鈴木悟の残響 - 骸の玉座に座してなおも人の夢を見る - 作:朝型人間
翌朝。
エ・ランテルの街は、夜とは違う種類の騒がしさに包まれていた。
酒場に満ちていた粗野な熱気ではない。
朝の街には、働き始める者たちの音がある。
荷車の車輪が石畳を鳴らす。
商人が店先に商品を並べる。
冒険者らしき者たちが武器や荷物を確認しながら組合へ向かう。
どこかの店先では、眠そうな顔の少年がパンを抱え、
主人らしき男に怒鳴られながら走っていた。
モモンは、その中をナーベと共に歩いていた。
漆黒の鎧。
背に負った二振りの大剣。
横に控える、冷たい美貌の従者。
昨日、酒場で多少目立ったせいか、道行く者の視線が時折こちらへ向く。
だが、冒険者の街では、奇妙な装備をした者など珍しくもないらしい。
数秒見られ、すぐ別のものへ視線が移る。
アインズは、その反応を内心で記録した。
目立ちはする。
だが、致命的ではない。
冒険者という立場は、想像以上に便利な仮面だった。
「モモン様」
隣を歩くナーベが、小さく声をかける。
「昨日より、視線が多いように思われます」
「酒場で少し目立ったからな」
「昨日の下等な者たちを処分しておけば、余計な視線も減ったかと」
「減らん。増える」
「……失礼いたしました」
即答だった。
ナーベは素直に頭を下げる。
だが、その表情には納得がない。
アインズは、仮面の奥で小さく息を吐くような気分になった。
昨日の注意で、ナーベラルは多少は抑えている。
少なくとも、道端の人間を露骨に虫を見るような目で見なくなった。
だが、それはあくまで「露骨に」ではないというだけだ。
人間への嫌悪は、気配の端に残っている。
この世界で人間に混じって行動するには、そのあたりが最も危うい。
とはいえ、今日の目的は別にある。
依頼を受けること。
冒険者として実績を積まなければ、情報も、信用も、名声も得られない。
低位のままでは受けられる依頼にも制限がある。
まずは仕事をこなし、冒険者組合の仕組みに入り込む必要があった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
冒険者組合の建物へ入ると、昨日と同じような喧騒があった。
受付へ向かう者。
掲示板を見る者。
仲間と相談する者。
報酬の話で声を荒げる者。
アインズはまず、依頼が張り出された掲示板の前へ向かった。
紙が並んでいる。
依頼主。
内容。
場所。
報酬。
必要等級。
おそらく、そうした情報が書かれているのだろう。
周囲の冒険者たちはそれを読み、何やら相談している。
モモンも、同じように掲示板を見上げた。
そして、静かに固まった。
読めない。
いや、完全に理解できないわけではない。
いくつかの記号や、昨日受付で見た文字の雰囲気から、
なんとなく区別できるものもある。
だが、依頼内容を正確に読むことはできなかった。
まずい。
非常にまずい。
ここで「読めません」と言えば、モモンという仮面に傷がつく。
冒険者として登録したばかりとはいえ、文字すら読めない者が高位依頼を望むなど、不自然極まりない。
ナーベも当然、読めない。
むしろナーベに聞いたところで、人間の文字など覚える価値もないと返されかねない。
アインズは、掲示板を観察しているふりを続けた。
堂々としていれば、案外ごまかせる。
そう信じるしかない。
適当に一枚、紙を取る。
選んだ理由はない。
しいて言えば、紙質が少し良さそうで、報酬が高そうに見えたからだ。
高難度依頼なら実績作りに都合がいい。
モモンは、何事もなかったように受付へ向かった。
受付嬢は、差し出された依頼書を受け取り、目を通す。
すぐに困ったような表情を浮かべた。
「申し訳ありません。こちらはミスリル級以上の冒険者向けの依頼です」
「ミスリル級…」
アインズは短く繰り返した。
「はい。カッパー級の方には、お渡しできません」
受付嬢の声は丁寧だった。
だが、そこにははっきりとした拒否がある。
モモンはわずかに沈黙した。
適当に取ったものが高位依頼だったのは、ある意味では運が良い。
