「――ったく、おねーさんの身にもなってよね?一人暮らしだってのは学校に伝わってるんだし、そしたらおねーさんがなんかあったように思われるじゃん?」
ルナの義姉である竜人(りゅうじん、獣人の上位種で竜や龍の特徴を持つ)――桐生 嵐(きりゅう らん)が、テーブルを挟んだ向かい側で、ぐびりとマッカランのロックを一息に飲んでから言った。
どうしてこうなったかと言えば、俺――月読ルナのせいではある。
昼間、学校で五月 晴女さんが月出里 茜さんに暴行を働いていた件で、俺は午後の学校をサボった。
その時に使った言い訳が、『家族関係で用事ができた』だったので、こうして唯一の家族である義姉(義兄でもある)の嵐から、お叱りを受けていた。
義姉で義兄というのは、嵐は性別を『文字通り任意で変える事ができる』体質だからだ。
男になりたいと思いながら念じるだけで、体の特徴を男性にできる。逆もまた然り。
ただ、男になっても女になっても、身長とかが劇的に変わる訳ではない。要するに男性器及び男性の骨格になるか、女性器及び女性の骨格になるか、だ。
なので、いつも嵐は男女兼用のゴスロリ服を着ている。趣味もあるだろうしそこはツッコまない。
「すみませんでした、ちょっと知り合いが暴行受けてたんで助けてたってことは言い訳させてくれ」
そう俺が言うと、マッカランを自分のグラスに注いでいた彼女の目の色が変わった……ように見えた。
「ほうほう、知り合いが?それはそれは。……男かい?女かい?」
「え、女性だけど……」
それを聞くと、嵐はこちらの席に向かうと、いきなり抱きついてきた。
「ちょ、いきなり何だよ!?」
「ほうほう!ついにおねーさん以外の女性に興味を持ってくれたか!嬉しいよおねーさんは!」
思わず吹き出しそうになった。
ルナははぁ、とため息をついてから答えた。
「……知ってるかラン姉(ね)ぇ、肉体関係を持つだけが興味を持つってことじゃあないぞ」
「ちぇー、ついに色を知る年かッ、ってできると思ったのになー」
嵐が離れて、自分の席へと戻る。
「で?その知り合いってのは、おねーさんも知ってる存在かい?」
「俺が時々行ってる神社の経営者、その娘さん。彼女いじめられる謂れあったっけ?」
ルナがそう言うと、自分で注いだマッカランを飲みながら嵐は答えた。
「あー、たしか彼女、黒い狐獣人だったよね?昔の伝承にあるんだよ、『黒い狐は妲己の使い』だのそういう感じのが。ただ、それは歪んで伝わった伝承でね?本来はダーキニー、荼枳尼天の使いって説が有力だ」
「……詳しいなラン姉ぇ、調べたことでも?」
そう聞くと、嵐は胸を張って答えた。
「うちの組の者の家族に、学者志望の子がいるんだよ、日本神話系統のね。で、話したら結構わかる人で」
それを聞いて、俺はレゲエパンチ(ピーチリキュールと烏龍茶のカクテル)を飲み干した。
「なるほどねぇ……。あ、チーズ盛り合わせと追加のピーチサワー、注文しても?」
「だーめ、学生のうちはお酒は1日1杯。卒業してからにしなよ」
「はいはい、ピーチソーダならいいか?」
「そーだね、ソーダだけに。ぷぷぷ……」
気づけば、嵐の顔が結構赤い。
……恐る恐る彼女に聞いてみることにした。
「……ラン姉ぇ、マッカラン何杯飲んだ?」
「んー?ルナが来る前に1本開けといたよ?んで、今残り半分くらいだからー、17、8杯くらい?」
「いや飲みすぎだよ!?人のこと言えたクチか!?」
それは流石にツッコまざるを得なかった。
というか1本9000円くらいのをよくそんなペースで飲めるなとも思う。
「ははは、ごめんごめん。……しかし遅いな……」
と、急に嵐が言い出した。
「ん?待ち人でもいたのか?」
「いやまぁ、今日に関しては確かにおねーさんがルナを叱る事が目的で呼んだのがメインなんだけど、サブとして用事がもう一つあってね」
