ようこそ原作主人公抜きで頑張る教室へ 作:灰色の
緊急特別試験の最終日、午後10時55分。
船内の喧騒から少し離れた場所にある落ち着いた雰囲気のカフェ。俺たち現Cクラスの面々は、間もなく発表される最終結果を待つために一堂に会していた。
「凍影くん、こっちだよ。席、確保しておいたから」
「早く、早く」
早い段階から店に足を運び、大人数が座れる特等席を押さえてくれていた平田が、俺の姿を見つけるなり穏やかな笑みを浮かべて手招きをしてくる。
その円卓には、すでに櫛田と平田と同じく手招きしている軽井沢の二人が腰を下ろしていた。
「櫛田さんから大体のことは聞いたよ。凍影くんと櫛田さんのペア、凄く上手くいったみたいだね。他のクラスでも二人の活躍がかなり噂になっていたよ」
平田が自分のことのように嬉しそうに語りかけてくる。俺は彼の向かいの席に腰を下ろしながら、視線を返した。
「ああ、やれるだけのことはやったさ。……平田、お前たちの方はどうだったんだ?」
「僕と前園さんは、トレーニングジムとかの運動方面を中心に頑張ってみたんだ。でも、やっぱり他クラスの壁は厚くて……上位三ペアに入賞できているかどうかは、ちょっと自信がないかな」
平田は少し申し訳なさそうに苦笑した。だが、全員の出場義務がないこの試験において、クラスの精神的支柱である平田が前線に立ってポイントを狙いに行ってくれたこと自体、クラスの士気を維持する上で大きな意味があった。
「あんまり気にするな。挑戦しただけでも十分さ」
そう声をかけると、少し離れた別のテーブルから、じっとこちらを凝視している強い視線に気がついた。
松下だ。
彼女は俺と目が合うと、悪戯っぽく片眉を上げてフッと意味深な笑みを浮かべてみせた。その瞳は完全に『星之宮先生をマークした対価、きっちり期待してるからね?』と雄弁に物語っている。
現金な奴め、と内心で苦笑する。だが、彼女の立ち回りがなければ星之宮の不正を暴き立てることはできなかった。約束通り、彼女の欲しがる実利(プライベートポイント)は、この試験の成果をもって支払ってやるつもりだ。
ふと壁の時計に目をやる。運命の午後11時になるまで、あと3分。
今回の試験は、結果の発表と同時に、入賞した報酬のプライベートポイントが各生徒の端末に直接振り込まれるシステムになっている。
カフェの入り口付近では、須藤がペアを組んだ小野寺かや乃と一緒に、今か今かと携帯を握りしめて待っていた。無人島でもスポット占有で大活躍した須藤の野生のフィジカルと、水泳部エースである小野寺のポテンシャルだ。スポーツ系の種目ではそれなりの手応えがあったらしく、二人の顔には隠しきれない期待と自信が満ちあふれていた。
「……随分と余裕そうな顔をしているのね、凍影くん」
凛とした声と共に、すぐ隣のテーブルに腰を下ろしたのは堀北だった。その隣には、学力面での頼れるブレーンである幸村輝彦も席についている。
「堀北か。お前たちこそ、お疲れ様」
「ええ。私と幸村くんで、図書室の記憶力テストと言語ラボのリスニングを消化してきたわ。特に幸村くんの精密なサポートのおかげで、知性系の種目に関しては確実に上位を狙えるだけのスコアを残せた自負があるわ」
堀北が少し誇らしげに顎を引くと、幸村もメガネの奥の瞳を鋭く光らせて頷いた。
「ああ。問題の難易度は高かったが、凍影の立てた戦略通り、俺たちの得意分野にリソースを絞ったんだ。絶対に無駄にはなっていないはずだ」
原作でも実証されている彼らの高い学力だ。知性系のブースであれば、Aクラスの精鋭相手だろうと十分に渡り合い、それなりのポイントをもぎ取ってきているに違いない。
カフェの自動ドアが静かに開いた。
「凍影、櫛田。やはりここにいたのか」
低く、どこか張り詰めた声がして視線を向けると、そこにはBクラスの神崎が立っていた。そのすぐ後ろには一之瀬が、さらに柴田颯をはじめとするBクラスの面々が数人、重苦しい表情を引き連れて続いてくる。
