俺が買った『猿でも分かる魔法の使い方』が本物の魔導書だったので、とりあえず確率操作で無双します【リメイク】 作:パラレル・ゲーマー
都内の廃ビル五階に広がる、原っぱの異界。
佐藤健司と瀬尾梓の二人は、ヤタガラスが管理するその初心者向け区画へ、再び足を踏み入れていた。
一階の入り口で、屈強な警備員に認定証を提示し、入退場のログを登録する。未成年の登録能力者である梓と行動を共にするため、健司は前回ヤタガラスの三枝から受けた注意を守り、責任の所在を明確にするための同行記録もきちんと残した。
「同行記録、これでいいんだよな」
健司が受付の端末を操作しながら確認する。
「はい。私も、自分のヤタガラスの活動ログに同行者として残しました」
梓が、手元のスマホをしまいながら淡々と答える。
「真面目だな」
「書類上の師匠に、無用な迷惑をかけるわけにはいきませんので」
梓は真顔で言った。
「書類上の師匠って何だよ」
「現場の指導責任者、という扱いに近いです。ヤタガラス側でも、たぶん似たような扱いだと思います」
「……いつの間にそんな公式みたいな扱いにされてるんだよ、俺」
健司が苦笑しつつ、二人は五階の防火扉をくぐった。
扉の向こうには、やはり廃ビルの面積を完全に無視した、広大な原っぱと青空が広がっていた。
健司は一度見ているので、初回ほどの衝撃はない。だが、ビルの中を歩いていて急に風が吹き、足元が土と草に変わる光景は、何度見ても脳の処理が追いつかない異常さがある。
梓はすっかりこの異界に慣れた様子で、周囲をぐるりと見渡した。
「今日は人が少ないですね」
「平日だからな」
「平日の方が、獲物の奪い合いにならなくて空いていて助かります」
梓がリュックの紐を直しながら言う。
「……学校は?」
「努力します」
「もうその『努力します』って返し、完全に行く気ないやつの常套句だろ」
健司がため息をつく。
「今日は小遣い稼ぎではなく、ヤタガラスの指導のもとでの正式な探索訓練ですから」
梓は悪びれずに、極めて尤もらしい顔をした。
「便利な言い訳を覚えたな……」
健司は、この弟子の図太いサボり癖に呆れつつも、歩き出した。
今回の探索は、ただ子鬼を狩って千円札を集めることが目的ではない。
健司は、歩きながら梓に今日の訓練の目的を共有した。
「一、梓は前回教えた『斥力盾』の実戦感覚と、防御から反撃への移行を確認する。二、遠距離でのハンドサイン攻撃で、子鬼を足止め・妨害する精度の向上。……そして三、俺は、新しく覚えた『遠距離斬撃』を子鬼相手に実戦で試す」
梓が、ピクッと反応して顔を向けた。
「遠距離斬撃?」
「ああ。漫画喫茶で地獄の修行をしてきた」
「……漫画喫茶で修行?」
「そこは突っ込むな。まだ練習中の段階だけど、対象に触らずに、離れた場所から切る技だ」
梓は、少し驚いたように目を見開いた。
「師匠、この数日でまた新しい能力増えてませんか?」
「増えてるというより、既存の接触斬撃を、無理やり遠くへ飛ばす練習をしてるだけだな」
「普通にすごいです。それがあれば、私がいなくても遠距離で戦えるじゃないですか」
「いや、まだ紙コップをなんとか切れる程度だからな。威力も精度も全然足りない」
「ただの紙コップを『触らずに切断できる』時点で、普通ではないと思いますけど」
「……能力者に『普通じゃない』って言われると、なんか複雑だな」
健司が肩をすくめた時だった。
数十メートル先の草むらの向こうで、空間が水に落としたインクのようにじわりと滲んだ。
空間の歪みの中から、泥でできたような灰色の皮膚を持つ子鬼が、ゆっくりとにじみ出てくる。
その手には、いつもと同じ粗末な木の棒が握られていた。
健司は足を止め、右手をスッと上げた。
「出たな」
梓が、すぐさま両手を前に出して『斥力盾』の構えを取る。
「私が止めますか?」
「いや、最初は俺一人で試す。危なくなったらフォロー頼む」
「分かりました」
梓がスッと数歩下がり、後方支援の位置につく。
健司は、子鬼から約五メートルほど距離を取った。
ここで、健司の額に嫌な汗が滲む。
自宅のアパートで紙コップを切った時は、距離はわずか『一メートル』だった。
今回は、いきなりその五倍の距離だ。遠距離斬撃の魔力密度は、距離が離れるほど劇的に薄くなる。健司自身も、これが無謀な挑戦であることは重々承知していた。
だが、実戦で一メートルの距離というのは、相手の武器のリーチを考えればほぼ「近接」と変わらない。遠距離攻撃を名乗るなら、最低でも五メートルは飛ばせなければ話にならない。
「ギャギィッ!!」
子鬼が健司に気づき、醜い顔を歪めて突進してきた。
健司は呼吸を整え、右手の人差し指と中指をピタリと揃え、子鬼へと向ける。
紙コップを切った時と同じ、ハンドサインの型。
脳内で、子鬼の胴体を横に切り裂く切断線を極限まで強くイメージする。
そして、音のジンクスによる魔法の発動宣言。
「斬!」
健司が、腹の底から叫んだ。
指先から、目に見えない薄い斬撃の波動が飛ぶ。
だが、やはり五メートルという距離が長すぎた。斬撃の線は空中で維持しきれず、少しブレて広がり、子鬼の胴体ではなく、右の肩口へと逸れて命中した。
ザシュッ!