だが、今の自分の等級では受けられない。
規則。
等級。
実績。
人間社会の仕組みは面倒だ。
「等級だけで実力を測るのは、少々危ういのではないか?」
モモンの声は低く、落ち着いていた。
怒っているわけではない。
ただ、静かな自信を滲ませる。
彼は隣のナーベへ視線を向けた。
「彼女は第3位階の魔法を扱える魔法詠唱者だ」
受付嬢の目が、わずかに見開かれた。
第3位階。
この都市の一般的な基準からすれば、決して軽い力ではない。
実際、受付嬢の表情には明らかな驚きが浮かんでいる。
ナーベは、ほんのわずかに背筋を伸ばした。
主に力を示されたことを誇らしく思っているのだろう。
モモンは続けた。
「そして私も、彼女に匹敵する技量を持った戦士」
受付嬢は一瞬迷った。
だが、すぐに首を横に振る。
「おっしゃることは分かります。ですが、冒険者組合は自己申告ではなく、
実績と等級で依頼を割り振っています」
声はまだ丁寧だ。
しかし、先ほどよりも強い。
「万一、依頼が失敗すれば、依頼主にも、冒険者にも、組合にも損害が出ます。
ですので、規定を曲げることはできません」
モモンは黙った。
受付嬢の言葉は、組織として正しい。
力があると主張する者に、そのまま高位依頼を渡すわけにはいかない。
まして、自分は昨日登録したばかりのカッパー級冒険者だ。
ここはナザリックではない。
命じれば通る場所ではない。
実力があれば全て許される場所でもない。
少なくとも、表向きは。
アインズは判断を切り替えた。
「なるほど。組合の規則ならば、従おう」
モモンの声音が、わずかに柔らかくなる。
受付嬢の肩から、少しだけ力が抜けたように見えた。
「では、カッパー級の私が受けられる範囲で、最も難しい依頼を教えていただきたい」
「それでしたら――」
受付嬢が書類を探そうとした、その時だった。
「それなら、俺たちと一緒にどうですか?」
背後から声がかかった。
振り返ると、四人の冒険者が立っていた。
先頭にいる男は、穏やかな顔つきだ。
装備は目立って豪華ではないが、手入れされている。
立ち方にも無駄が少ない。
その隣には、金髪で痩せ気味の男。
軽い笑みを浮かべており、どこか調子の良さそうな雰囲気がある。
さらに、若い魔法詠唱者らしき者と、がっしりとした体格の男。
「俺はペテル・モーク。冒険者チーム《漆黒の剣》のリーダーをしています」
ペテルと名乗った男が、軽く頭を下げた。
「こっちはルクルット、ニニャ、ダインです」
「よろしくな、モモンさん」
ルクルットが軽く手を上げる。
「ニニャです。魔法詠唱者をしています」
ニニャは控えめに頭を下げた。
「ダイン・ウッドワンダーである。森祭司をしている」
ダインは低く落ち着いた声で言った。
「俺たちはこれから、常設のモンスター退治に出るところでした。
カッパー級でも受けられる依頼です。もしよければ、一緒にどうかと思いまして」
押しつけがましさはない。
昨日の酒場で見た冒険者たちとは違う。
新人をからかうためでも、力を誇示するためでもない。
単純に、依頼を探している者へ声をかけたらしい。
アインズは、彼らを観察した。
弱い。
ナザリック基準なら、比べることすら意味がない。
だが、不快ではなかった。
彼らには、冒険者として仕事をしようとする空気がある。
「それはありがたいお申し出です」
モモンは答えた。
「よろしければ、同行させていただきたい」
「もちろんです」
ペテルが微笑む。
「その前に、簡単に顔合わせをしておきましょう」
ルクルットがすぐにナーベを見る。
「で、こちらの美しい方は?」
「ナーベだ」
モモンが答える。
「私の同行者です」
「いやあ、ナーベさん。よろしくお願いします。俺、けっこう頼れる男なんだぜ?」
「不要です」
ナーベは即答した。
ルクルットの言葉が途中で止まる。
ペテルが苦笑した。
「すみません。こいつはいつもこうで」
「こちらこそ。ナーベが失礼しました」
モモンは短く答えた。
「ニニャはこう見えて、二つ名持ちなんですよ」
ルクルットが得意げに言った。
「おい、ルクルット」
