TS転生見習い浄化師は過保護に愛される――――なお、仲間は曇る模様―――― 作:カヨウ
王都において、蒼銀とは特別な色だった。
銀ではない。
青でもない。
白でもない。
夜明け前の空を水に溶かしたような、静かで、冷たい光。
瘴気を祓う浄化師の中でも、ごく稀に現れる色。
古い記録では、強い浄化適性を示すものとされている。
ただし、記録というものは、たいてい都合のいい部分だけがよく読まれる。
蒼銀は強い。
蒼銀は貴重。
蒼銀は王都結界と相性がいい。
蒼銀は大規模浄化に適する。
そういう言葉ばかりが、一人歩きする。
だから、王都結界局の書記官クラウスは、目の前の報告書に一文を書き足した。
『本人は十五歳の見習い浄化師である』
筆を置き、しばらくその文を眺める。
足りない。
あまりにも足りない。
それでも、書かないよりはよかった。
◇
「蒼銀か」
結界局の小会議室で、一人の技官が書類をめくった。
卓の上には、ルシェル・ノアに関する初回確認の報告が置かれている。
『手のひら上に微弱な蒼銀光を発現』
『色調は澄明』
『揺れは小さいが、王都外郭結界への反応あり』
『本人、発現範囲を“手のひらだけ”と認識することで安定』
技官は目を細めた。
「手のひらだけ、か」
向かいの若い役人が言う。
「発現範囲の自己制限でしょうか」
「まだ分からん。本人の感覚的な言葉だろう」
「ですが、記録としては興味深いです。蒼銀を本人が言語で制限できるなら、訓練次第で――」
「待て」
年配の技官が遮った。
「訓練、という言葉を使うには早い」
「しかし」
「彼女は到着したばかりだ。倒れて三日眠った直後でもある」
若い役人は口を閉じた。
年配の技官は、報告書の次の行を指で叩く。
『本人、血液・髪・声・名前の扱いについて事前に不安を表明』
「ここを読め」
「はい」
「蒼銀を見る前に、本人が何を恐れているかを見るべきだ」
若い役人は少し戸惑った顔をした。
「恐れている、ですか」
「そうだ。蒼銀がどれほど澄んでいるかより先に、本人が何を確認したかを見ろ」
血。
髪。
声。
名前。
初回確認で、十五歳の見習い浄化師がそれを聞いた。
なぜ聞いたのか。
ただの臆病で片づけるには、少し引っかかる。
年配の技官は書類を閉じた。
「蒼銀は貴重だ。だからこそ、雑に扱うな」
◇
王都浄化師団のリーネは、確認後に自分用の控えを書いていた。
公式記録ではない。
上に提出するものでもない。
ただ、自分が忘れないための覚え書きだ。
『ルシェル・ノア。十五歳。見習い。
口調は砕けているが、質問への反応は慎重。
不安を冗談で薄める傾向あり。
蒼銀光は澄明。
発現時、周囲の視線に反応して光量が増しかけた。
同行者セレスの「手のひらだけ」という声かけで安定。
胸元の飾り石に触れる動作あり』
飾り石。
記録上は、まったく重要ではない。
蒼銀の色や揺れ、結界への反応と比べれば、何でもない私物だ。
だが、リーネはそこを消さなかった。
手のひらの光が強くなりかけた時、ルシェルは胸元に触れた。
その後、光が落ち着いた。
因果関係は分からない。
だが、本人にとって何かの支えになっている可能性はある。
そういうものを、王都はよく見落とす。
大きな結界。
大きな浄化。
大きな役割。
そういうものばかり見ていると、小さな石の意味を見落とす。
リーネは控えの端に、小さく書いた。
『本人の私物を軽視しないこと』
公式文書にするには、少し柔らかすぎる。
けれど、たぶん大事なことだった。
◇
貴族院に届いた報告では、いくつかの文が削られていた。
もちろん、悪意ある改竄ではない。
単なる要約だ。
『辺境ノア浄化院所属の見習い浄化師ルシェル・ノア、王都到着。
蒼銀光の発現を確認。
色調澄明。
外郭結界への反応あり。
現時点では登録手続き継続。』
それだけだった。
本人が何を不安に思ったか。
手のひらだけで終わったこと。
名前への反応に配慮が必要なこと。
疲労が強かったこと。
そうした細部は、要約から落ちる。
貴族院の一室で、ローディン伯はその報告を読んだ。
「蒼銀が出たか」
側近が頷く。
「はい。微弱ながら、非常に澄んだ光とのことです」
「王都結界への反応は?」
「あり、との記録です」
「ならば適性は高い」
「まだ見習いです」
「見習いであっても、適性は適性だ」
ローディン伯は報告書を机に置いた。
「王都結界の補強に、将来的に使えるかもしれん」
側近は一拍置いて言った。
「本人は到着直後です。浄化師団は、当面は登録と体調確認のみとする方針のようです」
