インデリブル・ハート - 嫌われ者の俺が皆を助けて記憶を失ったら、美少女生徒会長が恋人を名乗り始めました 作:夢見戸イル
「もう、大丈夫ですよ。安心してください」
知らない男の声とともに、灯夜の体は誰かの温もりに包まれた。知らないはずの声なのに、どうしてか安心した。
それと同時に、何人もの警察が中に入ってくる。いつの間にか、
そんな中、零一が叫ぶ。
「何が起こった⁉ 灯夜、おまえはまた私を裏切ったのか⁉」
そう灯夜を睨む零一に、警察の1人が叫ぶ。
「新城零一! 大人しく……」
「
「ワカッタ」
その声と同時に、零一の後ろに
捕まえることができなかった。せっかく目の前にいたのに。
そんなことを思っていると、灯夜を助けてくれた男が灯夜を縛る縄を解きながら、この緊迫感には似つかわしくない穏やかな声で言った。
「問題ありません。逃げられるのは想定済です。それよりも、灯夜君、あなたの安全を優先にしましたから」
「えっと、あなたは……」
助けてくれたその男は警察の制服を着ておらず、1人だけ私服のような見た目だった。年齢も60歳は超えているようにも見えて、明らかに異質だった。
「ああ、そういえば灯夜君は記憶を失っていたのでしたね。私は陸天堂学園の警備を担当している霧島と申します。実は灯夜君とは何度かお話したことがあるのですよ」
「警備……? でも、なんでここに……」
「他にもいくつか仕事をしておりましてねえ。たまたま近くを歩いていたら、怒鳴り声が聞こえまして。覗いてみれば、灯夜君がいたというわけです。……頬が赤く腫れていますね。すぐに助けてあげられなくて申し訳ない」
そう言いながら、霧島と名乗る男は灯夜の頬に触れた。
そこは零一に殴られたところで、確かに少しの痛みがあった。けれどもそれよりも、せっかく警察が目の前にいるのだ。だから零一の目的を伝えなければと思った。
「あの……! さっき、あの人が何を目的として動いてるか、聞くことができて……! だから、えっと、その……」
そこまで言って、灯夜はどう話せばいいのかわからなくなった。
この事件の始まりは自分が父親に祖父を殺すよう誘導したからだ。ならば、きっと自分も罪人だ。記憶が無いとはいえ、人が何人も死んでいるのなら、きっと罪に問われるだろう。
そんなことを思いながら、小さく深呼吸して再び警察の方を見た。
「あの……、えっと……。実は……」
「無理に、言わなくても大丈夫ですよ」
と、霧島が灯夜の手を優しく掴んだ。
「大丈夫です。実は
聞かれていた。それはどんな魔道具で。そんな疑問はあったけれども、それを聞くタイミングではないこともわかっていた。
「……それなら、俺も捕まりますよね」
「捕まりません。灯夜君は何もしていないのですから」
「でも……!」
殺害を唆した人が罪に問われないなんてことはないはず。そう言おうとしたけれども、霧島は灯夜の手の平を上に向け、その上に霧島の手を置いた。
「例えばですよ。私が灯夜君に、ナイフを渡したとして、これで首を刺せば嫌いな人を殺せると言ったら、灯夜君は殺しますか?」
霧島の言葉に、灯夜は首を振る。
「そうでしょう? それに話を聞く限り、灯夜君は具体的に誰を殺せとも言っていない。そもそも11歳や12歳の子供に言われて真に受ける大人など普通はいません。寧ろそんなことを言ってはいけないと諭すのが親の役目です」
霧島の言葉を、周りにいた警察も否定するようなことはなかった。寧ろ誰もが優しい目で灯夜を見ていた。
けれども、それが逆に苦しかった。だって零一が雪雄を殺した理由が、灯夜が誘導したからであるのならば、その罪を裁いてもらうことすらできないのだから。
そんな灯夜の頭を霧島は優しく撫でた。
「ほら、救急車も来ました。後のことは警察に任せて、まずは病院に行きましょう」
「別に、俺は大丈……」
「怪我をしているのは事実ですから。大丈夫かどうかは、見てもらってから判断しましょうね」
「わかり、ました……」
そう言っている間に、サイレンの音が近くで止まり、タンカーを持った救急隊員が現れた。
平気なはずなのに、どうしてか体に力は入らなくて、体を持ち上げられタンカーに載せられた。
