TS転生見習い浄化師は過保護に愛される――――なお、仲間は曇る模様――――   作:カヨウ

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第54話 消えない灯

 

 翌朝。

 

 ルシェルは、小箱の前に座っていた。

 

 食堂ではない。

 

 部屋の中。

 

 扉は開いている。

 

 入口には、椅子一個分の距離でレオンがいる。

 

 扉の外にはセレス。

 

 廊下の少し先にはガルド。

 

 書類室にはクラウス。

 

 いつものようで、いつもより少し厳重だった。

 

 ルシェルはそれを分かっていた。

 

 分かっているから、少しだけ笑った。

 

「……王都館、過保護警戒態勢」

 

 入口のレオンが言う。

 

「必要だ」

 

「必要、多用」

 

「今日は多用する」

 

「本味方、開き直った」

 

 軽口は出た。

 

 けれど、声は少し薄かった。

 

 昨日の出来事は、まだ身体の奥に残っている。

 

 使者の目。

 

 蒼銀を見た時の、価値を見つけた顔。

 

 館で遊ばせておくには勿体ない力。

 

 王都の宝。

 

 適切に用いるべき。

 

 その言葉は、ルシェルの中で何度も反響していた。

 

 嫌な言葉だった。

 

 怖い言葉だった。

 

 それなのに。

 

 その言葉に、どこかで頷いてしまった自分がいた。

 

 それが一番、嫌だった。

 

     ◇

 

 小箱の前には、新しい紙が置かれている。

 

 エルヴィンからの通達写し。

 

『蒼銀は、人から切り離して運用する資源ではない。』

 

 クラウスの仮記録。

 

『役に立つか否かを、存在価値の判断に用いない。』

 

 セレスが書いた小さな紙。

 

『怖いと感じることは、拒否ではなく反応。』

 

 ガルドの紙。

 

『食え。持て。戻れ。』

 

 ルシェルはそれを見て、少しだけ笑う。

 

「本家の紙だけ命令が三つ」

 

 廊下からガルドが言う。

 

「必要だ」

 

「本家まで必要多用」

 

 セレスが扉の外で言う。

 

「読めそう?」

 

「読める。刺さるけど」

 

「刺さるなら、今日は一枚ずつでいいわ」

 

「全部刺さる」

 

「じゃあ、一枚ずつ刺さりましょう」

 

「セレス、優しい顔で物騒」

 

 セレスは少し笑った。

 

 その声は優しい。

 

 優しいから、ルシェルは少し目を伏せた。

 

 昨日なら、それも口から漏れていたかもしれない。

 

 今日は漏れない。

 

 漏れないから、自分で言うかどうかを選べる。

 

 そのはずなのに、選ぶのは難しかった。

 

     ◇

 

 ルシェルは、自分の手を見た。

 

 蒼銀は出ていない。

 

 髪も、瞳も、いつもの色に戻っている。

 

 でも、胸の奥にはある。

 

 消えたわけではない。

 

 呼べば灯る。

 

 感情が揺れれば、勝手に滲む。

 

 昨日それを見せつけられた。

 

「ボクの手に戻ってきた、って思ってたんだけどな」

 

 ぽつりと言うと、レオンが顔を上げた。

 

 ルシェルは続けた。

 

「戻ってきたっていうか、逃げ場も一緒に戻ってきた感じ」

 

「逃げ場?」

 

「蒼銀でいれば、考えなくていい。役に立てる。価値がある。誰かが困ってるなら行ける。自分が怖いとか、嫌だとか、守られたいとか、そういうのを全部後回しにできる」

 

 レオンの手が、膝の上でわずかに強張る。

 

 ルシェルは小箱を見たまま、淡々と言った。

 

「それ、便利」

 

 その言葉が、ひどく重かった。

 

 セレスが扉の外で息を止める。

 

 ガルドも黙る。

 

 レオンは静かに言う。

 

「便利だから使わせない」

 

 ルシェルは少し笑った。

 

「言い方」

 

「君が自分を消すために使うなら、止める」

 

「消すって言い方、強い」

 

「弱く言わない」

 

 ルシェルは膝を抱える。

 

「でも、消えたいんじゃなくて」

 

 そこで言葉が止まる。

 

 違う。

 

 そう言いたかった。

 

 消えたいわけじゃない。

 

 ただ、役割だけになれたら楽だと思った。

 