「慎重すぎる」
「倒れて三日眠っていたとのことです」
「若い浄化師にはよくある」
側近は黙った。
よくある。
確かに、浄化師が力を使いすぎて倒れることは珍しくない。
だが、それを「よくある」で済ませてきたから、若い浄化師の消耗はなかなか減らない。
側近はそう思ったが、口には出さなかった。
ローディン伯は窓の外を見る。
「蒼銀は、国にとって重要だ」
「はい」
「本人にも、その自覚を持ってもらわねばならん」
側近は報告書の端にある小さな注記を見た。
『本人、蒼銀のみが先行して扱われることに不快感あり』
この一文は、要約から落とされかけたが、クラウスの強い意向で残されたものだった。
側近はそれを見ながら、静かに言った。
「自覚を求める前に、本人の不安を確認する必要があるかと」
ローディン伯は少しだけ眉を寄せた。
「不安?」
「はい」
「見習いなら、不安は当然だ」
「当然だからこそ、扱いを誤ると反発や不調につながります」
「君もずいぶん慎重だな」
「王都は、慎重で損をすることより、急ぎすぎて損をすることの方が多いので」
ローディン伯は返事をしなかった。
その沈黙が肯定なのか不快なのか、側近には分からなかった。
◇
結界局書記官クラウスのもとには、早速いくつかの照会が来ていた。
『蒼銀光の強度測定予定はあるか』
『王都外郭結界との同調率を確認可能か』
『本人の登録後、試験浄化に参加させる予定はあるか』
『髪色との関連記録はあるか』
『声による発現補助の有無は』
クラウスは眉間に皺を寄せた。
「早いな」
部下の若い書記官が困った顔で立っている。
「すべて本日中に回答が必要でしょうか」
「必要ない」
「しかし、貴族院からのものもあります」
「必要ない」
クラウスは一通ずつ返答を書いた。
『現時点で強度測定予定なし』
『本人到着直後につき、同調率確認は行わない』
『試験浄化参加予定なし』
『身体的特徴と蒼銀発現の関連確認は行わない』
『声による発現補助については確認しない』
最後の一通で、若い書記官が尋ねた。
「声についても不可ですか」
「不可だ」
「理由は」
クラウスは筆を止めた。
「昨日、道中で名前を呼ぶ水鏡の異常があった」
「報告にありました」
「本人は名前に対して過敏になっている可能性がある。声や名前を用いた確認は、今は避ける」
「なるほど」
「なるほど、ではなく、記録しておけ」
「はい」
若い書記官は慌てて筆を取った。
クラウスは続ける。
「蒼銀は、ただ光を出すかどうかだけではない。本人がどう反応するかを見る必要がある」
「本人が」
「そうだ」
クラウスは机の上の報告書を指で叩いた。
「この書類の中心は、蒼銀ではなくルシェル・ノア氏だ。そこを間違えるな」
若い書記官は少し驚いたように目を上げた。
それから、真面目に頷いた。
◇
王都の食堂では、滞在者たちが早くも噂をしていた。
「今日、蒼銀の子が確認を受けたらしい」
「見たのか?」
「いや、廊下ですれ違っただけだ。銀髪の小さい子だった」
「子供か?」
「見習いらしい」
「蒼銀なら、そのうち結界塔に入るんじゃないか」
「まだ早いだろ」
「でも王都が呼んだんだ。相当な力なんだろう」
そうした声は、悪意だけでできているわけではない。
興味。
期待。
不安。
物珍しさ。
それらが混ざる。
人は、珍しいものを見ると話したくなる。
ただ、その珍しいものが一人の少女だということは、話しているうちに薄れていく。
食堂の配膳係の娘は、その会話を聞きながら皿を拭いていた。
彼女は昼間、ルシェルが食堂であまり食べられなかったのを見ていた。
銀髪の見習い浄化師。
周囲を気にして、パンを小さくちぎっていた。
護衛の剣士が少し杯を動かして、視線を遮っていた。
それを思い出し、配膳係は会話に割って入った。
「その子、疲れてるみたいでしたよ」
男たちが彼女を見る。
「そうなのか?」
「ええ。蒼銀とかすごいとか、そういうのは分かりませんけど、今日は着いたばかりなんでしょう」
「まあ、そうだな」
「なら、あまりじろじろ見ない方がいいですよ」
配膳係は皿を重ねながら言った。
「食事の味が迷子になるかもしれませんし」
男たちはぽかんとした。
「味が?」
「さあ。本人がそう言ってました」
少しの間のあと、誰かが笑った。
「変な子だな」
「でも、疲れているなら静かにしてやるか」
「そうだな」
その場の噂は、少しだけ柔らかくなった。
◇
浄化師団の控室では、若い浄化師たちがリーネの周りに集まっていた。
