俺が買った『猿でも分かる魔法の使い方』が本物の魔導書だったので、とりあえず確率操作で無双します【リメイク】 作:パラレル・ゲーマー
オラクルという規格外の存在との奇妙な面談から、数日が過ぎていた。
深夜の六畳一間。佐藤健司は、ローテーブルの上に広げたコンビニの幕の内弁当を機械的に口へ運んでいた。
全身の筋肉はSAITO MMA GYMでのしごきによって重い悲鳴を上げているし、ヤタガラスの業務関連で目を通すべき資料は山積み、さらに魔導書からは魔法回路の基礎制御をみっちり叩き込まれている。
肉体も脳も、完全にキャパシティの限界ギリギリで稼働していた。
それでも、健司の頭の片隅には、あの不可思議な少女の笑顔がこびりついて離れなかった。
『世界で最初の貴方のファンなんです』
『私は全てを知っています。でも、貴方から直接話を聞きたいんです』
『貴方なら、決められた運命すら変えるに違いありません』
箸を止め、健司はふうっと長いため息を吐き出した。
「……あの人、結局なんだったんだろうな」
『ただの予知猿だ。しかも、極めて上等な部類のな』
部屋の隅に転がっていた魔導書が、興味なさそうに答える。
「相変わらず雑な分類だな。神々の円卓とかいうのに連なってる伝説の能力者なんだろ?」
『肩書きなど飾りだ。だが、あやつが現在の貴様より遥かに広大で深い事象を俯瞰している、極めて上等な観測者であることだけは間違いない』
「はいはい、どうせ俺はただの猿ですよ。上等じゃなくて悪かったな」
健司が拗ねたように弁当の唐揚げを突っついた、その時だった。
傍らに置いていたスマートフォンが、短い通知音を鳴らした。
画面を覆っていたスリープ状態が解除され、LINEのポップアップが表示される。
そこには、健司が絶対に登録した覚えのない名前が表示されていた。
――『オラクル』
「…………え?」
健司は、手に持っていた箸を危うく落としそうになった。
スマホをひったくるように手に取り、二度見、三度見する。間違いなく、トークルームの最上段に『オラクル』というアカウントが鎮座していた。アイコンは、アンティーク調のティーカップの画像。
「いや、ちょっと待て。なんで俺のLINEにいるんだ!?」
IDを教えた覚えはないし、そもそも彼女がスマホを使っている姿すら見ていない。
『騒ぐな。上位存在の猿ともなれば、その程度の現象はわりと何でもありだからな』
魔導書は全く動じていなかった。
「そういう問題か!? これ完全にハッキングだろ!」
『ハッキングなどというチャチな電子技術ではない。あやつはただ、貴様と結んだ『縁』という因果の糸に、現代の通信という分かりやすい形を与えて干渉してきただけだ』
「原理がオカルトすぎて余計怖いんだよ!」
健司は恐る恐るトークルームを開いた。
既読をつけるかどうか迷う間もなく、そこには長文のメッセージが、スタンプや絵文字を交えてポップに並んでいた。
『健司さん、お元気ですか?✨
オラクルです!
先日はお話しできて本当に嬉しかったです!(´▽`)
さて、さっそくですが、健司さんは現在MMAジムにも通っていらっしゃいますね。素晴らしい判断だと思います!
ですが、現状の手札が圧倒的に足りません!!!
身体能力強化と未来視だけでは、この先の展開では少々心許ないです
未来視も、今の健司さんの出力では弱く、良くて一ヶ月先程度の不確定な分岐を拾うのが限界でしょう。
ですので、魔導書さんから色々な技術を習うことを強くオススメします!
私の一押しは『過去視』です! ✨
未来視の解釈を広げて方向を反転させれば、健司さんなら絶対に使いこなせますよ!
魔導書様にもよろしくお伝えください!
ずっと応援していますね!