ペテルがたしなめるが、ニニャは少し困ったように笑った。
「二つ名ですか」
モモンが静かに聞き返す。
「ええ。魔法の習得が早いんです。生まれながらの異能もあって」
「生まれながらの異能?」
聞き慣れない言葉だった。
アインズは、兜の奥でその単語を記憶する。
生まれながらの異能。
ユグドラシルには存在しない概念だ。
少なくとも、彼の知るシステムには該当しない。
この世界の人間には、生まれつき特殊な能力を持つ者がいるらしい。
「珍しいものなのですか」
「ええ。持っている者自体が少ないですし、内容も人によって違います」
ペテルが説明する。
「ニニャのように役に立つものもあれば、ほとんど意味がないものもあるそうです」
「まあ、この街だともっと有名なのがいるけどな」
ルクルットが軽く続けた。
「バレアレ氏であるな」
ダインが頷く。
「薬師のンフィーレア・バレアレ。彼の生まれながらの異能は、
どのようなマジックアイテムであっても発動制限を無視して使える、というものだそうですよ」
ペテルが答えた。
あらゆるマジックアイテムを使える。
その言葉を聞いた瞬間、アインズの中で警戒の度合いが一段上がった。
この世界の道具だけなら、まだよい。
だが、もしユグドラシル由来のアイテムにも作用するなら。
ナザリックの秘宝。
ワールドアイテム。
ギルド武器。
本来なら使用制限があるはずの道具。
そういったものに触れられた場合、どうなるか。
ナーベの気配も、わずかに鋭くなった。
「モモン様」
彼女は小声で囁く。
「その者、危険かと」
「分かっている」
モモンもまた、小声で返した。
生まれながらの異能。
この世界には、ユグドラシルのシステムだけでは測れない能力が存在する。
アインズは、その事実を強く記憶した。
顔合わせが一区切りついたところで、モモンは少し考える。
この者たちとは、これから共に依頼へ出る。
ならば、最低限の信頼関係は必要だ。
本当の顔を見せることはできない。
だが、見せるための顔ならある。
「これから共に依頼へ向かうのであれば、互いに最低限の信頼は必要でしょう」
モモンは兜へ手をかけた。
「顔を隠したままでは、失礼にあたるかもしれません」
ナーベがわずかに反応する。
アインズは幻術を起動した。
兜の下、本来なら骸骨の顔がある場所に、人間の顔を作る。
いや、作るというより、呼び起こすと言った方が近かった。
鈴木悟。
かつての自分の顔。
黒い髪。
黒い瞳。
王国周辺ではあまり見ない、南方の人間を思わせる顔立ち。
取り立てて美形ではない。
しかし、不細工というほどでもない。
普通の、人間の顔。
モモンは、兜をしっかりと外した。
漆黒の剣の面々が、興味深そうに見つめる。
「へえ……」
ルクルットが意外そうに声を漏らした。
「もっとおっさんかと思ってたぜ」
「ルクルット」
ペテルが軽くたしなめる。
「いや、悪口じゃないって。鎧と雰囲気が歴戦の戦士って感じだったからさ」
ペテルも穏やかに頷く。
「落ち着きがあるので、もっと年上の方かと思っていました。
顔立ちは……この辺りではあまり見ませんね」
ニニャが少し首を傾げる。
「黒髪に黒い瞳……南方の方ですか?」
「出身については、深く追求しないでください」
モモンは静かに答えた。
その声には、拒絶というより、これ以上踏み込まないでほしいという線引きがあった。
ペテルはそれを察し、すぐに頭を下げる。
「失礼しました」
「構いません」
モモンは兜を戻した。
アインズは内心で、奇妙な感覚を覚えていた。
偽名。
鎧。
幻の顔。
いや、今の顔は幻でありながら、確かに自分だった。
自分は、いくつ仮面を重ねているのだろう。
その時だった。
受付嬢が、少し慌てた様子で声をかけてきた。
「モモン様。あなたを指名した依頼が入っております」
「指名依頼?」
「はい。依頼主は、薬師のンフィーレア・バレアレ様です」
その名が出た瞬間、ナーベの気配が変わった。
ほんのわずかに、重心が前へ移る。
危険と判断したのだろう。
アインズはそれに気づき、短く告げた。
「ナーベ」
それだけで、ナーベは動きを止めた。
「……失礼いたしました」
