魔女が秘密にした男   作:ケン3ヴァルデン

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第17話 踏み入れた世界

 

部屋の空気は少し和らいでいた。

少なくとも最初のような緊張感はない。

青年は相変わらず縄で縛られている。

 

だが今の彼は捕虜というより。

珍しい学者か職人に近かった。

 

ジーナは机の上の楽園の実を手に取る。

 

つややかな果皮。

甘い香り。

人を惑わす果実。

 

「それで」

 

彼女の目が輝く。

 

「あなたはこれをどう使ってるの?」

 

青年は果実を見る。

それから答えた。

 

「色々」

 

ジーナとアゼドが身を乗り出す。

 

ようやく本題だった。

 

二人の予想は似ている。

毒、幻覚。

狩猟。

魔物除け。

 

その辺りだろう。

 

薬にしていることは既に分かっている。

だがどこまで利用しているのか。

 

知りたい。

非常に知りたい。

 

「まず魚」

 

青年が言う。

 

二人は頷く。

予想通りだ。

魚を捕るため。

そこまではわかる。

 

だが次の言葉で二人の表情が変わる。

 

「果肉を食べさせる」

「太るから」

 

沈黙。

 

ジーナが瞬きをする。

アゼドも瞬きをする。

 

「……太る?」

 

「太る」

 

青年は当然のように頷く。

 

「肉が増える、味も良くなる」

「よく食べるようになる」

 

二人は顔を見合わせた。

 

そんな話は聞いたことがない。

そもそも誰も試したことがない。

 

楽園の実なのだから。

 

食べる発想すらない。

 

青年は続ける。

 

「魚だけじゃない」

「鳥も、小さい獣も」

「よく育つ」

 

ジーナが固まる。

アゼドが固まる。

 

彼らの頭の中では。

 

楽園の実は危険物だった。

 

だが青年は違う。

飼料として扱っている。

しかも成果付きで。

 

「待って」

 

ジーナが手を上げる。

 

「果肉だけ?全部じゃなくて?」

 

「種は駄目」

 

即答だった。

 

「種が危険」

「果肉は平気、むしろ良い」

 

さらっと恐ろしいことを言う。

 

アゼドが額を押さえる。

既に頭が痛い。

 

だがまだ始まりだった。

 

「他には?」

 

アゼドが聞く。

青年は少し考える。

 

「眠り薬」

 

二人が頷く。

 

これは知っている。

 

昨夜使われた。

 

だが次が問題だった。

 

「痛み止め」

「傷薬」

「痒み止め」

「熱冷まし」

「虫除けと獣避け、あと魚寄せ」

「それから保存に」

「腐ってないか確かめるのに」

 

言葉が増える。

どんどん増える。

 

ジーナの顔から笑みが消えた。

真顔になる。

研究者の顔。

 

アゼドも同じ。

冒険者ではなく。

未知と遭遇した人間の顔だった。

 

「……待って」

 

今度はアゼドが止める。

 

「一つずつ説明してくれ」

 

青年が首を傾げる。

不思議そうに。

 

「?」

 

何が不思議なのか。

そんな顔だった。

 

「なんで?」

 

その一言で。

 

二人は理解する。

 

この男にとって。

これは当たり前なのだ。

 

何年も。

試して。

失敗して。

積み重ねた結果。

 

だから特別ではない。

当たり前。

 

だがジーナたちから見れば違う。

 

人類が何百年も恐れてきた果実。

近付くことすら避けてきた植物。

 

それをこの男は。

 

利用方法の一覧表のように語っている。

しかもまだ終わっていない。

 

青年は続ける。

 

「あと種」

 

ジーナとアゼドが身構える。

 

種。

 

さっき言っていた危険な部分。

当然毒として使うのだろう。

 

そう思った。

 

だが。

 

「種は砕いて果肉と混ぜて畑の近くに撒く」

「虫が寄る、鳥も寄る」

「集まったやつを捕る」

 

部屋が静まり返る。

 

青年は続ける。

 

「砕くと効率がいい」

「乾燥させると保存できる」

「薬草と少し混ぜる、薬草の必要な量が減る」

「火を使うと効き目も変わる」

「水だと広がる」

 

