『今日午後十時頃から東京都立川市全域にて、原因不明の通信障害が発生しました。市内での――』
リビングルームでつけっ放しにしているニュースはドライヤーの音でかき消されてほとんど聞こえない。私の持つそれから発生する温風がかぐやの綺麗な金髪を揺らし、少しずつ水気を飛ばしていく。
「ねぇ、かぐや……」
私に髪を乾かされながらソファの上で膝を抱えている彼女に声をかける。しかし、それ以上の言葉が続かない。いつもと違うかぐやを前に戸惑っているのか。それともこの胸を燻る嫌な予感がそうさせるのか。今の私には判断できなかった。
「……コラボライブ、終わっちゃったね」
それでも何とかかぐやが興味を引きそうな話題を絞り出す。ツクヨミで正気を失ったように動かなくなってしまった彼女も今はお風呂に入れるほどには復活している。だからだろうか、彼女は小さく笑みを浮かべてこちらを振り返ってくれた。
「うん。でも、まだまだやりたいことだらけなんだ。ほら、結局、白野の歌は聞けなかったし」
「……」
かぐやの言葉に私は思わず口を閉ざしてしまう。あの変な現象が起きた時、かぐやを守るのに必死でうろ覚えだが、白野は顔を歪めながら頭を抑えていたような気がする。それをヤチヨが介抱していて――その後、白野が命令するように言葉を紡いだらあの謎の人型が素直に応じた、ように見えた。
(なんだったんだろ、あれ)
謎の人型。謎の通信障害。かぐやの異変。白野の様子。ヤチヨの慌てっぷり。その全てが異常だった。私だけが取り残されてしまったような感覚、と言えばいいのだろうか。重要な伏線を読み飛ばしてしまい、いきなり推理パートに入ってしまった推理小説を読んでいるようだ。
「んー、白野、全然返信くれなーい」
「なんか送ったの?」
私の思考を遮るようにかぐやがボスン、と私に背中を預けながらスマホをいじり始めた。白野は私たちが気づいた頃にはログアウトしており、ヤチヨにも彼女の様子を聞いたがとりあえず意識はあったと言っていた。しかし、そう語る彼女の顔はどこか青ざめており、ヤチヨも今回の現象に戸惑っているのだろう。
「元気してるー? みたいな?」
「なにそれ」
「ま、白野なら大丈夫か。疲れちゃったから寝まーす」
かぐやがスマホをポケットに押し込んで立ち上がる。寄りかかられていた私の胸から彼女の温もりが消え、少しだけ寂しさを覚えた。
「お、やすみ」
「おやすみ、彩葉。大好き」
「うん」
ナチュラルに好意を伝えられたがいつものことなので素直に頷いて螺旋階段を昇る彼女を見送る。気丈に振舞っているが私より先に寝ると言い出したことも、手摺を使って階段を昇るのも今日が初めてだった。
かぐやの様子がおかしい。それだけはわかる。わかるのにどうすればいいか、何も思いつかない。
(こんな時、いつもどうしてたっけ……)
何かに悩んだ時、私は――白野に相談していたような気がする。今日の晩ご飯どうしよう、とか。バイト先が何故か木曜日だけ混む理由はわかるか、とか。ヤチヨに愛を伝えるのはどうしたらいいか、とか。些細なことばかりだが、いつしか何かある度に雑談の一環として彼女に話していた。
「……」
そして、今も――気づけば私は白野のスマホに電話をかけていた。コール、コール、コール。しかし、スマホから発せられたのは留守番電話サービスのアナウンスだけ。
(白野、どうしちゃったんだろ)
『皆さんはご存じでしょうか。この世界には様々な感染症があることを。その中でも今回は約六十年前に流行し、ワクチンの開発によってその名前を聞くことのなくなったアムネ――』
いつの間にかニュースは終わっており、見たことのないテレビ番組が流れていた。しかし、その内容は頭には入ってこず、私はソファに寝転がって天井を眺める。
「……」