「まだ何もするな」
小声だった。
だが、命令としては十分だった。
受付嬢は、依頼内容を説明する。
カルネ村付近。
トブの大森林周辺。
薬草採取への同行と、道中の護衛。
アインズは考える。
なぜ、薬師であるバレアレ氏が自分を指名したのか。
理由は分からない。
だが、直前に聞いた生まれながらの異能を考えれば、警戒しない理由はない。
あらゆるマジックアイテムを使える者。
そのような人物が、自分を名指ししてきた。
偶然と考えるには、少し気味が悪い。
「ありがたい依頼ですが」
モモンはペテルたちへ視線を向ける。
「私は今、こちらの方々と依頼へ向かう約束をしたところです。
先約を反故にするわけにはいきません」
その答えに、ペテルが真面目な顔で首を振った。
「モモンさん、それは受けるべきです」
「よろしいのですか?」
「カッパー級に指名依頼が来るなんて、普通はまずありません。
依頼主が名指ししているということは、それだけ期待されているということです。
新人冒険者にとっては、大きな機会ですよ」
ペテルは続ける。
「俺たちが受けようとしていたのは常設依頼です。
急ぎではありません。それより、指名依頼を逃す方が惜しい」
アインズは、兜の奥でペテルを見た。
自分たちの予定を優先しろとは言わない。
新人の機会を潰さず、むしろ背中を押す。
昨日の酒場で見た冒険者たちとは、随分違う。
弱い。
だが、不快ではない。
モモンは少し考え、受付嬢へ確認した。
「依頼内容は、カルネ村付近のトブの大森林への薬草採取同行と、道中の護衛でしたね」
「はい」
「それでしたら」
モモンはペテルたちを見た。
「皆さんも共に受けるというのはいかがでしょう」
「俺たちも、ですか?」
ペテルが意外そうに聞き返す。
「薬草採取の護衛であれば、人手が増えることは不自然ではありません。
大森林付近での採取なら、人数は多い方が安全です。それに、皆さんはこの辺りの依頼に慣れている。
薬草や森の知識もあるでしょう」
ダインが静かに頷いた。
「薬草採取であれば、私の知識も役に立つのである。森に入るならば、なおさらであるな」
ルクルットがにやりと笑う。
「つまり、ナーベさんと一緒に旅ができるってことだな」
「黙れ、ルクルット」
ペテルが即座に制した。
ニニャが苦笑する。
ほどなくして、依頼主であるンフィーレア本人も組合へ姿を現した。
長い金髪で顔の一部を隠した、若い薬師。
作業着には薬草の汁の跡が残っており、いかにも研究者肌といった雰囲気がある。
彼はモモンを見た瞬間、緊張と好奇心の混じった表情を浮かべた。
だが、その理由をアインズは知らない。
「モモンさんですね。依頼を受けていただけると聞きました」
「条件を確認した上で、受けさせていただきます」
モモンは答える。
「ただし、こちらの漆黒の剣の皆さんにも同行していただきたい。
大森林付近へ向かうなら、その方が安全だと考えます」
ンフィーレアは一瞬、漆黒の剣の面々へ視線を向けた。
そして頷く。
「僕としては問題ありません。人数が多い方が安全ですし、薬草採取にも助かります」
こうして、モモン、ナーベ、ンフィーレア、そして漆黒の剣は、同じ依頼を受けることになった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
エ・ランテルを出た一行は、カルネ村方面へ向かう街道を進んだ。
天気は悪くない。
道も、少なくとも都市近辺は整っている。
荷車が通る跡があり、人や馬の足跡も見える。
ペテルは周囲を確認しながら進む。
ルクルットは軽口を叩きながらも、視線は意外とよく動いている。
ニニャは時折地図や道の話に補足を入れ、ダインはンフィーレアと薬草の分布について話している。
漆黒の剣は弱い。
それは間違いない。
だが、彼らは仲間だった。
誰かが軽口を言えば、誰かがたしなめる。
誰かが知識を出せば、誰かが感心する。
誰かが荷物の位置を変えれば、別の誰かが自然に手を貸す。
その距離感が、ほんの少しだけ、かつての仲間たちを思い出させた。
攻略に向かう前の雑談。
