空はどこまでも青かった。
少年は石畳の脇に倒れていた。
年齢は十歳ほどだろうか。
骨ばった腕は細く、頬は痩せこけ、纏っているのは布切れと呼ぶ方が相応しいほどの服だった。
腹は空腹で痛みすら感じなくなっている。
最後に食べたのがいつだったかも思い出せない。
喉は乾き、身体は重く、立ち上がろうとしても力が入らなかった。
それでも人々は足を止めない。
商人が横を通る。
荷車を引く男が通る。
子供を連れた女が通る。
誰も少年を見ない。
いや、正確には見慣れていた。
道端で餓死しかける孤児など珍しくもない。
この国では当たり前の光景だった。
なぜなら、この世界では魔力こそが全てだからだ。
生まれながらに持つ魔力。
その量が多ければ貴族や騎士となり、少なければ平民となる。
そして持たない者は、人として扱われない。
魔力は富を生み、権力を生み、生存すら左右する。
魔法を使える者は畑を豊かにし、水を呼び、家を建てる。
だが、その恩恵は魔力を持つ者のためだけに使われた。
食料は常に不足していた。
畑から採れる作物は少ない。
家畜はいるものの、十分な飼料を与えられず乳の量も質も悪い。
肉となればさらに貴重だった。
野生動物を狩るしかなく、狩場を巡って争いが絶えない。
貴族の食卓には肉が並ぶ。
平民は祝いの日に少し口にできれば幸運。
貧民に至っては、何年も味を知らぬ者すらいた。
そして孤児には、明日食べる物すらない。
少年もその一人だった。
今日を生き延びられるかどうか。
それだけが問題だった。
――少なくとも、この時までは。
***
少年にはかつて名前があった。
だが、それを呼ぶ者はもういない。
両親はどちらも魔力を持っていた。
決して裕福ではなかったが、魔力を持つ者として最低限の生活は保証されていた。
そんな家庭に生まれた少年だけが、魔力を持たなかった。
最初のうちは期待されていた。
まだ幼いから測れないだけだ。
成長すれば目覚めるかもしれない。
そう言って両親は待っていた。
だが何年経っても結果は変わらなかった。
少年は無力だった。
魔力を持たない欠陥品。
周囲からそう囁かれるようになった頃、弟が生まれた。
弟は違った。
幼い頃から魔力の兆候を見せた。
両親は喜び、親戚は祝福し、近所の者たちは将来を期待した。
そして少年は不要になった。
ある朝、目を覚ますと家に入れなかった。
扉は閉ざされていた。
何度叩いても開かない。
中から聞こえたのは母の泣き声と父の怒鳴り声だった。
それが最後だった。
だが、それも珍しい話ではない。
魔力を持たない子供を捨てる親は少なくなかった。
誰も咎めない。
誰も助けない。
魔力こそが価値であり、それを持たない者に価値はない。
それが世界の常識だった。
だから少年も受け入れるしかなかった。
自分は要らない存在なのだと。
それでも。
それでも少年には理解できないものがあった。
人を傷つけてはいけない。
弱い者から奪ってはいけない。
困っている人は助けるべきだ。
嘘は良くない。
盗みは悪いことだ。
誰に教えられたのかも分からない。
もしかすると、生まれつきそう考える性分だったのかもしれない。
飢えに苦しみながらも、少年は盗みをしなかった。
市場には食べ物が並んでいる。
荷車には野菜が積まれている。
目を盗めば盗れる機会はいくらでもあった。
それでも手を伸ばせなかった。
一度でも盗めば。
一度でも悪いことを正当化してしまえば。
二度と戻れなくなる気がした。
何に戻れなくなるのか、自分でも分からない。
けれど、きっと大切な何かを失う。
そんな気がしていた。
だから腹を空かせ続けた。
だから痩せ続けた。
そして今、死にかけていた。
少年は震える腕で石畳を掴んだ。
生きたい。
理由なんてなかった。
立派な夢もない。
誰かが待っているわけでもない。
それでも死にたくなかった。
捨てられても。
価値がないと言われても。
生きていたかった。
少年は歯を食いしばる。
身体は悲鳴を上げていた。
視界は霞み、足は震え、何度も倒れそうになる。
それでも前へ進んだ。
街の外へ。
森へ。
そこなら何か食べられるかもしれない。
雑草でもいい。
木の実でもいい。
木の皮でもいい。
泥だらけになっても構わない。
みっともなくてもいい。
とにかく生きる。
死んでたまるか。
その一心だけで、少年はふらつく足を動かし続けた。
そして夕暮れが近づく頃。
少年はようやく森へと辿り着く。
後に世界を変えることになる男が踏み入れた最初の場所は、誰にも見向きもされない小さな森だった。