「料理にも……剣みたいな”型”はある?」
僕は頷く。
「あります。料理は自由なように見えて、とても型を大切にする世界です。寿司なら米の握り方、中華なら鍋の振り方、フレンチなら火入れの順番、パティシエなら材料を混ぜるタイミングなどですかね」
基礎を学ぶ、それが大切だ。
「型を学びます。型は人を縛るものではありません。『失敗しにくくするために、先人が残してくれた知恵』なんです。だから、型を身につけた人だけが、自分だけの型を作れるようになります」
「失敗した料理は……どうなるの?」
僕は少しだけ目を伏せた。
「失敗した料理は、失敗した料理です。それ以上でも、それ以下でもありません。捨てなければならない時もあります。やり直さなければならない時もあります。でも、その失敗が無意味になることはありません」
なぜ失敗したのか。どこで判断を誤ったのか。それを一つずつ見つめ直せば、次の料理は少しだけ良くなる。
「料理は、成功で育つのではなく、失敗を理解することで上達する技術なんですよ」
アイズは質問する。
「料理を作る時、一番大事なのは技術? 経験?」
僕は穏やかに首を横へ振る。
「どちらも大切ですが、一番ではありません。一番大切なのは、『誰のために作るのか』です。今回はアイズさん、貴方のため、ですかね」
「私の?」
「貴方の命を助けたい。その為に動くと決めた。だからどんな結末にも納得できる。技術は、そのための手段です。経験も、そのための財産です。ですが目的を見失えば、高い技術も経験も、人を満足させることはできません」
僕は誇りを持って言った。
「料理は、人へ向けるものです。だから最後まで見失ってはいけないのは、人なんです」
アイズさんは質問をした。
「料理で、人は守れる?」
僕は迷うことなく答えた。
「守れます。お腹を満たすことも守ることです。病気の人へ温かい料理を届けることも守ることです。そして僕は、戦場で料理を武器にして守っています」
守る方法は一つではない。
剣を振るう人もいる。
盾を構える人もいる。
料理を作る人もいる。
「大切なのは何を使うかではなく、『誰かを守ろう』という意思を最後まで持ち続けることだと、僕は思っています」
アイズは質問してくる。
「モンスターにも、料理ごとの相性はある?」
ベルは少し考えてから説明する。
「あります。例えば、一体だけ突出して強いモンスターなら寿司が向いています。圧縮した一撃で急所を貫く方が効率的です。逆に群れを作るモンスターなら中華です。一体ずつ相手にしていては、囲まれてしまいますから」
知能が高く、駆け引きをしてくる相手ならフレンチ。
拠点を守る必要があるならパティシエ。
「相手が変われば、戦い方も変わります。料理人は『この料理が最強だ』とは考えません。『この相手には、この料理が一番役に立つ』と考えます」
僕は苦笑して告げる。
「それはきっと、戦場だけではなく、生き方も同じなんでしょうね」
アイズさんは質問をする。
「寿司を握る時……何を考えてる?」
ベルは自分の手を見つめ、静かに指を閉じる。
「……何も考えないようにしています。正確には、『余計なこと』を考えないように、ですね。焦りや恐怖、怒りや慢心。そういう雑音が、一貫に混ざってしまいます」
寿司は、一つに全てを込める料理。だから握る瞬間だけは、自分の心も一つでなければいけません。
「その一貫に、迷いが入らないように。それだけを考えています」
アイズは質問してくる。
「その料理は……まだ強くなる?」
ベルは即座に頷いた。
「ええ。料理に終わりはありません。昨日より少し美味しく。昨日より少し速く。昨日より少し無駄を減らす」
その積み重ねが、何年も続いていく。
「だから僕は、自分が完成したとは思ったことがありません。完成したと思った瞬間、その料理は成長を止めてしまいますから」
アイズさん質問する。
「全部覚えるまで、何年かかった?」
僕は少し困ったように微笑んだ。
「……まだ覚えきれていません。料理は世界中にあります。新しい技術も、新しい考え方も、生まれ続けています。だから『全部覚える』という日は、おそらく来ないでしょう」
「そうなんだ、大変だね」
「でも、それでいいんです。全部を知ることは目的ではありません。今日の自分より、一歩だけ前へ進めれば十分なんです」
「全部知れればもっと強くなるのに?」
「料理は、誰かと競争するものではなく、昨日の自分と向き合うものだと僕は思っています」
アイズさんは質問する。
「戦いながら、新しい料理を思いつくことはある?」
僕は静かに頷く。
「あります。むしろ、戦場だからこそ生まれる料理もあります」
予想外の敵。
予想外の地形。
予想外の失敗。
そうした『予定どおりではない状況』は、新しい発想を与えてくれます。もちろん、その場で完成することはほとんどありません。
戦いの中で種を見つけて、戦いが終わってから何度も試し、失敗して、ようやく一つの料理になります。
「だから新しい料理は、才能ではなく、経験が育ててくれる贈り物なんですよ」
アイズが呟く
「私は、どうやったら強くなれるかな。今回も私が弱いせいで多くの人が死んでしまった。モンスターに負けた。私には何もない。何もできない」
闇派閥の罠に嵌められて、仲間を大量に失い、自身も危機に陥って敗北して、心が弱っているようだ。
僕はすぐには答えなかった。アイズの言葉を否定も肯定もせず、静かに隣へ腰を下ろす。少しの沈黙を置いてから、穏やかな声で話し始める。
「……アイズさん。一つだけ、確認してもいいですか。あなたは今、『私は弱いから負けた』とおっしゃいました。では、もし世界で一番強い人だったら、今回は誰も死ななかったと思いますか?
