俺が買った『猿でも分かる魔法の使い方』が本物の魔導書だったので、とりあえず確率操作で無双します【リメイク】   作:パラレル・ゲーマー

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第47話 猿と幽霊と営業するモデル

 吸血鬼ハンターのエリカ・ヴァイスナーが関わる激動の『血の要塞』事件、そしてその後のヤタガラスでの梓の訓練確認を終え、佐藤健司は数日ぶりに自室のアパートで心底のんびりとした時間を過ごしていた。

 

 六畳一間のローテーブルの上に置かれた魔導書は静かで、部屋には穏やかな空気が流れている。

 

 健司は仰向けに寝転がり、スマホを漫然といじりながら長いため息をついた。

 

「……ようやく、少しは平和な時間が来たな」

 

 その時、ポーン、と予知者K用の連絡端末に設定しているアプリの通知音が鳴った。

 

 画面を見ると、以前コラボしたオカルトYouTuberチーム『オカルト実験室クロノス』のメインMC、黒瀬蓮からのダイレクトメッセージだった。

 

『Kさん、お疲れ様です!

 

 以前はコラボで最高の結果をありがとうございました!

 

 突然なんですが、Kさんって幽霊とか心霊系の現場っていけますか?

 

 未来予知とはジャンル違いだとは思うんですが、もし可能なら一度相談させてください!』

 

 健司は画面を見たまま、少し固まった。

 

「……幽霊?」

 

『ほう』

 

 机の上の魔導書が、面白そうに反応した。

 

『ようやく、純粋な霊体案件のお出ましだな』

 

 健司は眉をひそめた。

 

「いや……幽霊って、本当にいるのか?」

 

『…………は?』

 

「俺、昔から心霊番組とか見ても『ヤラセだろ』って思ってたし、実際、幽霊とか心霊現象って全く信じてないんだよね。未来予知とか確率操作は別として」

 

 一瞬の、深い沈黙。

 

 次の瞬間、魔導書が健司の脳内で絶叫した。

 

『お前、本当にただの猿か!? いや、最初から紛れもない猿だったな!!』

 

「……開幕からひどいな!?」

 

『未来予知をして、確率の理を弄り、空間を切り取る結界を張り、不可視の斬撃を飛ばし、挙句の果てには吸血鬼もどきの血の因果すら斬っておいて……いまさら“幽霊だけは信じない”だと!? 貴様のその謎のオカルトの線引きは、一体どこから来たのだ!?』

 

「いや、だって……魔法とか予知は自分が実際に使って体験してるから分かるけど。幽霊なんて、ただの一度も見たことないし。生首が飛んだり足がない幽霊とか、物理的におかしいだろ」

 

『物理的におかしいことを毎日やっている猿が何を言うか。……見たことがなければ信じないというなら、見えるようにしてやればいいだけだ。猿、少しは頭を使え』

 

「見えるようにする? そんなことできるのか?」

 

『できる。初歩の霊視補助の術式だ。厳密には、空間に漂う霊体と残留因果の視認性を強制的に上げるだけだが、並の霊を見るにはそれで十分だ』

 

「なんか、さらっと新しいジャンルの魔法が出てきたな……」

 

 魔導書が、いかにも偉そうなトーンで言った。

 

『唱えろ』

 

「今、ここで?」

 

『まずは練習だ。ぶっつけ本番で使ってパニックになるよりマシだろう。呪文はこうだ。……“我が眼、霊なるモノ達を視る力、霊眼”』

 

 健司は半信半疑で、魔導書の言葉を復唱した。

 

「……我が眼、霊なるモノ達を視る力、霊眼」

 

 直後。

 

 視界の端が、水の中に顔を突っ込んだように、青白くフワリと揺らいだ。

 

 部屋の空気に、普段は見えない埃とは全く違う、微細な光の粒子のようなものがフワフワと浮遊しているのが見える。

 

 壁の隅や、古い家具の周りに、誰かの生活の痕跡が薄い影のように張り付いている。

 

 健司は思わず目をこすった。

 

「うわ、何これ。視界が変なフィルターかかったみたいになってる」

 

『しばらくの間、霊体、残留思念、その場所にこびりついた因果の痕跡が極めて見えやすくなる。強い霊が近くにいれば、普通に人影として見えるだろう』

 

「便利だけど……これ、できれば見たくないおぞましいものまで見えそうで、嫌なんだけど」

 

『そうだぞ』

 

「“そうだぞ”じゃないんだよ!」

 

 健司は、しばらく頭を抱えて悩んだ末、黒瀬からのメッセージにこう返信した。

 

『霊感と呼べるかは分かりませんが、現場で状況を観測して確認する方法は持っています。

 

 危険性が高くなければ、取材への協力は可能です。

 

 ただし、具体的な企画内容と現場の情報は、事前に共有してください』

 

 数分も経たずに、黒瀬から即座に返信が来た。

 

『ありがとうございます!!

 

 実は今、業界内で“絶対に幽霊が出る”と噂になっている撮影スタジオを押さえて借りています!

