――ピンポーン。
玄関のチャイムが、静まり返ったリビングに響いた。
「……!」
少女が肩を震わせる。
母も父も、思わず顔を見合わせた。
つい先ほどまで夜明けの魔女の話をしていたせいだろう。
たかがチャイム一つに、全員が妙に胸を高鳴らせていた。
「……はは。」
父が照れ隠しのように笑う。
「まさか、な。」
「そうよね。」
母も苦笑する。
「こんなタイミングで本人が来るわけないじゃない。」
「そうだよ。」
少女も笑いながら頷いた。
「漫画じゃあるまいし。」
張り詰めていた空気が少しだけ緩む。
父は立ち上がると、「俺が出るよ」と玄関へ向かった。
ドアスコープを覗く。
見慣れた制服。
宅配業者だった。
「なんだ。」
思わず力が抜ける。
玄関を開けると、配達員が手際よく荷物を差し出した。
「お届け物です。こちらにサインをお願いします。」
「ああ、ありがとうございます。」
電子端末へ署名を済ませ、荷物を受け取る。
「それでは失礼します。」
軽く一礼すると、配達員は車へ向かって歩き始めた。
父は玄関の扉を閉めようとして――ふと、その向こうに人影が立っていることに気付く。
配達員の少し後ろ。
門の前に、一人の女性が静かに立っていた。
深い色のフード付きローブ。
その顔は影に隠れ、表情までは分からない。
いつからそこにいたのか。
配達員も気付いていないようで、そのまま車へ乗り込み走り去っていく。
父は思わず声を掛けた。
「……何か御用でしょうか。」
女性は一歩だけ近付いた。
落ち着いた、よく通る声だった。
「突然だけど名字を、お聞かせいただいてもよろしいでしょうか。」
父は少し戸惑う。
「え?」
「確認が取りたいので。」
不思議な頼みだった。
営業だろうか。
そう思いながらも、父は自分の姓を答えた。
女性は小さく頷く。
そして、まるで長い年月を経た記憶を確かめるように、静かに問い掛けた。
「では……。」
「――という方は、ご存じですか。」
告げられたのは、一族の高祖父の名。
おじいちゃんのおじいちゃん。
父の表情から血の気が引く。
「……え。」
女性は父の反応をじっと見つめる。
「その方は、この家系の方で間違いありませんか。」
玄関先に、沈黙が落ちた。
家の中から、心配そうに少女が顔を覗かせる。
「お父さん?」
父は振り返ることもできなかった。
なぜ、この女性が。
どうして、その名前を、今ここで尋ねてくるのだろうか。
「……大丈夫ですか?」
「それと先程の答えを聞きたいのですが。」
フードの女性は若干急かしていた。
父は喉を鳴らして答える。
「は、はい……。高祖父です。」
その一言を聞いた途端だった。
フードの女性は胸に手を当て、大きく息を吐いた。
「はぁ~~~……。」
張り詰めていた空気が、一気に抜ける。
「いやぁ、良かったぁ!」
さっきまでの落ち着いた口調はどこへやら。
女性は安堵したように肩を落とし、その場で軽く伸びまでしてみせた。
「もう、何件回ったと思ってるのよ。」
「番地も昔と全然違うし、区画整理はされてるし、家は建て替わってるし……。」
「おまけに本人は『家ならすぐ分かる』なんて言うし!いつの話よ!」
父も、後ろから様子を窺っていた少女も、ただ呆然と立ち尽くしていた。
女性はそんなことなど気にも留めず、一人でぶつぶつと話し続ける。
「ほんっと人使い荒いんだから。」
「『悪いけどお願い』って笑ってたけど、お願いされる方は大変なのよ?」
「しかも、自分で場所忘れてるくせに。」
「『たぶんこの辺だったと思う』じゃないのよ。」
「たぶんって何よ、たぶんって。」
少女は小声で父に囁いた。
「……誰に文句言ってるの?」
「わ、分からない……。」
父も困惑したまま首を横に振る。
女性の独り言は止まらない。
「『しぶといからきっと残ってる』なんて気楽に言うし、残ってなかったらどうするつもりだったのよ。」
「私、ここんとこずーっと歩きっぱなしなんだから。」
「魔法で探せばいいじゃないって? あのねぇ、それができるなら苦労しないの。」
女性はぶつぶつ言いながら額に手を当て、大げさにため息をついた。
「ほんと、昔から変わらないんだから。」
