俺が買った『猿でも分かる魔法の使い方』が本物の魔導書だったので、とりあえず確率操作で無双します【リメイク】   作:パラレル・ゲーマー

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第46話 猿と子猿と念動力ステップ2

 欧州から飛来した過激な狩人と共に、凄惨な『血の要塞』を突破し、狂信の吸血鬼を討ち取った激闘から数日後。

 

 佐藤健司は、ヤタガラスが管理する地下の大型訓練所に呼び出されていた。

 

 あれだけの大立ち回りを演じたのだから、しばらくは大規模な任務から外れてゆっくり休めるはずだ、と健司は踏んでいた。

 

 実際、三枝からの事前連絡では「今日は軽い能力確認だけです」と伝えられていた。

 

 しかし、ヤタガラスの制服を着た三枝の無表情を前にすると、どうにも胸の奥で警鐘が鳴るのを止められなかった。

 

「三枝さんの言う“軽い”って、全然軽かった試しがないんですよね」

 

 健司は支給されたスポーツウェアの首元を引っ張りながら、恨めしげに言った。

 

「今回は本当に軽い内容です」

 

 三枝は手元のタブレットから目を離さずに淡々と答える。

 

「主目的は、先日の吸血鬼案件という極限状態を経験した後の、佐藤さんの『身体能力強化』の出力確認。そして、瀬尾梓さんとの合同模擬訓練です」

 

「あ、梓ちゃんとですか。……それならまあ、血の雨が降ることもないし、平和そうですね」

 

 健司は少しホッと息をついた。

 

『猿。そうやって分かりやすく油断している時ほど、ロクなことにならんぞ』

 

 脳内で、魔導書が意地悪く嗤う。

 

(いや、梓ちゃん相手なら大丈夫だろ。前も一緒に訓練して、俺が師匠ポジションで修行見たし)

 

『ふん。実戦を経て成長するのは、何も貴様だけではないということだ』

 

 魔導書の不穏な予言に健司が少し顔をしかめていると、訓練室の重い防音扉が開き、元気な足音が飛び込んできた。

 

「ししょー! お久しぶりです!」

 

 指定の動きやすいジャージ姿で現れたのは、瀬尾梓だった。

 

 初めて出会った頃の、どこか冷めていて斜に構えていた雰囲気は薄れ、今は明らかに表情が明るい。

 

 ヤタガラスの管理下での生活や訓練に、すっかり馴染んできているようだった。

 

 健司の姿を認めるなり、小走りで駆け寄ってくる。

 

「……その『師匠』呼び、まだ続いてるの?」

 

 健司は苦笑いしながら迎え入れた。

 

「もちろんです! 私の念動力の師匠ですから!」

 

 梓は胸を張って断言した。

 

「俺、念動力なんて一ミリも使えないんだけどなあ……」

 

「でも、ししょーの教えのおかげで、私、またすごく強くなりました!」

 

『クックック……。よかったな、猿。自分では全く使えない分野の偉大な師匠として崇められているぞ』

 

 魔導書が脳内で腹を抱えている。

 

(俺自身が一番意味分かってないんだから放っておいてくれ)

 

 三枝が、タブレットを抱えたまま二人の会話に割って入った。

 

「瀬尾梓さんは、最近、ご自身の能力制御がかなり安定し、実戦的な技術を身につけつつあります。本日は佐藤さんの基礎能力の確認も兼ねて、軽い模擬戦形式で彼女の動きを見せてもらいます」

 

「軽い模擬戦ね……」

 

 健司が胡乱な目を向ける。

 

「安全管理は厳重に行いますので、ご安心を」

 

 三枝は事務的に言った。

 

「それ、危険じゃないとは一言も言ってないですよね?」

 

 健司のツッコミを無視して、梓が目を輝かせながら一歩前に出た。

 

「今日は、私が編み出した『新技』をししょーに見せます!」

 

「お、いいね。どんな技か楽しみにしてるよ」

 

 健司は、指導者としての余裕を少しだけ見せて、軽く肩を回した。

 

 訓練室の中央。

 

 床には分厚い衝撃吸収マットが敷き詰められている。

 

 健司と梓は、互いに数メートルの距離を取って向かい合った。

 

 健司は、静かに『身体能力強化』の魔力を全身に循環させる。

 