世界で最初の貴方のファンより 』
読み終えた健司は、しばらく沈黙し、すっとスマホをテーブルに裏返して置いた。
そして、ぽつりと呟いた。
「……怖っ」
『馴れ馴れしい予知猿だな。この俺様にまで伝言とは、身の程知らずも甚だしい』
魔導書が不機嫌そうに唸る。
「怒るのそこかよ。普通に俺のプライベートが筒抜けなのが怖いわ」
『だが、言っていること自体は間違っていない』
「間違ってないのか?」
健司は驚いて聞き返した。
『ああ。お前の手札はあまりにも少なすぎる。身体強化、確率操作、そして初歩的な未来視。現時点で使えるのはそれだけだ。因果が複雑に絡み合う戦場に放り込まれれば、その程度のカードではすぐに詰むぞ』
「詰むとか縁起でもないこと言うなよ」
『冷厳なる現実を突きつけてやっているだけだ』
健司は姿勢を正した。弁当の残りはもうどうでもよくなっていた。
「で……その『過去視』ってやつ、本当に俺にもできるのか?」
『できる』
魔導書は、あまりにも軽く断言した。
「……軽いな!」
『お前には教えていなかっただけだ』
「なんでだよ! 使えるなら早く教えろよ!」
『貴様が昨日まで、ただ力任せに棍棒を振り回すだけの野生の猿だったからだ』
「今も散々猿扱いしてるだろ!」
『今は少しだけ、鋭利な道具を持たせても自滅しない程度の猿に進化した。だから教えてやる』
相変わらずの尊大さに腹は立つが、健司は反論を飲み込んだ。手札が増えるなら、文句を言っている場合ではない。
健司はノートPCを開き、テキストエディタを立ち上げてメモを取る準備をした。
「よし。教えてくれ」
『まず、過去視の最大の利点は、“過去の映像そのものをノスタルジックに眺めること”ではない』
魔導書が、教授のようなトーンで語り始める。
「違うのか? 事件の証拠とかを探すのに便利そうだけど」
『それは副産物に過ぎん。過去視の真価は、貴様の“予測予知の精度を極限まで高めること”にある』
健司は首を傾げた。
「過去を見ると、未来が当たるようになるってことか?」
『そうだ。予測予知とは、現在存在するあらゆる条件から、最も確率の高い未来のルートを演算する能力だ。ならば、現在の条件を正確に把握すればするほど、未来予測の精度は飛躍的に高まる』
魔導書の論理は明快だった。
『現在とは、過去の事象の積み重ねによって形成されている。対象の性格、無意識の癖、選択の傾向、体質、交友という縁、抱える恐怖、秘めた願望、過去の致命的な失敗経験、強烈な成功体験。それらすべてのバックボーンを過去から拾い上げれば、その対象が次にどう動くかは、極めて容易に読み解ける』
「……なるほど。相手の過去のデータを知り尽くすことで、未来の行動予測の解像度が上がるわけか」
『その通りだ。過去の因果を極限まで知ることで、予測予知の精度は限りなく百パーセントに近づく』
健司はキーボードを叩く手を止めた。
「……百パーセントに『近づく』?」
『そうだ。決して百パーセントにはならん』
魔導書は厳しく釘を刺した。
『未来は常に不確定であり、無数に枝分かれしている。個人の突発的な気まぐれ、未知の第三者の介入、あるいは上位存在の気まぐれが絡めば、いとも容易く予測は狂う。過去視はあくまで、その無数にある未来の枝の数を刈り込み、絞り込むための道具だと思え』
「分かった。で、どうやるんだ?」
『未来を視るのと同じだ。対象との“縁”の糸を辿れ』
「縁?」
『そうだ。相手の名前、顔、声、持ち物、残した文章、物理的な痕跡、交わした会話、向けられた視線。対象に繋がる何らかのアンカーがあればよい』
「それって、直接会ったことのない相手でも?」
『縁の糸さえ繋がっていれば可能だ。直接対面した方がノイズは少ないが、ネット越しでも十分に辿れる』
「ネット越しでも過去が見えるのか……?」
健司は少し引いた。
『貴様、自分の未来視はすでにネット越しでやっているだろうが』
魔導書に呆れられ、健司はハッとした。
「あ、そっか。株のチャートも掲示板の書き込みも、全部画面越しだった」
『その通りだ。文章には、それを打ち込んだ者の因果が色濃く乗る。固有のIDにも、レスの文体にも、投稿時間にも、対象へ至るわずかな縁の糸が結びついている。それを遡るのだ』
「……ネットって、怖いな」
