魔女が秘密にした男   作:ケン3ヴァルデン

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第21話 人類の夜明けの灯火

 

 

食事が終わった。

冒険者たちは満足そうに談笑している。

 

青年は静かに器を集め始めた。

 

誰かが手伝おうとすると、

 

「いい」

「自分でやる」

 

と短く答える。

 

当たり前のように。

 

何年もそうしてきたから。

 

ジーナはその背中を眺めていた。

 

不思議な人だった。

 

最初は森に住む危険人物。

噂では魔物。

人を襲う怪物。

 

そう思っていた。

けれど実際は違う。

 

料理を作り。

薬を作り。

畑を耕し。

魚を育て。

傷を治し。

保存食を生み出し。

 

森を循環させて生きる。

 

誰よりも穏やかで。

誰よりも人らしい青年だった。

 

そしてジーナはゆっくり周囲を見渡す。

 

机の上には薬が並んでいる。

 

楽園の実から抽出した鎮痛薬。

傷薬。

眠り薬。

 

彼女が知らない調合。

知らない理論。

知らない発想。

 

外には魚を育てる池。

水を自在に流す仕組み。

管理された畑。

 

香草。

薬草。

保存された食料。

燻製。

漬け野菜。

 

土で覆われた保存容器。

さらに発火ネズミを利用した着火具。

魚料理。

香草の調理法。

 

どれも一つだけでも国が欲しがる知識だった。

なのに青年はそれを当然のように使っている。

 

褒められたいわけでもない。

名誉が欲しいわけでもない。

 

ただ生きるために。

必要だから作った。

 

ジーナは思わず苦笑した。

 

「反則よ……」

 

青年が振り返る。

 

「?」

 

「なんでもない」

 

本当に、なんでもなかった。

 

しかし胸の奥では。

一つの考えが大きくなっていた。

 

この人をこの森に閉じ込めてはいけない。

 

世界は魔力だけで価値を決めている。

魔法こそ文明。

そう信じている。

 

その当たり前を、その常識を。

 

目の前の青年は魔力を一切使わず覆してしまった。

 

薬学は変わる。

農業は変わる。

漁業は変わる。

料理は変わる。

保存技術は変わる。

人々の食卓が変わる。

飢えが減る。

病で死ぬ者も減る。

 

そしてきっといつか、魔力がなくても生きられる世界になる。

 

そんな未来が。

 

ジーナにははっきりと見えてしまった。

 

「……世に出るべきよ」

 

思わず零れた独り言。

 

青年は首を傾げる。

 

「森の外?」

 

「ええ」

 

「嫌だ」

 

即答だった。

迷いは一切ない。

 

「人多い」

「うるさい」

「疲れる」

 

ジーナは思わず笑う。

 

さっきまで皆と笑っていた男とは思えない返事だった。

 

けれどその返答で確信する。

 

この青年は野心がない。

名声も。

富も。

権力も。

 

何一つ求めていない。

だからこそ危うい。

 

こんな知識を持ちながら。

本人はその価値をまるで理解していない。

 

青年は洗い終えた器を並べながら呟く。

 

「街は嫌いだ」

 

その一言に全てが詰まっていた。

 

捨てられた場所。

飢えて死にかけた場所。

魔力がないだけで人ではなくなった場所。

 

青年にとって街とはそういう場所なのだ。

 

 

それでもジーナは静かに拳を握る。

 

――なら、私が変えよう。

 

この人が安心して歩ける世界を。

この人の知識が当たり前になる世界を。

魔力がなくても笑える世界を。

 

この時のジーナはまだ知らない。

この決意が、この淡い想いが。

 

数百年後に「夜明けの魔女」と呼ばれる原点となり、そして彼女が最後まで秘密にし続ける。

 

この一人の青年との約束へと繋がっていくことを。

 

 

***

 

 

青年は黙っていた。

ジーナは真っ直ぐに青年を見つめる。

 

「あなたは外へ出るべきよ」

「この知識は世界を変える」

「飢える人が減る」

「病で死ぬ人も減る」

「あなたなら――」

 