「やっ……邪魔してごめんね。私達も、ここに入っても良いかな……」
一之瀬は申し訳なさそうに視線を泳がせながら、力なく微笑んだ。
その瞬間、カフェの一角を占拠していた我がCクラスのメンバーから、一斉に困惑と、隠しきれない冷たい視線が彼らへと突き刺さる。須藤はあからさまに不機嫌そうな顔で鼻を鳴らし、軽井沢はつまらなそうに目を逸らした。
「一之瀬さん。貴方達、自分達のクラスメイトが一体何をしたのか分かっているのかしら」
隣のテーブルから、堀北が一切の容赦を排した冷徹な声を突きつける。
星之宮先生の不正。そして、それに加担して解答を漏洩されていた白波千尋の件だ。そのせいで特別試験そのものが中止に追い込まれたのだから、堀北の追及は極めて正当なものだった。
「おいっ!」
堀北の辛辣な物言いに、一之瀬の近くにいた柴田がカッとなって一歩前に出ようとする。だが、一之瀬は即座にその華奢な手で柴田の胸元を優しく抑え、静かに首を振ってそれを制した。
「……柴田くん、ダメだよ。堀北さんの言う通りだもん。その事については、本当に申し訳ないと思ってる。私達のクラスのせいで、みんなの試験を台無しにしちゃったのも、本当に悪いと思ってるよ……」
一之瀬は深く頭を下げた。彼女自身は何も悪くない。悪いのは暴走した星之宮先生であり、甘さに付け込まれた白波だ。だが、クラスのリーダーとしてその責任を一身に背負おうとする一之瀬の姿は、ひどく痛々しく見えた。
「そうなんだ。でも、そうだよね。私達、正直あの優待者試験は『勝てる試験』だったから、簡単に許せることじゃないよ」
いつもなら一歩引いているはずの松下が、冷ややかな微笑を浮かべながら言葉を重ねる。昨夜、星之宮先生のマークという大役を果たし、俺の戦略のすべてを理解していた彼女からすれば、Bクラスの自滅による試験中止は、クラスの勝利報酬を不当に奪われたのと同じだった。
「……後からならいくらでも言えることだ。一之瀬、真に受ける必要は無い」
松下の冷淡な一言に、神崎が苦い表情のまま、一之瀬を庇うようにして前に出た。負け惜しみか、あるいはハッタリだとでも言いたげな口調だった。
「でも、辰グループの優待者って……神崎君だったよね?」
鈴を転がすような、どこまでも無垢で優しい声がカフェに響く。
俺の隣に座る櫛田が、首をコロンと傾げて、なんの悪気もないといった聖母の笑顔を神崎に向けていた。
「っ……」
名前を指名された瞬間、神崎は言葉を失い、完全に無言になった。
「私達ね、優待者の法則に行き着いたんだ。答えを知っちゃえば、結構単純な仕組みだったよ。だから、あの中止がなければ、私達は神崎君を指名して完璧に勝てていたはずの試験だったんだよ?」
ウフフ、ときょとんとした目で語りかける櫛田。だが、その言葉の裏にある意味は、神崎の心臓を正確に射抜いていた。
携帯の並び順という絶対的な法則。星之宮先生が白波に漏洩し、俺たちが完璧に掴んでいたあの解答。それがあれば、辰グループは俺たちの完全勝利で終わるはずだったのだ。
ハッタリでも何でもない。確かな証拠を握られている。
神崎は言い返す言葉も見つからない様子で、ただただ拳を握りしめ、苦い水を飲まされたかのような表情で立ち尽くすしかなかった。
「確かに白波は一線越えちゃったけどさ。お前達が法則に気づいたなら、俺達だって普通に試験に挑んでりゃ気づかないわけないだろ!」
これ以上黙っていられないとばかりに、柴田が強い口調で反論してきた。Bクラスのプライドを守るための、彼なりの必死の抗弁だった。
「悪いけど、ズルをした貴方達と違って私達は実力で突破してるの。それはこの緊急試験の結果でも、十分に証明出来るわ」
堀北が冷徹に、そして確固たる自信を込めて言い放つ。……少し強気過ぎる言い回しだが、事実だからこそ相手は何も言い返せない。とはいえ、ここまで相手を煽って大丈夫だろうかと、俺は内心でほんの少しだけ苦笑した。
——その時、時計の長針が完全に天頂で重なった。
