俺が買った『猿でも分かる魔法の使い方』が本物の魔導書だったので、とりあえず確率操作で無双します【リメイク】   作:パラレル・ゲーマー

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第17話 猿と査定官とヤタッピ

 面談の当日。

 

 佐藤健司は、朝から落ち着かない時間を過ごしていた。

 

 迷った末に選んだ服装は、清潔感のあるジャケットにシャツという無難なものだった。リクルートスーツはやりすぎだが、ヨレヨレのTシャツで行くわけにもいかない。

 

『姿勢を正せ。猫背になるな。目を泳がせるな。聞かれていないことをベラベラと喋るな』

 

 スマートフォンが震え、魔導書からの細かい面接指導が飛んでくる。

 

「要求が多すぎるだろ……」

 

 健司は洗面所の鏡の前で、ネクタイのない襟元を直しながらため息をついた。

 

『国の裏側に売り込みに行くのだ。その程度で泣き言を言うな』

 

「だから、その売り込みって言い方、本当に嫌なんだけど」

 

『嫌なら、面談の場で自分は安売りされる商品ではないと証明して見せろ』

 

 魔導書の言葉は、どこまでもドライだった。

 

『いいか。俺の存在は絶対に表に出すな。能力名は「魔法」で押し通せ。そして、予知者Kとしての「神ではない」という公開設定は崩すな。分からないことは分からないと正直に言え。ただし……何も知らない無知で怯えた猿として扱われるな。対等に振る舞え』

 

「無茶苦茶言うなよ……」

 

 健司は深呼吸をして、アパートを出た。

 

 霞が関。

 

 地下鉄の駅を出ると、そこはニュース映像で何度も見たことのある無機質な官庁街だった。

 

 巨大なビル群。足早に行き交うスーツ姿の人々。空気が重く、硬い。

 

 健司は、自分がひどく場違いな存在に思えた。

 

「俺みたいな元フリーターが、なんでこんなところにいるんだ……」

 

『元フリーターではない。今や飛ぶ鳥を落とす勢いの、売り出し中の高精度予知能力者だ』

 

「その言い方やめろって言ってるだろ」

 

 メールで指定された入り口は、省庁の正面玄関ではなかった。

 

 庁舎の裏手、一般の来庁者が通らないような、職員用の通用口に近い目立たない場所だ。

 

 健司はそこに立つ警備員に、スマートフォンに表示されたQRコードを提示した。

 

 警備員は表情一つ変えずに端末でコードを読み取ると、短く頷いた。

 

「特殊事象対策課の面談ですね。お待ちしておりました」

 

 その事務的な対応に、健司はいきなり冷水を浴びせられたような現実感を突きつけられた。

 

(本当にあるんだな……特殊事象対策課)

 

 中に入ると、普通の官公庁と同じように厳重な入館手続きが待っていた。

 

 本人確認、一時通行証の交付、荷物検査、金属探知機ゲートの通過。

 

 そこまでは予想通りだった。だが、手続きの最後に、警備員が健司のスマートフォンのカメラと端子部分に、小さな特殊なシールを貼り付けた。

 

「あの、これ何ですか?」

 

 健司が尋ねると、警備員は淡々と答えた。

 

「面談フロア内での一部通信制限および録音録画防止用です。ご協力ください」

 

『簡易的な情報封鎖だな。物理的な遮断と術式の併用か。手堅い』

 

 魔導書の声が脳内に響く。

 

(シールに術式って何だよ……)

 

 健司の背筋に、冷たい汗が流れる。

 

 警備員に促され、エレベーターホールへ向かう。

 

 エレベーター内のボタンは、最上階の12階までしか存在しなかった。しかし、警備員から渡された一時通行証をカードリーダーにかざした瞬間。

 

 パネルの何もない空間に、「13」という数字のボタンがぽつりと浮かび上がった。

 

「……今、ボタン増えなかったか?」

 

『増えたな』

 

「そういうの、本当にやめてほしいんだけど……」

 

 健司のぼやきを乗せて、エレベーターは静かに上昇を始めた。

 

 13階。

 

 扉が開くと、そこは音が全て壁に吸い込まれるような、異様なほど静かな廊下だった。

 

 真っ白な壁。塵一つない清潔な床。ポスターや掲示物といった余計なものが一切排除された無機質な空間。複数の人間が働いている気配は確かにあるのに、声はほとんど聞こえてこない。