鈍い音とともに、子鬼の灰色の皮膚が浅く裂け、泥のような黒い体液が空中に散った。
しかし。
子鬼は消滅しなかった。
「ギギギィィィッ!!」
痛みで激昂した子鬼が、むしろ突進速度を上げ、木の棒を振りかぶって健司へと肉薄してくる。
「うわ、切れたけど倒れねえ!」
健司が舌打ちして後退しようとした瞬間。
「師匠!」
背後から梓の声が飛び、同時に彼女の右手が鋭く払われた。
念動力が、突進してくる子鬼の足元を正確に引っ掛ける。
「ギャッ!?」
子鬼の足がもつれ、前のめりに無様に転倒した。
健司は、その隙を逃さなかった。
身体強化の出力を上げ、MMAのステップで一気に距離を潰す。
転倒して起き上がろうとする子鬼の背中に手を触れ、ゼロ距離での接触斬撃を発動した。
(切れろ)
今度は、あの重く粘り気のある確かな切断の感触があった。
子鬼が煙のようにボロボロと崩れ落ち、消滅する。
後に、ヒラリと千円札が一枚舞い落ちた。
健司は大きく息を吐き出した。
「……ハンドサインと音のジンクスだけだと、やっぱり五メートル先の怪異を仕留めるのはまだ無理かー」
梓が、目をキラキラと輝かせながら小走りで近づいてきた。
「今の、なんですか!?」
「今のが、絶賛練習中の遠距離斬撃だよ」
健司は少し恥ずかしくなって頭を掻いた。
「子鬼の肩が、離れた場所からハッキリと切れてました」
「切れはしたけど、消えなかっただろ。距離が離れると威力が圧倒的にお粗末になるんだよ。魔力の消耗も激しいから連発もできねーし、現状じゃまだ牽制程度にしか使えないな」
「でも、すごいです、師匠! あれが自在に撃てるようになれば、本当に最強の遠距離アタッカーじゃないですか!」
梓は普段の淡々とした態度を崩し、珍しく興奮している。
「いや、実戦でメインウェポンにするには、まだ精度も威力も危なっかしすぎる」
「私も出来るようになりたいです」
梓が、健司の顔を真っ直ぐに見つめて言った。
「うーん……どうかな」
健司は、即答を避けた。
(どうなんだ? 梓の念動力でも、俺の遠距離斬撃みたいなこと、できるのか?)
健司は子鬼が消えた場所を見つめながら、脳内で魔導書に問いかけた。
『できないこともない』
魔導書が、興味深そうに答える。
(できるのか)
『念動力を極限まで細く、薄く、鋭く圧縮し続ければ、空間に固定された“見えない刃”のように扱うことは理論上可能だ。物理的なギロチンと同じ原理だな』
(じゃあ、教えるか?)
『今はやめておけ。あの小娘の現段階の魔力制御力では、無駄にリソースを食うだけだ。普通に念動力の面積を広げて叩く、払う、止めるという基本戦術を徹底させた方が、遥かに強くて早い』
(まあ、そりゃそうか。斥力盾を覚えたばっかりだしな)
『それにだ』
魔導書がさらに合理的な解を出す。
『斬撃もどきが欲しいなら、いっそ“本物の刃物”を念動力で直接操る方が圧倒的に早く、そして強い』
(ナイフとかか?)