 本人の感覚としては、本当にごく「軽く」流しているつもりだった。

 

 血管にぬるま湯を通すような、準備運動レベルの出力。

 

 対する梓は、両手を体の前に構え、念動力を展開した。

 

 健司の目に、彼女の変化がすぐに見て取れた。

 

 以前の彼女の念動力は、「押す」「持ち上げる」「弾く」という、直線的で単純な物理力の塊だった。

 

 だが今は、空気の中に薄く、透明なベールを広げるようにして、健司の周囲にじわりと見えない力を絡ませてきている。

 

 健司の足の裏と床の接地面積。

 

 身体の重心の位置。

 

 手足の微細な動きの予兆。

 

 梓は、それらを探るように念動力を触手のように這わせているのだ。

 

「お、なんか雰囲気変わったな?」

 

 健司が素直に感心する。

 

「ふふふ。ししょー、油断してるとスッ転びますよ!」

 

 梓が不敵に笑い、仕掛けてきた。

 

 正面から見えない力でドカンと押してくるのではない。

 

 健司の右膝の裏、左肩、腰の重心。

 

 そこに、タイミングをコンマ数秒ずらして、小さな『力場』をピンポイントで打ち込んできた。

 

 柔道でいうところの「崩し」だ。

 

 それを、触れずに念動力で完全に再現している。

 

 相手の重心が浮いた瞬間に横へ力を流し、踏ん張ろうとした足の裏の接地を微妙に浮かせ、バランスを取るために腕を出そうとした瞬間に肩を押す。

 

 極めて理にかなった、嫌らしい攻撃。

 

 普通の人間なら、自分がなぜ転んだのかも理解できないまま、無様に床に転がされていただろう。

 

 だが。

 

 健司は、倒れなかった。

 

 グラリ、と一瞬だけ身体が揺れたが、強化された強靭な体幹と反射速度が、無意識のうちに床を強く踏み直し、完璧にバランスを保ってしまったのだ。

 

 梓が流し込んだ念動力の微細な干渉を、健司の肉体から発せられる魔力の『圧』そのものが、いとも簡単に弾き返してしまった。

 

「あれっ!?」

 

 梓が驚きの声を上げる。

 

 すかさず、彼女は二度目の念動力崩しを放つ。

 

 今度は健司の足首の関節を直接狙って、捻るような力を加える。

 

 しかし、健司は軽く半歩横へステップを踏むだけで、その見えない力場をあっさりと振り払ってしまった。

 

「あれれっ!?」

 

 三度目。

 

 梓は焦ったように、床から健司の足裏へ向かって突き上げるような念動力を入れ、接地そのものを奪おうとする。

 

 健司は、ただ軽く床を踏み込んだ。

 

 それだけで、梓の念動力がペシャリと押し潰される感覚があった。

 

「えっと……梓ちゃん。今、何かした?」

 

 健司が、本当に不思議そうに尋ねた。

 

 梓が愕然として両手を下ろした。

 

「しましたよ! めちゃくちゃ高度なことしましたよ! ……ししょー、なんか急に理不尽に強くなってません!?」

 

「そうか? 普通に準備運動レベルの身体強化をしてるだけなんだけど」

 

 健司が首を傾げていると、脳内で魔導書が即座に答え合わせをしてきた。

 

『当たり前だ、猿。あの血みどろの実戦を経て、貴様の身体能力強化の基礎レベルは明確に一段階上に上がっている』

 

(え、そんなことになってたの?)

 

『あのブラッド・アポストルが展開した濃密な血の干渉領域を結界で弾き返し、極限状態で身体強化を回し続けたのだからな。今の貴様は、単なる身体強化の出力だけを見れば、すでに専門の武闘派能力者の領域に片足を突っ込んでいる。……あの子猿の小手先の念動力や微細な力場攻撃程度なら、貴様が放つ強化の“圧”と無意識の反射速度だけで、勝手に弾き返してしまうわ』

 

(猿なりに、成長してたってことか……)

 

『自分で言うとひどく虚しい響きだな』

 

 健司は魔導書の解説をそのまま口に出すわけにもいかず、頭を掻きながら梓に言った。

 

「たぶん、最近ちょっとキツい実戦が連続してたから、無意識に身体能力強化の出力と防御の反応速度が上がっちゃってたのかも」

 

