俺が買った『猿でも分かる魔法の使い方』が本物の魔導書だったので、とりあえず確率操作で無双します【リメイク】   作:パラレル・ゲーマー

33 / 34
第32話  猿と出勤と三つの源流

 廃ビルの五階に広がる低位異界で、初めての本格的な怪異討伐を経験してから数日が経った。

 

 佐藤健司は、霞が関へと向かう地下鉄の座席で、スマートフォンの画面を眺めていた。

 

 LINEのトークルームには、登録したばかりの『瀬尾梓』というアカウントから、短いメッセージが何件か立て続けに送られてきている。

 

『師匠、次の探索日はいつですか?』

 

『手動作(ハンドサイン)を使うと、子鬼相手ならほぼ安定して処理できるようになりました』

 

『押す動作と払う動作の魔力抵抗の違いを、自分なりに整理しています』

 

『師匠、今度また実戦で見てもらえますか?』

 

 健司は画面を見つめながら、微妙な顔をして小さくため息をついた。

 

「……師匠呼び、完全に固定されてるな」

 

 健司の内心としては、別に自分が偉そうに指導したつもりは微塵もない。

 

 ただ、あの場で見えたものを、自分なりに言葉にして伝えただけだ。

 

 だが、能力の壁にぶつかって停滞していた梓にとっては、それだけで文字通り『世界が変わる』レベルの助言だったのだろう。

 

(俺自身がまだまだド素人なのに、弟子なんか取ってる場合じゃないんだけどな)

 

 健司は少し落ち着かない気持ちのまま、スマホをポケットにしまい、ヤタガラスの施設へと向かった。

 

 週に一度の定期出勤日。

 

 厳重な受付、ID認証、ゲートでの簡易的な体調・呪的汚染の確認。

 

 前回の学校での黒板案件や異界探索を経て、健司もこの重苦しいセキュリティの流れに少しずつ慣れてきていた。

 

 ただし、まだ完全に「ここが自分の職場だ」というサラリーマン的な安心感を得るには至っていない。

 

 案内されたのは、いつもの防音設備の整った小会議室だった。

 

 そこには、現場対応担当の若手調査員である三枝(さえぐさ)が、すでにノートPCと資料端末を広げて待機していた。

 

 三枝は健司の姿を認めると、いつもの落ち着いた調子で軽く手を上げた。

 

「佐藤さん、お疲れさまです」

 

「お疲れさまです」

 

 健司が対面の席に腰を下ろす。

 

「今日は定期報告ですね。初めての低位異界の探索、どうでしたか?」

 

 三枝が、端末のキーボードに手を置きながら尋ねてきた。

 

 この時点では、三枝は健司が具体的に異界で何をしてきたか、詳細を知っているわけではない。

 

 入退場のゲート記録や、GPSの探索ログ程度の概要は把握しているだろうが、内部での出来事は健司からの直接の報告ベースで吸い上げる形だ。

 

「ああ、それなんですけど。今日は報告することが結構あります」

 

「お、いいですね。順番に聞きましょうか」

 

 三枝が少しだけ興味を示したように身を乗り出した。

 

「まず、廃ビル五階の異界についてなんですけど……」

 

 健司は、あの日体験した強烈な違和感をありのままに語り始めた。

 

 入口で認定証を見せたこと。

 

 一階から四階までは、埃っぽいだけの普通の廃ビルだったこと。

 

 そして、五階の防火扉を開けた瞬間、フロア全体が広大な原っぱに繋がっていたこと。

 

「本当に、ビルの五階がそのまま青空のある原っぱになってたんですよ。風も吹いてて、足元も本物の土で。……理屈としては橘さんから聞いてましたけど、実際にあれを見ると、かなり脳がバグるというか、変な感じですね」

 

 三枝は静かに頷いた。

 

「初めて見ると、大体の人がそうなります。あそこは低位異界の中でも、空間の境目が非常に分かりやすい方ですね。過去の土地の記憶や、その場所に残っていた風景の残滓が、因果の歪みとして固定されたタイプだと見られています」

 

「やっぱり、過去の風景なんですか」

 

「ええ、諸説ありますけど、あそこの場合はそれが最も有力です。都市開発の地図や古い土地の登記記録と照合すると、数十年前までは実際に草地に近い、手つかずの空き地だったらしいので」

 

 健司は納得した。

 

 異界には、土地の記憶が固定されたもの。

 