 

 次回、Kさんとの心霊検証企画として、ぜひよろしくお願いします!!』

 

 健司はスマホの画面を見つめた。

 

「返事早っ……。どんだけ撮れ高に飢えてるんだよ、あいつら」

 

『よかったな、猿。向こうから営業が来たぞ。これで貴様も、立派なインチキ心霊タレントへの第一歩だ』

 

「やめろ。俺はあくまで予知者Kだ」

 

 数日後。

 

 クロノス側から、正式な企画書と現場の事前情報がメールで届いた。

 

 場所は、都内の少し外れにある小規模なレンタル撮影スタジオ。

 

 主にファッション誌の撮影、商品の宣材撮影、小規模な動画収録などに使われているらしい。

 

 だが、そのスタジオには、利用者やスタッフの間でいくつかの不気味な噂が絶えなかった。

 

 ・深夜に、誰もいないスタジオから女性の笑い声が聞こえる。

 

 ・誰もいないメイクルームの大きな鏡が、突然白く曇る。

 

 ・撮影した写真データの端に、現場にいない知らない女性の影が映り込む。

 

 ・テーブルに置いていた水のペットボトルが、勝手に減っている。

 

 ・お酒の差し入れを置いておくと、なぜか機材トラブルが減り、撮影がスムーズに進む。

 

 ・逆に、何も差し入れを置かないと、照明が突然チカチカと点滅して嫌がらせを受ける。

 

 健司は、報告書の最後の二項目を見て、首を傾げた。

 

「……なんか、幽霊の出方が妙に俗っぽくないか?」

 

『ほう。供物として水と酒を要求しているようだな』

 

 魔導書が興味深そうに言う。

 

「幽霊って、死んでるのに喉が渇くのか?」

 

『霊体そのものに、生者のような肉体的な渇きがあるとは限らん。だが、“生前そうだったという感覚の記憶”や、“供物を捧げられることによる自己の認知”が強く影響することはある。要するに、ただ欲しがっているのだ』

 

「幽霊ってもっとこう、恨みとか未練とか、そういうドロドロしたものだけで残ってるんじゃないのか?」

 

『未練にもいろいろある。恨みつらみだけが未練ではない。生前の承認欲求、食欲、酒欲、自己顕示欲。……生きている時の俗な欲求が、死んだ瞬間に綺麗さっぱり消え去ると思うなよ、猿。人間とはそんなに高尚な生き物ではない』

 

「……嫌な説得力があるな」

 

 収録日当日。

 

 健司は猿面と変声機を装着し、いつもの『予知者K』の姿で指定されたスタジオの現場へと向かった。

 

 なお、ヤタガラスの三枝には事前に「管理されたYouTube企画への協力および、低危険度の霊的現象の調査」として報告済みだ。

 

 三枝は現場には来ないが、最低限の安全確認だけは済ませてくれている。

 

『当該スタジオについては、既存の事故記録、周辺被害の有無、過去の利用者報告を照合した結果、危険度は低いと暫定判断されています。ただし、異常があれば即時撤収してください』

 

 という、事務的な事前メッセージが届いていた。

 

 健司はスタジオ近くの路地で立ち止まり、誰にも聞こえない小声で呪文を唱えた。

 

「我が眼、霊なるモノ達を視る力、霊眼」

 

 視界がふっと切り替わる。

 

 世界の輪郭に、薄い青白い縁取りがつく。

 

 古い建物の壁や、路地の隅の暗がりに、人の感情の残り香のようなものが薄いモヤとして視認できる。

 

「……やっぱり、これ常用したくないな」

 

 健司は少し身震いした。

 

『初心者が霊眼を開きっぱなしにすると、無駄な情報が脳に流れ込んで疲労する。必要な時だけ使え』

 

「了解」

 

 スタジオの建物の前で、クロノスのメンバーが待っていた。

 

 黒瀬蓮は、相変わらず深夜にもかかわらずテンションが高い。

 

「Kさん! 本日はお忙しい中ありがとうございます! まさか心霊企画のオファーまで受けていただけるとは思いませんでした!」

 

 進行・サブMCの春日井ミナは、少し緊張気味に周囲を見回している。

 

「本当に出るんですかね、ここ……。いや、企画的には出てほしいんですけど、実際に出たら出たで怖いというか……」

 

 カメラと編集担当の真鍋透は、機材のセッティングを調整しながら冷静に言った。

 

「今回はまだ、本番前の導入部分だけ軽くカメラを回します。Kさんに現場の空気を観測して確認してもらってから、企画の流れを最終的に決める感じでいきましょう」

 

 健司は変声機越しの低い声で答えた。

 

「分かりました。少しでも危険性が高いと判断した場合は、即座に中止を提案します。無理に撮れ高を取りにいくのはやめましょう」

 

「そこはもちろんです!」

 

 黒瀬が胸を叩く。

 

「我々クロノスは、安全第一、撮れ高第二です!」

 

「……逆じゃなくてよかったです」

 

 真鍋が小さく突っ込んだ。

 

 三人に案内され、スタジオ内へと足を踏み入れる。

 

 一見すると、どこにでもある普通の撮影スタジオだった。

 

 白塗りの壁。

 

 大きな撮影用照明。

 

 背景紙のロール。

 