 

 壁に、小さな銀色のプレートが掛けられていた。

 

『内閣情報調査室 特殊事象対策課』。

 

 そしてその横には、三本足の烏の紋章が刻まれている。

 

「……ヤタガラス」

 

 受付に進むと、制服姿の女性職員が健司の顔を見て小さくお辞儀をした。

 

「佐藤健司様ですね。橘がお待ちしております」

 

 株のKでも、予知者Kでもない。佐藤健司。

 

 ネット上の仮面を剥がされ、現実の個人として扱われることに、健司は喉の渇きを覚えた。

 

 案内された面談室は、健司が想像していたような薄暗い秘密基地の取調室ではなかった。

 

 明るい照明、大きな窓、整然と片付いた机。テーブルの上には、冷たい麦茶が入ったグラスが置かれている。

 

 ただの、どこにでもある官公庁の応接室だ。

 

 その徹底した「普通さ」が、逆に不気味だった。

 

 部屋の奥で待っていた男が、静かに立ち上がった。

 

 四十代前半。仕立ての良いグレーのスーツを隙なく着こなしている。清潔感があり、無駄な動きが一切ない。

 

 男は穏やかな笑みを浮かべ、健司に向かって手を差し出した。

 

「お待ちしておりました。佐藤健司さん。特殊事象対策課、東京支部の橘真(たちばな・まこと)です」

 

「……佐藤健司です。本日はよろしくお願いします」

 

 健司は差し出された手を握り返した。力強いが、決して威圧的ではない握手だった。だが、橘の奥にある目は、まったく笑っていないように見えた。

 

 席につくと、橘が穏やかな口調で切り出した。

 

「Kさんではなく、佐藤さんとお呼びしてもよろしいですか?」

 

「……はい。その方が、ありがたいです」

 

 健司は少しだけ肩の力を抜いて答えた。

 

「分かりました。では、佐藤さんと」

 

 橘は手元の資料に軽く目を落とし、すぐに顔を上げた。

 

「本日の面談の目的は、大きく三つです。一つ、能力者登録に関するご説明。二つ、佐藤さんの能力の概要確認。そして三つ、今後の協力関係についてのご相談です」

 

 健司は、背筋を伸ばした。

 

「……その、登録というのは、断ることもできるんですか?」

 

 橘は表情を変えず、淡々と答えた。

 

「制度上、国内で確認された能力者の方には、原則として全員に登録をお願いしています。仮に拒否された場合でも、未登録能力者として記録と監視の対象にはなります」

 

 健司は息を呑んだ。

 

 実質的な強制だ。

 

「脅しではありませんよ、佐藤さん。これは国家の安全保障と、何より能力者ご本人の保護のためです」

 

 橘は、感情の乗らない声で説明を続ける。

 

「登録に同意していただければ、あなたの個人情報と能力の詳細は、国家機密として厳重に守られます。逆に未登録のまま、あなたがネット上で社会的影響の大きい能力を使い続ければ、あなた自身も、そして周囲の人間も、予測不能な危険に晒されることになります」

 

「……俺のネットでの活動を止めるために、ここに呼んだんですか?」

 

「いいえ。少なくとも、今日の目的はそうではありません」

 

 橘はわずかに首を振った。

 

「むしろ我々は、あなたの自制と公開のルールを評価しています。あなたがオカルト板で宣言したルール……神ではない、教祖ではない、といった一連の発言。あれがなければ、もう少し強い対応になっていた可能性はあります」

 

 健司は言葉を失った。

 

 ヤタガラスは、ただ敵対したり捕縛したりする組織ではない。事態を徹底的に管理しようとする、冷徹な官僚組織なのだ。

 

「あなたは、ご自身の能力の社会的影響を理解し始めている。だからこそ、我々はまず対話の場を用意しました」

 

 橘はそう言うと、手元のタブレット端末を操作した。

 

 画面には、健司のこれまでの公開ログが完璧に整理されて表示されていた。

 

 株のKの毎日の戦績。朝ポエム。黒部大臣の予知。白峯市の震度五弱。ペガサスペイの決済障害。そして独立スレのテンプレと本人発言。

 

「……全部、見てるんですね」

 

「必要な範囲では」

 

