「……おかしいな、午前中は晴れてたハズなんだが」
ルナが外に出ると、空はかなり濃い曇り模様。
しかも鼻で呼吸をすれば、土の匂い。
「こりゃ雨が降るな……。急ぐか」
駆け足気味にルナが歩き出し、神社へと向かう。
宿題の受け取りと、茜に自身の家のマンションに来るようにお願いをするため。
――
「こんにちはー、月出里さん、いますか?」
神社の境内、社務所に声をかけると、茜の父親が顔を出した。
「ああ、先程帰ってきたみたいだ。……しかし、君も災難だったね」
「いえいえ、俺が望んでやったことですから……。っと、降ってきそうだ」
ルナが茜の父親と会話をしていると、ぽつぽつと雨粒が頭にかかる感触がしたので、ルナは神社の裏手、茜の家に向かうことにした。
「宿題を受け取ったら、少々娘さんをお借りすることになるかもしれません。その時はよろしくお願いします、夕飯までには帰らせるので」
「ああ、気にしないで大丈夫だよ。夜遅くまで、というなら感心はしないがね」
茜の父親の言質も取ったので、ルナは茜の家へと走り出した。
「……若いって、いいねぇ……」
……駆け出したルナの後ろで、茜の父親はそう呟いたが、ルナは聞こえなかったことにした。
――
茜の家の玄関に着く頃には、既に結構な雨になっており、ルナは軽く濡れてしまった。
ルナがチャイムを押して数秒待つと、茜が玄関を開けて、出迎えてくれた。
「いらっしゃい、ルナ君。雨、すごいから早く入って」
「ああ、お邪魔します。タオル、借りてもいいか?」
一言入れて、ルナは玄関から靴を脱いで廊下へと足を踏み入れた。
「うん。……待ってたよ。こんな雨になるとは、思ってなかったけどね」
そう言う茜の顔をよく見ると、普段見るよりも、頬が赤くなっているように見えたのが、ルナには気になった。
「そうか、それはすまん。……?顔、赤いぞ?」
「ん~?ルナ君が来るってわかったら、ちょっと期待しちゃってね……♪タオル、取ってくるからもうちょっとだけ待っててね」
そう答えながら洗面所へと向かう茜の足取りは、どこかふわふわしているようにも感じる。
(月出里さん……?風邪、だったら家には上げないとは思うが……。大丈夫か?)
思考していると、茜がタオルを持ってきたので、そこそこに濡れた髪の毛をごしごしと拭き取った。
「ふぅ……。さて、宿題はちゃんと受け取ってくれたか?」
ルナが茜に尋ねると、茜はこう答えた。
「ばっちり。でも、今は雨降ってるし、どうせなら、私の部屋で一緒にやらない?」
「んー……。雨がいつ止むかもわからないし、二人きりというのもな。そういえば境内に月出里さんのお母さんが見えなかったけど、どこにいるんだ?」
そうルナが聞くと、今度はキッチンに通じる通路から、茜の母親が顔と金色の狐耳を出した。
「あらルナ君、いらっしゃい。私はここよ~」
「どうも。……誰かいるなら、問題は無いかな。月出里さん、部屋にお邪魔してもいいか?」
そう茜にルナが言うと、ぱぁっと輝くような笑顔で、茜は尻尾をぶんぶんと振りながら喜んだ。
「わかった!じゃ、こっちだよ!階段気をつけてね!」
「はいはい」
そう言いながら階段を登ろうとすると、ちょんちょん、と、茜の母親から指先で肩を叩かれた。
「ごめんね、ちょっといいかしら?茜のことなんだけど」
「……今日は月出里さんの顔がいつもより赤いですね。どうしたんですか?」
気になっていた事を茜の母親に聞くと、茜の母親は言いづらそうに答えた。
「……茜はね、貴方を想うあまり、初めての発情期を迎えているのよ。無自覚だろうけど」
「……それは、大丈夫なんですか?」
発情期。獣人が獣の特徴を受け継いだ人種だとするならば、その特徴の1つ。
聞いたことはあるが、実際に見るのは初めてだ。
「大丈夫よ。初めての発情期はとても短く収まる事が、獣人の間では知られているし、想い人がいるなら尚更心配は無いわね」
「わかりました。……では、気を強く持つよう気をつけます」
そう茜の母親にルナが言うと、茜の母親はブンブンと手を振りながら否定した。
