「え……」
目を開けると、朝になっていた。
眠った記憶はない。
瞬きさえしていなかった。
被っていなかったはずのタオルケットを被っている。
手に持っていたはずの目覚まし時計は、枕元に置いてあった。
「どうなっているんだ……?」
一瞬で、時間が飛んだ?
心臓の鼓動がどんどん早くなっていくのを感じる。
息も浅い。
じっとりと、嫌な汗をかいている。
一体、何が起きているんだ。この世界は。
「……そうだ、テレビで日付を確認しよう」
着た覚えのないパジャマのまま、僕はリビングへ向かった。
テーブルの上にあるサラダ。目玉焼き。スープ。
昨日と全く同じメニュー。
大急ぎでリモコンを手に取り、テレビのスイッチを点けた。
「本日、八月三十日のニュースですが──」
「嘘だ……」
「さて、本日八月三十日の天気ですが──」
「そんな……! そんな馬鹿な……!」
「八月三十日と言えばですね。私の出身地ではこんなお祭りが──」
手に取ったリモコンが床に落ち、思いのほか大きな音をたてる。
間違いない。
僕は今、四度目の八月三十日にいる。
「なんで……なんでだよ! 何がどうなってるんだよ!」
僕一人が八月三十日を繰り返しているのだろうか。
そう考えると、途方もない孤独感が身体にのしかかってきた。
呆然として、椅子に座ったとき──。
自分の部屋からスマートフォンの着信音が聞こえた。
……前回までの八月三十日にはなかった出来事だ。
大急ぎで自室へ向かう。
急いでスマートフォンの画面を点ける。
「先輩からメッセージ……?」
ロックを開け、モモトークを開く。
そこには、明星先輩から一言。
【キヴォトスの清楚な高嶺の花であり、みなさんの憧れである全知の学位を持つ眉目秀麗な乙女である明星ヒマリの元に集ってください】
長ったらしい文章の意味が一瞬分からず、窓の外を見つめて──。
すぐにその意味に気が付いた。
先輩の言葉を思い出す。
『明日、私が【キヴォトスの(以下省略)】というメッセージを送ったときにだけ、事務室に集まることにします。いいですね?』
そう。
前回の八月三十日で先輩は確かにこう言った。
先輩が今、このメッセージを送ってきたということは、前回の八月三十日を覚えているということになる。
つまり──。
「先輩も僕と同じように、八月三十日のループに気付いてる……!」
【詳しいことは後で話します。ちゃんと指示通りに動くこと。このことは他言無用です】
僕は大急ぎで制服に着替え、身だしなみを軽く整えて家を飛び出した。
(*)
事務室に入って誰がいるか確認する。
明星先輩とイブキ以外の全員が集まっていた。
「……みんなも、一緒だったんだな」
「はい。今朝のモモトークは一瞬なんのことかと思いましたが」
朝の僕と同じ感想を述べるケイ。
「ケイたちとは確認したんだけど……城崎も、四回目?」
「はい、そうです」
「それなら私たち、仲間だね~」
……よかった。
僕一人で、八月三十日をループしてたわけじゃないんだな。
みんな一緒だったんだ。
胸を撫でおろす。
緊張の糸が弛み、泣き出しそうになるくらい、ほっとした。
それからしばらくして、朝のホームルームが始まる鐘が鳴っても先輩とイブキは現れなかった。
一応連絡をしようと、スマートフォンを取り出したその時──。
ガラッとドアが開けられる。
「ヒマリさんっ! ヒマリさんも同じ日を……あれ、みんな!?」
事務室に駆け込んできたイブキが僕たちを見るなり、そう言ってきた。
「もしかして、先輩たちも!?」
「そうだね」
僕が言うと、イブキは明らかにほっとした様子で深々と息をつき、ドアに体重を預ける。
「よかったー……私だけかと思って今まで不安で……」
今にも泣き出しそうなイブキに、僕もだよ、と笑顔で励ます。
そしてイブキが椅子に座った瞬間、またドアが開かれた。
「みなさん揃っているようですね。ようこそ、四度目の八月三十日へ。前のループで約束した通り、〈全知〉の名に恥じぬ最高の催し物を提供しましょう」
先輩がそう言いながら入ってきた。
これでシャーレは全員集合だ。
「ねえねえ、ヒマリ先輩。もしかしてこの状況ってヒマリ先輩が作ったとかじゃないよね?」
「ふふっ、イブキは想像力が豊かですね。いくら神に等しい全知の頭脳を持つ上に眉目秀麗な私でも、所詮は人の子。時間を操ることはできませんよ」
「そっかー……ヒマリ先輩でも出来ないことがあるんだね」
