「魔術刻印とは一子相伝の連綿と続く家としての蓄積デス。サジョウの家に参照デキルものがないのでアレバ、次はアナタを解剖してその魔術刻印を解析するような強引な手をとってデモこの聖杯戦争の秘密を暴き出そうとする者もいるデショウ」
「……きょ、教会が始めた儀式なんですよね?だったら教会の人が一番詳しいんじゃないんですか?なんでよりによってわたしを」
「教会を襲っても何も出ないことはわかった上でミナサン参加されているからデスよ。前回の聖杯戦争でも監督役の者タチがマスターの襲撃を受け死に至るという事件もアリマシタ。ちなみに襲撃したマスターはどうなったと思いマス?何か証拠は得られたノカ」
「話の流れからすると得られなかったってことですよね?」
「いえ、得られたのデス。当時派遣された者タチは聖杯の設立に関わった者タチでしてね。その関わった全てがその時に命を落としマシタ。つまりそのマスターが情報を独占したのデス」
「え、じゃあ」
「当然ながらそのマスターも敗退シマシタ。前回の聖杯戦争は勝者ゼロ、デスからネ。だからこそもはや聖杯の儀式はブラックボックスと化した」
「……そんな確実性のないものなんかに命を賭けるなんて、狂ってる」
神父の笑顔。わたしの青褪めた顔。しばらくの静寂のとき。
誰もしゃべらない。誰もしゃべれない。
「私もサーヴァントとしての責任がある。マスターを守るために命を賭す」
重苦しい静寂を切り裂いたのはセイバーの凛とした一声だった。
セイバーの一声にわたしは嬉しくなった。けれど違うのだと思った。
神父は片眉を少しだけ上げるも無視をしたまま、わたしに問い掛ける。
「サジョウさん。夕方のお話が考えていただけましタカ?」
ネットリとこびりつくような提案は瞬く間に脳へと達して、これしかないと思わせる引力を放っていた。
「わたしは」
わたしはどうしたい?決まっている。こんな恐ろしい戦いなんて離脱するに限る。命のやりとり。いつまた強襲をしかけられるとも知れない恐怖。
これが一月も続くなんて、あり得ない!
わたしは右手で先生からもらったネックレスを手に取ろうとして失敗した。そこにあるべきものが無かった。
二度・三度と手を動かして、服の中を覗き込む、胸ポケットの中、ありとあらゆる場所を探して、それでもないなんて。
尋常ではない吐き気が襲いかかる。胃がくっきりと今なら輪郭を意識できた。
いったいいつから?襲われていたとき?ここに来る道中で?
(わからない)
それが今のわたしには致命的だった。狼狽。恐怖。
先生がむけてくれた笑顔が次第に褪せていく。
「ねぇ。わたしのネックレス見てない?」
「ネックレス?……わからないな。けれど昨晩襲撃を跳ね除けた後には既にマスターはネックレスをつけていなかったはずだよ」
だとすると、屋敷の中に落ちている?あの襲撃の最中で落としてしまったのだろうか?