『何を今さら。……ただし、警告しておくぞ』
魔導書のトーンが、一段と重くなった。
『いきなり大量の因果を遡ろうとするな。今の貴様の脳の処理能力で同時に辿れるのは、せいぜい十人までだ』
「十人?」
『それ以上の過去の奔流を同時に脳へ流し込めば、情報の濁流に自己の意識が押し流され、脳が文字通り焼き切れる』
「また脳が焼ける話かよ!」
健司は青ざめた。
『魔法とはそういうものだ。脳という器官は極めて優秀な処理装置だが、安全装置を外して雑に扱えば容易に壊れる』
「じゃあ、慎重にやらないとな……」
『もっとも、予測予知の過程で過去情報を補助的にチラ見するのと、過去そのものを深掘りして視ることを目的にするのでは、情報量の負荷が全く違う。今日はあえて後者をやるぞ』
「え、最初からそんな高負荷な訓練やるの?」
『当然だ。これは過去視の筋トレだ』
魔導書が非情に宣告する。
『貴様は今日、脳の腹筋をバキバキに割るのだ』
「表現が嫌すぎるんだけど」
健司は深いため息をつき、ノートPCの画面を見つめた。
「じゃあ、誰で実験するんだ? 適当なSNSのアカウントとかか?」
『貴様には、都合よく集まった熱心な信者がいるだろう』
「信者って言うな」
『では、熱狂的な観測猿どもの群れだ』
「もっと嫌だわ」
健司は少し考えて、思い当たった。
「……俺の専用スレか」
5ちゃんねるのオカルト板に立てられた、『予知者K』の検証・考察スレッド。
そこには、Kの予言を盲信する者、半信半疑で検証を試みる者、ただの祭り好き、株クラから面白半分で流れてきた者がごちゃ混ぜになっている。
過去視の練習相手としては、これ以上ないほど豊富なサンプルが揃っていた。
だが、健司は倫理的なブレーキをかけた。
「でも、さすがに赤の他人の具体的な住所とか、本名をスレで当てるのはまずくないか? それってただの悪質な特定じゃん」
『当然だ。初手で個人の致命的な情報を剥いて晒すな。そんなことをすれば、恐怖で信者が逃げる』
「だから信者って言い方やめろ」
『最初は、本人しか知らないが、仮に公開されても致命傷にはならない程度の情報から当ててみせろ。子供の頃の習い事、昔好きだった食べ物、初めて飼ったペット、住んでいた地域の大まかな雰囲気。その程度でよい』
「市名とか、そういうのは?」
『伏せ字にしろ。○○市、海沿いの町、雪が多い、坂道が多い、その程度の描写で十分だ。具体的な住所や固有名詞を出すな。貴重な練習台を壊すんじゃないぞ』
健司は頷き、PCのブラウザでオカルト板の専用スレッドを開いた。
スレッドのタイトルは、【予知者K】次は何を当てるんだよスレ Part5【本物?】と、すでにかなりの勢いでパートが進行していた。
スレッド内では、いつものように雑多な書き込みが流れている。
398:本当にあった怖い名無し
K最近来ないなー。
399:本当にあった怖い名無し
ヤタガラスとかいう国家機関に消された説。
400:本当にあった怖い名無し
株のKとして朝ポエムだけやってた頃が平和で懐かしいわ。
401:本当にあった怖い名無し
白峯の地震当ててから、スレの空気がガチで宗教っぽくなってきてるよな。
402:本当にあった怖い名無し
あの自販機の話はどうなったの? 続報まだ?
403:本当にあった怖い名無し
K見てるー? なんか予言してくれよー。
健司は、キーボードに手を置き、トリップをつけて書き込みを行った。
予知者K ◆Predict/K
少し能力の練習をします。
希望者は、私のこのレスにアンカーをつけて書き込んでください。
個人情報を直接晒すようなことはしません。
私が書いたことが、当たっているかどうかだけ答えてください。
書き込んだ瞬間、流れていたスレッドが一瞬だけピタリと止まった。
そして、直後に爆発した。
405:本当にあった怖い名無し
来たああああああああああああ!!!
406:本当にあった怖い名無し
本人!? マジで本人降臨!?
407:本当にあった怖い名無し
酉確認した。本物じゃん!
408:本当にあった怖い名無し
練習って何!? 何すんの!?
409:本当にあった怖い名無し
俺! 俺見てくださいKさん!
410:本当にあった怖い名無し
過去? 未来? 何の練習?