「ずるいです! ししょーだけ、勝手にレベル上げしてるなんて!」

 

 梓が頬を膨らませる。

 

「いや、梓ちゃんも目に見えてかなり強くなってるよ。俺も今、ちょっと身体が揺れたし。普通の相手なら、さっきの攻撃で絶対に頭からスッ転んでる」

 

 三枝が、計測用のタブレットから顔を上げて補足した。

 

「瀬尾さんの念動力による『姿勢崩し』は、一般的な身体強化能力者や、対人の暴漢相手であれば極めて有効で実戦的な技術です。今回は、佐藤さんが直近の任務経験で例外的に基礎数値を上げすぎていたため、干渉が弾かれただけですね」

 

「うう……。せっかく動画を見て、『柔道の念動力崩し』を一生懸命練習して覚えたのに……!」

 

 梓が悔しそうに唸る。

 

「柔道の動画?」

 

 健司が聞き返す。

 

「はい! 相手の重心を完全に崩してから投げるっていう、あれです! あの理屈を念動力で再現できれば、出力が低くても強い相手を倒せると思ったんです!」

 

 健司は純粋に感心した。

 

「それ、自分で考えて編み出したの? 発想としてはめちゃくちゃ良くないか?」

 

「鳥カゴでは、この技で軽く無双できたんですよ! なのに、ししょーには全く効かないなんて!」

 

「……ん? 鳥カゴ?」

 

 健司が聞き慣れない単語に首を傾げた。

 

「能力者待機所の通称です」

 

 三枝が、ごく自然なタイミングで説明を入れた。

 

「能力者待機所って、前に三枝さんが言ってたやつですか?」

 

「はい。ヤタガラスが管理・運営している、都内の登録能力者向けの待機・訓練施設です。任務のアサインを待っている能力者、覚醒直後で保護観察中の能力者、あるいは能力の制御訓練中の者が、一定時間そこで待機しています」

 

「鳥カゴって……また随分と皮肉な、というか、すごい名前で呼ばれてるんですね」

 

 健司が苦笑する。

 

「みんなそう呼んでますよ」

 

 梓が言う。

 

「出入りはヤタガラスに管理されてるし、学校に行かない暇な能力者がうじゃうじゃ集まって、ずっとその中で過ごしてるから」

 

「正式名称ではありません。あくまで利用者間の隠語です」

 

 三枝が淡々と訂正する。

 

「でしょうね」

 

「ですが、力を持った若者たちをただ狭い部屋に押し込めて待機させるだけでは、不満とストレスが溜まります」

 

 三枝が、施設の実情を語る。

 

「特に突然覚醒型の能力者は、力を不必要に持て余すと、外の世界での問題行動や暴走に繋がりやすい。そのため、鳥カゴの内部には、防護結界付きの訓練室、模擬戦スペース、ゲームルーム、豊富な蔵書のある読書スペース、簡易ジム、無料の軽食コーナーなどがかなり充実して整備されています」

 

「……へえ、思ったよりずっと福利厚生が充実してる」

 

「ボードゲームもたくさんありますし、カードゲームですっごく強いおじさんとかも入り浸ってますよ!」

 

 梓が楽しそうに言う。

 

「能力者待機所で一日中カードゲームやってるおじさんって、何者だよ……」

 

「暇を持て余した能力者を適切に管理し、社会から隔離するためには、『時間つぶし』の環境を提供することが非常に重要なのです。退屈は、能力事故の最大の原因になりますから」

 

 三枝の説明には、現場を管理する側としての生々しい説得力があった。

 

「妙に納得しちゃいますね……」

 

「私は最近、ずっとその鳥カゴの訓練室で念動力のコントロールを磨いてました! 暇な能力者を相手に模擬戦を申し込んで、この『念動力崩し』もそこで試行錯誤して編み出したんです!」

 

「なるほどな。だから前会った時より、ずっと実戦的な動きになってるのか」

 

 健司は、自分が知らないところで、この弟子が着実に実戦の泥水をすすって成長していたことに、少しだけ胸が温かくなるのを感じた。

 

「三枝さん、せっかくだから、その念動力崩しをダミー相手に見せてもらってもいいですか?」

 

 健司が提案する。

 