それでも、ある程度は襲撃後に探索をしたはずでネックレスなんてなかったはず。
「そうだ。キャスターが撤退したときに綾香が何か取引を交わしたようだったけれど、もしかするとそのときに」
「キャスターに、奪られた?」
「可能性はあるね」
許せないと思った。絶対に取り返してやると決意した。
相手はサーヴァント。わたしには勝てるはずもない。
けれど、今のわたしには後ろを振り返ればセイバーがいる。
「神父さん。わたしは降りません」
「ほう。ネックレス、デスカ?」
「ええ、取り返さないと。それまでは絶対に逃げない。お心遣いありがとうございます。聖杯の儀式がどれだけ狂ったものなのかも分かりました」
神父は驚愕の表情を一瞬だけ浮かべ、普段のものへとすぐに切り替わった。
「それはそれは。ええ、わかりマシタ。それではキャスターからネックレスを取り返した後にでもご検討クダサイ。そちらのサーヴァントもきっとあなたを守ってくれるデショウ。しかし私ならばルールの上であなたを保護することがデキマス。落ち着いたらまた、お話、しまショウ」
「……ええ」
「それではどうデスカ、紅茶でも。お寒い中歩いてきたデショウ。温まりマスヨ」
「すみません、結構です。今日はここで失礼します。またよろしくお願いしますね」
「ええ、それでは、マタ」
頭を下げて、踵を返す。外へ出ようとしたところで神父が再び声をかけてくる。
「狂っているのは聖杯カ。それとも聖杯を求めて野蛮な手段も構わないマスターたちなのか。サジョウさんはどう思われマスカ?」
バタンとオーク材でできた扉が閉まった。
ほうっと重たく息を吐いた。夜空を見上げると、入ったときと変わらない深い闇色とそれを照らす月明かりだった。
しばらくセイバーと無言で歩いた。逆戻りの家路。
行きに見た掲示板を再度見かける。その時よりも、教会の礼拝のお知らせのチラシを見たときの思うものがより重苦しかった。
「綾香」
セイバーが声をかけてくる。
「神父、サンクレイド・ファーンと言ったか。彼と以前にも話をしたのかい?」
「はい。今日……じゃなくて昨日の夕方に。父と姉の墓前で会いました」
「そうか。……そのときに」
「はい。マスターを降りたければ教会に来てくれと。ごめんなさい、わたし。セイバーを裏切ろうとしてた」
「裏切ろうとだなんてとんでもないよ」
「いえ、勝手に召喚なんかしておいてさっさと放り出そうだなんて。セイバーにも叶えたい願いがあるんですよね?」
「叶えたい夢、か。そんなものはないよ」
「ないってそんなこと」
「本当にないんだよ。強いていうなら、綾香に幸せになってほしいくらいかな」
真摯な声の色を含んでいたのはわかった。だから顔が熱くなるのを抑えたかった。
「ふふ。なんですか、それ。おもしろいですね」
「冗談じゃないんだけどな」
そのとき、街灯がジジジとなって点滅している、それが急に消灯された。
「えっ?」
セイバーがわたしを守るように前に飛び出す。
消えた街灯が10秒ほどして再点灯した。その真下。
街灯の高さとほぼ同じの巨漢が巨斧を携え、理性なき目がわたしとセイバーを捉えていた。
「いつからそこに立っていたの?」
「綾香、気をつけて」
「う、うん」
「あれは、異常だ」
セイバーは装備を着装し終え、見えない武器を抜いた。眼前にはもの凄いスピードで巨漢が迫ってきていた。
「なっ」
ややたたらを踏んだがセイバーはなんとか横薙ぎに迫ってくる斧を滑らせ軌道を歪めた。斧のフォロースルーは隙の固まりだったが、容易に高級住宅の生垣の毟り取った。斧から生み出される風圧はやがて窓を破砕して、切り刻まれたカーテンが直下に落ちた。
「綾香。下がって。守りながらでは戦えない」
目を見開く。やっぱりわたしは凡人なんだ……。落ち込む気持ちに胸が苦しくなりつつも、邪魔をしてはいけない。なるべく戦場から距離を取った。
「あれが、バーサーカー?」
斧は住宅地の庭に深く突き刺さる。バーサーカーが右手で抜き去ろうとすると、住民が異常を感じて2階から降りてきたようだった。
「ダメっ。危ない!」
遠く離れたわたしが叫んだところで意味はなかった。
割れた窓ガラスから覗くあり得ない巨体の大男が、その家の住民の男の背丈の2倍はあろうかという巨斧に手をかけるところだった。
おそらく目障りだったのだろう。斧に手をかけた腕を中断して、バーサーカーは男を鷲掴みにした。
理性のない瞳が、足をもがかせる男を眺める。
「やめろバーサーカー!!」
セイバーが剣を振るった。ランサーを撃退したその剣が、一般人を掴む腕の付け根を切り裂くような軌道で衝突した。
けれど無傷。
いや、あり得ない再生力でたちどころに傷が消えてしまったのだった
「なんだその再生力は」
セイバーは慄く。大男は、住人を握りつぶして絶命させた後、セイバーに対しておおよそヌンチャクのような使い方で死体を振り回し攻撃を始めた。振り下ろされるたびに武器は原型を崩していく。肉片が道路のアスファルトにこびりついていく。
「もうやめて……」
わたしは何をしているのだろう?数分前に戻れたら、不参加を突きつけていたはず。
わたしは何を見せられているのだろう。
「もうやめてよ!こんなのおかしい。聖杯なんかとためにこんなことまでしないとダメなの?!」
その場にわたしは膝をついて、頭を抱えた。視界が滲む。
道路には赤い絵の具が付いている。ちぎれたはらわたが溢れ出している。
セイバーは苦虫を噛み潰したよう表情で遺体を切り裂いた。
バーサーカーは玩具が壊れてしまったとでもいうように拳に残ったモノを放り投げ、ようやく斧を手に取った。
その斧を取る動作の合間にもセイバーはバーサーカーを果敢に攻め続けたというのに、ようやく切り落とした腕さえも数秒のうちに復元する始末。
投げ捨てられたものがわたしの目の前に転がっていた。生首一つになった数分前まで人だったそれは、内側から生じた圧力に耐えかねて眼球が飛び出しかけている。
これが人の死なのだろうか?
