戦闘料理人クラネル   作:あばなたらたやた

1 / 1
一話:起

 

 寿司を握りながら走る。

 重力を発生させる寿司の扱いは非常に難しいが、急ぐ必要があった。

 

「タイムリミットはおよそ30秒。重力の寿司で間に合うか、空間の寿司を握って、瞬間移動するべきか。だが場所によっては即死する。どうする」

 

 ダンジョンの空気は重かった。

 

 湿った岩肌からは冷たい水滴が落ち、鼻を突く血の臭いが漂っている。遠くからはモンスターの咆哮が響き、その音が迷宮の壁に反響して不気味さを増していた。

 

 世界は暗黒期に入っている。

 それは迷宮都市オラリオで暮らす誰もが知る事実だった。

 

 闇派閥は地下で勢力を広げ続け、モンスターの異常発生も頻発している。その結果、多くの冒険者や市民が命を落とし、人々の間には不安と恐怖が広がっていた。

 

 絶望は一気に訪れるものではない。少しずつ、しかし確実に人々の日常を侵食していた。

 そんな状況の中、僕はダンジョン中層を高速で移動していた。

 

 右手に握っているのは一貫の寿司。

 マグロの寿司だ。もちろん、ただの寿司ではない。

 

 僕が作り上げた圧縮寿司である。

 ネタを握る。さらに握る。さらに握る。食材の形を崩さないまま、限界まで密度を高めていく。

 

「寿司料理技法、重力寿司」

 

 寿司の本質は圧縮だ。

 一貫の中に技術も力も全てを込める。

 それが僕の寿司だった。

 完成した寿司を壁へ向かって投げる。すると次の瞬間、空間がわずかに歪んだ。圧縮された質量が重力を発生させ、その力が僕の身体を前方へ引き寄せる。

 景色が一気に流れる。

 

 天井、壁、足場。

 それらを利用しながら三次元的に移動し、迷宮を駆け抜けていく。普通の冒険者なら何時間もかかる距離だろう。しかし僕なら数分で突破できる。

 移動しながら、僕は少し前の出来事を思い出していた。

 

『ベル、依頼が届いたわ』

 

 神殿の執務室。

 姿勢を正したデメデル様は、いつもより真剣な表情をしていた。

 

『ロキ・ファミリアに所属するアイズ・ヴァレンシュタインさんが孤立したようなの』

 

 アイズ・ヴァレンシュタイン。

 通称、剣姫。

 オラリオでも最強クラスと呼ばれる冒険者だ。

 

『敵戦力は闇派閥。モンスターを利用した綿密な計画で大勢の被害が出ているわ』

 

 そう言った後、デメデル様はまっすぐ僕を見た。

 

『ロキの眷属たちを助けてあげてほしいの。危険な任務だけど、お願いできる?』

 

 僕は迷わず答えた。

 

『承知しました』

 

 デメデル様は僕の神だ。そして恩人でもある。だから従う。だが、それだけではない。

 最終的に決めたのは僕自身だ。

 

 僕は昔から考えている。

 善悪に絶対的な価値はない。

 成功や失敗にも絶対的な意味はない。

 世界そのものは本来空っぽだ。

 だからこそ、人は自分で選ばなければならない。

 自分で意味を与えなければならない。そして、その結果に責任を持つ。

 それが僕の価値観だった。

 

 今回の依頼にも、僕は自分なりの意味を与えた。だから最後までやり遂げる。

 そう決めている。

 

「崩落、通路か」

 

 不意に視線を前方へ向ける。

 そこには崩落した通路があった。

 

 地面には血痕。壁には鋭い剣による切断痕。さらに周囲にはモンスターの死体が七体転がっていた。

 

「この戦闘痕はハイクラスの冒険者」

 

 どれも一撃で仕留められている。急所だけを正確に斬り抜いた痕跡だった。

 僕はしゃがみ込み、死体を確認する。

 

「……アイズさんですね」

 

 間違いない。

 無駄のない剣筋。感情を感じさせない戦い方。ただ目的だけを追い続けたような斬撃だった。まるで復讐そのものが剣を振るったかのような傷跡である。しかし、そこで違和感を覚えた。

 

 死体の配置。

 血痕の向き。

 戦闘の痕跡。

 

