前話も修正しますので、よかったら最初からもう一度ご覧ください。
今州城の喧騒から少し離れた、崖沿いに建つ特賓宿舎。
独自の技術で精製されたエネルギー灯が、夜の静寂の中に柔らかな琥珀色の光を投げかけていた。窓の外を見やれば、今州を囲む険しい山々が、夜の闇に紛れて巨大な怪物の背中のように連なっている。
荒野での目覚め、無冠者との息を呑む激闘、精度高い夜帰軍を率いる忌炎将軍との張り詰めた邂逅。あまりにも濃密すぎた一日を終え、伴星と漂泊者は、あてがわれた一室の長椅子に並んで腰掛けていた。
部屋の外の回廊には、今州の令尹の側近である散華が配置した近衛兵たちが、金属擦れの音を響かせながら物々しい警戒態勢を敷いている。
しかし、その厳重な包囲網すらも、扉一枚を隔てたこの部屋の中に完成された「二人の世界」を侵すことはできない。
昼間、他人の前では「冷静沈着で、どこか神秘的な雰囲気を纏う気高き戦士」として毅然と振る舞っていた漂泊者だったが、二人きりになった瞬間、その張り詰めた糸がふっと緩むのが分かった。
彼女は小さく息を吐くと、隣に座る青年の体温を確かめるように、静かに視線を向けた。
『ハァ……。あの無冠者とかいう化け物、本当に硬かったな。剣を合わせた瞬間、腕の骨が全部持っていかれるかと思ったぜ』
伴星は上着を脱ぎ、医療班の白芷に包帯を巻かれたばかりの己の左肩を軽く回しながら、苦笑交じりに隣の漂泊者を覗き込んだ。
彼の瞳にあるのは、自身の負傷に対する顧みなどではなく、ただひたすらに、己の半身である少女が無事であるかという一点のみだった。
『漂泊者、本当にどこも痛まないか? 無冠者のあの不気味な槍、実は当たってたりとかしてないか?』
「うん、大丈夫。言ったでしょう、君が真っ先に前に出て、私の盾になって護ってくれたから。私はどこも痛くないよ」
漂泊者は柔らかく微笑みながら答えた。その声は、昼間に見せていた無機質なそれとはまるで異なり、温かい熱を孕んでいる。
彼女は長椅子の上を滑るようにトコトコと伴星の側へと身体を寄せ、当然のような自然さで、彼の胸元に頭を預けて添い寝した。
人前でのクールで超然とした姿からは想像もつかないような、あどけなく甘えた距離感。
彼女は伴星の胸に巻かれた、まだ新しい白く清潔な包帯にそっと指先を触れ、その奥にある確かな心臓の鼓動に耳を澄ませた。
「でも、君が傷つくのはもう嫌だな。本当は、君に痛い思いなんてさせたくない。次は、私が君の前に立って、君を護る盾になるから」
『はは、頼もしいな。相棒にそう言ってもらえるのは男冥利に尽きるよ。だけど──それはお断りだ、漂泊者』
伴星は何の気負いもなく、爽やかな笑みを浮かべて彼女の柔らかな髪を優しく撫でた。その手つきには、彼女を大切に思う慈しみが満ちている。
『俺はお前の【伴星】だからな。主星であるお前の前に立って、あらゆる敵を叩き切る。それが、俺が目覚めた瞬間から魂に刻まれている存在理由だ。理屈じゃなく、身体が、魂がそうしろって叫んでるんだよ。だから、盾になる役目は俺に譲れ』
「もう……頑固だな、伴星は」
漂泊者は少しだけ不満そうに唇を尖らせたが、その表情には深い愛おしさが滲んでいた。ドロリとした重苦しい依存ではなく、お互いが世界で唯一の「絶対の安心を生むホーム」であるような、爽やかで甘い特別な時間。
記憶のない暗黒の世界に放り出された二人にとって、この互いの重力だけが、自分たちがここに存在していいという証明だった。二人はそれ以上言葉を交わすことなく、ただ互いの体温を分け合いながら、静かに今州の夜の深淵を往くのだった。
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翌朝、夜明けと共に今州の街が活気を取り戻し始める頃、コンコン、という規則正しく、かつ硬質なノックの音が部屋に響き渡った。
その音が響くわずか一秒前、漂泊者は滑らかな所作ですっと伴星の身体から身を離し、長椅子の端へと居住まいを正していた。
他人の前で過剰にベタベタと甘えることはしない。それは彼女が本能的に理解している戦士としての節度であり、スマートさだった。扉が開いた瞬間、そこにいたのはいつもの「感情の読めない、静かでクールな漂泊者」の姿だった。
