俺が買った『猿でも分かる魔法の使い方』が本物の魔導書だったので、とりあえず確率操作で無双します【リメイク】   作:パラレル・ゲーマー

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第42話 猿と吸血鬼と来訪者

 都内の低位異界での自主訓練を終え、ヤタガラスの施設に戻ってきた佐藤健司は、指定された会議室の前に立って小さく息を吐いた。

 

 シャワーを浴びて着替えは済ませたものの、頭の奥にはまだ、鉛を飲み込んだような鈍い重さがこびりついている。

 

 領域を切り取り、内と外を分け、認識を空間に固定し続ける「結界魔法」。

 

 その制御負荷は想像以上で、維持を解いた後も脳の処理領域が熱を持っているような不快感が残っていた。

 

 三枝からの電話では「新しい仕事が出来ました」としか聞いていない。

 

 現場担当である三枝からの呼び出しだけなら、おそらく体力勝負の現場仕事だろうと腹を括れる。

 

 だが、扉を開けた先の光景に、健司の心拍数は嫌な方向に跳ね上がった。

 

 会議室の長机の奥。

 

 三枝だけでなく、橘真が資料端末を前に、いつもの底知れない穏やかな笑みを浮かべて座っていたのだ。

 

「……橘さんがいる時点で、だいぶ面倒な話ですよね?」

 

 健司は席につく前に、たまらず第一声を漏らした。

 

 橘はにこやかに頷いた。

 

「ええ。残念ながら、佐藤さんの直感通り、非常に面倒な話です」

 

「お疲れのところ申し訳ありません」

 

 三枝が淡々と引き継ぐ。

 

「ですが、今回の件は事態が動く前に、佐藤さんにも早急に共有しておく必要があります」

 

「俺、さっきまで子鬼相手に結界張って自主練してたばかりなんですけど。ちょっとは労ってくれてもよくないですか」

 

「では、ちょうど良かったですね」

 

 橘が端末を操作しながら言った。

 

「今日お話しするのは、低位異界で棒を振り回す子鬼のような単純な相手ではありません。もっと複雑な……現代社会の裏側に潜む、怪異と能力者の話です」

 

『ほう』

 

 脳内で魔導書が反応した。

 

『今度は猿に社会科の授業でもしてくれるらしいぞ』

 

(うるさい。お前は黙ってろ)

 

 健司は嫌々ながらパイプ椅子を引き、二人の対面に腰を下ろした。

 

 橘が手元の端末を操作すると、壁の大型モニターにいくつかの資料画像が表示された。

 

 欧州の国際空港のロビー。

 

 古めかしい石畳の街並み。

 

 夜間の不鮮明な監視カメラ映像。

 

 そして、国際手配書によく似た、赤い枠のついた注意喚起のドキュメント。

 

 最後に、一人の人物の顔写真が大きく映し出された。

 

 年齢は二十代の後半から三十代前半くらいに見える、白人の女性だった。

 

 冷ややかなアイスブルーの瞳に、短く切り揃えられた金髪。

 

 実用性を重視した無骨なコートに身を包み、一切の感情を排したような鋭い視線でカメラを睨みつけている。

 

「欧州の『対吸血鬼組織』に所属する人物が、近日中に来日する予定です」

 

 橘が静かに切り出した。

 

 健司は、耳を疑って聞き返した。

 

「対……吸血鬼組織……?」

 

「いわゆる、吸血鬼ハンターです」

 

 三枝が補足する。

 

「吸血鬼ハンター」

 

 健司はその単語を口の中で転がした。

 

 脳裏に浮かぶのは、黒いマントを翻し、木製の杭や銀の弾丸、十字架とニンニクを武器に夜の墓地を駆け回る、映画やゲームの中のステレオタイプな姿だった。

 

『クックック……』

 

 魔導書が即座に嘲笑する。

 

『貴様のその貧困な想像力では、どうせ黒マントの男がニンニクでも齧りながら十字架を掲げている姿でも思い浮かべているのだろう』

 

(いや、普通そうなるだろ。現代の日本でいきなり吸血鬼ハンターって言われたら、誰だってオカルト映画を連想するわ)

 

 健司が内心で抗議していると、橘が微笑みながら口を開いた。

 

