先生がいなくなって四年   作:kayanoki

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時檻

「本日、八月三十日のニュースですが──」

「さて、本日八月三十日の天気ですが──」

「八月三十日と言えばですね。私の出身地ではこんなお祭りが──」

 手に持ったトーストが床に落ちた。

 あまりの驚きで足に力が入らなくなり、倒れるように椅子に座り込んだ。

 予知夢の日から一日は経った。

 確実に経ったはずなのに……朝を迎えたこの時、確信した。

 僕は、三度目の八月三十日にいる。

 夢なんかじゃない。

 整理しきれていない頭で、必死に考える。

 八月三十日が繰り返されている。

 明日が、やってこない。

 世界が明日を拒絶している。

 そんなことを考えながら、学校に行く支度を整える。

 世界が本当に八月三十日を繰り返しているのか。

 今日という日が、寸分違わず昨日と同じなのか確かめなければならない。

 

 

 

 通学路。

 昨日と全く同じ顔触れが全く同じ仕草で歩き、全く同じ会話している。

 予知夢のことが気になって、昨日は道行く人の行動を確認していたからこそ分かる。

 間違いなく、少なくともこの街の人々は昨日と全く同じ一日を繰り返している。

 そして、恐らく今日が三度目の八月三十日だということには誰も気づいていないだろう。

 

 

 

 学校。

 昨日経験したことと全く同じ授業の時間。

 教室の話題も、全て同じもの。

 先生から問題で指名されるタイミングまで一緒だった。

 昨日、一昨日とその問題を解くように指されてきた僕は、超難問であるらしいというその問題をスラスラと答え、クラス中を驚かせた。

 ……いったい、何が起きてるんだ。

 昨日と同じように、今にも降り出しそうな灰色の雲を見上げて、僕は不安を感じざるを得なかった。

 

 

 

 昼休み。

 やはり昨日と同じようにひどい雨が降っている。

 これで三度目。

 世界は寸分の狂いもなく、八月三十日を繰り返している。

 この事実に気付いているのは僕だけなのだろうか。

 ……いや、狂いならあった。

 昨日、シャーレのみんなは最初の八月三十日とは違うことをしていた。

 さすがに八月三十日が繰り返されているなんてことを話す気にはなれないが。

 みんなに会えば、僕が今置かれている状況も少しははっきりするかもしれない。

 そう思って、僕は教室を出た。

 

 

 

「なんでクラスにいないんだ!」

 事務室がある階までエレベーターで上がった僕は、廊下を全速力で走っていた。

 一刻も早く、みんなに会いたい。

 つまるところ、僕はただ単純に不安で不安でしょうがないのだろう。

 カードをかざしてドアを開け、事務室の中に転がり込む。

「……誰もいねえ……」

 イブキやケイに加えて、和泉元先輩や明星先輩。それに先生も。

 雨の音に部屋全体が包まれている。

 イブキとケイがクラスにいないのなら、ここにいるはずだと思っていたが誰もいない。

 最初の八月三十日はみんな揃っていてドア越しからも賑やかな声が聞こえたのに。

 世界がどこまで八月三十日を忠実に再現しているのか、どうしてこの事務室の様子だけ他と違うんだろうとか、そういうことを考える余裕もなくなって。

 ただ、ここにみんながいないという事実が僕の孤独な気持ちを煽った。

「ただの偶然だよな……」

 そう呟いてはみたものの、不安は大きくなっていくばかりだった。

 身体が震えを起こす。

 きっとこれは、雨で下がった気温のせいばかりではないだろうな。

「誰かと話ができれば……」

 女々しい気持ちを隠そうともせず、そう呟いた。

 夢の中では賑やかだった事務室も、今はただ雨音に満ちている。

 もう戻ろうかと考えたその時──。

 事務室の扉が開いて、イブキが入ってきた。

「あれ、先輩! どうかしたの!?」

「お、おはよう。イブキ……」

「うん、おはよー! ……じゃなくて! ちょっと濡れてるけど……もしかしてお外出てたの?」

「あぁ……雨にちょっとだけ打たれてさ」

 嘘だ。

 強がりか照れ隠しか、ほぼ反射的にそう返す。

 というか、雨に濡れてないなら汗だろうけど、そこまで濡れてるか?