『そうだ。念動力で刃物を遠隔操作すれば、それだけで立派な“飛ぶ刃物”だ。わざわざ己の念動力そのものを削って刃の形にする必要など全くない』
(……なるほど。確かに合理的だな。魔力の燃費も良さそうだし)
『あの小娘は、極めて実利主義的な思考をしている。そちらの物理兵器の遠隔操作の方が、確実に向いているだろう』
健司は、魔導書の的確な分析に深く納得した。
健司は梓に向き直って説明した。
「梓の場合、念動力そのものを極限まで細く圧縮して、見えない刃にすることも、理屈の上ではできると思う」
「できますか?」
「ただ、今の段階だとかなり難しい。ただ固めるだけじゃなくて、糸みたいに細く、薄く、鋭く、しかも怪異の皮膚を切れる強度まで圧縮し続けなきゃいけないからな」
梓は、自分の手のひらを見つめた。
「……今の私のイメージ力だと、難しそうです。斥力盾みたいに面で固めるのは分かりますけど、糸みたいに細く鋭くするのは、まだ全く感覚が掴めません」
「だろうな。だから、今は無理に俺の斬撃を真似しなくていい」
「では、遠距離で致命傷を与えるにはどうすれば?」
「いっそ、本物の刃物を念動力で直接操る方が早いと思う」
「……持ち込み武器、ですか」
梓の目が、ハッと見開かれた。
「そう。小型のナイフとか、投げナイフとか。軽い刃物を念動力で遠隔操作するんだ。刃物は最初から『切れる形』をしてるから、君が念動力で刃の形を維持するリソースを割かなくていい。飛ばすことだけに集中できる」
梓は真剣な顔で顎に手を当てた。
「……確かに、その方が圧倒的に現実的で、燃費も良さそうです」
「ただし」
健司は念を押した。
「異界への刃物の持ち込み武器には、ヤタガラスの厳しいルールがあるはずだからな。確認してからじゃないとダメだぞ。勝手にカバンに包丁とか入れて持ち込むなよ」
「分かりました。三枝さんを通して許可を取ります」
「あと、当然だけど、間違っても学校に持っていくなよ」
「それはさすがに分かっています」
梓が少しだけむっとしたように言う。
「いや、ちょっと心配だったからさ」
「私への信用が低すぎますね」
「サボり常習犯だからな」
「……それは否定できません」
梓は目をそらした。
そこからは、二人の連携の反復練習に入った。
「よし。じゃあ、次は梓が遠距離から子鬼を念動力で完全に抑え込んでくれ。俺が遠距離斬撃で安全な位置から仕留めたい」
「はい、師匠」
「ただ、さっきみたいに俺の斬撃だけじゃまだ仕留めきれないかもしれない。その時は、素早く接近して接触斬撃で処理する」
「分かりました」
茂みから、新たな子鬼が飛び出してくる。
梓がハンドサインを作り、四メートル以内で子鬼の足を鋭く払う。
子鬼が転倒し、体勢を崩す。
そこへ、健司が五メートルの位置から指を向ける。
「斬!」
薄い斬撃が飛ぶ。
今度は相手の動きが止まっているため、命中精度は格段に上がった。
子鬼の腕が、肩から深く裂ける。
「ギッ!」
だが、やはり消滅には至らない。子鬼が激痛で狂ったように暴れ回る。
梓が念動力を上から押さえつけるように使い、子鬼を地面に磔にする。
健司が接近し、肩に触れて接触斬撃を流し込む。
撃破。千円札が落ちる。
「……やっぱり、まだ遠距離だけじゃ仕留めきれないな」
健司が悔しそうに言う。
「でも、動きを止めた相手には、かなり正確に当たっていましたよ」
「牽制や削りとしては使えるな。足止めされた相手に追加で深い傷を入れるくらいなら十分可能だ」
「私が止めて、師匠が斬って削る。……今後はそこを伸ばしていく感じですね」
「そうだな」
何体か、同じ流れで練習を繰り返す。
梓が念動力で抑える。健司が「斬!」と叫んで遠距離斬撃を放つ。切り傷を入れる。仕留めきれない場合は、健司が踏み込んで接触斬撃で処理。
たまに、遠距離斬撃が外れることもあった。一度など、斬撃が極端に浅く、子鬼の皮膚の表面をかすっただけでノーダメージだったこともある。
「くそっ、やっぱり距離があると弾道がブレるな」
健司が指先を振りながら悪態をついた。
「一メートルくらいの距離ならどうですか?」
梓が尋ねる。
「自宅だと、一メートルで紙コップは綺麗に切れた。でも、子鬼の魔力密度の高い皮膚だと、たぶん一メートルでも完全な仕留めは無理だな」