誰もが優しくて、けれどもそうしてもらえる人間ではないはずで、そう思えば思うほど、心は苦しくて仕方が無かった。
灯夜の乗った救急車を見送りながら、霧島はスマートフォンを取り出した。そして、どこかに電話をかけ始める。
相手は、1秒も待たずに出た。
「灯夜君は無事ですよ。治療は必要な状況ですが、命に別状はないでしょう。ただ、かなり混乱しているようですので、家に帰ったら寄り添ってあげてください。ただあなたは律花ちゃんや大地君の父親でもありますから、無理をしない範囲で。必要であれば、私もまた関わりますよ」
その後聞こえてきた声に、霧島は笑う。
「朝比奈君、あなたも大人になりましたねえ。生意気なところは変わりませんが。でも、だからこそ灯夜君にも上手く寄り添えるのかもしれませんねえ。……はいはい。もう切りますよ」
それだけ言って、霧島は電話を切った。
病院に着いてから、灯夜は色々と検査をされ、大きな問題がないことが確認された。それでも様子を見るためにと1日だけ入院することになった。
病室には医師や看護師がやってきて、今の気持ちをなんでもいいから話して欲しいと言われた。けれども大丈夫としか言えなかった。
嘘を言っているつもりはなかった。ただどうしてか眠ることだけはできなくて、睡眠薬を飲まされて無理矢理眠らされた。
本当は誰とも会いたくはなかった。どんな顔をして会えばいいのかわからなかったから。
けれども、問題がないのであれば退院しなければならなかった。次の日、退院の時間になれば信悟が迎えに来た。仕事を休んで迎えに来てくれたのだろうと思うと、何一つ自分でできない子供という立場に心が苦しくなった。
家の中に入れば、律花が玄関まで飛び出してきた。灯夜の顔を見た瞬間、律花はその場に崩れ落ちた。
「良かった……。灯夜が無事で……」
そう言ってポロポロ泣く律花の目は赤く腫れていて、ずっと泣いていたのかと思うと申し訳なくなる。
なんとか安心させようと、灯夜は律花の頬に手を伸ばした。
「律花。俺は大丈夫。律花こそ無事でよかった。律花はどこも怪我してない?」
冷静に、落ち着いて、律花の状況も確認しながら、律花に自分が大丈夫であることを伝えたつもりだった。
けれども律花は、キッと灯夜を睨む。
「なんで……。なんであのとき、灯夜は中に入らなかったの……?」
「えっ……?」
「私だけコンビニの中に入って、そしたら全て解決したような顔をしていたわ! なんで⁉
灯夜に縋り付くように泣き続ける律花に、灯夜はどうしたらいいのかわからなくなる。
「……ごめん。思ったより冷静になれてなかったのかも。律花を助けられて、もう大丈夫だって思っちゃった」
「灯夜も大丈夫じゃないと意味ないわよ! 私、灯夜が連れて行かれて、凄く、凄く怖かったんだから……」
「本当に、ごめん。でも俺、大丈夫だったよ。病院で検査してもらったら何も問題なかったし、ちゃんと大丈夫だよ」
「怪我してるじゃない! そんなの大丈夫なんて言えないわ!」
そう言って泣き止まない律花を、何とか泣き止ませようと灯夜は頭を働かす。思いついたことは、結果的に良い方向に転んだということだった。
「律花、聞いて。俺が父さんのところに連れて行かれたおかげで、良かったこともあるんだよ。父さんが俺に話したこと、警察の人も聞いてて、新しい情報も手に入ったみたい。事件解決のヒントになるかも。父さん、
説明をしていて、頭に浮かんだ言葉は、自業自得。霧島と名乗った人は大丈夫だと言ったけれども、それはただ罪に問えるかという話だろう。
律花がここまで思い詰めるのは、きっと自分が全ての元凶だったと知らないからだ。そう思って、灯夜は覚悟を決め口を開く。
「律花は詳しくは知らないよね。聞いたこと、律花に話すよ。事件、解決したがってたもんね。先生も、大地のこともあったから、知りたいでしょ?」
灯夜の言葉に、どうしてか律花も信悟も異様なものを見るような目で灯夜を見ていた。少しの静寂が流れた後、信悟は灯夜を律花から引き離しながら口を開いた。
「灯夜。一旦落ち着け」
「えっ……? 何言ってるの……? 俺はちゃんと落ち着いて……」
「とりあえず靴脱いで。ほら、リビング来い。……後、俺は全部、聞いてるから」
信悟にそう言われてしまったら、灯夜は何も言えなくなった。