411:本当にあった怖い名無し
やばい怖い怖い怖い怖い
412:本当にあった怖い名無し
K降臨記念カキコ。全裸待機。
413:本当にあった怖い名無し
やめろ服は着ろ風邪ひくぞ。
健司は、滝のように流れていくレスを眺めながら、すでに少し疲労感を覚えていた。
「うわ……相変わらず流れ速いな」
『人気者だな、猿。気分はどうだ?』
「最悪だよ」
健司はスクロールを止め、適当なレス番号を一つ選んだ。
「よし、まずはこの人だ」
選んだのは、>>420。
420:名無しの観測者
404
Kさんお願いします。自分のこと見透かされるの怖いけど、見てほしいです。
健司は、その短文を画面上でじっと見つめた。
文字の形。投稿された秒単位の時間。自動生成されたランダムなID。文末の句点。
そこにあるわずかな情報の全てに、意識のピントを合わせていく。
未来視の時とは、感覚が全く違った。
現在から先へ、無数に分岐して伸びていく可能性の糸を探るのではない。現在という確固たる地点から、一本の太い糸を後ろへ後ろへと、手繰り寄せていくような感覚。
健司の頭の奥に、ノイズ交じりの映像とも、誰かの記憶ともつかない断片がフラッシュのように浮かび上がった。
――古いアップライトピアノ。鍵盤を叩く小さな手。
――『もっとちゃんと弾きなさい』という、母親らしきヒステリックな声。
――練習が嫌で、鍵盤に突っ伏して泣いている子供の視界。
――発表会のステージ。足元には、窮屈な白いエナメルの靴。
健司は小さく息を呑んだ。
「……見えた」
『よし、書け。だが断定しすぎるな。視えた情報をすべて出力しようとせず、負荷を調整して大枠だけを抽出するのだ』
健司はキーボードを叩いた。
予知者K ◆Predict/K
420
子供の頃、ピアノを習っていましたね。
発表会で、白いエナメルの靴を履いた記憶があります。
ただ、あまり楽しい思い出ではなかったはずです。
レスを投稿すると、熱狂していたスレッドが、水を打ったように静まり返った。
数秒の不気味な空白の後、>>420本人が返信してきた。
425:名無しの観測者
当たってます。
小一から小四までピアノやらされてました。
白い靴、発表会の時に履かされたやつです。靴擦れして痛かった。
練習が嫌すぎて、毎回泣きながら弾いてました。
……なんで分かるんですか????? 鳥肌立ちました。
その書き込みを起爆剤として、スレッドが完全に狂乱状態に陥った。
426:本当にあった怖い名無し
うわあああああああああ
427:本当にあった怖い名無し
怖っ!!!
428:本当にあった怖い名無し
マジかよこれ……。
429:本当にあった怖い名無し
未来だけじゃないの!?
430:本当にあった怖い名無し
K、ついに過去も見えるようになったのか!?
431:本当にあった怖い名無し
これ、IPアドレスから裏で個人情報抜いてる説ない?
432:本当にあった怖い名無し
いや、IP抜いたって「ピアノの発表会で白い靴」なんて分かるわけないだろバカ。
433:本当にあった怖い名無し
420、お前仕込みのサクラじゃないよな!?
434:名無しの観測者(>>420)
仕込みじゃないです。本当にただの一般人です。マジで震えてます。
435:本当にあった怖い名無し
俺も見てくださいお願いします!!!!!
