魔女が秘密にした男   作:ケン3ヴァルデン

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第9話 常識の外側

第9話 常識の変化

 

 

拠点の発見は調査隊の空気を一変させた。

 

もはや噂話ではない。

確実に何者かが存在する。

 

それも長期間。

この恐ろしい森の中で生活している。

 

その事実だけでも十分な成果だった。

隊長格の冒険者はすぐに指示を出す。

 

「二手に分かれる」

 

誰も異論を挟まない。

当然の判断だった。

 

「一組は周辺の探索だ。生活圏を調べろ。他の拠点があるかもしれん」

「もう一組はここを調査する」

「余計な事はしない、勝手に持ち出すな」

 

冒険者たちは頷く。

そして隊は二つに分かれた。

 

周辺探索班。

 

拠点調査班。

 

ジーナは迷わず後者を選んだ。

 

正体不明の人物を探すことにも興味はある。

今の彼女の好奇心は別の方向へ向いていた。

 

この場所そのものだった。

 

人が生きるための知恵。

そして積み上げられた知識。

 

それらが彼女の心を強く惹きつけていた。

 

「これは……」

 

ジーナは一つの容器を手に取る。

 

乾燥させた植物。

砕かれた粉末。

樹液らしきもの。

 

見たことのない配合。

 

薬学の知識があるからこそ分かる。

 

意味はある。

 

適当に混ぜたものではない。

何らかの意図がある。

 

だが用途が分からない。

 

「傷薬かしら……?」

 

「かもしれない」

 

隣の冒険者が答える。

 

「でも試す気にはなれんな」

 

その言葉に皆が苦笑する。

 

全くその通りだった。

理屈は分かる。

効果も予想できる。

だが実際に身体へ使う勇気はない。

 

森の正体不明人物が作った薬だ。

 

毒かもしれない。

幻覚を見るかもしれない。

楽園の実が使われている可能性だってある。

 

慎重になるのは当然だった。

 

だが誰一人として馬鹿にはしていなかった。

 

むしろ逆だった。

恐れていた。

そして同時に興奮していた。

 

理解できてしまうからだ。

 

薬草の配置。

乾燥方法。

保管方法。

分類方法。

 

どれも現在広く知られている薬学とは違う。

しかし理にかなっている。

 

偶然ではない。

試行錯誤の結果だ。

長い年月をかけて積み上げた知識だ。

 

ジーナは棚を見渡す。

 

一つ。

 

二つ。

 

三つ。

 

道具の数が異常だった。

用途別に分けられている。

改良された痕跡もある。

 

古いもの。

新しいもの。

失敗作らしきもの。

 

それらが混在している。

 

まるで王国の研究室だった。

森の中にあるはずのない研究室。

 

「これ全部……一人で?」

 

誰かが呟く。

誰も答えない。

だが否定できる者もいない。

 

静寂が落ちる。

 

その沈黙の中で。

冒険者たちは同じことを考えていた。

 

もし本当に一人だとしたら。

この人物は何者なのか。

 

何十年も積み重ねなければ辿り着けない知識がある。

 

国の学者ですら知らない知見がある。

楽園の実を利用する発想など聞いたこともない。

 

 

そしてジーナは。

 

胸の奥が熱くなるのを感じていた。

 

魔法ではない。

魔力でもない。

 

これは知識だ。

これは観察だ。

これは理解だ。

 

世界の仕組みを解き明かそうとする意思だ。

 

それは魔法使いである自分にとっても、ひどく魅力的なものだった。

 

もしこの人物が本当に存在するなら。

 

一度話してみたい。

 

何を考えているのか知りたい。

そう思わずにはいられなかった。

 

 

***

 

 

その頃。

 

少し離れた木の上。

 

青年は枝葉に身を隠しながら様子を見ていた。

 

表情は複雑だった。

 

怒りはない。

焦りもない。

 

ただ少し困っていた。

 

あそこには色々置いてある。

 

魚を捌く道具。

薬草。

乾燥肉。

保存食。

実験途中の材料。

普段使う器具。

 

失えば困る。

かなり困る。

 

だが人数が減った。

最初よりかなり減った。

 

なら問題ない。

 

夜になれば回収できる。

彼らが寝静まれば持ち出せる。

 

別の拠点へ移せばいい。

 

青年の頭の中では既にその段取りが組み上がっていた。

 

だから慌てない。

 

森では焦った者から死ぬ。

 

それを知っている。

 

青年は静かに観察を続ける。

 

奇妙な服。

金属の武器。

荷物。

歩き方。

会話。

 

全てが興味深かった。

 

長い年月、人間を見ていない。

 

だから彼らもまた観察対象だった。

 

そして青年も知らない。

 

拠点を見て興奮している魔法使いの少女が。

 

後に世界で最も長い時間を共に過ごす相手になることを。

 