 衣装ラック。

 

 そして、明るい電球が並んだ、タレント用のメイクスペース。

 

 しかし、霊眼を使っている健司には、入った瞬間に一箇所だけ、明らかに「違って」見える場所があった。

 

 メイクルームの、大きな鏡の前。

 

 そこだけ空間の空気が青白く滲んでおり、メイク用の椅子のあたりに、薄い半透明の人型の影が、ちょこんと座っているのだ。

 

 足を組み、鏡に寄りかかるように頬杖をつき、入ってきた健司たちを興味深そうに見つめている女性の輪郭。

 

 健司は、思わず入口でピタリと立ち止まった。

 

「Kさん?」

 

 黒瀬が不思議そうに振り返る。

 

「……ここに、いますね」

 

 健司が静かに言った。

 

 クロノスの三人が、完全にフリーズした。

 

「え?」

 

 春日井が震える声を出す。

 

「幽霊です。あのメイクスペースの椅子のあたり。若い女性に見えます」

 

 一拍置いて、黒瀬が空気を切り裂くような大声を上げた。

 

「えええええええ!? もうですか!? ちょ、ちょっと待ってください! 真鍋! カメラ! 早くカメラ回して!!」

 

「今回ってます! 緊急で回してます!」

 

 真鍋が慌ててカメラを構え、健司とメイクスペースを画角に収める。

 

 黒瀬がプロの顔つきでカメラに向き直った。

 

「はい! オカルト実験室クロノスです! 今回は、絶対に幽霊が出ると噂の撮影スタジオを借りて、あの予知者Kさんと心霊検証を行う予定だったんですが……なんと、スタジオに入って数分で、Kさんが『ここに幽霊がいる』と完全に言い当てました! 予定より進行が早すぎます! これはビックリですね!」

 

「いや、そんなカメラに向かって全力でテンション上げることですか?」

 

 健司が呆れる。

 

「幽霊がいるって言われてから、カメラ回して実況始めるまでが早すぎるでしょ……」

 

 春日井が引きつった顔で黒瀬を見る。

 

「撮れ高の特大の気配がしたので、身体が勝手に動きました」

 

 真鍋がカメラ越しに真顔で言う。

 

『よかったな、猿。特大の撮れ高だぞ』

 

 魔導書が楽しそうだ。

 

(俺はあんまり嬉しくない)

 

 健司は、メイクスペースの椅子に座る幽霊の姿を、霊眼でもう少し詳細に観察した。

 

 視界のピントが合い、女性の姿がよりはっきりと見えてくる。

 

 年齢は二十代の後半くらい。

 

 細身で、座っていても姿勢がとても綺麗だ。

 

 長い髪。

 

 撮影用の華やかな衣装の名残のような、淡い色のワンピースを着ている。

 

 顔立ちは整っており、生前はモデルやタレントだったと言われれば、誰もが納得するだろう美貌だった。

 

 だが、その表情は全く暗くない。

 

 怨念も憎悪もない。

 

 むしろ彼女は、自分を見ている健司に気づくと、嬉しそうにパァッと顔を輝かせ、片手をヒラヒラと振ってきたのだ。

 

『あら。私のこと、ちゃんと見える人? 久しぶりねー』

 

 健司は思わず呟いた。

 

「……軽い」

 

「え、Kさん、今何か言ってますか!?」

 

 黒瀬が食いつく。

 

「見える人は久しぶりね、って言ってます」

 

「会話できるんですか!?」

 

 春日井が驚愕する。

 

「できるみたいですね。意思疎通は可能っぽいです」

 

 幽霊は、猿面を被った健司をじっと見て、少し不思議そうに首を傾げた。

 

『あなた、なんで猿のお面なんて被ってるの? 変な人ね』

 

「初対面の幽霊に、変な人って言われたんですけど」

 

 健司が少しムッとして言う。

 

『完全な正論だな』

 

 魔導書が即答する。

 

(お前は黙ってろ)

 

 健司は念のため、この霊が本当に無害かどうかを確認することにした。

 

 霊眼の焦点を絞り、メイクスペースに残った因果の残り香をなぞる。

 

 簡易的な『残留因果の過去視』だ。

 

 映像のフラッシュバックのように、数年前の光景が薄く健司の脳内に重なる。

 

 撮影の準備。

 

 メイク中の彼女。

 

 スタッフとの談笑。

 

 控え室で水を飲んでいる姿。

 

 そして……突然、胸を押さえて急な発作で倒れる光景。

 

 周囲のスタッフが慌てて救急車を呼ぶ悲鳴。

 

 恨みや殺意は、どこにもない。

 

 ただの、不幸な病気による事故のような急変だった。

 

 彼女自身も、死の瞬間に誰かを呪うような強い怨念を抱いたわけではなかった。

 

 ただ。

 

「まだ撮影が残ってたのに」

 

「もっと私を見てほしかったのに」

 

「喉乾いた。水、飲みたい」

 

「誰か、私の存在に気づいて」

 

 そんな、軽くて、けれど純粋で強い「未練」だけが、彼女をこのスタジオに縛り付けているらしかった。

 