部屋に入ってきたのは、令尹の忠実な側近である散華(サンカ)だった。彼女は自身の能力である氷の周波数を微かに纏い、感情の起伏を一切見せない冷徹な瞳のまま、二人の前に立った。
「朝早くに失礼します。漂泊者様、伴星様。……令尹・今汐様からの極めて重要な伝言を携えて参りました」
『今汐からの? 確か、俺たちと会いたがっているって聞いていたが、何か状況が変わったのか?』
伴星が長椅子からスッと立ち上がり、散華に対面する。漂泊者もまた、その隣に流れるように並び、凛とした佇まいで散華を見つめた。二人の間に流れるのは、公私の区別を完全にミリ単位でコントロールした、息の合った最高の相棒同士の空気感だった。
散華は、懐から重厚な造りの金属製の令牌を取り出した。今州城のシンボルである、天へと昇る龍の姿が精巧に刻まれたその令牌は、鈍い黄金色の光を放ち、それ自体が凄まじい権威を持っていることを無言で示していた。令尹の代理人であることを証明する、最高位の通行証である。
「はい。今汐様はお二人との謁見を何よりも重んじられております。ですが現在、今州城の内縁に位置する『中部渓谷』付近にて、ハザード級の周波数の乱れ、および大規模な残響の活性化が観測されました。今州の物流の要を預かる身として、今汐様は現在、その防衛と対処のために前線に拘束され、身動きが取れない状態にあります。謁見の延びたお詫びと、そして……お二人への最大限の信頼の証として、この『令尹の令牌』を託されました」
散華は両手で令牌を捧げ、伴星へと差し出した。
「これがあれば、お二人は今州城内のあらゆる場所に立ち入る権限を持ち、皇龍会、夜帰軍の双方から最大限の協力を得ることができます。……今汐様は、あなたの失われた記憶の手がかりが、その中部渓谷の異変の渦中にある可能性が高い、と予見されています」
『令尹の令牌……。大層なものを渡されたな。漂泊者の記憶の手がかりがあるなら、俺たちにとっても好都合だ。ありがたく受け取っておくよ』
伴星は令牌を代理として受け取ると、それを漂泊者の手にそっと手渡した。漂泊者は令牌を見つめ、それから散華に向かって真っ直ぐな、温かい眼差しを向けた。
「ありがとう、散華。今汐様の信頼に必ず応えるよ。中部渓谷の異変、私たちが解決してみせる」
その凛とした主人公としての頼もしさに、散華は一瞬だけ瞳を丸くし、それから微かに目元を和らげた。
「……お二人なら、そう言ってくださると信じておりました。外で秧秧が待機しております。……お気をつけて」
散華はそれだけを言い残し、静かに部屋を後にした。
散華と別れ、宿舎の外で待っていた秧秧と合流した二人は、目的地である中部渓谷へと歩みを進めていた。
今州城の美しい街並みと喧騒が遠ざかるにつれ、徐々に草木が枯れ果てた荒涼とした景色が広がり始める。渓谷の入り口に近づく頃には、大気は不気味な黒い霧に覆われ、地鳴りのような残響(TD)の汚染ノイズが鼓膜を不快に揺らし始めていた。
世界が歪み、周波数が反転していくかのような不吉な波動が、周囲の空間をピリピリと緊張させていく。
「気をつけてください、お二人とも。中部渓谷の汚染深度は、昨日の無冠者戦以降、尋常ではないレベルにまで達しています。まるで……世界そのものが、目に見えない巨大な何かに怯えて、悲鳴を上げているようです」
秧秧が風の周波数を纏った美しい青い刃を構え、周囲の濃霧を警戒しながら進む。彼女は一度足を止めると、そっと瞳を閉じ、風の流れと音に神経を集中させた。彼女の持つ優れた「聴覚」の共鳴能力が、遠く離れた渓谷の奥から伝わる世界の悲鳴を聴き取っていた。
「……風が、酷く哭いています。世界の真実を捻じ曲げ、人々を破滅へと誘う、禍々しい残響の気配……。そして、秧秧は……この世界の再生と称して、悲鳴を呼び寄せる狂信集団、【残星組織(フラクトシデス)】の気配を、風の中に感じます」
秧秧の透き通った声には、明確な恐怖と強い警戒が滲んでいた。
