TS転生見習い浄化師は過保護に愛される――――なお、仲間は曇る模様――――   作:カヨウ

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間話 本音瘴気症

 

 朝。

 

 ルシェルは、目を覚ました瞬間に思った。

 

 今日は、なんだか喉が変だ。

 

 痛いわけではない。

 

 熱もない。

 

 ただ、胸の奥から喉にかけて、妙にむずむずする。

 

「……嫌な予感が出勤している」

 

 そう呟いたつもりだった。

 

 しかし、実際に口から出たのは違った。

 

「レオン、昨日も廊下にいたけど、ずっと外にいるの寂しい」

 

 沈黙。

 

 部屋の外で、何かが固まった気配がした。

 

 ルシェルも固まった。

 

 布団の中で、目だけが大きくなる。

 

「……今の、誰が言った?」

 

 廊下から、レオンの声がした。

 

「君だ」

 

「違います」

 

「君の声だった」

 

「違います。今のは、喉に住んでいる別部署です」

 

「そうか」

 

「納得しないで!」

 

 ルシェルは布団を頭まで被った。

 

 心臓がうるさい。

 

 まずい。

 

 とてもまずい。

 

 今のは、本音だった。

 

 しかも、かなり深いところの本音だった。

 

 それが何の前置きもなく、朝一番で出た。

 

 これは事件である。

 

 水路より恥ずかしい。

 

 第三石より危険。

 

 保留箱でも処理できない。

 

 ルシェルは布団の中で震えながら言った。

 

「レオンが近くにいると安心するけど、ずっと廊下だと、ちゃんと守られているのに置いていかれている感じもして、寂しい」

 

 また出た。

 

 完全に出た。

 

 廊下の気配が、さらに重くなった。

 

 ルシェルは布団の中で叫んだ。

 

「本音部署、閉鎖!」

 

 レオンは、少し遅れて言った。

 

「入っていいか」

 

「だめ!」

 

 即答した。

 

 そして次の瞬間、口が勝手に続けた。

 

「でも、扉の近くにはいてほしい!」

 

 ルシェルは枕に顔を押しつけた。

 

「終わった。社会的に終わった。見習い浄化師、朝から終了成功ならず」

 

     ◇

 

 セレスが呼ばれた。

 

 呼ばれたというより、レオンが廊下で硬直していたため、異常を察して来た。

 

 扉の外から、セレスの声がする。

 

「ルシェル、入ってもいい?」

 

「だめです。今、ボクは危険物です」

 

「危険物?」

 

「本音が漏れます」

 

 セレスが一拍置いた。

 

「……瘴気症かもしれないわね」

 

 ルシェルは布団から顔だけ出した。

 

「瘴気症?」

 

「昨日まで第三石周辺の残響に触れていたでしょう。まれに、喉や感情の抑制に一時的な影響が出ることがあるの」

 

「感情の抑制」

 

「ええ」

 

「つまり?」

 

「思ったことが、口から出やすくなる」

 

 ルシェルはゆっくり布団を被り直した。

 

「死刑宣告」

 

 セレスが慌てて言う。

 

「違うわ。半日から一日で治ることが多いから」

 

「一日も本音で生きるのは重労働です」

 

 その直後、口が勝手に言った。

 

「セレスが来ると安心するし、優しい声を聞くと泣きそうになるから、たまに困る」

 

 扉の外が静かになった。

 

 ルシェルは布団の中で固まった。

 

「今のは違う」

 

 セレスの声が、少し柔らかくなりすぎる。

 

「そう感じてくれていたのね」

 

「違います。喉の反乱です」

 

「うん」

 

「信じてない」

 

「信じているわ」

 

「その声が優しいから困るって言ったばかり!」

 

 セレスが小さく笑った。

 

 ルシェルは枕を抱きしめる。

 

「ボクの社会性が水路に流れていく」

 

     ◇

 

 診断は簡単だった。

 

 リーネも呼ばれ、扉越しに確認した。

 

「軽い瘴気症ですね。浄化後の残響に触れた影響です」

 

「治りますか」

 

「治ります」

 

「本音は消えますか」

 

「本音そのものは消えません」

 

「そこは嘘でも消えると言ってほしかった」

 

「発話抑制は戻ります」

 

「発話抑制、大事。文明」

 

 リーネは少し笑った。

 

「今日は無理に人前へ出ない方がいいでしょう」

 

「賛成です。引きこもります」

 

 しかし、その瞬間、ルシェルの口が勝手に言った。

 

