気長にお待ちください(˘ω˘)スヤァ…
「それじゃあ、用件は以上。」
サンシタはローブの裾を軽く払うと、くるりと踵を返した。
「あ、あの!」
父が慌てて呼び止める。
「これから、どうすれば……?」
「ああ、そうだった。」
サンシタは思い出したように振り返る。
「多分、急にこんな話されても困るでしょう?」
「はい……。」
「だから、ゆっくり家族で相談してね。皆さんにも予定があるでしょうし。」
そう言って名刺を指先で軽く叩く。
「今月中に、一度連絡をちょうだい。」
「詳しい話は、その時に。べつに焦らなくていいから。」
父は名刺を握り締め、小さく頷いた。
「……分かりました。」
「よろしくね。」
サンシタはにこりと笑い、軽く手を振る。
「じゃ、お邪魔しましたー。」
そのまま門を出て、夕暮れの住宅街へと歩いていく。
少女と父は、その背中が角を曲がって見えなくなるまで見送っていた。
長い沈黙。
先に口を開いたのは少女だった。
「……ねぇ、お父さん。」
「うん。」
「今のって、夢じゃないよね。」
父は手元の名刺へ視線を落とす。
そこには確かに、
魔女 サンシタ
と印字されていた。
「……夢じゃ、ないな。」
父は苦笑するしかなかった。
「不死者が家に来て。」
「高祖父の名前を知っていて。」
「今月中に連絡しろって言われて。」
少女も乾いた笑いを漏らす。
「課題、一気にスケール大きくなっちゃったね……。」
リビングでは母と祖父も事情を聞き、言葉を失っている。
家族全員が、ただ一つだけ同じことを考えていた。
――何が始まろうとしているのだろうか。
***
「つっかれたぁぁぁ……。」
人通りの少ない裏路地へ入るなり、サンシタは背筋を伸ばしていた姿勢を崩した。
肩を回し、首を鳴らし、大きく欠伸をする。
「慣れないことするもんじゃないわね。」
転移魔法を使用してしばらく歩くと、古びた四階建てのアパートが見えてきた。
外壁は色褪せ、階段の塗装はあちこち剥げている。
郵便受けは年代物で、共用廊下の蛍光灯も一本切れたままだ。
家賃の安さだけが取り柄、といった建物だった。
サンシタは迷うことなく三階へ上がる。
「よいしょっと。」
ポケットから取り出した鍵で、見慣れたドアを開けた。
「ただいまー。」
返事はない。
あるのは六畳一間の質素な部屋だけ。
小さな冷蔵庫。
使い込まれたローテーブル。
本棚にはぎっしりと本が詰め込まれ、その横には何百年も集めたのだろう、雑貨や土産物が無造作に積まれている。
サンシタはローブを脱ぎ捨てるように椅子へ掛け、そのまま畳へ大の字になった。
「あーーーーー……。」
天井を見つめながら、長いため息を吐く。
世間一般で知られている魔女サンシタの住まいは別にある。
広大な庭園を備えた豪邸。
歴史的価値のある調度品が並び、国内外の要人が訪れる、不死者にふさわしい格式高い邸宅。
もちろん、それも嘘ではない。
きちんと所有している。
「やっぱ、こっちの方が落ち着く……。」
サンシタは寝返りを打ちながら呟いた。
豪邸は外聞のため。
各国の要人と会談するため。
“不死者”という肩書きを保つため。
そんな公の顔に必要なだけの場所だ。
普段暮らすには広すぎるし、使用人に囲まれる生活など肩が凝る。
その点、この古びた安アパートは気楽だった。
近所付き合いもほどほど。
管理人は干渉してこない。
家賃も、もちろん彼女にとっては誤差のような金額だ。
「転々と引っ越すのも、気分転換になるしね。」
そう呟いて笑う。
数十年住めばまた別の町へ。
古い建物が取り壊されれば、また別の安アパートへ。
何百年も生きる彼女にとって、それくらいの変化がちょうどいい。
「……さて。」
天井を見上げたまま、小さく息を吐く。
サンシタは勢いよく立ち上がると、小さな冷蔵庫を開けた。
中から取り出したのは、よく冷えた一本の酒瓶。
「お疲れ、私!」
棚からグラスを持ってきて、景気よく酒を注ぐ。
琥珀色の液体が心地よい音を立てた。
「いやぁ~、頑張った。」
ぐいっと一口。
「くぅ~~~~!」
思わず顔が綻ぶ。
「染みるわぁ……。」
ローテーブルには乾き物や缶詰、おつまみが次々と並べられていく。
「ここ最近歩き回って。」
「昔の住所を調べて。」
「ちゃんと届け物も済ませて。」
グラスを掲げ、一人乾杯。
「偉いぞ、私。」
酒が進むにつれ、独り言も増えていく。
ぽりぽりと豆菓子を頬張る。
「報告なんて明日でいいでしょ。」
「急ぎじゃないし。どうせあのお嬢ちゃん、今日も本読んでるか書類読んでるかだもの。」
二つ目の瓶を開けて注ぐ。
「明日、『終わったよー』って言えば十分十分。」
「今日はもうお休み!」
「かんぱーい。」
機嫌よくグラスを持ち上げた、その時だった。
ひやり。
首筋へ、冷たい感触が触れる。
酒の勢いで火照っていた身体が、一瞬で凍り付く。
視線だけをゆっくり動かす。
銀色に輝く細身の短剣。
無理を言って“あの男”に作らせた特級の業物。
その切っ先が、寸分違わず首筋へ添えられていた。
そして背後から、静かな女性の声が響く。
「昼から酒盛りとは。」
「いいご身分ね?三下。」
サンシタはぴたりと動きを止めた。
聞き間違えるはずもない。
何百年聞き続けた声だ。
「……あ。」
冷や汗が一筋、頬を伝う。
「お、お嬢ちゃん?」
「ええ。」
背後の女性は穏やかに答えた。
「そう、“お嬢ちゃん”よ。」
その穏やかさが、かえって恐ろしい。
サンシタはぎこちない笑みを浮かべたまま、恐る恐る口を開く。
「いや、そのね?」
「報告しようとは思ってたの。」
「もちろん。ただ、ほら。」
「今日は疲れちゃって。」
「一杯だけ飲んで、それから――」
「一杯?」
女性の声が割り込む。
「その割には。」
視線だけを動かすと、テーブルの上にはすでに空いた瓶が一本。
「随分と進んでいるようだけれど。」
「…………。」
「言い訳は?」
「ありません。」
即答だった。
女性は小さくため息をつく。
「昔からそう。」
「終わった途端、気が抜ける。」
短剣がすっと首元から離れる。
サンシタはようやく息を吐いた。
恐る恐る振り返る。
そこには、一人の女性が立っていた。
月明かりのように透き通る銀髪。
宝石を思わせる翠の瞳。
年齢は二十歳前後にしか見えない、美しいというよりも可憐な面立ち。
黒を基調としたローブの胸元では、小さな青銀色のロケットペンダントが静かに揺れていた。
その姿は、歴史の教科書や記録映像と寸分違わない。
数百年を生きる不死者。
世界中の誰もがその名を知る魔女。
――夜明けの魔女。
彼女は呆れたようにテーブルの酒瓶を見つめると、静かに微笑んだ。
「しばらく禁酒ね」