 健司は目を細め、霊眼の出力を落とした。

 

「……悪い霊ではないですね。こちらへの敵意や害意は全くありません。ただ、自分の存在に気づいてほしかったみたいです」

 

「おお……!」

 

 黒瀬が感嘆の声を上げる。

 

「よ、よかった……。呪い殺してくるような悪霊じゃないんですね」

 

 春日井が胸を撫で下ろす。

 

「Kさん、事前にスタジオの詳細は入れてないですよね?」

 

 真鍋がカメラを回しながら確認する。

 

「ええ。詳しい情報はもらっていません」

 

 黒瀬がカメラに向かって説明を始める。

 

「実はですね、我々クロノスが事前に調べていた情報があります。このスタジオでは、数年前に撮影中……正確には撮影待機中のメイクルームで、急な発作で亡くなった女性モデルさんがいた、という話があるんです」

 

「プライバシーへの配慮で名前は公表されていませんが、モデル関係者の間では、密かな噂になっていたそうです」

 

 春日井が補足する。

 

 健司が幽霊を見ると、彼女は少しだけ誇らしげに胸を張った。

 

『別に、名前出してもいいわよ。白石玲奈。元モデル。……あ、動画に出るなら、できれば私を綺麗に映してね』

 

「えーと……」

 

 健司は少し言い淀んでから、通訳した。

 

「お名前は、白石玲奈さん。元モデルさんだそうです。……動画に出るなら、できれば綺麗に映してほしいそうです」

 

 クロノスメンバーの三人が、顔を見合わせた。

 

「「「ええ……」」」

 

 春日井が、少し慌てたように手元のメモを確認する。

 

「ご本人がそう望んでいるとしても、動画上で実名をどこまで出すかは慎重にした方がいいですね。関係者やご遺族への配慮もありますし」

 

 真鍋も頷いた。

 

「動画では一部伏せるか、“玲奈さん”くらいに留めた方がいいと思います。業界向けに必要な人へ伝えるのは別として、公開情報としては絞りましょう」

 

 黒瀬が真面目な顔になる。

 

「そうですね。白石さんの希望は尊重しつつ、悪い形で名前が独り歩きしないようにします」

 

 白石玲奈は少しだけ不満そうに頬を膨らませたが、やがて肩をすくめた。

 

『まあ、変な怪談にされるよりはマシね。綺麗に扱ってくれるなら、それでいいわ』

 

 健司はその言葉を聞いて、少し安心した。

 

「変な怪談にされるよりは、その方がいいそうです。綺麗に扱ってくれるなら、と」

 

 幽霊の白石玲奈は、すっかり健司を専属の通訳として認識したのか、遠慮なく次々と要求を口にし始めた。

 

『それで、見える人。そこの動画の子たちと、スタジオのオーナーにちゃんと伝えてくれる?』

 

「何をですか?」

 

『お供え物。水。できれば水道水とか常温じゃなくて、ちゃんと冷えたミネラルウォーターがいいわ。あと、お酒。甘いカクテルとかもいいけど、たまには辛口の日本酒も欲しいわね。幽霊になっても喉が乾くのよ、気分的に』

 

 健司は、すごく微妙な顔になった。

 

「……お供え物が欲しいそうです」

 

「お供え物」

 

 黒瀬が反復する。

 

「何をですか?」

 

 春日井が聞く。

 

「水と、お酒。常温じゃなくて冷えた水。あと甘いお酒と、たまには辛口の日本酒が欲しいそうです」

 

「……なんか、注文がやけに具体的ですね」

 

 真鍋がカメラ越しにツッコミを入れる。

 

「俺もそう思います」

 

『あ、そうだ。あと、お菓子。撮影現場によく置いてある小さい個包装のチョコとか、ああいうの好きだったの。ドライフルーツも嬉しいわね。いくら食べてももう太らないし』

 

「お菓子も欲しいそうです。チョコとドライフルーツ。あと、理由は『もう太らないから』だそうです」

 

「……幽霊の感想が、異常に俗っぽい……」

 

 春日井が頭を抱える。

 

「これは……怖いというより、やけに生活感に溢れた幽霊ですね」

 

 黒瀬が苦笑する。

 

「俺も、幽霊ってもっと暗くて怖いものだと思ってましたよ」

 

 健司が呆れていると、魔導書が解説を入れる。

 

『死んだからといって、人間の俗な欲が全部綺麗に浄化されるわけではない。むしろ、肉体という器がなくなった分、承認欲求や食欲の“概念”だけが妙に強く残る者もいるのだ』

 

(幽霊観がどんどん壊れていくな……)

 

 黒瀬が、恐る恐る健司に尋ねた。

 

「Kさん、その……白石さんは、もしお供えをしなかったら、何かこちらに危害を加えるつもりはあるんでしょうか?」

 

 健司が白石を見ると、彼女は慌てて両手を振った。

 

『ないない! 絶対ない! そんなことして怪我人なんて出したら、お客さん減るじゃない。ここ、まだちゃんと使ってもらわないと、私が困るのよ!』

 

「危害を加えるつもりは全くないそうです。むしろ、お客さんが減ると困ると言ってます」

 