午後十一時。
カフェの張り詰めた空気の中、全員の携帯端末が一斉に、重々しい通知音を鳴り響かせた。画面に映し出されたのは、緊急特別試験の『最終集計結果』だ。
【緊急特別試験・最終結果通知】
本試験におけるクラスポイント(cl)およびプライベートポイント(pr)の増減は以下とする。
Aクラス:プラス 50 cl / プラス 2,400,000 pr
Bクラス:マイナス 150 cl / プラス 1,500,000 pr
Cクラス:プラス 150 cl / プラス 7,800,000 pr
Dクラス:マイナス 50 cl / プラス 1,800,000 pr
「嘘……Cクラスが、トップ……!?」
画面を凝視していた一之瀬が、驚愕のあまり声を震わせた。神崎も柴田も、その圧倒的な数字の前に完全に愕然とし、言葉を失っている。
これで現在のクラスポイントは、俺たちCクラスが「1116cl」、Bクラスが「895 cl」。
一之瀬たちの自滅と俺たちの圧勝により、ポイント差は一気にひっくり返り、俺たちは名実ともに【Bクラスへの逆転昇格】を完全な現実のものとしたのだ。
「ねえ、雪波くん。……満額、来たね」
俺の隣で、櫛田が本当に嬉しそうに、けれど周囲のBクラスには聞こえないような微かな声で囁いてきた。
俺と櫛田のペア、そしてオールラウンダーの高円寺と王美雨のペア。この二つのグループが、エントリーしたそれぞれ5種目すべてで「1位」の満額を叩き出したのだ。それだけでクラス全体の獲得額のうち、500万プライベートポイント(一人当たり125万ポイント)の計上は確定していた。
約束通り、これだけの額が手に入ったんだ。俺は手元の画面を素早く操作し、事前に約束していた対価として、少し離れた席にいる松下の端末へプライベートポイントを幾らか送金した。『待たせたな。協力感謝する』と、短くメッセージを添えて。
端末のバイブ音に気づいた松下が画面を確認し、俺の方を見て悪戯っぽく微笑む。すぐに『ありがと、さすが頼りになるリーダー♪』と、機嫌の良さそうな返信が届いた。
「思うようには稼げなかったわね……。やはりAクラスの学力層は厚かったわ」
隣のテーブルで、堀北が少し悔しそうに息を吐いた。だが、彼女と幸村のペアもしっかりと上位入賞に食い込み、ポイントは確実に入った様子だった。須藤と小野寺のペアも、お互いにハイタッチを交わしているところを見るに、スポーツ系でかなりの額をもぎ取ってきたようだ。
クラス全体が歓喜の渦に包まれる中、一之瀬がゆっくりと顔を上げた。その瞳には、敗北の悔しさと、それ以上の固い決意が宿っていた。
「……今回も、私達の負けだね。凍影くん、堀北さん、本当におめでとう。……けど、次は負けないよ。次こそは、私達も正々堂々と勝つから」
いつもの笑顔を取り戻そうと必死に強がりながら、一之瀬は優しく、けれど真っ直ぐに宣言した。その横で、神崎が俺を鋭く睨みつける。
「凍影……どうやら俺たちは、お前という存在を甘く見すぎていたようだ。もう、お前たちと組んで様子を見るような余裕は、俺たちには無い」
それだけ言い残し、神崎は一之瀬を促してカフェを後にした。重い足取りで去っていくBクラスの背中を、俺は静かに見送った。
「……もしかしたら僕たちは、知らないうちに彼らを、とんでもないところまで追い込んでしまっているのかもね」
ぽつりと、平田が少し複雑そうな、けれどどこか覚悟を決めたようなトーンで呟いた。
元Dクラスの底辺から始まった俺たちの進撃。それが今、この豪華客船の特別試験を機に、学年の勢力図を完全に塗り替えたのだった。
嵐のような特別試験が幕を閉じ、すべてが動きを止めた明け方四時。
空がほんのりと白み始める、最も冷え込む時間帯に、俺は船内の薄暗い非常階段に足を運んでいた。
静寂だけが支配する階段室で待つこと数分。上の階の扉が静かに開き、微かな足音が響いた。
「や、やっほー……」
階段の踊り場に、一之瀬帆波がそっと姿を現した。
