俺、伝説の英雄に憑かれまして   作:クリムゾン

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三話 死人の頼みごと

 近づいてみると、その死人は、思っていたより若かった。俺と、たいして変わらない。二十歳そこそこだろう。革鎧のあちこちが斬り裂かれ、脇腹が、どす黒く染まっている。死んだときの傷を、引きずったままだ。

 

 妙だったのは、その体だ。輪郭が、ちらちらと揺れている。蝋燭の火が、風になぶられるみたいに。濃く視えたかと思えば、次の瞬間には、向こうの夜景が透けた。

 

 町で送ってきた死人とは、逆だった。あいつらは朝靄みたいに薄く、けれど静かだ。こいつは濃いくせに、危なっかしく明滅している。無理やり、この世にしがみついているみたいに。

 

「……見えて、いるのか。俺が」

 

 喋った。それも、はっきりと。

 

 ぞくりとした。自分から話しかけてくる死人なんて、墓守を継いで三年、ガレンのほかに知らない。たいていの死人は、寝言みたいな言い残しをひとつふたつ、それきり溶けて消える。こうして言葉を交わせる奴は、めったにいないのだ。

 

「ああ。聞こえてる」

 

「よかっ……た」声が掠れ、途切れた。輪郭が、大きく揺らぐ。「ずっと、誰にも……気づいて、もらえな……っ」

 

 喋るだけで、すり減っていくのが分かった。

 

「無茶しやがる」隣で、ガレンがぽつりと言った。からかう調子はない。「そいつ、心残りだけで、無理やり形を保ってやがる。長くはもたねえ。すり減らしきったら、薄れて消えるか――もっと悪いものに、成り果てるかだ」

 

 もっと悪いもの。聞き返す気には、なれなかった。

 

 考えてみれば、ガレンのほうがおかしい。何百年も前の死人のくせに、薄れも明滅もせず、生きた人間より図々しくそこにいる。今は、その違いを考えている場合じゃないが。

 

「名前は」俺は聞いた。死人の名を聞くのは、墓守の癖だ。

 

「……ウィル」そいつは、少しだけ背筋を伸ばした。「叙任されたばかりの……見習いみたいな、騎士で」

 

 切れぎれの言葉を、つなぎ合わせる。

 

 ひと月前から、この村に野盗が出る。月のない晩を選び、焼いて、奪って、斬る。村は砦に助けを求めたが、地図の隅の貧乏村に、まともな騎士は来ない。来たのは、見習いのウィル一人きりだった。

 

「俺くらいしか……いなくて」掠れた笑い。「弱いやつほど……暇、なんですよ」

 

 その言い草には、覚えがあった。墓守を継いだのも、似たようなものだ。誰もやりたがらないから、いちばん下の俺に回ってきた。ただ、俺は回ってきた仕事を続けただけ。こいつは頼まれもせず、自分から死にに行った。そこが、決定的に違う。

 

「一度は、追い返した。けど……まぐれだ」ウィルの声が震えた。「頭は……桁が違う。岩みたいな膂力で、速くて……俺の剣なんて、片手で弾かれた。『次の闇夜に、皆殺しに戻る』って……」

 

「で、それが今夜か」

 

 ああ、と思った。さっき、村に向かって繰り返していた譫言。守れなかった。今夜、また来る。耳に届いた切れぎれの言葉が、ようやくひとつの形になる。

 

「ここで死んだから……村にも、入れない」ウィルは、足元の地面を見た。「あの子に……指切り、したのに」

 

 死んだ場所に縫いつけられる。墓守なら知っている。強い心残りを抱えた死人ほど、その在りかから離れられなくなる。

 

 ガレンは、しばらく黙って、ウィルの斬られた脇腹を見ていた。

 

「……英雄ってのはな」やがて、低く言った。ウィルにじゃない。たぶん、俺にでもない。「歌になるような、強い奴のことじゃねえ。勝てねえと分かってて、それでも逃げなかった、間抜けのことだ」

 

 その目は、ウィルを通り越して、ずっと遠くを見ていた。大英雄が、どうしてそんな、自分を殴るみたいな顔をするのか。俺には分からなかった。

 

 逃げろ、と昼間こいつは言った。お前は弱い、と。その通りだ。俺は英雄じゃない。剣も握れない。

 

 でも、誰にも気づかれず、消えられずにいる死人を、俺はこれまで一人も、見て見ぬふりできた例しがない。いつか自分も、誰にも送られず消えるのが怖くて――その怖さで、ずっと死人の声を聞いてきたんだから。

 

「……聞かせろ、ウィル」俺は、死んだ騎士をまっすぐ見た。「お前のやり残し。どうすれば、果たせる」

 

