魔女が秘密にした男   作:ケン3ヴァルデン

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【間話】 遠い先の話 第一話

 

 

朝日がカーテンの隙間から差し込み、部屋の中を淡い金色に染める。

 

「……ん」

 

目覚まし代わりの魔導時計が、小さな鈴の音を響かせた。

 

ベッドの上でゆっくりと身体を起こした少女は、大きく伸びをして窓を開ける。

 

爽やかな風とともに、街の音が耳へ届いた。

 

空にはいくつかの魔導車が静かに飛び交い、遠くでは通勤客を乗せた大型の浮遊路線車両がゆっくりと進んでいる。道路では車輪付きの自動車も変わらず走っているが、その多くは魔力を補助動力として利用しており、排気音は驚くほど静かだ。

 

「もうこんな時間!」

 

時計を見た少女は慌てて制服へ着替え、朝食を口へ運ぶ。

 

食卓には焼きたてのパンと卵料理、それに果汁飲料。

 

「行ってきます!」

 

玄関を飛び出し、通学用の魔導バイクへ跨る。

 

起動術式を指でなぞると淡い光が灯り、静かな駆動音とともに車体が浮き上がった。

 

街路樹の間を抜け、高層ビルの谷間を走る専用航路を進む。

 

歩道には徒歩で通学する学生たち、自転車型魔導機に乗る者、魔導バスを待つ人々。誰もが当たり前のように魔法を生活の一部として使っている。

 

それでも街並みそのものは、どこか現代日本と変わらない。

 

コンビニエンスストア、喫茶店、ショッピングモール、オフィス街。

 

違うのは、それらすべてが魔法技術によって支えられているということだけだった。

 

 

10分ほど走ると、丘の上に建つ巨大な校舎が見えてくる。

 

白い石造りを基調としながらも、大きなガラス張りの校舎や魔力を循環させる青白い光の柱が組み込まれたその建物は、古い城と近代建築が融合したような美しさを持っていた。

 

門には大きく学院名が刻まれている。

 

王立中央魔法学院。

 

少女はバイクを駐輪場へ停めると、友人たちが手を振っていた。

 

「おはよー!」

 

「おはよう! 今日は寝坊しなかった?」

 

「ギリギリだったけどね!」

 

そんな他愛もない会話を交わしながら校舎へ向かう。

 

廊下では一年生が教室を探して慌て、上級生は談笑しながら教室へ向かう。

 

どこにでもある学生の朝。

 

違うのは、すれ違う生徒の中には教科書だけでなく杖や魔導具を抱えている者もいることくらいだった。

 

やがて始業ベルが鳴る。

 

一時間目は現代言語学。

古典語から現代共通語までを学ぶ、ごく普通の授業だ。

 

続いて数学。

魔法術式にも欠かせない関数や行列を扱うため、この世界でも数学は重要科目とされている。

 

三時間目は物理学。

重力や運動エネルギー、電磁気学などを学ぶ内容で、現代科学の基礎を築く授業だ。

 

昼前になると、生徒たちの雰囲気が少しだけ変わる。

 

「次、魔法力学だ。」

 

「今日、小テストじゃなかった?」

 

「うわ、本当だ!」

 

教室へ入ってきた教師は、黒板ではなく教室中央の術式投影装置を起動した。

 

空中へ幾何学模様の魔法陣が浮かび上がる。

 

「魔法は感覚だけで扱うものではありません。」

 

教師は魔法陣を指し示す。

 

「魔力の流量、循環効率、属性変換率。それらを数式化し、最も効率の良い術式を構築する学問。それが魔法力学です。」

 

映し出された式は、物理学や数学の数式と見分けがつかないほど複雑だった。

 

魔法という神秘を、理論と計算で解き明かす学問。

 

それがこの世界では常識だった。

 

 

午後最初の授業は魔生物学。

 

教師は透明な飼育ケースを机の上へ置く。

 

「今日は発火ネズミについて学びます。」

 

ケースの中では、手のひらほどの赤い毛並みをした小さな魔物が、忙しなく歩き回っていた。

 

「かわいい……。」

 

教室のあちこちからそんな声が漏れる。

 

教師は苦笑しながら続けた。

 

「見た目は愛らしいですが、体内の油袋には非常に可燃性の高い物質が蓄えられています。刺激を受けると発火するため、野生個体への接触は禁止されています。」

 

映像資料には、森の中で火花を散らしながら走る発火ネズミの姿や、生態図、魔力循環器官の構造が映し出される。

 

「現在ではこの油成分を精製し、より高効率に魔導燃料として利用する研究も進んでいます。」

 

少女はノートへ丁寧に書き込みながら、小さく頷いた。

 

魔法も魔物も。

 

彼女たちにとっては、特別な存在ではない。

 

数学や物理と同じように学び、理解し、生活を支える”当たり前”の知識。

 

それが、この時代の世界だった。

 

 

***

 

 

