インデリブル・ハート - 嫌われ者の俺が皆を助けて記憶を失ったら、美少女生徒会長が恋人を名乗り始めました 作:夢見戸イル
部屋から飛び出したとしても、そこは律花や信悟がいる家の中だった。だから家の中に逃げ場所などなかった。
どこを見ても明るくて、眩しくて、幸せな思い出ばかりが溢れては消えていく。
こんな幸せな場所に、自分がいていいはずがなかった。自分はこの場所を穢す存在だ。そう思って、灯夜は家を飛び出した。
「灯夜、待て!」
後ろから聞こえた信悟の声を振り切るように、
とにかく逃げたかった。遠くへ。できるだけ遠くへ。
けれども行く宛なんてなかった。退院したばかりの体で、まだ痛みも残っている体で、暫く走れば目眩がした。
目に入った公園の前で、灯夜は足を止めた。
その公園は、住宅街の一角にある小さな公園だった。最近は誰も遊んでいないのだろう。草は生え、手入れされておらず、ただ義務としてそこにあるだけだった。
灯夜はそこにあるブランコに腰を下ろした。
ブランコに座れば、錆と錆がこすれ合うような音が鳴る。それがどうしてか心地良くて、灯夜は少しだけ揺らしながらその音を聞いていた。
灯夜の手元で、スマホの明かりがチカチカと光る。飛び出すとき、咄嗟に持ち出したものだった。
画面を見ると、メッセージアプリの律花のアイコンが通話に出ろと主張する。灯夜はその画面をぼんやりと眺めた。出る気はないのに、画面を消すこともできなかった。
それから、どれだけ時間が経ったのだろうか。いまだに律花のアイコンは画面に表れては消えてを繰り返していた。そんな視界の片隅に、黒い何かが映った。
顔を上げれば小さな
ああ、もういっそのこと、喰われてしまうのもありか。そんなことを思う自分がいた。
あの小さな
「
その声が聞こえた瞬間、
魔法が飛んできた方を見ると、黒い車の中に人影が見えた。
静かな夜だった。だからこそ、その声の主が誰なのかはすぐにわかった。その声の主が、車から降りて灯夜に近付いてくる。
「霧島さん……? なんで、ここに……」
「おや、灯夜君でしたか。まさか学校もお休みなのに、こんなにも早くあなたにお会いできるとは思いませんでしたよ」
魔法で
「こんな場所で、いったい何をされていたのですか?」
「……別に、何も……」
「つまりは、今はお時間があるということですね?」
霧島はニコニコと笑顔を崩さないまま灯夜にそう言った。そして、灯夜の返事を待たずに言葉を続ける。
「丁度良かったです。私も今、とても暇で困っていたのですよ。よろしければ、この老いぼれの話し相手にでもなってくれませんか?」
「は? いや、話すって何を……」
「ああ、そうでした。灯夜君は何も覚えていないのでしたね。実は私、魔道具の仕組みを調べることがとても好きでしてねえ。灯夜君は記憶を失う前、私に沢山の魔道具の話をしてくれたのですよ? まあ、授業を抜け出しているのは、気になっていましたがねえ」
そう言われたとしても、灯夜にその記憶はなかった。思い出せたのは、中学時代までの記憶だけ。高校のときの記憶は、まだ思い出せなかった。
ただ深く考える前に、灯夜は背中を押され、そのまま霧島の乗ってきた車に乗るように言われた。
霧島と会うのは、灯夜が記憶を無くしてからは2度目だった。律花も霧島のことを知っていたから、実際に学校にいたのは間違いないだろう。
けれども、この人が危険な人ではないという証明はできなかった。そう不安になるほど、霧島は異質な存在にも見えた。
まあ、もうどうでもいいか。
灯夜はそんな気持ちになっていた。
最悪死ぬだけ。断ることも面倒臭い。だから灯夜は言われるがまま、車に乗り込んだ。
連れて行かれたのは、高級すぎるマンションだった。
エントランスですら広くてソファが置かれたラウンジがあって、家1つ分ぐらいが入りそうな広さだった。受付のような場所に人もいて、ここはホテルなのかと勘違いしてしまいそうになる。
灯夜にとって、見たことがない世界ではなかった。灯夜が住んでいた家も豪邸と呼べるレベルの家ではあったし、このような場所に住むような人と何度か会わされたこともあったから。
けれどもただの警備員が住む場所としては異質すぎた。灯夜は先程まで悩んでいたことも忘れて、霧島に訪ねた。
「あの……。霧島さんは何者、なんですか?」
「学校の警備の仕事をやっているのは間違いないですよ? まあ、他にも色々とやっておりますが。後は、そうですね……。人間が好きなだけの、おじいちゃんです」
それだけ言って、エレベーターの中に入っていった。
霧島に連れられ入った家の中も、予想通りに広かった。けれども生活感はなくて人が住んでいるように見えなかった。
灯夜が豪華なリビングをぼんやりと見ていると、霧島はリビングから繋がっていたドアを開けた。
「見てください。私が集めたものです」