ジーナも知らない。

 

今まさに自分たちを観察している森の住人が。

 

後に英雄と呼ばれる男になることを。

 

二人の距離はまだ遠い。

 

だが運命は既に交差し始めていた。

 

 

***

 

 

探索班は森の奥へ進んでいた。

 

目的は単純だ。

 

生活圏はどこまで広がっているのか。

正体不明の人物は本当に一人なのか。

 

それらを調べることだった。

 

最初は誰もが思っていた。

 

先ほどの拠点が中心なのだろうと。

あれだけの規模だ。

生活の拠点に違いない。

 

だがその考えはすぐに覆されることになる。

 

「おい……」

 

先頭を歩いていた冒険者が立ち止まる。

 

「なんだ?」

 

返事をしながら前へ出た仲間も絶句した。

 

森の中。

本来なら存在しない光景。

小さな池。

 

いや池という表現は正しくない。

 

明らかに人の手が加わっていた。

 

水が流れ込んでいる。

そして流れ出ている。

 

自然の池ではない。

作られたものだった。

 

「なんだこれは……」

 

誰かが呟く。

 

池の縁には木材が並べられている。

さらに水路のようなものが見える。

 

よく見る中空の枝。

それを繋ぎ合わせて水が引かれていた。

 

川から池へ。

池からさらに下流へ。

 

水が循環している。

 

冒険者たちは見たことがなかった。

 

こんな仕組みを。

 

魔法ではない。

魔道具でもない。

 

ただ重力と流れだけで動いている。

 

そして池の中。

 

銀色の影が走る。

 

魚だ。

 

大量の魚。

 

それも自然の川より明らかに多い。

 

「飼っているのか?」

 

「魚を……?」

 

「そんなことできるのか?」

 

理解が追いつかない。

 

魚は川にいるものだ。

そういう認識しかない。

育てるという発想自体がなかった。

 

まして森の中でなど。

誰も聞いたことがない。

 

探索班はしばらく立ち尽くしていた。

 

だが驚きは終わらない。

 

さらに進んで次の光景を目にする。

 

「……は?」

 

今度は誰も言葉を失った。

 

木々が切り開かれている。

 

広い空間。

 

そこに並ぶ植物。

 

見覚えのある実。

赤く艶やかな果実。

楽園の実。

 

一本ではない。

十本でもない。

 

数十本。

 

規則的に並んでいる。

自然ではない。

明らかに管理されていた。

 

「冗談だろ……」

 

冒険者の一人が後退る。

 

当然だった。

 

楽園の実は恐怖の象徴だ。

見つければ避ける。

 

近付かない。

それが常識。

それなのに。

 

ここには畑がある。

楽園の実の畑が。

 

まるで小麦でも育てるかのように。

果樹園のように。

 

管理されている。

 

誰もそんな発想をしたことがなかった。

 

さらに観察すると異様さが増す。

 

木の根元。

 

木枠の内側に埋められた何か。

 

荒く砕かられた魚や獣の骨。

そして臓器。

解体後の残骸。

 

養分として使われている。

 

腐敗し。

土へ還り。

植物へ栄養を与えている。

 

楽園の実を育てるために。

 

「……栽培している」

 

誰かが震える声で言う。

 

その言葉に全員が沈黙した。

 

栽培。

 

つまり偶然ではない。

必要だから育てている。

利用価値を理解している。

 

恐れていない。

 

いや恐れた上で管理している。

 

探索班は薄ら寒さを覚えた。

 

魔物より恐ろしい。

そう感じた者さえいた。

 

常識が通用しない。

 

誰も手を出さない植物。

誰も研究しない植物。

 

それを育てている。

利用している。

そして何より。

成果を出している。

 

「これ……報告したら信じてもらえるか?」

 

誰かが苦笑混じりに言う。

 

答える者はいなかった。

 

信じられるはずがない。

 

彼ら自身が信じられないのだから。

 

 

 

***

 

 

青年はその様子を眺めていた。

 

また見つかった。

 

魚池も。

果実畑も。

 

少し困る。

 

だが壊されてはいない。

 

ならいいや。

 

青年にとってはその程度だった。

 

魚池は便利だ。

毎回川で捕まえる手間が省ける。

 

果実畑も便利だ。

必要な時に楽園の実が手に入る。

 

それだけである。

 

彼は知らない。

 

今まさに冒険者たちが目にしている光景が。

 

数百年後なら当たり前になっている技術の原型だということを。

 

魚を育てること。

有毒植物を栽培すること。

廃棄物を肥料として利用すること。

 

それらは後の時代では珍しくもない。

 

だが今の時代では違う。

 

常識の外側にある発想だった。

 

そして冒険者たちは理解し始めていた。

自分たちは怪物を探しに来たのではない。

 

もっと厄介な存在を見つけてしまったのかもしれない。

 

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