戦闘料理人クラネル   作:あばなたらたやた

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六話

 

「――以上が、今回の多重ダム奪還作戦の概要だ。質問はあるか?」

 

 ギルドの会議室に、広げられた分厚い羊皮紙の資料が静かに閉じられる。パチンと乾いた音が響き、壮年のギルド職員がその眼鏡の奥の瞳を重々しく細めて、僕たち三人を見回した。

 

 地下深くから汲み上げられたかのような冷気が、会議室の石造りの壁を伝って足元から這い上がってくる。

 

 オラリオ郊外にある巨大インフラ施設の奪還という重責は、その場の空気を物理的な質量すら伴うほどに重く沈み込ませていた。

 

「……ありません。闇派閥の暴挙、断じて見過ごすわけにはいきません。光の生命線を握らせるなど、正義の女神の名において、私が必ず阻止してみせます」

 

 僕の正面に座るリュー・リオンさんが、薄緑色の長い髪を微かに揺らし、空色の瞳に純粋な怒りの炎を宿して即座に応じた。

 

 背筋を硬直するほど真っ直ぐに伸ばし、拳を握り締める彼女の姿は、まさにアストレアファミリアの体現者そのものだった。

 

 彼女の世界は、規則と道徳、そして悪を断罪する明確な正義によって美しく統治されている。そのブレなさは、見ていて清々しいほどだ。

 

 一方で、その隣に座るロキファミリアの『剣姫』――アイズ・ヴァレンシュタインさんは、どこか退屈そうに、所在なさげに自分の指先を見つめていた。

 

 長い金髪がランプの光を浴びて淡く輝いているが、その神秘的な容姿とは裏腹に、彼女の精神はここではないどこか遠くを彷徨っているように見える。

 

「……ん」

 

 返ってきたのは、短く、起伏のない生返事。そこにはリューさんのような義務感も、闇派閥に対する義憤も一切存在しなかった。

 

 今回の占領軍の主体はあくまで闇派閥という「人間」の勢力だ。モンスターへの復讐という、彼女自身の魂を縛る漆黒の呪いと比べれば、人間の権力争いや都市のインフラ危機など、彼女の関心を引くにはあまりに無味乾燥なものなのだろう。

 

 僕は二人の対照的な様子をただ静かに「観測」しながら、手元の資料へ視線を落とした。

 

 書かれているのは推定される敵の数、地形、そして過去の防衛データ。特に敵の戦力比率が書かれたページを、僕はトントンと人差し指で規則正しく叩いた。

 

「僕は、敵の戦力が極めて不透明な点が気になります」

 

 僕の物静かで、抑揚の抑えられた丁寧語が、緊迫した会議室に染み渡る。二人の視線が同時に僕へと向けられた。

 

「表向きの主力は、陣地防衛に適した重装戦士と、広域投射を得意とする魔法使い。防衛線を敷いて籠城している以上、それがセオリーであり妥当な予測です。ですが……それだけに依存した布陣とは思えない。特殊な役割を持つ存在が紛れ込んでいると考えるのが自然です」

 

 たとえば、こちらの接近を事前に察知する索敵特化の異能者、あるいは僕たちが踏み込んだ瞬間にダムの基幹部を爆破するような、工作に特化した専門職。

 

「隠し味を見落としたまま突っ込めば、作戦という名の一皿は、味見をする前に一瞬で台無しになります」

 

 万物は等価値で無意味。善も悪も、成功も失敗も、元を正せば宇宙の塵のようなものだ。だからこそ、自分が選び、意味を与えた料理(作戦)は、納得できる手順で完成させなければならない。

 

「そこでお二人に、リスクヘッジを最優先した慎重な作戦を提案させてください。まず、僕が単独で『囮』として多重ダムに潜入します。あえて敵の防衛線を刺激し、向こうの出方を見ます」

 

 僕の観察眼のらば敵の網の張り方、全容、配置、そして隠されたギミックをすべて炙り出し、把握できる。

 

「敵の全容という『素材』が完全に判明した段階で、最大の単体火力であるアイズさんと、その背後を広域魔法で完璧に補佐できるリューさんを本隊として一気に投入する。これが最も手堅く、成功率の高い作戦です」

 

