ブレイクハンド 〜創れない兄は、壊す力で世界を救う〜 作:鳩夜(HATOYA)
数年がたち、俺はエンドルークスに居た。
最北端の町。
すべての始まりの場所。
かつては、創作世界に最も近い町として栄えていたらしい。
青い星を観測する塔があり、創作世界から落ちてくる希少な素材を研究する工房があり、ゴッドハンドを目指す者たちが一度は訪れる場所だったという。
だが今、その面影はどこにもない。
塔は折れ、工房は潰れ、道は憤造物に埋め尽くされていた。
家の壁から腕が生え。
石畳から刃が伸び。
空から降った黒い創作物が、町そのものを別の何かへ作り替えている。
人はいなかった。
ここへ来るまで、何度も人を探した。
助けを求める声があれば走った。
瓦礫に閉じ込められた者がいれば壊した。
暴れる憤造物がいれば砕いた。
けれど、北へ進むほど生存者は少なくなった。
ファーストウッドを出てから最初の町には、まだ人がいた。
次の町には、数えるほどしかいなかった。
その次の町では、声だけが残っていた。
さらに先では、もう誰もいなかった。
憤造物は絶え間なく襲ってきた。
木材で出来た獣。
鉄骨で出来た鳥。
扉と窓で出来た巨人。
橋を脚にした蜘蛛。
工房そのものが歩き出したような怪物。
俺は、そのたびに撃退した。
釘を抜き。
継ぎ目を崩し。
杭を引き抜き。
芯を貫き。
魔力線を断ち切った。
壊せば壊すほど、漆黒のブレイクスキルボードには新しい文字が増えていった。
『釘抜き』
『継ぎ目崩し』
『打毀・衝打』
『打毀・貫打』
『フライヤー』
『芯断ち』
『構造崩落』
『根絶解体』
壊すための技ばかりだった。
人を助けるために使った。
道を開くために使った。
町を飲み込む憤造物を止めるために使った。
それでも、救えなかったものの方が多かった。
世界は、少しずつ静かになっていった。
壊す音だけが残った。
そして今。
俺はエンドルークスの中心に立っている。
黒い創作物で覆われた広場。
空には大きな裂け目。
その向こうには、青い星――創作世界が見えていた。
そして、裂け目の真下に、ビセがいた。
「久しぶりです、兄さん」
ビセは昔とほとんど変わらない顔で笑った。
けれど、もう子供ではなかった。
背は俺と同じくらいまで伸び、白いビルドスキルボードは右手ではなく背後にいくつも浮かんでいる。
一枚。
二枚。
三枚。
数えきれないほどの白いボードが、輪のようにビセの背後で回っていた。
それぞれに、びっしりとスキル名が刻まれている。
創る力。
世界を覆い尽くすほどの、異常な創造の力。
「ビセ……」
名前を呼ぶだけで、胸が痛んだ。
探していた。
ずっと探していた。
怒鳴るつもりだった。
殴るつもりだった。
馬鹿野郎と叫んで、連れ戻すつもりだった。
けれど、目の前にいる弟を見た瞬間、何も言えなくなった。
ビセの足元には、無数の創作物が跪いている。
憤造物。
兵器創作物。
町を飲み込み、人を殺し、世界を埋め尽くしてきたものたち。
それらが、まるで王に従う臣下のようにビセへ頭を垂れていた。
「兄さん。初めは兄さんの為に壊していた。自分でもそのつもりだった」
ビセは穏やかに言った。
「兄さんを馬鹿にする人が許せなかった。兄さんを認めない世界が嫌いだった。ビルドスキルだけが価値だと決めつけるこの世界を、僕は間違っていると思った」
「ビセ……」
「でも違うんだ。兄さんも途中で気づいたはずだよ。僕たちの役割を」
俺は黙った。
途中で気づいた。
いや、本当はもっと前から違和感はあった。
憤造物を壊すたび、ブレイクスキルボードに増えていく技。
まるで最初から、壊せば成長するように作られていた力。
ビセが創作物を生み出すほど増えていくボード。
まるで最初から、世界を埋めるために与えられていた力。
そして、北へ進むほど聞こえるようになった声。
壊せ。
片付けろ。
掃除しろ。
この小さな世界を、更地に戻せ。
何度も、頭の奥で誰かが囁いていた。
「ああ……」
俺は左手を開いた。
漆黒のブレイクスキルボードが現れる。
以前よりも大きく、重く、深い黒になったそれは、空の裂け目から降る光をすべて吸い込んでいるように見えた。
「俺たちはこの……月の掃除屋だって事だろ」
ビセは嬉しそうに微笑んだ。
「やっぱり兄さんは気づいてくれた」
ここは、星ではなかった。
月だった。
創作世界の周囲を回る、小さな衛星。
俺たちが人間界と呼んでいた場所。
ファーストウッド。
エンドルークス。
俺たちの生まれた島。
そのすべては、創作世界から見れば小さな月の表面にすぎなかった。
そして俺たちは、人間ではなかった。
創作世界にいる創造主。