いつもの眩しいほどの笑顔はどこにもなく、まるで迷子になった子供のように怯えた様子で、俺の姿を見つめている。
「や、」
俺が短く返すと、一之瀬は冷えたコンクリートの床を確かめるように、恐る恐る階段を一段ずつ下りて近づいてきた。 お互いに何を話せばいいのか分からず、二人の間にどこかぎこちない空気が漂う。
「なんだか……話しにくいね……」
「そうだな……」
俺の隣まで来ると、一之瀬は壁にそっと背中を預けた。
そこから、しばらくの間は完全な無言になった。
静まり返った非常階段には、窓の外から聞こえる遠い波の音だけが響いている。俺も一之瀬も、お互いに言葉を探したまま、何も言い出せない時間がじりじりと過ぎていった。
やがて、耐えかねたように一之瀬が小さく息を吐き、ポツリと口を開いた。
「こんなつもりじゃ……無かったんだけどね……」
一之瀬は視線を自分の靴の先へと落としたまま、独り言のように呟いた。
「正々堂々と戦って、みんなで協力して上を目指すつもりだったのに……何で、こんな事になっちゃったんだろ……」
その声は、決して泣き声ではなかった。
だけど、僅かに——それでも俺にははっきりと分かるくらいに、繊細に震えていた。彼女が必死に耐え、心の中で押し殺している限界の感情が、その微かな震えから漏れ出している。
「一生懸命、前を向いて……次こそは勝つつもりでいたんだけどね……。それなのに……不正なんかに走っちゃう自分の仲間も抑えられなくて……。私、本当にもう分からなくなってきたよ……」
白波の不正、そして何より一之瀬が誰よりも慕い、信頼していたはずの星之宮先生の暴走。信じていた世界が足元からバラバラに崩れ去っていくような絶望感が、彼女の細い肩に重くのしかかっている。
「何が正しいのか、もうわからないな……。先生のことも止められなかったし……直前まで、何も気づけなかった…」
一之瀬はぎゅっと自分の腕を抱きしめるようにして、身体を小さく丸めた。
「私……こんなんでリーダーなんかやる器じゃないのに……。もう、どうすればいいのか、分からなくなって来てるよ……」
いつも前を向き、クラスの誰もを救おうとしてきた一之瀬帆波という少女が、初めて俺の前で剥き出しの弱音を吐いていた。
Cクラスに追い抜かれ、足元から崩壊していく自分のクラスを前にして、彼女の心は完全に悲鳴を上げていた。
俺は……無言のまま、一之瀬の華奢な肩へとそっと手を置いた。
その温もりに驚いたのか、一之瀬の身体が小さく跳ねる。だが、彼女は拒むことなく、その場に立ち尽くしていた。
「……随分と、何から何まで一人で抱え込んでるんだな」
押し殺すような低い声で、俺は語りかけた。
「クラスのことも、俺たちのクラスとの戦いも……。もう、限界なんだろ。お前のその細い肩で、クラス全員の人生を背負い込もうとするのはさ」
「凍影、君……」
「多分、俺がもし一之瀬と同じ立場に立たされたとしても、そんなクラスを仕切るのはかなり難しい。……いや、ハッキリ言って無理だと思うぞ」
慰めでも何でもない、あまりにも淡々とした俺の分析に、一之瀬は大きく目を見開いて俺の顔を見上げた。
「聞く限りでも見る限りでも、今のBクラスは何から何まで実質的にお前一人で回している状態だ。神崎たちも優秀な側近のつもりでいるみたいだけど、俺の目から見れば正直、頼りなく見える。
…もし俺が、お前の代わりにあのBクラスに配属されていたとしても……周りがあの面子なら、俺は最初からリーダーの座を拒否して、絶対に引き受けなかったと思うぞ」
「え……? そんな、神崎くん達は、いつも私のことを……」
「一之瀬」
庇おうとする一之瀬の言葉を、俺は冷徹な正論で遮った。
「一之瀬の周りに今いるメンバーは、全員が『一之瀬を頼ること』を前提にしてお前の周りに集まっているだけに思えるんだよ。厳しい言い方をすれば、結局は誰も責任を取りたくないから、お前を『都合の良い、お神輿(みこし)』として担ぎ上げているだけじゃないのか?」