 僕の合理的な提案を聞き、まずアイズさんがその金色の瞳を小さく瞬かせた。彼女は首を少しだけ傾げ、感情の読めない声でぼそりと口を開く。

 

「……めんどくさい。正面から行って、皆殺しにすればいい」

 

 驚くほど短絡的で、けれど同時に冷酷なまでの最適解。

 ロキファミリアの核として数々の死線を踏み越え、圧倒的な武力を誇る『剣姫』ならではの、力による戦場解体の思想だ。彼女にとって、敵の罠など自分の剣と風で切り伏せれば済む話なのだろう。すると、その言葉にリューさんが即座に美しい眉を吊り上げた。

 

「待ちなさい、ヴァレンシュタイン氏。闇派閥を討ち果たすこと自体に異論はありませんが……あなたの言い方は無謀が過ぎます。クラネルさんの言う通り、敵の罠の有無も、どのような呪詛が隠されているかも分からぬまま、貴重な最高戦力を無策に突入させるなど、作戦とは呼べない。看過できません。それに、クラネルさんを単独で囮にするリスクも高すぎます」

 

 リューさんは僕を見て、それから再びアイズさんを見た。

 

 彼女の空色の瞳には、まだ精神的な幼さを残し、口下手なアイズさんを、大人の都合が詰まった危険な戦場の都合のいい道具として利用してよいのかという、道徳的な躊躇いと庇護欲がはっきりと見て取れた。

 

「リューさん。僕は本人の意向を尊重します」

 

 僕は表情一つ変えず、淡々と、極めて事務的なトーンで言葉を返した。

 

「ギルドからブリーフィングを受けた時点で、ここがどれほど凄惨な泥仕合になり得るか、その選択肢と危険性はすでに万人に等しく提示されています。その上で、彼女は拒絶せず、ここに座っている。彼女は他人に強制されたのではなく、自らの意志でこの席を選び、意味を与えたはずです」

「ですが、クラネルさん――いくら本人の意志とはいえ、彼女はまだ――」

「……レベル上げにちょうど良いからやりたい」

 

 リューさんの反論を遮るように、アイズさんが再び無感情に呟いた。その瞳の奥には、周囲の状況への配慮などなく、ただ純粋な「強さへの渇望」だけがぎらぎらと燻っている。

 

 彼女にとっては、都市の存亡も、光と闇の均衡も、僕の言うリスクヘッジもどうでもいいのだ。ただ、自分がモンスターをより効率的に殺すための力を得る、そのための「都合の良い素材」としてこの戦場を値踏みしている。

 

 その、あまりにも純粋で、それゆえに歪んだ割り切り方に、リューさんの顔が怒りで白く強張った。

 彼女はガタタッと激しく椅子を蹴るようにして立ち上がり、僕たち二人を真っ向から見据える。

 

「……二人とも、目を覚ましてください。ヴァレンシュタイン氏も、あなたは自分の力を過信し、命の重みを軽視している。そしてクラネルさん、あなたのその客観を装った突き放し方は、あまりにも冷酷だ」

 

 リューさんの細い肩が、激しい義憤で震えていた。彼女の正義が、僕たちの在り方を「悪」であると告発している。

 

「このような精神的に未熟な子供に、全ての責任と判断を丸投げし、それを『本人の自己責任』という言葉で処理してのけるなど、大人の、守るべき年上の在り方ではありません! 命を、戦いを、そんな風に冷え切った等価のものとして処理してはならないはずです! 私たちがすべきは、彼女の無謀を諌め、正しい道を示すことではないのですか」

 

 会議室の天井に、リューさんの正義の叱咤が激しく響き渡り、木霊となって消えていく。

怒りに身を焦がすエルフの正義漢と、ただ自己の渇きを潤すために強さを求める剣姫。

 

 僕は二人の視線を受け止めながら、ふっと小さく息を漏らし、静かに席を立った。手袋の紐を締め直すその手元には、一片の迷いもなかった。

 

 僕は立ち上がったまま、まずは椅子の背もたれに深く体重を預けているアイズさんに視線を戻した。

 

 彼女の金色の瞳は、リューさんの激しい叱咤を受けてなお、湖のようになだらかで、それでいて底知れない冷たさを湛えている。

 僕は一歩近づき、静かに問いかけた。

 