 橘はタブレットを机に置き、健司の目を真っ直ぐに見据えた。

 

「我々は、あなたのこれまでの公開ログを詳細に分析しました。その結果、あなたの能力は、我々の脅威レベル分類において『Tier 3』、すなわち『戦術級』に相当すると判断しています」

 

 Tier 3。戦術級。

 

 聞き慣れない単語に健司は戸惑ったが、橘はそのまま説明を続けた。

 

「予知能力そのものは、決して珍しい能力ではありません。我々の登録者の中にも、未来の断片を見る者、事故の気配を読む者、特定分野だけ異常に当てる者はそれなりにいます」

 

「ですが、佐藤さん。あなたは違う」

 

 橘の静かな声が、会議室に響く。

 

「株式取引という、膨大な人間の欲望と恐怖が絡む複雑な因果律の集合体を、高精度で読み解いている。政治、災害、民間インフラという全く異なる領域でも、事前に具体的な情報を出している」

 

「そして何より、公開した予知が未来へ干渉することを理解し、自らルールを設けようとした。これは、単なる未来視ではありません」

 

「あなたは、予知能力者であると同時に、因果への干渉を始めている。だから我々は、あなたを重要な能力者として扱っています」

 

『……向こうも、そこまでは見ているか』

 

 健司の意識の奥で、魔導書が警戒するようにつぶやいた。

 

「佐藤さんは、ご自身の力を何と呼んでいますか?」

 

 橘が唐突に問いかけてきた。

 

 健司は一拍置き、魔導書の指導通りに答えた。

 

「……魔法、です」

 

 橘は否定しなかった。

 

「なるほど。魔法ですか。いい呼び方です」

 

「否定……しないんですか?」

 

 健司は少し驚いて聞き返した。

 

「ええ。我々は、呼び方にはこだわりません。魔法、陰陽道、超能力、呪術、占い、神通力……。文化や個人の認識によって、それらの名前は変わります」

 

 橘は涼しい顔で答えた。

 

「それらを学術上の便宜としてまとめた言葉が、『因果律改変能力者』です」

 

「因果律改変能力者……」

 

「はい。ただ、登録者の方々からは『名前が硬い』『長い』『もっと中二病っぽくて格好いい名称にしてほしい』と不評ですがね」

 

 橘はそこで初めて、微かな苦笑を見せた。

 

「ここから先は、我々ヤタガラスという組織について詳しく説明します。口頭で長々と説明するより、こちらを見ていただいた方が早いでしょう」

 

 橘は手元のノートPCを開き、机の引き出しから一枚のディスクを取り出した。

 

 それは、どう見ても市販の安いDVD-Rだった。

 

 しかも、ディスクの盤面には、マジックペンで手描きされた「三本足の烏」のイラストが描かれている。お世辞にも上手いとは言えないが、妙に愛嬌がある。

 

(……DVD?)

 

 国家の最高機密を扱う秘密組織の説明に、まさかの手描きDVD-R。

 

 健司は面食らった。

 

『……猿。油断するな』

 

 魔導書の警戒レベルが跳ね上がる。

 

『この一見間の抜けたように見える振る舞い。全てが、お前の警戒心を解くための高度な演技である可能性がある』

 

(……分かってる)

 

 健司はそう返しつつも、内心では(いや、これはただ単に広報のセンスが絶望的に変なだけじゃないか?)とツッコミを入れていた。

 

「では、再生します」

 

 橘は真顔のまま、ノートPCにDVDを挿入した。

 

 画面が明るくなり、牧歌的で気の抜けたオープニングメロディが流れ出す。

 

 青空の背景に、丸みを帯びたポップなテロップが浮かび上がった。

 

『よくわかる! ヤタガラスのおしごと!』

 

 そして、画面の右下から、デフォルメされた三本足の烏が、ぴょこぴょこと跳ねながら現れた。

 

 大きなつぶらな瞳。頭にはなぜか小さな葉っぱが乗っている。先ほどのDVD盤面に描かれていたイラストそのものだ。

 

『はーい、みんなこんにちはッピ! 僕、ヤタガラスの公式マスコットキャラクター、「ヤタッピ」だッピ!』

 

 健司の思考が、完全に停止した。

 

(なんだこれは。NHKの教育テレビか?)