「そのままだと風邪ひいちゃうよ? ちょっと待っててね!」

 イブキは即座にロッカーを開け、タオルを用意してくれた。

「貸してくれるのか?」

「うんっ、もちろん! こんなこともあろうかと〜、みんなのために用意してたタオルなんだー!」

「準備がいいなあ、イブキは」

 頭をなでてあげる。

「えへへ~……あ! そんなことより身体をふかないと!」

「あぁ、そうだな。じゃあタオル渡してくれ」

 しかし、イブキはタオルをこちらに差し出さなかった。

「……イブキ?」

「なでてくれたお礼に、私がが拭いてあげるね! このイスに座って!」

「いや、いいよ。自分で拭くから」

「遠慮しないでいいのに……あれ? なんで顔、赤くなってるの? もしかして、熱が……!」

「いやいやいや、そうじゃない。ただ……女の子にここまでされると、さすがに……」

「さすがに?」

「……なんでもない」

 イブキ相手になにを恥ずかしがってるんだ、僕は。

 結局、タオルを渡してもらって自分で拭いた。

 ちなみにイブキは授業が早めに終わったらしく、そのまま事務室に来たらしい。

 飛び級で卒業してるのに、なぜまだ授業を受けているかは分からないけど。

 談笑をしながら身体を拭き終えた僕は、イブキにコーヒーを用意する。

 ふと会話が途切れた時。

 雨の音が部屋を満たす。

 イブキはぼんやりと僕を見つめる。

「どうかしたか、イブキ」

「えーとね……窓ぎわに座る先輩と、窓の向こうの雨って、なんていうか……絵になるなーって思って」

 ……絵になるって。

 そんなに映りがよく見えたのだろうか。

「それに、先輩だと一層輝いて見えたよ!」

「それはない」

 速攻で否定する。

「えー、そんなことないよ!」

「……わかったよ。その誉め言葉、ありがたく頂戴いたします」

 ここまで明るく言われると引き下がるのも無理はないだろう。

「……でも、私。この事務室の雰囲気、大好き。窓からの景色、事務室内の空気、そしてみんな……」

「ああ、僕も好きだよ」

「本当に明日、無くなっちゃうのかな……」

 物憂げな表情を浮かべるイブキ。

 ……やっぱりイブキも、同じ気持ちだったんだな。

「まあ、逆に言えば無くなるのはシャーレだけだしな」

「え……あ、そうだよね! シャーレがなくなってもイブ……私は平気だよ!」

 うんうん、その意気だぞ。イブキ。

 下手くそなりに励ました甲斐が──。

「だって先輩はこんなにすごい人だし!」

 なかったみたいだ。

 この子はどうも、僕を過大評価しているらしい。

 けれど、そう言うイブキの表情はどこか優しく、なんだかとても大人っぽく見えた。

 

 

 

 それからしばらくして、雨が止んだころ。

 事務室にみんなが集まってきた。

 各々エンジェル24で買ってきた総菜パンやお弁当を食べながら談笑し始める。

 僕はと言えば──。

「……まさか、弁当も財布も忘れるなんてな」

 繰り返す八月三十日に気を取られて、お昼ご飯のことをすっかり失念していた。

「先輩……お弁当忘れちゃったの? 私の食べる?」

「いや、いいよ。イブキのお弁当ったって、その量をもらうのはちょっと」

「なら、私のを少し食べる?」

 和泉元先輩がガサゴソとビニール袋からパンを差し出してくる。

「いいんですか、先輩」

「えー! コンビニのパンよりイブキのお弁当食べようよ!」

「相変わらず元気だね~。ただ、おじさん的にはもう少し静かにしてくれると助かるかな。騒がしい男は嫌われちゃうよ~」

「僕はうるさくしてません!」

 とんだとばっちりだ。

 この会話で僕だけ非難されるのはどう考えてもおかしい。

「先生の意見に同意です。最低ですよ、先輩」

「うるさいな、ケイ。君の意見は聞いてない」

 そんな言い合いの中、明星先輩が突然声をあげる。

「良いことを思いつきました」

 その一言に僕とイブキを除く全員がため息をついた。

「……あの、何を思いついたんですか?」

 全員が思っているであろうことを代表して質問する。

「明日の朝は早めに来て事務室の掃除をすることになっていたと思います。しかし、天気予報では降水確率が0%ではありませんでした」

 そりゃそうだ。

 降水確率0%でも雨は降るときは降る。昼の夕立みたいに。

 まあ、それも明日が来ればの話だが。

「そこでです。みなさん、よく聞いてください」

 全員があらためて耳を傾ける。

「明日、私が【キヴォトスの清楚な高嶺の花であり、みなさんの憧れである全知の学位を持つ眉目秀麗な乙女である明星ヒマリの元に集ってください】というメッセージを送ったときにだけ、事務室に集まることにします。いいですね?」

 ……? 