まだ深夜も3時30分ごろというのに住宅街に電気が灯り始めた。これだけの異常音が繰り返し外から続けば無理もない。
おそらく何人かは外に確認に現れて、そして。
「生首。生首にな、っちゃうん、だぁ」
ははははははははは。笑うことしかできない。生首の口元も歪み、あるいは笑っているようにも見える。
「だれか、だれか」
セイバーはわたしの方にバーサーカーを寄せ付けないようにするだけでもはや精一杯のように見える。街中に整然と並ぶ家々に灯りが灯るたびにセイバーは焦燥感を増して、不利になっていく。
「もし、わたしに力があれば」
いったいなにができた?いや、結界を貼って、こんなことにはならないように、少なくとも一般人の犠牲を抑えることができたはずだった。
でもその道をわたしは最初から放棄していた。8年前、魔術に対しての嫌悪感を抱いたときから。
もう遅すぎたのだ。
「おい。どうなってるんだよ…これは!!」
男も声が聞こえた。振り向くと玄関からパジャマの男性が甲高い声を上げていた。バーサーカーはセイバーとの交戦をいったん無視して、近くの家の表札のついたレンガでできた門柱をむしりとり、邪魔をするなと言わんばかりに勢いよく投げ捨てた。
「やめて!!」
わたしが男の人の方へ歩を進めたときには潰れた肉塊が血飛沫を上げているだけだった。レンガの赤色はさらなる赤色で上塗りされてグロテスク艶めきをコーティングされていた。
「綾香。無事か?!」
「わたしは……。でも」
「くっ」
不利な相手なら撤退すればいいだろう。けれど今わたしたちが撤退したらどうなるというのか。
決まってる。この一帯が血みどろのぐちゃぐちゃだ。
「綾香、教会に走ってくれ!」
「あ、きょ、教会行きます」
なんとか走り出そうというのに腰が抜けて走り出せない。這って這って、立ちあがろうとなん度も試みて子鹿の足取りでようやくプルプルと足を震わせて立ち上がれた。また教会に走らないと、と坂道を上ろうとした刹那に
「綾香、危ない!」
セイバーの姿が目に入ってくる。
「えっ?