再び、手に持っていたスマホに視線を向けるとホーム画面が映し出されていた。その中には十件の不在着信を知らせる通知がある。だが、今はそれどころではない。意図的にそれを無視して私は検索フォームを開き、『2030/9/12』と入力した。
「……満月」
検索結果の中にあったその漢字二文字を見て思わず体を起こす。満月。月からきたお姫様。かぐや姫。そんな、まさか……。
あの謎の人型はずっとかぐやを狙っていた。私でも、ヤチヨでも、白野でもなく、ただかぐやだけを目指して歩いていた。つまり、彼らの目的は――。
(ううん、それよりも)
もし、私の仮説が正しいのであれば更なる疑問が思い浮かぶ。白野だ。彼女の言葉であの人型は止まった。帰った。まるで、王様の命令を聞く家臣のように。
「かぐや……白野……」
何かが起きている。それだけはわかるのにどうしてもその真相に辿り着けない。情報がなさすぎて、考えようがない。そんな不安から私は彼女たちの名前を呟く。
でも、その声に応えてくれる人はこの部屋にはいなかった。
「……」
朝になった。これまで無理して勉強して徹夜したことは何度かあったが眠ろうとして眠れなかったのはあの家にいた頃以来だ。引っ越して白野と出会ってからはこんなことなかったのでアラームが鳴ったのに布団から出る気になれず、うだうだと過ごしていた。
「……ん?」
その時、スマホが震えてやっと体を起こした。着信。またあの人だろうか。それとも――。
「ッ! もしもし!
――そんなことを覗き込んだスマホの画面に表示されていたのは『白野』。私は慌てて通話に出て掠れた声を発した。
『もしもし、彩葉、今大丈夫?』
電話から聞こえたのはいつもののんびりとした白野の声だった。ああ、よかった。昨日から連絡が取れなかったのでずっと心配していたのだ。
「うん、大丈夫。そっちこそ、大丈夫だったの? なんかツクヨミで具合悪そうだったけど」
『まぁ、色々ね。とりあえず、元気だよ』
「そっか……ん? 今、どこにいるの?」
声音もしっかりしているので体調は問題なさそうだとわかった私は安堵のため息を吐く。しかし、それと同時に彼女のスマホから聞き慣れない喧騒が聞こえ、思わず問いかけてしまった。
『ああ、そのことを伝えたくって。一応、メッセージは送ったんだけど連絡がなかったから見てないんだろうなって』
「あ、ごめん。寝てたから」
『早起きな彩葉が寝坊? 珍しいね。とりあえず、詳細はメッセージに書いてるけど――私、今からロンドンに行くね。学校が再開してもしばらくはいけないと思うけど心配しないで』
「へぇ、ロンドンに……ロンドン!?」
あまりに予想外な内容に受け入れかけてしまったがさすがに聞き逃せなかった。ロンドン? あの時計塔で有名な? え、なんで今から?
『かぐやとヤチヨにもメッセージは送ったけど配信の手伝いできなくてごめんって伝えておいて。じゃあ、そろそろ飛行機の時間だから』
「え、ちょっと待って!」
私の制止の言葉は届かず、白野との通話は切れてしまった。今日は夏期講習の日。白野は私よりも行く回数は少なかったがそれでもこのタイミングで海外に行くとは誰も予想できないだろう。
(白野なら事前に話してくれると思うから……昨日の夜に思いついたってこと?)
スマホを操作して白野からのメッセージを表示する。そこにはロンドンに行くこと。昨日の夜にロンドンで済ませたい用事ができたこと。海外なのですぐには返信できないが連絡は取れるため、できればメッセージでやり取りをしたいことなど詳細に書かれていた。
(でも、ロンドンで済ませたい用事って?)
あまりにも突然の海外。しかし、前にパスポートを取ったと言っていたので元々、行くつもりではあったのだろう。それが早まった? もしかして、あのコラボライブで起きた謎の現象のせいで?
(じゃあ、あれは白野にも関係があるってこと?)