「完全に威力不足ですね」
梓が、一片の遠慮もなく事実を口にする。
「……はっきり言うなあ」
「師匠なので。課題は正確に共有すべきかと」
「弟子にシビアに評価される師匠って……」
二人は、連携の訓練を兼ねて、さらに数体の子鬼を狩った。
梓は、健司が教えた『斥力盾』も実戦で見事に使いこなしていた。
子鬼が急接近して木の棒を振るう。梓は慌てて逃げず、体表十センチに念動力を固め、棒をガツンと受け止める。そして、止まった棒を念動力で絡め取り、そのまま強引に奪い取ってしまう。
丸腰になった子鬼を健司が斬る。
「斥力盾、かなり実戦レベルで使えてるな」
健司が感心して言う。
「毎日、欠かさず訓練した成果です」
「毎日やったのか?」
「はい。コインを回す精密操作の訓練も、授業中……じゃなくて、家でやっています」
梓が少しだけ言い淀んだ。
「今、授業中って言わなかったか?」
「気のせいです」
梓は千円札を拾いながら、何事もなかったかのように顔を背けた。
(この子、本当に化けそうだな……)
健司は、彼女の愚直なまでの反復練習の成果に、底知れないものを感じていた。
小一時間ほど訓練を続け、健司が息切れし始めたところで切り上げることにした。
遠距離斬撃は、接触斬撃に比べて魔力の消耗が激しい。連発すると指先が痺れ、魔力切れによる軽い頭痛がしてくる。それに、「斬!」と何度も大声で叫ぶので、喉も精神的にも少ししんどい。
「今日は、このくらいにするか」
健司が肩で息をしながら言う。
「はい。稼ぎもそこそこいきましたので」
梓がリュックの中の千円札を確認する。小遣い稼ぎとしては、高校生には十分すぎる額だ。
廃ビルを出て、駅へ向かう帰り道。
夕方の冷たい風が心地よい。探索後の適度な疲労感もあり、二人の間の空気は少し緩んでいた。
梓が、ぽつりと話し始めた。
「そういえば、師匠」
「ん?」
「私、親には念動力に目覚めたこと、ちゃんと話したんですけど。……結局、信じてもらえなかったんですよね」
健司は少し驚いて梓を見た。
「え、話したんだ」
「はい。ヤタガラスに登録した後、こういう危険な活動をする以上、家庭への最低限の説明も必要かなと思って」
「それで、信じてもらえなかった?」
「はい。最初は、私がネットの変なオカルト動画か何かに影響されて、中二病をこじらせたと思われたみたいです」
「あー……まあ、普通の親なら、真っ先にそうなるか」
健司も、自分が親なら絶対にそう思うだろうと納得した。
「だから、証拠を目の前で見せようと思ったんです。コップを浮かせるとか、テレビのリモコンを空中で動かすとか」
「それなら、一発で信じそうだけど」
「でも、ヤタガラスの三枝さんに止められました」
梓は、少しだけ伏し目がちに言った。
「なんで?」
「『親が、あなたの異質さをすんなりと受け入れられるとは限らないから』、と」
梓の言葉に、健司は黙り込んだ。
「目の前で本当に超常の力を見せてしまうと、逆に激しく拒絶されるかもしれない。化け物だと怖がられるかもしれない。……最悪の場合、家族関係が完全に壊れてしまうかもしれないから、やめた方がいいと言われました」
健司は、返す言葉が見つからなかった。
確かに、親だからといって、子供のすべてを無条件で受け入れてくれるとは限らない。
ごく普通の子供だと思っていた娘が、突然、目に見えない理不尽な力で物を動かす。その恐怖と異常性を、親が必ず愛情で包み込める保証など、どこにもないのだ。
「まあ、確かに? 親から本気で気味悪がられて嫌われたら、さすがに辛いかもな、とは思います」
梓の言い方は、相変わらず淡々としていた。
しかし、その内容は決して軽くはない。健司は、隣を歩く彼女が、まだ保護者の庇護が必要な高校生であることを改めて思い知らされた。
「あー……そうか。学生だもんな」
健司が頭を掻きながら言うと、梓は小さく息を吐いた。
「そうなんですよ。外では怪異と戦う能力者でも、家では普通に子供扱いです」
「そりゃそうだ」
「結局、親は私が『変なオカルト仲間と遊び歩いている』と思ってます。なので、“遊ぶのはいいけど、たまにはちゃんと学校に行きなさい”という感じです」