「困る?」

 

 真鍋が首を傾げる。

 

『だって、誰もスタジオに来なくなったら、私のこと誰も見てくれないじゃない。スタジオが潰れたら、私の居場所もなくなるし』

 

「スタジオが潰れると困るそうです。誰も来なくなると、自分のことを見てくれる人がいなくなるから」

 

「なんか……切ないような、でもすごく現実的なような……」

 

 春日井が複雑な表情になる。

 

『だから、ちゃんとお供えしてくれて、私のことを話題にしてくれるなら、サービスで心霊現象くらいは起こしてあげるわよ。写真にちょっとだけ写り込むとか、鏡を白く曇らせるとか、照明を一回だけ揺らすとか。……あんまり派手にやりすぎると疲れちゃうけど』

 

「……今後もお供え物があれば、サービスで軽い心霊現象を起こしてくれるそうです」

 

「サービスで心霊現象」

 

 黒瀬が復唱する。

 

「業界初の、歩合制・契約制の幽霊じゃないですか?」

 

 真鍋が真顔で言う。

 

「本人としては、確実に幽霊が出る『心霊スタジオ』として売り出したいそうです」

 

「営業してる……」

 

 春日井が呆然とする。

 

『あ、でも視聴者にはそこまで全部言わないでね! 業界の人にだけコッソリ伝えて。一般向けには“本当に出る恐怖のスタジオ”くらいのブランド力でいいわ。安売りは嫌なのよ、私』

 

「業界向けにだけ伝えてほしいそうです。視聴者には秘密で、確実に幽霊が出るスタジオとしてブランド化して売りたいと」

 

「完全にマーケティングまで考えてる……!」

 

 黒瀬が驚愕する。

 

『元モデルだったのだろう』

 

 魔導書が言う。

 

『見られ、知られ、話題にされること自体が、彼女にとっての生きがいだったのだ。霊としても、他者から認知され続けることで、その存在が安定する』

 

(じゃあ、このまま噂が広まるのは、玲奈さんにとってはいいことなのか)

 

『少なくとも、あの霊にとってはな。強い怨みや憎しみで土地に縛られている悪霊ではなく、他者からの“認知”と“供物”で現世に自己を保っている、珍しいタイプの安定した霊体だ』

 

 黒瀬たちは、半信半疑ながらも、急遽近くのコンビニへお供え物を買いに走ることになった。

 

 買ってきたのは、冷えたミネラルウォーター、缶チューハイ、小さなワンカップの日本酒、個包装のチョコレート、ドライフルーツ。

 

 そして、いかにも撮影現場っぽい紙コップ。

 

「本当に全部買ってくるんだ……」

 

 健司が呆れる。

 

「心霊企画の検証ですから! 要求には全力で応えます!」

 

 黒瀬が意気込む。

 

「あと、もしこれでお供えして本当に現象が起きたら、動画的にめちゃくちゃ絵が強いので」

 

 真鍋がカメラのピントを合わせながら言う。

 

「それを本人の前で言うのもどうかと思うけど……」

 

 春日井がツッコミを入れる。

 

 白石玲奈は、嬉しそうにメイク台の前を指差した。

 

『そこ。大きな鏡の前がいいわ。本物のお花もあれば最高だったけど、今日は急だし、まあ許してあげる』

 

「鏡の前に置いてほしいそうです。花があれば最高だけど、今日は許すそうです」

 

「なんかだんだん、こき使われてるみたいで腹立ってきたかも……」

 

 春日井がぼやきながら、買ってきたお供え物をメイク台の前に綺麗に並べた。

 

 水、酒、チョコ、ドライフルーツ。

 

 並べ終えた瞬間。

 

 室内の空気が、ふっと柔らかく、どこか華やかなものに変わった。

 

 誰もいないメイクルームの大きな鏡が、スーッと白く曇っていく。

 

 そして、その曇った鏡面に、まるで見えない指でなぞったかのように、文字がゆっくりと浮かび上がった。

 

『ありがとう』

 

「出たあああああ!!」

 

 黒瀬が歓喜の叫びを上げる。

 

「いやああああ! でも、めちゃくちゃ礼儀正しい!」

 

 春日井が悲鳴を上げつつも感心する。

 

「撮れてます! バッチリ撮れてます!」

 

 真鍋がカメラを回しながらガッツポーズをする。

 

「よかったですね。特大の撮れ高ですよ」

 

 健司は、完全に他人事のように拍手した。

 

『猿、完全に仕事の枠を超えた見物人になっているな』

 

 魔導書が呆れる。

 

 白石玲奈が、鏡の前でポーズを取りながら次に言った。

 

『写真、撮る? どうせなら綺麗に写りたいんだけど』

 

「写真に写ってもいいそうです。ただし、綺麗に写りたいと」

 

「幽霊側から、心霊写真の撮影許可が出たぞ!」

 

 黒瀬が興奮する。

 

「待ってください。心霊とはいえ、照明のセッティング調整しますんで」

 

 真鍋が機材を動かす。

 

「幽霊の顔写りのために照明を調整する心霊企画って、一体何なの……?」

 

 春日井が頭を抱える。

 

