俺、伝説の英雄に憑かれまして 作:クリムゾン
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「――というわけだ。光栄に思え。なにせ俺は、あの大英雄ガレン様だからな!」
墓の上に、見知らぬ大男があぐらをかいていた。陽に灼けた肌、銀の混じった無精髭、背には大ぶりの剣。胸を張る姿は英雄譚の挿絵から抜け出してきたみたいに様になっている。ただ、一つだけ、どうしようもない問題があった。
足が、墓石を透かしている。
死人だ。それも何百年も前に死んだはずの伝説の英雄を名乗る死人。……どうして、こうなった。
その日の夕暮れまで、俺の人生は、退屈なくらい静かだった。
名前はレオ・リールウッド。この大陸の隅っこ、地図にも載らないような小さな町でたった一人の墓守をやっている。歳は十八。痩せていて、目の下には消えない隈があって爪の間にはいつも乾いた土が詰まっている。町の連中は俺と目を合わせない。墓守なんてのは、この世界じゃ半分あっち側の人間だと思われているからだ。
この大陸には、いくつもの国があってその数だけ英雄譚がある。子どもは英雄の歌を歌って育ち、大人は酒場で旅の与太話に花を咲かせる。もっとも、墓守の俺には英雄も魔物も縁がない。俺の相手は、いつだって、もう動かなくなった連中だけだった。
――まあ正確にはたまに、動くんだが。
俺には、死んだ連中がうっすら視える。声も聞こえる。このことは誰にも言っていない。知られたらたぶん石を投げられる。死者の姿が視える人間はこの世界じゃ「穢れ」と呼ばれて忌まれるからだ。だから俺は黙って視えるまま聞こえるまま、死人を土に還してやる。それだけが俺の仕事だった。
この仕事を教えてくれたのは、育ての親の墓守の爺さんだ。俺がどこの生まれかは、爺さんも知らないと言っていた。物心ついたときには、もう墓地の隅の納屋にいて節くれだった手が俺の頭を撫でていた。無口で、頑固で、いつも酒臭かった。それでも死人に土をかけるときだけは、まるで生きた相手に挨拶するみたいに丁寧だった。その爺さんも、三年前に逝った。最後に埋めたのは俺だ。爺さんの姿は、視えなかった。心残りなんて何一つ無かったんだろう。あの頑固爺らしい、と思った。思ってそれから、納屋の隅で少しだけ泣いた。
それからは俺がこの町の墓守だ。穴を掘って、棺を下ろして、土をかぶせる。たまに、消えきれずに残った連中の最後の言葉を聞いてやる。「鍋の火を消したか心配だ」とか、「孫にもう一度会いたかった」とか。くだらないのも、泣けるのも、ぜんぶ聞いてぜんぶ送ってきた。町の連中は俺を嫌う。それでも、誰かが死ねば結局は俺を呼びにくる。ほかにやる奴がいないからだ。
この町で死人が視えるのは、俺だけ。だからちゃんと送ってやれるのも、俺しかいない。送らずに放っておけば、死人はこの世に居残る。だから俺は、この町を、離れられなかった。
離れられない――くせに。納屋の壁には、すり切れた地図が貼ってある。酒代のかたに行商人が置いていったやつだ。海。雪をかぶった山脈。名前も読めない、遠い街。俺は毎晩、それを眺める。いつかここを出たい。墓の外を、町の外をこの目で見てみたい。子どもの頃からずっとだ。でも、口にしたことは一度もない。墓守に、明日はない。夢ってのは、たいてい壁に貼ったまま黄ばんでいく。俺もいつか爺さんみたいに、誰かを送って、送られて、この町の土に還る。それで、終わりだ。――そう思っていた。あの夕暮れ、墓の上で笑う、うるさい死人に出くわすまでは。
その日も、いつも通りのはずだった。新しい墓に土をかぶせていると、視界の隅で何かがやけにくっきりしていた。いつもの死人とはまるで違う。生きた人間より、よっぽど色が濃い。そいつは掘り返したばかりの墓に腰かけて俺と目が合うなり、にやりと笑った。
「よう。やっと――視えるやつに会えた」
ぞっとした。これまでやってきて、型形がハッキリしていて自分から会話をしてくる死人なんて初めてだ。俺はシャベルを担いで回れ右をした。
「おいっ、待て待て待てっ。逃げんな!普通そこは腰を抜かすだろ!?」
抜かす前に帰る。俺は納屋に逃げ込んで戸を閉めた。
「いやいや、すり抜けて入れるんだわ、これが」
壁から、ぬっと顔を突き出してきた。俺は無言で毛布をかぶる。
「寝たふりも無駄だぞー。しかも俺ぁ寝ねえからな、死人だし」
「……かえれ」
「お、喋った」
……だめだ。今まで送ってきた死人は少し話を聞いてやれば消えた。なのにこいつは、消える気配すらない。俺は観念して、毛布から顔を出した。