その何者かによって、人の形を模倣して作られた存在。
この月にいる生物をすべて壊すために生まれてきた、掃除屋。
ビセは創る掃除屋。
俺は壊す掃除屋。
ビセが憤造物を生み、世界を埋め尽くす。
俺が抵抗する創作物を壊し、道を開く。
最後には、この月から人が消える。
それが、俺たちに与えられた役割だった。
「僕はこのあとファーストウッドに戻ります」
ビセは言った。
「残りはその場所だけですから」
その言葉で、胃の奥が冷たくなった。
残りはその場所だけ。
つまり。
ファーストウッド以外の住民は、もうすべて殺してしまったということ。
俺が北へ進んでいる間に。
俺が間に合わなかった町で。
俺が壊せなかった憤造物によって。
ビセは、この世界をほとんど終わらせていた。
もう後戻りはできない。
それは分かっている。
ここまで来る途中で、何度も死体を見た。
人だったものを見た。
誰かが住んでいた家を見た。
子供の玩具を見た。
途中で途切れた手紙を見た。
全部、ビセが作ったものに飲まれていた。
全部、ビセが起こしたことだった。
それでも。
俺には弟を手にかけるなんて、とてもできない。
「ビセ」
俺は一歩前に出た。
「今なら間に合うとは言えない。もうお前は人を殺しすぎた……」
「はい」
ビセはあっさり頷いた。
まるで、それがどうしたのかと言うように。
胸が締めつけられる。
「だから、俺と一緒に罪を償おう」
ビセの表情が、初めて少しだけ崩れた。
「何言ってるんですか?」
「俺と来い。ファーストウッドには戻らせない。レンカたちを殺させない」
「兄さん」
ビセは困ったように笑った。
「感情移入するべきではないです。僕たちは創造主の……」
「俺はこの世界が好きだ!」
叫び声が広場に響いた。
自分でも驚くほど大きな声だった。
ビセが目を見開く。
俺は止まらなかった。
「俺は、この世界の人が好きだ! 俺を馬鹿にしたやつもいた。嫌なこともあった。でも、全部が嫌いだったわけじゃない! 村長も、ミリアも、レンカも、避難所の人たちも、みんな必死に生きてた!」
左手の黒いボードが震える。
「俺は人間じゃないのかもしれない。作られた存在なのかもしれない。掃除屋なのかもしれない」
でも。
「それでも、俺はここで生きてきた! ここで笑って、ここで悔しがって、ここで夢を見た! だったら俺にとっては、この世界が俺の世界だ!」
ビセは黙って聞いていた。
その瞳に、一瞬だけ昔の光が戻った気がした。
崖の上で、二人でゴッドハンドになると約束した日の光。
「でもお前と戦いたくない……」
声が震えた。
「なあ、ビセ。もうやめよう。俺と一緒に、終わったことの責任を取りに行こう。何年かかってもいい。許されなくてもいい。それでも、生きて償おう」
ビセは目を伏せた。
長い沈黙。
空の裂け目から、黒い創作物がまた一つ落ちてくる。
地面に触れる前に形を変え、巨大な腕になる。
ビセが軽く指を振ると、それは静かに地面へ沈んだ。
「兄さんは」
ビセが呟いた。
「本当に、変わりませんね」
「ビセ」
「あまいですね」
白いボードが一斉に輝いた。
広場全体が震える。
地面から柱が生える。
壁が立ち上がる。
刃が伸びる。
歯車が回る。
扉が開き、その奥から無数の兵器創作物が姿を現す。
「僕たちは掃除屋です。与えられた役割を果たさなければならない」
「違う」
「違いません」
「違う!」
俺は左手を掲げた。
漆黒のボードが、白い光を飲み込むように輝く。
「役割なんて知るか! 俺は俺の意思で、お前を止める!」
「では」
ビセの声は静かだった。
「壊してみてください。兄さん」
次の瞬間、戦いが始まった。
無数の兵器創作物が襲いかかる。
「釘抜き!」
腕を落とす。
「継ぎ目崩し!」
脚を崩す。
「打毀・衝打!」
胴体を砕く。
だが、壊したそばから新しい創作物が生まれる。
ビセのビルドスキルは桁違いだった。
木材も鉄材も石材も、地面に落ちた破片すら材料に変える。
一つ壊せば、二つ生まれる。
二つ壊せば、十の刃が伸びる。
俺は走った。
狙うべきは創作物ではない。
ビセ本人だ。
「フライヤー!」
足元から生えた巨大な杭を引き抜く。
「芯断ち!」
壁の魔力線を断ち切る。
「構造崩落!」
階段状に組まれた兵器群をまとめて崩す。
黒い破壊の道が開く。
その先に、ビセがいた。
「兄さんなら、来ると思っていました」
「当たり前だ!」
ビセの背後から、巨大な白い腕が生えた。
いくつもの創作物が融合した、神の手のような腕。
ゴッドハンド。
俺がなりたかったもの。
その名を嘲笑うような、巨大な創造の手。
白い腕が振り下ろされる。
「打毀・貫打!」
黒い魔力の槍を放つ。