 人々の恐怖や噂が固まってできたもの。

 

 古い結界の残骸。

 

 そういった多様なパターンがあるらしい。

 

「怪異との接触はありましたか?」

 

 三枝が本題に入る。

 

「ありました。子鬼(ゴブリン)ですね。小学生くらいの背丈のやつが出ました」

 

「ああ、あそこの定番ですね。問題なく対処できましたか?」

 

「初めて見た時は流石にビビりましたけど、動きが単調だったので。未来視で木の棒の軌道を読んで、横に外れて、近づいて触れて……斬撃魔法で倒しました」

 

 三枝が、キーボードを打つ手をピタリと止め、少し目を細めた。

 

「……触れて斬撃、本当に実戦の動く怪異相手でも使えたんですね」

 

「はい。ただ、紙を切るのとは全然感触が違いました。なんというか、重い泥の塊を無理やり引き裂くみたいな嫌な抵抗があって、気持ち悪かったです。でも、子鬼相手なら一撃で消せました」

 

 三枝が、カタカタと素早いタイピングで端末にメモを打ち込む。

 

「『Tier5相当の低位怪異には、接触斬撃が極めて有効。対象の魔力密度による抵抗感あり。発動後は対象が即座に消滅』、と」

 

 健司は苦笑した。

 

「……俺の行動、そういう生々しい感想まで全部データになるんですね」

 

「なりますよ」

 

 三枝は悪びれずに答えた。

 

「佐藤さんは、基礎能力の伸び方と手札が増える速度が非常に早いので。現場でバックアップする我々としては、むしろ可能な限り細かく、感覚的な部分まで知っておきたいんです」

 

 健司は少し困った顔をしたが、現場のプロとしての三枝の言い分には納得せざるを得なかった。

 

「あと、子鬼を倒したら、千円札が落ちました」

 

 三枝はフッと笑った。

 

「落ちますね」

 

「あれ、普通に現金なんですね。ゲームみたいに怪異の素材とか、魔力の結晶とかじゃなくて」

 

「あの区画は、初心者向けに空間の法則がかなり安定しているので、分かりやすい『価値のある報酬』として物理的な現金が出やすいんです。もちろん、全部の異界がそういう仕様ではありませんよ」

 

「……まんまゲームみたいでした」

 

「よく言われます。むしろ、現代のゲームという概念の方が、現実の異界の仕組みを無意識になぞっている部分もあると思いますけどね」

 

「それ、前にも橘さんが言ってました」

 

「でしょうね」

 

 二人は軽く笑い合った。

 

「それで、少し気になったことなんですけど」

 

 健司が、今日一番報告したかった本題の一つに切り込む。

 

「はい」

 

「あそこ、学生の能力者が多くないですか? ド平日の昼間だったのに」

 

 三枝が、苦笑いを浮かべた。

 

「ああ……気づきましたか」

 

「気づきますよ。制服着た子が、普通に何人もウロウロしてましたから。あれ、やっぱり学校サボってるんですよね?」

 

「そうですね。大抵はサボりです」

 

「やっぱりか」

 

 三枝は、少しだけ困ったように眉をひそめた。

 

「……学生の能力者は、能力に目覚めると不登校になるケースが、統計的にかなり多いんです」

 

「そんなに多いんですか?」

 

「多いですね。もちろん全員ではありません。能力を隠して真面目に学校へ通い続ける子もいます。でも、目覚めた能力で低位異界へのアクセス権を得ると、学校よりも『能力者待機所』やダンジョンに入り浸る子はどうしても一定数出ます」

 

「能力者待機所?」

 

「ええ。登録能力者向けに国が用意している、安全な待機施設です。休憩所、情報交換所、簡単な装備の貸出、怪我の応急処置、安全な依頼掲示板なんかがあります。……学生能力者にとっては、口うるさい教師がいる学校より、よっぽど居心地がいい場所になりがちなんですよ」

 

 健司は頷いた。

 

「まあ、自分と同じ能力者がいる場所の方が、確実に話は合いそうですもんね」

 

「そうです。しかも、ダンジョンに入れば自分の力で直接稼ぐことができる」

 

 三枝は淡々と現状を語る。

 

「本人たちからすると、『自分には選ばれた特別な力があるのに、何も知らない凡人の同級生たちと一緒に、朝から夕方まで退屈な授業を受けるより、自分の能力で稼いで自立した方が意味がある』という思考になりやすいわけです」

 

