魔女が秘密にした男   作:ケン3ヴァルデン

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第23話 視線の先

 

 

 

森を出てから半日ほど。

 

街道を進み続けた一行は、ついに街へと到着した。

 

高い木柵。

見張り台。

人の声。

荷車の軋む音。

焼いた麦の匂い。

 

青年は無言で周囲を見渡していた。

 

懐かしい。

だが懐かしいだけだった。

 

温かさは感じない。

帰ってきたという感覚もない。

ただ昔見た景色がそこにあるだけだった。

 

門番たちはアゼドたちを見ると慌てて敬礼する。

 

調査隊として出発した有名な冒険者たちだ。

当然の反応だ。

だがその隣に立つ青年を見ると表情が変わる。

 

怪訝そうな目。

訝しむ視線。

 

青年は気にしなかった。

 

服装は以前より遥かにまともになったとはいえ、今も森暮らしの名残がある。

 

日に焼けた肌。

鍛えられた身体。

獣のような気配。

 

そして何より魔力を持たない。

 

魔力を持つ人間は本能的にそれを感じ取る。

言葉にはしない。

しかし視線が語っていた。

 

「なんだあいつは」と。

 

ジーナは不快そうに眉をひそめる。

ノエルも視線を睨み返している。

 

だが青年自身は気にしていなかった。

そんなことより気になるものがあった。

 

路地裏、建物の陰。

一人の老人が座り込んでいる。

 

痩せている。

顔色も悪い。

 

近くには幼い子供。

母親らしき女性もいる。

 

皆やせ細っていた。

 

青年の足が止まる。

青年の視線が別の場所に。

 

今度は男が倒れていた。

 

誰も助けない。

人々は横を通り過ぎる。

見えていないかのように。

 

昔と同じだった。

 

青年の胸に何かが込み上げる。

 

苛立ちだった。

 

あの状態は危険だ。

放置すれば死ぬ。

助けなければならない。

 

考えるより先に身体が動く。

青年が路地へ向かおうとした瞬間。

 

肩を掴まれ、振り返る。

 

アゼドだった。

 

「待て」

 

低い声。

 

青年は不満そうに眉を寄せる。

 

「死ぬぞ」

 

「ああ」

 

「じゃあ」

 

「分かっている」

 

アゼドは静かに答える。

そして周囲を見回す。

 

街。

人。

貴族。

商人。

役人。

 

様々な思惑が渦巻く場所。

森とは違う。

善意だけでは動けない。

 

「だからこそ順番がある」

 

青年は理解できない顔をする。

 

アゼドは続けた。

 

「今のお前はただの身元不明の男だ」

「何を配っても怪しまれる」

「薬を渡しても捕まるかもしれん」

「食料を配っても取り上げられる」

 

青年は黙る。

 

それは知らない話だった。

森では考える必要がなかった。

 

「まずギルドへ行く、そして話を通す」

「お前を守れる立場を作る」

「その後なら動きやすい」

 

アゼドの声は真剣だった。

 

青年は再び倒れている老人を見る。

 

今すぐ助けたい。

 

だがアゼドも嘘を言っていない。

 

青年は拳を握る。

 

悔しかった。

 

目の前に困っている人がいるのに。

かつての自分と同じなのに。

 

助ける方法があるのに。

すぐには動けない。

 

それがどうしようもなく気に入らない。

 

アゼドは苦笑した。

 

「焦るな、お前は世界を変える」

「ただその変化は今の人々には早すぎる」

 

アゼドの言葉は最もだった。

 

たが青年は首を振る。

そして倒れている人々を見ながら答える。

 

「それでも、待てない」

 

その言葉に。

 

アゼドは返事ができなかった。

ジーナも、ノエルも。

誰も。

 

青年にとって。

飢えはもっとも避けるべきことだ。

助けられるなら助けるものだ。

 

だからこそ。

昔から続くこの光景が理解できない。

 

 

***

 

 

街の中心部。

 

人通りの多い大通りを抜けた先に冒険者ギルドはあった。

 

巨大な建物だった。

石と木材で造られた重厚な外観。

依頼掲示板。

 

武器を担いだ冒険者たち。

昼間だというのに酒を飲む者。

 

怪我人。

笑い声。

怒鳴り声。

 