「……」
「そんなことは、ありませんよね。」
僕は責めるような口調ではなく、事実を一つずつ並べるように続ける。
「罠を張った人がいました。仲間を狙った人がいました。判断を誤らせる状況がありました。たくさんの要因が重なって、今回の結果になりました。ですが今、アイズさんは、その全てを『私一人の責任』へ変えてしまっています」
「それは……とても苦しい考え方です。」
僕はアイズを見る。
「責任感が強い人ほど、自分で全部抱えようとします。でも、それは事実とは少し違います。あなたは原因の一つかもしれません。ですが、『全て』ではありません。」
少し間を置く。
「そして、もう一つ。『私には何もない』とも、おっしゃいました」
僕は静かに首を横へ振った。
「違います。アイズさんには、まだあります。苦しいのに立ち上がろうとしている心があります。亡くなった仲間を忘れたくないという想いがあります。自分が強くなりたいと願う意思があります」
何もない人は、自分が強くなりたいとは言わない。
僕は自分の手を見つめる。
「料理でも、失敗した料理は捨てることがあります。ですが、失敗した料理を作った料理人まで捨てることはありません。」
「…………でも失敗してしまった」
「それでも料理人は残ります。だから、また作れるんです。」
僕は優しく微笑んだ。
「アイズさん。あなたは今回、負けました。それは変えられません。でも、『負けた人』と『もう立ち上がれない人』は違います」
そう、敗北とは、心の敗北とは、何も選ばず、行動せず、安全地帯から挑戦者の足を引っ張ることを指すのだ。
挑戦者ならば、敗北は存在しない。
「今のあなたは悲しみの中にいます。だから、今すぐ前を向こうとしなくても構いません。亡くなった人を悼んでください。泣きたければ泣いてください。苦しいなら苦しいと言ってください」
僕は言う。
「それも、生き残った人の責任です」
最後に僕は、静かに言った。
「そして……強くなる方法を一つだけ、お伝えします」
「それは何?」
「強い人は、失敗しない人ではありません。失敗から目を逸らさず、『次はどうすれば守れたのか』を考え続ける人です」
「考える、人」
「だから今は、『私は弱い』ではなく、『私は何を学べるだろう』と、自分へ問いかけてみてください。その問いを持ち続けられる限り、アイズさんは必ず今より強くなれます」
「本当?」
ベルは立ち上がることも、励まそうと肩を叩くこともしなかった。ただ隣に座ったまま、静かに言葉を添える。
「……一人で背負わなくて大丈夫です。アイズさんさえ望めば、次は、僕も一緒に考えます。」
アイズの唇が、ほんのわずかに緩む。
それは戦場で初めて見せた、張り詰めた心が少しだけほどけたような微笑みだった
「……ありがとう」
その小さな声を最後に、アイズの体から力が抜ける。
「アイズさん?」
ベルはすぐに彼女を支えた。呼吸は安定している。脈も乱れていない。極度の疲労と精神的緊張が一気に解け、意識を失っただけだと判断する。
「……よく頑張りました」
責められることもなく、泣くことも許されず、ただ剣を振り続けてきた少女。
今くらいは休んでもいい。
ベルはアイズを丁寧に抱き上げる。傷口に負担がかからないよう腕の位置を調整し、一歩一歩、揺らさないよう慎重に歩いた。
「デメデル様のところへ帰りましょう」
戦場を後にし、デメデル・ファミリアの拠点へ戻る。仲間たちは何も聞かなかった。ベルの腕の中で眠るアイズの表情を見ただけで、どれほど過酷な戦いだったのかを察したからだ。
デメデルファミリアの人が対応してくれた。
「部屋を空けています。」
「ありがとうございます。」
僕は静かに部屋へ入り、柔らかな寝具へアイズを横たえる。靴を脱がせ、剣だけは手の届く場所へ置く。
彼女が目を覚ました時、不安にならないように。毛布を胸元まで掛けると、僕は一度だけその寝顔を見る。
眠っているアイズさんは、戦場で見せる『剣姫』ではなかった。
年相応の、一人の少女だった。
「……おやすみなさい。」