 健司は、あの原っぱで見た学生たちを思い出した。

 

 ゲーム感覚で子鬼を狩る者。

 

 妙に慣れた動きで怪異を倒す者。

 

 そして、淡々と千円札を拾い集めていた梓の姿。

 

「……子鬼一体で千円なら、そりゃ入り浸る気持ちも分からなくはないですね」

 

 健司が同調すると、三枝は深くため息をついた。

 

「ヤタガラスとしては、非常に頭の痛い問題ですよ。未成年者の保護、能力の安全管理、学業の補償、家庭との連絡、そして能力の犯罪利用の防止。全部が複雑に絡んできますから」

 

「能力者になったから学校行きません、でハイそうですかと済む話じゃないですもんね」

 

「そうですね。ただ、すでに強大な力を持ってしまった子供に、無理やり『普通の学校生活』だけを押し付けても、反発して上手くいかないことがほとんどです」

 

 ヤタガラスという組織が、単に能力者を力で縛り付けるだけでなく、彼らの社会的な教育やメンタルケアという難しい問題に直面していることが、健司にもよく分かった。

 

「それで、学生が多かったという話だけですか?」

 

 三枝が話を戻す。

 

「あ、いえ。もう一件あります」

 

 健司は少し姿勢を正した。

 

「瀬尾梓(せお・あずさ)っていう、女子高生の能力者と会いました。黒髪のショートボブで、念動力使いの子です」

 

 三枝は、手元の端末のキーボードを素早く叩き、データベースを検索した。

 

「瀬尾梓……。ああ、ヤタガラスに登録済みですね。近距離念動干渉型。特定の組織への正式所属はなし。登録されたのは二ヶ月ほど前です」

 

 ここで三枝は初めて、瀬尾梓という個人の詳細なデータを確認した。

 

「……射程は二メートル程度、出力は本人の腕力相当。当方の能力評価としては、非常にありふれた、低出力の念動力ですね」

 

「はい。たぶんそれです」

 

「彼女と、何かありましたか?」

 

「最初は、子鬼相手にすごく危なっかしい戦い方をしてるように見えたんです。自分の射程である二メートルギリギリまで敵を引きつけてから、持ち上げて叩きつける感じで」

 

「ああ、その性能なら、戦術としてはそうなりますね」

 

「ただ、相手との距離の測り方とか、動きの勘自体は悪くなさそうだったので……少し声をかけました」

 

 三枝が、端末から顔を上げて健司を見た。

 

「……声をかけたんですか?」

 

「はい。まあ、初対面の女子高生に急に話しかけるなんて、不審者っぽいかなとは思ったんですけど、一応認定証も下げてましたし」

 

 三枝が少しだけ笑った。

 

「初対面の女子高生に、いきなり能力指導ですか。なかなか肝が据わってますね、佐藤さん」

 

「やめてください。俺も自分で言ってて、これ完全に事案っぽいなと思ってますから」

 

 健司は苦笑して両手を振った。

 

「それで?」

 

「彼女の能力、射程と出力が、本人の『身体感覚』にかなり引っ張られているように見えたんです。ただ目線だけで動かそうとしてたから。……だから、実際に『手動作(ハンドサイン)』を使って念動力を制御すると、性能が伸びるんじゃないかと思って、アドバイスしました」

 

 三枝が眉をひそめた。

 

「手動作?」

 

「はい。掴む、押す、引く、投げる。念動力を使う時に、実際の手の動きと連動させるんです。そうすると、本人の脳の認識が物理的に固定されて、出力の通り道が太くなる感じがありました」

 

 三枝の顔つきが、少しだけ真面目な仕事の顔に変わった。

 

「……それを、瀬尾さんにその場で試してもらったんですか?」

 

「はい。そうしたら、射程が二メートルから四メートルくらいに伸びて、出力も倍くらいに跳ね上がりました」

 

「……倍?」

 

 三枝が、静かに聞き返した。

 

「はい。子鬼を五メートルくらい上空までポーンと放り投げてました」

 

 三枝は、端末への入力を完全に止め、少し驚いたように健司を見つめた。

 

「……佐藤さん。それ、結構すごいことですよ」

 

「そうなんですか?」

 

「登録済みの、限界値が見えていた能力者の出力を、現場での簡単な助言だけで一瞬で『倍』にしたんですよね?」

 

「まあ、結果的にはそうなりましたけど」

 