 みんなの頭に疑問符が浮かぶ。

「異議がある人は挙手をお願いします」

 そして、僕を除く全員が手を挙げた。

「な、なんですか。一斉に挙手するものですから、びっくりしたではありませんか」

「どういう意図があるか分かりませんけど、その文面は不快なのでやめてください」

「なぜですか? 純然たる事実だと思いますが」

 一斉に巻き起こるブーイングをまとめたのは、和泉元先輩の提案だ。

「メッセージが来たらすぐ消せばいいだけだよ」

 その一言にみんなは納得したようだ。

 明星先輩は終始納得いっていないような顔をしていたが、気を取り直して言葉を続ける。

「そうそう。言い忘れてましたが、私はこれにて失礼します」

「え……? どうして急に」

 わざわざここに来ているのに。

「少し調べなくてはいけない事象がありまして。申し訳ありませんが、これは決定事項です」

「でも……その、今日でシャーレは最後の日なんですよ」

 僕は必死に訴えかける。

 もしも明日が来ていない今、明日が来たら……明星先輩がいない最後の日なんて考えたくない。

「お気持ちは嬉しいのですが……申し訳ありません。しかしその分、明日の朝は〈全知〉の名に恥じぬ最高の催し物を提供すると約束しましょう」

「ヒマリの提案する、最高の催し物ですか……」

「おじさん、今からおなか痛くなってきた」

「まあまあ……」

「でも、そういうことならこの後の予定が無くなっちゃったね。それならイブキ、一緒に遊びにでも行く?」

「エイミ先輩とお出かけ!? 楽しみ~!」

「イブキは本当に可愛いね」

 和泉元先輩がイブキを撫でる。

「じゃあ、おじさんは物置の片づけをしようかな~」

 シャーレのオフィスがあるこの建物自体、老朽化に従って解体工事が決定している。

 物置は先進的な建物と相対的に少し古びた、けれどどこか不思議な雰囲気を気に入っていた僕としては、結構悲しいことだったりするけれども。

 まあ、仕方ないと、諦めるしかない。

「あ、ケイちゃん。人手が欲しいから手伝ってほしいな」

「……私は小説を読みたいです」

「暇ってことでおっけー。頼りにしてるよケイちゃん」

「……はぁ、仕方ないですね」

 どこか不機嫌な、しかし受け入れているケイを尻目に。

「……これではっきりしますね」

 明星先輩が小さく、そう呟いた。

「あの……」

「は、はい。なんでしょうか、城崎くん」

「いや、明星先輩はなにをするのかなって気になって……なんですか、そんなにびっくりすることでもないでしょう」

「突然声をかけられたらびっくりします。いくら天才美少女ハッカーと言っても、そういう事態には弱いんです。乙女なのですから」

 はいはい。

「……なんですか、その目は」

「いえ、なにも。それで先輩はどうするんですか?」

「私はさっきも言った通り、調べる事象があるんです。対象は秘密です」

「……そうですか」

 恐らくクラフトチェンバーだろうが、ここまで堂々と秘密にされたら聞くに聞けない。

 そして、いつものように。

 みんなと過ごす賑やかな時間を過ごしていくうちに。

 少し気持ちが軽くなっているような気がした。

 

 

 

(*)

 

 

 

 結局、その日もシャーレ以外、前回の八月三十日と全く同じように過ぎていった。

 同じ授業内容。

 同じ問題に同じ回答。

 近くで話す人たちの雑談まで記憶の通りだった。

 本当に、いったい何が起きているのだろう。

 そんなことを考えている内に授業が終わり、放課後。

 誰もいなくなった教室に、ひとり残る。

 クラスにいる人たちは我先にと帰宅していく。

 きっと、部活や遊びに忙しいんだろう。

 窓の外では、運動部の掛け声やセミの声が響き渡っている。

 そういう僕と言えば……正直、暇すぎて困っていた。

 少しだけ読書をしていたつもりだったが、時刻はすでに夕方頃。

 シャーレ以外の部活やボランティアに所属していない身からすると、シャーレの業務が無い以上やることがない。

 家に早く帰る気にもなれない。

 シャーレが無くなれば、毎日こんな気持ちになるんだろうか。

 そんなことを考えて気持ちが暗くなる。

「どうすっかな……」

 

 

 