イブキの誉め言葉に気を良くしたのか、ふんすと鼻を小さく鳴らし、ホワイトボードの前に移動する。
「早速ですが、本題に入りましょう。みなさんもすでにお気づきのように、この世界は八月三十日を繰り返しています。それに、今回で四度目」
「はっきり言われると、現実味無いね」
和泉元先輩が微妙な顔をする。
「そうですね……本当にどうしてこうなったんでしょう。僕たちだけ」
「どう考えてもクラフトチェンバーが原因でしょう」
「ケイがまともなこと言ってる……」
「それ、どういう意味ですか? 私が毎日変なこと言ってるって言いたいんですか?」
「落ち着いてください。今はっきりしてることは、私たちは一人じゃないということ。それだけ分かっていれば十分でしょう?」
明星先輩は、強い輝きを宿す瞳で僕たちを見渡した。
「私が今まで調査した詳細を放課後に話します」
「え? 今じゃないんですか?」
授業に出ない口実が出来ると思ったのに。
「はい。まとめる時間が必要なもので」
「じゃあ、僕らも手伝います」
「いいえ、その必要はありません。ホシノとエイミ、私の三名で行いますので」
「では、僕たちは……」
「学生の本分を果たしてきてください」
「あ、本当だね~。そこの三人、遅刻だよ?」
先生の言葉にハッとして、僕たち生徒組は慌てて教室に向かった。
繰り返す一日。
そんな異常な空間に、たった一人でいたら気が狂っていただろうけど。
……仲間がいるというだけで、こんなに安心できるとは思わなかった。
(*)
学校での出来事は、やはり今までの八月三十日と同じだった。
昨日はかなり不安な気持ちで過ごしていたが、今日は違う。
早くテスト返しが終わらないかなと、ドキドキしながら時が過ぎていくのをひたすら待ち続け。
そして、放課後。
なにかが変わっていく予感を覚えながら、僕は事務室へと向かう。
ドアを開けると、事務室にはすでにみんなの姿があった。
僕が席に着くと、明星先輩は小さく咳払いをした。
そのまま、みんなを見回す。
「もうわかっていると思いますが、私が朝に出したメッセージの意味は、私たちの置かれた状況をそれぞれ計るためのものです」
明星先輩は言いながら、一人一人の顔を見渡し、上品に笑う。
「そして今、結論づけます。私たちは同じ状況にいます。私たちは一人ではありません」
力強い言葉に僕たちは頷いた。
「私はこの現象を【一日ループ】と名付けようと思います」
「へえ、部長にしてはずいぶんとシンプルだね」
和泉元先輩が若干驚きつつ、そう返す。
「今この状況は緊急事態なんですよ、エイミ。ふざけている場合ではありません」
「……正論だけど、納得いかない」
伏し目がちに口をとがらせる和泉元先輩だが、これ以上は反論が無いようだ。
そして誰も何も言わず、ただ明星先輩の言葉の続きを待つ。
「簡単に状況を整理しましょう。まず、前提として一日ループは今日で終わるかもしれないということ。それとは逆に、永遠に終わらない可能性もあるということ。私たちは……いえ、この世界全てが八月三十日に閉じ込められていて、調べた限りではこの事実に気付いているのは私たちだけだと思われます」
今までの不安な気分はもうない。
「クラフトチェンバーの発光との関連性は分かりませんが、恐らく関係があるということ。加えて時間の繰り返しに気付いているのは私たちだけ。ループ前の物理現象は全て元に戻る。わかっていることはこれだけ。しかも全て疑問符付き。そして──」
なにかが始まる直前の、少しの緊張と非日常への好奇心。
「シャーレの実質的な解散は八月三十日。つまり、八月三十日が来るまでは私たちの活動は続きます。これから私たちは、明日を取り戻すためにこの問題に取り組むことになるでしょう」
明星先輩がきらきらと輝く目でみんなを見つめ、宣言した。
「よく聞いてください。今から私たちは全力を挙げて【一日ループ】を調査します」
事務室中に響く、明星先輩の宣誓。
とても重要な何かが始まったことを告げるように。
「喜び合いましょう、みなさん。シャーレの活動はまだ終わりません。そして……私、明星ヒマリは現刻をもって特異現象捜査部の再発足を宣言します」
拍手と喝采が一斉に上がる。
みんな笑っている。
僕も当然、笑顔だった。
それからはもう、興奮冷めやらぬ中で意見交換会が行われた。
ここ数日間に起きた出来事。