嵐が指を1本立てながら言う。
「……ルナ、卒業後はどうするつもりだい?」
「どうするって、何をだ?」
「とぼけないでよ、将来どの職業に就きたいとか、もう決まったのかい?」
「……特に決まってはいないかな。まだ入学して日も浅いし、強いて言うなら、ラン姉ぇの組の表家業、武器屋で働ければなとか思っているけど」
そう俺が言うと、ラン姉ぇがため息をつきながら、
「そっかー……。であれば、魔界で大人になったら過ごすってのもいいんじゃないかな?って思ったんだけど」
魔界。日本の一部にあるゲートから繋がる異世界で、そこには、昔人間や獣人、亜人達と戦った魔族や魔物が住む。
そことの大規模な戦闘、通称『魔界戦争』は、俺が生まれる前に終結し、今は魔界は復興中で、そこで働く人間達も少なくない。
「魔界で?確かに魔界は最近親人間派が多いけど、なんで魔界?」
親人間派とは、魔族の中でも特に人間達と共存しようと考える一派で、人間達の助けを借りないと生きていけない者達や、特に敵対する理由が元から無かった者たちが多数だ。
そう聞くと今度はふっふっふ、と笑いながらまた彼女がこちら側の席に来て、耳元で囁いた。
「……ここだけの話なんだけど、魔界の元魔王の一人、アーカード伯の一人娘、クローネ・アーカードが、花婿を探しに日本に来ているらしい」
「……ほう?」
元魔王のアーカード伯といえば、親人間派で有名な、強大な吸血鬼の真祖だ。
それに一人娘がいた、ということに驚きだが、問題はそこじゃない。
「で、なんで俺なんだ?他にいい男はいるだろう?」
「ふーっ」
「のわーっ!?」
ラン姉ぇ、酔った勢いか耳に息吹きかけやがった。いきなり。
「何すんだ!?」
嵐はそれには答えず、またルナの耳元で囁いた。
「姫様はどうやら人間のアルビノの男性からしか血を吸えない偏食家らしいんだ。故に君にとっては大きな転機になるかもしれないと思ってね、ルナ」
吐息についてはもうツッコミを放棄するとして、なるほどねぇ、とルナは思った。
確かに、俺はアルビノ体質(といっても、ある事情で健康体そのものなのだが)だ。
「事情はわかった、その姫様とやらと俺を会わせるつもりだったんだな?」
「だったんだけど、どうやら道に迷ったみたいだね。彼女スマホ持ってないみたいだし」
「あちゃー……」
正直、現代文明でスマホ持ってないのマズいだろ。ルナはそう思った。
「一応、うちの組に挨拶には来たし、その時に地図も渡してあったんだけど、どうしたものかなぁ……」
「わかった。とりあえず見かけたら声でもかけておくよ」
「それでいいと思うよー。んじゃ、伝えるべき事は伝えたし、今日はもう帰っていいよ」
「あいあい。追加注文しなくて正解だったな……。会計は折半でいいか?」
「ん、自分の分だけ払ってもらえればおねーさんは十分だよー」
言質を取ったので、ルナは財布を開き、自分の飲んだレゲエパンチと、つまみに食べたソーセージの分の代金を置いて、個室を出ようとする。
「んじゃ、またな。組の人たちによろしくな」
「最近物騒だから気をつけてね、ルナ」
ルナが手を振る。嵐に手を振り返される。
そうやって、今日の説教会は終了した。
―――
ルナがスマホで時計を見ると、ちょうど夕飯の支度を始めるような時間帯である17時台だった。
「しっかし吸血鬼か……」
家路を歩くなかつぶやく。
古来より、人の血を吸う化物。
特にその中でも真祖は強大な力を持ち、実際に魔界の一つを掌握する程に影響力も持つ。
「……親人間派とはいえ、出会ったら警戒せざるを得ないな……」
ふと、帰り道ではない路地の方が、騒がしい事に気づいた。
『……バいって!』
『救きゅ……』
『……でもこいつ、魔ぞ……』
「……!!」
(まさか……!!)