「でも、ひとりだと寂しい」

 

 全員が黙った。

 

 ルシェルは布団を掴んだ。

 

「本音部署!」

 

 レオンが扉の外で静かに言う。

 

「誰か近くにいる」

 

「レオンがいるのは嬉しいけど、外にいると寂しいって言いました!」

 

「聞いた」

 

「聞かないで!」

 

「無理だ」

 

「本味方、聴力を下げて!」

 

「努力する」

 

「絶対できない!」

 

 ガルドの声が廊下の奥からした。

 

「食えば少し落ち着く」

 

「本家、全部食で解決しようとするところ、安心するけど雑!」

 

 ガルドが満足そうに言った。

 

「安心するなら食え」

 

「誘導が強い!」

 

     ◇

 

 朝食は、部屋の前に置かれた。

 

 ルシェルは扉を少しだけ開け、盆を引き込もうとした。

 

 その隙間から、レオンが見えた。

 

 廊下に立っている。

 

 いつもの位置。

 

 近すぎず、遠すぎず。

 

 昨日までは、それで助かっていた。

 

 今朝は、喉が勝手に言う。

 

「本当は、少しだけ部屋に入ってほしい時もある」

 

 盆が止まった。

 

 レオンも止まった。

 

 ルシェルは扉の隙間から、真っ赤な顔で睨んだ。

 

「違う」

 

「今のも違うのか」

 

「違わないけど違う!」

 

「分かった」

 

「分からないで!」

 

 レオンは黙って、扉の前に膝をついた。

 

 目線が少し下がる。

 

「入らない。ここにいる」

 

 ルシェルは、盆を掴んだまま動けなかった。

 

 口がまた勝手に動く。

 

「それは、それで嬉しい」

 

 ルシェルは扉を閉めた。

 

 勢いよく。

 

 内側でしゃがみこむ。

 

「だめ。今日のボク、好意受付窓口が全開放」

 

 廊下からレオンの声。

 

「閉める手伝いはできるか」

 

「扉越しにいること!」

 

「分かった」

 

「あと、重すぎる返答は控えめ!」

 

「努力する」

 

「信用が薄い!」

 

 レオンは少し黙ったあと、言った。

 

「ここにいる」

 

 ルシェルは額を扉に押しつけた。

 

「控えめとは」

 

     ◇

 

 昼前。

 

 クラウスが来た。

 

 もちろん、扉越しである。

 

「白環記録庫へ、今日の状態を報告する必要がある」

 

「嫌です」

 

「最低限でいい」

 

「本音瘴気症と書くの?」

 

「医学的には、感情発話抑制低下」

 

「言い方でごまかしても、内容が恥です」

 

 クラウスは淡々と言う。

 

「症状として記録するだけだ」

 

 ルシェルは扉越しに呻いた。

 

「クラウスさんは、書類にすると何でも安全になると思っているところがあるけど、それで本当に助かっているところもあるから腹立つ」

 

 クラウスが沈黙した。

 

 セレスが廊下で笑いをこらえている気配がした。

 

 ルシェルは扉に額をぶつけた。

 

「また出た」

 

 クラウスは少し咳払いした。

 

「褒めとして受け取る」

 

「受け取らないで!」

 

「記録はこうする。第三石収束後の軽度残響反応。発話抑制低下あり。本人羞恥強いため、面会制限」

 

「本人羞恥強い」

 

「重要だ」

 

「書類に羞恥を残さないで」

 

「残さなければ、面会制限の根拠が弱い」

 

「羞恥が防護壁にされてる」

 

「有効な防護壁だ」

 

 ルシェルは少し黙った。

 

 口が勝手に言う。

 

「そういうところ、頼りになる」

 

 クラウスも黙った。

 

 ルシェルは床に崩れた。

 

「もう嫌」

 

     ◇

 

 白環記録庫からの返答は早かった。

 

 ミーナの字だった。

 

『発話抑制低下に伴う本人羞恥を考慮し、本日の面会・追加照会は停止。

 回答要求なし。

 沈黙、布団内待機、扉越し返答、全て有効回答として扱う。』

 

 ルシェルはその写しを見て、布団の中から顔を出した。

 

「ミーナさん、優しい」

 

 クラウスが扉の外で読む。

 

「追記がある」

 

「誰」

 

「エルヴィン補佐官」

 

「嫌な予感」

 

 クラウスは続けた。

 

『本音発話を記録として採取しないこと。本人の意思確認なき発話は、証言扱い不可。』

 