装備の確認。
誰かの軽口に、別の誰かが呆れる声。
それは、遠い記憶の中にあるギルドの空気を、ほんの少しだけ思い出させた。
「モモンさんは、あまり口数が多い方ではないんですね」
ペテルが、歩調を合わせながら声をかけてくる。
探るような響きではない。
ただ、同行者として距離を測っているのだろう。
「ええ。今は、皆さんの話を聞かせていただく方が有益だと思っています」
モモンは静かに答えた。
「この辺りの道や依頼については、皆さんの方が詳しい。私はまだ、学ぶ立場です」
「学ぶ、ですか」
ペテルは少し意外そうにした後、穏やかに笑った。
「モモンさんほどの方にそう言われると、少し恐縮しますね」
「実力と土地勘は別です。経験ある方の話は、聞いておくべきでしょう」
その返答に、ペテルは小さく頷いた。
「では、知っている範囲でお話しします」
ダインが道端の草へ視線を向ける。
「この辺りの薬草は、日当たりよりも土の湿り気を見るべきである」
彼はしゃがみ込み、葉の形を確かめるように指先で触れた。
「葉の形が似ていても、育つ場所によって効き目が変わることがあるのである」
「なるほど……祖母も似たようなことを言っていました」
ンフィーレアが感心したように頷く。
「バレアレ氏の祖母であれば、当然知っていることであろうな」
ダインはどこか誇らしげに言った。
ルクルットが横から口を挟む。
「つまり、森に入ったらダイン先生の出番ってわけだ」
「森であれば、レンジャーであるルクルットより力を発揮できるのである」
「言うねえ」
「事実である」
そのやり取りに、ニニャが小さく笑う。
ペテルも軽く肩をすくめた。
ナーベは無表情だった。
モモンは、横目でそれを見る。
頼むから、今この場で人間を虫を見る目をしないでほしい。
その願いが通じたのか、ナーベは何も言わなかった。
途中、小型の魔物と遭遇した。
数は多くない。
現地基準でも、漆黒の剣で十分対処できる程度だろう。
ペテルが前に出る。
ルクルットが弓を構え、ニニャが詠唱の準備をし、ダインがニニャの前に立つ。
動きは悪くない。
強いわけではない。
しかし、自分たちの力量を理解している。
誰が前に立ち、誰が援護し、誰が状況を見るかが決まっている。
人間の弱者なりの戦い方。
ナザリックの圧倒的な力とは違う、補い合う戦いだった。
それでも、一匹が横へ回り込もうとした時、モモンは静かに前へ出た。
二振りの大剣のうち一本を抜く。
大きな動作ではなかった。
踏み込みも、振りも、必要最低限。
だが次の瞬間、魔物の身体は両断されていた。
漆黒の剣の面々が息を呑む。
「……すげえな」
ルクルットが、素直に呟いた。
「今の、見えたか?」
「ぎりぎり、です」
ニニャが小さく答える。
ペテルは、倒れた魔物とモモンの剣を見比べていた。
「力任せに見えて、無駄がない……いや、力任せであれだけ正確に斬れる時点で普通じゃない」
ダインも低く唸るように言った。
「これは……銀級の動きではないのである」
ルクルットが冗談めかして笑おうとしたが、声には本気の驚きが混じっていた。
「もしかして、オリハルコン級……いや、アダマンタイト級って言われても信じるぞ、俺は」
その言葉に、ペテルがすぐには否定しなかった。
「少なくとも、俺たちとは比較になりませんね」
モモンは剣を軽く払うと、静かに鞘へ戻した。
「過分な評価です」
そう言ってから、倒れた魔物へ視線を向ける。
「私は一体を斬っただけです。周囲を警戒し、隊列を保っていたのは皆さんでしょう。
依頼中は、そちらの方が重要です」
ペテルは一瞬驚き、それから表情を引き締めた。
「……ありがとうございます。気を抜かずにいきましょう」
「お願いします」
モモンは短く応じた。
その反応に、アインズは少しだけ好感を覚えた。
力を見て媚びるのではない。
驚き、学び、すぐに仕事へ戻ろうとする。
良いチームだ。
そう思った。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
日が傾く頃、一行は野営の準備を始めた。
漆黒の剣は慣れたものだった。