「彼らは、この世界が一度完全に滅び、再構築されることでしか、人類の真の進化は訪れないと考えている過激な集団なのです。そのために、意図的にハザード級の残響を呼び寄せたり、人為的に災害を引き起こしたりしています。昨日、お二人の前に現れた『無冠者』も、もしかしたら彼らが裏で糸を引いていたのかもしれません。彼らは人の心の隙や、失われた記憶という弱みに付け込むのがとても上手なのです……どうか、彼らの言葉に惑わされないでください」
霧がさらに濃くなり、一寸先も見えないような暗闇が周囲を支配し始める。秧秧がその不気味な気配に、無意識に身を固くし、肩を小さく震わせた。
すると、漂泊者がそっと秧秧の隣に歩み寄り、その少し冷たくなった手を、自身の温かい両手で優しく包み込んだ。
「大丈夫だよ、秧秧。あなたがこうして、私たちのために風の道標になってくれている。だから、私たちはどんな霧の中でも迷わずに進めるの。いつも私たちのために危険な場所を案内してくれて、本当にありがとう」
漂泊者の、記憶はなくても真っ直ぐで、心の奥底に染み渡るような温かい言葉に、秧秧はハッとしたように目を見開いた。じわじわと胸に広がる温かさに、パッと表情を明るくした。
「漂泊者さん……! はい、私、お二人の案内役として、精一杯サポートします! どんな風の音も聞き逃しません!」
『あはは、俺の相棒はやっぱり天然の人たらしだな。これじゃあ夜帰軍の連中がイチコロになるわけだ。──よし、秧秧、漂泊者の言う通りだ。前衛の荒仕事は全部俺と漂泊者で完全に固める。お前は後ろから、自慢の風で俺たちの背中をぐっと押してくれ。お前の風があれば、俺たちはどんな敵が来ても無敵だ!』
伴星が爽やかに笑いながら、腰に帯びた愛刀の柄をポンと頼もしく叩いた。その、前線でみんなを引っ張るヒーローのような、圧倒的な格好よさと包容力に、秧秧はドキンと胸を大きく跳ねさせた。
漂泊者と伴星の間に流れる絶対的な信頼感。それは他者が容易に割り込めるものではないが、今の秧秧には、それが疎外感ではなく、むしろ「この二人と一緒に、対等な仲間としてどこまでも歩んでいきたい」という、心地よい憧れと特別な親愛の情へと変わっていた。秧秧は二人の顔を見つめ、力強く微笑み返すのだった。
黒い霧が立ち込める中部渓谷の最深部へと足を踏み進めた。
その瞬間、周囲の空気が劇的に一変した。
大気がねじれ、渓谷全体が上下左右を反転させたかのような歪な閉鎖空間へと変貌していく。そびえ立つ岩壁には、不気味に干からびた「泥で作られた人形」や、血のように赤い「羊の仮面」が、まるで呪物のように点々と打ち捨てられていた。
「これは……残星組織(フラクトシデス)の儀式の跡? いえ、まるで誰かが私たちを歓迎するために、わざと用意した舞台(ステージ)のような……」
秧秧が周囲の異常を察知して声をあげた、まさにその瞬間だった。
空間がぐにゃりと波打つように赤黒く染まった。景色から急速に現実の色が失われ、代わりに赤い茨と無数の羊の仮面が宙を舞う完全な閉鎖空間──「幻境」へと引き込まれたのだ。
「漂泊者さん! 伴星さん!」という秧秧の叫び声が、障壁の向こうへと急速に遠ざかっていく。
彼女は幻境の境界線によって外へと分断され、気付けばこの歪んだ世界の中心には、漂泊者と伴星の二人だけが孤立するように幽閉されていた。
パチ、パチ、パチ、と、不気味なほど場違いな、乾いた「拍手の音」が空間に響き渡った。
「素晴らしい! じつに素晴らしいよ! ようこそ、僕の可愛い子羊たち。いや──新世界を創り変える神の器、漂泊者様!」
黒い霧を乱暴に割りながら姿を現したのは、燃えるような赤髪を狂おしく逆立て、白と黒のトランプの道化を思わせる奇抜な衣装を纏った男だった。彼の瞳は狂気と歓喜にギラギラと怪しく輝き、全身からは禍々しい残響エネルギーが波動となって溢れ出ている。
『……何者だ、お前。漂泊者、俺の後ろに下がれ』
伴星が即座に漂泊者の前に一歩出ると、力強く刀を抜き放ち、その鋭い切っ先を未知の男へと向けた。漂泊者もまた、人前での静かな佇まいから一転、凛とした鋭い構えで彼を見据え、その身体から黄金の周波数を微かに明滅させた。
「おっと、初対面なのにそんなに殺気立たないでくれ! 礼儀がなってなかったね。お近づきの印に、僕の【名前】を教えてあげるさ」