「分かりました」

 

 三枝が操作パネルを操作すると、床下から訓練用の重い人型ダミーがせり上がってきた。

 

「よし、見ててくださいね!」

 

 梓がダミーに向き直る。

 

 彼女の念動力が放たれる。

 

 真正面から力任せに押すのではない。

 

 まず、ダミーの右肩を僅かに引いて重心を横へずらす。

 

 次に、ダミーの膝の裏の関節部分へ向かって、ピンポイントで小さく力をかける。

 

 膝がカクンと折れ曲がる。

 

 最後に、反対の肩を逆方向へ素早く押し込む。

 

 ズガンッ。

 

 大人の体重以上ある重いダミーが、いともあっさりと床に叩きつけられ、ひっくり返った。

 

「おお、すごい。力じゃなくて、理屈で完全に崩してる」

 

 健司が素直に拍手する。

 

「でしょう!」

 

 梓が胸を張る。

 

「瀬尾さんの念動力は、絶対的な『出力』そのものよりも、細かい『応用性』と『精密操作』の面が著しく伸びています」

 

 三枝が評価を下す。

 

「力任せに物体を動かすのではなく、相手の姿勢制御の要を突いて崩す方向へ進化していますね」

 

「いや、普通に強いじゃん。俺相手じゃなかったら、めちゃくちゃ厄介な技だよ」

 

 梓は少しだけ機嫌を直したように見えたが、まだ唇を尖らせていた。

 

「でも、ししょーには全く効きませんでした……」

 

「俺に効かないからって、弱いわけじゃないから自信持っていいよ」

 

『悪くない発想だ』

 

 魔導書が、脳内で静かに評価を口にした。

 

『力任せに棍棒を振り回すだけの子猿にしては、頭を使ったな』

 

(だから子猿って言うなよ)

 

『だが、今の技で一つ壁にぶち当たったわけだ。……そろそろ、次の使い方を学ぶ時期だな』

 

(次の使い方?)

 

『念動力のステップ2だ。猿、この子猿に教えろ』

 

(また俺が教えるの!? 俺、念動力なんて一ミリも使えないんだぞ?)

 

『貴様自身が使えなくても、魔法の“理屈”は教えられる。お前はただの猿だが、俺様の高尚な理論の“通訳”くらいはできるだろう』

 

(俺の扱いが雑すぎるだろ!)

 

 健司は内心で文句を言いつつ、梓の方へと向き直った。

 

「梓ちゃん。ちょっと、次の段階の訓練、やってみる?」

 

「次の訓練!?」

 

 梓の瞳が、一気に期待で輝いた。

 

「念動力ステップ2教室です」

 

「おおっ! なんか急にししょーっぽいです!」

 

「言ってる俺が一番しっくり来てないけどね」

 

 健司が肩をすくめると、三枝がタブレットを構えた。

 

「内容によっては、指導記録としてログに残します」

 

「じゃあ、まず質問から」

 

 健司は、魔導書から送られてくる概念を、自分なりに噛み砕きながら話し始めた。

 

「梓ちゃんのその念動力って、『触覚』とか『視覚』はある?」

 

 梓がきょとんとして首を傾げた。

 

「ええ? あるわけないじゃないですか。念動力ですよ? 自分の目で見て、そこにあるものを透明な手で動かしてるだけです」

 

「だよね。普通はそう思うよね」

 

「……違うんですか?」

 

 健司は少し間を置いて、魔導書の理屈を自分の言葉に翻訳した。

 

「念動力って、ただ単に『遠くの物を動かす便利な力』だと思ってるかもしれないけど、実際には、梓ちゃん自身の『手足の延長』みたいなものなんだと思う」

 

「手足?」

 

「そう。人間の手って、ただ物を掴むだけじゃないでしょ。熱いとか、冷たいとか、硬いとか、重いとか、滑るとか、触れば情報が分かる。足だってそう。地面の硬さとか、自分が今どういうバランスで立ってるかとか、無意識に感じ取ってる」

 

「はい」

 

「なら、梓ちゃんの手足の延長である念動力にも、『触覚』があっていいはずなんだよ」

 

 健司は、梓の目を真っ直ぐに見て言った。

 