「佐藤さん。まず、そこから認識を改める説明をしましょう。おそらく、あなたが頭に思い描いている一般的なオカルトのイメージとは、かなり違います」

 

 橘はモニターの画面を切り替えた。

 

「吸血鬼といえば、夜にしか活動できず、太陽の光を嫌い、人間の血を吸って不死を保ち、噛んだ相手を眷属にする。……いわゆる、血を吸う怪物というイメージが先行しますよね」

 

「はい。だいたいそういう、ホラーの定番みたいなイメージです」

 

「ですが、現代のヤタガラス、ひいては世界の異能管理機関においては、吸血鬼をもっと実務的、かつ現実的に定義しています」

 

 画面に、太字のテキストが表示される。

 

【吸血鬼:血液、または血液成分を媒介として、自身の身体・認識・異能・存在強度を強化、維持、変質させる能力者、またはそれに類する存在の総称】

 

 健司は、その無機質な定義の文章を二度読み返した。

 

「……なんか、思ってたより随分と事務的な『能力分類』なんですね」

 

「ええ。我々の世界では、吸血鬼とは特定の怪物の種族名ではなく、能力体系のカテゴリを示す分類名に近いのです」

 

 橘が説明する。

 

「血液という物質を燃料として燃やし、自己の身体能力を爆発的に引き上げる『身体強化型』」

 

 三枝が実例を挙げていく。

 

「血を摂取することで対象の感覚や意識を乗っ取る『支配型』。他者の血液の成分から、その人物の記憶や遺伝的情報を読み取る『解析型』。血液中の因子を取り込んで他者の能力を模倣する『模倣型』など、実例は複数確認されています」

 

「それって……吸血鬼っていうより、ただの『血液能力者』じゃないですか?」

 

 健司の率直な感想に、橘は頷いた。

 

「その通りです。ただ、歴史的、あるいは民俗学的に見て、彼らのような『血を求める存在』が、世界各地で吸血鬼と呼ばれ、恐れられてきた存在群と極めて重なるため、国際的な分類上も『吸血鬼(ヴァンパイア)』という呼称が便宜的に残っているだけなのです」

 

 橘はさらに続けた。

 

「世界各地には、無数の吸血鬼伝説が残っています。欧州の吸血鬼、東欧の夜の怪物、中国の僵尸(キョンシー)、中東や南アジアの血を好む悪霊、東南アジアの飛頭系の伝承、そして日本にも、血を吸う妖怪や怪談は昔から存在します」

 

「じゃあ、その伝説の怪物は全部、実在する吸血鬼なんですか?」

 

「いいえ。そこが厄介なところです。ただの民間伝承としての吸血鬼と、我々が管理する現代能力分類としての吸血鬼は、完全に一致するわけではありません」

 

 橘は指を折りながら丁寧に分けた。

 

「単なる尾鰭のついた伝承。血液を媒介にする能力者。血という概念そのものを必要とする怪異。病理や呪物による血液への異常な依存。そして、完全に別系統の異能なのに、民間人に吸血鬼だと誤認されたもの。……実態は様々です」

 

 健司は、話の規模の大きさに少し頭が痛くなってきた。

 

「大部分は、血を媒介とするだけの、人間である能力者たちです」

 

 橘が、声のトーンを一段階落とした。

 

「もちろん、中には完全に怪異の側に堕ちてしまったものも存在します。ですが、少なくとも現代の法治国家が扱う場合……『吸血鬼だから怪物として無条件に処分する』という中世の魔女狩りのような考え方は、絶対に通用しません」

 

「通用しない?」

 

「彼らは、人間だからです」

 

 橘の短く、強い断言に、健司はハッとして黙り込んだ。

 

「当然ですが、ごく普通の日本国民が、ある日突然『吸血鬼』になる場合もあります」

 

 橘の言葉に、健司は目を見開いた。

 

「あるんですか」

 

「あります」

 

 三枝が無表情のまま答える。

 

「そんな、風邪ひくみたいに普通に?」

 

「普通ではありません。大体において、大騒動や取り返しのつかないトラブルに発展します」

 

 三枝の言葉の裏には、現場で処理してきた数々の凄惨な案件の記憶が透けて見えた。

 