 

『おい……猿……』

 

 魔導書の声が、かつてないほど動揺していた。

 

『……なんだ、このふざけきった鳥は……。これが、この国の裏側を牛耳る秘密組織の正体だというのか……? 世界の神秘に対する、許しがたい冒涜だ……!』

 

 健司は、いつも偉そうな魔導書が本気で困惑しているのを感じ、少しだけ溜飲が下がる思いだった。

 

『今日は、ヤタガラスに興味を持ってくれた新しいお友達のために、僕がヤタガラスのことを分かりやすーく説明してあげるッピ!』

 

『何か分からないことがあったら、そこの怖い顔したお兄さん、つまり担当職員さんに聞いてくれッピ!』

 

 ヤタッピが短い羽で画面の外を指し示す。

 

 健司がちらりと横を見ると、橘は微動だにせず、真顔で映像を見つめていた。

 

 そのシュールな光景に、健司は頭が痛くなってきた。

 

『まず、「ヤタガラスって何なの?」ってところから説明するッピ!』

 

 ヤタッピが背景を渋い水墨画風に変えて説明を始める。

 

『ヤタガラスは、とーっても昔からこの日本を悪いものから守ってきた秘密結社なんだッピ! その歴史は古く、なんと奈良時代まで遡るッピ!』

 

『ヤタガラスの代表者とされる林裕之さんによると、八咫烏は賀茂氏のお祖父さんとされる吉備真備さんが、天平十六年十一月……西暦でいうと744年に、藤原さんっていう偉い人たちが朝廷を独り占めしようとしてたのに対抗するため、聖武天皇の秘密の命令で丹波国っていう場所で結成したのが始まりなんだッピ!』

 

 画面には、デフォルメされた聖武天皇や吉備真備、そして悪代官のような顔をした藤原氏のイラストがコミカルに表示される。

 

 健司の脳がバグを起こしそうになる。

 

(情報がやけに具体的で専門的なのに、語尾が全部「ッピ」なのは何なんだよ……)

 

『ま、むずかしい歴史の話はよく分からない! ってお友達もいると思うッピから、「昔っから日本を守ってるすごーい組織なんだなー」って覚えてくれれば嬉しいッピ!』

 

 画面が切り替わり、大きなテロップが出る。

 

『因果律改変能力者ってなあに?』

 

『ヤタガラスに登録に来てくれたお友達は、みんなこの難しい言葉を言われて、ピンと来ない人もいると思うッピ!』

 

『これは、とっても学術的な分類なんだッピ! みんなが普段使ってる「魔法!」とか「陰陽道!」とか「超能力!」とか「占い師!」……。そういった不思議な力を持っている人たちのことを、学者さんたちが難しい言葉で言うと、「因果律改変能力者」って言うんだッピ!』

 

 画面には、三角帽子の魔女っ子、狩衣姿の陰陽師、スプーンを曲げる少年、水晶玉を覗き込む占い師のイラストが表示される。

 

『ヤタガラスでは世界中の学者さんたちとも協力してるから、こういう先進的な指標を使うことになってるッピ!』

 

『……でもこの名前、新しく登録に来てくれたお友達からは、「なんかカッコ悪いッピ……」「もっと中二病っぽい名前にしてほしいッピ……」って言われてて、わりと反響が悪いッピ……』

 

 ヤタッピの頭の葉っぱが、しゅんと萎れた。

 

 画面の隅に、「ヤタッピ君は泣いています」というテロップが出る。

 

 健司はもはや、ツッコミを入れる気力すら失っていた。

 

『さて! ヤタガラスの起こりと概要を知ったッピ! 次は、ヤタガラスが今何をしているかを説明するッピ!』

 

 背景が現代の日本の街並みに変わる。

 

『今現在、この日本の「表の世界」……つまり、みんなが普通に暮らしてる世界では、政府の公式な発表として、超常能力者の存在は認めていないことになってるッピ!』

 

『「そんなもの、ありませんよー」ってことだッピ!』

 

『でも、本当はいっぱいいるッピ! だから、ヤタガラスが秘密裏に管理しないとダメだよねっていうことで、国内の超常能力者の皆さんは、みーんなヤタガラスに登録済みなんだッピ!』

 

 画面に日本地図が表示され、光の点が無数に灯っていく。

 

 健司は息を呑んだ。

 