「人に頼る時だけ笑顔なんだから、あの人。」
父は恐る恐る口を開く。
「あ、あの……。」
「あ、ごめんなさい。」
女性はようやく我に返ったように父へ向き直る。
「つい愚痴が出ちゃって。」
照れ笑いでも浮かべているのだろうか。
フードの奥から、くすりと笑う声が聞こえた。
「でも、本当に助かったわ。」
「やっと見つけられたもの。」
そう言って女性はもう一度家を見上げる。
その声には、先ほどまでの軽さとは違う、どこか懐かしむような響きが混じっていた。
誰へ向けた言葉なのか。
父にも少女にも分からない。
ただ、その一言だけは、長い年月を越えて誰かを想うように、静かに玄関先へ溶けていった。
***
「どっどうぞ、中へ。」
父は慌てて玄関を大きく開けた。
「立ち話も何ですし、お茶でも――」
「あー、大丈夫大丈夫。」
フードの女性は両手をひらひらと振る。
「すぐ終わるから。」
「でも……」
「本当に。」
どこか慣れた口調で笑う。
「今日はすこし話に来ただけなの。」
父はなおも遠慮がちに言う。
「せめて少しくらい……。」
「気持ちだけもらっておくわ。」
女性は首を横に振った。
「これ以上のんびりしてると、また怒られるし。」
「……また?」
「うん。」
女性はうんざりしたように肩を落とす。
「『寄り道しないで』って念を押されたから。」
「絶対どこかでお茶飲んでくると思われてるのよ。失礼しちゃう。」
そう言いながらも、本人も否定しきれていない様子だった。
「……まあ、途中で甘いものは食べたけど。」
ぼそりと付け加えた一言に、少女は思わず吹き出しそうになる。
女性はローブの内側をごそごそと探り、小さな名刺入れを取り出した。
「はい。」
父へ一枚差し出す。
受け取った父は、その文字を見た瞬間、固まった。
【魔女 サンシタ】
それだけが、簡潔に印刷されている。
「……え。」
父の手がわずかに震えた。
「サ、サンシタ……?」
少女も横から覗き込み、思わず息を呑む。
その名を知らない者はいない。
『魔女サンシタ』。
現在確認されている不死者の一人。
数百年前から姿を変えず生き続ける、高位の魔女。
世界各国の魔法学会にもたびたび名が登場する、生ける歴史そのもの。
……もっとも、その名前だけは少し妙だった。
“サンシタ”。
まるで誰かに付けられたあだ名のような、不思議な呼び名。
本人も苦笑しながら名刺を見つめた。
「ひどい名前でしょう?」
「初めて会う人、大体そういう顔するのよ。」
少女は恐る恐る尋ねる。
「あの……本名じゃないんですか?」
「違う違う。」
サンシタは即答した。
「昔ね、ある子にそう呼ばれ始めちゃって。」
「そのまま定着したの。」
「最初は絶対嫌だったんだけどねぇ。」
彼女は空を仰ぎ、大きくため息をつく。
「何百年も呼ばれ続けると、今さら変えるのも面倒で。もう諦めたのよ。」
父はまだ名刺から目を離せない。
「夜明けの魔女様とも……交流がおありだと聞いていますが。」
「交流?」
サンシタはぴくりと眉を動かした。
「交流なんて、聞こえはいいわね。」
少女は興味津々で身を乗り出す。
「仲良しなんですか?」
「全然。」
即答だった。
「出会いなんて最悪よ。」
サンシタは遠い目をする。
「昔、とある男をね。ちょーっと色仕掛けで落として、利用しようとしたことがあったの。」
父も少女も固まる。
「そしたら、その子が現れて。」
「『何してるの?』って。」
「それからは、まあ……。」
肩をすくめて笑う。
「気付いたら私が振り回される側。」
「人生って分からないものよねぇ。」
その笑顔にはどこか呆れと、長年付き合った相手だからこその親しみが混じっていた。
「不死になった今でもよ。」
「『お願い』って言えば私が断れないの、完全に分かってるんだから。」
「今回だってそう。『悪いんだけど、この家に行ってきて』。自分で行けばいいじゃない。」
「『私はちょっと行きづらいから』ですって。」
サンシタは両手を広げ、大げさに嘆いてみせる。
「結局、何百年経っても私が使いっ走り。」
「ほんっと、人使いだけは昔から天下一品なんだから。」
そう愚痴をこぼしながらも、その声色には不思議と本気の嫌悪はなかった。