魔女が秘密にした男   作:ケン3ヴァルデン

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第12話 邂逅の時、来たれり

 

 

青年の手が止まった。

 

薬草の入った袋を持ち上げたまま。

動かない。

音もない。

表情も変わらない。

 

だが身体の奥底で何かが警鐘を鳴らしていた。

 

違和感。

 

説明できない何か。

長年森で生きてきた中で培われた感覚だった。

 

獣の気配。

魔物の気配。

崖の崩落。

嵐の前兆。

 

理屈ではない。

積み重ねた経験が生み出した直感。

 

それが今全力で叫んでいる。

 

危険だ、と。

 

青年は視線を動かさない。

首も動かさない。

ただ耳を澄ませる。

 

焚き火が爆ぜる音。

風が葉を揺らす音。

眠る人間の呼吸。

 

それだけ。

 

何も変わらない。

 

だが何かがおかしい。

 

いる。

 

誰かが起きている。

 

そんな確信があった。

 

青年は静かに周囲を見回した。

 

鎧の男。

眠っている。

 

槍の男。

眠っている。

 

他の者たちも同じ。

 

誰も動いていない。

誰も起きていない。

 

それなのに嫌な感覚だけが消えない。

 

青年は迷った。

 

火を見る。

 

焚き火。

 

森で火は命だ。

目立ち、匂う。

獣を遠ざける。

 

消す訳にはいかない。

消すのなら獣避けの香も焚かないといけない。

 

今日は無理だった。

冒険者たちがいたからだ。

 

火を消せば獣が近付く。

香を焚けば冒険者たちが気付く。

 

そう考えて放置していた。

 

だが今は違う。

 

何かがいる。

それが獣より危険かもしれない。

 

青年は判断した。

 

まずい。

状況が良くない。

非常に良くない。

 

森で生きる上で大切なのは強さではない。

 

状況を悪化させないことだ。

危険を避けることだ。

 

そして今、危険は目の前にある。

 

正体は分からない。

だからこそ危険だった。

 

青年は荷物へ手を伸ばす。

 

音を立てない。

ゆっくりと。

 

必要な物だけを掴む。

残りは捨ててもいい。

 

命より重要な物はない。

 

そう考えた時だった。

 

焚き火の向こう。

 

横たわっていた少女。

彼女の指先が。

 

ほんの僅かに動いた。

本当に僅か。

 

普通なら見逃す。

 

だが青年は見た。

見逃さなかった。

 

その瞬間。

 

全てが繋がる。

 

起きている。

あの少女だ。

 

青年の背筋を冷たいものが走った。

 

眠り薬は効いた。

確かに効いた。

それなのに起きた。

 

なぜかは分からない。

だが起きている。

 

その事実だけで十分だった。

 

森では理解できないことを甘く見ない。

だから青年は即座に判断する。

 

逃げる。

戦わない。

近付かない。

 

理由は単純だ。

 

知らないから。

知らないものは危険だ。

 

青年はそうやって生き残ってきた。

 

いずれ英雄になる男とは思えない判断だった。

 

だが森で最も長く生き残った男らしい判断でもあった。

 

 

一方で眠ったふりを続けるジーナは気付いていた。

 

空気が変わったことに。

物音が止まったことに。

気配が動いたことに。

 

そして理解する。

 

――気付かれた。

 

まだ目は開けない。

 

だが胸の奥で興奮が膨らむ。

 

面白い。

本当に面白い。

 

自分はほとんど動いていない。

魔力も使っていない。

 

それなのに見破られた。

 

魔法使いでも騎士でもないはずの相手に。

 

焚き火の炎が揺れる。

森の夜風が吹く。

 

 

***

 

 

ジーナは決断した。

 

これ以上待っていても仕方がない。

相手は既に気付いている。

 

ならば先手を取る。

 

そう判断した。

 

ゆっくりと魔力を練る。

 

捕縛魔法。

殺傷力はない。

拘束し、動きを封じるための術式。

 

相手が何者であれ、まずは話を聞きたい。

 

そのための魔法だった。

 

意識を集中する。

術式が組み上がる。

 

そして、ジーナが身体を起こした瞬間だった。

 

何かが飛ぶ。

風を切る音。

 

反射的に視線を向ける。

 

木製の容器。

 

次の瞬間。

 

バシャアッ!!