青年は思わず足を止める。

 

うるさい。

 

森とは正反対だった。

 

「なんだここ」

 

「冒険者ギルドだ」

 

アゼドが当然のように答える。

 

「知ってる、でもうるさい」

 

「慣れろ」

 

「嫌だ」

 

即答だった。

 

アゼドは笑う。

ノエルは少し口元を緩めた。

ジーナは肩を震わせている。

 

そんなやり取りをしながら中へ入る。

すると一瞬だけ空気が変わった。

 

「おい」

 

「あれアゼドじゃねえか」

 

「調査隊が帰ってきたぞ」

 

「生きてたか」

 

「酒奢れ!」

 

「報告聞かせろ!」

 

野太い声が飛び交う。

 

椅子が動く。

 

何人もの冒険者が近寄ってくる。

だがアゼドは慣れたものだった。

 

「報告が先だ」

「酒は自分で買え」

 

「ちっ」

 

「相変わらずだな」

 

笑い声が上がる。

 

調査隊の面々も軽く手を振るだけで流していく。

しかし次第に冒険者たちの視線が別の方向へ向く。

 

青年だった。

 

「誰だ?」

 

「新人か?」

 

「いや違うだろ」

 

「森の奴じゃねえか?」

 

ひそひそ声が聞こえる。

 

青年は気にしない。

 

視線には慣れている。

だが少しだけ落ち着かない。

 

森の獣ならこんなに見てこない。

見てくるなら襲う時だけだ。

その方がまだ分かりやすかった。

 

アゼドはそのまま受付へ向かう。

 

受付嬢が顔を上げる。

 

そして固まった。

 

「アゼドさん!無事だったんですね!」

 

「報告書だ」

 

「は、はい!」

 

慌てて書類を受け取る。

だが処理を始めた後も。

 

ちらり。

 

青年を見る。

また書類を見る。

 

ちらり。

 

青年を見る。

また書類を見る。

 

青年は不思議そうに首を傾げた。

 

「見られてる」

 

「そりゃな」

 

アゼドが答える。

 

「なんで」

 

「気になるからだろ」

 

青年は納得できなかった。

すると受付の奥でも動きがある。

 

別の受付嬢。

書類係。

職員。

 

皆ちらちらとこちらを見ている。

 

中には露骨な者もいた。

 

身を乗り出している。

紙を持ったまま固まっている。

完全に聞き耳を立てている者までいた。

 

青年は少しだけ後ろを見る。

 

自分の後ろに何かあるのかと思った。

 

何もない。

前を向く。

 

職員たちと目が合う。

慌てて逸らされる。

 

また数秒後に見られる。

青年は困惑した。

 

「変な奴らだな」

 

ジーナが吹き出す。

 

「あなたが言う?」

 

「?」

 

青年は本気で分かっていなかった。

 

その頃受付嬢は必死だった。

 

調査隊。

森の主。

楽園の実。

 

そして連れて帰ってきた謎の青年。

 

昨晩戻った先行隊員から断片的な話は聞いている。

 

だが内容が信じられなかった。

 

森に住む人間。

楽園の実を食べる。

未知の薬を作る。

魚を育てる。

魔法を使わず火を起こす。

 

話が本当なら歴史的発見だ。

気になるなという方が無理だった。

 

やがて処理が終わる。

受付嬢は深呼吸して姿勢を正した。

 

「ギルド長から通達があります」

「応接室をご用意しておりますので」

 

アゼドが頷く。

 

「案内を頼む」

 

「はい」

 

青年は周囲を見回す。

 

まだ見られている。

 

冒険者も。

職員も。

全員だ。

 

まるで珍しい動物を見るような目。

 

少しだけ居心地が悪い。

 

「帰りたい」

 

ぼそりと呟く。

 

「まだ着いたばかりだぞ」

 

アゼドが苦笑する。

 

そんなやり取りをしながら一行はギルドの奥へ進む。

騒がしい酒場のような空間を抜け厚い木製の扉の前へ辿り着く。

 

受付嬢が扉を開く。

 

そこは静かだった。

外の喧騒が嘘のように消えている。

 

応接室。

 

ギルド長との面会用の部屋。

 

 

***

 

 

応接室の中は静かだった。

 