「それは、普通にすごいです。少なくとも、瀬尾さんという一人の能力者にとっては、今後の異界探索での生存率と人生が根底から変わるレベルの、決定的な助言ですよ」

 

 健司は少し照れくさくなり、頭を掻いた。

 

「……だから、なんか向こうから『師匠』って呼ばれるようになりました」

 

 三枝が、フッと吹き出した。

 

「なんか、師匠扱いされてますねー」

 

「他人事みたいに笑わないでくださいよ」

 

「いや、素晴らしいことですよ」

 

 三枝は真顔に戻って言った。

 

「学生能力者を正しい方向へ導ける『導き手』は、今のヤタガラスには圧倒的に足りていませんから」

 

「導き手って、そんなに足りないんですか?」

 

 健司が尋ねる。

 

「足りません。圧倒的に」

 

 三枝は、現場の実情を語り始めた。

 

「能力者というのは、基本的に我が強い人間が多いんです。突然覚醒したタイプは特に、自分だけの特別な能力に強烈な自尊心と思い入れを持っていますから、赤の他人の指導を素直に受け入れない者が多い」

 

「それに、能力が特殊すぎると、既存の教本やマニュアルが全く役に立たないことも多々あります」

 

 三枝は小さく息を吐いた。

 

「年上の職員だから、ヤタガラスの人間だからという肩書きの理由だけでは、若い子は絶対に指導を聞いてくれません。……でも、佐藤さんは実際に目の前で、彼女の能力の性能を劇的に伸ばして見せた。そうなると、相手は素直に教えを聞きます」

 

「いや、俺はそんな大層な立派な師匠じゃないですけどね」

 

「師匠かどうかは、佐藤さんが決めることじゃありません。呼ぶ側の人間が決めることなんじゃないですか?」

 

「……なんか、急に重いこと言いますね」

 

 健司が身構えると、三枝は「ハハハ」と乾いた声で笑った。

 

 その時、会議室のドアが開き、橘真が入室してきた。

 

「失礼します。少し遅くなりました」

 

「お疲れ様です。ちょうど今、佐藤さんの報告を聞いていたところです」

 

 三枝が応じる。

 

「何か、面白い報告はありましたか?」

 

 橘が健司の隣の席に座りながら尋ねた。

 

「かなり。佐藤さん、低位異界で子鬼を接触斬撃で完璧に処理しました。さらに、瀬尾梓さんという登録能力者に現場で助言し、念動力の射程と出力を、おおよそ倍に伸ばしたそうです」

 

 橘の目が、少しだけ鋭く光った。

 

「……それは、非常に興味深いですね」

 

「いや、そんな大騒ぎするほどのことでは……」

 

 健司が謙遜すると、橘は首を横に振った。

 

「佐藤さん。能力者の『能力運用の改善』は、場合によっては、新しい能力者を一人増やすよりも遥かに高い価値があります」

 

「そうなんですか?」

 

「はい。能力者の多くは、自分自身の能力の原理を正しく理解できていません。特に突然覚醒型は、能力の理屈よりも先に感覚だけで使い始めてしまう」

 

 橘は、健司の目を見て言った。

 

「そこに、他者からの客観的で適切な言葉や、動作の『型』を与えるだけで、性能が爆発的に伸びることがある。今回の瀬尾さんの件は、まさにその典型例かもしれません」

 

 健司は、自分が思った以上に、組織的に重要なことをしてしまったのだと気づいた。

 

「さっき三枝さんとも話してたんですけど」

 

 健司が、改めて橘に質問を投げた。

 

「子供の能力者って、結構多いんですか?」

 

 橘は静かに頷いた。

 

「多いです。特に近年は、若年層における『突然覚醒型』の発現が激増しています」

 

「それって、なんでなんですか?」

 

「一因として、現代のサブカルチャーの爆発的な発展が挙げられます」

 

「サブカル……アニメとか漫画とかですか?」

 

「はい。アニメ、漫画、ライトノベル、ゲーム、動画配信、SNS。現代の子供たちは、“もしも自分に特別な能力があったら”という想像やフィクションに触れる機会が、過去のどの時代よりも非常に多い」

 

 橘は淡々と語る。

 

「もちろん、多くの人間には魔法の素養などありません。ただの思春期の憧れや妄想で終わります。ですが……ごく一部に、本当に素養を持って生まれてくる者がいる」

 