「たとえば、突然血液を摂取しなければ身体機能や自我が維持できなくなった、突然覚醒型の学生。凄惨な事故現場で他人の大量の血を浴びたショックで、血液解析型の異能に目覚めてしまった医療関係者。家系的に血液媒介能力の素地をひっそりと持っていた者。海外由来の呪具や、感染性の強い異能事故に巻き込まれた一般人。……原因は多岐にわたります」

 

 橘が淡々と列挙する。

 

「それ……能力に目覚めた本人が、一番パニックになりそうですね」

 

「ええ。実際、ほとんどのケースにおいて、本人は『自分が人間の血を欲する化け物になってしまった』と思い込んで錯乱します。家族も混乱の極地に陥る。病院に連れて行っても、現代医学では当然診断はつきません。かといって警察案件にしてしまえば、事態は余計に拗れて最悪の結末を迎えます」

 

「だから、ヤタガラスが出張る必要があるわけですか」

 

「なるほど……」

 

 健司は、能力者という存在の底知れない厄介さを改めて噛み締めた。

 

 自分が確率操作や未来視に目覚めたのは、まだ圧倒的に恵まれた部類だったのだ。

 

 もしある日突然、他人の血を飲まなければ生きていけない身体になっていたらと想像すると、背筋が凍った。

 

「ひとまず、その国内事情は置いておきましょう」

 

 橘が話を切り替えた。

 

「置いておくんですか」

 

「今回の本筋ではありませんから。ただし、佐藤さんにはこれだけは明確に覚えておいていただきたい」

 

 橘の口調が、ヤタガラスの幹部としての強い意志を帯びた。

 

「日本国民である以上、たとえ吸血鬼化して血を求める能力者になったとしても……それは、即座に処分や排除の対象になるという意味では、決してありません」

 

 橘は健司の目を真っ直ぐに見据えた。

 

「日本政府の公認機関であるヤタガラスとしては、彼らを当然『保護』します。治療、管理、監視を前提とした、自国民の保護対象です」

 

「もちろん、能力の衝動に負けて他者へ危害を加えた場合は、隔離・制圧・処罰の対象にもなり得ます」

 

 三枝がフォローする。

 

「しかし、それはあくまで『能力者による犯罪行為』として法的に扱うのであって、吸血鬼という種族や伝承を理由にした、不当な排除ではありません」

 

「つまり、日本にいる吸血鬼が日本国民なら、ヤタガラスは守る側に立つってことですね」

 

「基本的にはそうです」

 

 橘はそこで一呼吸置き、モニターの画面を、先ほどの金髪の女性ハンターの写真に戻した。

 

「しかし、海外には事情が全く異なる地域が存在します。特に、欧州です」

 

「吸血鬼伝説の、本場だからですか?」

 

「ええ。歴史的に見て、欧州は血液媒介型の能力者や、血液に依存する強力な怪異による被害が、桁違いに多かった地域なのです」

 

 橘の表情が険しくなる。

 

「村落単位での人間の一夜にしての失踪。裏の貴族階級による、寿命を延ばすための凄惨な血液儀式。戦争中に行われた、吸血鬼能力の兵器化実験。移民街での、血を求める者たちへの激しい吸血鬼差別。地下の医療組織による違法な血液売買。……時代ごとに、おぞましい問題が山積していました」

 

「……思ったより、ずっと現代的で重い社会問題だったんですね」

 

「吸血鬼は、絵本の中の昔話ではありません。血液という、人間の生命そのものと社会制度に直結するものを扱う能力体系なのです。医療、犯罪、差別、人権問題、そして国境管理。その全てと複雑に絡み合っています」

 

「欧州では、吸血鬼系の能力者による凶悪な犯罪も数多く発生しました。ですが同時に、全く無害でひっそりと暮らそうとしていた吸血鬼系の能力者が、理不尽に迫害され、狩り殺された歴史もあります」

 

 三枝が、資料のページをめくりながら言った。

 

「そのため、現代の国際秩序としては、吸血鬼にも最低限の『人権』が認められています」

 

「人権」

 

「ええ。血を媒介に能力を使うからといって、無条件に『人間ではないから殺してよい』とはならない。法に則った手続きが必要です」

 

「まあ、当然ですよね。元は同じ人間で、能力者なわけですから」

 

