月の王とかぐや姫 作:名無しのマスター
「ぎゃああああ!」
次の日、念のため、彩葉の部屋で寝た私の眠りを妨げたのは彩葉の汚い悲鳴だった。何だろうと顔を上げると彩葉のパジャマに水を零したようなシミが広がっている。そして、視線を落とせば昨日、突如として現れた赤ん坊の下半身と布団もびっしょり。
「やられたね」
「もー、最悪……白野、片付け手伝ってくれる?」
「いいよ」
私が頷くと同時に彩葉は我慢ならないと着替えを持って洗面所へ入っていく。その音で起きたのか、赤ん坊は眠たそうな顔で周囲を見渡し、私を捉えた。
「おはよ」
「あーい」
あら、返事がお上手なことで。えらいえらいと赤ん坊の頭を撫でているとふと違和感を覚える。目の前できゃっきゃと笑う赤ん坊のサイズが明らかにでかい。本当に一晩で成長したらしい。
(ベビー用品は数日分でいいって言ってたけど一気に大人になるってこと?)
「ふえぇ」
「おっと、ごめんね」
少し考え事をしていたら赤ん坊が泣き始めてしまう。おそらく、下半身の冷たさに気づいたのだろう。私は急いで赤ん坊の着ている服を脱がせ、アルコールが含まれていないウェットシートで綺麗にしていく。当たり前だが女の子だった。
「はい、綺麗になったよー」
「きゃっきゃ」
すっきりした様子で笑う赤ん坊に思わず口元が緩む。しかし、今の彼女は全裸。唯一の服もびちゃびちゃなので着る服がなく、このままでは風邪を引いてしまう。
「えっと……」
さっとスマホで検索し、清潔なタオルで赤ん坊を包むやり方を調べる。扉越しにタオルを借りることを彩葉に伝え、見よう見まねで包んでいく。幸い、特に暴れなかったので綺麗に包むことができた。
「ごめん、白野。そっちは?」
「赤ん坊の方だけ終わった。布団の処理はまだ」
「わかった。じゃあ、私がやるから朝ごはんの準備お願いできる? 冷蔵庫の中のもの勝手に使っていいから」
「あーい!」
「いや、君が返事してどうすんのさ」
彩葉の言葉に赤ん坊が元気よく返事をして私たちは小さく笑い声を漏らす。昨日はどうなることかと思ったがこの調子なら何とかなるだろう。
「え、ベビー用品ってこんなにするの……」
そう思っていた時期が私にもありました。
タオルだけでは確実に健康に悪いため、私と彩葉はベビー用品を買いにきたのだが、値段が想像以上に高かった。しかも、オムツ、哺乳瓶、粉ミルク、服など買うものも多く、彩葉の顔色がみるみるうちに青ざめていく。
「とりあえず、数日分だけ買おう。この先どうなるかわからないんだし」
「そう、だね」
赤ん坊を抱っこしたまま、数日分だけ買うように誘導する。常にお金のない彩葉は特に反論することなく、素直に頷いてくれた。
「私の方で払っておくね」
「後で折半だからね」
「わかってるって」
彩葉が買い物カゴを持った隙にささっとお支払いを済ませてしまう。両親の遺産がある私の方が余裕はあるし、アシスタント業のお賃金に関しては普通のバイトより多く貰っている。
「お支払いはいかがしますか?」
「現金で」
「あれ、『ふじゅ~』じゃないんだ」
「ふじゅ~?」
お財布からお金を取り出しながら彩葉の方へ振り向く。確かツクヨミで使われている仮想通貨の名前だったはずだ。何故、現実でその名前が出てくるのだろう。
「あ、白野ってツクヨミにログインしたことないんだっけ? 後で教えてあげる」
「うん?」
気になったが今はお会計を先に済ませてしまおう。手早くお金を払い、二人で手分けして荷物を持って彩葉の部屋に帰宅した。
「じゃあ、この子を着替えさせてミルクあげよっか」
「たい♡」
「だから、あんたが返事してどうすんのって」
そんなコントをしながら私たちは慣れない手つきで赤ん坊のお世話をする。ミルクをあげようとして普通に火傷したし、着替えさせようとした瞬間、赤ん坊が洪水を起こして咄嗟にオムツでガードしたり、となかなかの戦いだった。
「それで『ふじゅ~』なんだけど」