健司は深く椅子にもたれかかり、目頭を押さえた。
「……これ、一回やっただけで結構疲れるぞ。脳味噌がギューって絞られる感じがする」
『当然だ。他人の因果の歴史を脳に直接流し込んでいるのだからな。だが、初めてにしては上出来だ』
「ありがとう。じゃあ、今日の練習はここまでってことで――」
『馬鹿を言うな。ウォーミングアップが終わっただけだ。今からが本番だぞ』
魔導書は悪魔のように言い放った。
「マジかよ……」
『よし。今日はひたすら過去視の反復だ。一人ずつ縁の糸を辿れ。映像の解像度を上げろ。脳にかかる負荷に慣れろ。過去視で得た断片情報を、未来視の予測計算に組み込む感覚を徹底的に体に覚えさせろ』
「急にゴリゴリの体育会系になるなよ!」
『貴様はMMAジムにも行っているのだろう。肉体だけを鍛えてどうする。魔法を扱う脳髄も鍛え上げろ』
健司は嫌そうな顔をしたが、ここで逃げるわけにもいかない。オラクルからの『手札が圧倒的に足りません!!!』という言葉が、胸に刺さっている。
「……あの人、笑顔でけっこう容赦ないこと言ってくるよな」
健司がぼやくと、魔導書が皮肉る。
『熱狂的なファンからの、愛ある助言だろう。喜んで受け入れろ』
「ファンって何なんだよ、本当に……」
健司は気を取り直し、次のターゲットを選んだ。
450:名無しの観測者
自分もお願いします。当たったら、本気で信じます。
健司は意識のピントを合わせる。
今度は、先ほどよりも映像のフォーカスが少しだけ早く合った。
――まとわりつくような、夏の熱気。
――古い団地のコンクリートのベランダ。
――青い蓋のプラスチックの虫かご。
――黒く鈍く光るカブトムシの背中。
――ツンとするような、昆虫ゼリーの甘ったるい匂い。
健司は書き込んだ。
予知者K ◆Predict/K
450
小学生の頃、カブトムシを飼っていましたね。
かなり大事に世話をしていたようです。
夏休みの朝、起きてすぐにベランダの虫かごを確認するのが日課だったはずです。
数十秒後、返信が来た。
455:名無しの観測者
えっ
当たりです
小三の夏に、親父に買ってもらったカブトムシ飼ってました
なんでそんなピンポイントの思い出なんですか
なんか、ちょっと泣きそうになりました
スレッドがまた騒ぐ。
456:本当にあった怖い名無し
情緒まで的確に刺してくるのやめろww
457:本当にあった怖い名無し
俺も昔カブトムシ飼ってたわ。懐かしい。
458:本当にあった怖い名無し
K、未来の預言者から思い出掘り起こし屋になってて草。
459:本当にあった怖い名無し
怖いけど、なんか優しいな。
460:本当にあった怖い名無し
いや、他人の過去の記憶をピンポイントで覗けるとか普通に怖いだろ。
健司は手応えを感じていた。
「一人目より、映像がクリアに見えた気がする」
『対象の感情が強く乗っている記憶は、因果の糸に濃く定着するから見えやすいのだ。好きだったもの、ひどく嫌だったもの、怖かったもの、誇らしかったもの。そういう感情のピークを探り当てろ』
健司は頷き、次へ進む。
次は>>502。
502:名無しの観測者
Kさん、今も見てますか?
できれば自分もお願いします。
健司が縁を辿ると、今度は「景色」が鮮明に広がった。
――急な坂道。
――潮の匂い。海が近い。
――シャッターの目立つ、古いアーケード商店街。
――小さな無人駅。
――夜空に咲く花火。夏祭りの喧騒。
――遠くに見える、クレーンの並ぶ港の風景。
健司は、その場所の具体的な「市」の名前を一瞬拾いかけた。脳裏に地名が浮かぶ。
だが、魔導書が即座に警告した。
『伏せろ。そこまで特定すれば、練習台が恐怖で壊れるぞ』
健司は寸前で踏みとどまり、マイルドに変換して書き込んだ。
予知者K ◆Predict/K
502
海の近い町に住んでいましたね。
坂道が多く、港が見える場所。たぶん○○市周辺。
地元の夏祭りの記憶が強く残っています。
510:名無しの観測者
なんで分かるんですか……
地元、まさに○○市です。港のすぐ近くでした。
夏祭りのことも当たりです。
ちょっと、本当に背筋が寒くなりました。
511:本当にあった怖い名無し