ルナは路地へと急ぐ。
この路地は確か、数十メートルもしないうちに次の道路へと繋がるはずだ。
路地を抜けると、そこにあったのは人混みだった。
住宅の壁を挟んだ半円状の状態で、何かを取り囲んでいる。
足元の方から、血溜まりと、金色の髪の毛が見えた。
「とりあえず、警察と救急車を呼ばないと!」
「でも魔族って通常の病院か!?」
――ああ、もう焦れったい。
一息置いてルナは嘘をついた。
「……すみませーん!そいつの関係者です!通してくださーい!」
そう言いながら、人混みをかきわけていく。
そうして現れたのは――
――おびただしい量の血の池に沈んだ、美しい魔族の女性だった。
身長は、150cmにも満たないだろう。
金色の頭髪が、血の池に沈んで赤を帯びている。
魔族であることの証明に、背中にコウモリのような羽根が見える。
服装は和ゴスと言えばいいのだろうか。着物のような服からは、血が未だに溢れている。
思わず息を飲む。魔族は見たことが何度かあるが、ここまで美しい魔族と出会うのは初めてだ。
そしてルナは確信した。この女性こそ、ラン姉ぇが言っていた――
(――元魔王の一人娘、クローネ・アーカード!)
「すいません、関係者ですよね?」
傍にいた男性から声をかけられた。
「ああ、知り合いの知り合いだ。事情を聞いても?」
これは嘘ではないので、堂々と聞いてみる。
「俺はなんもしてないですよ?ただ、この魔族の女性がどうやら通り魔に遭ったらしくて……」
「……治療魔法は試したのか?」
「それが、本人が拒否してるんですよ!私の事はほっといて、って」
「……あのなぁ、男なら無視して魔法で治せ。フラグ折れてるぞ」
「えっと、俺彼女持ちで……」
呆れた。こいつ絶対長続きしないだろ。
ルナはそう思った。
「あっそ。んじゃ、こいつ連れて俺は安全なところまで避難するから。付いてくるなよ」
そう言って、血の池の中に入っていく。
「大丈夫ですか?服白いですけど汚れたりとかは……」
「倒れてる女性見殺しにするよかマシだ。んじゃな」
そのまま、女性をおんぶの形で背負う。服の心配は二の次だ。
「強化(レイズ)」
人混みを抜けてから体中の魔力を両足に込めて強化し、俺は家への最短ルートを高速で走っていった。
途中、おぶった背中の方から、かすかに「ありがとう」と、聞こえた気がした。
―――
クローネ・アーカードがうめき声をあげる。
といっても(確信を持って連れてきたとはいえ)、まだ本人から話を聞かないとクローネ・アーカードなのかは確定していないのだが。
「う……」
「気づいたか。止血は一応できたみたいだな」
ルナは家に帰ってすぐに玄関で、彼女が刺されたであろう部位の腹部に回復魔法をかけておいた。
その後血が止まったのを確認して、俺はベッドにタオルを何重にも敷いて、そこに彼女を寝かせた。ついでに、汚れた服を脱いで洗濯機にかけ、新しい服に着替えた。
現在時刻は、19時半を回ったところだ。
正直出血が凄かったので、ルナは(もう死んでいるんじゃあないか?)と思っていたが、そこは魔族、かなりタフなようだ。
「貴方は……?」
カマをかけるように、ルナは言う。
「俺は月読ルナ。クローネ・アーカード、君の情報を知って興味を持った人間、と言えばいいかな」
その言葉を聞いて、彼女は急に体を起こす。
「なんで私のこと知ってるの!?別に助けなんて……!いたた……」
