ようこそ危機管理至上主義の教室へ   作:文字太

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5月③

 翌日は土曜日だった。

 窓の外から差し込む穏やかな陽射しだけが、今日がよく晴れた一日であることを教えてくれている。

 

 中間テストまではまだ余裕があるが、流石に退学の可能性を考えると悠長に過ごすわけにもいかず、午前中は自室でテスト対策の勉強をすることにした。

 

 とりあえず今日は苦手科目である英語に集中することにして、試験範囲を中心に、けれど昨日一之瀬さん達と話し合ったようにもしもの事を考えて、試験範囲外についても軽く復習をしていく。

 

 そうして、参考書と向き合ってどれくらい時間が経っただろうか。

 それまではノートに書き込むペンの音と、参考書をめくる音しか響いていなかった自室に突如電子音が響いた。

 

 音の発生源である学生証を手に取ると、とある人物からメッセージが届いていた。

 内容は今から会えないか、というもの。

 少し考えてから、了承の返事をして席を立つ。

 

 そろそろ集中力も切れ始めていたところだし、丁度いいタイミングだったのかもしれない。

 どちらにしろ、彼女には今後の事も含めて一度話をしないといけないと思っていたところだ。

 

 

 ◇

 

 

 待ち合わせ場所に指定された喫茶店へ入ると、相手はすでに席に着いていた。

 窓際の席で文庫本を開き、静かにページをめくっている。その姿は妙に絵になっていて、声を掛けるのを少しためらってしまう。

 

 けれど、呼び出された以上いつまでも見ているわけにもいかず、俺は椅子を引きながら声を掛けた。

 

「こんにちは、椎名さん」

 

 彼女は顔を上げると、柔らかく微笑んだ。

 

「こんにちは、三条くん」

 

 向かいの席へ座り、店員を呼んで飲み物を注文する。

 一息ついたところで、俺は先に口を開いた。

 

「ごめん。せっかく呼んでもらったのに、まだ前に勧めてもらった本を読み切れてなくてさ。今日は感想会はできないと思う」

 

 椎名さんは小さく首を振った。

 

「気にしないでください。本を読むペースは人それぞれですから」

 

 そう言いながらも、彼女が抱えている本が目に入る。

 

 前回俺が紹介した小説の続編だった。

 これまでは椎名さんから勧められることが多かったが、前回の感想会で俺の好きな作品も読んでみたいと言われて紹介したのだ。

 

 気に入ってもらえたのだろうか。

 

 視線に気づいたのか、椎名さんは少し照れたように本を掲げた。

 

「すみません。まだ感想もお伝えしていないのに、続きが気になってしまって……つい次の作品を借りてしまいました」

 

 その様子がどこか可笑しくて、思わず笑みが漏れる。

 

「日常の中の小さな謎を解いていく話だから、少し地味に感じたかもしれないけど」

 

 連続殺人事件が起こる小説を平然と勧めてくる人からすれば、刺激は少ないだろうと思って言ったのだが、椎名さんは静かに首を横へ振った。

 

「いいえ」

 

 抱えていた本を胸元へ引き寄せる。

 

「とても面白かったです」

 

 その返事には迷いがなかった。

 

「普段読んでいるミステリーとは少し違いました。でも、日常の中にも謎があって、人がいて、その人たちの心の動きがあって……」

 

 話しているうちに、少しずつ声に熱がこもっていく。

 

「最後まで、とても楽しく読ませていただきました」

 

 そして、少しだけ恥ずかしそうに笑った。

 

「それに……友人から薦めてもらった本というのも、初めてでしたので」

 

 そこから椎名さんは、俺が紹介した本の感想を楽しそうに話し始めた。

 

 印象に残った場面。好きな登場人物。何気ない台詞に感じた違和感。

 

 同じ作品を読んでも、着目する場所が少しずつ違う。その違いを聞くのは思っていた以上に面白かった。

 ひと通り話し終えると、椎名さんは「あっ」と小さく声を漏らした。

 

「すみません。私ばかり話してしまいました」

 

 そして、表情を改める。

 

「今日お呼びしたのは、本の感想とは別にお話ししたいことがあったからなんです」

 

 話題は、この学校のシステムについてだった。

 椎名さんのいるCクラスでも、昨日の発表にはかなり驚いたらしい。ただ、四月の時点から一人の生徒がクラスをまとめ始めており、その人物を中心にAクラスを目指していく方針になっているという。

 

 俺はクラスの内情を詳しく話さないよう気をつけながら、伝えて問題なさそうな範囲だけ共有した。

 

「Bクラスも似たような感じかな。リーダーを立てて、クラス全体でAクラスを目指していくみたいだよ。今はとりあえず中間テスト対策が中心だけど」

 

 椎名さんは静かに頷いたあと、こちらを見つめた。

 

「では、Bクラスとしてではなく、三条くん個人としてはどう思っていますか?」

 

 こちらが答える前に、彼女は先に自分の考えを述べていく。

 

「私は、Aクラスの特権にはそこまで興味がありません。争いごとも、できれば避けたいです。ですから、少なくとも現状は積極的にクラス対抗へ関わるつもりはありません」

 