「ええ、我々の感覚ではそうです。……ですが、世界にはそう考えない人々もいるのです」

 

 橘が、モニターの女性ハンターを指し示した。

 

「欧州には、何世紀も前から続く古い対吸血鬼組織が複数存在しています。現代の法整備に適応し、表の機関と連携している組織も多い。ですが、その一部には今も、吸血鬼という存在そのものを『絶対悪』であり、人間の社会を蝕む『病巣』であり、法の手続きなど無視して『排除すべきもの』として扱う過激な組織があります」

 

「それが……吸血鬼ハンター?」

 

「はい。今回来日するこの人物は、そのような古い思想を持つ組織の系譜に属しています」

 

 三枝が答えた。

 

「ちょっと待ってください。それ、ヤバくないですか? そんな過激派を普通に入国させていいんですか?」

 

「今のところ、彼女は犯罪者として国際手配されているわけではありません。表向きの身分も、欧州の正当な機関の職員として完全に合法です。来日目的も、ただの観光、または民間機関の視察調査となっています」

 

「表向きは、ですよね」

 

「ええ。表向きは」

 

「めちゃくちゃ怪しいじゃないですか。絶対なんかやらかす気満々ですよ」

 

「怪しいです。限りなく黒に近いグレーです」

 

 橘が涼しい顔で断言した。

 

「そのため、佐藤さんと私が、監視兼案内役として直接彼女に接触します」

 

 三枝が、さも当然のように言った。

 

「……俺もですか?」

 

 健司は自分を指差した。

 

「はい」

 

「なんで俺なんですか? ヤタガラスにはもっと戦闘に慣れたベテランがいるでしょう」

 

「理由は三つあります」

 

 橘が指を三本立てた。

 

「一つ目。佐藤さんは『予知者K』として、すでに海外の超常界隈でも認識され始めています。ジョセフさんの件もあり、彼女があなたに興味を示す可能性が高い」

 

「二つ目。佐藤さんはヤタガラスの一般の制圧戦闘員ではなく、あくまで特別任用職員です。相手を過度に刺激しない『案内役』としてのカモフラージュに向いており、同時に未来視と結界による自衛能力がある」

 

「そして三つ目。……相手の来日目的そのものに、『予知者K』が何らかの形で関係している可能性が、現段階では否定できないからです」

 

 健司は、あからさまに嫌な顔をした。

 

「最後が一番嫌なんですけど」

 

「私も嫌です。できれば巻き込みたくない」

 

 橘が苦笑する。

 

『クハハハ! 有名猿は大変だな。どこに行っても注目を浴びる』

 

 魔導書が脳内で愉快そうに笑う。

 

(誰の入れ知恵のせいで有名になったと思ってるんだよ!)

 

『貴様自身の選択と行動の結果だろうが。責任転嫁するな』

 

 健司は、魔導書の正論に言い返せず、黙って口を閉ざした。

 

 橘が、端末を操作して任務の概要画面を表示した。

 

「任務名は仮に、『欧州対吸血鬼組織関係者来日に伴う監視・案内任務』とします」

 

「名前の時点で、もうすでに面倒くさいですね」

 

「実際、極めて面倒です」

 

 橘が頷き、詳細な条件を提示していく。

 

 ・来日する吸血鬼ハンターと接触する。

 

 ・三枝がヤタガラス側の公式窓口として対応。健司は同行者兼、観測者。

 

 ・相手の真の来日目的を確認する。

 

 ・日本国内での、無許可の実力行使を絶対に防止する。

 

 ・日本国民、または日本在住の合法的な吸血鬼系能力者への接触および攻撃を阻止する。

 

 ・一方で……もし彼女が、国外から逃亡してきた『危険な吸血鬼系犯罪者』を追跡している場合は、情報共有と協力を検討する。

 

 ・場合によっては、共同作戦を展開する。

 

 健司は、その項目を読み進めるうちに、頭の中がこんがらがってきた。

 

「……ちょっと待ってください。国内の日本国民の吸血鬼を狙う場合は、穏便に排除して阻止する。でも、日本国民以外の凶悪な吸血鬼を狩る目的なら、協力する。……状況によって、俺たちの立場、完全に正反対になりませんか?」

 

「ええ」

 

 橘はあっさりと肯定した。

 