 そう呟いてから、なんとなく事務室の前までやってきた。

 どうせ誰もいないだろうが。

 少しでも事務室での時間を過ごそうと思い至った。

「ま……読書でもして、いい頃合いで帰るか」

 扉を開けようと手を掛けて──。

「王手!」

 事務室内からの大きな声に、思わず扉にかけた手を離す。

「今の声……イブキ?」

 恐る恐る、事務室の中に入ってみる。

「これでどうかな、エイミ先輩!」

 将棋盤を挟んで、少女二人が対面している。

 どっちが優勢か分からないが、余裕そうな表情のイブキ。

 そして、盤面を見て首を傾げる和泉元先輩。

 ……和泉元先輩、不利なんだな。

 そう思った次の瞬間、無言で駒を動かし──。

 その一手にイブキの表情が凍った。

「防がれた……なら、こっち!」

 イブキがノータイムで力強く、将棋盤の駒を移動させる。

 しかし、和泉元先輩の表情は揺るがない。

 パチリ、と。

「イブキ。これ、王手」

「えっ……じゃあ、逃げなきゃ!」

 イブキの一手に対し、今度はノータイムで和泉元先輩が駒を移動させる。

「ごめんね、これで詰みだよ」

 イブキが硬直した後……。

 へなへなとその場に崩れ落ちた。

「参りました……」

「イブキ相手に容赦ないんですね、和泉元先輩」

 そう声をかけた瞬間──。

「えっ、先輩!? ど、どうして!?」

「どうしてもなにも……なんでそんなにショックを受けてるんだ?」

「だ、だって……イブキが負けたところを、将棋とはいえ先輩に知られたら……先輩の中の、完璧な女性のイメージ像が崩れてしまうかも、って……」

「あの……イブキ? 僕、そんなにイブキに対して完璧なイメージなんて持ってないぞ……?」

 励ますつもりでそう言ったのだが──。

 なぜか、イブキの表情が曇っていく。

「えーっと……城崎……」

「どうしたんですか、和泉元先輩」

「あ、あのっ。イブ……私、ちょっと先に帰るね!」

 そういうと、イブキはカバンを背負い、一目散に事務室を出て行った。

「イ、イブキ!?」

 ……行って……しまった……。

「すみません、和泉元先輩。僕、追いかけて──」

「ちょっと待って」

「なんですか……?」

「えっと……イブキは、そっとしておいた方が良いと思う」

「え? でも……」

 慌ただしい様子だったし、気になるというか。

「イブキは計算高い子だから。あぁやって気を引こうとするところがある。気付いてない?」

「いやいや、先輩。イブキみたいな子に限ってそんなこと――」

「あるよ」

 えらい食い気味だな。

「きっと明日になったらいつも通りだよ」

「そうですかね……」

 ちょっと納得いかない部分はあるが、和泉元先輩が嘘を言うとも思えない。

 どうしようか迷っていると、先輩が対面の椅子を指さした。

「……なんですか?」

「一局、やろうよ」

「将棋をですか? ルールは知ってるってレベルなんですけど」

「十分だよ。じゃあ、そっちに座って」

 それからしばらく、和泉元先輩と将棋をした。

 その間、事務室で解散した後の話をしてくれた。

 イブキと一緒にエンジェル24に行き、この将棋セットが目に入ったこと。

 やってみたい、というイブキのために買ってあげたこと。

 そして、事務室に戻ってきて一緒にやっていたこと。

 そんな他愛もない話を和泉元先輩は楽しそうに話してくれた。

 ……しかし、その楽しい時間が過ぎるのは早いもので。

 パチパチと駒を動かしているうちに、時間は飛ぶように過ぎていく。

 和泉元先輩には感謝しないとな。

 おかげで読書で時間を潰さなくてすんだ。

 ちなみに、将棋は全部負けた。

 

 

 

(*)

 

 

 

 深夜──。

 僕はひとり、ベッドに横になって目覚まし時計を見つめる。

 現在、二三時五五分。

 もうすぐ、今日が終わる。

 本当に明日が来るかは分からない。

 今夜は日が変わる瞬間を見届けようと覚悟を決めていた。

 眠っている間に八月三十日になるのなら、起きていれば明日が来るかもしれない。そう考えたのだ。

 現在、二三時五八分。

 もうすぐ、明日だ。

 周囲には何かが起きる様子はない。

 この不思議な現象も、今回で三度目だ。もしかしたら、終わるかもしれない。

 ほっとする反面、残念でもある。

 シャーレが無くなる。その事実が僕たちのこれからの人生にどう関わってくるのだろう。

 正直、怖い。

 現在、二三時五九分。

 秒針がカチッカチッと音をたてながら、長針がゆっくりと一二の数字に移動しようとしている。

 そして長針が一二の真ん中に止まり──。

 明日がやって

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