 その上で、改めて問い掛けてくる。

 

 俺は少し考えてから答えた。

 

「俺もAクラスそのものにはそこまで興味はないかな。

 ただ、だからってクラスの方針に反対するつもりもないし、クラスの一員として協力はしていくつもりだよ」

 

 そこで、一之瀬さんの顔が浮かぶ。

 

「それに、少なくとも俺は、クラスから退学者は出したくないと思ってる」

 

 椎名さんはその答えを聞き、少しだけ安心したように微笑んだ。

 

「でしたら……これからも、友人としていてくれませんか?」

 

「会う時は、お互いのクラスの情報には触れない。それを条件にすれば問題ないと思うんです」

 

 その提案に、俺はすぐ答えることができなかった。

 

 クラス毎で競い合う以上、この学校では他クラスの生徒はライバルであり、敵という事になる。

 

 そんな環境で交流を続けることが、本当にお互いのためになるのか。

 

 まだ学校の本質が明らかになってから一日しか経っていない。クラス対抗がどれほど激しくなるのかも分からない。

 

 もし、俺たちの関係が原因で椎名さんが不利益を受けることになったら。

 そんな想像ばかりが頭に浮かぶ。

 

 長い沈黙のあと、俺はようやく口を開いた。

 

「……ごめん。今すぐには答えられない」

 

「とりあえず、しばらくは中間テスト対策で感想会もできないと思うし。その間に少し考えさせてほしい」

 

 椎名さんは残念そうな顔をすることもなく、静かに頷いた。

 

「わかりました」

 

「良いお返事を、お待ちしています」

 

 そう言って椎名さんは静かに微笑んだ。

 

 

 ◇

 

 

 月曜日からBクラスでは中間テストへ向けた勉強会が本格的に始まった。

 一之瀬さんと神崎を中心に進められる勉強会は予想以上に組織的だった。

 得意科目ごとに教える役を割り振り、苦手な生徒をサポートする。

 部活動で参加できない生徒には別途資料を作成し、後日フォローする体制まで整えられていた。

 放課後の教室にはいつも誰かが残っていて、問題を解いたり質問をしたりしている。

 

 退学という言葉が与えた衝撃は大きかった。

 

 だが、その不安をただ抱え込むのではなく行動へ変えている。

 

 そんな空気が今のBクラスにはあった。

 

 もちろん、俺も勉強会には参加している。

 

 元々勉強は嫌いではないし、自分自身が退学になるつもりもない。

 

 ただ、それ以上に。

 

 このクラス全体が本気で退学者を出さないために動いているという事実に、少しだけ安心していた。

 

 

 数日後の昼休み。

 今日は珍しく一之瀬さんと白波、それに俺の三人で昼食を取っていた。

 勉強会の話題が一段落したところで、ふと思い出したことを尋ねる。

 

「そういえば生徒会の件ってどうなったの?」

 

 先日の彼女の発言をふと思い出し何気なく尋ねてみる。

 すると一之瀬さんは少し困ったように笑った。

 

「あー……それなんだけどね」

 

 その反応だけで嫌な予感がした。

 

「実は断られちゃった」

 

「断られた?」

 

 思わず聞き返してしまう。

 

 一之瀬さんが?

 

 正直意外だった。

 

 成績も良い。

 

 人望もある。

 

 責任感も強い。

 

 むしろ生徒会側から歓迎されそうな人物に思えたからだ。

 

「うん。堀北会長に」

 

 その言葉を聞いた瞬間。

 

「えぇっ!?」

 

 白波さんが大きな声を上げた。

 

「なんで!?」

 

 机を叩きそうな勢いで身を乗り出している。

 

「帆波ちゃんを入れないなんておかしいよ!?」

 成績だって良いし、優しいし、皆から信頼されてるし!

 断る理由なんて無いじゃん!」

 

 本気で納得していないらしく、普段は比較的物静かな彼女がここまで感情を露わにするのは珍しかった。

 

 一之瀬さんはそんな白波さんを落ち着かせるように言う。

 

「きっと会長にも何か考えがあるんだと思うよ」

 

 そう言って相手を責める様子は一切見せない。

 らしいと言えばらしかった。

 

「それで、理由は聞いたの?」

 

 俺が尋ねると、一之瀬さんは少し考えてから答えた。

 

「今の生徒会に私の力は必要ないって言われたかな」

 

 必要ない。

 

 その言葉に引っ掛かりを覚える。

 少なくとも能力不足を理由に断られたわけではないだろう。

 それならもっと別の言い方になるはずだ。

 

 なのに、必要ない。

 

 まるで。

 一之瀬さんを生徒会へ入れたくない理由が他にあるみたいだった。

 

「納得してるの?」

 

 そう聞くと、一之瀬さんは少しだけ困ったように笑う。

 

「そうだね、してないかな」

 

 珍しく即答だった。

 

「でも無理に理由を聞き出すのも違うと思うし」

 

「だから今は勉強会を頑張ることにした」

 

 そう言って笑う姿に嘘はない。

 

 ただ。

 

 それでも少しだけ気になった。

 

 堀北会長が一之瀬さんを拒否した理由。

 