ペテルが見張りの順番を決める。
ルクルットが周囲を確認する。
ダインが火を起こし、ニニャが簡単な結界や警戒の話をする。
ンフィーレアは荷物を整理し、採取道具を確認している。
モモンは、それを静かに眺めていた。
ナザリックとは違う。
完璧ではない。
効率的でもない。
だが、互いに役割を持ち、声をかけ、足りないところを補っている。
焚き火が起こされ、簡素な食事が配られる。
固いパン。
干し肉。
薄いスープ。
アインズには必要のないものだ。
だが、モモンとしては受け取らなければならない。
人間のふりをするには、こういう細部が必要だ。
焚き火を囲み、会話が始まる。
ルクルットがナーベに懲りずに話しかけ、冷たく返される。
「いやあ、ナーベちゃんは本当に隙がないよな」
「誰がちゃん付けを許しましたか」
「お、呼び方には反応してくれるんだな」
「次はありません」
「冷たい。だが、そこがいい」
「ルクルット、いい加減にしろ」
ペテルが止める。
ダインとンフィーレアは薬草の保存方法について話し込む。
ニニャは魔法知識の話になると少しだけ目を輝かせていた。
モモンは黙って聞いていた。
情報として。
演技の参考として。
そして、もう一つ。
人間だった頃を思い出すために。
話題が、いつの間にかモモンの過去へ移っていった。
「モモンさんにも、以前は仲間がいたんですか?」
ニニャの問いに、モモンは少しだけ沈黙した。
焚き火の光が、漆黒の鎧を赤く照らす。
「……いました」
低い声だった。
「強く、賢く、信頼できる者たちでした。私にとっては、
かけがえのない……素晴らしい仲間たちでした」
それ以上は語らない。
語れるはずもなかった。
アインズ・ウール・ゴウン。
四十一人。
かつて共に笑い、戦い、ナザリックを作り上げた仲間たち。
彼らはもういない。
ニニャは、その沈黙を寂しさだと受け取ったのだろう。
悪意はなかった。
むしろ、励まそうとしたのだ。
「きっと……また、そんな人たちに出会えますよ」
その瞬間。
モモンの声が、焚き火の音を裂いた。
「もう二度と彼らに会えるわけがないだろう!」
空気が凍った。
ニニャが目を見開く。
ペテルが息を呑み、ルクルットも口を閉じた。
ダインは黙って火を見つめる。
モモン自身も、次の瞬間には自分の声に気づいていた。
「……失礼。そういった詮索はやめていただきたい」
声は、いつもの落ち着いたものへ戻っていた。
だが、完全には戻りきっていない。
そこには、隠しきれない痛みが残っていた。
「す、すみません……そんなつもりじゃ」
ニニャの声は小さかった。
モモンは、兜の奥でわずかに視線を落とす。
「分かっています」
短い返答だった。
「悪意がないことは理解しています。ですが、それ以上は」
そこで言葉を切った。
焚き火の周りには、重い沈黙が落ちる。
モモンは静かに立ち上がった。
「少し、離れて食事を取らせていただきます」
誰も引き止めなかった。
引き止められる空気ではなかった。
ナーベもまた、無言でその後に続く。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
焚き火の明かりが、少し遠くなった。
モモンは木の根元に腰を下ろす。
手には、野営用に分けられた簡素な食事があった。
固いパン。
干し肉。
薄いスープ。
どれも、彼には必要のないものだった。
食べることはできない。
味わうこともできない。
空腹を感じることもない。
ただ、人間のふりをするためだけに、そこに置かれている。
少し離れたところで、ナーベが小さく頭を下げた。
「モモン様。あの者への処罰は」
「不要だ」
即答だった。
ナーベはわずかに沈黙する。
納得していないことは明らかだった。
「あれは無礼でした」
「悪意はなかった」
「悪意がなければ、至高の御方の御心を乱してよいのですか」
その声には、抑えきれない怒りが滲んでいた。
「ナーベ。あの場で悪かったのは私だ」
「モモン様が、ですか?」
心底理解できない、という響きだった。
「ニニャは慰めようとしただけだ。私はそれに、過剰に反応した」