……彼女、クローネ・アーカードが腹を押さえて寝転んだ。
カマをかけて悪かったかなと思いつつ、心配になってルナはクローネの方へ寄る。
「おいおい無茶はしないでくれ、俺はあくまで善意で助けたんだぞ?君をどうこうしようと思って助けたのなら、服を剥いてすでに襲ってる」
「……その善意が余計なのよ。私、れっきとした魔族よ?いくら親人間派とはいえ、八つ当たりで貴方を殺すかもしれないのよ?」
「関係なくないか?俺はお前が魔族だろうがそうじゃなかろうが助けてたと思うぞ」
「お人好しね……。いつか身を滅ぼすわ」
そこまで言った瞬間、クローネの腹がぎゅるるる、と鳴った。
「……飯、軽くだけど作るか?」
ルナが言うと、彼女が顔を赤くしながら、こくんと頷いた。
「……本当なら施しは受けないつもりだったけど、いいわ。お手並み見せて頂戴」
「わかった、んじゃすぐできるから待っててくれ」
そう言って、俺は冷蔵庫に向かい、そのドアを開けた――。
~15分後~
「――で、これは何?」
「ネギトロ納豆丼に、木綿豆腐とネギの味噌汁、きゅうりの漬物、小松菜のおひたし。鉄分が多めのメニューにしてみたが、食べられないものはないか?」
冷蔵庫に(明日の夕飯の予定で買ったはずの)ネギトロ(冷凍で売られていたのを解凍したもの)があって助かった。
そこに鉄分の多い小松菜と木綿豆腐を使った料理、納豆は微妙だが、多分鉄分は入ってる。
これだけ鉄分を取れば、失った血液を作るという点で助けになる。そういう算段だ。
「……私、日本料理を食べるのは初めてなの。食べ方、教えてくれる?」
「あ、そういうことか。なら、箸の持ちかたはわかるか?」
「それくらいわかるわよ、ちゃんとここに来る前にメイドから教わったわ」
と言いながら、クローネは完璧な箸の持ち方をした。心配はなさそうだ。
「なら、ネギトロ納豆丼とおひたしは醤油って言って、この黒いのをかけて食べる。ネギトロ納豆丼に関しては下に白米があるから、それと一緒に上のネギトロや納豆を食べるんだ」
「ふぅん、見た所コレは魚肉と大豆ってやつよね?合うのかしら……」
そう言いながら、醤油をかけたネギトロ納豆丼を一口、口に運び――
「――美味しい。コレ美味しいわね。大豆の粘りと匂いがちょっとキツいけど」
「そこは日本人でも嫌いな人いるからなぁ……。口に合ったたようで何よりだ。味噌汁はちょっとぬるくしてあるけど、粘り取りに使えるぞ」
そう聞くと、彼女は味噌汁の椀を持って一口啜る。
「あ、これも美味しいわね。体に染み込むような味がする」
「だろ?ちなみに醤油と味噌汁に使ってる味噌と豆腐、さっき言ってた納豆は全部原料大豆だ」
得意げに俺が言うと、彼女は驚いたようにこちらを向いた。
「え?たった豆一つでこんなバリエーションがあるの?知らなかったわ」
「大豆にはタンパク質やうま味成分が豊富でな。それらを合わせると相乗効果でもっと味が良くなる。発展させたのは日本人、侮れないだろ?」
「……見つけたとは言わないのね。まぁ良いわ。あ、この小松菜ってのも美味しいわね」
じとっ、と効果音が鳴りそうな目でこちらを見ながらも、彼女の箸は止まらない。
「まぁ、基本そういうのって隣の中国って国から伝わってきた事が歴史上多くてな。小松菜に関しては品種改良を昔の日本でやったかられっきとした日本特有の野菜だ」
「そうなのね……」