ジーナの頭が追いつかない。

アゼドも追いつかない。

 

二人が考えていたのは。

 

楽園の実をどう克服したか。

どう生き延びたか。

 

その程度だった。

しかし違った。

 

この男は克服したのではない。

 

研究した。

理解した。

分解した。

そして利用した。

 

人類が恐怖として遠ざけていたものを。

道具として扱っている。

 

その差は。

 

二歩どころではない。

十歩でも足りない。

 

もっと先。

もっと遥か先。

 

ジーナは思わず椅子から立ち上がる。

 

「待って待って待って!」

 

青年がびくっとする。

 

「な、なんだよ」

 

初めて少し焦った声。

 

だがジーナはそれどころではない。

 

机へ両手をつく。

目を輝かせる。

 

「その話全部聞かせて!!他のも全部!!」

 

青年は困惑した。

 

何故そんなに興奮しているのか。

本気で分からなかった。

 

だがアゼドだけは理解していた。

 

今この瞬間。

この部屋で起きていることを。

 

もしこの話が本当なら。

もし再現できるなら。

 

楽園の実は恐怖の象徴ではなくなる。

 

薬になる。

食料になる。

産業になる。

 

そしてそれは。

国が動く話だった。

 

アゼドは静かに息を吐く。

 

――とんでもないものを見つけてしまった。

 

 

 

***

 

 

「全部聞かせて!」

 

ジーナの声が部屋に響く。

 

青年は少しだけ身を引いた。

勢いが凄い怖い。

魔物より怖いかもしれない。

 

そんなことを考える。

 

だがその前に別の問題があった。

 

青年の腹が鳴った。

 

ぐぅぅぅ。

 

部屋が静かになる。

 

ジーナが瞬きをする。

アゼドも見る。

青年は無表情を貫こうとした。

 

しかし腹は容赦しない。

 

ぐぅ。

 

再び鳴る。

 

「……腹減った」

 

ぼそりと呟く。

 

ジーナが思わず吹き出す。

 

「この状況で?」

 

青年は不満そうだった。

 

「減るものは減る」

 

正論だった。

アゼドが苦笑する。

 

「そうだな、朝から何も食べてないしな」

 

青年は頷く。

 

そして机の上を見た。

 

楽園の実。

棚にある乾燥肉。

乾燥した薬草。

 

だが手は縛られている。

食べられない。

 

空腹の様子を見たジーナが荷物袋を漁った。

 

「これならどう?」

 

取り出したのは乾燥パンだった。

 

冒険者の携行食。

保存性が高く、腹持ちも良い。

比較的高価。

旅人には人気で美味な部類。

 

青年は初めて見る食べ物だった。

 

視線が止まる。

じっと見る。

動かない。

 

「……何それ」

 

「パン」

 

「パン?」

 

「知らないの?」

 

青年は首を傾げる。

 

知らない、見たこともない。

匂いを嗅ぐ。

怪しい。

 

かなり怪しい。

 

ジーナは一瞬考える。

 

そして。

 

「あー」

 

納得した。

 

この男は森で生きてきた。

街の食文化など知らない。

むしろ当然だった。

 

青年は疑わしそうに見ている。

毒草を見極める時の目だった。

 

ジーナは苦笑する。

 

それから乾燥パンを少し千切った。

 

ぱくり。

咀嚼。

飲み込む。

 

「ほら、毒じゃない」

 

青年は数秒考えた。

 

それからようやく口を開く。

 

「毒は効かないものもある」

 

「疑い深いわね!?」

 

「生きるため」

 

即答だった。

 

ジーナは言い返せなくなる。

 

確かにその通りだった。

 

結局、青年は恐る恐る口を開く。

 

ジーナが欠片を入れる。

 

もぐもぐ。

咀嚼。

沈黙。

 

そして、青年の顔が歪んだ。

 

「うっ」

 

ジーナが固まる。

アゼドも固まる。

 

青年はさらに咀嚼する。

眉間に皺。

明らかな不快感。

 

「まずい」

 

断言だった。

 

部屋が静まり返る。

 

ジーナとアゼドが顔を見合わせる。

聞き間違いかと思った。

 