 自分の怖さや寂しさや面倒くささを、全部薄くして、蒼銀の灯だけ残せたら。

 

 その方が迷惑が少ない気がした。

 

 自分がいなければ。

 

 ルシェル・ノアという余分なものがなければ。

 

 蒼銀だけがあれば。

 

「……それを、消えるって言うのかな」

 

 自分で言って、喉が震えた。

 

     ◇

 

 レオンは立ち上がらなかった。

 

 近づきたい衝動を押さえた。

 

 近づけば、ルシェルは逃げる。

 

 逃げ場を奪うことと、ひとりにしないことは違う。

 

 だから、椅子一個分の距離を守る。

 

「俺は、そう思う」

 

 ルシェルは目を伏せる。

 

「やっぱり」

 

「君が残らない形で役に立とうとするなら、それは消える方に近い」

 

「じゃあ、だめですね」

 

「だめというより、止める」

 

「だめと同じ」

 

「違う」

 

 ルシェルは反射的に返す。

 

「違わない」

 

 昨日と同じ反語。

 

 だが、昨日ほど鋭くはなかった。

 

 疲れた声だった。

 

「自己否定して、自己否定してる自分も否定して、面倒だから消えたくなって、それもまただめで。だめばっかり」

 

 セレスが静かに言う。

 

「だめではなく、苦しいのよ」

 

 ルシェルは首を振る。

 

「苦しいって言うと、許されそうで怖い」

 

「許されてもいい」

 

「それが怖いって言ってる」

 

「うん」

 

「受け止めないで」

 

「受け止めるわ」

 

 ルシェルの目が少し潤む。

 

「みんな、そればっかり」

 

 ガルドが廊下の先から言う。

 

「逃がさん」

 

「本家、短い」

 

「短い方が届く」

 

「届くから困る」

 

     ◇

 

 昼前、リーネが来た。

 

 蒼銀の状態を確認するためだった。

 

 ただし、検査ではない。

 

 ルシェル本人が嫌ならしない。

 

 その条件は、扉の外で何度も確認された。

 

 ルシェルは少し考えてから頷いた。

 

「見るだけなら」

 

 リーネは部屋の入口より内側へは入らなかった。

 

 セレスの隣に立ち、距離を保って言う。

 

「蒼銀を出す必要はありません」

 

 ルシェルは苦笑する。

 

「出してくださいって言われるかと思った」

 

「今日は言いません」

 

「今日は」

 

「必要な時でも、本人が選べる形にします」

 

 ルシェルは自分の手を見る。

 

「選ぶ形」

 

「はい」

 

「選ぶと、役に立ちたい方を選びます」

 

 リーネはすぐに答えなかった。

 

 少し考え、静かに言った。

 

「では、選択の前に確認を増やしましょう。役に立ちたいから選ぶのか。怖いけれど自分も納得して選ぶのか。選ばないと価値がない気がしているのか」

 

 ルシェルは眉を寄せた。

 

「最後、嫌」

 

「嫌なら、そこが大事です」

 

「専門家、嫌なところを見つける」

 

「見つけます」

 

「容赦ない」

 

「守るためです」

 

 ルシェルは少しだけ笑った。

 

「守る人、多すぎ問題」

 

 レオンが言う。

 

「増えていい」

 

「増殖する本味方」

 

「そうだ」

 

     ◇

 

 リーネは、小さな水晶板を取り出した。

 

「蒼銀に触れず、周囲の残響だけを見ます」

 

 ルシェルは頷く。

 

 水晶板が淡く曇る。

 

 そこに、薄い青の波が映った。

 

 荒れてはいない。

 

 ただ、時々深く沈むように揺れる。

 

 リーネは表情を変えずに言った。

 

「蒼銀そのものは、今は安定しています」

 

 ルシェルは少し驚く。

 

「安定?」

 

「はい。不安定なのは、蒼銀ではなく、蒼銀へ意味を載せる気持ちの方です」

 

「意味」

 

「蒼銀があるから価値がある。蒼銀を出さないと価値がない。そういう意味が、昨日の件で強く結びついています」

 

 ルシェルは黙った。

 

 水晶板の中の青が、少し沈む。

 

 リーネは続ける。

 

「蒼銀は、あなたを消そうとしているわけではありません」

 

 ルシェルの目が揺れる。

 

「でも、蒼銀でいる方が楽です」

 