そんな他愛もない会話をしていたら、彼女の空腹も相まって、気づけばクローネは出した料理を全て平らげていた。
「ご馳走様。美味しかったわ」
「お粗末様でした。片付けるから、寝てて大丈夫だぞ」
そう言うと、彼女があからさまにムっとする。
「……私の事、聞いてるのよね?なら、私が本当に食べたいもの、提供すべきではなくて?」
「……わがままだなぁ……。それは俺の血が欲しい、ってことか?」
「貴方、どうみてもアルビノよね?それなら私、飲めるもの。それに、ただ単に食事を食べるだけじゃ、失った血はすぐには戻らない」
「……どうやら噂は本当だったみたいだな。俺が死なない程度に血を与えるだけ、ってんならいいぞ」
ルナはベッドに座り、上着を脱ぐ。
血が服に付着したら、また洗濯物が増えるとルナは考えたからだ。
「わかってるわよ、恩人を吸い殺したなんてことが知れたら、アーカード家の名が地に堕ちるわ」
クローネがすこしふらりとしながらもベッドに上り、抱きつくようにルナの体を後ろから捕らえる。
柔らかいクローネの肢体が、彼女の服越しにも理解できる。
そして、クローネの顔がルナの首筋へと――
「ッ……!」
痛み。
ルナの首筋に、クローネの犬歯、牙が刺さっている。
ぷつ、という感触と共に、それは皮膚を貫通し、静脈へと至る。
そして、血液を吸われる。
いや、吸われているのは血液だけではない。
――魔力も、吸われている。
じゅうううううう、と音がするほどに、彼女はコレを求めて離さない。
だんだんと、ルナの体中の血液が少なくなり、一瞬めまいがした瞬間――
ごくり。
ルナの耳元で、クローネの喉から嚥下する音が聞こえた。
「……ふぅ、ご馳走様。かなり上等な魔力の質と量を持っているのね、貴方」
首元から口を離し、抱きついていたクローネが離れる。
「今度こそお粗末様。魔力体質ってやつでな、ため込んでるからその分熟成された、とでも言えばいいか?」
魔力体質。それこそが、アルビノである俺が今まで大した病気や怪我をせずにいた正体。
ソレは、魔力を通常よりも多くの量溜め込むという体質で、大抵の場合はその魔力により、体質の改善が望めるのだ。
もっとも俺の場合、それどころじゃ済まないかもしれないが。
「へぇ……道理……で……ッ」
ぱたり、という音が正しいだろうか。ともかく、言い終わる前に、ルナの後ろでそんな音がした。
ルナが振り向くと、ベッドの上でへたり込むクローネの姿があった。
「……?おい、大丈夫か?まだ余裕はあるから、もうちょっとだけ血を吸っても――」
クローネに声をかけるが、あまり反応がない。
ただ、彼女の息が荒くなっているような気がした。
数分経っただろうか。唐突に、ふらりと彼女が四つん這いでルナに向かって来て――。
――
――ルナを、押し倒した。
視界が反転し、俺に見えるのは、彼女の金色の髪の毛と、整ったクローネの顔だけ。
彼女の顔は紅潮し、吐息が触れるほどに近い。はぁ、はぁ、と興奮しきったような息が鼻にかかり、甘いような苦いような匂いがする。
ガーネットのような赤い瞳はきらきらと輝くように潤み、熱を帯びて俺を見つめていた。
――先程までの、こちらを心の底から信用しきってはいないような瞳ではなかった。
「……ふふ、ふふふ……うふふふふふ……!」
クローネは、笑っている。
「……あの、クローネ……さん……?」
ルナは状況が飲み込めず、困惑する。
(こりゃあただ事じゃあないな、何が原因だ……?)