「まずい?」

 

ジーナが聞き返す。

 

「まずい」

 

青年は頷く。

真顔だった。

 

「硬いし臭い」

「味が薄くて飲み込みにくい」

「口の水分がなくなる」

 

容赦がない。

 

アゼドが思わず笑う。

 

「ははっ!それは初めて聞いたな!」

 

乾燥パンは高級品だ。

少なくとも庶民から見れば。

 

保存できる。

腐りにくい。

旅に持ち運べる。

味も悪くない。

 

そう評価されている。

 

しかしそれはあくまでこの時代の基準。

 

青年は違った。

彼の基準は自らにある。

 

焼きたての魚。

煙を使って乾燥させた肉。

果実。

木の実。

採れたての野草。

 

そんなものばかり食べていた。

 

文明が未発達な代わりに。

当時の感覚からしても異常だった。

 

青年はさらに言う。

 

「魚の方が美味い」

 

「魚?不味いだろ」

 

アゼドが笑う。

だが青年は首を振る。

 

「昨日の魚でも美味い」

「一昨日でも」

「干したやつも」

「煙で乾燥したやつも」

 

今度はアゼドが黙る。

ジーナも黙る。

 

その言葉。

 

少し引っかかった。

 

魚、保存。

干物。

 

当たり前のように言った。

 

だがこの時代の魚は人気がない。

 

食べる者はいる。

 

川辺や海辺では珍しくない。

だが積極的には選ばれない。

 

理由は単純。

 

臭い。

骨が多い。

気持ち悪い。

保存できない。

運べない。

 

なにより調理法も未熟。

その結果として。

 

「あー、食べられるのは知ってる」

 

「でもわざわざ食べなくても」

 

そんな扱いだった。

 

青年は首を傾げる。

 

「魚は美味いぞ」

 

心底不思議そうに言う。

 

「骨取れば」

「内臓捨てれば」

「臭いの減るし、それに畑に撒ける」

「それから焼けばいい」

 

ジーナとアゼドは固まった。

 

あまりにも自然に。

あまりにも当然のように。

 

言うからだ。

 

青年は気付いていない。

 

自分が常識だと思っていることが。

世間の常識ではないことを。

 

そしてジーナは確信する。

楽園の実だけじゃない。

 

この男の頭の中には。

まだまだとんでもないものが詰まっている。

 

楽園の実は入口に過ぎない。

 

本当に危険なのは。

この男の知識そのものだった。

 

「……ねぇ」

 

ジーナが静かに呟く。

 

「あなた、今まで誰にも会わずに生きてきたの?」

 

青年は少し考えた。

それから答える。

 

「たまに狩人は見る」

「話したことはない」

「逃げるし」

 

ジーナは額を押さえた。

 

なるほど。

だからだ。

 

誰も教えていない。

誰も止めていない。

誰も常識を教えていない。

 

だからこの男は。

 

独自に答えへ辿り着いてしまったのだ。

誰とも違う方法で。

誰とも違う世界を見ながら。

 

 

***

 

 

「……食ってみるか?」

 

青年のその一言から始まった。

ジーナとアゼドが顔を見合わせる。

 

「いいの?」

 

ジーナが聞く。

 

「食料なんでしょう?」

 

青年は少し考える。

 

視線を窓の外へ向ける。

 

池。

畑。

乾燥庫。

保存棚。

 

頭の中で計算する。

 

残りの食料。

収穫時期。

魚の数。

保存量。

 

そして小さく頷いた。

 

「大丈夫」

「これを外してくれるなら」

 

それは青年なりの了承だった。

アゼドは立ち上がる。

 

「なら案内してくれ」

 

そして縄へ手を伸ばした。

 

完全には解かない。

 

当然だ。

 

逃げられては困る。

だがこのままでは料理もできない。

 

青年は黙って見ている。

やがて拘束が変わる。

 

腕は動く。

歩ける。

走るのは難しい。

 

だが作業はできる。

そんな絶妙な加減。

 

青年は数回手首を動かした。

 

違和感はある。

しかし問題ない。

 

「逃げてくれるなよ」

 

アゼドが言う。

青年は首を傾げる。

 

