魔女が秘密にした男   作:ケン3ヴァルデン

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第28話 思惑

 

 

総合事業が軌道に乗り始めた頃。

 

街の一角では、もう一つの大きな計画が完成を迎えていた。

 

バロウズの屋敷。

 

外観は、貴族の館のような華美さはなかった。

飾り立てた彫刻も、黄金の装飾もない。

代わりに目立つのは実用性だった。

 

大きな窓。

荷車がそのまま入れる広い搬入口。

採取品を運び込むための倉庫。

雨の日でも作業できる広い軒。

 

誰が見ても、「暮らすため」ではなく「働くため」の建物だと分かる造りだった。

 

 

 

一階は、総合事業の中心となる場所だった。

 

入口を入ると最初にあるのは受付。

 

依頼を受ける者。

採取した薬草を持ち込む者。

薬を受け取る者。

仕事を求める者。

 

毎日のように多くの人が出入りする。

 

その奥には、大きな仕分け場。

 

森から運ばれた薬草。

香草、茸、果実。

魔物の素材。

 

それらが種類ごとに分けられ、加工場へ送られていく。

 

さらに奥には、薬の調合室。

 

壁一面へ並ぶ乾燥薬草。

大小さまざまな乳鉢。

煮沸用の大釜。

乾燥棚、保存庫。

 

森に点在していた施設が、そのまま一つの建物へ集約されていた。

 

 

そして二階。

 

そこは、完全にバロウズだけの空間だった。

 

誰にも邪魔されない研究室。

新しい薬を試作する実験室。

料理を研究する広い調理場。

保存食を作るための乾燥室。

魔物の素材を分解し、観察する解剖室。

植物の種子を保管する部屋。

びっしりと記録が並ぶ書庫。

壁一面には木の皮や羊皮紙へ書かれた観察記録が並び、棚には試作品が所狭しと置かれている。

 

失敗作すら捨てられていない。

 

バロウズにとって、失敗もまた次の答えへ繋がる記録だからだった。

 

しかし寝室だけは驚くほど質素だった。

 

机、椅子。

簡素な寝台。

衣服をしまう棚。

 

対照的に、研究室や調理場には惜しみなく広い空間が使われている。

 

ジーナは苦笑した。

 

「……どこが家なのよ」

 

バロウズは不思議そうな顔で答える。

 

「全部。」

「暮らして。」

「考えて。」

「作る場所。」

 

それが彼にとっての家だった。

 

 

 

屋敷が完成したその日も、バロウズは特別な感慨を抱かなかった。

 

「これで雨でも薬が作れる。」

 

「荷物も運びやすい。」

 

「便利。」

 

その程度だった。

 

しかし、ジーナは違った。

 

完成した屋敷を見上げながら、小さく呟く。

 

「ここから、世界が変わる。」

 

その予感は、誰よりも強かった。

 

そして数百年後。

 

不死となった彼女がなお住み続けるその建物は、人々から畏敬を込めてこう呼ばれるようになる。

 

――『夜明けの魔女の城』

 

世界に夜明けをもたらした知恵が生まれ、育まれ、受け継がれた場所として。

 

 

***

 

 

その頃。

 

街から遠く離れた王都では、別の形でバロウズの名が広まり始めていた。

 

だが、その噂は真実とは似ても似つかないものだった。

 

 

商人は荷を運ぶ。

荷と共に話も運ぶ。

 

一つの街で聞いた話は、次の街で少し姿を変える。

 

さらにその次では尾鰭が付き。

 

王都へ届く頃には、まるで別の話になっていた。

 

『地方の街で、とんでもない薬が作られているらしい。』

 

その話は、「どんな病でも治る秘薬がある。」

 

やがて、「死者すら蘇らせる薬がある。」

 

へと変わっていく。

 

 

 

『豊かになってスラム街が消えたらしい。』

 

その話も、「貧民が突然姿を消した。」

 

やがて、「どこかへ連れ去られた。」

 

そして、「秘密の軍隊を作っている。」

 

と、いつしか恐ろしい噂へ変わっていた。

 

 

 

『森へ毎日のように人が入っている。』

 

それだけの話が「大量の兵士を訓練している。」

「戦争の準備をしている。」という話へ発展する。

 

護衛を務める冒険者たちは、

いつの間にか精鋭部隊となり。

 

薬草の採取は兵糧の備蓄になり、

魚を運ぶ荷車は武器の輸送になっていた。

 

 

 

そして何より、人々の想像を掻き立てたのが、バロウズ本人だった。

 

彼はほとんど街へ姿を現さない。

商人とも積極的に会わない。

貴族へ挨拶もしない。

 

総合事業の現場にはいる。

だが、それ以外では研究室へ籠もる日も多い。

 

その姿を見た者は少なく、見てもすぐ仕事へ戻ってしまう。

 