男は芝居がかった仕仕草で胸に手を当て、深く頭を下げて見せた。不敵な、そして底知れない狂気を孕んだ笑みが、その口元に刻まれている。
「僕はスカー。この世界の偽りの平穏を壊し、真の再生を導く『残星組織』の幹部さ。以後お見知り置きを、僕の主役たち!」
「スカー……。あなたが、秧秧の言っていたフラクトシデスの……」
漂泊者が冷徹な声でその名を呼ぶ。伴星もまた、剣を握る手に力を込め、スカーという男の危険性を本能で察知していた。
「そう、その通り! せっかくの素晴らしい出会いだ、まずは僕の可愛い『お芝居』に付き合ってくれよ」
スカーはニヤニヤと歪んだ笑みを浮かべ、幻境の中に配置された、かつて今州によって見捨てられたという村の残骸、外縁に転がる無数の泥の人形を大袈裟なジェスチャーで指し示した。
「さあ、伴星クン。その泥の人形をよく観察してごらん? 何が見える? かつてここには『落花村』という、それはそれは美しい村があった。けれど、ある日突然、残響の恐ろしい汚染に襲われたんだ。村人たちは必死に今州に助けを求めた。だけど、当時の令尹や夜帰軍は何をしたと思う? ──彼らはね、自分たちの今州の平穏を守るために、村ごと情報を封鎖し、見捨てたのさ! 彼らの正義なんて、そんなものさ!」
スカーは狂ったように笑いながら、伴星に人形を調べさせ、フラクトシデスが語る「今州の欺瞞」を推理させるように言葉を重ねていく。
「あるところに、純潔で美しい一頭の『羊』がいました。村人たちはその羊を愛し、守っていると言った。けれど、それは真っ赤な嘘さ。村人たちは、羊の『肉』を食らい、その『毛』を毟り取るために、囲いの中に閉じ込めていただけだったんだ。……ねえ、漂泊者様。君はこの物語の羊が、誰のことか分かるかい?」
スカーは一歩、また一歩と不気味なステップで距離を詰めながら、芝居がかった仕仕草で天を仰いだ。
「君だよ、漂泊者様。今州の連中はね、君のその強大すぎる力を恐れ、利用し、都合の良い『神』として神輿に担ぎ上げようとしているだけさ。あるいは、君の隣にいるその男……」
スカーの蛇のように冷酷な視線が、伴星へと向けられる。
「そこにいる『伴星』クン。君も同じさ。君は漂泊者様の『安全弁』なんて高尚なものじゃない。彼女の無限の神威をちっぽけな人間の器に閉じ込め、彼女の本来の目覚めを妨げている……ただの『足枷』であり、最も残酷な『飼い主』なんだよ! 記憶を無くしてもなお彼女を自分に縛り付ける、君のその『守る』という独善こそが、彼女への搾取だと思わないかい? 君がそこにいる限り、彼女は永遠に本当の自分を取り戻せない。君という優しい『檻』のせいでね!」
『……足枷、だと?』
伴星の眉が不快そうに跳ね上がった。しかし、彼はスカーの精神的な揺さぶりに屈することはなかった。彼は冷静に泥の人形を見つめ返し、スカーの欺瞞を見破るように言葉を返した。
『お前が俺たちの絆をどう歪めようと勝手だがな、スカー。俺たちがこうして隣にいるのは、誰に命令されたからでも、利用するためでもない。俺の魂が、そうしたいと決めたからだ。それに、過去の今州がどうあろうと、俺がこの剣で守るのは、今ここにいる漂泊者と、俺たちを信じてくれた仲間だけだ。お前のくだらない紙芝居に付き合う気はねえよ』
「よく言ったね、伴星。……スカー、君がどれだけ私たちの言葉をねじ曲げようとしても、私たちの信頼は変わらない。私たちは二人で一つだ。君の言葉に、揺らぐようなものは何一つないよ」
漂泊者もまた、凛とした、芯の通った力強い声で伴星の言葉に和応した。その主人公としての圧倒的な信頼関係を前にして、スカーは一瞬表情を硬らせたが、すぐに狂気的な歓喜を爆発させた。
「意思のある足枷か! じつに、ますます傑作だね! だったら、その美しい絆とやらが、僕の圧倒的な破壊の衝動の前にどこまで耐えられるか……ここで木っ端微塵に試してみようじゃないか!!」
スカーがそう叫んだ瞬間、彼の全身から血のように赤い雷光が爆発的に噴出した。彼自身が巨大な赤い肉食獣のような周波数の塊と化し、超高速で二人へと肉薄する。
ギギギギギギギギッ!!!