「蒼銀が楽なのではなく、ルシェル・ノアでいることが苦しい時があるのだと思います」

 

 静かな言葉だった。

 

 責めていない。

 

 決めつけてもいない。

 

 けれど、逃げ道もなかった。

 

 ルシェルは小箱を見た。

 

「ボクでいるの、面倒です」

 

 言ったあと、すぐに小さく続ける。

 

「そう思うのも、だめ」

 

 セレスが言う。

 

「だめではないわ」

 

「だめです」

 

「どうして?」

 

「だって、みんなが守ってくれてるのに。大事にしてくれてるのに。ボクでいるのが面倒なんて、ひどい」

 

 ルシェルの声が震える。

 

「自己否定するなって言われてるのに、自己否定して。自己否定してる自分も嫌で。それでまた面倒になる。もう、どこから止めればいいのか分からない」

 

 レオンが静かに言った。

 

「止めなくていい」

 

 ルシェルは顔を上げる。

 

「また、それ」

 

「今は止めるより、見る」

 

「見たら嫌になる」

 

「一緒に見る」

 

「重い」

 

「軽くしない」

 

 ルシェルは泣きそうに笑った。

 

「本味方、変わらない」

 

     ◇

 

 その日の午後、クラウスは一枚の紙を持ってきた。

 

 題名はない。

 

 ただ、短い文が並んでいる。

 

『蒼銀は、役割である前に、ルシェル・ノアの一部。

 蒼銀を使わない時間も、ルシェル・ノアは欠けていない。

 蒼銀を使う時、ルシェル・ノアが消える必要はない。

 自己否定が出た場合、それを失敗として扱わない。

 自己否定を否定して苦しくなった場合も、失敗として扱わない。

 後日回答可。沈黙可。泣く部署可。軽口部署可。』

 

 ルシェルは最後を見て、少しだけ息を漏らした。

 

「部署が正式文書に侵食してる」

 

 クラウスは真面目に言う。

 

「君の言葉で書いた方が届く場合がある」

 

「届くけど、恥ずかしい」

 

「届くならよい」

 

「書類の人、開き直り」

 

 紙を読んでいるうちに、ルシェルの指先が淡く光った。

 

 蒼銀。

 

 小さな灯。

 

 誰も、すぐに止めなかった。

 

 レオンは見る。

 

 セレスも見る。

 

 リーネも、結界具に手を置いたまま、動かない。

 

 ルシェルは自分の指先を見て、息を詰めた。

 

「出た」

 

 レオンが言う。

 

「出たな」

 

「止めた方がいい?」

 

 リーネが静かに答える。

 

「今、苦しくないなら、そのまま見てもいいです」

 

「見てもいい」

 

 ルシェルは指先を見た。

 

 小さな蒼銀。

 

 昨日のような激しい光ではない。

 

 第三石室の時のような、照明の灯に近い。

 

 でも、少し違う。

 

 誰かのために出したのではない。

 

 要請されたわけでもない。

 

 役に立つためでもない。

 

 ただ、紙を読んで、胸が揺れて。

 

 その揺れに、蒼銀が応えた。

 

「……勝手に出たけど、怖くはない」

 

 セレスが微笑む。

 

「うん」

 

「でも、役に立ってない」

 

 レオンが言う。

 

「役に立っていない蒼銀も、ここにあっていい」

 

 ルシェルは顔をしかめる。

 

「難しいこと言う」

 

「そうか」

 

「蒼銀が役に立たないで光ってるの、変」

 

 リーネが言う。

 

「呼吸も、役に立つためだけにするものではありません」

 

「急に生命」

 

「蒼銀も、あなたの一部なら、存在するだけの時があっていい」

 

 ルシェルは指先の光を見る。

 

 存在するだけの蒼銀。

 

 役に立たない蒼銀。

 

 誰も助けない蒼銀。

 

 それでも、ここにあっていい蒼銀。

 

「……贅沢」

 

 セレスが首を傾げる。

 

「贅沢?」

 

「役に立たないのに、光ってていいなんて」

 

 セレスは泣きそうな顔で笑った。

 

「ええ。贅沢でいいわ」

 

 ルシェルは少しだけ、唇を噛んだ。

 

     ◇

 

 蒼銀の灯は、しばらく指先にあった。

 

 誰も急かさない。

 

 誰も、記録のために覗き込まない。

 