結果として、

 

「誰も顔を知らない男」

 

という印象だけが独り歩きした。

 

王都では、様々な呼び名が生まれる。

 

『蘇った男』

 

死者を蘇らせる薬を持つという噂から。

 

『顔のない男』

 

誰もその正体を知らないことから。

 

『反乱の支度をしている男』

 

大量の人員と物資を集めているという誤解から。

 

どれも真実ではない。

 

しかし、人々は真実よりも刺激的な噂を好む。

 

 

 

ある貴族は酒の席で笑い飛ばした。

 

「地方の田舎者が英雄気取りか。」

 

別の貴族は眉をひそめる。

 

「もし本当なら危険だ。」

 

商人たちは顔を見合わせる。

 

「薬を独占されれば商売にならん。」

 

「食料まで押さえられたらどうする。」

 

それぞれが、自分たちの立場で噂を解釈していく。

 

そして誰一人として、真実へたどり着けない。

 

 

***

 

 

ある屋敷の一室。

 

窓辺で紅茶を口にしていた一人の女魔法使いは、商人たちの噂話へ静かに耳を傾けていた。

 

「――『顔のない男』だそうですよ。」

 

「死者を蘇らせる薬まで作っているとか。」

 

「今では兵まで集めているらしい。」

 

商人たちは面白半分に笑う。

 

その女だけは、くすりと微笑んだ。

 

「ふふ……。」

 

久しく忘れていた名前だった。

 

「バロウズ・セシアン。」

 

その名を、もう一度聞く日が来るとは思わなかった。

 

女はゆっくりと窓の外へ視線を向ける。

 

彼女は知っている。

 

初代バロウズ・セシアンを。

 

まだ一介の平民だった頃から。

 

未知へ挑み、誰も進まない道を歩き続けた男を。

 

そして、その帰還を誰よりも待ちながら、最後まで帰らなかったことも。

 

国は彼の死後、公爵位を贈った。

 

だが本人は、その栄誉を知ることなく眠りについた。

 

「懐かしいわね。」

 

ぽつりと漏らした声には、どこか郷愁が滲んでいた。

 

だが、すぐに口元は楽しげに緩む。

 

噂の中の二代目。

 

その話を聞けば聞くほど、初代を思い出しながらも違和感を覚える。

 

薬学、農業。

食文化、雇用。

魔物の利用。

 

どれも初代には成し得なかったことばかり。

 

未知を切り拓いたという一点では同じでも、その歩幅が違う。

 

女は静かに笑う。

 

「あの子より、とんでもないことをしているじゃない。」

 

初代が地図を残したのなら。

 

二代目は文明を残そうとしている。

 

比べることすら失礼かもしれない。

 

それほどまでに、その功績は大きかった。

 

「面白い。」

 

長い、不死の時を生きてきた彼女の心が、久方ぶりに躍る。

 

世界は停滞していた。

 

何十年。

 

何百年。

 

人は争い、奪い合い、少しだけ前へ進み、また止まる。

 

そんな歴史を何度も見てきた。

 

だからこそ分かる。

 

この噂は、ただの流行ではない。

 

本物だ。

 

誰かが世界の歯車を動かし始めている。

 

女は立ち上がる。

 

「少し、会いに行こうかしら。」

 

その瞳には、好奇心と期待が宿っていた。

 

 

***

 

 

総合事業が始まってからというもの、バロウズの日常は一変していた。

 

森では、一日に誰とも話さない日が当たり前だった。

 

必要なのは観察し考え、手を動かすこと。

言葉ではなかった。

 

だが今は違う。

 

朝になれば採取隊へ指示を出し。

 

昼には農家や職人から質問を受け。

 

夕方には薬を求める人々の相談に乗る。

 

一日で何十人もの人と話す生活になっていた。

 

その変化は、少しずつ彼自身を変えていく。

 

当初は、言葉が途切れ途切れだった。

思考の方が先に進み、言葉が追いつかない。

 

「あれ。」

 

「これ。」

 

「こう。」

 

身振り手振りで補いながら説明することも珍しくなかった。

 

しかし、人と話す機会が増えるにつれ、その舌足らずな話し方は少しずつ消えていく。

 

「この薬草は乾燥させてから使ってください。」

 

「魚は内臓を取り除いてから焼くと臭みが減ります。」

 

以前なら短い単語で済ませていた内容も、相手に伝わるよう順序立てて説明できるようになっていた。

 

ジーナはそれを見て笑う。

 

「最初に会った頃より、ずいぶん話せるようになったわね。」

 

バロウズは少し考えて答える。

 

「話した方が早いから。」

 

それもまた、森では学べなかった知識だった。

 

 

一方で、ナシムには別の悩みがあった。

 

「このままではまずい。」

 

屋敷が完成し、人の出入りが増えた今。

 

