三人は拠点へ戻った。
籠の中には魚。
楽園の実。
野草や薬草。
様々な食材。
青年は迷わず建物の奥へ向かう。
そこは調理場だった。
少なくとも青年はそう呼んでいる。
だがジーナたちにとっては違った。
「ここ……」
ジーナが周囲を見回す。
「結局何をする場所だったのか分からなかったのよね」
アゼドも頷く。
探索した。
調べた。
だが用途が不明だった。
変な台。
奇妙な金属片。
乾燥棚。
用途不明の容器。
謎の棒。
意味不明な構造。
まるで異国の工房だった。
青年はその中央へ向かう。
魚を置く。
野草を置く。
それから棚へ手を伸ばした。
取り出したのは小さな筒。
掌に収まる程度。
石でできている。
ジーナは首を傾げる。
見たことがない。
アゼドも同じだった。
青年は筒を握る。
親指で何かを弾く。
カチッ。
次の瞬間。
ボッ。
火が灯った。
沈黙。
完全な沈黙。
ジーナが固まる。
アゼドが固まる。
青年は気付かない。
そのまま枯れ草へ火を移す。
火種が燃える。
薪へ移る。
火が育つ。
ここまで数秒。
魔法使いですら驚く速度だった。
ジーナが狼狽する。
「えっ」
青年は魚を捌いている。
「えっ!?」
今度は大きい。
青年が思わず顔を上げる。
「なんだ」
「今の何!?」
青年は手を止める。
筒を見る。
そして答える。
「火」
「見れば分かるわよ!!」
ジーナが叫ぶ。
アゼドも興奮を隠せない。
「待て待て待て、魔法じゃないよな?」
「違う」
即答だった。
青年は本当に不思議そうだった。
何を騒いでいるのか分からない。
ジーナが筒を覗き込む。
魔力の痕跡はない。
魔法陣もない。
魔道具でもない。
だが火が出た。
意味が分からない。
「どうなってるの?」
青年は少し考える。
説明が難しい。
そして棚から別の箱を持ってきた。
中には乾燥した粉。
加工された部品。
そして小さな油袋
「発火ネズミの油袋」
ジーナとアゼドが顔を見合わせる。
発火ネズミ。
知っている。
もちろん知っている。
森や街で火事を起こす害獣。
低級魔物。
討伐対象。
青年は説明を続ける。
油袋を指差す。
「これの中は壊すと燃える」
二人は頷く。
そこまでは知っている。
死んだ後も発火することがある。
危険な魔物だ。
「だから使う」
青年は当然のように言った。
沈黙。
ジーナの目が見開かれる。
アゼドも同じ。
使う。
今、使うと言った。
「……発火を?」
「うん」
「わざと?」
「うん」
「手元で?」
「うん」
「何度でも?」
「いや、3回くらいで中身がなくなる」
青年は頷く。
そしてカチッ。
再び火を出した。
ボッ。
火が灯る。
消す。
またカチッ。
ボッ。
弱く火が出る。
また消す。
ボッ。
火がどんどん小さくなる。
消す。
そして小さくなった油袋を取り出す。
ジーナが頭を抱える。
「なんでそんなこと考えるのよ……」
本音だった。
発火ネズミはある意味危険な魔物だ。
見つけたら面倒だから避ける。
あるいは処理する。
燃えないように後始末する。
それが常識。
なのに目の前の男は違う。
火事の原因を。
便利な道具にしていた。
アゼドも乾いた笑いを漏らす。
「俺たちは火打石を使ってるんだぞ……」
火を起こすには時間がかかる。
失敗もする。
雨の日は最悪だ。
それが当たり前。
しかし青年は違う。
指一本。
数秒。
火が付く。
魔法使いでなくても。
誰でも。
何度でも。
ジーナは筒を見つめる。
後世の歴史家なら泣いて喜ぶだろう。
いや泣いて倒れるかもしれない。
なぜならこれは。
火起こしの歴史を変える道具だからだ。
だが発明者は。
そんなことを考えていない。
青年は魚を捌いている。
「焦げる」
「え?」
「見てろ」
青年は火力を調整する。
枝を動かす。
薪を足す。
鍋を置く。
まるで先ほどの発明がどうでもいいかのように。
ジーナは思う。
この男は危険だ。
魔法より。
魔物より。
なにより国より。
よほど危険かもしれない。
なぜなら本人が価値を理解していない。
生きるために作っただけ。
便利だから使っただけ。
そんなものが次々と常識を壊していくのだから。
***
火が安定する。
石鍋が温まる。
青年は手慣れた様子で魚を捌き続ける。
骨を外す。
内臓を取り除く。
身を切り分ける。
無駄がない。
見ていて気持ちがいいほどだった。
そしてその横にはジーナがいた。
ぴったりと。
本当にぴったりと。