伴星の放った鋭い一閃と、スカーが顕現させた禍々しい大鎌が正面から激突した。幻境全体を揺るがすほどの凄まじい衝撃波が吹き荒れ、周囲の岩肌に亀裂が走り、赤い茨が一瞬で消し飛ぶ。伴星は前線で牙を剥くヒーローのように、一歩も退かずにその大鎌の重圧を力強く押し返した。
「ハハハ! 守るための剣! 誰かのために振るう刃! じつに退屈で、じつに脆いなぁっ!」
スカーは空中へと高く跳躍すると、手にした不気味なトランプを空中へと無数に撒き散らした。それらは「空中から降り注ぐ赤いトランプの雨」──すなわち、触れれば肉体を焼き切るレーザー状の斬撃と化して、二人の頭上から容赦なく降り注ぐ。
さらに地面からは、プレイヤーの足を止める「時間差で激しく破裂する不吉な茨の罠」が次々と湧き出し、妖しく明滅を始めた。
『漂泊者、罠の配置を読め! 俺が正面から突っ込んで光路を開く、合わせてくれ!』
「了解! 伴星、左から来る斬撃に気をつけて!」
『分かってる!』
伴星は自身の持つ光の周波数を限界まで高め、刀身に眩い輝きを宿らせた。彼は降り注ぐトランプの雨を強引に高速の剣撃で弾き飛ばしながら、足元から迫る茨の罠を完璧なタイミングのステップで躱していく。前線を鮮やかに切り開く伴星の姿は、まさに戦場の主役そのものだった。
スカーの鋭い大鎌が掠め、彼の衣服が引き裂かれ、鮮血が傷口からじわりと滲むが、伴星の闘志は一切衰えない。それどころか、その瞳はより一層鋭く輝きを増していく。
その伴星が作った、スカーの一瞬の隙を見逃さず、漂泊者が黄金の衝撃波を纏ってスカーの死角へと光速で肉薄した。記憶はなくとも、その卓越した戦闘センスと身のこなしは、無敵の主人公そのものだった。
「これで終わりじゃないよ、スカー! はぁぁぁっ!」
漂泊者の鋭い回し蹴りと同時に放たれた黄金のエネルギー波が、スカーの胸元を正確に捉えた。ドォン!という重低音と共に、強烈な衝撃波が幻境の空間全体を激しく震わせる。スカーは防戦一方となりながらも、楽しそうに後方へと吹き飛んでいった。
「さあ、見せてあげるよ。フラクトシデスの、世界の、本物の『再生』の形をねぇぇぇ!!」
着地したスカーが狂ったように叫ぶと、彼の身体が真っ赤な炎と黒い泥のような禍々しい残響エネルギーに包まれ、急速に膨れ上がり始めた。
バリバリ、ゴキゴキと骨の軋む不気味な音が幻境に響き渡る。彼の身体は人間を超越した【第二形態】──巨大な一つ目の仮面を顔面に張り付け、背中からはカードを模した巨大な羽を広げた、圧倒的な威圧感を放つ異形の魔人へと変貌を遂げていった。
「ハハハハハハ! 壊れろ、壊れろ、すべて壊れろ!!」
第二形態となったスカーが地を蹴った瞬間、その速度は音速を超えた。空間そのものが置き去りにされる。
ドガァァァァン!!!