すっかり夜も更け、お互いに寝る準備をしていた頃、彩葉が思い出したように『ふじゅ~』の話を持ち出した。どうやら、ツクヨミの仮想通貨だと思っていたそれはリアルマネーとしても使えるらしく、彩葉も小遣い稼ぎ目的でゲームをしているらしい。芦花と真実曰く、腕前は素人から見ても上手く、下手するとプロ並みだとか。
「『ふじゅ~』はツクヨミで使っても良し。現実で買い物する時に使っても良し。推し活するのに使っても良し……正直、私は大変助かっております」
「お金ないのにヤチヨにスパチャしてるなって思ってたけどそれのおかげか」
どんなにお金がなくても推し活するオタクの鑑だと思っていたのだが、そんなカラクリがあったとは。
「まぁ、私の場合は本当に小遣い稼ぎだよ。『ふじゅ~』だけで暮らしていけるのは人気ライバーとかかな」
「ライバー?」
「そう、『ふじゅ~』は人の心を動かした時に支給されるの。ライバーは配信活動をしてリスナーを喜ばせるだけでお金がもらえるってわけ」
「……」
なんだろう、嫌な予感がする。いや、待て。私はライバーじゃない。だから、関係ないはずだ。かれこれ一年以上ヤチヨのアシスタントをしていたがあくまでヤチヨのチャンネル。だから、私は――。
『もっちろん、関係あるんだなー、これが! ヤッチョが代わりに手続きしておいたから白野もばっちり『ふじゅ~』貰ってるよ!』
お風呂に入るため、赤ん坊を彩葉に任せた私は自分の部屋に戻ってすぐにヤチヨを呼び出し、『ふじゅ~』のことを聞いたのだが、彼女は普通に笑って裏切った。
「そんなの見たことないんだけど」
『白野が気にしなさすぎなんだよ~。はい、こちらが白野が所持してる『ふじゅ~』でございます』
「……ッッッ!?!?」
多分、二年前に目を覚ましてから最も衝撃を受けた瞬間だった。眩暈がするほどの桁数が並んでいる画面に思わず片膝を付いてしまう。これは、マズイ。これを受け取ってしまったら人間として終わりそう。正直、見なかったことにしたい。そもそもライバーではない私にどうしてこんなに『ふじゅ~』が支払われているのだろうか。
『白野ってお悩み相談してるでしょ? それが主な収入源かにゃあ? みんな、白野にありがとうって思ってるんだよ。それに配信の時、『ザビ子へ!』みたいな白野に対してスパチャされた時は可能な限りそっちに送ってるし』
「おい」
『お金はいくらあっても困らないし……合法でございますからして~? まぁ、気にせず受け取ってあげてよ。みんな、白野のことが大好きなんだから』
「……」
途中までふざけていたのにいきなり真面目になるのは卑怯だろう。このお金をどのように使うかはまだ決めていないが受け取らないのは
『よかったね、白野』
「……そうだね」
ニコニコと笑うヤチヨに苦笑を浮かべた。その時、私のスマホが震え、画面に彩葉のメッセージが表示される。それなりに長い文章なのか『早く帰ってきて、やばい、助け――』と今まさに敵に殺されそうになっている漫画の登場人物のようなそれに思わず吹き出してしまった。
『なになに~?』
「ほら、これ」
『ふふっ、超人彩葉も赤ちゃんには勝てないかー……てか、これ、もしかしてヤッチョ的にめっちゃ恥ずかしいのでは?』
「私、ヤチヨのオムツ取り換えたことあるよ」
『ぎゃあああああ! やめてー!』
そんな悲鳴を上げてヤチヨはタブレットから消えた。さて、『ふじゅ~』のことも知れたので早く帰って――あ、お風呂入ってない。
「ごめん、仕事関係の連絡来てて対応してた。今からお風呂入るから頑張って、と」
彩葉に慈悲のないメッセージを送り、私はお風呂へと向かう。洗面所の扉を閉じる直前、『裏切り者!』と彩葉からのメッセージが届いたのかブルリとスマホが震えたような気がした。
因みに原作と違い、彩葉の寝間着がびちゃびちゃになったのは白野と同じ布団で寝たため、原作よりもかぐやとの距離が近かったからです。
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