「いや、そこは親が正しい。学校は行けよ」
「努力します」
「また出た」
梓は少し歩調を早め、健司の横顔を見た。
「ヤタガラスの人に、私の通っている学校にも、同じ能力者がいるとは聞きました」
「同じ学校に?」
「はい。誰かは教えてもらえませんでしたし、まだ会ってませんけど」
「なんで会わないんだ? 同じ境遇の先輩なら、色々聞けるんじゃないか」
「能力者としては、向こうの方が先に覚醒した『先輩』らしいんです」
「いいじゃん」
「でも、学年は向こうの方が『下級生』らしいんですよ」
梓が、少し不満そうに口を尖らせた。
「ああ……」
健司は察した。
「学校では下級生なのに、能力者の世界では先輩として扱わなきゃいけないの、少し癪じゃないですか?」
「変なところでプライドが出たな」
「私、まだ能力がしょぼいので。……もっと強くなってから会いたいです」
「なるほどな」
「今のまま会うと、相手に“ああ、低出力で地味な念動力の人ね”って、格下に見られる気がします」
「その評価、俺と会うちょっと前までなら、極めて正確だったんじゃないか?」
健司が意地悪く突っ込むと、梓は少しムッとしたように睨んできた。
「なので、師匠の教えで、今その評価をひっくり返しているところです」
健司は笑った。
「ハハハ、そうなんだ」
淡々としていて冷めているように見える梓の中にも、静かで熱い負けず嫌いな一面があることが見えて、健司は少しホッとした。
「ところで、健司さんは」
梓が、ふと話題を変えた。
普段は『師匠』と呼ぶが、こうした雑談の時だけは『健司さん』になる。この絶妙な距離感が、健司は嫌いではなかった。
「健司さんは、ヤタガラス以外では普段何をしているんですか? お仕事とか」
「俺? まあ、株とかしてるよ」
「株?」
「ああ。デイトレード。生活費と、活動資金稼ぎ。……あと、ネットで少し予知っぽいこともしてる」
「予知っぽいこと?」
梓が首を傾げる。
健司は少し迷った。
予知者Kのことは、すでにネット上で公開されているペルソナだ。隠し通すつもりはない。
それに、梓はもはや、ただの弟子ではなく、互いに背中を預ける『パーティー仲間』になりつつある。戦闘中に自分が未来視を使っていることを、不自然に隠し続けるのも無理があった。
「言ってなかったけど、俺、『予知者K』って名前で少しネットで活動しててさ」
梓が、ピタリと足を止めた。
「……え?」
「だから、予知者K」
「健司さんが、あのKなんですか?」
梓の目が、今日一番大きく見開かれていた。
「ああ。まあ、顔は出してないけど」
「えええええ!?」
梓が、住宅街に響き渡るような大声を上げた。
「声でかいって!」
健司が慌てて周囲を見回す。
「だって、あの予知者Kですよね!? この間、ガチャでSSR十枚抜きした、あの猿面被ってた不審な人ですよね!?」
「見てたのかよ、あれ」
「見ましたよ! 学校の友達のグループLINEでも、一時期めちゃくちゃ話題になってましたから!」
「お前、学校サボって行ってないのに、友達とはちゃんと話すんだな」
「SNSの繋がりはありますから」
「現代っ子だなあ……」
梓は、まじまじと健司の顔を見つめた。
「でも、健司さん。戦闘中に、あんな派手な予知能力、全然使ってないじゃないですか」
「使ってるよ」
「え?」
「相手に分からないように使ってる。木剣の軌道を読んだり、子鬼の動きの分岐を見たり、接近する安全なタイミングを選んだり」
健司は種明かしをした。
「予知って、ネットで派手に未来の事故を言い当てるだけじゃないからな。戦闘中だと、次の一秒、半秒の相手の動きが正確に見えるだけでも、結果はかなり違う」
梓は、深く納得したように手を打った。
「あー……! だから師匠、模擬戦の時の動きが、あんなに妙に嫌らしいんですね」
「言い方」
「褒めています」
「本当か?」
梓は、少し遠い目をしてしみじみと言った。
「いいなー……」
「何が?」
「私も、ガチャでSSR十枚抜きできる能力が良かったです」
「そこかよ」
健司が突っ込む。
「念動力も便利ですけど、ガチャの確率を自由に操作できる方が、日常生活のQOLとしては圧倒的に強いです」
「まあ、そこは否定しないけどさ」