白い腕を貫く。
だが、止まらない。
貫いた穴がすぐに塞がり、さらに大きくなって迫る。
避けきれない。
俺は左手を前に突き出した。
「根絶解体!」
漆黒のボードに刻まれた、最後のスキル。
対象の構造を、根から絶つ。
材料同士の結びつきだけでなく、創作物として存在するための命令そのものを解体する技。
黒い光が広がった。
白い腕がほどける。
木材が、鉄が、石が、魔力線が、意味を失ってばらばらに散った。
だが同時に、左腕が悲鳴を上げた。
「ぐっ……!」
骨が軋む。
魔力が削られる。
体の内側まで壊れていくような痛み。
それでも止まれない。
ビセは目の前にいる。
俺は踏み込んだ。
ビセもまた、右手を前に出した。
真っ白なビルドスキルボードが一枚に重なる。
「最終構築」
ビセの声が響く。
広場全体が、一つの創作物へ変わっていく。
地面も。
壁も。
空から落ちた憤造物も。
俺が壊した残骸も。
すべてが組み上がり、巨大な槍となって俺へ向いた。
世界そのものが、俺を貫こうとしていた。
「兄さん。僕と一緒に、役割を果たしましょう」
「嫌だ」
俺は笑った。
「俺は、お前と帰りたい」
ビセの表情が歪んだ。
泣きそうな顔だった。
「……本当に、あまい」
白い槍が放たれる。
俺は左手を突き出す。
漆黒のボードが砕けるほど輝いた。
「打毀――」
もう技名は見えなかった。
ボードの文字が黒く滲み、すべてが一つに溶けていく。
釘を抜く。
継ぎ目を崩す。
杭を抜く。
芯を断つ。
構造を崩す。
根を絶つ。
全部まとめて、壊す。
「終壊!」
黒い光と白い光がぶつかった。
音が消えた。
視界が白く染まる。
次に黒く染まる。
体が浮いたのか、地面に叩きつけられたのかも分からない。
気づいた時、俺は倒れていた。
空が見える。
割れた空。
その向こうに、青い創作世界が浮かんでいる。
綺麗だった。
子供の頃、島から見上げた時と同じように。
遠くて、大きくて、眩しい星。
いつか行ってみたい場所だった。
その青い星を背景に、ビセも倒れていた。
すぐ隣に。
「……兄さん」
かすかな声。
「ビセ」
手を伸ばす。
指先が触れる。
昔みたいに拳を合わせる力は、もう残っていなかった。
「ごめんなさい」
ビセが言った。
それが何に対する謝罪なのか、分からなかった。
島を出たことか。
人を殺したことか。
俺と戦ったことか。
役割に従おうとしたことか。
それとも。
兄のためだと言いながら、兄の好きな世界を壊したことか。
「俺も、ごめん」
何に謝っているのか、自分でも分からなかった。
止められなかった。
救えなかった。
もっと早く追いつけなかった。
もっと早く、弟の苦しみに気づけなかった。
空の裂け目の向こうで、何かが光った。
最初は星かと思った。
だが違う。
高度な宇宙船だった。
創作世界の方角からではない。
裂け目のさらに奥、闇の中から、銀色の巨大な船が降りてくる。
月の空に浮かぶには、あまりにも滑らかで、あまりにも巨大な船。
俺たちの世界のどんなビルドスキルとも違う。
創作物というより、完成された機械のようだった。
宇宙船は、音もなく広場の上に停止した。
船底が開く。
白い光が降りてくる。
体が動かない。
意識が薄れていく。
その中で、声が聞こえた。
「回収対象、二体とも生存」
「破損率、高。だが再利用可能」
「記憶を消せ」
「次の掃除に移る」
誰の声だ。
創造主か。
俺たちを作った者たちか。
ビセの指が、俺の指をかすかに握った。
俺も握り返そうとした。
だが、力が入らなかった。
「兄、さん……」
ビセの声が遠くなる。
白い光に包まれ、俺たちの体が浮かぶ。
エンドルークスが下に見える。
壊れた町。
埋め尽くされた月。
誰もいなくなった世界。
そして、遠く南の方角。
ファーストウッドがまだ微かに光っていた。
レンカ。
ミリア。
避難所の人たち。
生きていてくれ。
そう思った。
思ったはずなのに、その気持ちさえ少しずつ薄れていく。
記憶が剥がされる。
島の海。
村長の声。
ビセの船。
レンカの怒った顔。
ミリアの泣き顔。
黒いボード。
白いボード。
ゴッドハンドになる夢。
全部が、遠くなる。
宇宙船が動き出した。
青い創作世界が窓の外に見える。
けれど、船はその星へは向かわなかった。
地球ではなく、別の方向へ。
暗い宇宙の奥へ。
次の月へ。
次の掃除へ。
俺は最後に、隣で眠るビセの顔を見た気がした。
弟の顔は、泣いているようにも、笑っているようにも見えた。
そして。
俺たちは、自分たちが何者だったのかを忘れていった。
これにて完結となります。
ここまで読んでいただきありがとうございました!