部屋の中にあったのは、部屋全体に並べられた本だった。本棚に綺麗に並べられ、けれどもコレクションというには表紙に少し傷があるものも多く、確かに読まれていたものということだけはわかった。
そして、その全てが魔道具の本だった。
霧島は、その中にあった本の1つを手に取った。
「見てください。これは
「えっ……? ええっと……」
霧島の見せた本に書いてある魔数式に対して、灯夜は言われるがまま自分の意見を伝えた。そうすれば、霧島はそれに対する更なる改善案を伝えてくれた。
いつの間にか、時間も忘れて夢中で話し込んでしまった。
その日は、病院で出された朝食だけで昼食すら少しも食べていなかった。口に入れたのは、車の中で渡されたペットボトルのお茶程度。そもそも朝食すらあまり食べることができていなかった。
けれども魔道具について霧島と話していると、いつの間にかお腹から空腹だと知らせる音が鳴った。
そんな灯夜に、霧島は微笑みながら口を開く。
「私も丁度お腹が空きました。何か出前でも取りましょうか。希望はありますか?」
「えっ、いや、別になんでも……」
「そうですか。それなら、せっかくですのでお寿司でも……」
「あっ、いや、もっと安いもので大丈夫です……」
そこまでは申し訳ない。そう思って慌てて否定すれば、霧島は少し悩む素振りを見せた。
「そうですか……。若い子なら何がいいですかねえ。ピザなどは最近胃もたれしてしまいましてねえ……。そうだ。私に合わせてもらって申し訳ないのですが、お蕎麦でもよろしいですか?」
「も、勿論です!」
蕎麦なら、値段はしれているだろう。灯夜はそう思って頷いた。
けれども運ばれてきたものは、使い捨てではない容器に入れられた、明らかに高級なお蕎麦だった。しかも揚げられてあまり時間が経っていないであろう天ぷらまで添えられていた。
「これで量は足りるでしょうか。私はこれで丁度良いのですが、若い子だと足りないのでは……」
「じゅ、十分です!」
出されてしまったものを、食べないという選択はできなかった。出された蕎麦は暫く胃に何も入れていない状態でも食べやすくて、全て食べれてしまった。
けれども、食べ終われば現実が灯夜の前に迫ってきた。
ずっと、ここにいるわけにはいかないだろう。けれども律花の家に戻る勇気もなかった。
ぼんやりと外を眺めていると、霧島が口を開いた。
「暫くの間、ここにいますか?」
「えっ……?」
「帰りづらいのでしょう? 私はほぼここを使っていませんので、自由に過ごしていただいて問題ございません。勿論、あそこにある本はいくらでも読んでいいですから」
いくらでも読んでいい。その言葉に灯夜の心はぐらついたが、流石に頷くわけにはいかなかった。
「そこまでしてもらうわけには……」
「なるほど。灯夜君は一方的だと申し訳ないと思うタイプですか。それなら、交換条件というのはどうです?」
「交換条件、ですか……?」
灯夜の言葉に、霧島はニコリと笑った。
「はい。灯夜君が大学生になったとき、私の紹介する教授とお話ししてください。魔工学に精通した、東之京大学の先生です」
「は、はい。それぐらいなら……」
「それと。灯夜君には東之京大学の学校推薦型選抜を受けてもらいましょう。既に自作の魔道具を警察に提供するという実績があるのですから、十分です。校長先生には私から話しておきましょう。推薦状は私も書きます。その代わり、灯夜君にはここにある本で更に魔道具に関する理解を更に深めて頂きたい。案があれば、新しく作ってもらっても大丈夫です。できたものは、私に必ず見せてください。これが、私が提示する条件です。いかがですか?」
霧島の言葉に、灯夜は戸惑った。
交換条件と言うぐらいだから、とんでもない内容を伝えられると思っていた。けれども違った。
「あの……。俺に得しかなくて、交換条件になってないです」
灯夜がそう言えば、霧島は笑った。
「それは灯夜君が決めることではないですよ? 私にとって得なことが、たまたま灯夜君にも得だったというだけです。いわゆるウィンウィンというやつですね」
「あの……、霧島さんにとって、これの何が得なんですか?」
「そうですねえ。ひと言で伝えるのは難しいですが、やはり好奇心が満たされるから、でしょうかねえ」
「好奇心、ですか?」
「はい。魔道具の本を沢山読むことを、灯夜君が無理矢理勉強させられているのではなくお得なことだと思うのと同じことです。内容がなんであれ、興味のあることを知れるということはお得なのです」
霧島の言葉は、分かるようでいまいち分からなかった。
それから、また本棚のある部屋に戻って魔道具に関する話をした。霧島は先に寝ると部屋を出たが、灯夜はずっと昼間寝ていたから眠くはなかった。だから興味がある本を手に取り、読み続けた。
気付いたら、床の上で眠っていた。いつの間にか灯夜の体には毛布がかけられていて、けれども霧島はどこにもいなかった。
リビングには、メモと段ボールだけが増えていた。段ボールの中身は律花の家にあった灯夜の服や身の回りの物。それと、病院から貰った睡眠薬。
