俺が買った『猿でも分かる魔法の使い方』が本物の魔導書だったので、とりあえず確率操作で無双します【リメイク】 作:パラレル・ゲーマー
ヤタガラス東京支部、小会議室。
佐藤健司は、長机の上に並べられた数枚のカラー写真を、しかめっ面で見つめていた。
そこに写っているのは、地方都市にあるどこにでもありそうな公立中学校の外観と、チョークの粉で汚れた黒板、そして防犯カメラにノイズが走った瞬間のキャプチャ画像だった。
「……学校の七不思議って、本当にヤタガラスの案件になるんですね」
健司が半ば呆れたように言うと、向かいに座る橘真は淡々と答えた。
「七不思議の大半は、ただの尾鰭のついた噂に過ぎない。だが、稀にその『噂』が、本物の因果の受け皿になることがある」
橘が指差した資料には、その中学校で最近起きているという『未来日記の黒板』の過去の予言と、その結果がリストアップされていた。
【予言:明日、佐伯先生が階段で転ぶ】
【結果:翌日、佐伯教諭が東階段で転倒。軽い捻挫】
【予言:明日、二年三組の窓が割れる】
【結果:清掃時間中、風で倒れた金属製の棒が窓に接触。窓ガラスが破損。負傷者なし】
【予言:明日、田村くんが学校に来なくなる】
【結果:二年一組の田村生徒が急性胃腸炎で欠席】
健司は眉をひそめた。
「全部、微妙に逃げ道があるというか……。予言自体は確かに当たってますけど、どれも最悪の事態ってわけじゃないですね」
橘が静かに頷く。
「そこが今回の重要な点だ。予言はすべて的中している。だが、現時点では死亡事故や重傷事故には至っていない」
隣に座っていた、現場対応担当の若手調査員・三枝(さえぐさ)が、無表情のまま補足した。
「ただし、学校内の噂は加速度的に広がっています。生徒だけでなく、今では教師の多くにも認識されています。そして……次の予言は、すでに校内の大半が知ってしまっている状態です」
三枝が、最新の黒板の写真を健司の前に滑らせた。
そこには、白いチョークでこう書かれていた。
『明日、放課後、二年一組で血が流れる。』
健司は嫌な予感を覚え、顔を上げた。
「……知られると、まずいんですか?」
「予言とは、ただ未来を言い当てるだけの行為ではない」
橘が、未来視のロジックについて解説を始める。
「とくに能力者による予言は、人の『意識』や『意思』を媒介にして、未来そのものを補強することがある」
健司は黙って耳を傾けた。
「誰も知らない予言は、ただの可能性の分岐に近い。だが、それを人が知る。恐れる。信じる。避けようとする。話題にする。その観測者の意識が増えれば増えるほど、予言は因果に対する『強度』を増していく」
橘は資料の学校見取り図をトントンと叩いた。
「今回は、すでに学校全体に知れ渡ってしまっている。つまり、学校という閉じたローカル空間内では、ほぼ一〇〇%に近い強度で的中すると見ていい」
健司は思わず顔をしかめた。
「学校内限定の、ほぼ絶対予言ですか」
「そういうことになる」
健司の脳内に、魔導書が割り込んでくる。
『証人が多いほど、想いは強固になる。噂、恐怖、期待、観測。それらが未来の事象に向けて、因果の杭を深く打ち込むわけだ』
(じゃあ、学校中に広まってる時点でもう最悪じゃないか)
『最悪に近いな。ただし、全知全能の魔法というわけではない。あくまで学校という場に限定された、極めてローカルな挙動だ。たとえば黒板に“明日、世界が滅ぶ”と書かれても、世界は滅びん。精々、学校内で世界が終わったようなパニック騒ぎが起きる程度だ』
(それも十分嫌なんだけどな……)
「君に求めるのは、予言そのものを消すことではない」
橘が健司の目を見た。
「佐藤君、今回の君の役割は『未来視による補助』だ。現地で予言がどのような形で実現しうるのか、その分岐を事前に読んでほしい」
「俺にできますかね……」
健司が少し不安そうに言うと、橘は冷徹に答えた。
「君ができなければ、三枝たちはほぼ手探りで危険に飛び込むことになる」
そう言われてしまえば、反論できるわけがなかった。
健司は手元の黒板の写真を見つめた。
(ただの黒板なら……極論、ハンマーかなんかでぶっ壊せばいいんじゃないか?)
健司がそう思いかけた瞬間、魔導書が脳内で一瞬だけ高速の思考を巡らせた。
『……極論、黒板という発現媒体を物理的に破壊すれば、一時的には文字の出力を止められる可能性があるな』
(やっぱ壊せばいいんじゃないか?)