「逃げても捕まる」

 

「理解が早くて助かる」

 

アゼドが苦笑した。

 

そして三人は拠点を出る。

 

森の空気が流れる。

 

青年は迷わず歩き始めた。

 

自分の庭を歩くように。

 

まず向かったのは池だった。

 

人為的な池。

 

川から水が引かれている。

中空の枝を用いた管。

そこから水が流れる。

さらに別の管から排水される。

 

一定の水位が保たれている。

 

ジーナが思わず足を止めた。

実際に見ても理解が追いつかない。

 

「……本当に魚を育ててるのね」

 

池の中では魚が泳いでいた。

かなりの数。

天然の川では見ない密度。

 

青年は近くにあった見慣れない道具を持つ。

それを手にして躊躇なく水へ入る。

 

数秒。

 

バシャッ。

 

魚が一匹。

青年は当然のように捕まえていた。

ジーナが呆れる。

 

「どうして取れるの?それは?」

 

「慣れ、これは乾燥した草と木で作った」

 

青年は即答した。

 

アゼドが笑う。

 

慣れで済む話ではないし。

乾燥した草と木で何を作ったのか。

だが本人は本気だった。

 

魚を2、3匹捕まえて籠へ入れる。

 

次。

 

青年は歩き出す。

今度は楽園の実の畑。

 

畑。

 

そう呼ぶしかない光景だった。

 

整然と並ぶ木々。

管理された間隔。

地面の状態。

雑草の処理。

 

自然の群生ではない。

 

明らかに人の手が入っている。

 

ジーナが呟く。

 

「本当に育ててる……」

 

青年は実を取る。

 

色。

香り。

柔らかさ。

 

一つずつ確認。

 

熟した物だけ。

 

迷いがない。

慣れ切った動き。

 

アゼドが報告にあった木の根元を見る。

 

 

埋められた砕かれた骨。

魚や獣の内臓。

小動物の残骸。

腐った植物。

 

「やっぱり肥料か……?」

 

青年が頷く。

 

「栄養になる」

「実が大きくなる」

「他のにはあんまり使えない、この実だけ」

 

アゼドが黙る。

 

その発想は通常の畑でもあった。

だがここまで体系化されていない。

 

ジーナも目を丸くする。

 

「試したの?」

 

「試した」

 

「全部?」

 

「やれること全部」

 

簡単に言う。

 

だがその言葉の重さを二人は理解していた。

 

どれだけの時間が必要なのか。

どれだけ失敗したのか。

想像もつかない。

 

そして最後。

 

青年はさらに奥へ向かった。

ジーナとアゼドはまた驚く。

 

畑だった。

 

今度は野草や薬草。

 

整然と並んでいる。

種類ごとに区画が分かれている。

 

日当たり。

水量。

土の状態。

全部違う。

 

青年は迷わない。

 

一つ抜く。

別の葉を摘む。

根を掘る。

茎を切る。

 

その手際は職人そのものだった。

 

「これ」

「これ」

「これも」

 

次々と採集する。

 

ジーナは思わず呟いた。

 

「薬師より慣れてる……」

 

青年は聞いていない。

 

ただ必要な物を集めているだけ。

 

アゼドは周囲を見回す。

 

恐ろしいほど管理されていた。

森の中だというのに。

 

まるで農園。

いや、農園より効率的ですらある。

 

雑草はない。

無駄な植物もない。

 

必要なものだけ。

必要な場所に。

必要な量だけ。

 

そして何より。

青年は全部覚えている。

 

地図も見ない。

印もない。

どこに何があるか。

どの時期に育つか。

 

全部頭の中。

 

ジーナは息を吐いた。

 

改めて理解する。

 

この男は森で生き残ったのではない。

 

森を学んだのだ。

魚も。

果実も。

薬草も。

土も。

水も。

 

全部。

 

何年もかけて。

ひたすら。

その結果が。

 

今目の前に広がっている。

 

青年は採集を終える。

 

籠を持ち上げる。

 

そして不思議そうに二人を見た。

 

「行くぞ」

 

二人は返事をしない。

 

ただ黙って頷く。

 

知らない世界を見ている。

 

そんな顔をしながら。

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