「そういう子供たちは、日常の些細なストレス、孤立感、怒り、恐怖、あるいは強烈な願望などをトリガーにして、ある拍子で能力に目覚めてしまうことがあるんです」

 

「……想像が、能力の形を作るんですか?」

 

 健司が核心を突く。

 

「正確には、想像だけで能力がゼロから生まれるわけではありません。素養が先にあります」

 

 橘は少しだけ言葉を選んだ。

 

「ただし、その素養が発現する時に『どんな形を与えるか』という点において、本人の脳内のイメージは非常に重要になります。現代の子供たちにとって、その最も身近なイメージの材料になるのが、アニメや漫画の能力描写なのです」

 

 健司は少し考え込んだ。

 

 自分も、確率操作という魔法の入り口を、ソシャゲのガチャという最も身近な欲望から掴んだ。

 

 予知も、株のチャートやネットの反応を通じて形を得た。

 

 現代人の能力が、現代のイメージに引っ張られるというのは、極めて納得のいく話だった。

 

「能力の自然覚醒は、おおよそ十代から三十代前半までに多く見られます」

 

 橘が説明を続ける。

 

「三十代前半まで?」

 

「はい。大人になり切る前、自己認識がまだ完全に固定されていない、柔軟な時期ですね。逆に、完全に大人になり切ってしまうと、自然覚醒は極端に少なくなります」

 

「大人になると、目覚めにくくなるんですね」

 

「社会の常識、諦め、現実感、完全に固定された自己認識。そういった強固な概念が、異能という理不尽な力の芽を無意識に押さえ込むのだと考えられています」

 

 三枝が横から補足した。

 

「ざっくり言えば、“自分はただの普通の人間だ”という認識が固まりすぎると、普通から外れにくくなるんです」

 

「嫌な説得力がありますね……」

 

 健司は苦笑した。

 

「ただし、三十代後半以降でも、稀に発現する人はいます」

 

 三枝が付け加える。

 

「どういう場合ですか?」

 

「事故、病気、死にかけた経験、家族の喪失、極端な精神的負荷。そうした強烈なショックをきっかけに、眠っていた素養が無理やり表に引きずり出される場合があります」

 

 三枝は淡々と言った。

 

「若い子は、“自分は特別かもしれない”という期待で目覚めやすい。大人は、“もう普通ではいられない”という絶望で壊れるように目覚める。……現場の感覚としては、そんな感じですね」

 

「言い方は怖いですけど、なんとなく分かります」

 

「さて、少し話が逸れましたね」

 

 橘が手元の資料を一枚めくった。

 

「佐藤さん。能力者の起源は、大きく三つに分けられます」

 

「三つ?」

 

「はい。『継承型』、『突然覚醒型』、そして『修練型』です。今後の参考として、覚えておいてください」

 

 橘は、分かりやすく口頭で説明を始めた。

 

「一つ目は、継承型」

 

「古くから続く能力者の血脈に生まれ、その家系に伝わる独自の術式や異能を、遺伝的、あるいは秘伝の形として引き継いだ者です」

 

「名家とか、古い家系の能力者ってことですか?」

 

 健司が尋ねる。

 

「そうです。陰陽道の末裔、修験道、古い武家の異能、神職系の術式、地方の土着の秘伝など、形は様々です」

 

 特徴としては、能力が非常に安定している。

 

 一つの能力や術式に特化していることが多く、家系内に訓練体系もある程度整っているため、実戦投入までの道筋が分かりやすい。

 

 一方で、家系の『型』から外れにくく、応用力に欠ける場合もある。血筋や家のしがらみも強い。

 

「継承型は、良くも悪くも“完成された型”があるんです。強いですが、家ごとの面倒くささも非常に厄介です」

 

 三枝が、少し疲れたような顔で補足した。

 

「それはそれで大変そうですね」

 

「二つ目は、突然覚醒型」

 

 橘が次を説明する。

 

「血筋や修行に全く関係なく、極度のストレス、死の淵、強い願望、感情の爆発などをきっかけに、ある日突然、無から能力へ目覚めた者です」

 

「瀬尾梓みたいな子ですか」

 

「そうですね。瀬尾さんはまさにこの型です。そして、近年最も激増しているのがこのタイプです」

 

 能力は多種多様。

 

 既存の分類に当てはまらない未知の能力が発現することもある。

 

 しかし、制御は非常に不安定になりやすい。

 

 本人も理屈が分からず、ただ感覚だけで使っていることが多い。

 