健司が食いつくが、魔導書はあえてすぐに賛同しなかった。
理由は二つある。
一つ。黒板はただの道具ではなく、術者の能力の出力先となっている。最低限とはいえ、媒体破壊の反動が術者本人にフィードバックする可能性があるのだ。黒板を割った瞬間、術者の脳や神経に負荷が跳ね返るかもしれない。
二つ。今の健司には、黒板に繋がる『能力の線』だけを正確に切断するような精密な物理攻撃ができない。必要なのは、単なる腕力ではなく、能力と黒板を繋ぐ糸だけを切る『斬撃』だ。
魔導書は、物理攻撃が必要になる場面もいずれ来るかもしれない、と考えた。
斬撃系の魔法を教えるべきか。
いや、今はまだ早い。
この猿に刃物を持たせる段階ではない。
(おい。今、お前何か考えただろ)
健司は不審に思って探りを入れた。
『気のせいだ』
(絶対何かあるだろ。教えろよ)
『黙れ。貴様は今、補助要員だ。破壊担当ではない。分をわきまえろ』
健司は渋々引き下がった。
ヤタガラスには、魔導書の存在を「完全に独学で発現した魔法」として隠蔽している。
こんな会議室のど真ん中で、一人でブツブツと文句を言うわけにはいかなかった。
橘からのブリーフィングを終え、健司は三枝とともに新幹線で地方都市へと向かっていた。
車窓を流れる景色を見ながら、健司は隣に座る無表情な調査員に尋ねた。
「三枝さんは、こういう学校の怪談系の事件って、よく担当するんですか?」
「頻繁ではありません」
三枝はタブレットから目を離さずに答えた。
「ただ、学校は能力の発現場所としては決して珍しくありません」
「なんでです?」
「人が多く、思春期の感情が濃く、閉鎖性があるからです。噂が増幅されやすい完璧な環境でもあります」
健司は嫌そうに顔をしかめた。
「確かに、学校の噂ってすぐ広まりますもんね」
三枝は淡々とキーボードを叩きながら言った。
「今回は、それが能力を最悪な形で強化しています」
「……噂になるほど当たりやすくなるとか、控えめに言って最悪じゃないですか」
「はい。最悪です」
一切の感情がこもっていない三枝の相槌に、健司は思わず乾いた笑いを漏らした。
夕方。
健司と三枝は、問題の中学校へ到着した。
校門の銘板、グラウンドから響く部活動の活気ある声、どこかの教室から聞こえる吹奏楽部の音色。夕焼けに染まる、どこにでもある普通の学校の風景だ。
だが、見えない空気だけが、泥のように重かった。
校舎に入ると、すれ違う生徒たちが遠巻きにこちらを見ている。
三枝はヤタガラスの職員としてではなく、表向きは「教育委員会の施設調査員」という名目で入り込んでいた。健司はその助手という扱いだ。
「ねえ、あの人たち、黒板の件?」
「やっぱり本当に調査来たんだ……」
「明日、血が流れるってやつ?」
「二年一組、今日部活休みになって帰らされたらしいよ」
「マジで怖すぎ」
ひそひそ声が耳に入り、健司は胃が重くなるのを感じた。
(完全に広まってるな……)
『これだけ恐怖が定着していれば、予言の因果の杭は相当深く打たれているだろうな』
魔導書が冷ややかに分析する。
校長室での面談は、重苦しいものだった。
初老の校長は、目に見えて疲弊していた。
「最初は、性質の悪い悪戯だと思っていました。しかし、あまりにも続きすぎまして……消しても消しても、翌朝には必ず同じ文字が戻っているのです」
三枝が淡々と質問する。
「黒板の文字を見た生徒数は?」
「最初は二年一組だけでしたが、今ではほぼ全校生徒が知っています。スマホで撮られた写真が出回ってしまって……」
健司は内心で頭を抱えた。
(写真まで出回ってるのかよ。拡散力エグいな)
「今朝の時点で、最新の予言を見た人数は?」
「直接見たのは二年一組の生徒と担任、清掃担当の職員です。ただし、内容自体はすでに他クラスにも……」
三枝の無表情は崩れなかったが、その場の空気がわずかに硬質になった。
「情報統制は完全に失敗していると見てよいですね」
校長は青ざめ、言葉を詰まらせた。
放課後の二年一組の教室へ向かう。
廊下は不気味なほど静まり返っていた。この階の生徒はすでに帰宅させられている。校舎の遠くから部活の音が聞こえてくるのが、逆にこの空間の異質さを際立たせていた。
教室のドアの前で、三枝が立ち止まった。
「佐藤さん。中に入ったら、まず黒板だけを見てください。教室全体を不用意に予知対象にしないでください」
「負荷が高いからですか?」
「それもありますが、不用意に観測すると、あなた自身が予言そのものに巻き込まれる可能性があります」
健司は嫌そうな顔をした。
「さらっと怖いこと言いますね」