「どうします? アイズさん。今ならまだ、この任務を辞退するという選択肢もありますが」

 

 僕の言葉に、アイズさんは小さく首を横に振った。その髪が肩から滑り落ちる。

 

「……やめない。全部、破壊したい」

 

 迷いのない、極めて純粋な破壊への衝動。それは正義のためでも義務のためでもない、彼女の内に巣食う渇きが絞り出した本音だった。

 

「わかりました。あなたの意志は確かに預かります」

 

 僕は小さく頷き、今度はまだ肩を怒らせて僕たちを睨みつけているリューさんへと向き直った。

 

「リューさん。少し、二人で整理させてください。感情を一度脇に置いて、僕たちの意見の相違をすり合わせましょう」

 

 リューさんは不服そうに唇を噛んだが、僕のあまりに平坦で冷静なトーンに毒気を抜かれたのか、ゆっくりと息を吐き出しながら席に座り直した。

 

「……いいでしょう。どこから話しますか、クラネルさん」

「改めて、お互いの主張を確認させてください。僕は『本人の意志を尊重する』という立場です。彼女が危険を理解した上で戦場に行くと決めたのなら、その選択を尊重し、最大戦力として効率的に運用すべきだと考えています。それがたとえ、客観的に見てどれほど歪んだ動機であっても、本人が選んだことなら他人が立ち入るべきではない」

 

 僕は淡々と、自分の価値観を提示した。

 

「対して、リューさんの主張は『本人の精神が未熟である以上、周囲の年上が守り、止めるべきだ』というものですね?」

「その通りです」

 

 リューさんは空色の瞳を真っ直ぐに僕へ向け、断固とした口調で言った。

 

「ヴァレンシュタイン氏の強さは認めます。しかし、彼女の内面はまだ、自身の戦う意味や命の重さを正しく咀嚼できていない子供のそれだ。それを『本人が望んだから』という理由だけで、血生臭い最前線に、しかも無策で放り込むのは、強者の都合のいい搾取でしかない。それは私の信じる道徳に反します。未熟な者を守り、導くことこそが、先に戦場に立った者の義務です」

「なるほど。道徳的で、非常に立派な視点だと思います」

 

 僕は嫌味ではなく、心からの本心として彼女の言葉を肯定した。僕にはその「正義」や「道徳」というものに絶対的な価値は見出せないが、彼女がそれを命懸けで体現しようとする姿勢には、ひとつの確かな美学を感じるからだ。

 

「ですが、現実問題として敵の防衛線は厚く、僕たちだけでダムを奪還するのは戦力的に厳しい。アイズさんの火力を完全に除外すれば、それこそ作戦全体の失敗、つまり僕たちの全滅に直結しかねません。それではあなたの言う『守るべき命』さえ守れなくなる。……本人の意志の尊重と、あなたの言う庇護、そして作戦の成功。この三つを同時に満たす手順を組み直す必要があります」

 

 僕は人差し指を立て、机の上の資料を見つめながら、新たなレシピを組み立てていく。

 

「こういう形ではどうでしょうか。まず、僕とリューさんの二人で多重ダムへ先行し、前線を構築します。敵の出方や罠の有無は、僕たちの連携で処理する。アイズさんには一歩引いた後方、あるいは安全な待機場所で控えてもらい、僕たちが対処しきれない『明確な危険』や『想定以上の戦力』が出現した段階で、初めて彼女を投入する」

 

 リューさんが微かに目を見張った。

 

「それなら、最初から彼女を凄惨な前線に晒す必要はありません。僕たちが壁となり、彼女を『守るべき対象』として扱いながらも、どうしても必要な局面では彼女自身の意志を叶えることができる」

 

 リューさんはしばらく沈黙し、僕の提示した妥協案を吟味するように目を伏せた。彼女の頑なだった表情が、徐々に和らいでいく。

 

「……先行するのは、私とあなた。ヴァレンシュタイン氏は切り札として後方に。……それならば、彼女に全ての負担を押し付けることにはなりませんね。不測の事態には、私たちが盾になれる」

「ええ。僕としても、最大戦力を温存できるのはリスクヘッジとして悪くない選択です。アイズさん、この形でも文句はありませんね?」

 