部屋を出ると、その足で厨房へ向かう。
「起きたら、食事にしましょう」
豪華な料理ではない。疲れた身体に負担をかけないよう、優しい味付けのスープ。
炊きたての白いご飯。
香ばしく焼いた白身魚。少しだけ甘い卵焼き。そして温かい味噌汁。
戦うための料理ではなく、生きるための料理。僕は包丁を握りながら、小さく息を吐いた。
「今日は強くなるためではなく……休むための料理ですね。」
厨房に戻ると自然と肩の力が抜けた。戦場では張り詰めていた空気も、ここでは包丁を握るだけで静かになっていく。
今日は戦うための料理ではない。
休むための料理だ。
僕は鍋に水を張り、昆布をゆっくりと沈める。
急がない。
焦らない。
体をいたわる料理ほど、時間を味方につける必要がある。
出汁を取っている間に、白米を研ぐ。
米粒を潰さないように、優しく水を回す。白く濁った水を何度か替え、炊飯釜へ移す。湯気が立ち始めた鍋へ、薄く切った大根、人参、椎茸を入れる。
味付けは最低限。
塩をほんの少し。
味噌を静かに溶かす。
最後に豆腐と刻み葱を浮かべると、柔らかな香りが厨房いっぱいに広がった。
次は白身魚だ。
余計な油は使わず、表面だけを香ばしく焼く。
皮がぱちぱちと音を立てる。中はふっくらと火を通し、仕上げに大根おろしを添える。
卵焼きは少しだけ甘くした。疲れた時、人はほんの少しの甘味に救われることがある。
料理を盛り付け終えた頃、背後から小さな気配がした。
振り返る。
「起きたんですね、アイズさん。」
金色の髪を揺らしながら、アイズさんは厨房の入口に立っていた。
「……いい匂い」
「ありがとうございます。」
僕は笑って答える。
「もう少しで出来上がりますから、座って待っていてください。」
しかし、アイズさんは小さく首を横へ振った。
「見てたい。」
その一言だけだった。
僕は少し驚いたが、すぐに頷く。
「もちろんです。」
再び包丁を握る。
りんごの皮を薄く剥き、一口大に切る。
包丁がまな板を叩く音だけが静かに響く。
不思議だった。
戦場では、誰かに背中を見せることは危険だ。けれど今は、その視線が嫌ではない。むしろ安心できた。
「ベル」
珍しく、アイズさんが僕の名前を呼ぶ。
「料理してる時……少し笑ってる。」
思わず自分の頬へ触れる。
「そうでしたか?」
「うん」
少し間を置いて、彼女は続けた。
「戦ってる時と……少し違う」
僕は小さく笑う。
「料理は好きですから。」
「好きだから……?」
「はい。」
鍋を火から下ろしながら答える。
「好きなことをしている時は、人は自然と力が抜けるんです。だから料理は、人を満たすだけじゃなくて、料理を作る人も少し救ってくれるんですよ。」
アイズさんは黙って聞いていた。
その表情はまだ疲れている。でも、戦場で見せていた張り詰めた顔ではなかった。
「出来ました。」
料理を盆へ並べ、食堂へ運ぶ。
炊きたての白いご飯。
温かな味噌汁。
焼きたての白身魚。
甘い卵焼き。
そして切り分けたりんご。
豪華ではない。けれど、今日にはこれが一番ふさわしいと思った。
二人で向かい合って席に座る。
「いただきます。」
僕が手を合わせると、アイズさんも少し遅れて真似をした。
「……いただきます。」
しばらくは、箸の音だけが響く。
静かな時間だった。
味噌汁を一口飲んだアイズさんが、小さく息を吐く。
「……あったかい」
「はい」
「なんだか……安心する。」
その言葉を聞いて、僕は少しだけ嬉しくなった。
「料理は、お腹だけじゃなくて、心も休ませるものですから」
アイズさんは焼き魚を一口食べる。
ゆっくり噛んで、飲み込んでから僕を見る。
「ベル」
「はい。」
「また……食べたい」
その言葉に、僕は自然と笑みがこぼれた。
「もちろんです。何度でも作ります。強くなるための料理も、疲れた時に休むための料理も、どちらも、僕の仕事ですから。」
窓から差し込む夕陽が、食卓を柔らかく照らしていた。
戦場では聞こえなかった笑い声も、怒号もない。あるのは、温かな湯気と、静かに食事をする二人の時間だけだった。