「事実です」
三枝のブレない態度に、健司は深呼吸をして、教室のドアを開けた。
普通の教室だった。
机、椅子、後ろの掲示物、掃除用具入れ。夕焼けの赤い光が差し込んでいる。
そして、正面の黒板。
そこには、白いチョークの文字が、はっきりと残っていた。
『明日、放課後、二年一組で血が流れる。』
それを見た瞬間、健司は背筋にぞわりとした悪寒を覚えた。
普通の文字ではない。ただそこに書かれているだけなのに、視線を強制的に引っ張られる。読んだ瞬間、頭の奥に「そうなる」という物理的な重さが落ちてくるような感覚。
「……これ、気持ち悪いですね」
健司が思わず呟くと、三枝が尋ねた。
「見えますか」
「はい。文字そのものが、未来に向かって太い杭を打ってる感じがします」
『よく感じ取ったな』
魔導書が補足する。
『あれは文字という形をした“命令”だ。チョークの粉で書かれているのではない。空間の因果に対する直接的な書き込みに近い』
健司は目を逸らしたくなったが、仕事だと割り切り、未来視のスイッチを入れた。
見えたのは、明日この教室で起こり得る複数の分岐。
一つ目。放課後、二年一組の生徒が慌てて机の角に手をぶつけ、爪が割れて血が出る。
二つ目。掃除中、割れた花瓶の破片で女子生徒が指を切る。
三つ目。男子生徒がふざけて転び、額を床にぶつけて血を流す。
四つ目。教師が慌てて黒板を消そうとし、手に刺さったチョークホルダーの破片で出血する。
五つ目。誰も教室に入れないよう完全に封鎖した未来。しかし、誰もいないはずの教室で突風で窓ガラスが割れ、見回りに来た教師がその破片で手を切る。
六つ目。校舎全体を封鎖した未来。それでも「二年一組の備品」として運び出された机を運んでいた作業員が、怪我をして出血する。
どの未来を辿っても、必ず何らかの形で「二年一組」と「血」が結びつく。
健司は青ざめた顔で能力を解いた。
「……駄目です。どのルートを辿っても、必ず血は出ます」
三枝が静かに問う。
「回避率は?」
「学校内、あるいはこの教室の備品に関わる限り、ほぼゼロです。少なくとも、今の俺には完全に外せるルートが見えません」
健司は奥歯を噛み締めた。
(これ、全員帰らせて立ち入り禁止にしても駄目なのか?)
健司が内心で魔導書に問う。
『駄目だろうな。すでに“学校内で起こる”というローカルな命令が完全に成立している。学校から人を消せば、予言は別の対象を探す。人がいなければ、後から入ってくる者を掴むだけだ』
(じゃあ、詰みじゃん)
『詰みではない』
(でも外せないんだろ?)
『外す必要があるとは限らん』
魔導書は、ヒントを小出しにするように言った。
『予言の“的中”と、“被害の大きさ”は別だ』
(どういうことだ?)
健司が首を傾げる。
『自分で考えろ、猿』
「そこで教えろよ……」
健司が思わず小声でこぼすと、隣の三枝が怪訝そうにこちらを見た。
「……何か言いましたか?」
「あ、いや! 独り言です! すみません、ちょっと考え事してて……」
健司は慌てて誤魔化した。ヤタガラスには魔導書の存在は絶対に秘密だ。
「そうですか。集中するのは構いませんが、声に出すと周囲の不安を煽る可能性があります。気をつけてください」
「はい……気をつけます」
「黒板そのものを撤去する案もありますが」
三枝が、現場要員として現実的な選択肢を口にした。
「それ、やっぱり考えるんですね」
「現場の判断としては当然です。発現媒体がそこにあるなら、隔離または破壊を検討します。ですが――」
三枝は黒板を見据えたまま続けた。
「現時点では、推奨されません」
三枝の理由は明確だった。
一つ。文字の発生源が黒板そのものではなく、どこかにいる術者の能力である可能性が高いこと。
二つ。黒板は出力媒体にすぎず、破壊しても別のノートや壁などへ出力先が移るリスクがあること。
三つ。媒体を強制破壊した場合、術者の神経系に予測不能なフィードバックが返る可能性があること。相手が未成年の無自覚な能力者であれば、絶対に避けるべきだ。
『三枝とやら、現場要員としては悪くない判断だ』
魔導書が内心で同意する。
(珍しく褒めたな)
『褒めてはいない。最低限の道理が分かっていると言っただけだ』
黒板は壊せない。予言も外せない。術者もまだ分からない。
自分にできるのは、未来の分岐を見ることだけ。健司は、強烈なもどかしさを感じていた。
「俺、結局、何もできないんじゃないですか」
「違います」
三枝が即答した。
「予言がどのような形で実現するか。それを事前に確認できるだけで、我々現場の安全確保は大きく変わります」