 問いかけると、アイズさんは少しだけつまらなさそうに頬を膨らませたが、すぐに小さく頷いた。

 

「……わかった。呼んでくれたら、すぐ行く」

「決まりですね」

 

 

 リューさんが、少し意外そうな、どこか戸惑いの混じった声で僕を見つめてきた。

 

「貴方は私の意見を偽善的だと否定しないのですね」

 

 彼女からすれば、僕の徹底した合理主義と自身の道徳観は真っ向から衝突するものだと、そう確信していたのだろう。

 

 僕は手元に広げた多重ダムのマップを整理しながら、いつも通りの平坦なトーンで答えた。

 

「偽善的だとは思いますよ」

 

 その一言に、リューさんの身体が微かに硬直した。しかし、僕は言葉を止めない。

 

「ですが、人がその『偽善』を失わないために戦っている側面があることも、僕は理解しています。道徳や人道、そういった美しいルールを一切無視して、効率だけを求めて敵勢力を殲滅するだけなら、それこそ容易い。目の前の邪魔者を全て、僕の『ブラックホール寿司』で空間ごと握り潰して皆殺しにしてしまえばいい。それが一番早くて確実です」

 

 淡々と、何でもないことのように言い放つ僕の言葉に、隣で聞いていたアイズさんの耳がピクリと跳ねる。

 

「ですが、僕はただの破壊者ではなくシェフです。料理人である以上、お客さんの意向に沿う行動をする必要があります。主神であるデメテル様のオーダー、そして今回同じテーブルを囲むことになったお二人の要望――それらの『味の好み』を完全に無視した料理など、ただのエゴに過ぎません」

 

 万物は等価値で無意味だ。正義も、破壊も、僕にとっては等しく横並びの素材でしかない。だからこそ、僕は自分の基準でそれを否定しない。食べる者がそれを望むなら、その望みを最高の形で盛り付けるのが、僕が自らに課した唯一の責任だ。

 

「……なるほど」

 

 リューさんは、細く長い息をゆっくりと吐き出した。彼女の空色の瞳から、僕に対する鋭い警戒心のようなものが、少しずつ解けていくのが分かった。

 

「神の恩恵を持たない貴方が、ただの戦闘者や料理人ではなく、なぜ『戦闘料理人』という異名で呼ばれるのか……今の一言で、少し理解できた気がします」

「恐縮です。お口に合ったのなら幸いですが」

 

 僕は軽く一礼し、腰のベルトに装着された調理器具型の武器の調子を確かめた。

 

「私は、貴方を信頼します、クラネルさん」

 

 リューさんは真っ直ぐに僕を見つめ、張り詰めた、けれど確かな温かみのある声でそう言った。

 彼女の頑なだった正義の炎が、今は僕という歪な料理人を測るための静かな灯火へと変わっている。

 

「私の信じる正義や道徳は、時に戦場では甘さとなり、他者を危険に晒す偽善かもしれない。ですが、貴方はそれをただの『無意味』として切り捨てず、一つの要望として受け止め、応えようとしてくれた。……その不器用な誠実さを、私は信じたい」

「信頼、ですか。過分な評価をありがとうございます」

 

 僕は表情を変えず、いつも通り淡々と丁寧語で応じた。彼女の僕への信頼も、僕に対する誰かの憎悪も、世界の天秤の上では同じ重さだ。けれど、こうして誰かが僕に預けた『感情』には、僕自身の手で完璧な意味を与え、責任を持たなければならない。

 

「信頼された以上、期待を裏切るような結果はお出ししません。リューさんの正義も、アイズさんの破壊衝動も、すべてを台無しにせず完璧に調和させてみせます」

「ええ、期待しています。……行きましょう」

 

 リューさんは小さく、けれど気高く微笑み、その空色の瞳に戦士の鋭さを取り戻した。隣では、アイズさんが僕たちの会話をじっと見つめた後、少しだけ満足そうに小さく頷いている。

下準備は完璧に整った。

 

 僕は二人の背中を見据えながら、静かに歩みを進める。戦闘料理人としての誇りを胸に、濁流に呑まれた多重ダムという名の厨房へ、僕たちは足を踏み入れた。

 

 

 

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