大鎌と巨大な爪が、空間自体を圧縮するような凄まじい重力攻撃を伴って、二人を同時に襲う。大気が軋み、視界が真っ赤に染まるほどのエネルギーの奔流。だが、二人は決して怯まなかった。
伴星は光の周波数を限界まで刃に纏わせて光の防壁を築き、漂泊者は黄金の衝撃波を全方位に展開して、その異形の猛攻を正面から迎え撃った。
互いの背中を完全に預け合い、言葉を出さずとも伝わる寸分の狂いもない完璧な同調(シンクロ)。
伴星がスカーの巨大な爪を渾身の力で受け止め、激しい火花が散る。その一瞬の隙を突いて、漂泊者がスカーの懐へと滑り込み、掌から漆黒の波動を叩き込む。スカーの巨体が大きく揺らぎ、幻境の壁が二人の合技によって激しくひび割れていく。
「素晴らしい! じつに素晴らしいよ、お二人さん! だけど、僕の目的は君たちをここで倒すことじゃない。その『神の器』が、本当に僕たちの新世界に相応しいか、確かめたかっただけさ!」
激しい衝突の最中、スカーは不気味に一つ目の奥を紅く光らせると、大きく後方へと跳躍した。
彼が指を鳴らした瞬間、幻境の空間全体がガラスのように粉々にひび割れ、元の濁った黒い霧の立ち込める中部渓谷の景色へと戻っていく。遠くからは、異変を察知して駆けつけてくる今州の防衛部隊の足音が響き始めていた。
「おっと、今州の猟犬どもが嗅ぎつけてきたようだ。今日の劇場はここまで。だけど忘れないで、漂泊者様。君の隣にいるその『伴星』こそが、君を狭い世界に閉じ込める檻なんだってことをね……。ハハハ、アハハハハハ!」
狂おしい笑い声を残し、スカーの巨体は赤い雷光と共に、霧の向こうへと完全に掻き消えた。
「漂泊者さん! 伴星さん! 無事ですかっ!?」
幻境が解けた瞬間、風の刃を構えた秧秧が、息を切らせて二人のもとへと懸命に駆け寄ってきた。周囲にはまだスカーが放った不吉な赤いエネルギーの残滓が火花のように漂い、地面は深く抉れている。
『ああ、俺たちは大丈夫だ。スカーは逃げたよ』
伴星は剣を鞘に収めながら、少し乱れた息を整えた。胸や肩の傷口からじわりと血が滲んでいるが、その顔にはいつもの爽やかで頼もしい笑みがあった。
「伴星さん、そのお怪我が……こんなに血が……っ」
秧秧が青ざめて駆け寄ると、漂泊者はいつもの落ち着いた様子で、優しく秧秧の肩に手を置いた。その手の温もりに、秧秧はハッとして動きを止める。
「大丈夫だよ、秧秧。伴星の怪我は私が後でちゃんと手当てするから、そんなに心配しないで。それよりも……私たちがスカーの幻境に閉じ込められている間、外の残党を一人で抑えていてくれたんだね。本当にありがとう、君のおかげで助かったよ」
漂泊者は周囲に転がる残党の残骸を見て、秧秧の健闘を真っ直ぐに、心からの敬意を込めて称えた。その、誰もを公平に思いやり、感謝を忘れない主人公としての器の大きさに、秧秧は胸を熱くした。
「ううん、私は……お二人が無事で、本当に本当によかったです……っ」
『おいおい、そんなに泣きそうな顔をするなよ、秧秧。お前が外で風の結界を維持して、周囲の周波数を安定させてくれていたから、俺たちも背後を気にせず全力で戦えたんだ。今回の戦いのMVPは、間違いなくお前だよ』
伴星がそう言って、少し照れくさそうに笑いながら、秧秧の頭をポンポンと優しく、軽く叩いた。
漂泊者はそれを見て、嫉妬に狂うわけでもなく、ただ「そうだね」と嬉しそうに微笑んでいる。その二人の開かれた、けれどもしっかりと中心にある強い絆と、自分を対等に扱ってくれる優しさに触れ、秧秧の胸の奥にある感情は、単なる仲間への親愛から、より深くて「特別な好意」へと、じんわりと心地よく色を変えていくのだった。
「……はい! 私、もっと強くなって、お二人の力になります。……さあ、今州城へ戻りましょう! 白芷さんに傷を診てもらわないと!」
秧秧は満面の笑みを浮かべ、二人の先頭に立って歩き出すのだった。