 その答えを今の俺は知らない。

 

 けれど、この学校の生徒会長が明確な意図もなくそんな判断をするとは思えなかった。

 

 何か理由がある。

 

 そう考えるのが自然だった。

 

 

 中間テストが発表されてから一週間後の5月8日。

 星之宮先生が教室へ入ってくるなり、いつもの調子でこう言ったのだ。

 

「はーい。みんなにお知らせがありまーす」

 

 嫌な予感がした。

 この学校で教師からの「お知らせ」が良い内容だった試しがない。

 

 自然と教室中の視線が先生へ集まっていた。

 

「来週から始まる中間テストなんだけどね。試験範囲が少し変更になったから確認しておいてねー」

 

 そう言って先生が黒板へ貼り出したのは、新しい試験範囲が記載された一覧表だった。

 

 一瞬の静寂。

 

 そして。

 

「え、今さら?」

 

「マジかよ……」

 

「結構増えてない?」

 

 教室のあちこちから困惑の声が上がる。

 

 無理もない。

 

 中間テストまで残された時間はあと2週間。

 そんな時期になって試験範囲が変更されたとなれば、不安になるのは当然だった。

 

 ただし、以前一之瀬さんや神崎と話し合った結果、試験範囲外から出題される可能性についてはクラス全体へ共有されている。

 勉強に余裕のある生徒を中心に、既に変更後の範囲まで手を付けている者は少なくなかった。

 

 そのおかげか、困惑こそすれ、慌てふためく生徒は殆ど見受けられなかった。

 先生の説明が終わると神崎が席を立ち、教室全体へ声を掛けた。

 

「落ち着いてくれ。変更された範囲については以前から勉強を進めている者も多い。教えられる人間は今日からその範囲を中心に勉強会を進めよう」

 

 その一言で、教室の空気が少し落ち着く。

 続いて一之瀬さんも教壇へ立った。

 

「範囲変更のところまで勉強してた人は、まだやってない人を手伝ってあげてほしいな。時間はまだあるし、みんなで協力すれば十分間に合うと思うから」

 

 柔らかな口調だった。

 

 それでも、その言葉には不思議と人を安心させる力がある。

 

「分かった」

 

「俺、その範囲もう終わってるから教えるよ」

 

「じゃあ俺も」

 

 自然とそんな声が上がっていく。

 結局、試験範囲変更による混乱はその日のうちにほとんど収まった。

 

 もしあの日、神崎と一之瀬さんへあの話をしていなければ、もう少し慌ただしくなっていたのかもしれない。

 そう思うと、少しだけ胸を撫で下ろす。

 

 

 それから、Bクラスの勉強会は順調に続いていた。

 

 変更された試験範囲についても、一度理解した生徒が他の生徒へ教えるという形が出来上がり、当初学力に不安があった者達も少しずつ自信を付け始めているようだった。

 

 そうして、迎えた中間テスト当日。

 

 試験範囲変更の影響もあり、多少身構えていたが、実際に問題用紙を開いてみると極端に難しい問題が増えているという印象はない。

 流石に周りを見回すような事は出来ないが、周囲から聞こえてくる用紙に書き連ねる音からも、クラスメイト達も順調に問題を解き進めているようだった。

 

 

 試験終了後の教室では、「難しかった」という声はあっても、「全く解けなかった」と悲観するような生徒はいない。

 

 少なくとも赤点を心配するほどの様子ではなさそうだった。

 その様子に一之瀬さんもほっとしたように息をついている。

 

 テストが終わった解放感に教室が包まれる中、ホームルームに現れた星之宮先生は、にこにこと笑いながら言った。

 

「はい、お疲れさまー。これで中間テストは終了ね」

 

 教室から安堵の空気が漏れる。

 

「それとね。この調子で期末テストも無事に乗り越えられたら、夏休みにはみんなをクルーズ船でのバカンスへご招待しまーす」

 

 一瞬遅れて、教室中が歓声に包まれた。

 

「マジで!?」

 

「最高じゃん!」

 

「豪華客船とか初めてなんだけど!」

 

 その盛り上がりを見ていると、俺まで少しだけ気分が高揚する。

 クルーズ船。海の上。夏休み。

 

 確かに楽しそうではある。

 あるのだが――。

 

 もし遭難したらどうする?

 

 救命ボートの数は乗客全員分あるのか。

 

 漂流した場合、飲み水はどれくらい確保されている。

 

 そもそも俺は長時間の船に耐えられるのか。船酔い対策は必要だろうか。

 

 気付けば、頭の中で『クルーズ船遭難時の生存率を上げる方法』について考え始めていた。

 

「三条くん?」

 

 一之瀬さんに呼ばれて我に返る。

 

「……いや、何でもない」

 

 周囲ではまだクルーズ船の話題で盛り上がっている。

 どうやら、夏休みを前にして『遭難した場合の備え』を考えているのは、今のところ俺だけらしかった。




前々回のあとがきで触れておいてなんですが、残念ながら主人公は過去問の存在には気付けませんでした。
ただし、試験範囲外から問題が出る可能性を考慮していた事で、Bクラスの平均点は原作より若干高くなります。
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