青年は魔物の縄張りを避けるように迂回する。
いつものように。
何年も繰り返してきたように。
だが運命とは皮肉なものだ。
人は近付きたくないものほど、いつか関わることになる。
そしてその日もまた。
青年はまだ知らなかった。
自分の人生を変える出会いが、その危険な領域のさらに先で待っていることを。
***
同じ空の下。
全く違う人生を歩んでいる少女がいた。
彼女は魔力を持って生まれた。
それも並の量ではない。
幼い頃から周囲を驚かせるほどの魔力量。
火を灯せば誰より大きく。
水を操れば誰より繊細に。
教師たちは口を揃えて言った。
「天才だ」と。
将来を約束された子供だった。
世界は彼女に優しかった。
食事に困ったことはない。
雨露を凌げない夜もない。
暖かな家があり。
家族がいて。
学ぶ環境があった。
魔力を持つ者として。
正しく期待されながら育った。
やがて少女は成長する。
同年代の魔法使いたちを追い抜く。
多くの魔法を習得する。
人々から賞賛される。
だが彼女は窮屈さも感じていた。
貴族たちは優秀な魔法使いを欲しがる。
国も欲しがる。
力ある者は囲われる。
それが当たり前だった。
けれど彼女は従わなかった。
一つの家に仕える気も。
一つの土地に縛られる気もなかった。
世界を見たかった。
知らない土地を歩きたかった。
様々な人と出会いたかった。
だから断った。
有力貴族からの誘いも。
高額な報酬も。
安定した地位も。
周囲は驚いた。
惜しいと言う者もいた。
愚かだと言う者もいた。
だが少女は気にしない。
彼女は自由だった。
魔法使いでありながら。
誰にも属さない。
各地を旅し。
依頼を受け。
時には魔物を討伐し。
時には病人を治療し。
時には街の問題を解決する。
そんな魔法使いだった。
名声もあった。
実力もあった。
行く先々で歓迎される。
若いながらも一流として扱われていた。
そして何より。
彼女は好奇心旺盛だった。
知らないものを知りたい。
見たことのない景色を見たい。
理解できないものを理解したい。
それが彼女の原動力だった。
だからだろう。
後に彼女が森の噂へ興味を持ったのも。
森のヌシ。
人の姿をした魔物。
何年も森で生きる正体不明の存在。
普通の人間ではあり得ない。
あの森には楽園の果実があるから。
冒険者たちはそう言う。
狩人たちもそう言う。
だが少女は思った。
――本当にそうだろうか。
噂話の大半は嘘だ。
それくらい知っている。
だが全てが嘘とも限らない。
もし本当にそんな存在がいるのなら。
一度見てみたい。
確かめてみたい。
その好奇心こそが。
後に歴史を変える出会いへ繋がることになる。
まだ誰も知らない。
森で生きる青年も。
旅を続ける少女も。
***
彼女の名はジーナ。
ジーナ・アルヴェリア。
後の時代において、その名を知らぬ者はほとんどいない。
いや、正確には本名を知る者は少ない。
人々は別の名で彼女を呼ぶからだ。
魔女。
その称号で。
そして数ある魔女たちの中でも、彼女は特別な存在として語られる。
――不死の魔女。
――夜明けの魔女。
世界最古の魔法使いの一人。
幾つもの時代を見届けた生ける伝説。
王国の興亡を見た者。
大陸を渡った者。
数え切れない魔法を生み出した偉人。
そう語られている。
事実、その多くは真実だった。
彼女は長く生きた。
人間には不可能なほど長く。
国が生まれ。
栄え。
滅びる様を何度も見た。
歴史書に名を残す英雄たちと語り合い。
伝説と呼ばれる怪物たちと戦い。
世界の変化を見続けた。
だから人々は彼女を敬う。
畏れる。
憧れる。
だが。
そんな彼女にも語りたがらない話がある。
聞かれれば答える。
隠しはしない。
しかし自分からは決して話さない。
まるで宝物を胸の奥へしまい込むように。
決して積極的には語ろうとしない人物がいる。
その男について。
「あの英雄はどんな方だったのですか?」
歴史家は尋ねる。
「本当に伝説のような方だったのですか?」
学者も尋ねる。
「世界を救ったというのは事実なのですか?」
子供たちも目を輝かせて聞く。
そんな時、不死の魔女は困ったように笑う。
そしていつも曖昧に答える。
「そうね」
「すごい人だったわ」
「本当にたくさんのことを成し遂げた人よ」
間違ってはいない。
だが。
それだけだ。
誰もが期待する英雄譚は語らない。
神のような人格だったとも言わない。
完璧だったとも言わない。
なぜなら。
彼女は知っているからだ。
誰よりも近くで。
誰よりも長く。
その男を見ていたからだ。
人々が崇める英雄は。
偉大な賢者は。
世界を変えた男は。
本当はそんな立派な人間ではなかったことを。
臆病だった。
慎重だった。
しつこかった。
妙なところで頑固だった。
へんなものを見るとまず解剖したがった。
何か食べられそうなものを見ると試したがった。
そして何より。
生き汚かった。
どんな絶望的な状況でも。
どれだけ無様でも。
這いつくばってでも生き延びようとした。
そんな男だった。
だからこそ。
彼は世界を変えたのだと。
ジーナは知っている。
けれど。
それを語るのは少し惜しかった。
誰も知らない彼を。
自分だけが知っている彼を。
世界中が英雄として崇める前の彼を。
たった1人の愛した男を。
知っているのは、自分だけであってほしいと。
そんな独占欲にも似た感情を。
数百年を生きた魔女は今でも胸の奥に抱えている。
だから後の世で人々は首を傾げる。
なぜ不死の魔女は英雄について詳しく語らないのか、と。
その理由は単純だった。
彼女にとって英雄とは。
歴史上の偉人ではなく。
ずっと昔に出会った、大切な思い出だったからである。
そしてその物語は。
まだ始まってすらいない。
若き日のジーナは今も旅を続けている。
森の青年もまた。
自分の運命を知らぬまま森を歩いている。
やがて二人は出会う。
後に世界を変えることになるその出会いを。
まだ誰も知らない。
「魔女」
魔女とは、魔法使いの女性に与えられる最高位の称号である。
男性の場合は、魔人となる。
単純な魔力量や戦闘能力だけでなく、魔法学への貢献、社会への影響力、人類史への功績などを総合的に評価され、認定される。
そのため強いだけでは魔女にはなれない。
魔女の称号は国家や組織を超えた権威を持ち、一度授与されれば生涯有効である。
不死であることは魔女の条件ではない。
魔女の大半は寿命を迎えて死亡する。
また一般人にとって魔女は遠い存在である。
スポーツ選手や芸能人よりも有名だが、実際に会うことはまずない。
「空を飛ぶ車を発明した魔女」
「新しい治療魔法を確立した魔女」
など、教科書に載る人物として知られている。