「まだ、相手の本当の思惑が全く分かりません。誰を追っているのか、それとも誰も追っていないのか。だからこそ、まずは監視兼案内なのです」

 

「日本国内で、外国の組織が独断で日本の能力者を襲撃することは、主権の侵害であり絶対に認められません」

 

 三枝が冷徹な声で言った。

 

「しかし、欧州で大量殺人を犯したような危険な吸血鬼犯罪者が、すでに日本に潜伏している可能性もあります。その場合、彼女は敵ではなく、我々にとって有用な情報と実戦経験を持つ『頼もしい協力者』になり得ます」

 

 橘が付け加える。

 

「敵か味方か、実際に会ってみて、相手の狙いが分かるまで判断できないってことですか」

 

「その通りです」

 

 健司は、モニターに映る女性ハンターの顔写真を改めて見た。

 

 エリカ・ヴァイスナー。

 

 それが彼女の名前だという。

 

 表向きの所属は『欧州血液災害対策連盟』。

 

 血液媒介型能力者による災害や犯罪、感染性の異能事故への対策を行う民間主体の連合組織。

 

 だが、その連盟内部には、吸血鬼を人権ある保護・管理対象と見る『現代派』と、古き良き怪物退治の延長として完全な排除対象と見る『旧狩人派』が対立している。

 

 エリカは、その過激な旧狩人派との関係が極めて深いと見られている。

 

「彼女は、血液媒介型の能力者の追跡・制圧を専門とする超一流の現場員です」

 

 三枝が、彼女の実績を読み上げる。

 

「本人は吸血鬼ではありません。しかし、微かな血液反応を広範囲で追跡する特異な異能、またはそれに類する特殊な魔導装備を持っていると推測されます。実績として、欧州で複数の吸血鬼系能力犯罪者を単独で制圧しています」

 

「……ただし、最大の問題点として、彼女の担当した案件は、『対象の死亡率』が異常に高い」

 

「死亡率が高いって……。それ、制圧じゃなくて、ただ私刑で殺して回ってるだけなんじゃ……。だいぶ問題ですよね?」

 

「はい。国際的にも大きな問題になっています」

 

 三枝が頷く。

 

「ただし、彼女が担当した案件は、どれも被害規模が大きく、対象が極めて凶悪だったケースが多いのも事実です。そのため、連盟の査問委員会でも『正当防衛』や『やむを得ない過剰殺傷』として処理され、完全に罪に問うと断定しきれない部分があるのです」

 

 橘が、彼女が野放しになっている理由を説明した。

 

「判断が一番面倒くさいタイプの人間だ……」

 

「ええ。だからこそ、野放しにはできず、我々の監視が必要なのです」

 

『殺すべき敵に向けられれば頼もしい猟犬となり、守るべき対象に向けられれば最悪の厄介者となる。そういう手合いだな』

 

 魔導書が的確な評価を下す。

 

(最悪じゃん。どっちに転んでも胃が痛くなるやつだろ)

 

 健司は、念のために最悪のシチュエーションを確認しておいた。

 

「たとえば、そのエリカって人が日本で吸血鬼を見つけたとして。それが、何も悪いことをしていない、ただ普通に暮らしてる日本人の吸血鬼だった場合は?」

 

「ヤタガラスが、全力で保護します」

 

 橘が即答した。

 

「必要であれば、ハンター側を拘束し、国外退去処分、記憶処理、または能力の物理的な封鎖の対象にします」

 

 三枝が、恐ろしく物騒なことを無表情で言い切った。

 

「……結構、組織として強く出るんですね」

 

「当然です」

 

 橘の目が、国家機関の幹部としての鋭い光を帯びた。

 

「ここは日本です。日本国内で、日本国民を、外国の組織の人間が勝手な正義感で狩るような真似は、断じて認めません」

 

 その断固とした姿勢に、健司はヤタガラスという組織が、ただのオカルト集団ではなく、国家の主権を守るための実力組織なのだということを改めて思い知らされた。

 

「じゃあ……その吸血鬼が、外国から日本に逃げ込んできた、ガチの凶悪犯罪者だった場合は?」

 

「その場合は、情報共有のうえ、共同で制圧・拘束します」

 

 三枝が、先ほどと同じ無表情で即答した。

 