『左からの光がいいわ。あと、下から煽るようなアングルはやめて。老けて見えるから』

 

「左からの光がいいそうです。下から煽ると老けて見えるからやめてほしいと」

 

「プロ意識がすごい」

 

 真鍋が感心する。

 

「元モデルの幽霊、撮影の注文にうるさい!」

 

 黒瀬が笑う。

 

 撮影開始。

 

 デジタルカメラで、鏡の前を連続撮影する。

 

 一枚目。

 

 何も映らない。

 

『タイミング早い。もう一回』

 

 二枚目。

 

 鏡の端に、白いモヤのような影。

 

 三枚目。

 

 メイク椅子の横に、半透明の女性の輪郭がうっすらと浮かぶ。

 

 四枚目。

 

 かなりハッキリと、モデルのような美しい立ち姿の白石玲奈が、カメラ目線で写り込んでいた。

 

「うわ……。怖いけど、めちゃくちゃ綺麗……」

 

 春日井が、モニターの画像を見て息を呑む。

 

「これは本当にすごい。一切の加工なしでこれは、オカルト界隈が騒然としますよ」

 

 真鍋が確信を持って言う。

 

「Kさん、これ本当に、呪われたりしない大丈夫なやつですよね?」

 

 黒瀬が、念のため健司に確認する。

 

 健司が白石を見ると、彼女はモニターの自分の写りを確認して、満足げに頷いていた。

 

『いい写りね。私、生前より綺麗かもしれない。それ、サムネに使っていいわよ』

 

「本人許可は出ました。サムネに使っていいそうです」

 

「本人許可のある心霊写真って何だよ」

 

 黒瀬が突っ込む。

 

『もはや心霊写真ではなく、ただの宣材写真だな』

 

 魔導書が的確な評価を下す。

 

(幽霊の宣材写真って、本当に何だよ)

 

 白石玲奈はすっかり調子に乗り、健司に向かって次々と『営業プラン』を話し始めた。

 

『このスタジオ、もっと売り方を考えた方がいいのよ。今のまま、ただの小規模な撮影スタジオとしてやってたら、そのうち他所に埋もれて潰れちゃうわ。……だから、心霊スタジオとして、“深夜の貸し切り夜枠”を作ればいいのよ。オカルト系のYouTuber、配信者、肝試しをしたい人、本物の心霊写真を撮りたいカメラマン。そういう需要、絶対あるでしょ?』

 

「……夜枠を作って、心霊スタジオとして本格的に売った方がいいそうです。オカルト系YouTuberや配信者向けに」

 

 健司が、戸惑いながら通訳する。

 

「めちゃくちゃ具体的で、ビジネスライクだな……」

 

 黒瀬が感心する。

 

『ただし、無礼な人は絶対嫌。企画で怖がって騒いでくれるだけならいいけど、私を罵倒したり、面白半分で塩を投げつけてきたり、勝手に除霊とか言い出す業者は、問答無用で出禁よ』

 

「無礼な人は嫌だそうです。塩を投げたり、勝手に除霊しようとする人は出禁にしろと」

 

「幽霊側からの、スタジオ利用規約が出てきた……」

 

 春日井がメモを取る。

 

『それと、お供えは毎回必須。お水は最低限のルール。お酒は任意だけど、あった方が私のサービス精神は良くなるわ』

 

「お供えは毎回。水は必須。お酒があると、心霊現象のサービスが良くなるそうです」

 

「課金要素だ」

 

 真鍋が呟く。

 

「言い方」

 

 健司が突っ込む。

 

『あと……できれば、私の名前を、業界内でちょっとだけ広めて。白石玲奈が出るスタジオ、って。ただの顔のない化け物とか、変な怪談にされるより、その方がずっと嬉しいから』

 

 健司は、少しだけ表情を緩めた。

 

 ここは、彼女の純粋な本音なのだろう。

 

 彼女は、人を怖がらせたいわけではない。

 

 ただ、忘れられたくないのだ。

 

 モデルとして、一人の人間として見られたかった。

 

 死んでも、自分がここにいたことを、誰かに覚えていてほしいのだ。

 

「……白石玲奈さんという名前を、業界内で少し広めてほしいそうです。変な怪談の化け物にされるより、その方が嬉しいと」

 

 クロノスのメンバーは、その言葉を聞いて少しだけ静かになった。

 

「それは……ちゃんと、動画を通じて伝えたいですね」

 

 黒瀬が真面目な顔で言う。

 

「怖がるだけじゃなくて、ちゃんと『そこにいた人』として扱ってほしいってことですよね」

 

 春日井が優しく頷く。

 

「動画の編集も、おどろおどろしい悪霊扱いにはしない方がいいですね。哀愁と、彼女の魅力を伝える方向にシフトしましょう。ただし、公開範囲は慎重に。名前も顔も、出し方を間違えると彼女の望まない広まり方をしますから」

 

 真鍋が編集プランを再構築する。

 

 白石は、その会話を聞いて満足そうに笑った。

 

『分かってるじゃない。いい子たちね』

 

 収録が一段落し、機材の撤収が始まった。

 

 健司は少し離れた場所で、魔導書に内心で尋ねた。

 

(なあ、これって本当に大丈夫なのか? 幽霊が有名になりたがって、心霊現象を売りにして客を呼ぶって、ヤタガラス的に放置していいの?)