 

大量の水が焚き火へ降り注いだ。

 

白い蒸気。

弾ける音。

 

そしてーー闇。

 

完全な闇だった。

 

火が消える。

森の夜が一瞬で牙を剥く。

月明かりは木々に遮られている。

 

視界はほぼゼロ。

 

「なっ――!」

 

ジーナは歯を食いしばる。

 

しまった。

 

先手を取られた。

魔法の実力ではない。

判断速度だ。

 

相手は自分が起きる可能性を考えていた。

 

そして戦う前に視界を奪った。

最も合理的な方法で。

 

その事実にジーナは舌を巻く。

 

同時に周囲から悲鳴が上がる。

 

「うわっ!?」

 

「冷たっ!!」

 

「何だ!?」

 

「敵襲か!?」

 

眠っていた冒険者たちが飛び起きる。

 

水を被った者。

混乱する者。

武器を探す者。

 

誰も状況を理解できない。

 

だがその騒ぎの中で。

ジーナは気付く。

 

音がない。

逃げる音が。

枝を踏む音も。

走る音も。

息遣いも。

 

何も。

 

普通なら逃げる。

この混乱に乗じて。

 

だが聞こえない。

 

どこにも。

 

ジーナの背筋を冷たいものが走る。

 

まだいる。

近くに。

それもかなり近くに。

この暗闇のどこかに。

 

彼女は魔力で感知を試みる。

 

だが森が邪魔をする。

 

生命が多すぎる。

 

木。

草。

虫。

動物。

 

魔力の反応が複雑すぎる。

そもそも青年には魔力は存在しないことを彼女は知らない。

 

見つからない。

 

 

 

そして青年は動いていなかった。

 

一歩も。

 

身を沈めたまま。

呼吸すら抑えながら。

 

待つ。

ただ待つ。

焦らない。

 

獣を狩る時と同じだった。

 

追いかけない。

探さない。

獲物は必ず動く。

 

人間も同じ。

 

青年は知っている。

 

動物は火を嫌う。

人間は暗闇を嫌う。

 

夜目が利かない。

不安になる。

 

だから必ず火を求める。

 

光を求める。

だから待つ。

 

誰かが火を付ける瞬間を。

 

その一瞬を。

 

火打石を打つ。

なにかで光を灯す。

松明を掲げる。

 

何でもいい。

 

その瞬間だけで十分。

そして予想通りだった。

 

「光を!」

 

誰かが叫ぶ。

 

「誰か灯りを出せ!」

 

混乱した声。

武器の音。

荷物を漁る音。

 

青年は静かに目を細める。

 

来る。

もうすぐ。

 

 

暗闇の中。

 

ジーナもまた気付いていた。

 

相手は逃げていない。

 

狩っている。

 

この状況そのものを利用している。

森の主導権を握っている。

 

自分たちではない。

相手だ。

 

その事実にジーナは悔しさを覚える。

 

同時にどうしようもなく興奮していた。

 

魔法ではない。

力でもない。

経験、知識。

環境利用。

 

その全てで上回られている。

 

人生で初めてだった。

 

ここまで翻弄されたのは。

 

そして。

 

暗闇のどこかで。

 

青年は静かに待っていた。

 

次に光が生まれる瞬間を。

 

その一瞬のためだけに。

 

 

***

 

 

「灯りを出せ!」

 

混乱の中、誰かが叫ぶ。

 

暗闇は人を不安にさせる。

まして正体不明の相手がいる状況なら尚更だった。

 

荷物を漁る音が響く。

火打石を探す者。

松明を取り出す者。

魔法で明かりを灯そうとする者。

 

誰もが視界を求めていた。

 

その時だった。

 

ジーナの眉が僅かに動く。

 

魔力を感じた。

 

ごく微量。

だが確かに存在する。

 

森の奥。

 

いや、近い。

かなり近い。

 

「待って!」

 

咄嗟に叫ぶ。

 

同時に防御魔法を展開する。

 

半透明の障壁が周囲を覆う。

 

冒険者たちは驚く。

 

「どうした!?」

 

「何が――」

 

答えは最後まで続かなかった。

 

暗闇の中。

 

小さな光が現れたからだ。

 

淡い光。

 

虫の発光にも見える。

 

弱々しい。

頼りない光。

森の中では珍しくもない。

 

誰もが反射的にそちらを見る。

 

何だ?