「違う違う、私が言いたいのはそういう事じゃないの。もし『そういう事』が起こっても、私は、いえ、私達は貴方を責めないから、茜に付き合ってあげて、ってことよ」
「……ッ」
言葉を失う。
驚いた。母親がここまで言うのか、とルナは思った。
(……困ったな。許可が降りたからって、やっていいこと悪いことはあるだろうに)
思考する。確かに若い男女で、想い人であれば、そういう事も起こりうるだろう。それはわかっているつもりだった。
(問題は俺の覚悟が中途半端なことだ。何せ俺は、まだ俺自身の幸せについても答えが出た訳じゃあない)
ルナは、あれだけ言われても、まだ己の心の中に自責の念があった。
それに、茜は発情期という己の状態に気づいていない。だとするならば――。
「――わかりました、ありがとうございます。ただ、月出里さん本人の望まない事はさせられません」
踏み込むだけの強さは、今のルナにはない。
ルナはそう思いながら、茜の母親に伝えた。
「……そう、真面目ね。わかったわ、無理に進めてもいいことはないものね。ただ、1人にはしないであげてね」
茜の母親はそう答えて、ルナは階段を登り始めた。
下を見ると、茜の母親が優しい笑顔で手を振ってくれたのだった。
――
「お待たせ、ちょっと月出里さんのお母さんと話してた」
「……お母さん、なんだって?」
茜の部屋は、女の子らしくもシンプルな構成だった。
ベッドに、姿見、クローゼット。部屋の隅には勉強机(とは言うもののそのスペースの大半にパソコンが置いてある)と椅子。部屋の中央には、布団の挟まれていないこたつがあり、そこには少量のお菓子と、何枚かのプリント……宿題と、数種類のペン等筆記用具。
「いや、個人的な話だ。宿題、始めてしまおう」
発情期の件を話そうか一瞬迷い、やめておくことにした。
それだとおそらく、いつまで経っても宿題が始まらなくなる。
「気になるなぁ……。で、範囲としては――」
茜が促し、勉強会が始まる。
持ってきた鞄の中から教科書と筆記用具、ノートを取り出しながら、改めて茜を観察する。
確かに、茜の顔は赤くなっている以外にも、金色の瞳が少し潤んでいるように見えた。
少しすんすん、と部屋の空気を鼻に入れると、なるほど、女性特有の匂いというか、そんなようなフェロモンも出ているように思える。
茜の格好を見てみると、かなりラフだ。丈の長いぶかぶかのTシャツに、かなり丈の短いドルフィンパンツからは、すらっとした足が黒タイツに包まれていて艶めかしい。
「……おっといけない、どこだっけ範囲?」
危ない、茜の母親から聞いた話で煩悩が増していたのか、思わずちょっとエッチな目で茜を見てしまっている事にルナは気づいた。
教科書の適当なページを開きながら、煩悩をすこし横にどけるようにしてルナが茜に聞く。
「もう、ちゃんと話聞いてよね?」
茜が机の向かい側から身を乗り出して、ルナの教科書をぱらぱらとめくる。
ふと気になり、少し顔を上げる。
顔が近いのもそうだが、Tシャツのサイズが大きいのもあって、胸元が大きくはだけている。
素肌と、大きくはなく、だが決して小さくはない茜の胸元、及びスポーツブラが見えて、思わず顔が赤くなるのを感じ、ルナは慌てて教科書へと目を落とす。
「ほらここから……、ここまで。わからない所あったら、スマホとかで調べるか聞いてね。私この範囲今日やってきたから、ノート見せてあげる」
茜が体勢を元の位置に戻しながら言う。どうやら胸元が見えていたのには気づいていないようだ。
「……わかった、ありがとう。んじゃ、始めるか」
勉強を始める。なるほど、この範囲から出ているなら、元々持っている知識を使えば、問題は解けるだろう。
ペンをプリントに走らせ、ノートにその内容をかいつまんでメモする。
それを繰り返しつつ問題を解き、答えをプリントに記入する。
「因数分解は確か……。月出里さん?」
茜の手元を見ると、全くと言っていい程に動いていなかった。
右手に持ったペンも、左手が添えられた教科書も、微動だにしていない。
顔を見ると、ぼーっと、ただこちらを、ルナの顔を見ていた。
「……。月出里さん、宿題、進んでないぞ」
そうルナが言うと、茜は一瞬遅れて反応した。