 

『害がないなら、ヤタガラスが動くような問題ではない。あの霊は、恐怖や呪いで人を傷つけ、土地を汚染しているわけではないからな。他者からの認知と供物で、自己の存在を平和に保とうとしているだけだ』

 

(でも、知られるほど霊的な力が増すんだろ? それって後々危なくないか?)

 

『力が増す“方向性”次第だ。恨みや憎しみを集める悪霊なら危険だが、あの霊は“綺麗に写りたい”“お供えが欲しい”“忘れられたくない”という極めて俗な方向で力を得ている。今のところは、悪霊化というよりも、土地の精霊や座敷童のような“安定化”に近い』

 

(幽霊の安定化って何だよ……)

 

『荒ぶって人に危害を加えるよりは、大人しく差し入れの酒を要求してポーズを取っている方が、遥かに安全で無害ということだ』

 

(理屈が雑だけど、妙に納得しそうになる自分が嫌だ)

 

『猿も死んでも変わらんということだ』

 

 魔導書が語る。

 

『生きている時に承認欲求が強かった者は、死んでも他者から見られたいと願う。酒が好きな者は、死んでも美味い酒を欲しがる。人間とは、どこまで行ってもそういう生き物なのだ』

 

(幽霊って、もっとこう、救われない悲しい感じのものだと思ってたよ)

 

『そういう霊も当然いる。だが、全部が全部、暗い怨念の塊というわけではない。死後も案外、本人の能天気な性格はそのまま残るものだ』

 

 健司が白石玲奈を見ると、彼女は春日井が置いていったチョコレートの箱を嬉しそうに覗き込みながら、

 

『これ、ビターよりミルクチョコの方がよかったわね』

 

 などと文句を言っていた。

 

(……めちゃくちゃ軽い幽霊だなあ)

 

 黒瀬がカメラの前に立ち、本日の締めの撮影を始めた。

 

「今回、予知者Kさんの全面協力によって、我々クロノスはこのスタジオにいる、元モデルの女性と思われる霊的存在との接触に成功しました。詳しい内容は彼女の安全面と関係者への配慮から伏せる部分もありますが……少なくとも彼女は、我々に対して一切の敵意を示していません」

 

「怖いというより、ちゃんと一人の人として扱ってほしがっている印象でした」

 

 春日井が続ける。

 

「そして、奇跡的な心霊写真らしきものも撮影できています。編集で検証し、加工なしの範囲で公開できるものだけを、皆さんに後日お見せします」

 

 真鍋がカメラを指差す。

 

「Kさん、最後に視聴者へ向けて一言お願いします!」

 

 黒瀬がマイクを向ける。

 

 健司は少し考えた後、予知者Kとして、言いすぎない範囲で言葉を選んだ。

 

「幽霊と呼ばれる存在が、必ずしも人を害する恐ろしいものとは限らないようです。今回の方は、恐怖を与えることよりも、自分の存在を忘れられたくないという気持ちが強いように見えました。ふざけすぎず、怖がりすぎず、敬意を持って『そこにいた人』として接するのが、一番良い関係を築けると思います」

 

「ありがとうございます!」

 

 黒瀬が深く頭を下げる。

 

 白石玲奈が、健司の横でうんうんと頷いた。

 

『いいコメントね。ちょっと真面目すぎて地味だけど』

 

「地味って言われた……」

 

 健司が思わずボヤく。

 

「え、Kさん、今何か言いました?」

 

 春日井が驚く。

 

「いえ、こちらの話です」

 

 収録後。

 

 クロノスのメンバーと共に、スタジオのオーナーにも今回の事情を説明することになった。

 

 ただし、営業プランなどの生々しい話は伏せ、Kが伝えるのは以下の要点に絞った。

 

 ・このスタジオには、故人の残留思念に近い存在が残っている。

 

 ・彼女に悪意は全くない。

 

 ・鏡の前に水や花を置くと、非常に安定する。

 

 ・故人を絶対に悪霊扱いしないこと。

 

 ・心霊系の撮影で場所を貸す場合、無礼な演出を行う業者は避けること。

 

 ・毎回、最低限の敬意として水を供えること。

 

 オーナーは最初は半信半疑だったが、クロノスが撮影した白石玲奈のハッキリとした心霊写真と、鏡に浮かんだ『ありがとう』の文字の写真を見て、完全に固まった。

 

「……本当に、玲奈さんなんですか」

 

 実はオーナーは、当時の事故のことをよく知っていた。

 

 決して悪い人ではないが、事故の後、スタジオの悪い評判が立つことを恐れて、あまり表沙汰にできなかったことに、ずっと後ろめたさを感じていたらしい。

 

 白石玲奈は、オーナーの顔を見て、健司に言った。

 

『別に、隠したこと恨んでないわよって言ってあげて。あと、水くらい置きなさいって』

 

「恨んではいないそうです。ただ、水くらいは置いてほしいと」

 

