魔女が秘密にした男   作:ケン3ヴァルデン

29 / 31
第26話 仕事の時間

 

 

 

バロウズ・セシアン。

 

青年にその名が与えられてから、幾つかの月日が流れた。

 

街は少しずつ変わり始めていた。

 

誰一人として、その変化が後に歴史の転換点と呼ばれるとは知らないまま。

 

***

 

アゼドとナシムは街の外れに新たな屋敷の建設を進めていた。

 

ただの屋敷ではない。

 

研究室。

薬の調合室。

保存庫、食料庫。

採取品の仕分け場。

そして人を雇うための受付。

 

住まいであり、工房であるその建物は、後の時代に”夜明けの魔女の城”と呼ばれる施設の原型だった。

 

ナシムはギルド長として各所との調整に奔走する。

 

土地の確保、建材の手配、職人の選定。

貴族への説明、商人との交渉。

 

毎日のように机へ向かい、山積みの書類と格闘していた。

 

一方のアゼドは現場を飛び回る。

 

職人との打ち合わせ。

警備の配置、資材の確認。

 

完成後を見据えた動線の設計まで、自ら足を運んで指示を出していた。

 

***

 

ジーナとノエルは、森へ通う日々を送っていた。

 

目的は、バロウズが長年蓄えてきた物資の回収。

 

森の各地に点在する拠点。

そこへ保管されている研究資料。

 

薬、保存食。

加工した素材。

種子、乾燥させた薬草。

そして木の皮へ記された観察記録。

 

その量は二人の想像を遥かに超えていた。

 

「また見つけた……。」

 

ジーナは苦笑する。

 

「まったく、多いなこれは…」

 

ノエルは呆れながら荷車へ荷物を積み込む。

 

彼が拠点ごとに役割を分けた事が、いまの彼女たちの作業を難航させた。

 

薬を作る場所。

魚を育てる場所。

乾燥庫。

燻製小屋。

果実畑。

薬草園。

 

どれも計画的に配置されている。

 

ノエルは何度も思った。

 

この男は、本当に一人で生きていたのか、と。

 

 

***

 

 

そして当の本人。

 

バロウズはナシムと共に、一枚の紙と向き合っていた。

 

そこへ並ぶのは薬の調合法ではない。

 

【雇用計画】

 

森で採取する植物。

危険度、報酬。

教育期間。

薬への加工手順。品質管理。

保管方法。

採取量の上限。

季節ごとの変動。

 

森の資源が枯渇しないための制限まで細かく書き込まれていく。

 

「全部必要なのか?」

 

ナシムが尋ねる。

 

「必要。」

 

バロウズは即答した。

 

「採りすぎたら無くなる。」

「教えないと毒草も採る。」

「急ぎすぎると死人が出る。」

 

森で生きてきた経験が、そのまま仕組みになっていく。

 

ナシムはその一つ一つを書き写しながら、小さく笑う。

 

「細かいな、お前は。」

 

バロウズは意味が分からず首を傾げた。

 

 

***

 

 

街でも少しずつ噂が広がり始めていた。

 

「ギルドが新しい仕事を始めるらしい。」

 

「薬草を集めるだけで食料がもらえるとか。」

 

「森へ入る仕事だって?」

 

「本当なのか?」

 

期待。

疑念。

嘲笑。

 

様々な声が飛び交う。

 

だが、その噂を最も真剣な表情で聞いていたのは、路地裏で暮らす貧しい者たちだった。

 

魔力がない。

仕事がない。

生きる術がない。

 

そんな彼らにとって、それは初めて与えらるかもしれない”施しではない生き方”だった。

 

その小さな計画が、後に国中へ広がる採取制度の始まりとなり、魔力を持たない者たちの暮らしを大きく変える第一歩になる。

 

 

***

 

 

屋敷の完成があと少しとなった頃。

 

バロウズとナシムは、新たな事業を動かし始めた。

 