「はい、席についてください。」

 

入ってきたのは、穏やかな雰囲気の中年教師だった。

 

黒板に大きく書かれる。

 

『近代文化学』

 

少女は教科書を開き、今日のページをめくる。

 

『第三章 復興期における経済発展』

 

教師は教壇に立ち、静かに話し始めた。

 

「前回は第二次魔導資源戦争について学びましたね。」

 

教室前方の大型投影装置に、百年ほど前の白黒写真が映し出される。

 

魔導炉の煙突が立ち並ぶ工業都市。

物資を運ぶ輸送車両。

避難民であふれる街並み。

 

「当時は現在ほど魔導資源の精製技術が発達していませんでした。そのため各国は限られた資源を巡って争い、多くの犠牲者を出しました。」

 

ページをめくる音だけが教室に響く。

 

「戦後は資源管理条約が締結され、現在の共同管理体制へ移行します。さらに魔導通信網の整備、高速浮遊交通網の建設、医療技術の発展によって、現在の豊かな社会が形成されました。」

 

映像はゆっくりと切り替わる。

 

戦後復興。

 

魔導都市の建設。

巨大な発電施設。

国際会議の様子。

 

どれも少女たちにとっては教科書の中の出来事であり、遠い昔話だった。

 

教師はチョークを手に取り、黒板へいくつかの年号を書き込んでいく。

 

「近代文化学では英雄や偉人だけを学ぶわけではありません。」

 

そう言って教室を見渡した。

 

「戦争、経済、法律、教育、医療。社会は数え切れないほど多くの人々の積み重ねで形作られています。昨今の一人の天才だけで世界は動きません。」

 

少女は頷きながらノートを取る。

 

確かにその通りだ。

 

今朝乗ってきた魔導バイクも、毎日使う魔導端末も、誰か一人が作ったわけではない。

 

多くの研究者や技術者が改良を重ね、ようやく今の便利な生活がある。

 

教師は時計を見ると、教科書を閉じた。

 

「さて、少し早いですが今日はここまでにしましょう。」

 

生徒たちが顔を上げる。

 

「次回からは、近代文化と歴史学を関連付ける内容へ入ります。」

 

教師は一枚の資料を配り始めた。

 

「課題です。」

 

紙を受け取った少女は目を通す。

 

『家族・家系に関する調査レポート』

 

教室が少しざわついた。

 

「え、家系?」

 

「戸籍とか調べるの?」

 

教師は苦笑する。

 

「そんな大げさなものではありません。」

 

黒板へ項目を書いていく。

 

・祖父母や曾祖父母から聞いた話

・家族に伝わる出来事

・古くから残る写真や手紙

・家訓や風習

・先祖にまつわる伝承

 

「内容は何でも構いません。」

 

教師はゆっくりと言葉を続ける。

 

「皆さんの家には、それぞれ違った歴史があります。有名人が先祖である必要も、立派な逸話がある必要もありません。」

 

「どんな家族にも、その家族だけの物語があります。」

 

教室は静まり返っていた。

 

「近代文化を理解するには、まず自分自身が歴史の積み重ねの上に生きていることを知ることも大切です。」

 

少女は課題用紙を見つめる。

 

家族の歴史。

 

そう言われても、思い浮かぶのは祖父が昔よく釣りをしていた話や、祖母の手料理くらいだ。

 

「おじいちゃんに聞いてみようかな……。」

 

そんな独り言を漏らしながら、彼女は課題用紙を教科書へ挟んだ。

 

その時はまだ知らなかった。

 

何気なく出されたその課題が、自分の家系に眠る、誰にも語られてこなかった遠い過去へと繋がっていることを。

 

 

***

 

 

「ただいまー。」

 

夕暮れ時。

 

少女は学院から帰宅すると、鞄をソファへ下ろした。

 

「おかえり。」

 

キッチンから母が顔を出し、父も新聞代わりの情報端末から目を上げる。

 

「学校どうだった?」

 

「普通かな。あ、でも課題が出た。」

 

制服のポケットから一枚の紙を取り出し、テーブルへ置く。

 

『家族・家系に関する調査レポート』

 

父は紙を手に取ると、小さく笑った。

 

「面白そうな課題だな。」

 

「でも、うちって特に何もないよね。」

 

少女は肩をすくめる。

 

「歴史に残る人がいたわけでもないし、お金持ちの家系でもないし。」

 

母も苦笑しながら頷いた。

 

「そうねぇ。普通の家庭だもの。」

 

「お父さんの方は?」

 

「うーん……。」

 

父は腕を組んで少し考える。

 

「曾祖父は鍛冶職人だったって聞いてるな。親父は教師、その前も農家だったらしいし……。」

 

「ほら、普通。」

 

少女は笑った。

 

「レポート一枚埋まるかなぁ。」

 

その時だった。

 

リビングの隅でお茶を飲んでいた父方の祖父が、不意に「ああ」と声を漏らした。

 