 それらを観察すると、どこか不自然だった。

 

「誘導されている」

 

 闇派閥は剣姫を孤立させた。

 それは偶然ではない。

 明確な意図がある。

 アイズ・ヴァレンシュタインという強力な戦力を仲間から切り離し、罠へ誘い込もうとしているのだ。

 

 僕は静かに立ち上がった。そして目を閉じる。腰に差した包丁へ手を添え、意識を集中させる。

 

「急ぎましょう」

 

 その直後だった。

 遠くから大きな爆発音が響く。迷宮全体が震え、空気が揺れた。さらに耳を澄ますと、かすかに聞こえる音があった。

 

 少女の剣戟の音だ。

 僕は再び寿司を握る。圧縮。凝縮。一点突破。極限まで高められた質量が重力を生み出す。その力によって身体が弾丸のように加速した。

 剣姫の元へ向かうために。

 

 戦闘音が近付いてくる。

 金属音と爆発音。

 モンスターの咆哮、そして――風。

 強烈な風圧が迷宮の通路を吹き抜けた。僕は最後の角を曲がる。

 そこで見た光景に目を細めた。

 

 アイズ・ヴァレンシュタイン。

 剣姫は立っていた。全身を血に染めながら。

 肩は裂け、腕は傷だらけで、脚から流れる血液が床を赤く染めている。

 それでも彼女は剣を振るい続けていた。

 風を纏い、加速し、斬る。斬る。斬る。まるで復讐という目的だけで動く戦闘機械のようだった。

 

 剣が閃くたびにモンスターが切り裂かれる。

 首が飛び、腕が飛ぶ、胴体が断たれる。しかし敵の数が多すぎた。

 モンスターの群れ。後方で指揮を執る闇派閥のモンスターの調教師。さらに後方には魔法部隊。彼らは無秩序に突撃しているわけではない。

 

 連携している。時間をかけて削るための戦術だ。

 前衛のモンスターが足止めする。

 中衛の調教師が包囲する。

 後衛が魔法で削る。

 一騎当千の剣姫を、一万人で殺すための戦い方だった。

 

 アイズさんが風を纏って突撃する。十体以上のモンスターが吹き飛ぶ。しかしその直後。後方から放たれた魔法が命中した。

 

 爆発。煙。衝撃。

 

 アイズさんの身体が大きく揺れる。さらにモンスターが襲い掛かる。

 彼女は斬る。だが遅い。少しだけ。本当に少しだけ。その少しが致命的だった。

 刃が肩を裂く、牙が脇腹を抉る。爪が太腿を引き裂く。そしてアイズさんの膝が床についた。

 

 血液が滴る。黄金の髪が力なく揺れる。

 闇派閥の男が笑った。

 

「終わりだ」

 

 魔法部隊が杖を構える。

 モンスターが飛び掛かる。

 誰もが勝利を確信した瞬間。だからこそ誰も僕を警戒していなかった。

 

「遅くなりました」

 

 僕は寿司による重力加速を解除する。そのまま敵陣の中央へ着地した。全員の視線がこちらへ向く。

 

 僕は懐から箱を取り出した。蓋を開く。中には色鮮やかなマカロンが並んでいる。

 

 僕は懐から小さな箱を取り出した。

 蓋を開く。色鮮やかなマカロンが整然と並んでいる。

 パティシエとは設計し組み立てる料理だ。戦場を読み、敵の動きを予測し、罠を配置し勝利までの工程を組み上げる。

 

 マカロン爆雷も、その設計思想から生まれた兵器だった。しかし設計だけでは制圧力が足りない。

 そこで僕は、もう一つの料理体系を組み合わせる。

 

「パティシエ料理。更に中華料理を上乗せしたものです」

 

 料理体系は互いに独立しているわけではない。組み合わせることで、新しい料理は完成する。

 

 中華の本質は量産。

 当たるまで撃てばいい。

 一つの料理を百へ。百を千へ。物量そのものを武器へ変える思想だ。

 僕はマカロンを一粒摘み上げる。

 

 中華鍋を軽く振る。

 ゴォッ、と鍋気が吹き上がった瞬間、マカロンが震えた。

 一粒だった。二粒になる。四粒。八粒。十六。三十二。六十四。

 指数関数的に増殖していく。

 鍋の中で炒飯を増やすように、マカロンが次々と複製されていく。

 