薬はいらないと言ったけれども、お守りにと処方されたものだった。けれどもどうしてか、薬袋の中身は1錠だけになっていた。
メモには家電を含め自由に使っていいといった内容と、冷蔵庫にいくつかの日持ちする食品を入れてくれたということ。
冷蔵庫の中には祖父が生きていたときに定期的に届いていたような高級そうなゼリーまで入れてあって、どうしてここまでしてくれるのか、灯夜には分からなかった。
1人で過ごすことに、困ることはなかった。両親が離婚し、祖父である雪雄もいなくなったあとは、家事代行を雇うお金が勿体ないと父親に言われ、食事だけは買い、残りは灯夜がやっていた。
久しぶりの1人の時間だった。けれども改めて、霧島という人が何者なのか、どうしても気になってしまう。
本名は、
何となく名前を検索すれば、彼の経歴はある程度分かった。
霧島護は東之京大学の魔工科出身で、学生時代に出したであろう論文がいくつか出てきた。
そこからは魔法省の官僚になったのだろう。魔法省の主催する勉強会などの担当者として、名前がいくつか出てきた。
けれども、分かったのはそこまでだった。ここに住めるほど稼いでいることに納得できるほどの経歴ではあることは予測できたが、そんな人が今どうして陸天堂学園の警備員として出入りしているのかは分からなかった。
灯夜の感じていた違和感はそれだけじゃなかった。零一から助けられたときも、ただの発見者というだけではなく、霧島が司令塔のように振舞っていた。
そして、灯夜が記憶を失った事件も、霧島が通報したものだと律花が言っていた。これに関しては、陸天堂学園の警備員であるということが事実ならば違和感はない。
ただ律花の家から飛び出してからもすぐに自分を見つけたことを考えると、偶然にしては出来過ぎではないだろうか。
けれども、それならばどうやって……。
そこまで考えて、自分の持つ青いスマートフォンを見た。
昨日律花の家から飛び出したとき、持っていたのはスマートフォンだけだった。記憶を少し思い出したからこそ、自分の居場所がすぐにわかる方法は知っていた。
灯夜は魔道具を作るためと置いてあった工具の中から使えそうなものを取り出し、スマートフォンの本体をこじ開けた。
そこには、あるはずのない場所に魔数式が組み込まれていた。
その魔数式を、灯夜は知っていた。盗聴機能と、位置情報を共有するための魔数式。ただ、父親がやっていたように、スマートフォンを操作した履歴が全部わかる魔数式までは組み込まれていなかった。
これを書いたのは零一ではないだろう。もしこれを父親が仕組んだにしては、零一は灯夜の情報を知らなさ過ぎた。
そもそも前のスマートフォンが
けれども、毎回灯夜の元に現れたのは霧島だった。信悟が霧島に連絡を入れたのだろうか。それとも……。
そんなことを思いながら、灯夜は自分の荷物を持った段ボール箱を見る。
少なくとも、信悟と霧島に繋がりがあることは事実だろう。そうでなければ、ここまでスムーズにやり取りはできないはずだ。
そこまで考えて、灯夜は魔数式を消さないまま、スマートフォンを元に戻した。何となく、自分が気付いたのだとはバレてはいけない気がした。
組み込まれている魔数式は、スマートフォン本体を動かすための魔法石をエネルギーとして使っている。今の時間程度であれば、スマートフォンの挙動がおかしくなって再起動をしていた程度に思われるだろう。
灯夜は小さく息を吐いて、改めて青いスマートフォンを見る。
灯夜の頭の中で、少しずつバラバラだったパズルのピースがハマっていった気がした。壊れるはずがないスマートフォンを、信悟が壊れたと言って信悟が渡した理由も、霧島が
『交換条件というのはどうです?』
昨日、霧島が言った言葉が蘇る。
ああそうか。そういうことか。
灯夜の中で作り出した最後のピースが、綺麗にハマった気がした。
きっと2人は、零一と一緒に何かをしていたであろう灯夜の行動を監視して、零一を捕まえたかったのだ。そう思った瞬間、信悟や霧島が自分の罪を知ってまで優しくしようとしてくれた理由が分かった気がした。
それならば、自分に与えられた役割を果たさないと。霧島がここに連れてきた理由を掴んで、それで……。
灯夜の心の中で、上手くハマったようでハマっていなかったピースが、1つだけ落ちる。思い出したのは、律花の笑顔だった。律花は2人の作戦を、知っているようには思えなかった。
それなのに、灯夜の罪を知ってもなお、手を差し伸べてくれた。
綺麗に出来上がったはずのパズルに、どうしてかまたノイズが走り出す。
これで正しいはずで、罪人にも優しくしてくれる人には理由があるはずで……。
「そうか。お母さんを目覚めさせる魔道具」
再び灯夜は1つのピースを作り出し、パズルにはめ込んだ。これでノイズは消えた気がした。
灯夜は本棚のある部屋に再び入り、医学系の魔道具が記載された本を手に取った。