「完成を待つ理由はない。やりながら直せばいい。」

 

森で生きてきた彼にとって、それは当たり前の考え方だった。

 

罠も、薬も、農地も。

一度で完成したものなど一つもない。

 

失敗して直す、また試す。

その積み重ねだけが正解へ辿り着く道だと知っていた。

 

 

冒険者ギルドでは、新たな依頼が掲示された。

 

『採取隊護衛依頼』

 

内容は単純。

 

森へ入る採取隊を護衛し、安全に帰還させること。

 

魔物への対処、荷物の運搬補助。

 

それだけだった。

 

「討伐より楽そうだ。」

 

「長期依頼なのは助かる。」

 

「報酬も悪くない。」

 

冒険者たちの反応は上々だった。

アゼドの声掛けもあり、それなりの人数が集まる。

 

一方で。

 

ナシムが募集をかけた新事業は、まるで様子が違った。

 

募集対象は以下の者達。

 

魔力を持たない者。

スラムで暮らす者。

日雇い仕事すら得られない者。

 

「森で薬草を採るだけで報酬?」

 

「そんな都合のいい話があるか。」

 

「どうせ危険な仕事を押し付けられる。」

 

「魔力なしを集めるなんて怪しい。」

 

疑う者ばかりだった。

 

これまで何度も騙されてきた。

甘い話の先に待っていたのは搾取ばかり。

だから誰も信じない。

 

それでもほんの数人だけ、来る者がいた。

 

痩せ細った青年。

 

幼い妹を連れた少女。

 

杖を突く老人。

 

子を抱えた母親。

 

どれも、生きることに疲れたような顔をしていた。

 

ナシムはその光景を見て胸が痛む。

 

一方、バロウズはいつも通りだった。

 

「これだけ?」

 

集まった人数を見て首を傾げる。

 

ナシムは苦笑する。

 

「これでも多い方だ。」

 

「そう。」

 

バロウズはそれ以上何も言わなかった。

 

少ないなら少ないなりに工夫すればいい。

森ではいつもそうだった。

 

魚が獲れなければ罠を変える。

畑が育たなければ土を変える。

薬が効かなければ配合を変える。

 

最初から上手くいくなど、一度もなかった。

 

だから今回も同じ。

 

「始めよう。」

 

その一言だけだった。

 

ナシムは確認する。

 

「本当にいいのか?」

「まだ制度も未完成だ。」

「人も少ない。」

「不満も出るぞ。」

 

バロウズは静かに頷く。

 

「知ってる、だから始める。」

「やってみないと何が悪いか分からない。」

 

森で学んだ唯一の正解。

 

失敗は終わりではない。

 

次に直すための材料でしかない。

 

その考え方は、薬作りにも、料理にも、そして社会の仕組みにも変わらず向けられていた。

 

ナシムは思わず笑う。

 

「……本当に、お前は変わっている。」

 

バロウズは不思議そうに首を傾げた。

 

 

そして翌朝。

 

たった数人の採取者と、それを護衛する冒険者たちは、朝靄の立ち込める森へと足を踏み入れた。

 

後世では、この日が「総合事業」の始まりとして記録される。

 

誰も見向きもしなかった森の恵みが、人々の生活を支える産業へと変わる、その最初の一歩だった。

 

 

***

 

 

街の外れ。

 

冒険者ギルドの前には、今回参加する者たちが集められていた。

 

護衛を務める冒険者。

採取を担当するスラムの住民たち。

 

人数は決して多くない。

 

期待よりも、不安の方が大きい顔ばかりだった。

 

「本当に森へ入るのか……。」

 

「魔物なんて見たこともねえぞ。」

 

「帰ってこれるんだろうな。」

 

そんな囁きがあちこちから聞こえる。

 

対照的に、バロウズはいつも通りだった。

 

「行こう。」

 

その一言で歩き始める。

 

 

 

森へ入ると、すぐに違いが現れた。

 