いったい何を言われるのだろうか。そればかりを気にしていた。
けれどもリビングに入ってソファに座らせられた後、信悟はいつもの優しい目で灯夜の肩に自分の手を置いた。
「灯夜。一旦深呼吸しろ。おまえはもう頑張らなくてもいい。おまえは助かった。わかるか?」
何故そんな当たり前なことを言うのかわからず、灯夜は首を傾げる。
「わかってるよ? それに俺は大丈夫。だから……」
「灯夜。おまえは今、どこにいる?」
そう信悟に問われた瞬間、わかっているはずなのに、灯夜はすぐに答えられなかった。
そんな灯夜をじっと見つめた後、信悟は灯夜とは別の場所を見る。
「灯夜。あそこにテーブルがあるのはわかるか? いつも律花や俺の作った料理を食べながら、学校であったこととかを話しているだろう? だいたいは律花が灯夜の自慢話をして、灯夜が恥ずかしがって。ああ、でも魔道具の話になると途端に早口で話し出すんだよな。最近はどんな魔道具の本を読んだんだ? 教えてくれや」
そう言われた瞬間、頭の奥底から何かが溢れそうになった。必死にそれを止めようとして、頭が動かなくなる。
それは、まるで
感情を出したくなくて、止めたくて、けれどもそれを許さないと、信悟が頭を撫でる。
「灯夜。今、俺がおまえの頭に触れているのはわかるか?」
「ねえ、やめて……? なんか……、なんだか……」
突然、震えが止まらなくなった。怖くて、苦しくて、そして体の痛みすら、突然感じて止まらなかった。
大丈夫になったはずだった。
今回の件も同じで、大丈夫で、だからもう誰にも迷惑をかけることはない、そう思っていた。そのはずだった。
「違う……。違うから……。俺は大丈夫なはずで……」
必死に溢れ出す感情を否定しようとしたけれども、そうはさせないと信悟は灯夜を抱きしめた。
「怖かったな。痛かったな。でも、もう大丈夫だ。ここは安全な場所で、灯夜が危険な状態になることは何もない。律花の部屋ではいつも律花と東之京大学合格に向けて勉強してるんだってな。最近は母さんのために魔道具のことも調べくれてるんだって? そうだ。このソファでは、たまに皆でテレビを見て笑って、大地も新しいお兄ちゃんができたみたいで喜んでた。ここはそんな日常を過ごす場だ」
「やめて。先生、お願いだから、もうやめて……」
「灯夜。もういいんだ。もう我慢しなくていい。辛くなっていいんだ。辛かったことを、見ないフリなんてしなくていいから」
ソファの少しザラついた布の肌触りが、規則正しい時計の音が、突然これが現実だと示すように灯夜に迫って来た。
慎悟の肌の温もりが、人の匂いが、感情を押さえつけていた蓋さえパキンと壊してしまった。
全ての感情が、体の奥底から溢れ出した。恐怖も、不安も、痛みも、全部。
「なんで⁉ 大丈夫になったはずなのに! 俺はもう大丈夫! 大丈夫なんだって!」
「そうだな。大丈夫。大丈夫だから、貯めてたもん全部吐き出せ。大丈夫だから」
「違う! 違う……! あああああああああ!」
苦しくて、苦しくて、せめて全部流れ出て空っぽになってくれたら良かったのに、溢れたものに溺れるように、ずっと、ずっと息が出来なかった。
どれだけ叫んでも、結局苦しい感情は消えなかった。目に涙は滲んで、けれども律花みたいに涙は沢山出せなくて、息だけができなかった。
それから信悟に言われるがままゆっくり息を吐いて、なんとか息だけはできるようになった。頭はまだぼんやりして、感情は少しずつ落ち着いて、けれども自分の犯した罪だけは綺麗な輪郭のまま灯夜の心に留まり続けていた。
それからはあまり覚えていない。疲れて眠くなって、信悟に体を支えられながら布団に向かった。子供をあやすように頭を撫でられると、いつの間にか眠っていた。
夢は見なかった。それ程までに深く眠っていた。
目が覚めたときには、すっかり日は暮れていた。けれども、部屋は明るいままだった。きっとこれは、信悟の配慮だろう。
そしてその光の中に、律花はいた。
律花は灯夜が目を覚ましたことに気が付くと、持っていた参考書を閉じて灯夜に微笑んだ。
「目が覚めた? 調子はどう?」
律花の優しい声が、灯夜に重くのしかかる。これだけ優しくしてくれた律花を苦しめた原因を作った。その事実は変わらなかった。