「ぅん……?あ、あぁ、そうだね……。ごめんなさい」
そう茜は答えるが、プリントの1、2問を解くと、すぐに手が止まり、顔がこちらを向く。
少しまぶたが重そうで、金色の瞳が、また潤んだようになっている。
――熱を帯びている、というのが、正しいだろうか。
ふと窓を見ると、雨はかなり強くなってきたようだ。
窓を打つ雨音が先ほどより強くなり、屋根に当たる雨粒の音が、少し聞こえてくる程には雨が強い。
(こりゃ暫くは帰れそうにないな……。茜の例の一件もあるし……)
ルナがスマホを起動し天気予報を見ると、あと1時間程で止むらしいが、本当だろうかと疑ってしまうような雨だ。
「っと、いかん。宿題せんと」
スマホをポケットに戻し、ちょっと声を強くしてルナが言う。
「……ッ、そうだね、宿題宿題……」
その声に驚いたのか、茜もまた教科書をめくり、ノートに書き込む。
……が、それもまた、数分と経たないうちに止まる。
再び茜の顔を見ると、熱を持った瞳でルナの顔を見ている。それだけでなく、口元が緩み、軽く開いている。
完全に上の空だ。しかも、茜はそれに多分気づいていない。
「……3度目だぞ。というか顔が赤いし、熱でもあるのか?月出里さん」
ルナが問いかけると、また一瞬硬直してから、茜は答える。
「んぅ……?無い、と想うよ?でも、ルナ君の声、いつもより大きいと言うか……。近く感じるというか……」
勿論、ルナは声を大きくしてはいない。先程宿題を促した時に声をちょっと強くした程度で、それ以外はいつもの声色だ。
はぁ、とルナが教科書を閉じながら、小さなため息をつく。
「……宿題するどころじゃなさそうだ。熱があるなら、ちょっとくらい休んだっていいだろう。飲み物、取ってきてもいいか?」
「……持ってきてくれるの?ルナ君」
ボールペンをこたつに置いて、ルナは立ち上がる。茜の声色は、質問というよりも、お願い、というような感じだった。
「ああ。すぐ戻るから待っていてくれ」
ドアノブに手をかけて、開き、茜の部屋から出ていくその時まで、ずっと茜に見られているような感触を、ルナは覚えた。
雨は未だに続いている。その内雷でも降ってくるのではないか、と思う程に雨音は強かった。
――
ルナが茜の母親から許可を得て飲み物(氷の入った麦茶)を持って部屋に戻り、片手で盆を持ちながらドアを開けようとすると、ピカッ、と外で光が見えた。
雷か、とルナが思ったその直後にドン、と音が鳴った。ちょっと遠めのようだ。
それが終わってからドアを開けると、ベッドの上で布団を頭から被る茜の姿があった。
「(もしかして……)お待たせ……。雷、そんな怖いか?」
ルナが茜に聞くと、ぷるぷると震え、ベッドに座り直しながら茜が小さい声で答えた。
「うん……。昔からお母さんが、『隠さないと、雷様に尻尾取られるよ』って脅されててさ……今でもちょっと怖いかな」
「そっか。そりゃ怖いわな。……麦茶、持ってきた。こたつに置いておくな」
盆からコップを2つ、コースターを敷いてから置くと、ルナはベッドに、茜の横に腰掛けた。
(我ながら発情期の事聞いておきながら、なんでベッドに腰掛けるかねぇ……まぁ、雷怖がってる女の子の遠くに座るってのも、違うだろ)
ルナはそう自分に言い聞かせながら、ちらりと茜の方を見る。
ぷるぷると震えて縮こまっている姿は、どことなく小動物的なソレがあって可愛らしい。
「……ねぇ、ルナ君」
不意に、茜が口を開いた。
「どうした?」
「……手、握って欲しい。近くで鳴ったら、ちょっと怖い」
おずおずと、茜がルナに向かって左手を差し出す。
「ああ。……そうだ、そういえば月出里さんに話があるんだ。いいか?」
思い出した。今日はそれを伝えるために茜の家まで来たんだ。
差し出された茜の左手に自身の右手を重ねながら、ルナは言う。
「?なぁに、ルナ君?」
「……雨が止んだら、家に……ッ!?」
ドン、と、先ほどより大きい音と、稲光。
「ぴっ!?」
茜が少し飛び上がる。と同時に、部屋の電気が消える。どうやらブレーカーが上がってしまったようだ。
「っと、大丈夫か?」