 クラウスは書きたそうだったが、書かなかった。

 

 いや、紙は持っていた。

 

 だが、ルシェルが見ている間は、筆を置いていた。

 

 ガルドが廊下から言う。

 

「温かいか」

 

 ルシェルは少し考える。

 

「少し」

 

「ならよし」

 

「本家、判定が早い」

 

「冷たいよりいい」

 

「それはそう」

 

 指先の蒼銀は、小さく揺れる。

 

 ルシェルはそれを見ながら、ぽつりと言った。

 

「ボク、蒼銀が嫌いなわけじゃないんです」

 

 誰も遮らない。

 

「怖いけど。利用されるのも嫌だけど。でも、第三石室で水が怖くないように照らした時、少しだけ、これがあってよかったと思った」

 

 レオンが静かに聞いている。

 

「だから、昨日、使者に言われて、すごく嫌だったのに、どこかで嬉しかったのかもしれない」

 

 セレスが息を呑む。

 

 ルシェルは苦しそうに続ける。

 

「価値があるって言われたみたいで。必要だって言われたみたいで。嫌なのに、そこに縋りたくなった。そういう自分が気持ち悪い」

 

 蒼銀が揺れた。

 

 リーネが結界具に触れる。

 

 レオンが低く言う。

 

「小さく」

 

 ルシェルは息を吸う。

 

「小さく」

 

 光が落ち着く。

 

 ルシェルは泣きそうな顔で笑った。

 

「ほら、また自己否定」

 

 セレスが言う。

 

「自己否定が出た」

 

「だめ」

 

「失敗ではない」

 

「だめって思う」

 

「だめって思うことも、今は失敗にしない」

 

 ルシェルは頭を抱えた。

 

「甘すぎる」

 

 ガルドが言う。

 

「甘いものは食え」

 

「本家、違う」

 

「違わん」

 

「違うよ」

 

 それでも、少し笑った。

 

     ◇

 

 夕方近く。

 

 ルシェルは、自分から言った。

 

「少しだけ、蒼銀を練習したい」

 

 部屋の空気が変わる。

 

 レオンがすぐに聞く。

 

「理由は」

 

 ルシェルは少し顔をしかめた。

 

「尋問?」

 

「確認」

 

「確認なら、ええと」

 

 言葉を探す。

 

 今度は、すぐに「役に立つため」とは言わなかった。

 

 それだけで、セレスの目が少し潤んだ。

 

「昨日のままだと、蒼銀が怖いものに戻る。使者の目とくっつく。だから、別の使い方を覚え直したい」

 

 リーネが頷く。

 

「目的は、出力訓練ではなく、関係の作り直しですね」

 

「関係の作り直し」

 

「はい」

 

 ルシェルは指先の小灯を見る。

 

「蒼銀と仲直り?」

 

 セレスが微笑む。

 

「近いかもしれないわ」

 

「蒼銀側、怒ってるかな」

 

 レオンが言う。

 

「怒ってはいないと思う」

 

「何で分かるの」

 

「今、君を焼いていない」

 

「蒼銀の判断基準、物騒」

 

 リーネが小さく笑った。

 

「では、今日は三つだけにしましょう。灯す。畳む。閉じる」

 

「基礎」

 

「はい。役に立つためではなく、自分の手にあることを確かめるためです」

 

 ルシェルは頷いた。

 

「はい」

 

     ◇

 

 灯す。

 

 指先に蒼銀。

 

 小さく。

 

 誰かのためではなく。

 

 王都のためでもなく。

 

 証明のためでもなく。

 

 ただ、ここにあると確認するため。

 

 ルシェルはそれを見つめた。

 

「灯っています」

 

 リーネが頷く。

 

「はい」

 

 畳む。

 

 指先の光を、手のひらへ。

 

 手のひらから、小さな点へ。

 

 広がろうとする気配はある。

 

 でも、怖くない。

 

 怖くなりかけた時、レオンが言う。

 

「小さく」

 

 ガルドが言う。

 

「畳め」

 

 セレスが言う。

 

「急がなくていいわ」

 

 クラウスが、筆を持たずに見ている。

 

 ルシェルは息を吐く。

 

「畳めました」

 

 閉じる。

 

 蒼銀が、皮膚の奥へ戻る。

 

 消える。

 

 なくなるのではなく。

 

 戻る。

 

 ルシェルは手を見た。

 

 何も光っていない。

 