「物を押した時に、押し返される抵抗の感じ。表面のザラザラした形。対象の重さ。動き。……そういう情報を、念動力という力を通じて、自分の脳で拾えるはずなんだ」

 

「……念動力で、触る?」

 

「そう。あと、念動力で『見る』」

 

「見る!?」

 

 梓の目がさらに丸くなる。

 

「目で見るんじゃなくて、念動力を周囲の空間に薄ーく広げて、それに触れたものの形や位置を感じ取るんだ。目隠しをしてても、念動力が触れている範囲なら、周囲の空間の形が分かる。たぶん、目で追えない背後の『死角』もカバーできるようになる」

 

 梓は、しばらくポカンと口を開けて固まっていた。

 

 やがて、真顔になって言った。

 

「……ししょー。なんかそれ、理屈がちょっとゴリ押しっぽいです」

 

「俺もそう思う」

 

 健司が深く同意した瞬間、脳内で魔導書が激怒した。

 

『思うな、猿!! これは魔法学における立派な空間把握理論だぞ!』

 

(でも、ただの念動力使いに『気合いで触覚と視覚を持たせろ』って、説明だけ聞くとだいぶゴリ押しだぞ)

 

 梓は少し考え込んでいたが、やがて両手で拳をギュッと握り締めた。

 

「でも、分かりました! 念動力は私の手足! なら、触れる! 見える! ……やってみます!」

 

「切り替え早いな」

 

「ししょーの修行は、だいたい最初から無茶なゴリ押しから始まるので! 慣れました!」

 

「俺、そんな無茶苦茶な師匠だったか?」

 

 三枝が無表情のまま端末に入力する。

 

「佐藤さんの指導方針、『念動力の感覚器官化』。……新しいアプローチとして記録しました」

 

「なんか正式なヤタガラスの指導理論っぽく記録しないでくださいよ」

 

 健司が泣きそうな顔をする。

 

「では、実践です」

 

 健司は、備品棚から持ってきた黒いアイマスクを梓に渡した。

 

「目隠し訓練を開始する」

 

 訓練室の床に、軽いスポンジボール、小さな木箱、柔らかいウレタンのブロック、重い金属球などを間隔を空けて配置する。

 

 最初は怪我の危険のない物体だけだ。

 

 梓は目隠しを装着し、部屋の中央に立った。

 

「まず、目で見るのをやめる。耳の音にも頼りすぎない」

 

 健司がゆっくりと指示を出す。

 

「自分の念動力を、力を込めるんじゃなくて、周囲の空間に薄く、広く広げるんだ」

 

「薄く、ですか?」

 

「そう。強く押すんじゃなくて、そーっと触る感じ。自分の身体から、見えない透明な手を、全方位にたくさん伸ばすイメージだ」

 

「透明な手をたくさん……」

 

 梓が、顔をしかめて集中し、念動力を広げた。

 

 だが、最初は力の加減が分からず、無意識に出力が上がってしまった。

 

 バンッ!

 

 梓の足元に置かれていたスポンジボールが、弾かれたように壁際まで吹き飛んでいった。

 

「出力が強い強い」

 

 健司が苦笑する。

 

「触覚を得たいのに、いきなりフルスイングで殴ってるぞ」

 

「うう……力の加減が難しいです!」

 

『力任せのゴリラだな、あの子猿』

 

 魔導書が容赦なく切り捨てる。

 

 健司はそのままは伝えず、柔らかく翻訳した。

 

「梓ちゃん、今のは手で机を優しく撫でようとして、思い切りグーパンチしてる感じになってる。もっと力を抜いて」

 

「なるほど! 赤ちゃんを撫でるように優しくですね!」

 

 再挑戦。

 

 梓は深く息を吐き、念動力を極限まで薄く、波紋のように広げていく。

 

 見えない力が、床に置かれた木箱にそっと触れた。

 

 だが、最初は「そこに何か障害物がある」ということくらいしか認識できない。

 

「形は分かるか?」

 

 健司が尋ねる。

 

「……四角い……気がします。たぶん」

 

「いいじゃん。じゃあ、重さは?」

 

「軽い……?」

 

「正解」

 

 梓が、目隠しの下でパァッと嬉しそうな顔をした。

 

「おおっ! 念動力で、本当に触ってる感じがします!」

 

 三枝も興味深そうに記録をつける。

 

