「ッ――」
「白野?」
私の持つマイクに手を伸ばした白野だが、いきなり顔を歪めて両手で胸を押さえた。顔色は真っ青で、今にも倒れてしまいそう。そして、ゆっくりとその場で両膝を付いた。え、なに? 何が、起きて――。
「なに、あれ? 故障?」
「なんかの演出?」
「モニターに変なの映ってる?」
――え、待って。違う。違うよ。だって、まだ時間じゃない。前の時はもう少しだけ後だった。そのためにMCの時間を早めて、彩葉たちにも協力してもらって、白野を説得して、やっと一緒に歌えるってなって。
「これ……何の数字だ」
違う、違う違う違う! 一緒に歌えるはずだった! やっと、白野と一緒に歌えると思ったのに! ほら、まだ時間じゃない! まだ彼らが来る時間じゃない! そうじゃ、ないのに。
「……嘘」
『2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 2030/9/12 』
茫然としたまま、顔を上げてモニターを見るとそこにはかぐやのタイムリミットが赤黒く表示されていた。
(なんで!? どうして!?)
コラボライブは一時間程度だった。八千年経った今でもそれぐらいのことは覚えている。だから、時間を調整したのにどうして、こんなことに――。
「ぐっ」
「白野!?」
――そんな思考を遮ったのは目の前で苦しそうに頭を押さえる白野の呻き声だった。気づけば周囲にはリョウサン型月人が溢れている。でも、なんで白野が苦しそうにしているの? だって、白野は関係ない。彼女は月人ではない。仕事を放棄して逃げ出したわけじゃない。
「白野、大丈夫!? 今、ログアウト許可を――」
「――来るな!」
混乱しながらも管理者権限でログアウト制限を解除しようとするが彩葉の声に顔を上げる。そこには電源を落とされたように膝から崩れ落ちているかぐやと彼女を守ろうと必死にキーボードを振り回していた。
(前はヤチヨが介入してなんとかなった……あ、そっか。私が出遅れたから!)
苦しむ白野に気を取られ、月人が襲ってきた時の段取りが変わった。マズイ、今すぐにでも助けに行かないとこのままかぐやを連れて行かれそうな勢いだ。でも、目の前で頭を抱える白野を放置することもできない。
どうしよう、どうしよう、どうしようどうしようどうしよう!
「しっかりして、かぐや! かぐやってば!」
予想外の出来事の連続でパニックを起こしてしまった私が体を動かせない中、彩葉の必死な声だけが異様に耳の中で響いた。そうだ、彩葉。彩葉を助けなきゃ。だって、私はそのために今日まで頑張って――。
「――動かないで」
その声は私の目の前で放たれた。そして、リョウサン型月人たちはピタリとその動きを止める。止まった。私が何もしなくても彼らはその声に従った。
「帰って」
「モウシワケゴザイマセン」
その声の主は次の命令を下す。月人たちはその声の方へ振り返り、深々とお辞儀をして消えた。
「は、くの?」
「……」
月人を帰したのは私の目の前で苦しそうにしていたはずの白野だった。顔色は相変わらず真っ青だが、しっかりと月人たちがいた方を見つめている。
(白野が、月人たちを追い払った?)
でも、どうやって? 同じ月人であり、位の高い『かぐや』である私ではなく、彼女が?
「……ヤチヨ、どうにかして誤魔化して」
「え?」
「観客たちが不安そうにしてる」
「え、あ!」
今にも倒れそうになっている白野の言葉に私は慌てて立ち上がり、両手を大きく広げた。そうだ、今はこの場をどうにかしなければならない。前の『月見ヤチヨ』がそうだったように。
「今のは一体!? 何が起こってしまうんだ!? 続報を待て!」
必死にいつもの仮面を付けて私は声を張り上げる。視界の端にツクヨミをログアウトする花びらを捉えながら。
「……はぁ」
私がツクヨミをログアウトして数時間後、夜はすっかり更けており、灯りを付けていない部屋はほぼ真っ暗だ。そんな中で私はめちゃくちゃになってしまった部屋を前に小さくため息を吐く。同時視聴配信をするために彩葉たちの家じゃなく、私の部屋を選んでよかった。
(さて、この後はどうしようかな)
月人の襲来によって
『そのための私ですよね、先輩?』
その声に思わず笑みを浮かべてしまう。ああ、そうだ。とにかく今はできることをしよう。幸い、一番の懸念点だった月人対策は目途が立ったのでその後のことだ。
(私にできること、か)
私がここにいる理由。私の存在理由。私がやるべきこと。私にしかできないこと。
まだ考えはまとまっていないがきっとたくさんあるはずだ。そして、必ず彼女たちをハッピーエンドの向こう側へ連れて行く。それが私にできる
「……」
しかし、その前にこの部屋の惨劇をどうにかしなければならない。家具は軒並みめちゃくちゃだし、床も血で汚れてしまっている。これでは空き巣に入られ、殺傷事件が起きた現場そのものだ。
とりあえず、足元に落ちていたプログラミングの本を手に取る。かぐやが落ちてきた日に買ったそれは何度も読み返したせいですっかりくたくたになっていた。でも、これにお世話になるのも今日まで。だって、私は――。
「あ……」
その時になって気づいた。そうだ、そうだった。ああ、そっか。やっぱり、こうなるのか。いや、もしかしたら私は記憶を取り戻す前からこうなることを予測していたのかもしれない。
(ごめん、約束、守れそうにないや)
私が地上に来て二年と少し。その間にたくさんの人と出会い、約束を交わした。でも、その大半はもう叶えられない。罪悪感と共にタイムリミットが来るまで可能な限りのことをやろうと改めて誓う。
「じゃあ、行こうか」
誰にともなく私はそう告げて何とか原型を留めている財布を手に取る。その際、ひび割れた窓から射し込んだ月の光が
夢物語はここまで。さぁ、改めて始めよう。ここからは彼女たちを捕らえる輪廻を破壊する物語だ。
この先、基本的に曇らせしか起きませんのであしからず