「嫌だ」

 

青年は遮った。

 

短く、はっきりと。

 

その声に怒りはない。

ただ、諦めがあった。

 

「人は嫌いだ」

 

部屋が静かになる。

青年は少しだけ目を伏せた。

 

「腹が減れば奪う」

「弱い奴から奪う」

「子供でも、家族でも」

 

誰も口を開けなかった。

青年は続ける。

 

「魔力が無いだけで捨てる」

「食べ物もくれない」

「死んでも誰も困らない」

「そんな人ばっかりだった」

 

淡々と、まるで天気の話をするように。

それが青年にとっては当たり前だった。

 

世界とはそういうもの。

人間とはそういうもの。

 

だから森へ来た。

だから一人で生きてきた。

 

アゼドは静かに目を閉じる。

 

否定できなかった。

この時代では珍しい話ではない。

 

魔力が価値。

魔力が命。

それが現実だった。

 

ジーナは拳を握る。

 

「……でも私たちは違う」

「あなたを利用しない」

「絶対に守る」

 

青年は全部頷く。

 

理解している。

目の前の人たちは善人だ。

 

嘘もない。

自分を傷付けようともしていない。

 

それは分かる。

分かるからこそ困る。

 

一人なら簡単だった。

 

信じなければいい。

期待しなければいい。

そうすれば傷付かない。

 

しかし今、この胸の奥で。

何かが小さく疼いた。

 

ざわり。

 

森で何度も命を救ってきた感覚。

獣が近い時。

触れるといけない毒草を踏みそうな時。

魔物が現れる時。

 

理由は分からない。

でも従えば助かる。

 

青年はそれを「勘」と呼んでいた。

 

今、その勘が静かに囁いている。

 

――行け。

 

――この人について行け。

 

青年は眉を寄せる。

 

意味が分からない。

森を出ろと?

今さら?ここで生きられるのに?

 

理屈では全部否定できた。

 

街は危険だ。

人は醜い。

森の方が安全だ。

 

全部正しい。

 

それでも胸の奥の何かだけが。

 

ゆっくりと優しく。

背中を押してくる。

 

青年は無意識にジーナを見る。

 

ジーナもこちらを見ていた。

 

魔法使いとしてではなく。

研究者としてでもなく。

英雄を探す目でもない。

 

ただ一人の人間として。

 

そこにいてほしいと願う目。

 

青年は知らない。

 

この先、自分が世界を変えることも。

 

この少女が数百年を生きる不死の魔女となることも。

 

だから小さく。

本当に小さく。

 

「……わかった」

 

そう呟いた。

 

その瞬間。

ジーナはぱっと笑顔になる。

 

その笑顔を見た青年は少しだけ後悔した。

 

第六感がまた囁く。

 

――もう遅い。

 

――この人は絶対に離さない。

 

その予感だけは、

 

森で生き抜いてきたどんな勘よりも、不思議なくらい確信に満ちていた。

 

 

***

 

 

アゼドは黙って二人を見ていた。

 

青年。

ジーナ。

 

片方は森で生き延びた、魔力を持たない青年。

片方は将来を約束された天才魔法使い。

 

本来なら交わることのない二人だった。

それが今。

 

同じ机を囲み。

同じ料理を食べ。

未来を見始めている。

 

アゼドは静かに息を吐いた。

 

短い時間だった。

 

まだ一日も経っていない。

 

それなのに何度、自分の常識は壊された。

 

楽園の実。

魚料理。

薬学。

保存技術。

農法。

火起こし。

森の管理。

 

どれも国一つが欲しがる知識だった。

 

そして恐ろしいのは。

青年はそれを偉業と思っていないこと。

 

生きるために必要だった。

ただそれだけ。

 

ジーナもまた異常だった。

 

普通の魔法使いなら警戒する。

秘匿する、あるいは独占する。

 

しかし彼女は違う。

 

もっと知りたい。

もっと広めたい。

 

その好奇心が恐ろしいほど純粋だった。

 

アゼドは苦笑する。

 

「厄介な二人だ」

 

誰にも聞こえない声だった。

だが、だからこそ分かる。

 

