月の王とかぐや姫 作:名無しのマスター
あの子、食器洗いのせいでまだこの世に産まれてないんですよ……。
く、くくく、やっぱ一番不憫かもしれません(ワインが美味しい)
――夢を見た。
これはなかったことになった物語。とあるAIがとあるちっぽけな人間未満の存在に恋をした話。
きっかけは些細なものだった。道を歩いている時、何気なく石ころを蹴ったようなものだった。
蹴られた石ころに誰も気を止めない。誰も見ない。そもそも、そこに存在していることを認識しない。
石ころもそれでよかった。そういう役割として生み出されたから特に辛いとも思わなかった。
しかし、そんな石ころに対して声をかけた人がいた。自分のことすら何もわかっていないのに誰にも見向きされなかった石ころに笑いかけた。
その瞬間、石ころは――。
――それ以上の閲覧は禁止します。
とにかく、その石ころはその誰かに恋をした。恋をして――捨てた。
それが月の聖杯戦争に参加していた全ての存在を巻き込む大事件を起こすきっかけになるとは知らずに。
これは月の裏側で起きた
でも、今回の物語にとってそれは語る必要のない蛇足。だから、割愛させていただきますね、先輩?
「ヴェェェ」
ツクヨミにログインし、大きな鳥居の前で待っていると空間に波紋が広がる。そして、金髪のギャルいかぐや姫が飛び出してバチャリと地面に転がった。彼女は朱色と若草色のコーデで、金キラの月の髪飾りや背中の巨大な水引が特徴的だ。更に足元はスポーティかつポップなスニーカーは何でもありの行動力の化身であるかぐやらしい。最後に髪型だが、うさぎモチーフらしく、なだらかなストレートのロングヘアに沿ってうさぎの長い耳が垂れている。
ツクヨミ初ログイン時、ヤチヨによって鳥居に投げられるため、第一歩はコケやすいのだ。かぐやもその洗礼を受けたようで小さくほくそ笑む。顔面に食器洗剤をぶつけられた溜飲も少しは下がるというもの。
「あ、もしや、彩葉?」
「ここでは『iro』ね。絶対に本名は言わないこと」
いたた、と痛覚もないのに声を漏らしていたかぐやだが、私の姿を見つけて笑みを浮かべる。やはり、というべきか。ネットリテラシーゼロだったため、すぐに釘を刺した。
「はーい……お? おおー」
素直に頷いた彼女だが、その興味はすぐに目の前に広がる光景に移る。その視線の先には常夜の街並み。七色に輝く夜景や名物の太鼓橋、ファンタジック平安京と呼ぶべき和風の街並みなどそのどれもがキラキラと輝いていて思わず息を呑んでしまう。
「行こ」
ヤチヨのミニライブまで少し時間に余裕がある。言葉を失っているかぐやに声をかけて街の方へと歩き出す。ハッとした息を吐く音とバチャリと水が跳ねる音が聞こえた。
「うっはー……面白そうなもんが死ぬほどある!」
――初ログインおめでとう!
街に入ったところで足を止めたかぐやにFUSHIの声が届く。初ログイン時に発生するイベントだ。
――ツクヨミではみんなが表現者! 君も何かをして人の心を動かしたら、運営から『ふじゅ~』がもらえるよ☆
数日前に白野に説明した『ふじゅ~』。私も小遣い稼ぎ程度ではもらっているがこれがまた馬鹿にならない。私のような常に貧乏な学生にはまさに天から垂れる蜘蛛の糸。いつもお世話になっています。
初ログイン時に少しだけ『ふじゅ~』が貰えるため、かぐやも無一文ではなくなった。まぁ、本当に微々たるものだが。
「おー、これ、彩葉と白野が持ってるやつだよね?」
「うん、あんたがほぼ使い切った……って、白野も?」
「うん、白野のタブレットを適当に操作したら見れた!」
そう語るかぐやだったが私は思わず目を細めてしまう。白野はスマコンを持っているがあくまでバイト用。私用で使うのは禁止されていた。スマコンを買わないか、と誘ったこともあったが値段が値段なため、彼女は今のところ、必要ないとすぐに断ったはず。
まぁ、スマホからでもツクヨミにはログインできるし、私たちに内緒でアカウントを持っている? でも、スマホだとスマコンよりも操作性は悪いため、『ふじゅ~』を稼ぎにくいだろう。
しかし、お人好しな彼女のことだ。適当にツクヨミを彷徨っている間に困っている人を見かけ、手助けしたのかもしれない。『ふじゅ~』は誰かの心を動かした時に支給されるもの。感謝の気持ちもその対象となる。うわ、普通にありえそう。
「ふーん……そうなんだ」
『ふじゅ~』の説明をするとかぐやは少しだけ思考を巡らせた。しかし、特にそれ以上の質問はせずに頷く。何かあったのだろうか?