「ソシャゲで絶対に爆死しない人生、羨ましいです」
「高校生らしい、実に等身大な羨ましがり方だな」
梓は、健司にジリジリと詰め寄ってきた。
「師匠、今度私がガチャ引く時だけ、横にいてくれませんか?」
「俺を便利な幸運の置物扱いするな」
「駄目ですか」
「駄目というか……あれは色々と条件が揃わないと、毎回確実にできるわけじゃないんだよ」
「あの十枚抜き動画、本当にすごかったです」
梓が尊敬のまなざしを向けてくる。
「師匠、やっぱりすごいですね」
健司は照れくさくなり、誤魔化すように頭を掻いた。
「すごいっていうか、俺もまだ練習中だよ。今日の『斬』だって、子鬼相手には全然威力不足だったし」
「でも、いずれは必ずできるようになるんですよね?」
「なる予定」
「じゃあ、私も斥力盾と、刃物のナイフ操作を完璧に覚えます」
「なんか変に対抗してきたな」
「パーティーなので。足手まといにはなりません」
「そうか。パーティーか」
二人の関係が、単なる「胡散臭い師匠と弟子」から、互いの弱点を補い合う「パーティー」として、自然に固まり始めているのを感じた。
駅が見えてきたところで、健司は一応、釘を刺しておいた。
「さっきの話、あんまり学校の友達とかに言いふらすなよ。俺がKだとか」
「分かっています。師匠が予知者Kだと周囲に知れたら、色々と面倒そうなので」
「かなり面倒だと思う。ヤタガラスも関わってるし」
「では、絶対に秘密にします」
「助かる」
「その代わり、今度私がどうしても引きたい推しのガチャがある時は、本気で相談に乗ってください」
「……秘密保持の対価がガチャなのか」
「私の高校生活における最重要事項です」
「高校生だなあ」
健司は軽く笑って流した。
駅前で、二人は別れる。
「今日はありがとうございました、師匠」
梓が軽く頭を下げる。
「ああ。斥力盾とコイン訓練、サボらずに続けろよ。刃物の持ち込みの件は、ヤタガラスの三枝さんにちゃんと確認してからな」
「はい。あと、師匠も『斬』の練習、頑張ってください」
「せめて子鬼を一撃で切れるくらいには、威力を上げたいな」
「私が念動力で止めます」
「じゃあ、俺が斬る」
「パーティーですね」
「……だな」
梓は軽く手を振り、改札へと向かっていった。
健司は、その小さな背中を見送った。
今日の成果。
遠距離斬撃は、確かに子鬼の皮膚に傷を入れた。しかし、倒すには至らない。
梓の念動力は、足止めと防御の面でかなり実戦で使えるレベルになっている。
二人で組めば、できることが確実に増える。
そして、梓には自分が予知者Kであるという正体を知られた。
健司は少し頭を抱えた。
「まあ……いっか。どうせパーティー組んでるんだし、隠し事して連携ミスるよりはマシか」
『弟子に己の正体を明かすとは、猿にしては大胆だな』
脳内で、魔導書が皮肉っぽく言う。
「だから言い方」
『まあよい。隠し事は少ない方が、戦場での連携は取りやすい。それは間違いない』
「それはそうだけど」
『それより遠距離斬撃だ』
魔導書が厳しいトーンに戻る。
『紙コップから子鬼へ。確実にステップは踏んだ。次は子鬼の傷から、子鬼を完全に両断して倒せる“威力”へと魔力を引き伸ばせ』
「ああ。今日のままだと、牽制の嫌がらせ止まりだしな」
『牽制も立派な戦術だ。だが、刃を名乗るのであれば、いずれは確実に切り伏せろ』
健司は、自分の右手の指先を見た。
「斬、か」
自宅のアパートで紙コップを切った一文字の技。
今日では、子鬼に傷をつけただけ。
だが、それでも確実に、少しずつ前へ進んでいる。
遠距離斬撃は、まだひどく弱い。
子鬼を一撃で消すには程遠く、連発もできず、当てる精度も低い。
だが、対象に触れなければ何もできなかった猿は、初めて、異界の怪異に向かって「届く刃」を刻み込んだのだ。
そして隣には、子鬼の足を的確に止め、斥力盾で攻撃を涼しい顔で受け止める、念動力使いの弟子がいる。
未熟な刃と、未熟な盾。
二つの未熟が並び立った時、そこには確かに、昨日までは存在しなかった新しい戦い方が生まれ始めていた。
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