 一方で、型にはまらない分、爆発的な成長を遂げる可能性も秘めている。

 

「管理が一番大変そうですね」

 

 健司が言うと、橘が少しだけ苦笑した。

 

「ええ。ヤタガラスという組織で、一番管理に頭を抱え、手を焼くのは、この突然覚醒型です」

 

「私も普段、面談をして回るのは、ほとんどがこの突然覚醒型の子たちですね」

 

 三枝が肩をすくめた。

 

「面談って、どんなことするんですか?」

 

「まず、本人が何をしたのか、何ができるのか、何ができないのかを徹底的に確認します。次に、能力をみだりに他人へ使わないこと、学校や家庭で暴走させないこと、SNSに無闇に動画や写真を上げないことを厳しく説明します。……それから、必要に応じて低位異界や待機所の利用方法を教え、訓練施設やカウンセリングに繋げます」

 

「めちゃくちゃ大変そうですね……」

 

「大変ですよ」

 

 三枝は無表情のまま言った。

 

「突然覚醒した十代は、自分は選ばれし者だと思い込んで、だいたいテンションがおかしくなっているので」

 

「それは……まあ、分かる気がします」

 

 健司は素直に同意した。

 

「三つ目は、修練型」

 

 橘が最後の一つを告げる。

 

「特定の異能組織や流派に所属し、体系化された厳しい修行法によって、後天的に能力を目覚めさせた者です」

 

「修行で能力者になるタイプですか」

 

「はい。僧侶の法力、武道の達人が至る“気”の領域、特殊な呼吸法、瞑想、呪術、密教系の行法、あるいは海外の近代的な能力開発プログラムなどがこれに含まれます」

 

 後天的に時間をかけて鍛えるため、基礎が非常に安定しやすい。

 

 能力の方向性は、所属団体や流派の特性に大きく依存する。

 

 派手な固有能力よりも、再現性のある汎用的な技術体系になりやすい。

 

「修練型は、いわゆる職人や求道者に近いですね」

 

 三枝が言う。

 

「急に目覚めるというより、何年も積み上げて、ようやく能力者の領域へ踏み込む感じです」

 

「三種類でも、それぞれ成り立ちがかなり違うんですね」

 

「ええ。ただし、実際にはこれらが混ざり合った『混合型』も存在します」

 

 橘が付け加える。

 

「継承型の家に生まれた者が、突然覚醒で家系とは全く違う未知の能力に目覚めることもありますし、突然覚醒型が、その後に修練型の訓練体系を学ぶこともある。分類はあくまで便宜上のものに過ぎません」

 

「なるほど……」

 

 健司は、少し気になって尋ねた。

 

「ちなみに、俺は分類上だとどれになるんですか?」

 

 橘と三枝が、一瞬だけ沈黙した。

 

「佐藤さんは……」

 

 三枝が言葉を選ぶ。

 

「突然覚醒型寄り、ですかね」

 

「ただ、能力の伸び方や、全く系統の違う複数能力の扱い方については、通常の突然覚醒型とはかなり違いますね」

 

 橘も少し眉をひそめた。

 

「ですよね……」

 

「現時点では、我々も『特殊な突然覚醒型』として仮分類して扱っています」

 

 橘が結論づける。

 

「分類はあくまで仮ですね。佐藤さんは、何かと例外が多いので」

 

 三枝が淡々と言う。

 

「俺、ヤタガラスに入ってから例外扱い多くないですか?」

 

「多いですね」

 

 三枝が即答する。

 

「多いです」

 

 橘も即答した。

 

「即答かよ」

 

 健司は苦笑して突っ込んだ。

 

 橘たちは、あくまで健司を「特殊な突然覚醒型」として処理している。

 

 健司も、それ以上深くは言及しなかった。

 

「瀬尾梓さんについては、こちらでも少し情報を更新しておきます」

 

 三枝が、端末を操作しながら話を戻した。

 

「俺が教えたことで、何かヤタガラス的に問題になりますか?」

 

 健司が少し不安になって聞く。

 

「問題というより、能力が明確に伸びたのであれば、安全管理上のデータ更新が必要です。射程二メートル・腕力相当と、射程四メートル・出力二倍では、本人のリスク評価そのものが変わりますから」

 

「ああ、確かに」

 

「ただ、佐藤さんが個人的に指導したこと自体を問題にするつもりは一切ありません。むしろ、本人の能力が安定して伸びているなら、組織としては大歓迎です」

 