 ウィルが、目を見開いた。明滅する輪郭が、いっとき、ぐっと濃くなった。

 

 答えたのは、ガレンだった。

 

「お前は、剣を知らねえ。だが、そいつは曲がりなりにも、剣を習った騎士だ」ウィルを、顎で示す。「お前が動け。怖くてもだ。振り方の分からねえとこだけ、そいつに後ろから手を添えてもらえ。お前は、お前のまま。……だから弱いし、お前にできんのも、それくらいだ」

 

「ひとつだけ。引き受けたら、投げ出すな。死人の心残りを半端に放ると――ろくなことにならねえ」

 

 ろくなこと、の中身は、言わなかった。

 

 村の入口は、もう半分ふさがれていた。荷車と材木の、間に合わせの柵。鍬や、なたや、錆びた槍を握って、男たちが青い顔で街道を睨んでいる。強そうな奴は一人もいない。鍬は振れても、剣は振れない百姓ばかりだ。

 

 よそ者の俺は、すぐ見咎められた。

 

「何者だ。賊の回し者か」鍬を構えた大男が、柵越しに睨む。「こんな夜に、村へ入れられるか。失せろ」

 

 当然だ。逆の立場なら、俺も同じことを言う。それに、柵の中に用はない。賊が来るのは街道から。ウィルが立つのも、村はずれのここだ。なら、俺がいるのは柵の外でいい。

 

 追い払われても動かない俺を、柵の隙間から、小さな影が見ていた。女の子だ。五つか、六つ。汚れた木の人形を握っている。

 

「……おにいちゃん。ウィルさまの、おともだち?」

 

 心臓が、嫌な音を立てた。この子にウィルが視えてるわけじゃない。俺が来た道の先で、騎士が倒れたのを知ってるだけだ。

 

「ウィルさま、また来てくれるって、ゆびきりしたの」女の子は、人形を抱きしめた。「こんどは、ぜったい、まもるって。……まだ、来ないけど」

 

 すぐそこにいる、とは言えなかった。代わりに、俺が約束した。

 

「……来るよ。きっと、もうすぐ」

 

 それだけは、嘘にしたくなかった。

 

 女の子が母親に呼ばれ、駆けていく。

 

 その時だった。

 

 夜の街道の、ずっと向こう。月のない、墨みたいな闇に、ぽつ、ぽつ、と火が灯った。松明だ。揺れながら近づいてくる。馬のいななき。重い足音。腹の底が冷える、男たちの哄笑。

 

 柵の内側で、悲鳴があがった。

 

「来た……っ! 闇夜の野盗だ!」

 

 膝が、笑っていた。シャベルを握る手が、汗で滑る。逃げ出さなかった自分が、信じられない。考える暇は、もうなかった。

 

「ウィル!」俺は、隣の死人に叫んだ。「手伝え! お前の振り方、教えろ! 約束、果たすぞ!」

 

 ウィルが、俺の背に、ふっと添うのが分かった。冷たい手が、シャベルを握る俺の手に、そっと重なる。

 

 先頭の一人が、柵を跳び越えてきた。振り下ろされる、山刀。

 

 俺の手は、相変わらず震えていた。腰も引けている。それでも、その震える手を、後ろからの手が、ほんの少しだけ導いた。シャベルの腹が、刃を斜めに受け流す。火花。受けきれず、肩が抜けそうになる。

 

 添えられた手から、ウィルの必死さが、指先に滲んだ。次の角度を、教えてくれる。

 

 たたらを踏みながら、俺はシャベルの縁を、賊の脛に叩きつけた。男が、無様につんのめって転がる。倒したというより、転ばせた。それが、精一杯だった。

 

 息が、上がる。たった一合で、指の感覚がない。重なっていた冷たい手も、もう消えかけていた。

 

「……これ、何度でも、できるのか」あえぎながら、聞いた。

 

「タダだと思うな」ガレンは短く言った。「今日は、安かった。それだけだ」

 

 安かった。その言い方だけが、妙に耳に残った。

 

 考えている暇は、なかった。

 

 倒した賊は、たった一人。柵の向こうには、まだ何人も。そして、その奥。松明を背に、岩みたいな影が、ゆっくり歩いてくる。片目を、汚れた布で覆った大男。

 

 頭だ。ウィルが、二度と戦いたくないと言った、あの。

 

 借りた手が、俺の意思と関係なく、すくみ上がった。手を添えてもらう程度じゃ、あれには届かない。本能で分かってしまう。

 

 なら、どうする。

 

 答えは、まだない。あるのは、隣で消えそうに揺れる死人の覚悟と、汗だくの手の中の、シャベル一本きり。

 

 頭が、にやりと嗤った気がした。

 

 ――本番は、ここからだ。

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