「でも、止められないなら……」
「止められないことと、被害を減らせないことは違います」
三枝の言葉は、先ほどの魔導書のヒントと全く同じ方向を向いていた。
健司はハッとして、その言葉を反芻した。
(止められないことと、被害を減らせないことは違う……)
その後、三枝は教室を中心に最低限の調査を行った。
健司は未来視でその補助をする。
黒板の表面に物理的な傷がないか。チョーク粉の成分。防犯カメラの映像が乱れた時間の特定。
三枝が黒板の枠に直接素手で触れようとした時、健司の予知が警報を鳴らした。
「待ってください。素手で触る未来、ちょっと嫌な感じがします」
三枝は動きを止め、即座にポケットから手袋を取り出して二重にはめた。
「助かります」
「今のでいいんですか?」
「はい。補助として十分です」
健司は少しだけホッとした。大きく未来を変えることはできなくても、現場の小さな失敗を潰す補助要員としては機能している。
調査を進める中で、三枝のタブレットに候補者の一覧が表示された。
「過去の予言を最初に発見した生徒が、毎回ほぼ同じグループに偏っています。さらに、その近くに必ず一人の女子生徒がいる。……候補者は数名まで絞れます」
「この中に、黒板に書いてる子がいるんですか?」
「書いている、というより、能力の発現源である可能性があります」
健司は候補者の顔写真を見た。
その中に、一人だけ目立たない女子生徒がいた。表情は普通だが、どこかひどく怯えた目をしているように見えた。
健司はその子の未来を視ようと意識を向けたが、黒板の予言と学校中に渦巻く恐怖が強烈なノイズになって、うまく視えない。
「駄目です。学校全体の予言の圧が強すぎて、個人の未来が見えにくい」
「対象者への接触は明日にしましょう」
三枝がタブレットを閉じた。
「今日の段階で下手に刺激すると、予言がさらに悪い方向へ変化する可能性があります」
調査を終え、二人が教室を出ようとした時だった。
キィ、と。
背後で、小さな音がした。
チョークが黒板を引っ掻く音だ。
三枝が即座に健司の前に半歩踏み出し、庇うように立つ。
「佐藤さん、下がってください」
健司は、三枝の肩越しに黒板を見た。
誰もいない黒板の上に、白い文字が勝手に浮かび上がっていく。
『明日、予知者Kは間違える。』
健司の全身から、一気に血の気が引いた。
「……俺?」
三枝の目が細くなる。
「認識されましたね」
『クハハハ! よかったな、猿。学校の黒板の怪談にまで名指しされたぞ』
魔導書が楽しそうに笑う。
(全然よくない!)
新しい黒板の文字は、今までの予言よりも明らかに強い圧力を放っていた。
当然だ。「予知者K」という名前は、すでにネット上で何万人もの人間に知られている。学校内の噂というローカルな力に加えて、健司自身の知名度が予言の凶悪な補助燃料になってしまっているのだ。
「これ、俺が何かを間違える未来が固定されたってことですか?」
健司は嫌な汗を拭った。
『そうだろうな。ただし、何を間違えるかまでは指定されていない』
三枝はすぐに黒板の写真を撮り、トランシーバーで指示を出した。
「この予言は、絶対に生徒には見せません。教職員への情報共有も最小限に留めます」
「知られるほど強くなるからですか」
「はい」
最初の予言。
『明日、放課後、二年一組で血が流れる。』
新しい予言。
『明日、予知者Kは間違える。』
この二つが、明日同時に成立しようとしている。
健司は未来視を試した。
すると、無数の未来の分岐がフラッシュのように弾けた。
健司が血の流れる原因を読み間違える未来。
三枝への指示を間違えて、別の事故が起きる未来。
術者候補を間違えて、罪のない女子生徒を追い詰める未来。
黒板の予言の意味を間違えて、より危険な成就を招く未来。
何かを単純に言い間違えるだけの、妙に軽い未来。
情報が多すぎて、健司は頭を抱え込んだ。
「……見えすぎる。俺が何を間違えるのか、絞りきれません」
三枝が、静かに告げた。
「では、明日は佐藤さん自身も保護対象として動きます」
健司は乾いた笑いを漏らした。
「補助要員のはずだったんですけどね」
『猿。舞台の上に上がった以上、もう安全な観客席には戻れんぞ』
魔導書の言葉に、健司は黒板の忌まわしい文字をキッと睨みつけた。
(やってやるよ。間違える未来が避けられないなら、一番マシな間違いを探してやる)
放課後を消した黒板は、今度は予知者Kの未来に、白いチョークで深々と因果の杭を打ち込んだ。
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