渓谷での激闘を終え、夕暮れに染まる今州城の堅固な城門へと到着した一行。散華の待つ特賓宿舎のエントランスでは、相変わらず氷のように冷徹な雰囲気を纏った散華が、寸分の隙もない美しい立ち振る舞いで彼らを迎えた。
「おかえりなさい、お二人とも。フラクトシデスの幹部・スカーを退け、中部渓谷の安全を完全に確保したという報告は、すでに伝令鳥によって受けております。今州の危機を救っていただいたこと、令尹の側近として、深く感謝いたします」
散華は事務的に、けれど確かな敬意と安堵を込めて深く一礼した。その鋭い瞳は、激戦を終えて帰還した二人の姿を静かに見届けた。
伴星の胸や肩の傷は深く、衣服は裂けて血に染まっている。それでも、二人は人前では必要以上に密着することなく、一歩離れた「信頼し合う最高の相棒」としての節度ある距離を保っていた。漂泊者の顔にも、相棒を心配しつつも、凛とした誇り高い戦士の表情が浮かんでいる。
(フラクトシデスの幹部を相手に、これほどの負傷を負いながら、この毅然とした佇まい……。二人の繋がりは、単なる依存ではない。お互いがお互いを高め合う、本物の『双星』なのですね。……今汐様が彼を想うお気持ちの理由が、少し分かった気がします)
散華は胸の内でそう呟きながら、表情を崩さずに言葉を続けた。
「ええ。スカーが残した言葉、およびお二人が戦いの中で放った周波数の解析により、失われた記憶の『最初の手がかり』が整理されつつあります。……今汐様も、お二人との謁見の準備を完全に整えられました」
散華は一歩下がり、宿舎の奥へと続く、美しい今州織の絨毯が敷かれた回廊を示した。
「明日、お二人を今州の最高庁舎へとご案内いたします。そこで、お二人の失われた過去、およびこの世界の真実について、今汐様からすべてをお話しすることになるでしょう。今汐様も、特にお二人──伴星様との再会を、心より待ち望んでおられます。……今夜は、どうかごゆっくりお休みください」
「ありがとう、散華。明日を楽しみにしているよ」
漂泊者は優しく微笑み、伴星と共に部屋へと歩みを進めた。その背中を見送りながら、散華は静かに胸元から、今州独自の通信端末を取り出すのだった。
散華や秧秧たちと別れ、ようやくあてがわれた部屋へと戻った二人。
バタン、と重厚な木の扉が閉まり、完全に外の世界から隔絶された瞬間──二人は同時に「ふぅ……」と大きなため息をついて、身体の緊張の糸を解いた。
『あーー、疲れた! あのスカーとかいう道化師、まじで強すぎだろ……。第二形態のあの重力攻撃、本気で死ぬかと思ったぜ』
包帯だらけの伴星が長椅子に仰向けにゴロンと、無防備に転がると、漂泊者はトコトコと近づいてきて、当然のように伴星の胸元に頭を乗せて添い寝した。人前での「頼れる凛とした主人公」の顔はどこへやら、二人きりになった瞬間、いつもの極上に甘い特別空間へと早変わりする。
「……伴星、お疲れ様。やっぱり君の隣が、世界で一番落ち着くなぁ」
『おいおい、いきなり乗っかるなよ、傷に響く……って、冗談だ。お前のこの適度な重さが、一番安心するや。戦いが終わったって実感が湧く』
伴星は苦笑しながらも、愛おしそうに漂泊者の髪を指先で優しく撫でる。漂泊者もまた、伴星の胸の規則正しい鼓動を聴きながら、あどけない幸せそうな笑みを浮かべて彼の手をぎゅっと握りしめた。
「人前ではちゃんとしてるよ。みんな良い人だし、秧秧ともたくさんお話しして仲良くなれた。傷だらけだけど、手当てすればすぐ治るよ。でもね、二人きりの時は、こうして君の特等席にいたい。私の半分は、君でできているから。スカーが何を言おうと、君が私の『檻』で、私が君の『檻』だよ。お互いがいないと、私たちはきっと立っていられないから」
『贅沢な特等席だな。……でも、俺もお前が隣にいないと落ち着かないや。お前がどこまで遠くへ行こうと、俺がお前の足枷になって、ずっとこの地上に繋ぎ止めておいてやるよ。だから、安心して俺の隣にいろ』
