな」

 

「否定して励ますところでは?」

 

「疲れるものは疲れる」

 

「真実」

 

「今日はもう予定はない」

 

「完全休業?」

 

「ああ」

 

「やった」

 

 声は出たが、身体は喜ぶ元気もなかった。

 

 セレスが雨雫を机から取って渡してくれる。

 

「持っている?」

 

「持つ」

 

 受け取って、手の中で転がす。

 

 ころん。

 

 この音は、水鏡の声とも、王都のざわめきとも違う。

 

 ただの石の音。

 

 それがよかった。

 

     ◇

 

 夕方まで眠った。

 

 目が覚めると、部屋は薄暗くなっていた。

 

 雨雫は手の中にあった。

 

 寝ている間に落とさなかったらしい。

 

 少し驚く。

 

「握ったまま寝てたのか」

 

 椅子に座っていたレオンが言った。

 

「いたの?」

 

「交代でな」

 

「見張り?」

 

「護衛」

 

「寝顔監視?」

 

「扉の近くにいただけだ」

 

「ならセーフ」

 

「基準が分からない」

 

 ボクは身体を起こした。

 

 少し頭が重いが、朝よりはましだ。

 

「確認、終わったんだよね」

 

「終わった」

 

「追加なし?」

 

「今日はなし」

 

「今日は」

 

「王都だからな」

 

「不安になる正直さ」

 

 レオンは少しだけ困った顔をした。

 

「ただ、リーネとクラウスは悪くない」

 

「それは分かる」

 

「明日も体調を見てからだ」

 

「予定は?」

 

「午前は休み。午後に結界塔を外から見るだけ」

 

「見るだけ」

 

「本当に見るだけだ」

 

「見るだけ詐欺じゃない?」

 

「しない」

 

「信用は仮」

 

「仮でいい」

 

 レオンがそう言ったので、少しだけ笑った。

 

 この人は、仮でもあまり怒らない。

 

 それは助かる。

 

「レオン」

 

「何だ」

 

「今日、手のひらだけで済んだの、ちょっと安心した」

 

「そうか」

 

「でも、見られるのは疲れた」

 

「ああ」

 

「蒼銀って、便利なんだろうけど」

 

 雨雫を握る。

 

「ボクより先に歩かれると困る」

 

「なら、追い越させないようにする」

 

「できる?」

 

「できる範囲で」

 

「正直」

 

「全部できるとは言えない」

 

「そこは嘘でも言ってほしい時がある」

 

「嘘は苦手だ」

 

「知ってる」

 

 まだ数日なのに、少しずつ分かってきた。

 

 レオンは嘘が下手。

 セレスは聞かない優しさがうまい。

 ガルドは短いが、言ったことは守る。

 

 まだ測っている途中。

 

 でも、何も分からないわけではなくなってきた。

 

「じゃあ、できる範囲でよろしく」

 

「ああ」

 

「真面目剣士、仮採用延長」

 

「本採用にはならないのか」

 

「長期審査なので」

 

「厳しいな」

 

「ボクも審査中だし」

 

「君も?」

 

「レオンたちから見たボクも、たぶん仮採用でしょ」

 

 レオンは少し考えた。

 

「そうかもしれない」

 

「正直」

 

「まだ、君のことは分からない」

 

「ボクも分からない」

 

「自分のことが?」

 

「うん」

 

 雨雫を見下ろす。

 

「でも、少しずつ分かる予定」

 

「予定か」

 

「予定は大事」

 

 レオンは静かに頷いた。

 

「そうだな」

 

     ◇

 

 夜、セレスが戻ってきて、簡単な夕食を部屋で食べた。

 

 ガルドも一度だけ顔を出した。

 

「食ったか」

 

「食べてる」

 

「ならいい」

 

「確認だけ?」

 

「確認だけだ」

 

「盾職、用件が短い」

 

「戦士だ」

 

「今日も訂正が早い」

 

 ガルドはそれだけ言って出ていった。

 

 扉が閉まる。

 

 セレスが笑う。

 

「少しずつ慣れてきたわね」

 

「誰が?」

 

「みんな」

 

「みんな」

 

 それは、少し変な感じだった。

 

 ボクだけが慣れるのではなく、レオンたちもボクに慣れている。

 

 お互いに測っている。

 

 測りながら、少しずつ距離が変わる。

 

 王都はまだ怖い。

 

 蒼銀を見られるのも疲れる。

 名前を呼ばれるのにも少し構える。

 書類に書かれるのも落ち着かない。

 

 でも、今日、手のひらだけで終わった。

 

 追加はなかった。

 

 それは事実だ。

 

 枕元に雨雫を置く。

 

 ころん。

 

「おやすみ、雨雫」

 

 今日は、セレスが聞こえないふりをしなかった。

 

「おやすみなさい」

 

 小さく言った。

 

「石に挨拶しないで」

 

「したくなったの」

 

「優しさ調整、ちょっと多い」

 

「今日は多めでいい日よ」

 

 そう言われると、返す言葉がなかった。

 

 ボクは布団に潜る。

 

 窓の外では、王都の夜がまだざわめいている。

 

 鐘。

 靴音。

 遠い話し声。

 結界の淡い気配。

 

 そして、枕元の小さな石。

 

 王都は大きい。

 

 蒼銀という言葉は、ボクより先に歩き出しそうになる。

 

 でも、今夜は雨雫がここにある。

 

 手のひらだけで終わった一日。

 

 それだけで、今日のところは眠れそうだった。

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