考えるが、思い当たるのは、自身が飲ませた血と魔力だけ。
俺の呼びかけに、クローネは応えず。
「やっと……やっと見つけたわ……この味、この香り、この喉越し、この中毒性……!貴方だったのね……!」
ふふふ、と、何かに打ち震えながら彼女はつぶやく。
ルナの顔に、細い両の指が触れる。
まるで壊さないように、薄いガラス細工に触れるように。
「――私の、私だけのお婿さん……♡」
そう聞こえた瞬間、彼女はルナの首元に両手を回し――
「むぐッ!?」
――ルナの唇を、奪った。
いきなりの事で訳がわからない。
クローネの顔を見ると、血色があきらかに良くなっていた。いいことだ。
だが、それ以上に変わった点がある。
雰囲気が、先程まで纏っていた捕食者のソレではないのだ。
(俺自身に経験は無いが……これじゃあまるで、恋する乙女のようじゃあないか……!?)
「んん……♡」
舌が、入ってくる。
口の中を侵される。
官能的な痺れが、体中に駆け巡る。
体中の魔力が、クローネの舌や唇、顔や肉体から伝える情念を感じ取る。
好き。好き。好き。好き好き好き好き――。
甘美なほど甘く、苦しくなる程に重い。
重なった唇からじゅるじゅると唾液を奪い、上顎を愛撫するように蹂躙するクローネの舌はひどく官能的で、ルナの身体は否応なく快感を脳に伝える。
(クソッ、不可抗力とは言え気持ちよすぎるぞ……!?これが吸血鬼の魔力……!)
本能的な直感だが、このままだと行く所まで行くだろう。
俺自身は嫌ではない。このまま一線を超える事も、彼女に対する責任を取る事も。
初対面ではあるが、原因は俺の血であると思っているし、ソレを飲むのを許可したのも俺だからだ。
ただ、それは本当にクローネが望む事だろうか……?
もしかしたら、久しぶりの吸血で、理性が溶けているのかもしれない。
俺の血や魔力が、悪い方向に作用していたのかもしれない。
そうだとしたら、彼女が正気に戻った時にどうなるか?
きっと、彼女は後悔するだろう。
彼女の手は、だんだんと下へ、ルナの下半身まで迫ってきていて、ズボンを脱がせようとしていた。
(……残念だが、これ以上を許すわけには行かない!)
ルナが考えた末の答えは――
「ん"ん"っ"!!」
理性を振り絞って、絶対的な本能に抗う。
――思いっきり、両手で肩を突き飛ばして、彼女の体を押し返した。
「きゃっ……!」
クローネの体が、ベッドの反対側へと投げ出される。
「はぁ……はぁ……。クローネ、お前に何があったかは知らないが、落ち着いてくれ。これ以上はさすがにマズい」
「ふぇ……?なんで……?私、何、し、て……~~ッ!?」
ベッドの上で、まるで頬を叩かれたような顔をしたクローネの顔は未だ夢見心地の乙女のようだったが、次第にその瞳に理性の色が戻ってきたようだ。
ルナを押し倒したこと。妖艶に迫ったこと。唇を重ね、舌まで入れるような熱い接吻を捧げたこと。
――そして何より、熱に浮かれて「お婿さん」とまで言い放った自分。
ぽーっとしていたクローネが、急に顔を押さえて悶え始めた。
彼女の顔は、首元から頭のてっぺんまで真っ赤、というのが相応しかった。
「わ、わわわわたし、ききききキスして、はじ、初めてだったのに……!あんな情熱的な、きききききキスを……!?」
「あー……やっぱりな」
可愛らしい一面もあるんだな、と思いつつ、俺は冷静になってくれたことにほっとしていた。
恐らく俺の血と魔力を飲んだ事が原因で、一時的に興奮していただけだったのだろう。
冷静になってしまえば、熱は冷める。
そういうものだ。
「……思い出してきた、貴方の血と魔力を吸ってから、私、おかしくなっちゃったみたい……」
「魔力体質自体は人間の総量からしてみればそう珍しくはないし、俺の血と魔力はそんなに特別なものだったのか?」
