僕の物心が着く頃には、僕が村一番の虐められっ子だった。
僕や家族が村八分ということはなかったけれど、
僕の毎日は年の近い子達に蹴られ殴られ叩かれてが日常だった。
中には傷の手当てをしてくれる子達も居たけれど、それはそれとしてその日常が変わることはなかった。
僕だって痛いのは嫌いだ。同じくらい痛い思いをしたらやめてくれると思ったりもしたんだ。
だから始めの頃は、思いっきりやり返してやった。
するとどうだろう。倍になって返ってくるじゃないか。
そもそも最初から多勢に無勢。孤立無援で孤軍奮闘、四面楚歌。
残念ながら僕の側に着いてくれた子は居なかった。
その日は迷わず、村の牧師様のところに寄ってから家に帰った。
魔法って便利だよね。余程の怪我じゃなければ直ぐに治る。
今でも思い出す。その日の帰りに見た牧師様の顔は、物凄く疲労の色が出ていた。
いつからか木の棒で叩かれることも増えた。
流石にその子達も素手相手には気が引けたのか一応、僕にも木の棒を持たせてはくれた。
避けることと受けることは許されたけれど、殴り返すのを許されることは最後までなかった。
いや、一度だけあった。僕の記憶が正しければ木の棒を持たせて貰ったその日だけはやり返した。
その時はお互いの木の棒が折れて砕け散るまでやった。ちなみにその時も僕は一人だった。
なんならその日は倍の倍になって返ってきた。勿論その日も牧師様のところに寄ってから家に帰った。
今でも覚えてる。顔は笑っているのに目は笑っていなかった。その日からしばらくの間は夢の中でも牧師様と会っていた。
そう言えば、その子達は村の警邏隊になるんだとか。冒険者になるんだとか。勇者になるんだとか色々言っていた。他には、領内の騎士隊に入るとか王国の騎士隊に入るんだとか言っていた。
皆、僕より少し歳上だったから殆どの人は村を出ていった。何人かは実際に村の警邏隊をやっている。
少し下の子達も今では僕を叩いて、殴って、蹴って同じことを言っている。
そもそも同じ年、その前後二年に生まれた子は居なくて僕一人だった。
流石に年下の子を叩いたりするのは気が引けた。僕がやり返すことはなかった。
あくまでも受け方を覚えられる程度の力と速さで打ち返してやるくらいだった。
そんな僕は今日。この村を出て冒険者になる。小さな村の次男や三男なんてそんなものだ。
一番上の兄さんは家を継いだ。二番目の兄さんは領主様のところの騎士隊へ。
一番上の姉さんは村の警邏隊の人の奥さんに。二番目の姉さんは村を出て嫁いで行った。
そして僕より下の弟妹は今日も花丸笑顔で元気一杯だ。
僕は冒険者になるからと餞別にと父に渡されたモノ。金属の棒。
父曰く、父の家系の誰かが鍛冶師をやっていたらしくその人が打ったモノらしい。
代々、庭で物干し竿になってきた年代モノだ。反りはない、黒く、長く、固く、堅く、硬い。
しかし、錆び付いてすらいない。不思議な棒。
父が言うには母曰く、干した物に跡がついて使いづらいから何とかして。
結果、僕のもとにこの棒が。我が家には木製の丸い物干し竿が。
僕と一緒に厄介払い。両親にそんなつもりは無いだろう。
村を出ると話してから村を出る日まで父は酒場には出掛けなかった。
村を出ると母に話すと村で仕事を探さないかと言われた。
村を出るその日。その日は珍しく二人とも涙を流していた。
二人とも僕を抱きしめて涙を流していた。兄や姉が村を出る時もそうだった。
村を出た後も村の方を振り返るといつまでもそこに両親が立っていた。兄や姉が村を出る時もそうだった。
そんな痛みと思い出を。傷が絶えない生活を少なくとも十五年以上。
いつしか僕は避けること、受けて、流して、捌くことが得意になっていた。
その両腕に籠手を。その両足に脛当てを。そしてその手に物干し竿を。
村を出てから十日と八日。ようやく目的の街。目的の場所へ。
今、両開きの扉を開く。
そして今日。僕は、冒険者になった。
だってアイツ、オカシイよ。
あいつが殴って来たの避けたら、避けたとこの地面少し陥没してんだもん。