 健司は少し安心した。

 

「ただし」

 

 三枝が念を押す。

 

「未成年の能力者と行動を共にする場合は、必ず探索ログと同行記録をこちらに残してください。何かあった時の責任の所在を明確にするためです」

 

「分かりました」

 

「それと、瀬尾さんを無理に危険な深層へ連れて行かないこと。当面は、低位異界での安全な訓練に留めてください」

 

 橘も保護者目線で注意する。

 

「もちろんです。俺自身もまだ初心者なんで、そんな無茶はしませんよ」

 

「そこを自覚しているなら安心です」

 

 三枝が頷いた。

 

「学生の能力者は日々増えています。しかし、彼らを正しく導ける『導き手』は全く足りていない。学校にも戻りづらく、かといって放っておくと暴走して危ない」

 

 三枝が、少しだけ真面目な顔で健司を見た。

 

「だから、佐藤さんのように、年齢が離れすぎず、でも確かな現場経験があり、実際に彼らの能力の扱いを改善できる大人は……我々にとって、非常に貴重なんですよ」

 

「俺、いつの間にかそんな大層な立場になってるんですか?」

 

 健司は顔を引きつらせた。

 

「少しずつ、そうなりつつありますね」

 

 橘が静かに微笑んだ。

 

 健司は戸惑いを隠せなかった。

 

 ほんの少し前まで、ただの底辺フリーターだった自分。

 

 今は、予知者Kとしてネットで持て囃され、ヤタガラスに所属し、異界で怪異を倒し、見知らぬ女子高生能力者に『師匠』と呼ばれている。

 

「……俺の人生、本当に変な方向に進んでますね」

 

「能力者は、だいたいそうです」

 

 三枝が淡々と返す。

 

「佐藤さんの場合は、変化の速度が周囲よりかなり速いですが」

 

 橘が追撃する。

 

「そこは否定してほしかったです」

 

 定期報告が終わった。

 

 帰り際、橘は能力者三分類の簡易的な説明資料を健司に渡した。

 

「時間のある時に、目を通しておいてください。今後、佐藤さんが他の能力者と現場で関わる機会が増えるなら、この基本分類は知っておいた方が必ず役に立ちます」

 

「分かりました。ありがとうございます」

 

 健司は資料を受け取り、ヤタガラスの施設を後にした。

 

 継承型。

 

 突然覚醒型。

 

 修練型。

 

 その三つの文字が頭の中を巡る。

 

 梓は突然覚醒型。

 

 三枝が普段面談しているのも突然覚醒型。

 

 ヤタガラスが管理に手を焼いているのも突然覚醒型だ。

 

 世界には、自分が想像しているよりもはるかに多くの能力者がいて、それぞれが全く異なる事情や背景で力を得ている。

 

 地下鉄へ向かって歩いていると、ポケットの中のスマホが短く震えた。

 

 瀬尾梓からのLINEだった。

 

『師匠、次の探索日はいつですか?』

 

 健司は画面を見て、少しだけ笑った。

 

 少し前まで、自分には誰かに誇れるものなど何一つなかった。

 

 他人に何かを教える立場になるなんて、想像もしていなかった。

 

 だが今は、画面の向こうの誰かが、自分のことを本気で「師匠」と呼んでいる。

 

 それが重いことなのか、ただ面倒なだけなのか、それとも純粋に嬉しいことなのか、自分でもまだよく分からなかった。

 

 健司は、フリック入力で返信を打った。

 

『俺のヤタガラスの予定を確認してから連絡する。あと、小遣い稼ぎもいいけど、学校はちゃんと行けよ』

 

 数秒後、すぐに既読がつき、返信が来た。

 

『努力します、師匠』

 

 健司は苦笑してスマホをしまった。

 

「努力します、は絶対に行かないやつの常套句だろ……」

 

 能力者には、三つの源流がある。

 

 血で受け継ぐ者。

 

 ある日突然、世界の裏側へ落ちる者。

 

 長い修練の果てに、普通の人間を踏み越える者。

 

 そして佐藤健司は、自分が本当はどこに分類されるのかも曖昧なまま、いつの間にか、別の能力者を導く側へと足を踏み出していた。

 

 猿はまだ、『師匠』という言葉が持つ本当の重さを知らない。

 

 だが、瀬尾梓にとっては。

 

 その言葉はもう、決して軽い冗談ではなくなり始めていた。

 




ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。