「……っ!」
一之瀬の息が止まる。その核心を突いた指摘は、彼女がこれまで無意識に目を背け続けてきたBクラスの致命的な歪みだった。
「お前はみんなに頼られることに、リーダーとしての生き甲斐を感じているのかもしれない。だがな、自分自身は誰にも頼れない、逃げ場のない極限状態でそれをやり続けたら……いつか必ず精神が破綻する。今のお前を見てると、俺にはそうなる最悪の未来しか見えないんだよ」
「それって……私には、味方がいないってこと……?」
一之瀬の声が、今にも消え入りそうなほどに弱々しく震える。
信頼していたクラスメイトたち全員の存在を否定されたような衝撃に、彼女の瞳が大きな動揺で激しく揺れていた。
「ああ。少なくとも今の一之瀬のクラスには、本当の意味でお前の味方と言える人間はいない」
俺は突き放すように、けれど確固たる事実として、彼女の瞳を真っ直ぐに見据えて言い放った。
「誰もがお前に寄りかかり、盲目的に依存しているだけだ。支え合っているんじゃない。お前という一本の細い柱に、全員がぶら下がって重荷をかけている。……俺の目には、今の歪なBクラスは、そうとしか見えないんだよ。
…その上で聞くけど、一之瀬。これでもお前は、まだあのクラスのリーダーなんて大役をやりたいか?」
非常階段の張り詰めた空気の中、俺の声だけが冷徹に響く。 一之瀬は言葉を失ったまま、ただ大きな瞳を濡らして俺を見つめ返すことしかできない。
「俺は他クラスの人間だ。だから、仮に一之瀬がこの先本当に潰れそうになったとしても、お前のクラスの事まで助けてやれるとは言えない。もし俺が逃げ場を用意するとしたら、それは一之瀬個人を護ることくらいだ。クラス全体が絡んでくる問題になれば、その限りじゃない」
残酷なようだが、ここで都合のいい期待を持たせるわけにはいかない。俺には俺の、自クラスをAクラスへ導くという絶対の目的があるからだ。
「だから……一之瀬に俺から言える現実的なアドバイスは、今すぐそのクラスのリーダーをやめる事かも知れない。お前を見てるとなんとなく分かるんだ。一之瀬、お前は俺にも誰にも言えない『何か』を、過去の重荷をずっと抱えてるんだろ? その罪悪感か何かがあるから、自分の身を削ってまで、皆の理不尽なわがままをすべて引き受けてるんじゃないのか?」
「っ……!」
一之瀬の顔から、さっと血の気が引いていくのが分かった。図星だろう。原作知識もあるが、そうでなくとも彼女の自己犠牲の精神はあまりにも異常で、歪だった。
「お前の過去を探るつもりはない。けど、今の一之瀬には到底リーダーをやれる精神状態じゃないと俺は思ってる。だから、もしお前の内側を本気で案じるなら、そんな割に合わない席なんて今すぐ降りて良い。…一之瀬個人の実力なら、他人に頼らなくたって自力で幾らでも上の将来を掴み取れるはずだ。自分に頼るだけ頼って、責任だけを押し付けてくるクラスメイトのことなんて、もう気にかける必要は無いんだ」
「私は……私は、でも……みんなが……」
一之瀬の口から、掠れた声が漏れる。長年、自分が正しいと信じて歩んできた道を全否定され、彼女のアイデンティティは今、激しく揺らいでいた。
「お前の内面をすべて知らない以上、今の俺に言えるのはそれだけだ。これからどうするかは、一之瀬、お前自身が決めていい」
俺は一之瀬の肩に置いていた手に、少しだけ力を込めた。
「だけど……もしもお前が本当に潰れそうになったら、その時は俺が他クラスだろうが何だろうが関係なく、お前のクラスメイトたちの前に割り込んでいく。あいつらを怒鳴りつけてでも、お前を『リーダー』っていう呪縛の役職から引きずり降ろす気でいる。それだけは覚えておけ」
心の整理がつかず、精神状態の限界を迎えた一之瀬の目から、ついに堪えきれなくなった涙がひと筋、ぽろぽろと零れ落ちていく。明け方の薄暗い非常階段で、彼女はただ、支えてる俺の胸元に顔を埋めるようにして小さく泣き始めるのだった。