「言い方が急に公的になった」

 

「ヤタガラスの立場としては、あくまで制圧と拘束です。狩猟ではありません」

 

 三枝が淡々と返す。

 

 橘も静かに続けた。

 

「我々は、相手が『吸血鬼であるかどうか』という種族や肩書きの立場で判断しているのではありません。その対象が『何をしたか』という行為で判断します」

 

「吸血鬼であること自体は、罪ではありません。人を襲うこと、無許可で他者の血液を支配すること、能力で他人から不当に搾取すること、そして……他国の主権を侵害して、勝手に狩りを行うこと。それらが、我々が排除すべき『問題』なのです」

 

「吸血鬼かどうかじゃなくて、何をしたかで見るってことですね」

 

「その通りです」

 

 ここで、三枝が健司の顔を見て、少しだけ補足した。

 

「佐藤さんには、相手の言葉の真偽だけでなく、未来視による『違和感の確認』をお願いしたいのです」

 

「違和感?」

 

「相手が口頭で嘘をついているかどうかを、直接判定する必要はありません。ただ、彼女と接触した後、未来の分岐が不自然に大きく変動する場合、彼女が我々に決定的な何かを隠している可能性があります」

 

「特に吸血鬼ハンターという人種は、自分の真の目的を隠すことに長けています」

 

 橘が言う。

 

「彼らは、標的を確実に狩るためなら、時に同盟者や案内役にも全てを明かしません。利用できるものは利用し、切り捨てるべき時は容赦なく切り捨てます」

 

「……面倒くさい」

 

「ええ。面倒です」

 

『ククク……よかったな、猿。今度は国際的な面倒事のお出ましだ』

 

(本当にちっとも嬉しくない)

 

「先ほどの、低位異界での佐藤さんの自主訓練のログを確認しました」

 

 三枝が、不意に話題を変えた。

 

「遠距離斬撃の精度向上と、結界の実戦運用は、かなり順調のようですね」

 

「え、もう確認されたんですか?」

 

「入場ログ、探索タグの動き、回収したドロップ品の数、そして異界内に残った干渉痕から、おおよその戦闘内容は推測して把握できます」

 

「プライバシーって概念、ないんですか……」

 

「異界内での訓練行動に、プライバシーはありません」

 

「言い切った」

 

 健司は呆れて肩を落とした。

 

「今回、もし相手のハンターが危険な行動に出た場合、佐藤さんが習得した『結界』は、我々にとって非常に有効な安全圏になる可能性があります」

 

 三枝が、健司の能力に期待を寄せる。

 

「吸血鬼ハンター相手に、結界ですか?」

 

「吸血鬼ハンターの能力や技術は多岐にわたります」

 

 橘が説明する。

 

「血液媒介型の能力者を確実に仕留めるため、微細な血液探知、遠隔での血液凝固、出血の強制的な誘導、血痕を辿る追跡術、さらには対象の血液情報を固定して能力を封じる呪術など……彼ら自身も、極めて特異で危険な異能や魔導装備を持っている者が多いのです」

 

「それ、普通にこっちの命も危ないやつじゃないですか」

 

「だからこそ、あなたが必要なのです。佐藤さんの結界で、外部からの未知の呪的干渉を完全に遮断できるか。あるいは、結界の領域内で、相手の不穏な挙動の違和感をいち早く検出できるか。試す価値は十分にあります」

 

『血を媒介とする魔術なら、境界線を引く結界は極めて有効だ』

 

 魔導書が脳内で同意する。

 

『血液が持つ情報と、外部からの干渉を、結界の内と外で明確に切り分けられる可能性がある。結界の強度が十分なら、相手の血の術式を無効化できるだろう』

 

(また、結界の精度を上げる課題が増えたな……)

 

 健司は、頭を抱えたくなった。

 

 三枝が、来日当日の具体的な流れを説明し始めた。

 

 数日後、エリカ・ヴァイスナーが空港に到着する。

 

 三枝と健司がヤタガラスの窓口として接触し、ホテルまで案内する。

 

 その際、表向きは『歓迎と案内』の態度を崩さず、日本国内での活動ルールを厳格に説明する。

 

 無許可での吸血鬼系能力者への接触は禁止。

 