「閉じました」

 

 リーネが頷く。

 

「成功です」

 

 ルシェルは顔をしかめる。

 

「何もしてない」

 

 レオンが言う。

 

「した」

 

「誰も助けてない」

 

「君が戻った」

 

 その言葉に、ルシェルは一瞬黙った。

 

 そして、涙をこらえるように目を細めた。

 

「それ、役に立つに入ります?」

 

 レオンは首を横に振る。

 

「入れなくていい」

 

「じゃあ何」

 

「戻る練習」

 

 ガルドが言う。

 

「よし」

 

 クラウスが静かに続ける。

 

「記録上は、自己保持訓練」

 

 ルシェルは半目になった。

 

「書類の人、また新語」

 

「必要だ」

 

 リーネが頷く。

 

「とても正確です」

 

「専門家承認」

 

     ◇

 

 その日の夜。

 

 ルシェルは小箱の前に座った。

 

 今日は、報告できるか分からなかった。

 

 でも、座ることはできた。

 

 保留猫。

 

 雨雫。

 

 後日回答の栞。

 

 収束報告。

 

 第三石の小瓶。

 

 エルヴィンの紙。

 

 クラウスの紙。

 

 新しい紙。

 

『自己保持訓練』

 

 ルシェルはその文字を睨んだ。

 

「今日の報告」

 

 声は小さい。

 

 でも、出た。

 

「蒼銀と向き合いました」

 

 雨雫は静か。

 

「自己否定が出ました」

 

 保留猫は無反応。

 

「自己否定を否定して、さらに面倒になりました」

 

 後日回答の栞を置く。

 

「消えたくなる方向へ行きかけました」

 

 入口のレオンが、息を止める気配。

 

 でも、遮らない。

 

 ルシェルは続けた。

 

「でも、今日は消えずに、灯して、畳んで、閉じました」

 

 小さな沈黙。

 

「役に立ってない蒼銀を、少しだけ見ました」

 

 セレスが扉の外で、静かに泣いている気配がした。

 

 ガルドは廊下の少し先で動かない。

 

 クラウスの筆音も止まっている。

 

 ルシェルは、自分の手を見る。

 

「蒼銀が嫌いなわけじゃないです」

 

 言えた。

 

「でも、蒼銀になろうとする自分は怖いです」

 

 言えた。

 

「だから、蒼銀と一緒にいて、ルシェル・ノアも残る練習をします」

 

 言えた。

 

 その言葉のあと、胸の奥で何かが少しだけ緩んだ。

 

 解決ではない。

 

 収束でもない。

 

 勝利と言うには、まだ怖い。

 

 でも、消える方へ流れていたものが、少しだけ岸に引っかかった。

 

 レオンが静かに言う。

 

「残る練習」

 

 ルシェルは頷く。

 

「はい」

 

「付き合う」

 

「重い」

 

「軽くしない」

 

「今日は、少し許可」

 

 ガルドが言う。

 

「残るなら食え」

 

「本家、今日も直線」

 

 セレスが言う。

 

「残る練習、明日も少しずつね」

 

「明日も?」

 

「一日で終わらないわ」

 

「長期案件」

 

 クラウスが言う。

 

「継続記録にする」

 

「書類の人、すぐ棚を作る」

 

「必要だ」

 

 ルシェルは小さく笑った。

 

 そして、小箱の横に『自己保持訓練』の紙を置いた。

 

 保留でも。

 

 後日回答でも。

 

 収束でもない。

 

 新しい欄。

 

 蒼銀と共にあって、ルシェル・ノアが消えないための欄。

 

 雨雫が、一度だけ鳴った。

 

 ぽたん。

 

 その音は、怖くなかった。

 

 ルシェルは布団に入る前に、入口のレオンを見た。

 

「椅子一個分、今日も」

 

「ああ」

 

「重い顔、四割」

 

「努力する」

 

「六割」

 

「……努力する」

 

「本味方、難航」

 

 少し笑って、目を閉じる。

 

 蒼銀は胸の奥にある。

 

 怖い。

 

 でも、ある。

 

 嫌いではない。

 

 でも、飲み込まれたくない。

 

 だから、明日も練習する。

 

 灯す。

 

 畳む。

 

 閉じる。

 

 そして、消えずに残る。

 

 その小さな繰り返しを、ルシェルは初めて、自分のための仕事として受け取った。

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