駄目だ、思考がまとまらない。とにかくかぐやに白野のことを言いに行こう。私はいそいそと制服に着替え、リビングルームへと向かった。
「あ、彩葉、おはよう!」
そして、出刃包丁の煌めきに出迎えられた。キッチンで真剣な表情でまな板に向かうかぐやと彼女に片手でまな板に押さえつけられている大きな魚。まさかの光景に私は思わずその場で立ちつくしてしまった。
「これは、一体……」
「白甘鯛! 通称シラカワ! 料理配信用に買ったの!」
昨日の夜とは打って変わり、ドヤ顔を見せてくれるかぐや。しかし、どこかいつものそれより切れ味が落ちているように見えたのは私の錯覚だろうか。
「炭で焼きたいんだけどぉ、駄目?」
「駄目。火災報知器が作動してこの部屋、全部水浸しになるよ」
「ひぇ、そりゃ駄目だ。あれ、制服着てるけどもう学校始まるの?」
「ううん、夏期講習。ずっと行ってるでしょ?」
「そだっけ? 昨日は?」
キョトンとするかぐやに思わずため息を吐いてしまう。相変わらず、興味のないことは頭に入りづらいようだ。
「昨日は日曜日」
「ほんとだ、夏休みだから曜日の感覚なくなってたー」
「あんたはいつだって日曜日でしょ」
「たっはー」
おどけて額を叩いてみせるかぐや。それに釣られて私も笑ってしまう。いや、違う。そうじゃない。色々と言いたいことや聞きたいことがあったのだ。
(でも、かぐやは何も言うつもりはない)
普段の彼女なら何か起きた時、真っ先に教えてくれる。でも、今はまるで話を逸らすように笑っていた。こっちは悶々として眠れなかったのに。もしかして、彼女も眠れなかったからこんな朝早くから料理をしていたのでは?
「……そういえば白野なんだけど」
気になった。気になったけど、今の私にはそれを聞く勇気がなかった。だって、本当だった場合、かぐやはどうするつもりなのか知るのが怖かったから。
「白野? もしかして連絡取れたの?」
「うん……ロンドンに行くんだって」
「ろんどん? 有名なお店なの?」
「……イギリス。海外だよ」
「……はぁ!?」
さすがのかぐやも驚いたのか、出刃包丁を置いて私の方へ駆け寄ってくる。その勢いに思わず、半歩だけ下がってしまった。
「海外ってどういうこと!?」
「私にもわかんないけど……なんか用事があるみたい。メッセージは送ったって言ってた。あと、配信の手伝いができなくてごめんだってさ」
「えー!? うわー、マジかぁ。白野に色々と手伝ってもらおうと思ってたのに……」
配信の企画を用意していたのだろう。かぐやは肩を落としてキッチンに戻っていく。しかし、その途中でぐるりとこちらへ振り返った。
「因みにいつ帰ってくるの?」
「さぁ……学校が始まっても帰ってくるつもりはないみたいだから……数日は確実に帰って来ないと思う」
「そっかー……間に合うかな」
ボソリと何かを呟くかぐや。あまりにも小さい声だったので聞こえなかったが、その顔はどこか儚く、今にも消えてしまいそうだった。
「かぐや?」
「よーし、美味しそうな料理作って白野に飯テロしてやるー!」
そう言って彼女は改めてキッチンに戻る。そろそろ家を出なければならない時間だ。これ以上の問答は厳しいだろう。
「……じゃあ、行ってきます」
「いってらー」
私はそう彼女に告げてリビングを出る。何故だろう、かぐやに質問しなくてよくなったと考えた途端、安心してしまった。
「……」
ねぇ、白野。あなたがロンドンに行ったのとかぐやの変化は何か関係があるの? 何も言ってくれないからわからないよ。そして、一番ムカつくのは気になっているのに怖くて踏み込めない自分自身だった。
白野、このタイミングでロンドンへ。
その関係上、しばらく彼女は名前のみの登場となります。
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