「視覚遮断状態において、物体形状と重量の初歩的認識に成功。極めて順調です」

 

「なんか、本格的な超能力の実験っぽくなってきたな」

 

 健司が腕を組む。

 

 そこから、訓練は段階的にレベルを上げていった。

 

 第一段階。

 

『位置』を感じる。

 

 目隠し状態で、健司がランダムに置いたボールの場所を当てる。

 

 梓は念動力を薄く広げ、空間にある不自然な『違和感』を拾う。

 

 最初は距離感が掴めず外していたが、次第に正確に方向と距離を当てられるようになった。

 

 第二段階。

 

『形』を感じる。

 

 ボール、木箱、三角柱、スポンジブロックの判別。

 

 梓は最初、すべてが「何か塊がある」としか分からなかった。

 

「力で押すんじゃなくて、表面の輪郭を指先でなぞるようにイメージしろ」

 

 健司のその指導で、梓は少しずつ立体の形状を念動力で「視る」ことができるようになった。

 

 第三段階。

 

『硬さ』を感じる。

 

 木箱とスポンジと金属球。

 

 念動力で表面を軽く押した時の、微かな反発の強さを感じ取る。

 

 スポンジは柔らかく沈む。

 

 金属は硬く冷たい。

 

 木箱はその中間。

 

「……本当に、手で直接触ってるみたいに分かります!」

 

 梓の額には汗が滲んでいたが、その声は興奮に震えていた。

 

 第四段階。

 

『動き』を感じる。

 

 三枝が、訓練用の小型ドローンを操作し、梓の周囲をゆっくりと飛ばす。

 

 梓は目隠し状態のまま、念動力を薄く広げてドローンの位置を追う。

 

 最初は軌道を見失っていた。

 

 しかし、ドローンのプロペラが起こす微細な空気の流れや、念動力が動く物体に触れた際の反発を、少しずつ拾えるようになってきた。

 

「右斜め上! ……あ、今度は背中の後ろに回りました!」

 

 梓が指差す方向と、ドローンの位置が完全に一致している。

 

「いいね」

 

 健司が手を叩く。

 

「今の梓ちゃんの念動力は、周囲の空間を把握するレーダーみたいになってる」

 

「レーダー! かっこいい!」

 

『猿の説明にしては、及第点の分かりやすさだな』

 

 魔導書が上から目線で評価する。

 

(それ、褒めてる?)

 

『今回は、な』

 

 次に、この『念動力レーダー』を実戦に落とし込むための訓練へ移行した。

 

「梓ちゃん、そのまま目隠しで、俺が投げるスポンジボールを念動力で止めてみて」

 

「はい!」

 

 最初は正面から、緩い山なりで投げる。

 

 梓は、ボールが自分に近づいてくる空気を読み取り、見事に見えない壁で受け止めた。

 

 次に、横から鋭く投げる。

 

 少しだけ反応が遅れたが、ボールが肩に当たる寸前でピタリと止める。

 

「じゃあ、次は少し意地悪するぞ」

 

 健司は音を立てずに梓の背後に回り込み、ボールを背中へ向けて投げた。

 

 梓は、一瞬だけビクッと肩を揺らした。

 

 だが。

 

 背中に当たる数センチ手前で、ボールが空中でフワリと静止した。

 

 彼女の念動力が、背後の死角にまで薄く広がっていたため、ボールの接近を「背中の皮膚の延長」として感じ取ったのだ。

 

「後ろから来たのが、ハッキリ分かりました!」

 

 梓が嬉しそうに叫ぶ。

 

「そう。それが『死角のカバー』だ。人間の目には限界があるけど、空間に広げた念動力の触覚なら、背中からの奇襲も感知できる」

 

「視界外からの低速物体に対して、念動力による感知と自動防御に成功」

 

 三枝が淡々と事実を告げる。

 

 梓はアイマスクを外し、興奮冷めやらぬ様子で健司を見た。

 

「すごいです! ししょー! これ、めちゃくちゃ便利です!」

 

「でしょ。これで、乱戦で後ろから子鬼に殴られることも減るはずだ。……それに、たぶん、さっきの『念動力崩し』の精度も劇的に上がるよ。相手の重心の位置とか、足の裏の接地の強さも、直接触って確認するみたいにもっと細かく感じられるはずだから」