 数百個。いや、まだ増える。色とりどりの爆雷が空中を埋め尽くし、一つの雲のような群を形成した。

 

 僕は静かに微笑む。

 

「一つでは避けられます」

 

 指先でマカロンを弾く。

 

「十でも、防げるでしょう」

 

 さらに弾く。世界が埋まる。

 

「ですが」

 

 数百個のマカロンが敵陣全体へ降り注いだ。

 

「数百なら、どうでしょう。」

 

 敵兵の顔色が変わる。

 

「ま、待て……!」

「逃げろ!」

「なんかやばいぞ!!」

 

 逃げ場はない。

 パティシエが戦場を設計し、中華がその設計を物量で埋め尽くす。

 逃げ道にも、頭上にも、足元にも、壁にも全ての空間へマカロンが配置されていた。

 僕は静かに指を鳴らす。

 

「死んで味わえ」

 

 一拍置いて。

 

「マカロンの甘味を」

 

 戦場全体が、甘い香りと爆炎に包まれた。

 閃光。そして爆発。轟音が迷宮を揺らした。アイズさんを包囲していたモンスターが吹き飛ぶ。闇派閥の兵士も魔法使いもまとめて爆散した。衝撃波が周囲を薙ぎ払う。土煙が立ち込める。

 数十秒後、そこに立っていたのは僕だけだった。

 アイズさんは驚いたようにこちらを見る。

 傷だらけの顔。

 それでも美しい黄金の瞳。

 その瞳に警戒の色が宿る。

 

 当然だろう、突然現れた正体不明の男だ。

 僕は彼女の前へ歩く。

 僕は右手を差し出す。そして静かに寿司を握る。

 寿司の本質は圧縮。

 一貫へ全てを込める料理だ。食材だけではない。熱量も。重力も。空間も。生命も圧縮できるものなら、全て寿司の領域にある。

 僕は自分の生命力へ意識を向けた。

 全身を巡る生命エネルギーを少しずつ集める。

 

 心臓の鼓動。血液の流れ。身体に満ちる活力。それらを一か所へ。さらに一か所へ。無駄を削ぎ落としながら極限まで凝縮していく。

 大量の生命力を扱うのではない。必要な生命力だけを、一点へ圧縮する。

 それが寿司料理だ。

 手の中に淡い赤色の光が宿る。一貫の寿司が鼓動しているようだった。

 

「少しだけ失礼します」

 

 僕はその圧縮された生命力を、ゆっくりとアイズさんへ流し込む。

 圧縮されていた生命エネルギーは彼女の体内へ入ると同時に解放され、本来の量へ戻っていく。

 

「生命エネルギーを握った寿司です。貴方の生命を回復させます」

 

 赤い光がアイズさんの全身を駆け巡った。

 裂けた筋肉が繋がる。砕けかけていた骨が修復される。止まらなかった出血が収まり、青白かった肌へ少しずつ血色が戻っていく。荒れていた呼吸も次第に落ち着き、乱れていた魔力の流れまで安定していく。

 生命力とは、本来は体内へ満ちているべきものだ。僕は失われた分を補い、本来あるべき状態へ戻しただけに過ぎない。だからこれは奇跡ではない。

 

 寿司による『生命の圧縮と解放』という、一つの調理技術だった。

 

 アイズさんはゆっくりと目を開き、自分の身体を見つめる。

 傷は塞がり、痛みは消え、失われていた力が戻っている。

 その黄金色の瞳が驚きに揺れた。

 

「……これは」

 

 僕は小さく頷いた。

 

「寿司とは、一貫に全てを込める料理です。生命も、その例外ではありません。」

「……貴方は?」

 

 僕は静かに頭を下げた。

 

「僕はメルデル様に仕えている戦闘料理人のベル・クラネルです」

 

 包丁を抜く。

 寿司包丁。

 中華鍋。

 フレンチナイフ。

 パティシエ用の細工道具。

 調理制服の各所から戦場のための調理器具が音を立てる。

 

「初めまして、アイズさん」

 

 周囲では生き残った敵が後退りを始めていた。

 僕は笑わない。ただ静かに告げる。

 

「救援に来ました」

 

 そして前を向く。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。