スラムで暮らす者たちは、想像以上に体力がなかった。

 

ろくに食べていない。

 

痩せ細った身体では、森の中を歩くだけでも苦しい。

 

息を切らし、足を止める者が次々と現れる。

 

それを見た冒険者たちは顔を見合わせた。

 

「おいおい……。」

 

「これじゃ採取どころじゃないぞ。」

 

バロウズは少し考えて指示を出すことにした。

 

「荷物を持てる人は代わりに持って。」

「歩けない人は他の人が支えて。」

 

屈強な冒険者たちが荷物を担ぎ、疲れた者へ肩を貸す。

 

最初は不満そうだった彼らも、事情を知ると黙って従った。

 

一方のバロウズだけは、森を歩く速度が変わらない。

 

木々の間を迷いなく進む。

枝を避け、獣道を選ぶ。

時折振り返っては全員が付いてきているかだけを確認する。

 

彼にとっては、見慣れた庭のようなものだった。

 

 

 

しばらく歩いたところで、バロウズが足を止める。

 

「今日はまず二つ。」

 

参加者たちへ振り返る。

 

「これ。」

 

地面を指差す。

 

そこには細長い葉が群生していた。

土の中から少しだけ白い部分が覗いている。

 

「臭い根っこ。」

 

冒険者たちは顔をしかめる。

 

一本抜いてみる。

 

皮を剥いた瞬間。

 

「くっさ!」

 

「なんだこれ!」

 

鼻を突く刺激臭に、思わず顔を背ける。

 

バロウズだけは平然としていた。

 

「臭いけど、食べると元気になる。」

「食べると身体が動く、疲れにくい。」

「美味しい。」

 

最後の一言だけは誰も信じなかった。

 

「絶対嘘だろ。」

 

冒険者の一人が小さく呟く。

 

バロウズは気にせず採取方法を教え始める。

 

「大きいのだけ、小さいのは残す。」

「根を全部取らない、来年また生える。」

 

採る者たちは不安そうに、だが真剣に頷く。

 

ただ集めるだけではない。

次も採れるように残す。

それも仕事の一部だった。

 

 

「終わったら魚。」

 

今度は川へ向かう。

 

透き通った水の中を魚が泳いでいる。

 

「今日のご飯。」

 

バロウズはそう言って川へ入った。

 

石を拾う。

流れを見る。

魚を見る。

 

パシャン。

 

一瞬だった。

魚が一匹、岸へ飛ぶ。

 

「え?」

 

冒険者が目を丸くする。

 

もう一匹。

また一匹。

 

まるで魚の動きが最初から見えていたかのように、次々と捕まえていく。

 

「すげぇ……。」

 

誰かが思わず呟く。

 

バロウズは首を傾げる。

 

「道具忘れた、けど慣れれば普通。」

 

彼にとっては、本当に普通だった。

 

採れた魚を籠へ入れながら、バロウズは満足そうに頷く。

 

「今日はこれでいい。」

 

冒険者が尋ねる。

 

「どうするんだ?」

 

バロウズは迷うことなく即答した。

 

「食べる。」

 

全員がきょとんとする。

 

「今日来た人、来なかった人。」

「みんなに食べてもらう。」

 

臭い根、にんにく。

魚。

そして森で採れる香草。

 

体を温め、栄養をつける料理を作る。

 

それが今日の目的だった。

 

飢えた身体では働けない。

元気がなければ明日も来られない。

 

だからまず食べる。

 

健康になる、その上で働く。

 

バロウズにとって、それは事業ではなく、ごく当たり前の順序だった。

 

だが誰もまだ気付いていない。

 

この「まず経験してもらう」という考え方が、後に総合事業最大の特徴となる。

 

労働だけではない。

食事、医療。

教育、雇用。

 

それらを一つの仕組みとして支えるからこそ、人々は後にこの事業を「総合事業」と呼ぶようになるのである。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。