 ルシェルは目を丸くした。

 

「形式の鬼……」

 

 セレスが廊下で微笑む。

 

「守ってくれているわね」

 

「守ってくれてる」

 

 少し胸が温かくなる。

 

 その次の瞬間、口が勝手に言った。

 

「エルヴィン補佐官、怖いけど、もう敵じゃないと思ってる」

 

 廊下が一瞬静かになる。

 

 クラウスが言った。

 

「それは伝えないでおく」

 

「絶対伝えないで!」

 

「本人同意なしの発話だからな」

 

「形式の鬼の追記が即役立った」

 

     ◇

 

 午後。

 

 症状は少し落ち着いた。

 

 しかし、油断すると出る。

 

 ルシェルは扉を少し開け、廊下に座るレオンを見た。

 

 レオンは本当に、ずっといた。

 

 外に。

 

 近くに。

 

 でも、部屋の中には入らず。

 

 ルシェルは膝を抱えた。

 

「レオン」

 

「ああ」

 

「ずっと外にいるの、疲れない?」

 

「疲れない」

 

「嘘」

 

「少しは」

 

「本当は、ボクが中に入れてって言えば入る?」

 

「入る。君が望むなら」

 

「望んでるって言ったら重い空気になるから言えない」

 

 言った。

 

 完全に言った。

 

 ルシェルは口を押さえた。

 

 レオンはしばらく黙った。

 

 それから、静かに言う。

 

「重くしないようにする」

 

「できる?」

 

「努力する」

 

「信用が薄い」

 

「知っている」

 

 ルシェルは扉を少しだけ広げた。

 

 ほんの少し。

 

「……椅子一個分」

 

 レオンが顔を上げる。

 

「距離か」

 

「部屋の中、椅子一個分だけ。入口付近。近すぎ禁止。重い顔禁止。守護神みたいに立つの禁止」

 

「分かった」

 

「あと、入った瞬間に『いる』って言うの禁止」

 

 レオンは少し困った。

 

「では何と言えばいい」

 

 ルシェルは考えた。

 

 考えた結果、口が勝手に言った。

 

「お邪魔します、くらいの軽さがいい」

 

 レオンは真面目に頷いた。

 

「分かった」

 

 扉が開く。

 

 レオンが、入口のそばに入った。

 

 椅子一個分。

 

 本当にそこまで。

 

 そして、少しぎこちなく言った。

 

「お邪魔します」

 

 ルシェルは顔を両手で覆った。

 

「言わせたら言わせたで破壊力がある!」

 

 レオンは真剣に困っている。

 

「失敗か」

 

「成功寄りです!」

 

 また出た。

 

 ルシェルは布団へ転がった。

 

「本音瘴気症、極悪」

 

     ◇

 

 レオンは、入口近くの椅子に座った。

 

 剣は外している。

 

 背筋は伸びている。

 

 だが、いつもの護衛の硬さより、少しだけ柔らかい。

 

 ルシェルは布団を抱えて、床に座っている。

 

 距離はある。

 

 でも、同じ部屋。

 

 外ではない。

 

「……思ったより落ち着く」

 

 口がまた勝手に言った。

 

 ルシェルは諦めて、布団に顔を埋めた。

 

 レオンは静かに言う。

 

「よかった」

 

「重い」

 

「軽く言ったつもりだ」

 

「内容が重い」

 

「難しい」

 

「本味方、軽量化訓練が必要」

 

「訓練する」

 

「本当にしそう」

 

 レオンは少しだけ目を伏せた。

 

「外にいるのは、君が安心できる距離だと思っていた」

 

 ルシェルは布団から顔を出す。

 

「安心する」

 

「ああ」

 

「でも、たまに寂しい」

 

「ああ」

 

「両方」

 

「分かった」

 

「分かったって言われると、すごく助かるけど、恥ずかしい」

 

「今日は聞かなかったことにはしない方がいいか」

 

「聞かなかったことにされたら寂しい。でも全部覚えられたら恥ずかしい」

 

 レオンは真剣に考えた。

 

「では、必要な分だけ覚える」

 

 ルシェルは固まった。

 

「……それ、いい」

 

 言ってしまった。

 

 でも、これはいい。

 

 本当にいい。

 

「必要な分だけ覚える、採用」

 

 レオンが頷く。

 

「採用された」

 

「本味方、運用改善」

 

     ◇

 

 夕方には、症状はかなり薄くなっていた。

 