この二人が歩けば。

 

世界は変わる。

 

飢えは減る。

病は減る。

魔法だけが価値のこの時代も変わるかもしれない。

 

しかし人はそう簡単ではない。

 

知識は富になる。

富は権力になる。

権力は争いを生む。

 

王族。

貴族。

商人。

魔法使い。

冒険者ギルド。

薬師。

農園。

 

誰もが欲しがる。

奪おうとする。

利用しようとする。

 

この青年は断れない。

 

優しいから。

 

目の前で腹を空かせた者がいれば料理を作る。

怪我人がいれば薬を渡す。

 

きっとそんな男だ。

 

ジーナは止まらない。

 

知識を見れば飛び込む。

 

危険でも。

禁忌でも。

好奇心が勝つ。

 

そんな女だ。

 

アゼドは頭を抱えたくなった。

 

放っておけば二人とも真っ先に死ぬ。

この世界を変える前に人間に潰される。

 

だから答えは一つしかなかった。

 

アゼドは立ち上がる。

 

腰の剣へ手を添える。

何かを誓うように。

静かに。

 

「ジーナ」

 

「ん?」

 

「青年」

 

「?」

 

二人が同時に振り向く。

 

アゼドは笑った。

 

豪快でもなく。

いつもの冷静な笑みでもなく。

どこか吹っ切れた顔だった。

 

「俺がお前たちを守る」

 

青年は首を傾げる。

 

「守る?」

 

「ああ」

 

「なんで」

 

「それが仕事だからだ」

 

青年は納得したように頷く。

 

「そうか」

 

それだけだった。

 

ジーナは違う。

 

長い付き合いだから分かる。

 

その言葉が本気だと。

軽い護衛ではない。

命を預ける覚悟。

命を捨てる覚悟。

 

そこまで決めている。

 

「……いいの?」

 

アゼドは笑う。

 

「冒険者だからな」

 

「面白いものを最後まで見届ける義務がある」

 

冗談のように言う。

しかし心の中では別の言葉を噛み締めていた。

 

――この二人はきっと英雄になる。

 

いや、英雄なんて生易しいものじゃない。

 

時代そのものになる。

 

ならばその隣に立つ剣が必要だ。

 

光が強くなれば。

必ず影も濃くなる。

 

誰かがその影を斬らなければならない。

 

それなら自分がいい。

若い頃から剣しか取り柄がなかった男には。

それくらいしかできない。

 

アゼドは窓の外を見る。

 

夜の森。

静かな闇。

 

そして視線を二人へ戻す。

 

一人は未来を変える知識を持つ青年。

一人はその未来を信じる魔法使い。

 

その時まだ誰も知らない。

 

数百年後。

 

人々は「夜明けの魔女」の名を知っていても、アゼド本人の名前は知られない。

 

しかし笑っていた老剣士の事は響き渡る。

命が尽きる時まで忠義を尽くした者の代名詞として。

 

それでもアゼドは構わなかった。

 

名誉などいらない。

ただ最後までこの二人が笑って歩けるように。

 

それだけが彼が剣を握る理由になった。

 

 

***

 

 

その光景を。

 

一人の女性は少し離れた場所から眺めていた。

 

青年。

ジーナ。

アゼド。

 

三人は何かを話している。

 

笑い。

困ったように眉を下げ。

また笑う。

 

まるで昔からそうだったかのような空気。

 

彼女は何も言わず壁に寄りかかった。

 

腕を組む。

視線だけを向ける。

 

周囲の冒険者たちは騒いでいた。

 

「あの人が護衛とか!」

 

「大げさだろ!」

 

「でも本気の顔だったぞ!」

 

笑い声が飛ぶ。

彼女だけは笑わなかった。

 

 

横顔には古い傷が一本。

剣を振るう者の手。

日に焼けた肌。

女性らしい装飾は何一つない。

 

彼女の家は代々続く名家だった。

 

男は騎士となり。

主君へ剣を捧げる。

 

女は給仕となり。

主君へ忠誠を捧げる。

 