分厚い扉が閉まる。

 

外の喧騒が嘘のように遠ざかる。

 

室内には大きな机。

来客用の椅子。

壁に掛けられた地図。

 

そして書類の山。

 

青年は思わずそちらを見た。

 

机の上だけではない。

棚にも。

床にも。

積み上がっている。

 

まるで紙の砦だった。

 

その中心に一人の老人が座っている。

 

白髪。

深い皺。

年齢を感じさせる顔。

だが身体は鍛えられていた。

 

引退したとはいえ、かつて一線級だったことが一目で分かる。

 

冒険者ギルド長ナシム。

 

この街の冒険者たちを束ねる男だった。

ナシムは険しい顔で書類を睨んでいる。

 

何かを書き込み。

また別の紙を見る。

 

さらにため息。

また書き込む。

 

そんなことを繰り返していた。

 

受付嬢が咳払いをする。

 

「ギルド長」

 

老人の手が止まる。

顔を上げる。

 

「……ん?」

 

疲れ切った声。

そして視線がアゼドたちへ向く。

 

一瞬だけその表情が和らいだ。

 

「帰ったか」

 

「はい」

 

アゼドが答える。

 

ナシムは椅子へ深くもたれ掛かる。

 

「まずはご苦労だった」

「全員無事で何よりだ」

 

調査隊の面々が頭を下げる。

 

ナシムは手を振った。

形式ばった礼など必要ない。

そう言いたげだった。

 

それから視線が移る。

 

青年へ。

 

室内が少し静かになる。

青年も老人を見る。

互いに無言。

 

しばらくして。

 

老人は目を細めた。

 

話は聞いている。

昨晩から報告も届いている。

 

しかし実際に見るのは初めてだった。

 

森の主。

楽園の実の研究者。

未知の薬師。

未知の農夫。

未知の料理人。

 

報告書には好き勝手な肩書きが並んでいた。

 

正直半分は誇張だと思っていた。

 

しかし今こうして見ると。

何とも言えない。

 

ナシムは目頭を揉む。

疲れたように。

深く息を吐く。

 

「……頭が痛い」

 

ぼそりと呟く。

 

青年は少し身構えた。

何か問題でもあったのだろうか。

 

だがナシムは首を横に振る。

 

「勘違いするな」

「君のせいじゃない」

「むしろお前のせいなら楽だった」

 

青年はさらに分からなくなる。

ナシムは机の書類を指差した。

 

「昨日から君の報告書を読んでいる」

「十回は読んだ、読む度に内容が増えている気がする」

 

ジーナが吹き出す。

アゼドも苦笑した。

ナシムは無視して続ける。

 

「あの死をもたらす楽園の実」

「誰も食べたがらない魚の養殖」

「奇妙な保存食」

「誰も知らない薬学と農法」

「魔物を利用した火起こし」

「用途不明の未知の道具」

「現状不可能な未知の加工技術」

 

一つ一つ指を折る。

数が増える。

皺も増える。

最後には諦めたように天井を見上げた。

 

「頼むから報告書が嘘だと言ってくれ」

「今ならまだ眠れる」

 

青年は少し考える。

 

「多分本当」

 

いたって真面目に答えた。

 

ナシムは両手で顔を覆った。

 

「そうか……」

 

本当に疲れた声だった。

 

アゼドたちは笑いを堪えている。

 

ナシムはしばらくそのまま固まる。

やがて諦めたように手を下ろした。

 

そして改めて全員を見る。

 

「大勢ですることでもない、解散してくれ」

「アゼド、お前は残れ」

 

「私ここにいたいんだけど?」

 

「……好きにしろ」

 

ナシムは青年とアゼドを座らせる。

しかしジーナがすでに座ったので諦めていた。

 

ノエルは調査隊の面々を連れて部屋を出ていく。

 

「今日は長くなる」

 

ナシムは断言する。

 

それだけで全員が理解した。

これから始まるのは事情聴取ではない。

 

世界の常識を揺るがす報告会だ。

 

 

ナシムは再び書類の山へ目を向ける。

そして小さく呟いた。

 

「さて……」

「どこから手をつければいいんだ?」

 

その言葉と共に、

 

青年の第二の人生が本格的に始まろうとしていた。

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