自分たちの置かれた状況があまりにも日常とかけ離れていたために、みんな何も言えないでいたらしい。
それは僕も同じだったので、よくわかる。
でも、今はもう不安なんてない。
だって、みんながいるから。
そして何より……。
みんなと一緒に、ここで同じ時間を共有できているということが嬉しくて仕方がなかった。
そう。
この時の僕は、恐らくこの状況を歓迎さえしていた。
これは、クラフトチェンバーの美しい光がもたらしてくれた奇跡……というのが相応しいのだろう。
……神の祝福だと、本気で思っていた。
(*)
八月三十日は見事な夕暮れが長く続いた。
それは、四回目の八月三十日でも変わらない。
グラウンドはとても綺麗な夕暮れ色に染まっている。
考え方次第だとは思うが、雨が降った後に海から吹いてくる風はとても涼やかで……気持ちいいと感じる。
先生は寄るところがあるからと、一足先に行ってしまったが。
シャーレのみんなと一緒の帰り道だ。
「でも安心したよ! みんなが一緒なら全然怖くないもん!」
「どうせループするなら、通り雨がない日だったら良かったんですが」
「そうでしょうか。一日中晴れの日にループしてたら、雨を永遠に見ることがなくなっていたかもしれないんですよ」
ケイの言葉に、明星部長が楽しそうに返した。
……自然と部長呼びになったが、和泉元先輩が元々呼んでいたのと、特異現象捜査部になった今、こう呼ぶのがいやにしっくりきた。
「そんな不吉なこと言わないでください……それも、そんなに楽しそうに」
「僕は部長に賛成かな。雨は嫌いじゃないし、夕方はこうして涼しいし」
「私もそう思う! えいっ!」
パシャリと水たまりに飛んで、その水が和泉元先輩にかかった。
「……イブキ?」
「うわっ、ごめんなさい。エイミ先輩!」
「まあ濡れたのはソックスだけだし、大丈夫だよ。次からは気を付けてね」
なんか姉妹みたいだな、と思って二人の絡みを眺める。
すると、横からケイが袖を掴んで気を引いてきた。
「……ケイ?」
「あの……ひとつ、聞いてもいいですか?」
ケイが僕を見て尋ねる。
「なんだよ、改まって」
「先輩はこのループ、続いた方がいいですか? それとも、早く終わってほしいですか?」
「そうだなー……」
即答はできず、僕は少しの間悩んだ。
「やっぱり、早く終わってほしいかな」
もう少し続いたらいいという気持ちを押し込めて、僕は言った。
「先輩も私と一緒だね! 相性が良いのかな……なーんて」
「ははっ、そうかもしれないな」
「あら。それなら私とも同じですね。さすがはシャーレの黒一点。明日からはループ解明のためにバリバリと働いてもらいますからね」
イブキと部長がそれぞれ僕の手を握る。
「いや、まあ、その……なんていうか」
どう反応したらいいものか。完全に勢いに押されてしまっている。
「元気ですね、本当に。永遠にこのままかもしれないのに……」
「まあまあ、ケイ。言ってることは正しいんだし」
そんな風に会話しながら、みんなと歩く。
僕はひとり、心の片隅で考えていた。
この異常な状況は気味が悪いが──。
その一方で、歓迎している自分もいた。
少なくとも、ループが続いている間は、こんな毎日が続いていくんだ。
それなら、同じ一日であっても悪いことばかりではないのかもしれない。
そんなことを考えていた。
(*)
校門でみんなと別れる。
いつもなら家に帰りたくないがために、色々と寄り道をして帰るところだが。
今日はどうしようか。
……とりあえず、自分なりに状況を改めて整理しよう。
明日から、みんなで調査が始まるんだ。
おおまかな流れは、部会でなにをするかを決めて、みんなで色々な研究をしてみようということになっている。
さっきまでのことを考えると、感じたことのない高揚感が身体の内側から上ってきて、いてもたってもいられない。そんな気持ちになった。
少し歩いて、人のいない公園で僕はぼんやりと夕焼けを見つめていた。
燃えるような赤い空。
どこまでも続いていくような遥かな地平線を朱に染まった雲がゆっくりと向かっていく。
ああ、また始まるんだなと、そんな言葉が頭に浮かぶ。
わけもわからず、泣き出したくなる。
僕たちが過ごした、長い長い夏の一日が本当に始まったのは、この時だったのだろう。
空が暗くなるまで、僕はその黄昏時をじっと見守り続けた。
永遠に続くかもしれない、夏の一日の物語は──。
こうして静かに、始まりを告げた。