「そういや、一つだけ変わった話があったな。」

 

三人が一斉に祖父を見る。

 

「なんの話?」

 

祖父は少し考え込むように視線を宙へ向けた。

 

「わしが小さかった頃じゃ。」

「ひいじいちゃん……つまり、わしのおじいさんのところへ、一人の魔女が訪ねてきたことがあった。」

 

「魔女?」

 

少女が聞き返す。

祖父はゆっくり頷いた。

 

「そう。何を話していたのかは子供だったから分からん。ただ、大人たちは皆その魔女に随分丁寧に接しておった。」

 

父が少し身を乗り出す。

 

「それって、どこの魔女?」

 

「さぁなぁ。名前は聞いておらん。」

 

祖父は苦笑した。

 

「ただな……今でも覚えてる。」

「それはそれは可愛らしい魔女さんだった。」

 

少女が思わず笑う。

 

「おじいちゃん、それ感想じゃん。」

 

「いや、本当にのう。」

 

祖父も笑い返した。

 

「小柄で、綺麗というより可愛らしい子じゃった。黒っぽいローブを着ておった気がする。」

 

「髪は?」

 

母が尋ねる。

 

「白……いや、銀だったかな。」

 

「目の色は?」

 

「青だったような……緑だったような……。そこまでは覚えておらん。」

 

「年は?」

 

「若かったぞ。十代後半か二十歳くらいに見えた。」

 

その言葉に、父と母の表情が同時に変わった。

 

二人は顔を見合わせる。

 

「……ねぇ。」

 

母が小さな声で言う。

 

「うん。」

 

父も頷いた。

 

「どうしたの?」

 

少女だけが話についていけず首を傾げる。

 

父は慎重に祖父へ尋ねた。

 

「その魔女って……名前、本当に覚えてない?」

 

「覚えておらんなぁ。」

 

静まり返ったリビングで、母が問いかける。

 

「お義父さん、その魔女……何か身につけていなかった?」

 

「身につけていたもの?」

 

祖父は首を傾げる。

 

「帽子とか、杖とか、アクセサリーとか……何でもいいの。」

 

「うーん……。」

 

祖父は目を閉じ、小さな頃の記憶を手繰り寄せる。

 

しばらく沈黙が続いた。

 

やがて祖父が「ああ」と小さく声を漏らす。

 

「首から何か下げておったな。」

「丸かったか……いや、楕円だったか。」

 

祖父は胸元を指差して見せる。

 

「このくらいの小さな飾りじゃ。」

「青みがかった銀色で、光を受けると綺麗に輝いておった。」

 

その瞬間だった。

 

父が息を呑む。

母は思わず口元を押さえた。

 

「……ロケットペンダント。」

 

少女は二人を交互に見つめる。

 

「そんなに有名なの?」

 

父はゆっくり頷いた。

 

「あの夜明けの魔女を象徴するものだ。」

「教科書にも肖像画にも、必ず胸元に描かれているだろ?」

 

母も静かに続ける。

 

「彼女が何百年もの間、一度も手放したことがないと言われているものよ。」

 

少女は思わず情報端末を取り出した。

 

検索窓へ『夜明けの魔女』と入力する。

 

表示された肖像画や写真のほぼすべてで、一人の銀髪の女性が胸元に小さな青銀色のロケットペンダントを下げていた。

 

時代ごとに服装は変わる。

 

ローブ姿の絵もあれば、近代の正装を身にまとった写真もある。

 

しかし、そのペンダントだけは、どの時代の記録でも変わらない。

 

「本当だ……。」

 

少女は画面を見つめながら呟く。

 

父は静かに言う。

 

「あのペンダントは有名なんだ。」

「世界中の誰もが知っていると言っていい。」

「でも――」

 

母が言葉を継ぐ。

 

「中身を見た人は、一人もいない。」

 

少女は顔を上げた。

 

「え?」

 

「写真でも映像でも、彼女は決して人前で開かない。」

 

父は腕を組み、どこか遠くを見るような目をした。

 

「歴史学者の間では様々な説がある。」

「家族の写真。恩師の肖像。」

「失われた魔法陣。」

「あるいは、何も入っていないという説まである。」

 

母が苦笑する。

 

「でもどれもわからないの、彼女本人が一度も語ったことがないから。」

 

少女は端末の画面を見つめる。

 

そこには柔らかな笑みを浮かべた夜明けの魔女。

 

銀の髪。

翠色の瞳。

 

そして、胸元で静かに揺れる青銀色のロケットペンダント。

 

「……もし。」

 

少女は何気なく呟いた。

 

「もし、おじいちゃんが会った人が本当に夜明けの魔女だったら。」

「なんで、ひいひいおじいちゃんに会いに来たんだろう。」

 

その素朴な疑問に、誰も答えられなかった。

 

部屋には、壁掛け時計の針が時を刻む音だけが静かに響いていた。

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