重苦しいドロドロした依存ではなく、お互いが世界で唯一の「絶対の安心を生むホーム」であるような、爽やかで、けれど誰にも邪魔できない特別すぎる時間。二人はそうして静かに笑い合い、魂の絆を再確認するのだった。
同じ頃、特賓宿舎の屋上回廊。夜風が散華の髪を冷たく揺らす中、彼女の手にある通信端末が、青白く静かな光を放っていた。暗号化された回線が繋がり、端末の向こうから、凛としながらも、どこか儚さを帯びた若き令尹・今汐(コンシ)の声が響く。
『──散華ですか。中部渓谷の様子は、どうでしたか?』
「はっ。今汐様。ご報告いたします。フラクトシデスの幹部・スカーが幻境を展開し、漂泊者様と伴星様を強襲。しかし……お二人は見事な連携をもってスカーを退け、渓谷の汚染周波数を完全に鎮圧されました。お二人とも健在です。……ただし、伴星様が前線で漂泊者様を庇い、少なからぬ負傷を負われております」
『……! 伴星様が、お怪我を……!?』
端末の向こうで、今汐が小さく息を呑む気配が伝わってきた。普段、今州の長として決して揺らぐことのない彼女の声が、明らかな動揺と、痛切なまでの切なさを孕んで微かに震えている。
『深刻な傷なのですか……? 医療班は、白芷は手当てを行っているのですか……?』
「ご安心ください、今汐様。命に別条はなく、すでに手当ては済んでおります。……ただ、潜入した密偵の報告によりますと、お二人の絆は、我々の想像を遥かに超えて強固なものです。スカーのいかなる精神攪乱の言葉も、二人の調和を乱すことはできませんでした。それどころか、戦いの後、二人は誰の目も届かない部屋の中で、互いを唯一の存在として深く寄り添い合っているとのことです」
『……そうですか。二人は、それほどまでに……』
今汐の声から、急速に温度が失われていく。それは怒りではなく、深い、深い愛執と寂寥が入り混じった切ないノイズだった。かつて失われる前の、自分と伴星との間にあったかもしれない絆。それを、記憶を無くした彼は、いま漂泊者との間に完璧な形で築き上げている。
『……分かりました。明日の謁見、私は今州の令尹として、そして……一人の共鳴者として、お二人をお迎えします。散華、最後までお二人の警護を。……特に、伴星様を、よろしく頼みます』
「御意のままに、今汐様」
通信が切断され、夜の静寂が再び散華を包み込む。
明日出会う若き令尹・今汐が、自分たち(特に伴星)に対してどれほど複雑で重い愛執のノイズを募らせているか。そして、その今汐の想いに触れた時、二人のこの完璧な調和がどう揺れ動くのか。伴星はまだ、何一つ知る由もなかった。
「さあ、明日も早い。俺たちの、新しい始まりへ行こうか」
『うん。一緒に行こう、伴星』
翌朝、東の空から美しい旭光が差し込む中、伴星は前を見据え、漂泊者を促すように歩みを一歩進める。
漂泊者は、いつもの澄ました「頼れる最高の相棒」の顔で彼の隣に並びながらも、その誰も見ていない瞳の奥に、二人だけの甘やかな誓いを秘めて、光の中へと歩みを進めていくのだった。
ご覧いただきありがとうございます!
本当は鑑真とかモルトフィーとか出したかったのですが、きりがないので今回はカットしました。
改めて実際に小説を書いてみると、鳴潮のストーリーってホントすごいんだなって感じます...
スカー編、これでもだいぶカットしました、実際のストーリーでもスカー編だけで45分くらいあるのとんでもないです
漂泊者を原作通り人たらしに変更しました、漂泊者と主人公の恋愛?を見たくて書いていたのですが、途中で「これはないな...」となって3話目にして作り直しです。
ヤンデレ?漂泊者か今の原作寄り漂泊者か、どちらがいいか感想お待ちしております!
評価、感想お待ちしております!これからもよろしくお願いいたします!