伏せ字にしてくれてるけど、普通に怖い。
512:本当にあった怖い名無し
K、ちゃんと個人情報に配慮してるのに、能力がガチすぎて怖い。
513:本当にあった怖い名無し
俺なら地名全部見えたら、我慢できずに全部書いちゃう自信あるわ。
514:本当にあった怖い名無し
そこがKの良心か。
健司は画面を見ながら、こめかみを揉んだ。
「……これ、やり方一歩間違えたら、普通に犯罪レベルで危ないな」
『だからこそ、制御を完璧に覚えろと言っているのだ。強大な力は、ただ使えることよりも、使い方を間違えないことの方が何倍も重要だ』
魔導書が、珍しく真っ当な指導者のようなことを言う。
そこからは、怒涛の連続訓練だった。
魔導書の指示で、健司はスレッドの書き込みから次々とターゲットを選び、過去視を行っていく。
「>>540。……そろばんを習っていた。でも、段位までは行かずに辞めた」
「>>566。……小学校の給食で、きなこじゃなくて、ココア味の揚げパンが好きだった」
「>>581。……左膝に怪我の跡がある。子供の頃、自転車で派手に転んだ」
「>>605。……初めて自分のお金で買ったゲーム。銀色のパッケージのRPG」
「>>622。……白っぽい犬を飼っていた。名前は『モ』から始まる。もう亡くなっている」
全てを一発で完璧に当てられるわけではない。最初は映像がぼやけたり、間違った解釈をしてしまうこともあった。
その度に、魔導書が容赦なく修正を入れる。
『今のは雑すぎる。視た映像を言語化するプロセスで、お前の主観のノイズが混ざって誤差が出ている』
「そこまで厳密に見るのかよ」
『視るだけならチンパンジーでもできる。視たものから、正確な情報を歪みなく取り出せ』
「厳しいな!」
『貴様が猿だからだ』
健司は疲労で視界が霞み始めながらも、徐々に過去視の精度を上げていった。
一方、スレッドは完全に「神の奇跡」を目の当たりにしたような狂乱状態に陥っていた。
650:本当にあった怖い名無し
Kが過去まで連続で当て始めたぞ!
651:本当にあった怖い名無し
未来予知だけでもチートなのに、過去視までできるとかマジで草。
652:本当にあった怖い名無し
草じゃないが。ガチで恐ろしいが。
653:本当にあった怖い名無し
俺の黒歴史のフォルダだけは見ないでください。
654:本当にあった怖い名無し
見てください! お願いします!
655:本当にあった怖い名無し
矛盾するなww
656:本当にあった怖い名無し
Kさん、俺の初恋の人の名前当ててみてください!
657:本当にあった怖い名無し
それはやめろ。巻き込み事故になる。
658:本当にあった怖い名無し
個人情報系はやめとけって本人が言ってるだろ。
659:本当にあった怖い名無し
でも、自分のこと見てほしいって気持ちは分かる。
有名な占い師の行列に何時間も並ぶ女の心理って、これか。
660:本当にあった怖い名無し
これもう、ネット越しの神託だろ。
スレッド全体に、「予知者K」を神聖視する『信者』としての空気が、目に見えて濃くなっていく。
健司はそれを見て、少しだけ背筋が寒くなった。
「……なんか、俺、自分でルール宣言して神格化を止めたはずなのに、余計に信仰を集めてないか?」
『集めているな』
「いいのか、これ」
『よくはない。だが、貴様は元から予知者Kとして、自ら進んでネットの祭壇に上ったのだ。今さら後戻りはできん』
健司は、オラクルの言葉を思い出した。
『私は貴方のファンです』
ネット上の匿名の信者たち。そして、オラクルという最古参の強力なファン。
自分はいつの間にか、無数の目に「見られる側」の人間になっている。その感覚が、少しだけ気持ち悪く、そして恐ろしかった。
『次は応用だ』
魔導書が休む間を与えずに指示を出す。
『過去視で得た情報を演算のベースとして使い、その人物の近い未来を予測しろ。過去視と未来視の接続だ』
「いきなり難易度跳ね上がってないか?」
『難しいからこそ、やる価値がある』
健司は、ある書き込みに目を止めた。
742:名無しの観測者
最近、ずっと迷っていることがあります。
Kさん、私のことで何か見えますか?