「それ何?」
「魚」
「それは分かるわよ」
「じゃあ何だ」
「今入れた葉っぱ!」
青年は疲れた顔になる。
まだ何も始まっていない。
なのにもう疲れていた。
「薬草、舌が痺れるやつ」
「なんで?」
「臭い消し」
「魚の?」
「魚の」
ジーナが何かを書き留める。
青年は嫌な予感がした。
「その粉は?」
「乾燥した丸い根っこ、臭いやつ」
「なんで?」
「味」
「味!?」
驚くジーナ。
青年は疲弊する。
味付け以外に何があるのか。
そんな顔だった。
アゼドは少し離れた場所で笑っている。
面白い。
実に面白い。
ジーナの質問が止まらない。
「それは?」
「ボロボロ岩、舐めたらしょっぱいやつ」
「塩!?」
「塩?」
「こんなに使うの!?」
「使う」
「なんで!?」
「美味いから」
「なんで!?」
「知らん」
青年がとうとう言った。
ジーナが黙る。
少しだけ。
本当に少しだけ。
しかし数秒後には復活した。
「鍋はなんで蓋するの?」
「熱が逃げない」
「へぇ!」
「あと虫」
「へぇぇ!」
青年はもう諦めた。
どうせ止まらない。
そう悟った。
だから淡々と答える。
質問。
回答。
質問。
回答。
永遠に続く。
だがそのうち。
ジーナの表情が変わった。
鍋から湯気が上がる。
香りが漂う。
最初は薬草の匂い。
次に魚。
焼いた油。
香草。
果実。
様々な匂いが混ざる。
知らない香り。
だが本能が理解する。
美味い。
その一言だけ。
ジーナの腹が鳴った。
ぐぅ。
青年が振り返る。
ジーナが顔を赤くする。
アゼドが吹き出した。
「お前が腹を鳴らすのか」
「うるさい」
ジーナが睨む。
だがアゼドも同じだった。
匂いが強い。
妙に強い。
腹が減る。
自然と唾液が出る。
冒険中に何度も料理を食べてきた。
高級料理もある。
貴族の晩餐も経験した。
それなのに今漂う香りは初めてだった。
豪華というわけではない。
肉が大量にあるわけでもない。
香辛料が山ほど使われているわけでもない。
なのに食欲だけを異常に刺激する。
「なんだこの匂い……」
アゼドが呟く。
青年は首を傾げる。
「魚」
「魚の匂いじゃねぇよ」
「ならわからん。薬草か?」
真顔だった。
本人にとっては当たり前らしい。
そしてその匂いは建物の外へも流れ始めていた。
しばらくすると。
窓の向こうに人影が見える。
一人。
また一人。
さらに一人。
探索や荷物整理をしていた冒険者たちだった。
最初は偶然。
次は気になって。
最後は明らかに匂いに釣られて。
ぞろぞろ集まってくる。
「……おい」
「なんか作ってないか?」
「腹減った」
「なんだこの匂い」
「肉か?」
「いや魚っぽいぞ」
「魚でこんな匂いになるか?」
窓から顔が増える。
一人。
二人。
三人。
気付けば外が騒がしい。
青年はその様子を見て少し困惑した。
何故集まるのか。
料理しているだけだ。
いつも通り。
森で食べているもの。
特別でも何でもない。
だがジーナは違った。
アゼドも違った。
二人は理解していた。
これは匂いだけで人を集めている。
今までの魚料理ではあり得ないことだ。
そして青年は。
鍋の中を確認する。
火加減を見る。
薬草を少量追加する。
最後に果実から取った調味液を数滴。
香りが弾ける。
部屋の全員が息を呑んだ。
外からも声が聞こえる。
「おい」
「絶対なんかおかしいぞ」
「腹減るんだが」
「まだか!?」
青年はますます困惑する。
青年以外は誰もが気付いていた。
今から食べるものは。
自分たちの知っている魚料理ではない。
そして。
この男が当たり前だと思っているものは。
やはり当たり前ではないのだと。
「発火ネズミのライター」
このライターは現在でも広く使われている。
数の多い発火ネズミをただ駆除するのでは無く再利用できるため、事業として多くの発火ネズミ回収業者が存在している。
歴史に登場した初期には2-3回程度でしか使用できなかったが、
主に魔力を持つ鉱石による発火補助や、外部魔力充填容器の登場などにより改良が何度も繰り返されることになる。
その結果発火ネズミの油袋一つで100-120回ほどの使用が可能になる。
現在は集めた発火ネズミの油袋から抽出した油を入れるカートリッジが店頭に並び、喫煙やアウトドア、調理など様々なものに使用される。
また多少値上がりはするが大容量カートリッジや、ストーブの燃料など様々なものに発火ネズミは使用されている。