 健司が通訳する。

 

 オーナーは、泣き笑いのような、どうしようもない顔になった。

 

「……あの人らしいな」

 

 少しだけしんみりとした空気が流れたが、暗くなりすぎないのが白石玲奈の霊としての良いところだ。

 

 オーナーは、明日から必ず鏡の前に小さな花と冷えた水を置くことを約束した。

 

 白石は満足そうに微笑み、最後に一つ付け加えた。

 

『あと、たまにはお酒もね』

 

「あと、たまにはお酒も、だそうです」

 

「……本当に、玲奈さんですね、それ」

 

 オーナーが苦笑しながら頷いた。

 

 数日後。

 

 クロノスから、編集前の確認用動画のリンクが送られてきた。

 

 動画タイトル案には、こう書かれている。

 

【緊急心霊検証】予知者K、入室直後に幽霊を発見! 美しすぎる元モデルの霊と接触しました!

 

 健司はスマホの画面を見て頭を抱えた。

 

「相変わらず、煽りが強すぎる」

 

『YouTubeとはそういうものだ、猿』

 

 魔導書が言う。

 

「でもまあ、玲奈さんを悪霊扱いしてないから、これでいいか……」

 

 動画内では、白石玲奈を恐ろしい悪霊ではなく、スタジオに残った『元モデルの美しい霊』として敬意を持って扱っている。

 

 ただし、実名については本人の希望に触れつつも、公開上は一部を伏せていた。

 

 心霊写真も、顔がハッキリしすぎない、雰囲気のあるものだけを公開していた。

 

 水と花を供える場面もしっかりと入っている。

 

 お酒の要求や、スタジオの営業プランといった生々しすぎる詳細は、動画の雰囲気を保つために見事にカットされていた。

 

 ただし、業界向けには、クロノスがコッソリと噂を流しているらしい。

 

「あそこのスタジオ、礼儀正しくお供えすれば、本当に出るらしいぞ」と。

 

 その後、スタジオの『深夜の夜枠』には、オカルト系配信者やYouTuberからの問い合わせが殺到するようになったという。

 

 スタジオオーナーは困惑しつつも、深夜の利用料で潤い、約束通り鏡の前の水と花を欠かさなくなった。

 

 白石玲奈は、時折鏡に小さく文字を出して要求する。

 

『宣材は左から撮って』

 

『今日のチョコは甘すぎ』

 

「注文が多いなあ……」と、オーナーは呆れながらも、どこか楽しそうに対応しているらしい。

 

 健司は家で動画の確認を終え、ため息をついた。

 

「幽霊って、もっと暗くて、恨みがあって、絶対に救われないものだと思ってたよ」

 

『そういう霊もいる。だが、今回の霊は違った。ただ、それだけのことだ』

 

「死んでも営業のプランを考えるモデルか……」

 

『生前、人から“見られること”を仕事と生きがいにしていたのだろう。なら、死後も引き続き見られることを望むのは、何ら不思議ではない。噂が広まることで存在が安定し、供え物でその場に馴染む。悪い形ではない』

 

「じゃあ、今回は俺が何も祓わなかったけど、駄目だったわけじゃないんだな?」

 

『少なくとも今はな。誰にも害はない。むしろ、誰にも気づかれずに放置されて忘れられ、寂しさで心が歪んで悪霊化するよりは、よほど健全だ』

 

「幽霊の健全って何だよ……」

 

『お供えを要求し、撮影角度に注文をつけ、スタジオの営業方針を考える霊だ。たいへん健全ではないか』

 

「健全かなあ……」

 

 健司が首を傾げていると、少し間を置いて、魔導書が言った。

 

『猿』

 

「何?」

 

『お前も死んだら、案外ああなるぞ』

 

「絶対にならないよ」

 

『どうせ、“俺の墓前にはコンビニのホットスナックを供えてくれ”とか言い出すに決まっている』

 

「……完全に否定しきれない自分が嫌だ」

 

『死んでも猿は猿ということだ』

 

「締めにそれを言うなよ」

 

 健司は苦笑して、スマホの画面を閉じた。

 

 幽霊は、必ずしも暗い怨念だけで現世に残るわけではない。

 

 誰かに覚えていてほしい。

 

 少しでいいから見てほしい。

 

 水が欲しい。

 

 酒も欲しい。

 

 できれば、綺麗に写りたい。

 

 そんな、あまりにも人間くさい理由で残る霊もいるのだ。

 

 予知者Kは今回、怪異を祓わなかった。

 

 物理的に倒しもしなかった。

 

 ただ、そこにいる誰かの言葉を、少しだけ現世へ通訳しただけだ。

 

 そしてまた一つ、健司は『魔法と怪異と人間の境目』が、自分の思っていたよりずっと曖昧で、ずっと俗っぽいものなのだと知った。

 

 その日の夜。

 

 問題のスタジオのメイクルームの鏡には、誰もいないはずなのに、うっすらと新しい文字が浮かんでいた。

 

『次は花もお願い。できれば白いやつ』

 

 スタジオオーナーは翌朝、それを見て深いため息をつきながらも、近所の花屋へと車を走らせたのだった。

 




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