健司は、その文面から過去の因果を辿る。
――夜の暗い部屋。
――PCの画面に映る転職サイト。
――書きかけの履歴書。
――パワハラ気味の上司からの圧迫。
――机に転がる胃薬の瓶。
――田舎の母親からの「無理しないでね」というLINE。
――怖くて、サイトの「応募する」ボタンを押せずにいる指。
健司は、その人物の抱える過去と現在の重圧を拾い上げた。
そして、その情報をベースにして、未来の分岐を見る。
応募しなかった未来。もう半年、同じ会社で心が摩耗し、最終的に壊れてしまう未来。
応募した未来。面接でしどろもどろになり緊張するが、結果的に今よりはまともな環境に進み、胃薬が減る未来。
健司は、静かにキーボードを叩いた。
予知者K ◆Predict/K
742
仕事のことで、ずっと迷っていますね。
今の環境にこのまま残るという未来は、あなたの心をかなり消耗させます。
今すぐに辞めろとは言いませんが、転職サイトの「応募ボタン」は、押した方がいいです。
少なくとも、自分に別の選択肢があるという事実を作ってください。
数分後。
750:名無しの観測者(>>742)
画面の前で、泣いてしまいました。
ずっと転職サイトを見て、悩んでいました。
応募します。
本当に、ありがとうございました。
スレッドが、また違う種類の熱を帯びる。
751:本当にあった怖い名無し
これはもう、占いじゃなくてガチの人生相談だろ。
752:本当にあった怖い名無し
K、なんか優しいな。
753:本当にあった怖い名無し
未来予知の無駄遣いで転職相談するなww
754:本当にあった怖い名無し
でも、これでガチで救われる人いるだろ、これ。
755:本当にあった怖い名無し
怖いけど、救われるやつ。
健司は深く息を吐き出し、目をこすった。
「……これ、ただ過去を当てるだけより、何倍も疲れるぞ」
『当然だ。過去を拾い集め、現在の条件を正確に整理し、未来の分岐をシミュレートする。これこそが、本来の“予測予知”の正しい形だ』
過去視を繰り返すうちに、健司の疲労はピークに達しつつあった。
目の奥が焼けつくように熱い。こめかみがガンガンと痛む。マウスを握る手が微かに震え、スマホの画面の文字が滲んで二重に見える。
魔導書が止めるかと思ったが、スパルタ指導は続いた。
『まだいける』
「いや、結構きついんだけど……頭割れそう」
『脳が完全に焼き切れる一歩手前で止めてやるから安心しろ』
「その基準設定が一番怖いんだよ!」
『貴様の魔力耐性の限界値を正確に測っているのだ』
「俺は実験動物じゃねえぞ!」
『猿だと言っている』
健司は文句を言いながらも、訓練を続けた。
ただ、魔導書も本当に健司を壊す気はないらしく、絶妙なタイミングで「水を飲め」「糖分を補給しろ」「目を閉じて五分間視覚情報を遮断しろ」と、細かく管理してくれた。
そして、深夜。
訓練の最終段階。
『最後に、十人同時だ』
「……は?」
健司は自分の耳を疑った。
『同時に十人分のレスを開け。十本の縁の糸を並行して辿れ。情報を混ぜるな。脳内で並列処理して識別しろ』
「無茶苦茶言うな! 聖徳太子じゃないんだぞ!」
『無茶ではない。お前の現在の限界ラインだ。やれ』
健司は歯を食いしばり、スレッドから十個のレス番号をメモした。
画面上に、十人分の書き込みを並べる。
一気に意識を広げ、十本の因果の糸を同時に手繰り寄せる。
「ぐっ……!」
最初は、情報の濁流が脳内でクラッシュした。
ピアノの記憶と犬の記憶が混ざる。海辺の町と雪国の駅の景色がオーバーラップする。転職の悩みと受験の焦りが融合して吐き気を催す。
「……気持ち悪い」
健司はこめかみを押さえてうめいた。
『分類しろ! 未来視でやっている、無数の枝分かれの処理と同じだ。糸を太く束ねるな。一本ずつ細く分けろ!』
健司は必死に意識の壁を作り、情報を仕分けた。
一人目、ピアノ。二人目、カブトムシ。三人目、海辺。四人目、左膝の傷。五人目、犬。六人目、転職。七人目、受験。八人目、祖母の家。九人目、初恋。十人目、古いゲーム。
ノイズが消え、十個の独立したモニターが脳内に並んだような感覚。
健司は、震える指で十人分の情報をまとめてタイピングした。個人情報は慎重に伏せ、極力短い文章で。
予知者K ◆Predict/K
十人分、順番に返します。
801 小学生の頃、左膝を怪我しています。自転車。
804 犬。白っぽい。名前は伏せますが「モ」から始まる。
807 祖母の家の匂い。線香と畳。夏休み。
810 受験前、机に青いシャーペン。
812 初恋の相手は同じクラス。名前は伏せます。
(以下略)
……全員、当たっているかだけ返してください。
書き込んだ直後から、次々に返信が乱れ飛ぶ。
「当たってる!」
「マジで当たってるんだけど」
「怖い怖い怖い」
「膝の傷、今も残ってます。なんで分かるの」
「犬の名前、モモでした。泣きそうです」
「祖母の家、線香と畳、本当にその通り」
「青いシャーペン、お守り代わりに今も持ってる」
「初恋の人の名前まで見えてたっぽいのガチで怖い。でも伏せてくれてありがとう」
スレッドは、もはやお祭り騒ぎを超えた狂乱の坩堝と化した。
850:本当にあった怖い名無し
十連過去視きたああああ!!!