 セレスが確認する。

 

「今、思ったことが全部出る感じはある?」

 

 ルシェルは少し考える。

 

「少しだけ」

 

「例えば?」

 

「セレスの髪、今日も綺麗」

 

 沈黙。

 

 ルシェルは口を押さえた。

 

「残ってる!」

 

 セレスは目を丸くしてから、ふわりと笑った。

 

「ありがとう」

 

「受け取らないで!」

 

「これは受け取るわ」

 

「優しい人が強い」

 

 ガルドがスープを持ってきた。

 

「食え」

 

「ガルドは雑だけど、雑さが安心する」

 

 ガルドは頷いた。

 

「そうか」

 

「受け取りが豪快!」

 

 クラウスが記録紙を持って現れる。

 

「症状軽減。発話内容に羞恥反応あり」

 

「書かないで」

 

「書かない」

 

「今書こうとした」

 

「手が動いた」

 

「書類の人!」

 

 レオンは入口近くの椅子に座ったままだった。

 

 ルシェルはそれを見て、少しだけ笑う。

 

「……今日は、そこにいていい」

 

 今度は、勝手に出たのか、自分で言ったのか、半分分からなかった。

 

 レオンは静かに頷く。

 

「いる」

 

「禁止ワード」

 

「すまない」

 

「でも今日は許可」

 

「分かった」

 

     ◇

 

 夜。

 

 ルシェルは小箱の前に座った。

 

 保留猫。

 

 雨雫。

 

 後日回答の栞。

 

 収束報告。

 

 第三石の小瓶。

 

 そして、新しい紙。

 

『軽度瘴気症 発話抑制低下 面会制限済』

 

 ルシェルはその紙を見て、半目になった。

 

「今日の報告」

 

 保留猫は無反応。

 

「本音が漏れました」

 

 雨雫は静か。

 

「とても恥ずかしかったです」

 

 後日回答の栞を置く。

 

「でも、少し助かりました」

 

 入口近くの椅子に、レオンがいる。

 

 廊下ではない。

 

 部屋の奥でもない。

 

 椅子一個分の距離。

 

 ルシェルはちらりと見る。

 

「レオンが外にいると寂しい時がある、と言いました」

 

 レオンは静かに頷く。

 

「聞いた」

 

「必要な分だけ覚えてください」

 

「覚える」

 

「全部はだめ」

 

「分かった」

 

 セレスが扉の外から言う。

 

「私は?」

 

「優しい声が困るくらい安心する」

 

 ルシェルは即座に保留猫に顔を埋めた。

 

「まだ残ってる!」

 

 セレスが笑う。

 

「必要な分だけ受け取るわ」

 

 ガルドの声。

 

「俺は?」

 

「雑だけど安心するし、食べろが帰る場所みたいになってる」

 

「よし」

 

「本家、満足!」

 

 クラウスの声。

 

「私は?」

 

「書類に守られてるのが腹立つけど、かなり助かってる」

 

「褒めとして受け取る」

 

「全員、受け取り上手!」

 

 ルシェルは布団に倒れ込んだ。

 

「本音瘴気症、もう閉店してください」

 

 レオンが入口近くで言う。

 

「少しは楽になったか」

 

 ルシェルは布団の中で考えた。

 

 そして、これは勝手にではなく、自分で言った。

 

「少し」

 

 レオンは頷く。

 

「よかった」

 

「重い」

 

「軽く言った」

 

「内容が重い」

 

「難しい」

 

 ルシェルは小さく笑った。

 

 蒼銀は静か。

 

 雨雫も静か。

 

 水路の声はもうない。

 

 ただ、部屋の中に、少しだけ近い気配がある。

 

 外ではなく。

 

 近すぎず。

 

 遠すぎず。

 

 椅子一個分。

 

「明日には治る?」

 

 セレスが言う。

 

「たぶん治るわ」

 

「治ったら、今日のことは?」

 

 レオンが答える。

 

「必要な分だけ覚える」

 

 ガルドも言う。

 

「食ったことは覚える」

 

 クラウスが言う。

 

「記録は最低限にする」

 

 セレスが言う。

 

「大事なところだけ、心に置くわ」

 

 ルシェルは目を閉じた。

 

「周囲ver2、情報管理が上手い」

 

 小箱の横で、雨雫が一度だけ鳴った。

 

 ぽたん。

 

 それは、水路の返事ではない。

 

 たぶん、今日の本音にも、少しだけ居場所ができた音だった。

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