 武装の持ち込み、能力の使用、独自の追跡行動はすべて事前申請制。

 

 もし対象が日本国民の場合、ヤタガラスの立ち会いが絶対必須。

 

 外国籍の危険人物と判明した場合のみ、共同捜査を検討する。

 

「……それ、あっちのハンターが素直に守りますかね?」

 

 健司が当然の疑問を口にする。

 

「守らせます」

 

 三枝が、凍りつくような冷たい声で即答した。

 

「三枝さんが言うと、ガチで怖いんですけど」

 

「佐藤さんには、相手がそのルールを本当に守るつもりがあるか、未来視でその『意思』を見ていただきます」

 

 橘がにこやかに言う。

 

「いや、だから俺、交渉官とか心理カウンセラーじゃないんですけど」

 

「予知者ですから」

 

「……なんか、都合のいい便利屋として使われてません?」

 

「はい」

 

「そこは嘘でも否定してくださいよ」

 

 健司は深くため息をついた。

 

「なお、一つ気がかりな点があります」

 

 橘が、モニターの画面を、世界地図に切り替えた。

 

「彼女が、今回『単独』で来日する本当の理由が不明なのです」

 

「単独なんですか?」

 

「表向きには」

 

「随伴者、後方支援者、現地の協力者などの存在は、事前の情報では一切確認されていません」

 

 三枝が補足する。

 

「欧州からわざわざ日本まで来るのに、たった一人で? ますます怪しいじゃないですか」

 

「さらに、彼女の直近の移動履歴には、極めて不審な点があります」

 

 橘が地図上のいくつかの都市をポインターでなぞった。

 

 欧州の数都市。

 

 その後、中東、東南アジアを経由し、そして日本へと向かうルート。

 

「彼女が通過したと思われる地域で、吸血鬼系能力者と思われる人物が、ここ数ヶ月で複数、謎の死亡、または失踪を遂げています」

 

 健司は息を呑んだ。

 

「それ、もうすでに狩ってません?」

 

「その可能性は非常に高いです。……ただし、死亡・失踪した者の中には、現地の警察も手を焼いていた明らかな凶悪犯罪者も含まれています」

 

「……判断が難しすぎる」

 

「ええ。だからこそ、今回の任務の第一段階は、“敵を倒す”でもなく、“味方をただ案内する”でもありません」

 

 橘が言う。

 

「監視兼案内、ですね」

 

 三枝が念を押す。

 

「……すごく嫌な言葉の響きになってきたな」

 

 健司は、頭の中で現在の状況を必死に整理した。

 

 吸血鬼は、ただのオカルト怪物ではなく、血を媒介にした能力者の一分類。

 

 日本国民なら、ヤタガラスの保護対象。

 

 海外には、吸血鬼を悪として狩り立てる組織が今もある。

 

 国際的には、吸血鬼にも人権が認められている。

 

 だが、吸血鬼による実害のある犯罪も実在する。

 

 今回来る凄腕のハンターは、危険な犯罪者を追っている正義の執行者なのかもしれない。

 

 あるいは、日本国内の無害な吸血鬼まで狂信的に狩ろうとしている、厄介な殺人鬼なのかもしれない。

 

 自分と三枝は、その見極め役だ。

 

「……状況によって、俺たちの立場が完全に変わるんですね」

 

「ええ」

 

「相手が善良な日本国民を狙うなら、ヤタガラスとして全力で止める。国外の危険な吸血鬼を狩る目的なら、情報共有して共同で制圧する」

 

「その通りです」

 

「……難しくないですか? その綱渡り」

 

「難しいです」

 

 橘が、全く誤魔化すことなく言った。

 

「ですよね」

 

「ですが、佐藤さん。……これは今後、あなたがヤタガラスで関わっていくであろう数々の案件の中では、むしろ『分かりやすい部類』の仕事かもしれませんよ」

 

 橘が、恐ろしいことを笑顔で言った。

 

「今、絶対に聞きたくないことを聞いた気がします」

 

 健司が顔を引きつらせる。

 

『クックック……。世界は、猿には優しくないな』

 

(本当にそれだよ)

 

 健司は少しだけ迷った。

 

 自分は、本来は戦闘員ではない。

 

 ただのフリーター上がりだ。

 