「ですが――」
「命令だ。ニニャを責めるな」
ナーベはすぐに頭を下げた。
「はっ」
それ以上、彼女は何も言わなかった。
アインズは手元の食事を見る。
ニニャに悪意はなかった。
それは分かっている。
あの言葉は慰めだった。
励ましだった。
年若い魔法詠唱者なりに、自分の孤独へ手を伸ばそうとしたのだろう。
それなのに、自分は声を荒げた。
失敗だった。
冒険者モモンとしても。
人間社会に入り込む者としても。
善意を向けてきた若者に返す言葉としても。
あれは、良い振る舞いではなかった。
そう思う。
そう思っているはずなのに。
怒りは、すでに遠かった。
胸を焼くような激情は続かない。
叫んだ直後には、まるで何かに水をかけられたように、感情が静かになっていた。
代わりに浮かぶのは、冷静な判断だった。
あの場に残り続ければ、食事をしないことを怪しまれたかもしれない。
鎧を脱がない理由を問われたかもしれない。
飲み食いをしない冒険者など、不自然だ。
だから、席を外したのは正しい。
むしろ、都合がよかった。
そこまで考えて、アインズは自分に嫌気が差した。
都合がよかった。
そんな言葉が、なぜ出てくる。
楽しい食事の時間だったはずだ。
漆黒の剣は笑っていた。
ンフィーレアも、ダインと薬草の話をしていた。
ニニャは魔法知識の話になると少しだけ目を輝かせていた。
ルクルットの軽口に、ペテルが呆れたように返していた。
その時間を、自分が壊した。
それなのに、真っ先に考えているのは失敗の処理と、不自然さの回避だ。
人間なら。
鈴木悟なら。
もっと、胸が痛んだのだろうか。
もっと、申し訳なさが尾を引いたのだろうか。
もっと、どう謝るべきかを悩んだのだろうか。
分からない。
今の自分には、それが分からない。
アンデッドになってから、感情は抑え込まれる。
強い怒りも、激しい悲しみも、あるところで強制的に均される。
それは便利だった。
支配者としては。
判断者としては。
ナザリックを守る者としては。
だが今は、その便利さがひどく不快だった。
人間らしく後悔することさえ、長く続かない。
ナーベは少し後ろに控えている。
主の沈黙を邪魔しない距離。
しかし、何かあればすぐに動ける距離。
その忠誠は揺るがない。
だが今のアインズには、その忠誠すら、少し遠かった。
自分は失敗した。
ニニャに当たった。
楽しい時間を壊した。
そう思っているのに、隣にいる従者は、自分ではなく人間の方を責めている。
その隔たりが、妙に遠かった。
焚き火の方から、かすかに声が聞こえた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
一方、焚き火の周りでは、沈黙が続いていた。
ニニャは膝の上で手を握りしめ、俯いている。
ペテルは、その横顔を一度だけ見た。
責めるつもりはなかった。
ニニャには、本人が口にしない事情がある。
だからこそ、ペテルたちは普段から余計な詮索を避けていた。
だが今、ニニャ自身が、モモンの踏み込まれたくない場所へ触れてしまった。
最初に沈黙を破ったのは、ルクルットだった。
「……悪気があったわけじゃないってのは、分かるさ」
ニニャは小さく頷いた。
ルクルットは、焚き火に枝を投げ入れる。
「でもまあ、あれだな。昔の仲間は、全滅したってとこなんだろうな」
「ルクルット」
ペテルが低くたしなめる。
「分かってるって。言い方が悪いのは分かってる。でも、冒険者なら珍しい話じゃないだろ」
ルクルットの声は、いつもの軽さを少しだけ失っていた。
「昨日まで一緒に飯食ってた連中が、次の日には戻らない。
依頼に出たまま、誰も帰ってこない。そういうのは……この仕事じゃ、よくある」
誰も、すぐには否定しなかった。
それが冒険者の現実なのだろう。
ペテルが静かに言う。
「ニニャ。君が悪意で言ったんじゃないことは、モモンさんも分かっていると思う」
「……はい」
「ただ、人には触れられたくないものがある。特に、失った仲間のことはな」
ニニャは、さらに小さく頷いた。