 

「……つまり、もっと綺麗に相手をスッ転ばせられる!」

 

「言い方」

 

『本質は完全に合っているがな』

 

 魔導書が嗤う。

 

「最後に、もう一回だけ軽く模擬戦をしよう」

 

 健司が提案する。

 

「ただし、今回は俺の身体能力強化の出力を、少しだけ抑える。梓ちゃんは、念動力を広げた状態で俺を崩しに来てみて」

 

「はい!」

 

 健司と梓が向かい合う。

 

 梓は、念動力を薄く広げた状態で、健司の足元と全身の筋肉の動きを「視た」。

 

 目ではなく、念動力の触覚で、健司の重心のわずかな移動、足裏にかかる圧力の偏り、膝の向き、肩の力の流れを感じ取る。

 

 最初の念動力崩しとは、明らかに精度が違った。

 

 健司が、フェイントを交えて一歩踏み込もうとした、まさにその重心が前へ移りかけた一瞬の隙。

 

 梓が、健司の足裏の接地点に、針の穴を通すようなピンポイントの絶妙な力を上向きに加えた。

 

 グラッ。

 

 健司は転倒こそしなかったが、完全にタイミングを狂わされ、動きが一瞬だけピタリと止まってしまった。

 

「おっと」

 

 健司が思わず声を漏らす。

 

「止まった!」

 

 梓が、ガッツポーズをした。

 

「今のは完全に効いたな」

 

 健司は素直に負けを認めた。

 

「さっきの力任せの崩しより、ずっと嫌な、防ぎづらいタイミングだった」

 

「効果絶大ですね」

 

 三枝が記録を保存する。

 

「念動力の触覚化により、相手の微細な姿勢変化の読み取り精度と、干渉のタイミングが飛躍的に上昇しています」

 

「やったー!」

 

 梓が飛び跳ねて喜ぶ。

 

「でも、本気で俺を転ばせるのは、まだちょっと早いかな」

 

 健司が意地悪く笑う。

 

「むう……。いつか絶対に、ししょーを派手にスッ転ばせます!」

 

「師匠に対する目標設定が、なんかおかしくないか?」

 

『弟子が、未熟な師を乗り越えようと牙を剥くのは、自然の摂理だ』

 

 魔導書が楽しそうに語る。

 

『よかったな、猿。いずれ子猿に下剋上されるという、素晴らしい未来の予定ができたぞ』

 

(絶対にいらない予定だなあ、それ)

 

 訓練の全行程が終了した。

 

 三枝が、タブレットを抱えて二人の前に立つ。

 

「本日の確認結果を総括します」

 

「三枝さんが言うと、なんか最終宣告みたいで怖い響きですね」

 

 健司が苦笑する。

 

「佐藤さんは、吸血鬼案件という極限の死闘を経験する前と比較して、身体能力強化のベース出力、魔力の反応速度、および外部からの力場干渉への基本耐性が、全体的に上昇しています。特に、一定以下の念動力や外部からの姿勢干渉に対しては、無意識の反射で魔力を展開し、弾く傾向が確認されました」

 

「俺、そんな頑丈なことになってたんですか」

 

「はい。激しい実戦経験による、純粋な生存能力の成長と見てよいでしょう」

 

「ししょー、やっぱりずるいです!」

 

 梓が口を尖らせる。

 

「ずるくはないよ。こっちも、シャレにならないくらい怖い目に遭って生き延びた結果だからね」

 

 三枝が梓の方へ向き直る。

 

「瀬尾さんについては、念動力の単純な物理出力よりも、本日のような『感覚化』と『精密操作』の分野に、極めて大きな伸びしろがあります。今回の視覚・触覚の代替訓練は、非常に有効でした」

 

「じゃあ、これからも鳥カゴや家で、目隠し訓練していいですか!」

 

「安全管理下であり、周囲の器物を破損しない範囲であれば許可します」

 

「やった!」

 

 梓の顔がぱぁっと明るくなる。

 

「すごいな、その尽きないやる気」

 

 健司が感心する。

 

「今度、鳥カゴでもこの訓練をみんなのドローンを借りてやってみます! たぶん、みんなびっくりして勝てなくなりますよ!」

 

 梓が自信満々に言う。

 