 能力者は、自分だけではない。想像していたよりも遥かに大量に存在しているのだ。

 

『ヤタガラスは、そんな超常能力者のみんなのサポートをしたり、お仕事を紹介したり、能力を上手く使えるように訓練のお手伝いをしたりしてる、とっても優しい組織なんだッピ!』

 

 画面には、手から炎を出して泣いている少年を、スーツ姿のヤタガラス職員が優しく支えるアニメーションが流れた。

 

(なるほど。ただ捕まえて監視するだけじゃなくて、支援組織としての側面もあるのか)

 

 健司は少しだけ警戒を緩めた。

 

『そして!』

 

 突然、ヤタッピの声のトーンが変わった。

 

 牧歌的なBGMがピタリと止まり、画面が暗転する。

 

『ヤタガラスに登録する上で、たった一つだけ、絶対に守ってもらわないといけないルールがあるッピ!』

 

『それは……』

 

 真っ黒な画面の中央に、極太の明朝体で文字が叩きつけられた。

 

『既存世界を完全に破壊する行為を禁ずる』

 

『これが、ヤタガラスの、そしてこの国の能力者社会の大原則のルールッピ!』

 

 ヤタッピのつぶらな瞳が、不気味なほど真剣な眼差しに変わっている。

 

『……えー、「よく分からない」という声が聞こえてくるッピが、ようはテロとか戦争とか、そういう今の世界を壊しちゃうようなヤバいことは、全部ダメですよってことだッピ! まあ、当たり前っちゃ当たり前だッピな!』

 

 軽い口調で語られているが、健司は背筋が凍るのを感じた。

 

 これは、ただの努力目標ではない。文字通りの「絶対的な戒律」だ。

 

『うん、「正直、そんなこと普通の能力者には無理でしょ?」って思う子もいるッピが……、そうでもないんだッピ……』

 

 ヤタッピの声が、さらに低くなる。

 

『魔法を極めれば、人は神に成れるッピ』

 

 ドクン、と健司の心臓が大きく跳ねた。

 

 魔導書がかつて語った「上位者」「神に至る可能性」。その言葉と完全にリンクした。

 

『これは、比喩じゃないッピ。本当に、文字通り神様ッピ』

 

 画面が、地球を見下ろす宇宙空間へと切り替わる。

 

 青い地球。そして、その地球を取り囲むように浮かぶ、二十の巨大な人型の影。

 

 形も大きさもバラバラだ。人間に近い輪郭を持つものもいれば、不定形の靄のようなものもいる。ただ、そのどれもが、普通の人間が絶対に触れてはいけない次元の存在感を放っていた。

 

『そんな神様が、今、この全世界で20人確認されてるッピ』

 

 健司は完全に言葉を失った。

 

 魔導書も、沈黙している。

 

 いつもなら「ふん、その程度か」と軽口を叩くはずの魔導書が、この圧倒的な情報の前には沈黙するしかなかった。

 

『この「世界を破壊するな」っていうルールは、正直に言うと、その神様たちが暴走しないように作られたルールなんだッピ!』

 

『「神様同士の喧嘩はやめましょうねー」とか、「うっかり地球を消し飛ばしちゃダメですよー」とか、そういう意味合いが一番強いッピ!』

 

 言葉が軽すぎる。

 

 だが、語られている内容は、人類社会と星の存続そのものに関わる絶望的な事実だった。

 

(俺……とんでもない世界に足を突っ込んじまったのか?)

 

『……ちなみに、ヤタガラスとしては、国内の超常能力者同士の敵対は禁止してないッピ』

 

 ヤタッピが、少し歯切れ悪そうに付け加えた。

 

『……でも、それだとルールにならないッピ!』

 

『だから、まあ、その……』

 

 ヤタッピがもじもじとした後、両翼を広げて満面の笑顔を作った。

 

『喧嘩はダメッピ! みんな仲良くだッピ!』

 

 プツン、と映像が唐突に終わった。

 

 再び軽快なメロディが流れ、『制作・著作 ヤタガラス』のテロップが出てフェードアウトする。

 

 ノートPCの画面が暗くなり、会議室は深い沈黙に包まれた。

 

 健司は何を言えばいいのか分からなかった。魔導書も沈黙を貫いている。

 