 

そう思った。

ただそれだけだった。

 

次の瞬間。

 

世界が白く染まる。

 

閃光。

凄まじい光だった。

 

太陽を凝縮したような。

目を焼くような白。

 

夜の森を一瞬で昼へ変えるほどの輝き。

 

「ぐあっ!!」

 

「目が!!」

 

「なっ――!?」

 

悲鳴が上がる。

 

誰も防げない。

 

暗闇に慣れた目へ。

真正面から叩き込まれる閃光。

 

瞼を閉じても遅い。

視界が真っ白になる。

涙が溢れる。

平衡感覚まで狂う。

 

冒険者たちはその場で立ち尽くした。

 

武器を構えることもできない。

 

何も見えない。

 

ただ眩しい。

 

それだけだった。

 

ジーナだけは違った。

 

防御魔法が多少光を遮った。

 

だが完全ではない。

 

視界には白い残像が焼き付いている。

 

それでも。

 

彼女は見た。

 

閃光が発生した場所を。

 

そして理解する。

 

魔法ではない。

少なくとも普通の魔法ではない。

 

術式がない。

詠唱がない。

魔力消費も極端に少ない。

 

なら何だ。

 

薬か。

道具か。

化学反応か。

 

ジーナの思考が高速で回転する。

 

そして脳裏に浮かぶ。

 

「まさか……」

 

思わず笑いそうになる。

 

あの人物がまたやった。

また常識の外側から殴ってきた。

 

 

 

 

一方。

 

青年は既に次の行動へ移っていた。

 

 

静かに。

走っていた。

 

その表情に焦りはない。

 

閃光を見たのは初めてではない。

 

何度も試した。

最初は偶然だった。

 

 

魔物である発火ネズミ。

 

掌ほどの大きさしかない魔物。

森の至る所に生息する。

 

危険度そのものは低い。

子供でも倒せる。

 

だが問題は体内に蓄えた特殊な液体だった。

 

驚いた時。

死んだ時。

強い刺激を受けた時。

火花を散らす。

 

弱い。

だが放置できない。

そんな魔物。

 

青年は長年の観察で知っていた。

 

その内蔵。

その歯や爪を砕いたもの。

ある植物の粉。

 

 

それらを手順を踏んで混ぜると強烈な光を生むことを。

 

理由は知らない。

仕組みも知らない。

 

だが使える。

 

それだけで十分だった。

 

獣は眩しさに弱い。

人間も同じ。

 

だから利用した。

 

ただそれだけ。

だがその「ただそれだけ」が。

冒険者たちを完全に無力化していた。

 

誰も見えない。

誰も追えない。

誰も反撃できない。

 

 

そしてジーナは理解し始めていた。

 

自分たちは勘違いしていたのかもしれない。

 

この人物は世界そのものを研究している。

 

植物を。

動物を。

毒を。

薬を。

魔物を。

 

誰も見向きもしないものを。

 

理解し。

利用し。

積み重ねてきた。

 

その果てにいる。

 

そして今。

 

森という舞台で。

 

自分たちは完全に相手の土俵へ引きずり込まれていた。




「発火ネズミ」

手のひらほどの大きさを持つ小型魔物。
赤茶色の毛並みを持つネズミに似た姿をしている。
人を襲うこともなく、牙や爪も脅威にならない。

しかし古くから討伐対象として知られている。

発火ネズミの腹部には特殊な油袋が存在する。
内部には魔力の影響を受けた揮発性の油が蓄えられており、強い刺激や恐怖を感じると体外へ噴出される。
さらに歯や爪に含まれる鉱物質が火花を生み、その油へ引火する。
発火は一瞬で炎も大きくない。

それでも枯れ草や落ち葉へ火を移すには十分だった。
発火ネズミ自身はそれほど強くない。
人間を積極的に襲うこともほとんどない。

しかし火事の原因となる。

乾燥した草原。
枯れ葉の積もった森。
藁や木材を積んだ村。

そうした場所では小さな火花でも十分だった。

実際、歴史上の大規模火災の原因として発火ネズミが疑われた例は数え切れない。

現代でも発火ネズミはよく見られる。
都市部ではほとんど見られないが、森林地帯や楽園の実の栽培地では定期的に問題になる。

特に楽園の実の収穫期には、
「発火ネズミ注意」
の警告看板が立てられるほど。

山林管理局や自治体は毎年捕獲や個体数調査を実施している。
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