851:本当にあった怖い名無し
K、いつの間にか能力レベルアップしてない?
852:本当にあった怖い名無し
未来も過去も同時に見るとか、もうバケモンだろ。
853:本当にあった怖い名無し
これもう、ヤタガラス案件で保護されるべきでは?
854:本当にあった怖い名無し
最初からヤタガラス案件定期。
855:本当にあった怖い名無し
Kさん、お願いだから人間をやめて神にならないでください。
856:本当にあった怖い名無し
でも、俺は一生応援してる。
健司は、その書き込みを見る前に、力尽きてデスクの椅子に深く沈み込んだ。
全身の力が抜け、呼吸が荒い。完全に疲労困憊だった。
「……もう、無理。一歩も動けない」
『よし。今日の訓練はここまでだ』
魔導書が、満足げに終了を宣言した。
「やっと終わった……死ぬかと思った」
『初回としては悪くない成果だ。これでようやく、過去視という技術の入り口には立った』
「これだけ死ぬ思いして、まだ入り口かよ……」
『当然だ。手札が一枚増えただけだ。実戦で一瞬で使えるようになるまで、血反吐を吐いて鍛え上げろ』
健司はぐったりとしたまま、テーブルの上のスマホを手に取り、LINEを開いた。
そして、『オラクル』のトークルームにメッセージを打ち込む。
『過去視の練習をしました。
かなり疲れました。
魔導書は相変わらずスパルタで最悪です』
送信した瞬間。
「既読」の文字がついた。
「怖っ……早すぎるだろ」
健司がドン引きしていると、すぐに返信が送られてきた。
『お疲れ様です、健司さん!✨
すばらしいです!
初日で十人同時の並列処理まで行けたなら、かなり順調なペースですよ!
でも、無理はしすぎないでくださいね。脳は大事なハードウェアですから。
魔導書様、熱血指導ありがとうございました! ♀️
次は「過去を知った上で、未来を選ぶ」練習ですね!
健司さんがどんな選択をするのか、とても楽しみにしています! 』
健司は、その明るすぎる文面を見つめた。
「……この人、俺が今日何やったか、本当に全部知ってるんじゃないか?」
『少なくとも、貴様が今日、ネットの掲示板で猿芝居をしたことくらいは、特等席から観測していただろうな』
「ファンって、マジで怖いな」
『観客とはそういうものだ。常に見ているぞ』
健司はスマホを放り出し、そのままベッドに倒れ込んだ。
目を閉じても、瞼の裏が熱い。頭が鉛のように重い。
だが、確かな新しい感覚が、身体の中に残っている。
未来へと伸びていく、無数の不確定な糸。
それだけではない。
今、目の前にいる人間の後ろに、重く積み重なっている無数の「過去の糸」。
その両方が、少しだけ視えるようになった。
「……未来を正確に見るために、過去を覗く、か」
健司が呟くと、魔導書が答えた。
『そうだ。未来とは、過去と現在の延長線上にしか存在しない。過去という土台を知らずに未来の枝葉だけを見ようとするから、予測が荒く、簡単に折れるのだ』
「じゃあ、この過去視を完全に使いこなせば……」
『貴様の予測予知は、今とは比べ物にならないほど遥かに鋭く、強固になる』
健司は、暗い天井を見つめた。
常人離れした身体能力強化。
未来を視る予知能力。
因果を曲げる確率操作。
そして今日、過去視という新しい手札が加わった。
ようやく、戦うためのカードが一枚増えた。
だがそれは同時に、この能力を磨き上げるための、さらなる地獄の訓練の日々が始まったことも意味していた。
佐藤健司はその夜、未来の不確実性を減らすために、過去の因果を覗き見る術を覚えた。
そして、予知者Kの熱狂的な信者たちは、自分たちが彼の新しい能力の最初の実験台にされたことなど知る由もないまま、さらに深く、彼という存在を信じ始めていた。
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