 吸血鬼の人権だの、国際的な異能組織の対立だの、凄腕のハンターだの、自分が背負うには話のスケールが重すぎる。

 

 だが、もし日本国内のどこかで、普通に暮らしている誰かが「吸血鬼だから」という理不尽な理由だけで、外国のハンターに狩り殺されるなら、それは絶対に見過ごせない。

 

 一方で、本当に人の血を啜る危険な怪物が日本に入り込んでいるなら、被害が出る前に止める必要がある。

 

 オラクルの言葉が蘇る。

 

『救えるものを救ってください。自分の手が届くものに、手を伸ばせばいい』

 

 今回、自分が救うべきものが誰なのか。

 

 ハンターなのか、吸血鬼なのか。

 

 それすら、まだ分からない。

 

 だからこそ、現場へ見に行くしかないのだ。

 

「……分かりました。三枝さんと一緒に、空港へ行きます」

 

 健司は、真っ直ぐに顔を上げて言った。

 

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 

 三枝が、わずかに声のトーンを和らげて言った。

 

「助かります」

 

 橘も頷く。

 

「ただ、最初にこれだけは言っておきますけど。俺、本物の吸血鬼ハンターの相手をするなんて、人生で初めてですからね。不手際があっても怒らないでくださいよ」

 

「皆さん、誰でも最初は初めてですよ。大丈夫です」

 

 橘が励ますように言う。

 

「そういう体育会系みたいな精神論、今はいらないです」

 

『猿。どう転んでもいいが、血だけは吸われるなよ』

 

 魔導書が、悪趣味な忠告をしてくる。

 

(吸われる前提で話すな)

 

 ミーティングが終わり、健司が席を立って会議室を出ようとした時だった。

 

「最後に、一つだけ」

 

 橘が、モニターの画面をパチリと切り替えた。

 

 そこに映し出されたのは、来日予定のエリカ・ヴァイスナーが、欧州で最後に関わったと思われる事件現場の写真だった。

 

 どこかの、白い無機質な病室。

 

 凄惨な戦いの跡はあるが、不思議なことに、血の飛び散った痕跡は極端に少ない。

 

 だが、ベッドに横たわっている人物の遺体は……まるで全身の血液を一滴残らず抜き取られたように、不気味なほど真っ白だった。

 

 そして、病室の白い壁には、血で殴り書きされたような文字が残されていた。

 

 ただし、それはヤタガラスの自動照合では既知の欧州主要言語にも、日本語にも該当しない、呪術文字に近い不気味な羅列だった。

 

「彼女が、ここ数ヶ月執拗に追っている可能性のある『吸血鬼系能力者』の正体は……まだ、我々の情報網でも確認されていません」

 

 橘が、静かに告げた。

 

「可能性のある?」

 

 健司が振り返る。

 

「はい。彼女が、事前の申請もサポートもなく、単独でわざわざ極東の日本にまで来る理由として、最も自然な推測は一つです」

 

 三枝が、無表情のまま最悪の予測を口にした。

 

「……何らかの明確な標的が、すでに日本国内にいる場合、ですか」

 

「ええ」

 

 橘が頷く。

 

「つまり、厄介なハンターだけでなく……彼女が血眼になって狩ろうとしている『未知の何か』も、すでに日本に入り込んでいる可能性が高い、ということです」

 

 健司は、背筋に冷たい氷を這わせられたような悪寒を感じた。

 

『クハハハハ……! 面白くなってきたな、猿』

 

 魔導書が、健司の恐怖を煽るように低く笑う。

 

(全然面白くない。最悪だ)

 

 吸血鬼。

 

 映画の中の血を吸う怪物ではなく、血を媒介に己を強化し、異能を振るう現実の能力者たち。

 

 それを、冷酷に狩る者。

 

 それを、法と秩序のもとに守る者。

 

 そして、狩られるべき存在なのか、それとも理不尽から守られるべき存在なのか、まだ分からない『未知の誰か』。

 

 佐藤健司は、また一つ、自分の知っていた平和な「常識」が全く通用しない、世界の裏側の重い扉を開けることになった。

 

 今度の仕事は、ただの低位異界で棒を振り回す子鬼を斬るより、ずっと、ずっと面倒で血生臭いものになりそうだった。

 




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