セイバー?」
セイバーが、最初の犠牲者となった男性と同じように拳の中に掴まれ、足をバタバタと足掻いている姿が目の前だった。
「綾香、逃げろ!!!」
さっきまで100メートルくらいは離れていた二人の戦場が既に目の前になっているというのは、つまり
「セイバー、わたしを庇って……」
「そんなことはどうだっていい!どうせ英霊なんて死人なんだ。今を生きている君が、教会へ走って……ぐっ!!」
握りしめる拳の力が強くなったようだった。
「ア、ヤ、カ……。早く」
「あ、あ、あ……」
また、また、わたしは何もできない目の前で人が死んでいく。
そうだ指輪と思って震える右腕を左手で押さえ込みながら魔術を使ってみても、その硬い筋肉には一切傷がつかない。
ゲームオーバー。あなたの負けです。目の前が真っ暗になった。
(こんなの現実じゃない)
『いいえ。これが現実。あなたの選んだ選択肢の結末よ』
(わたし、なにがダメだったの)
『あなたが凡人だから、しょうがないじゃない。どうしようもない。これが現実』
(わたしがわたしだったからダメだったの)
『そうよ。あなたがあなたの姉くらい才気あふれていれば、この結果は違ったでしょうね』
(わたし、お姉ちゃんに憧れてた)
『ええ』
(なんでも完璧にこなして、わたし面倒もみてくれて、本当に、ほんとうに大好きで)
『ええ』
(でも、今はいない)
『そうね。沙条愛歌は既に壊れてしまった。あなたの目の前には現れない』
(もし、サーヴァントを召喚するように、わたしを触媒にしてお姉ちゃんを召喚できるのなら)
『……』
(わたしは、もう、わたしをやめるのに……。なんてそんなこと)
『そう。できるはずないわ。でももう疲れちゃったでしょう?目も耳も塞いで何も考えたくないでしょう?だったらこの手を取りなさい。綾香。これですべてがうまくいくわ』
迷いなくわたしは目の前の手を取った。
それは聖杯戦争の、本当の意味での始まりだった。
わたしが欠けていく。わたしが塗り替えられていく。わたしが終わり始めている。
世界が崩壊を始めていた。ガラスの世界。それが崩れて、破片となり、わたしに雨となって降り注ぐ。はじめにわたしの皮がすべて剥がされた。構成要素が分解されて、再構成される。
気がつけばわたしは金色の髪の毛だった。夢で見た。こんな夢を数時間前にも見た覚えがある。けれどそのときと違うのは
『お姉ちゃんの顔?』
(そうよ、綾香。あなたはわたし。わたしはあなた。これでようやく動き出せるわ。バーサーカーには感謝しないとね)
意識が深海へと沈み込んでいった。入れ替わるようにわたしの横を誰かが浮上していく。
それをわたしは、安心したように見送った。
○
はじめに右手をぐっぱぐっぱと動かした。それから左手。足、首。ふぅ、一息ついてから、視界に標的を捉える。
(もう少し長くかかると思っていたのだけれど、こんなに早くわたしにお鉢が回ってくるだなんて思ってみなかったわ)
腕をバーサーカーに向けて伸ばした。それから目いっぱい五指を広げてから思い切りぎゅっと握りしめた。
パチンと肉が弾けた。セイバーが落ちて道路に倒れ伏した。ぜえぜえと苦しそうに呼吸を繰り返している。
片腕を失ったバーサーカーは特に気に留めるでもなく、すぐに腕を取り戻していた。
(あの回復力はやはり厄介ね。あれをどうにかしないことにはバーサーカーを潰しようがないわね)
もはやラジコン操作ではなかった。
(わたしが、わたし自身としてこの世界に立っている!そして目の前には、セイバー!)
身体中を歓喜が包んでいた。
「セイバー?」
かがみ込んで、セイバーの様子を見る。セイバーが目を開ける。
「あや、か?」
「ふふ、お寝坊さんなのね。セイバー。わたしよ。あなたのマスター・沙条愛歌」
再度バーサーカーの巨腕によって振り下ろされた斧は空を切った。まだ理解できていないバーサーカーは手応えのなさを訝しんだか、何度も何度もその場所に斧を打ちつけた。
砂埃が辺りに充満していた。
沙条愛歌とセイバーの二人は既に数百メートルは先の位置に転移していた。
セイバーが驚愕に目を見開く。
「まな、か?いったいどうして生きて」
「どうしてだと思う?」
そう顔を赤ながら、綾香が着ていたブレザーのボタンを上から一つずつ外していく。それから胸を突き出してみせた。
かつてセイバーが大聖杯の付近で愛歌に聖剣を突き刺したあの場所には、傷一つないきれいなままで、代わりに一枚羽根の刻印が示されている。
「愛歌は七枚羽根だったはず」
「ええ、そう。だったらわたしはいったいだあれ?」
セイバーの頬に手を添える。つうっと指先がおとがいまでをなぞった。
「綾香はどこだ」
「そんなの決まっているでしょう?」
そう言って愛歌は自分自身を抱きしめたのだった。