そういうと、震える指でクローネはルナを指差し、こう言った。
「……貴方の血と魔力、いや体液は、吸血鬼の私に対して、とても強い麻薬のような多幸感と中毒性、そして媚薬と惚れ薬の効果をもたらすみたい……嘘みたいだけど本当よ……」
「えぇ……?そんな血、聞いたこと無いぞ?」
「とてもレアだけど、お父様から聞いたことがあるわ。吸血鬼の間で珍味として愛される、希少血統によるものだと思うわ。……家族や親族に、希少な血液型の人はいない?人間で言う所のRH-等の」
「いや俺自身はA型だけど。というか血筋にも多分そういう血液型はいなかったはずだ」
「嘘!?だとすると恐らく貴方固有の魔力の問題ね……。兎も角!私以外の吸血鬼に飲ませちゃダメだからね、絶対に。約束よ」
「いや飲ませる予定は貴女以外に無いけど……。吸血鬼の知り合いなんてクローネさん以外にいないし」
「なら良かったわ。……こんな素敵な血、誰にも、それこそお父様にもあげたくないわ……」
最後にぼそりと、クローネがつぶやく。
「?何か言ったか?」
「いいえ。兎も角、私は明朝、一旦魔界に帰るわ。お世話になったわね」
「へいへい、次は刺されないように気をつけろよ。……明朝?」
聞き返すと、彼女はとんでもない事を言い出した。
「今日はここに泊まるわ。行く所無いし、また刺されたら嫌だもの」
そう言いながら、彼女はベッドへと寝転んだ。
「そうかい……。んじゃ、俺は夜の間ビジネスホテルでも行くかな……。鍵、閉めとけよ」
ルナが上着を着ながら言うと、クローネは悲しそうにこちらを向いた。
「え?守ってくれないの?」
「いや寝床どうするんだって話。床で寝ようにも、布団が足りない」
ルナがそう言うとクローネは、少し考えてから、また顔を赤くして、小声で言った。
「……なら、一緒に寝てあげてもいいわよ……?ちょっと狭いけど……」
「……いいのか?」
「か、勘違いしないで欲しいんだけど……、料理と、その、……血のお礼をしていなかったでしょう?助けてももらったし……。その対価だと思って、一緒に寝てくれる?」
「……了解した。姫様がそう言うなら、仰せのままに。でも、その前に食器の片付けと、ベッドに敷いたタオル、血が付いてるだろ?洗濯するから出してくれ」
「わかったわ、手伝いはいる?洗い物くらいならできるわ」
「それじゃ、お願いしようかな。勢い余って皿を割るなよ?」
「わかってるわよ!んもぅ……」
――こうして、ルナとクローネは、一つの布団を共有しながら、夜を共にした……。
――
「ん……朝、か」
日光の眩しさにルナが目を開けると、時計は朝7時を迎えようというところを指していた。
「結構寝たなぁ……。ん、クローネ……?」
しかし、布団にはクローネの姿は無かった。
そしてルナが首元に手を当てると、昨日吸われた時の傷も無くなっているようだった。
不思議に思いながらも立ち上がり、部屋を見ると、机の上に赤い液体の入った小瓶と、綺麗な文字でメモ帳に手紙が書いてあった。
「置き書きか。どれどれ……」
内容は以下の通りだ。
『昨日はありがとう。そして、いきなり唇を奪ってごめんなさい。私は一度魔界に帰って、お父様に将来の婿ができたことを伝えにいきます。私の初めてをあげたのだから、それなりの責任は取らせるので、そのおつもりで。今度会う時まで、お元気でいてくださいね。愛を込めて クローネ・アーカード P.S.小瓶は困った時に飲むように。きっと貴方を助けてくれます』
「……。見間違いかな、俺を婿にするって書いてあるように見えるんだが……?」
ルナは眉間に指を当てる。
まさか吸血鬼に一目惚れを食らうとは……。
生きていればこういうこともあるもんだなぁ……。