「律花も先生から聞いた……? 記憶を失う前に俺がやったこと」
「聞いたわよ」
「ごめんね。俺のせいで……」
起き上がって、律花に触れようとして、けれども灯夜は触れることができなかった。触れたら、律花を穢す気がした。
けれどもそんな灯夜の手を、律花は両手で包んだ。
「灯夜は悪くないわ。だって何をするか決めたのは、灯夜のお父さんじゃない。灯夜はそれに一番に気付いて止めようとしてくれた。そうでしょう?」
その言葉は、色んな人から言われていた。けれども、それなら悪くないと言い切れるのか。許されるものなのか。灯夜はどうしてもそう思えなかった。
そんな灯夜の心の中に気付かないまま、律花は何事もなかったかのように話し始める。
「そんなことよりよ! お父さんから聞いたわ! 助けてくれたの、霧島さんだったのね! 実は灯夜が記憶を失った事件のときに通報してくれたのも霧島さんだったのよ! 灯夜が置いていったスマホとメモに気付いて、灯夜の残してくれたメモの場所を通報してくれたのですって! ……それにしても、霧島さんって何者なのかしら。もしかして、スパイが何かかも……。灯夜はどう思う?」
そう言った律花は変わらない笑顔で、何もない日常に戻してくれるようで、けれどもその優しさが今の灯夜には痛かった。
「……どうして律花は、俺にこんなに優しくするの?」
「えっ、どういうこと……?」
「どうして誰も俺を責めないの⁉ 律花や大地を危険な目に合わせたの、俺だよ⁉ 魂喰われたのも、今回のも、自業自得じゃん! なのに、なんで……」
少し前までの自分なら、これぐらいの感情は押し込めることができたはずだった。けれども、一度蓋が壊れてしまったら、止めることはできなくなっていた。
「ねえ、責めてよ! お願いだから責めてよ! 俺が悪いんだって怒ってよ! なんで、なんで……!」
「灯夜、落ち着いて! 大丈夫、大丈夫だから……」
そう言って、律花は灯夜を抱きしめようとした。けれどもその優しい行動が何もかも痛くて、苦しくて、どうしようもなくなる。
「俺に触るな!」
気付いたら、力の加減もできないまま律花を押し返してしまった。律花の体が床に打ち付けられる。
その瞬間、扉が開いた。
「律花!」
信悟が律花を抱き起こす姿に、自分が何をしてしまったのか悟った。
一瞬、ほんの一瞬だけ、信悟が灯夜を責めるような目で見る。
「あ」
その目を、灯夜は知っていた。蘇ったのは、幼い頃の記憶だった。
『灯夜。ねえ、お母さんのところで暮らさない?』
祖父である新城雪雄が零一によって殺されたあと、何も知らない依里が灯夜の元に現れてそう言ったのだ。
けれども、自分が何をしたかを理解していた灯夜は、依里にこう言った。
『煩い! 俺に関わるな!』
『灯夜。大丈夫。良い暮らしはさしてあげれないかもしれないけれど、お母さん、結構稼げるようになったの。灯夜には少しも不自由はさせないわ。だから、ね? 一度話をしましょう?』
そう言って伸ばされた優しい手が、自分に触れることで汚される気がして、灯夜はその手を弾いた、つもりだった。
『俺に触るな!』
『ママをいじめるな!』
ほぼ同時だった。いつの間にか目の前には明希がいて、まだ幼く体も小さかった明希は、道路に叩きつけられた。
そのときの自分の姿が、父親に重なった。穏やかに話していたと思ったら、急に豹変して殴ってきた父親の姿に。
ああ、自分は間違いなく、父親の子供なのだ。誰かを傷付けることしか知らない、平気で人を殺す父親の。
そしてそれを証明するように、依里は一瞬だけ責めるような目で灯夜を見た。
それはほんの一瞬だった。その後すぐに依里の目は心配するような目に変わり、灯夜に手を伸ばした。けれどもその優しさが痛くて、灯夜はその場から逃げ出した。
そんな記憶が、突然蘇った。蘇って、そして自分の罪は事実だったのだと思い知らされた。
それだけじゃない。今、また、律花に同じことをした。優しくしてくれた律花に。そして、今だけじゃない、中学のときから自分に寄り添ってくれた先生の大切な子供たちを何度も危険な目合わせた。
「ごめ、ん、な、さい」
それだけ言って、灯夜は部屋から飛び出した。