研究者としてだけではなく、一つの組織の代表として振る舞う場面も増えていた。

 

そのたびに、バロウズは困ったことをする。

 

椅子の上でうずくまる。

 

食事を五分もかからず平らげる。

 

気になった物があれば相手の話の途中でも触りに行く。

 

疲れると床へ座り込み、そのまま眠る。

 

森では何の問題もなかった。

 

だが、人前ではそうはいかない。

 

「これは教育が必要だな……。」

 

ナシムは頭を抱えた。

 

そこで屋敷へ数人の使用人を雇い、生活全般を教えることになった。

 

歩き方。

 

食事の作法。

 

衣服の着方。

 

来客への応対。

 

言葉遣い。

 

読み書きの作法。

 

礼儀。

 

最初の数日は、使用人たちも苦労した。

 

「旦那様、椅子はそう座るものではありません。」

 

「……床の方が楽。」

 

「楽でもダメです。」

 

「……そう。」

 

素直ではある。

 

だが常識がない。

 

森で20年近くも生きてきた男なのだから当然だった。

 

 

それでも、バロウズの覚えは驚くほど早かった。

 

一度理由を理解すれば、二度と間違えない。

 

「人を安心させるため。」

 

「不快にさせないため。」

 

そう説明されると、納得して実践する。

 

礼儀とは形式ではなく、相手への配慮だと理解したからだった。

 

数か月も経つ頃には、その変化は誰の目にも明らかだった。

 

背筋は自然と伸び。

 

無駄のない所作はどこか洗練され。

 

人の話を聞く姿勢にも落ち着きが生まれる。

 

もともと森で鍛えられた均整の取れた身体つきに加え、清潔な衣服と整えられた髪が合わさることで、その印象は見違えるほど変わっていた。

 

街の女性たちは思わず振り返り、冒険者たちは感心する。

 

「あれが、あの森の主か……。」

 

「最初に会った時とは別人みたいだ。」

 

ただ一つだけ。

 

何か新しい発見をした時に目を輝かせ、年相応の少年のような笑みを浮かべる癖だけは、最後まで変わることがなかった。

 

その無邪気さを知る者たちは皆、少しだけ笑う。

 

どれほど立ち居振る舞いが洗練されても。

彼の本質は、森で世界を知ろうと目を輝かせていた、あの少年のままだった。

 

 

***

 

 

総合事業が軌道に乗ったとはいえ、ジーナたちが常にバロウズの傍にいられるわけではなかった。

 

彼らには、それぞれ果たすべき役割があった。

 

アゼドは冒険者ギルドでも屈指の実力者であり、多くの冒険者を束ねる指揮官でもある。

 

魔物討伐。

隊商の護衛。

新人冒険者の育成。

 

そのどれもが彼でなければ務まらない仕事だった。

 

ナシムもまた、総合事業を優先したい気持ちはありながらも、ギルド長として街全体を見なければならない。

 

一人のためだけに組織を動かすことはできなかった。

 

ジーナも同じだった。

 

優秀な魔法使いである彼女には各地から依頼が舞い込み、魔物討伐や災害への対応、貴族からの要請など、長期間街を空けることも珍しくない。

 

そしてノエルもまた、冒険者として名を上げ始めていた。

 

剣の腕を見込まれ、高難度の護衛や討伐依頼へ呼ばれる機会が増えていく。

 

四人とも、バロウズを支えたいという思いは同じだった。

 

しかし、それぞれに守るべき責任があった。

 

もし全員が総合事業へ専念すれば、冒険者ギルドは大きく戦力を失う。

 

討伐依頼は滞り、街の安全は揺らぐ。

それでは本末転倒だった。

 

だから彼らは話し合い、一つの形へ落ち着く。

 

基本的な運営は、バロウズとナシム、そして総合事業で育った職員たちが担う。

 

アゼドたちは依頼の合間に屋敷へ立ち寄り、困り事があれば手を貸す。

 

誰か一人に頼るのではなく、皆で支える。

 

その仕組みは、総合事業そのものの考え方にもよく似ていた。

 

最初こそ、バロウズは少し寂しそうだった。

 

「今日はジーナがいない?アゼドも?」

 

そんな言葉を口にすることもあった。

 

森では孤独が当たり前だったはずなのに、一度仲間と過ごす時間を知ってしまうと、その不在を自然と感じるようになっていた。

 

そんな彼を見て、ナシムは苦笑しながら言う。

 

「安心しろ。お前が困った時は、あいつらは必ず帰ってくる。」

 

その言葉どおりだった。

 

どれほど遠くへの依頼でも。

どれほど危険な任務でも。

屋敷へ戻れば、必ず誰かが顔を見せる。

 

バロウズの隣には、いつしか森で過ごした孤独の時間ではなく、帰る場所を知る人々との日常が根付いていた。

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