電気が消え、少し暗い部屋の中でルナが茜に聞くと、左手、いや、それだけではない。
全身を震わせながら、茜は絞り出すように言った。
「……やっぱり、やっぱり怖いよ、ルナ君……」
「……俺が傍にいる。大丈夫だ。大丈夫だからな」
ルナが手を軽く握ってやると、茜の震えが少し弱まった。
「ほら、こっち向いてくれ」
「……?」
茜に向き直ってルナが言うと、ルナは空いた左手で茜の頭を撫でた。
さら、さら、と指の間を抜ける黒髪が手に心地よい。
「ほら、震え、止まっただろ?」
気がつけば、茜の体の震えはほぼほぼ収まっていた。
「ん……。ありがと、ルナ君」
そう言って、茜は目を閉じて、頭を撫でられていた。
(さて……。ここからどうしたもんか……)
ルナはここからのことを全くと言っていい程に考えていなかった。
思いつきで頭を撫でてみたはいいものの、茜に手を出してしまおうか、等とはあまり考えていなかったのだ。
(月出里さんの気が済むまで撫でていても、俺は飽きないからいいんだが……)
手を止めて考えていると、茜が目を開けながら床に立ち、ルナにこう言った。
「……ルナ君、ルナ君の髪も、綺麗だよね。……手櫛しても、いい?」
「……?ああ、いいぞ。俺の髪でいいなら、好きなだけ」
許可が出たのを皮切りに、ルナの髪に、茜が指を通す。
「わ……さらさら……。すごく触り心地いい……」
「シャンプーとリンスで少しいいの使ってるくらいで、手入れはそこまでしてないんだがな」
頭頂を撫でられたり、髪を触られるというのも、案外心地の良いものだと思いながら、ルナは茜の顔を見る。
先ほどまでと同様で、顔は赤いままで、金色の瞳も潤んだまま。それに物理的な距離の近さもあって、フェロモンだろうか、良い匂いがしている。
――不意に、茜の手がルナの頬に触れた。
「――月出里、さん?」
……先程距離が近い、と言ったのは少し正確ではなかった。正確には、顔の距離が近かったのだ。
茜と目を合わせる。というより、目が離せなくなっていた。金色の瞳には、もはやルナしか写っていないのだろう。
心臓の鼓動が、重なった右手越しにも伝わりそうで、ドキドキする。
「……ルナ君。私ね、昨日からずっとおかしいの」
ぽつり、ぽつり、と、茜がつぶやく。
「ルナ君の頬にキスしてから、ずっとルナ君の事考えてる。本当にずっとで、夢にも見たの。朝に電話かかってきた時は、びっくりしすぎてスマホを落としそうになるくらい」
顔が、さらに近くなる。吐息が、鼻にかかって、甘い匂いがする。
「月出里さん、近いって。本当に今日はどうしたんだ?」
(……我ながらちょっとすっとぼけすぎたか?)
ルナが頭の中で己の言葉を自嘲していると、顔を少し伏せながら茜は答えた。
「わかんない……。昨日の夜から、ずっと、本当にずっとなんだ……」
見る人によっては、苦しそう、と思えるまでに、茜の呼吸がはぁ、はぁ、と荒くなる。
甘い香りが、ルナの脳を全て包みこんでいるような気がして、おかしくなってしまいそうに思えてくる。
「ずっと、頭の中と、胸の奥、そしてお腹の奥底が、ずきん、ずきん、って、うるさいの。手、握ってるから、心臓の鼓動、伝わっちゃってるかな?」
気づけば、ルナの右手は、茜の左手によって導かれ、彼女の胸元へと触れていた。
服と先ほど見えたブラ越しに、彼女の柔らかさ、温かさ、そして、心臓の鼓動が、どくんどくん、と伝わってくる。
「ほら……。私、こんなにどきどきしてる」
「……月出里さん」
(これ以上は……俺が望むべきか?)
一瞬息が詰まり、止まる。
未だルナの中には、幸せになっていいのか?という疑念が残っていた。
だが、それを捨てていいと言った一端は、間違いなく茜で。
「ルナ君は、幸せになるの、怖いんだよね……?昨日、言ってたもんね」
茜が顔を上げ、さらに近づける。
茜の吐息がルナの鼻にかかるだけでなく、お互いのおでこがぴっとりとくっつく。
熱が、伝わって――
「――ね……?私と、幸せに、なっちゃお……?」
茜の、ピンク色の唇が、限りなくルナの唇に近づいて……。
続きはR18パートになります。近いうちに書き始めるので、よろしくお願いします。