 橘が、真顔のままノートPCをパタンと閉じた。

 

「……以上が、我々ヤタガラスの基本的な概要と理念になります」

 

 健司はようやく、干からびた声を出した。

 

「……あの……」

 

「はい。何でしょう、佐藤さん?」

 

「……今の、その、キャラクターは一体……?」

 

「ああ。ヤタッピのことですかな?」

 

 橘はそこで初めて、肩をすくめて微かな苦笑を見せた。

 

「あれは、我々の広報担当が考案した公式マスコットです。若い能力者の方々にも、我々の活動を分かりやすく、親しみやすく伝えるためにと……。まあ、お察しの通り、内部でも賛否両論ありましてな。会議で揉めました」

 

(この組織、思った以上に普通なのか、普通じゃないのか、本当に分からない……)

 

 健司は深い疲労を感じながら言った。

 

「……色々と衝撃的で、少し頭の整理が追いつきません」

 

「無理もありません。常識を覆すような話ばかりだったでしょうから」

 

 橘は深く頷いた。

 

「ですが、これで我々の立ち位置はご理解いただけたかと思います。我々は、能力者を管理し、支援し、そしてこの世界の秩序を守る組織です」

 

 ヤタッピのふざけた説明を、橘の冷徹な一言が現実の重さに引き戻す。

 

 そして、橘の目が再び、健司を査定する鋭い光を取り戻した。

 

「……さて。それを踏まえた上でだ、佐藤君」

 

 呼び方が「佐藤さん」から「佐藤君」に変わった。

 

 健司はそのわずかな変化に気づき、身構えた。

 

「君は、どうする?」

 

 橘の声が、会議室の空気をピンと張り詰めさせる。

 

「ただ登録だけを済ませ、一市民として我々の監視下で静かに暮らすか。それとも──」

 

「我々の一員となり、その類稀なる力をこの国のために振るうか」

 

 健司の心臓が脈打つ。

 

 登録だけなら、今まで通りの生活を続けられるかもしれない。株のKとして稼ぎ、予知者Kとしてネット上で慎重に活動し、必要な時だけヤタガラスに連絡する。

 

 だが、それで本当に済むのか。

 

 黒部、白峯、ペガサスペイ。たった三件で、すでに自分は手に負えない巨大な「現象」になりつつある。

 

 これから先、人の死や大規模な事故が見えた時、自分一人で全てを判断し、背負い切れるのか。

 

 独立スレに書き込んだ自分の宣言が蘇る。神ではない。教祖でもない。ただ、見えたものを扱える範囲で残すだけ。

 

 ならば、その「扱える範囲」を保つためには、この巨大な組織の支援が必要なのではないか。

 

(どうする?)

 

 健司は内心で魔導書に問うた。いつものこいつなら「当然入れ」と命令してくるはずだ。

 

 だが、魔導書は少し沈黙した後、予想外の言葉を返してきた。

 

『登録だけで済ませる道もある』

 

(お前なら、即答で入れって言うと思ってた)

 

『勘違いするな。俺はお前を売り込んだ。だが、売り先に魂まで渡せとは言っていない』

 

 魔導書の言葉は、いつになく真摯だった。

 

『組織に入れば、守られる。学べる。情報も得られる。だが、同時に縛られる。登録だけで距離を取れば、自由は残る。だが、予知の責任と恐怖を、お前は一生一人で背負うことになる。……選ぶのはお前だ、猿』

 

 魔導書が初めて、決定権を完全に健司に委ねた。

 

 その問いは、もはやただの雇用契約の打診ではなかった。

 

 登録だけを済ませ、監視下で静かに暮らすか。

 

 それとも、世界の裏側に踏み込み、その力をこの国のために振るうか。

 

 健司は、乾いた喉を鳴らした。

 

 株のK。

 

 予知者K。

 

 そして、佐藤健司。

 

 その三つの名前が、胸の奥で重なっていく。

 

 もう、ただ見ているだけではいられない。

 

 けれど、神にも、教祖にもなるつもりはない。

 

 ならば、選ぶべき道は一つだった。

 

 健司は、まっすぐに橘の目を見据えた。

 

 そして、静かに、しかしはっきりと口を開いた。

 

 その言葉は、佐藤健司が初めて、自分の意思で世界の裏側へ踏み込むことを告げるものだった。

 




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