「分かった、聞く。――で、何なんだよ、お前」
で、冒頭に戻る。男は胸を張って、「大英雄ガレン様だ!」と言い放ったわけだ。
俺は、毛布をかぶり直した。
「おいこら!? なんで戻る!?」
戻るに決まってる。『ガレンとルベールの旅物語』。この大陸で知らない奴はいないらいの英雄譚だ。大陸中を旅して、魔物を斬って、人を助けて回った、二人の英雄の物語。爺さんもよく俺に聞かせた。何百年も前に死んだ伝説の英雄。それがこんな田舎町の墓場で、墓守の俺なんかに話しかけてくる?ありえない。頭のおかしい死人か、見栄っ張りの嘘つきかどっちかだ。
「で、本題だ」ガレンが手を打った。「俺と来い。旅に出よう。世界中ぜんぶ見せてやる」
心臓が、跳ねた。旅。世界中。壁の地図が、目の端をかすめる。海。山脈。遠い街。十八年、眺めるだけだった景色。――落ち着け。
自称・大英雄の消えない死人の言うことだ。どうせろくな話じゃない。それに、俺はこの町を離れられない。死人を送れるのは、俺だけだ。爺さんから引き継いだ、たった一つの役目だ。
「断る」声が、少しだけ掠れた。
「即答かよ!もう少し考えるふりくらいしろよー」
「俺には、ここでやることがある。それだけだ」
ガレンは、しばらく俺を見て――それから、にやりと笑った。
「やることがある、ねえ。……本当は、出ていきたくてたまらねえくせに」
腹の底が、かっと熱くなった。
「黙れ。お前に、何が分かる」
「分かるさ」ガレンは、壁の地図を顎で指した。「あんなにボロボロになるまで眺めた地図。毎晩、だろ?叶わねえと分かってて、それでも見ちまうんだ。」
……図星だった。誰にも言ったことのない夢を、会ったばかりの死人に、言い当てられた。ただのまぐれだ。当てずっぽうだ。そう思おうとするのに、心臓は、馬鹿みたいに鳴り続けていた。
俺が黙り込むと、ガレンは、ふと笑うのをやめた。そして、俺の目を、じっと見た。やけに、長く。まるで、ずっと昔に会った誰かと、見比べるみたいに。
「その目」と、こいつは低く言った。「まだ、残ってたのか」
背筋の奥が、ざわついた。
「……なんだよ。何を、知ってる」
ガレンは、答えない。代わりに、墓場の向こう――夜に沈んだ町の外を、顎でしゃくった。
「知りたきゃ、この町の外へ出ろ」
ずるい言い方だ。俺は自分がどこで生まれたのかもなぜ死人が視えるのかも、知らない。誰も教えてくれなかった。爺さんでさえ、何も言わずに逝った。その答えを、この胡散臭い死人が握っているという……。少なくとも、握っているふりができるくらいには。
怖かった。町を出るのが。十八年いた場所とたった一つの役目を、生活を捨てるのが。でも――このまま、ここにいたら。俺はきっと、爺さんと同じだ。死人を送って、送って、送り続けて、最後は世界を知らずにこの町の土に還る。壁の地図は黄ばんだままそこに残る。それだけは。……それだけは、何故かどうしようもなく嫌だった。
その夜、俺は一睡もしなかった。代わりにシャベルを担いで、町じゅうを歩いた。路地の隅でうずくまる年寄りに。井戸のそばでべそをかく子どもに。誰にも気づかれず薄れかけていた連中、ひとりひとりに最後の言葉を聞いてやった。「ママに会いたい」「すまなかった」「腹が減った」――ぜんぶ聞いて、ぜんぶ、送った。
夜明けには、この町に残った死人は俺の知る限りいなくなった。これで当分は誰も見送りそびれずに済む。……まあ少し経てばまた誰か死ぬ。その声を聞いてやれる奴はもうこの町にはいない。だから俺は振り返らないと決めた。
最後に、爺さんの墓に寄った。雑草も抜いてやれずに悪かったな、とは言わなかった。あの頑固爺は湿っぽいのを嫌う。代わりに、一言だけ置いていく。
「……行ってくる」
返事はなかった。心残りのない死人は何も言わない。それでいいんだ。
納屋に戻って壁から地図を剥がす。十八年、眺めるだけだったそれを、初めて折り畳んで、懐にしまった。
「おい、本当に行くのか?」ガレンが、少し面食らった顔をした。
「うるさい。お前が言ったんだろ。気が変わる前に歩け」
ガレンはにっと笑って手を差し出してきた。すり抜けるくせに。
「――じゃ、行こうぜ。相棒」
差し出された手に手を伸ばしかけてすり抜けて俺は舌打ちした。ガレンが腹を抱えて笑う。
町の門をくぐる。振り返らなかった。一度も。
静かに生きるはずだった、ただの墓守。そして、英雄を名乗るうるさい死人。――二人の、長い旅の始まりだった。