そう思っていると、夕飯を食べていないせいか、かなり空腹なことを思い出した。
「……そういやバーガーの後は、飲みした時に食ったソーセージ以外口にしてないな……」
ルナが冷蔵庫を開ける。
納豆のパックが1つ余っていた。炊飯器の蓋を開けると、丁度1人前の白米が、炊かれた状態で保温されていた。
(今日の朝飯はこれでいいか……)
そう思いながら白米を茶碗によそい、納豆のパックを開け、インスタントコーヒーを淹れながら、スマホでニュースを見る。
地域のニュースに、気になる見出しを見つけた。
『昨夜起こった魔族を狙った通り魔事件の犯人逮捕、魔族反対派か』
「……まぁ、逮捕されたならいいか……」
魔族反対派とは、魔族は魔界にのみ住むべきだ、それが叶わないのであれば、実力行使で魔界に帰ってもらおうという、ちょっと古い考えを持つ過激派な人たちだ。
彼らならたしかにやりかねないな……。でも捕まったのであれば暫くは大人しくなるだろう。
安堵して、納豆にタレとからしを入れてかき混ぜる。
心配する要素が一つ減ったので、学校には行けそうだ。
ふと、ルナは昨日の茜との別れ際のことについて思い出した。
「……しまった、月出里さんと連絡先の交換するのを忘れてた……」
多分、月出里さんが言いたかったのはソレのことだろう。
――今日学校から帰った後、神社に寄ろう。
そう思いつつ、ルナは別の相手に電話をかける。
相手は嵐だ。
数コールもしないうちに、電話の応答があった。
『んー、もしもしぃ?クローネとは会えたかい?』
「……その声色だとラン兄(に)ぃか。会えたんだが、ちょっと色々あって一目惚れされた。俺は将来婿入りさせられるらしい」
その報告に嵐は大声を出した。
『えっ!?それは本当かい!?』
「うるさっ!?本当だよ、俺の血がよっぽど気に入ったらしい」
『そうかいそうかい、いやぁめでたいなぁ!ルナもついに相手ができるとは!おにーさん嬉しいよ!』
嬉しそうな嵐の声に、ルナは冷静に答える。
「……まだ確定してない。アーカード伯の返答とかもあるし、何より相手の一方的な感情だけで決める事じゃあない」
『だとしてもだよ!人間のアルビノの男性なんて、探してもなかなか見つかるモノじゃあない、それで一発回答を出したんだから、流石我が自慢の義弟だよ』
「そうかい、んじゃ、俺は今日も学校に行くから。あ、そうだ」
ルナは思い出したように口に出す。
「……今朝のスマホニュースで見たんだが、過激な魔族反対派が行動を起こして捕まったらしい、そしてその被害者の一人はクローネだった。そっちも気をつけてくれ」
すると、嵐は声のトーンを下げた。
『……おにーさんの心配より、未来のお嫁さんの事を心配した方がいい。彼女は大丈夫なのかい?』
「ああ。治療はしたし、血を飲んだら元気になった。犯人は捕まったみたいだし、本人は早朝の間に魔界に帰ったみたいだ」
『なら大丈夫か。学校、いってらっしゃーい』
「ああ、行ってきます」
そう言って電話を切る。時刻を見ると、7時半になっていた。
「おっと、飯食ってさっさと行かないと」
納豆をご飯にかけて、勢い良くかっこむ。
一瞬喉につまらせかけたが、コーヒーのおかげでなんとか飲み込むことができた。
食器を片付けた後、洗面台で歯を磨いて、最終チェックをする。
「スマホ、財布、鞄、タバコ、ライター、家の鍵、ヨシ!」
いってきます、と小声で言ってから、ルナは玄関を開けた。
――この時、ルナはまだ知らなかった。
茜が暴行を受けた件と、クローネが通り魔に刺された件。
この2つの事件には、ルナが逃れられない過去と、血の繋がりが関係していること。
そして、運命は既に、昨日から変わり始めていたということを――。
次の3話からは、ハーメルンのみへの投稿となります。これからよろしくお願いします。