「鳥カゴって、そんなに日常的に模擬戦とかやってるの?」

 

「してますよ! ヤタガラスからの出動要請がない暇な人がたくさんいるので! あ、ちなみに負けると、自販機でジュース奢りの罰ゲームです!」

 

「……能力者待機所で、中高生みたいに何やってるんだよ」

 

「管理下で健全にストレスと能力を発散している分には、組織としては全く問題ありません」

 

 三枝が真顔で肯定した。

 

「ヤタガラスの許容基準が、たまによく分からなくなるな……」

 

「ししょーも、今度暇な時に来てください! 鳥カゴのみんなに、私の凄腕の師匠だって紹介しますから!」

 

 梓が健司の袖を引く。

 

「いや、俺は別にいいよ。目立つのは遠慮したいし……」

 

 健司が後ずさりすると、魔導書が脳内で命令を下した。

 

『行け、猿』

 

(え?)

 

『能力を持て余した暇な連中の吹き溜まりだ。貴様の肥やしになる、良い実験の教材が転がっているかもしれんぞ』

 

(……嫌な予感しかしないんだけど)

 

 三枝も、魔導書に同調するように言った。

 

「佐藤さん。次回は、鳥カゴでの瀬尾さんの実地確認も検討します」

 

「えっ、俺、鳥カゴに行く流れになってるんですか?」

 

「瀬尾さんの成長確認と、他の登録能力者との有用な交流を兼ねて、非常に有効な措置だと判断します」

 

『よかったな、猿。群れの生態観察、猿山見学のお時間だ』

 

(鳥カゴなのか猿山なのか、どっちかにしてくれよ……)

 

 健司は、逃げ道を完全に塞がれて深くため息をついた。

 

 訓練所を出る前。

 

 梓が、手にしたアイマスクを握りしめたまま、健司に向かって深々と頭を下げた。

 

「ししょー! 今日は本当に、ありがとうございました!」

 

「俺は、頭に浮かんだ理屈を、ほとんど口で説明しただけだけどね」

 

 健司は照れ隠しに頭を掻いた。

 

「でも、ししょーに分かりやすく教えてもらうと、自分には絶対無理だと思ってたことも、なんかできそうな気がしてくるんです!」

 

 梓の真っ直ぐな言葉に、健司は少しだけ言葉に詰まった。

 

「……そう言われると、悪い気はしないな」

 

『調子に乗るなよ、猿。お前は、俺様の高尚な理論をそれっぽく適当に翻訳しただけだ』

 

 魔導書がすかさず釘を刺す。

 

(分かってるよ。お前の受け売りだってことくらい)

 

『だが』

 

 魔導書が、珍しく柔らかいトーンで言葉を継いだ。

 

『今日の貴様の翻訳作業は、決して悪くはなかった。あの子猿は、これからもっと化けて伸びるぞ』

 

 健司は、梓が嬉しそうに念動力でアイマスクの端をふわりと浮かせ、まるで見えない手で弄ぶように空中でくるくると回しているのを見て、小さく笑った。

 

「梓ちゃん。次に会う時には、もっと色んなことができるようになってそうだな」

 

「はい! 次こそ絶対に、ししょーの足元をすくって転ばせます!」

 

「お前のその目標だけは、ブレずにずっと変わらないんだな」

 

 吸血鬼の、あの血生臭く絶望的な要塞を抜けた先で待っていたのは。

 

 過酷な戦場ではなく、不器用な弟子を名乗る少女の、眩しいほどの成長だった。

 

 念動力は、ただ物を物理的に動かすだけの力ではない。

 

 触れ、感じ、見えないものを捉える。

 

 それは彼女にとっての、もう一つの手足であり、もう一つの感覚器でもあったのだ。

 

 梓は今、その広大な可能性の入り口に立った。

 

 そして佐藤健司は、自分が全く知らないうちに、誰かを次の段階へと確実に「導く側」に立たされていることに、少しずつ気づき始めていた。

 

 魔導書が、脳内で愉快そうに笑う。

 

『なんだ、猿。随分と、いっぱしの師匠らしくなってきたではないか』

 

 健司は、夕暮れの空を見上げながら小さくため息をついた。

 

(……俺、念動力なんて一ミリも使えないんだけどなあ……)

 




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