それが誇り。

それが伝統。

誰も疑わない。

 

幼い頃、彼女は兄の剣を盗んで振った。

そしてよく叱られた。

 

「女のすることではありません」

 

次の日も振った。

また叱られた。

 

それでも振った。

血が滲むまで。

 

腕が上がらなくなるまで。

彼女は剣が好きだった。

 

だから全部を捨てた。

 

家も、名誉も。

親の期待も。

女として生きる未来も。

 

騎士になるために。

誰よりも努力した。

 

走り。振り。学び。

 

そして全てに勝った。

 

男にも。

先輩にも。

教官にも。

 

そして最後。

騎士叙任の日。

 

称号は与えられなかった。

理由は簡単だった。

 

「女性だから」

 

それでは世論が悪い。

だから別の理由が用意された。

 

規律違反。

命令違反。

虚偽の報告。

 

汚名だけが並べられ。

努力は全て泥に塗られた。

 

彼女は剣を握ったまま笑った。

乾いた笑いだった。

 

それ以来、彼女は冒険者になった。

 

誰にも頭を下げず。

誰にも期待せず。

依頼だけをこなし。

酒を飲み。

喧嘩をして。

 

今日を生きる。

 

それだけ。

 

夢はもう死んだ。

そう思っていた。

 

なのに。

今、目の前には。

 

世界を変える知識を持ちながら。

名誉に興味もないただの人間。

 

そしてその隣には。

 

身分も立場も関係なく青年を引っ張ろうとする魔法使い。

 

一流冒険者であるアゼドが。

命を懸けて守ると宣言した。

 

誰も生まれで決めていない。

 

魔力でも。

血筋でも。

男か女かでもない。

 

誰もが人の中を見ている。

 

そんな当たり前が。

彼女には眩しかった。

 

胸の奥で。

何かが音を立てる。

 

ぱちり。

 

小さな火花。

 

もう消えたと思っていた火。

騎士になりたかった少女の熱。

誰かのために在りたかった熱。

 

それが静かに燃え始める。

 

彼女は腰の剣へ触れる。

 

冷たい柄。

 

何度も手放そうと思った。

そのたび握り直した剣。

 

小さく息を吐く。

 

「……馬鹿らしい」

 

自嘲する。

 

まだ諦めきれていなかった。

 

剣を振りたい。

誰かを守るために。

 

誇れる自分であるために。

 

青年がその時。

偶然こちらを向いた。

 

目が合う。

 

青年はただ目があっただけと思い視線を外す。

 

しかし彼女は一瞬固まり。

次の瞬間、思わず吹き出した。

 

「……乙女か、私は」

 

彼女が騎士としてもう一度歩き始める。

最初の一歩になった。

 

後に人々は語る。

 

夜明けの魔女。

名もなき英雄。

忠義の老剣士。

 

そして黎明の盾。

「騎士」という言葉そのものになる女性。

 

 




「ノエル」


彼女の呼び名は時代によって違う。

『黎明の盾』『剣士ノエル』など

しかし共通していることが一つだけあった。

――最強の騎士。

騎士を志す者は必ずその名を学ぶが彼女を語る文献は、それだけでは終わらない。

『英雄の屋敷にて給仕を務める』
『夜明けの魔女の食卓を支えた女性』
『茶の淹れ方は王宮の作法を超え、来客はその一杯で心を許した』

そんな記述がいくつも残っている。

騎士なのに給仕でもある。
剣士なのに屋敷を切り盛りする。

後世の学者たちは長く議論した。
だが発掘された複数の文献。
屋敷の台帳。
夜明けの魔女の言葉。
英雄に関する記録。

その全てが同じ名を書いていた。

ノエル。

剣を握る騎士。
そして主人たちへ紅茶を淹れる給仕。

『彼女はどちらも極めた』

そのため現代では「ノエルのような人だ」という言葉がある。

剣も学問も。
礼儀も仕事も。
何一つ手を抜かず高い水準でこなす人物への最高の賛辞。

文武両道、才色兼備、万能。
それら全てをまとめた言葉。
それが「ノエル」だ。
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