「どうでした、蒼銀の子」
「強かったですか?」
「やっぱり特別な感じでした?」
リーネは茶を一口飲み、静かに言った。
「見習いの子でした」
若い浄化師たちは顔を見合わせる。
「それは、まあ」
「そうなんですけど」
「蒼銀は?」
「澄んでいました」
その言葉に、控室が少しざわめく。
「やっぱり」
「見てみたかったな」
「どのくらいの光量でした?」
「手のひらだけ」
リーネは少し強めに言った。
「今日は手のひらだけです」
その場が静かになる。
「本人がそう認識することで安定していました。だから、今後もそれ以上を求めるべきではありません」
「でも、いずれは訓練するんですよね」
「いずれは、本人の体調と意思を見て」
「意思、ですか」
若い浄化師の一人が少し不思議そうに言った。
リーネはその子を見る。
「あなたは、力を使う時に自分の意思を無視されたい?」
「いえ」
「なら、同じことよ」
「でも、蒼銀は王都でも貴重ですし」
「貴重だから、本人を削っていいわけではないわ」
控室は静かになった。
リーネは少しだけ表情を緩める。
「それに、面白い子だったわ」
「面白い?」
「自分の光に営業範囲を設定していたわ」
「営業範囲?」
「手のひら限定、ですって」
若い浄化師たちは一瞬黙り、それから笑った。
リーネも少しだけ笑う。
「そういう軽口を言える子よ。だから、蒼銀という名前だけで見ないであげて」
それは命令ではなかった。
けれど、若い浄化師たちは素直に頷いた。
◇
同じ頃、王都の別の場所では、別の反応もあった。
古い石造りの屋敷。
その奥の書斎で、ひとりの男が報告書の写しを読んでいた。
「蒼銀、か」
男の指が、紙の上をゆっくり滑る。
『色調澄明』
『外郭結界への反応あり』
『発現範囲、手のひら上に限定』
『本人、名前の扱いに慎重』
男は最後の一文で、わずかに笑った。
「名前に慎重」
机の上には、いくつかの古い資料が置かれている。
蒼銀に関する断片的な記録。
古い浄化師の系譜。
封印術と名前の関係。
そして、髪や血に宿る力についての古びた論文。
男は窓の外を見た。
王都の結界が、夜の空に薄く光っている。
「手のひらだけ、か」
その声には、興味があった。
純粋な学術的興味。
そう呼べば、聞こえはいい。
だが、興味というものは時々、人の輪郭を薄くする。
男は報告書を丁寧に畳んだ。
「いずれ、もう少し詳しく知りたいものだ」
その呟きは、誰にも聞かれなかった。
◇
クラウスは夜遅くまで書類を確認していた。
照会への返答。
浄化師団への共有。
警備担当への申し送り。
水鏡の祠に関する巡回依頼。
そして、ルシェル・ノア本人に関する扱い。
彼は最後の書類に、いくつかの注意事項を記した。
『本人は到着直後であり、疲労が見られる』
『名前への反応について、道中の異常事象後であるため配慮する』
『蒼銀発現確認は手のひら上のみで終了』
『追加確認を行う場合、事前説明および本人同意を必要とする』
『本人私物への接触不要』
『同行護衛三名の同席を基本とする』
最後の一文を書く時、少し考えた。
同行護衛三名。
レオン。
セレス。
ガルド。
彼らはまだ、ルシェルと長い関係ではない。
けれど、今日の確認中、ルシェルは何度か彼らの声や位置で安定していた。
それは記録しておくべきだった。
クラウスは追記する。
『本人、同行者の声かけにより発現安定を確認』
そして、さらに一文。
『本人の軽口は、混乱ではなく緊張緩和の可能性あり』
書いてから、少しだけ筆を止めた。
書類としては珍しい文だ。
だが、消さなかった。
あの少女は、妙な言い回しをする。
営業範囲。
仮採用。
味が迷子。
それらを、ただの混乱として片づければ、本人の調子を見誤るかもしれない。
クラウスは砂を振り、インクを乾かした。
「蒼銀、か」
小さく呟く。
王都は、その色に何度も期待してきた。
期待は必要だ。
希望にもなる。
だが、期待は時に、人を役割へ押し込む。
だから、書類の最初には何度でも書く必要がある。
ルシェル・ノア。
十五歳。
見習い浄化師。
蒼銀ではなく、まずその名前を。
◇
その夜、王都の結界は静かに光っていた。
大きな力。
大きな街。
大きな期待。
その中の小さな部屋で、ルシェル・ノアは眠っている。
枕元には、灰青色の小さな石。
王都の誰も、まだ知らない。
その石が、どんな意味を持つことになるのか。
蒼銀の光を見る者たちは多い。
けれど、ルシェルが何を握って眠っているかまで見る者は、まだ少なかった。