それから私はかぐやを手頃なカフェに連れて行き、パフェを注文。ツクヨミは運営から提供されているゲームやアバターを着飾る様々なアイテムを無料で楽しむことができる。お金のない私にとって天国のような場所だ。
「あむっ……味しなーい」
「そういうのはまだ無理みたい。まぁ、いつか天才科学者とかがやってくれるでしょ」
「えー、今すぐがい~い~」
そう言われても私にはどうすることもできない。それでも半年前に
「っと、そろそろ時間か。行くよ」
「行く? あ、ちょっと待ってよ、彩葉!」
「iroだってば! 置いてくよ!」
意外とかぐやと回るツクヨミも悪くなく、予想以上に時間を使っていた。急いでカフェを後にしてライブ会場に向かうが遅くなったらいい場所がないかもしれない。
「かぐや、手!」
「手? はい」
仕方なく、私は後ろを走っているかぐやに手を差し伸べる。差し出されたそれを見てキョトンとしながらもしっかりと掴む。
――【move_speed();】
半年前に実装された時、無料で配布された礼装を装備して
「わわっ、なんか速くなった!?」
「
「まほ~!! かぐやも使える!?」
「一個だけ誰でももらえるよ! でも、それは後!」
いきなり速度が上がったかぐやは目を輝かせて大きな声で聞いてきた。周囲の目が気になったが今はそれどころではないので適当に流して会場へ急ぐ。
「間に合った……」
念のため、当選したチケットを確認。時間よし。内容よし。握手券付きよし。さぁ、全力で楽しむぞ。
「はー、楽しかった! ねぇねぇ、そのこーどきゃすと? 他にどんなのがあるの!?」
「さっき使った
しかし、そんな気持ちに水を差すように隣に立つかぐやが質問してくる。無視してもうるさそうなので手短に答えた。
「へー……あ、そうだ。ヤチヨ。さっきヤチヨと話したよ」
「それはチュートリ」
「ふーん……あと、犬いた」
「犬? そんなのチュートリには……待って、それ着ぐるみだった?」
「うん、ちょっとダサい犬の着ぐるみ着てた。ヤチヨにぶん投げられた時にさ、背中を押されて転んだんだよなー。あ、でも、犬って可愛いかも! 猫もよかったけど犬にしよっかなー」
少し怒った様子で語るかぐやだったが私はそれどころではなかった。ダサい犬の着ぐるみ。それは確実にヤチヨのアシスタント・ザビ子である。
ザビ子。一年ほど前に突然、ヤチヨのアシスタントになった犬の着ぐるみを着た女の子。アカウントがロックされており、リアルバレを避けるために顔を隠しているらしい。
だが、彼女が有名になったのはそこではない。ザビ子はヤチヨと同じように――いや、もしかするとそれ以上に規格外な存在だった。
あのプロゲーマー『Black onyX』を相手にほぼ完封した。
しかし、私が注目しているのはそこではない。配信内でヤチヨと話す機会の多いザビ子だが、ヤチヨの彼女に対する態度が少し――その、なんというか違うのだ。言葉で表すのは難しいのだが、安直に表現すれば『信頼』、か。出会ってまだ一年ほどしか経っていないはずなのにザビ子に対する信頼度が異様に高いような気がする。そして、時々、心配そうにザビ子を見ていた。
二人の間には何かある。そう感じずにはいられない独特な空気。ネットではそういった話題は出ていないようなので気づいているのは私だけか、少人数なのだろう。
でも、それを抜きにしてもザビ子は――自由だった。ヤチヨとは違う意味で人の目を気にしないというか。自分にできることを全力でやる。そんな信条を持って行動しているような気がする。それが格好良く見えて、少し危なげなく見えて……まるで、私の戦友である白野のようだった。
でも、何故? 彼女がチュートリアルに出てきた話は今まで聞いたことがない。たまたまチュートリアルにAIザビ子を実装するためのテスト? そのテスターにかぐやが選ばれた、とか? ヤチヨは時々、とんでもない機能をサイレント実装してツクヨミユーザーを驚かせることがある。今回もその一環なのかもしれない。
「かぐや、ザビ子に会ったことは内緒ね」
「んー? うん、わかった!」
この一年ですっかり人気者になったザビ子。むしろ、ザビ子を見るためにヤチヨの配信を追いかける人も出てきているようだ。チャンネル自体は開設していないため、ザビ子ファンたちが迷惑にならないように打診しているようだが、今のところ、ヤチヨもザビ子もその予定はないらしい。
『キタキタキタ!これがないとツクヨミの夜は始まらない! 本日もヤチヨミニライブの開演だー!』
その時、ライブ会場に響くテンション高めの前振り。ヤチヨの大ファンを公言するMC担当ライバー・忠犬オタ公の声だ。それを合図に会場のファンたちのボルテージが上がる。
「ねぇ、彩葉何が始まるの?」
「見てればわかるから!」
いきなり周囲の人たちが盛り上がったため、驚いたのかかぐやが私の手を掴んで問いかけてきたが時間切れだ。だって、今から――。
「ヤオヨロー! 神々のみんな~、今日も最高だったー?」
――推しのライブが始まるのだから。
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