重くなった空気を変えようとしたのか、ルクルットがわざとらしく肩を回した。
「まあ、あれだ。モモンさんって謎が多いよな。強いし、礼儀正しいし、あんな鎧着てるし」
「それは確かに」
ニニャが小さく頷く。
ルクルットは少し笑って、焚き火へ視線を戻した。
「しかも顔も意外だったしな」
「顔?」
ンフィーレアが反応した。
その声は、本人が思ったよりも早く出た。
ペテルが頷く。
「ええ。出発前に、信頼の証として少し顔を見せてくださいました」
「顔を見たんですか?」
ンフィーレアは、できるだけ自然に聞き返したつもりだった。
だが、声には隠しきれない食いつきがあった。
ルクルットが片眉を上げる。
「なんだ、ンフィーレア。そんなに気になるのか?」
「あ、いえ……あれだけ立派な鎧を着ている方なので、どんな方なのか少し気になりまして」
ンフィーレアは慌てて言葉を整えた。
ペテルは特に疑うことなく、記憶を辿るように口を開いた。
「黒髪に、黒い瞳でしたね。この辺りではあまり見ない顔立ちです」
「黒髪黒目というのは、この辺りでは珍しいのである。南方の人間に近い印象であったな」
ダインが補足する。
ニニャも頷いた。
「顔立ち自体は、特別に怖いとか、派手とかではありませんでした。
ただ、雰囲気が落ち着いていて……年齢が少し分かりにくいというか」
ルクルットが肩をすくめる。
「俺はもっとおっさんかと思ってたけどな。あの鎧と喋り方じゃ、どう見ても歴戦の戦士だろ?」
「ルクルット」
ペテルが軽くたしなめる。
「悪口じゃねえって。顔だけなら俺たちとそこまで離れてないようにも見えたけど、
態度が落ち着きすぎてるんだよ」
ンフィーレアは、その一つ一つを胸の内で並べた。
黒髪。
黒い瞳。
南方風。
年齢は判断しづらい。
落ち着いた態度。
そして、あの漆黒の鎧。
まだ、何かが繋がるわけではない。
だが、モモンという冒険者が普通ではないことだけは、ますます確かになっていく。
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同じ頃。
ナザリック地下大墳墓では、アルベドが防衛体制の再編を進めていた。
第1階層から第3階層までの配置。
連絡系統。
外部任務時の報告経路。
捕虜や侵入者への対応手順。
アインズが外に出る時間が増える以上、ナザリック内部の体制はより強固でなければならない。
「シャルティアの階層については?」
アルベドの問いに、配下が頭を垂れる。
「短期間であれば、補助戦力により最低限の防衛維持は可能かと」
「最低限では困るわ」
アルベドの声は冷たい。
「アインズ様の御不在時に、万が一などあってはならない。再計算しなさい」
「はっ」
配下が去る。
アルベドは一人、書類へ視線を落とした。
シャルティア・ブラッドフォールン。
第1階層から第3階層を守る階層守護者。
彼女は命令に忠実だ。
待機を命じられれば待機する。
不満があったとしても、表立って命令に背くことはない。
だが、他の者たちが外界へ出る準備を進めている中、彼女だけが防衛待機を命じられている。
そのことを、気にしていないわけではないだろう。
アルベドは、報告としてそれをまとめることにした。
アインズ様は、どう判断されるだろうか。
一方、別の場所ではセバスとソリュシャンが王国調査の準備を進めている。
表向きは商人。
セバスは落ち着いた執事として振る舞い、ソリュシャンは商家の令嬢として完璧な外面を整えている。
人間社会へ潜るための駒は、少しずつ動き始めていた。
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夜が更けても、漆黒の剣の会話は完全には途切れなかった。
一度冷えた空気を、誰かが不器用に戻そうとする。
誰かが謝り、誰かが軽口を言い、誰かが小さく笑う。
それは、完璧ではない関係だった。
だからこそ、人間らしかった。
少し離れた場所で、モモンは黙ってそれを聞いていた。
情報として。
演技の参考として。
そして、もう一つ。
人間だった頃の自分を、ほんの少しだけ思い出すために。